児童文学この一冊

17.いつかまた
上村令

           
         
         
         
         
         
         
     
 ルー・ジーンは、ジニーの親友でした。父を失ったジニーたちが谷に引っ越してきたときに、歓迎のパーティを開いてくれたのも、歌を教えてくれたのも、五つ年上のきれいなルー・ジーンでした。でもあるとき、悲しいことが起こります……。
 『スイート川の日々』(ホワイト作/ホゥゴー政子訳/福武書店刊)は、1950年代初めのアメリカ・ヴァージニア州の谷間を舞台に、少女ジニーと彼女をめぐる人々の姿を描いた物語。貧しい時代でしたが、子どもたちは、その旺盛な生命力で日々新しい楽しみを見つけていました。谷のだれもがみな、ルー・ジーンが大好きでした……彼女が妊娠し、相手の少年が去ってしまうまでは。
 まだ旧弊なところのあった人々は、いったん道をはずれた者には容赦がなく、谷間は口さがない噂や彼女への批判で持ちきりになります。ルー・ジーンの母親が先頭にたって娘を責め、辱めます――おまえのような子は地獄の火で焼かれるよ、と。
 ジニーはそのようすをずっと見ていました。どうすることもできずに――やがて、追いつめられたルー・ジーンが“火に焼かれる”という恐怖のあまり、逆に自分で自分の身体に火をつけてしまうまで。
 幼い日に身近な人を失うのは、とても辛い経験です。でも、そばに支えてくれる大人がいれば、子どもたちはその経験を乗り越えていけるのです。この本では、「父ちゃんもルー・ジーンも犬のバディも、わたしの好きな人はみんな、わたしをおいていく――どうして」と泣くジニーに、ジョシュという青年が、こんな風に答えます。「いつかまたきっと、別の形でその人たちに会えるよ。きみの愛情がよびもどすんだ」
 自分自身十代で父親と二人の妹を亡くしたジョシュがそういうのをきいて、ジニーの心はやわらぎます。ジニーはずっと、だれかにそんな風に――これが終わりではないんだと――言ってほしかったのでした。
 著者のホワイトさんは、「ルー・ジーンは、わたしの一番上の姉がモデルなのです」といっています。ホワイトさんは、この本でルー・ジーンを描くことで、お姉さんを“よびもどし”たのかもしれません。
 『海がきこえる』(ツェーベルト作/津川園子訳/佑学社刊)には、双子の兄マックスが病気で死んでしまうのをみつめる十歳の女の子ジョーが登場します。ずっといっしょに育ったのに、どうしてマックスだけ――?パパもママも二人の妹たちも、ジョーのその問いにはこたえられません。でも、マックスが死んだあと、下の妹の誕生日に、ママはその子がうまれた日のことをみんなに話してきかせます。そして、こうつけ加えます――「マックスの一生は、長くはなかったけどすばらしかったのよ」それはやはり、ジョーがききたかった言葉でした。そしてママはさらにこういいました。「マックスはよく笑ったわね。わたしたちが笑うのをやめたら、マックスはきっと悲しむわ」
 悲しいことがあったとき、一緒に悲しむだけではなく、言葉にだして、子どもたちに智恵や力をわけてあげられる大人でいたい、と思います。
福武書店「子どもの本通信」第19号 1991.6.10
テキストファイル化富田真珠子