児童文学この一冊

19.ひそむふしぎ
上村令

           
         
         
         
         
         
         
     
 ある雨の日の授業中、一郎は恐ろしい物を見ました。遅刻してきた三人の級友の姿が、真っ黒でぬるぬるの大男に見えたのです。次には、帰り道の水たまりの中に、真っ黒で丸い顔のばけものが現れ、水たまりから手をつきだして、一郎の足をつかもうとしました…。
 『光車よ、まわれ!』(天沢退二郎作/筑摩書房刊)は、不気味な、でも鮮やかなイメージをたたえた物語。
 「水の魔物」の存在に気づいた一郎は、やはり同じ敵と戦おうとしていた龍子たちの仲間となって、不思議な「光車」をさがすことになります。光車が三つそろえば勝てる、と龍子はいうのです…。
 この物語の面白いところは、よく考えながら読めば読むほど、説明されていない謎が残るにも関わらず、ときおり「光車」や続編の熱烈なファンに出会うことからもわかりますが、奇妙な説得力があり、忘れがたい印象を残すことです。水の中にひそむ「裏側の魔の国」が、いよいよ「表の世界」を征服しようと、洪水の中から姿を現すラストも圧巻ですが、一見普通に見える事物の中に、「あやかし」や魔を認める視線の確かさが、この作品の大きな魅力をかたちづくっていると思うのです。
 ふと目をあげてみた向かいのビルのベランダに、魔物がいる。見られたことに気づいて、こちらにするするわたってこようとする…変な模様だと思ってたタンスの把手や、いつも見ていた信用組合の床に、「地霊文字」や光車がひそんでる。何かいつもとちがう先生の目つき、敵の仲間なのかもしれない…。
 ひとりの日、天気のせいで空気の色が変わる日には、ふっとこうした「不思議」を垣間見たことがあった気がします。もしかしたら子どもたちにとっては、この「日常に潜む不思議」は、もっとずっと身近なものなのかもしれません。
 『マンホールからこんにちは』(伊東寛作/福武書店刊)は、雰囲気はうってかわってユーモラスですが、やはり、何気なく見すごしがちな日常の中に「不思議」を見いだす目の確かさを、感じさせる一冊。お使いにでかけた「ぼく」が角を曲がると、マンホールからマンモスやかっぱが現れて…?
 「ぼく」が見たのは、実際はホースや、工事のおじさんのヘルメットにすぎなかったのかもしれません。そこらじゅうに黒い魔物やらマンモスやらがいるなんて言いだせば、「ばかなことを言うんじゃありません」と、怒られるのが普通なのかもしれません(「ぼく」のお母さんも、お使いの品を持って帰らなかった「ぼく」に、「来月のおこづかいは半分」といいわたします)。でも、なんの変哲もない事物の中に、「もう一つの世界」を見ることができる能力は、長い目で見れば、生きていく助けになるのではないでしょうか。
 つらくてたまらない時、倦怠をもてあました時、異なる世界と一瞬でも通じ合うことができれば、袋小路を打ち破り、新しい方角を見るきっかけを作れるかもしれません。
福武書店「子どもの本通信」第21号 1991.10.10
テキストファイル化富田真珠子