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読む、ということ

 こんにちは。鈴木宏枝です。いつもお読みくださってありがとうございます。
 
 2月に登場したTくんなのですが、当初、自分でも心配していたとおり、Tさんとまぎらわしいという声をいただきました。今号から、Mくんに改めたいと思います。

登場人物:
 Tさん 2002年6月生 (姉)
 Mくん 2005年2月生 (弟)

 「さん」「くん」は実はジェンダー的に落ち着かず、Mさんにしたいところでもあるのですが、男女の記号とわりきるということで。

 改めて、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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 毎月取っているブッククラブの今月分に、『さむがりやのサンタ』(レイモンド・ブリッグズ、すがはらひろくに訳、福音館書店、1974)が送られてきたのだが、これは手持ちにあるため、あらためて別の絵本を届けていただくことになった。
 新品の『さむがりやのサンタ』は、めくらずに返品したのだが、家にあったその絵本が急になつかしくなって、季節はずれだけど探してくる。それをめざとく見つけたTさんが「サンタさんのほんなの? よもうか」というので、早速読んでみた。
 でも、音読する側からすると、マンガを読むのは不可能だ。Tさんも、私が読んでいるセリフとはあらぬところを見て、あちこちきょろきょろ目線を動かしている。
 もちろん、何度か読むうちに、「やれやれ」とか「きり!」とか「クリスマスおめでとう」といった部分的なセリフを覚えるけれど、ほんとうにストーリーを読んでいるとは思えない。
 細かくコマ割された絵をどう順番に読んで、絵とセリフをキャッチするか――これは獲得されるべき技術であり、Tさんは、吉村和真さんがおっしゃるところの「マンガの読み方が身体化される」以前の状態で、(私としては、そんなに急いで身に着けなくてもいいよとも思う親心もあるのだが)その意味で、Tさんは『さむがりやのサンタ』を読めていない。
 ただし、読めないからといって楽しまないわけではない。その後も、置いてあれば「さむがりのやサンタ(語順が違います)読んで」と持ってくる。夜明け前にうすねず色の空がだんだん明るい黄色になる4コマは、しみじみ眺めいって「あさになるねえ」と言い、屋根の上でサンタとトナカイたちがお弁当を食べるページでは「ゆき、あめ、ちぇっ」とまねをする。最後にサンタがシャワーを浴びている小さなコマでは、バススポンジを差して「ポチね」と言うが、犬とスポンジを、どうくっつけて理解しているのだろう。
 Tさんがもっと大きくなったら、クリスマスには、サンタが喜ぶお酒やケーキを置いておきたい。トナカイやクリスマス・プディングやビッグベンやイヌイットの氷の家など、見えるものが増えてくるのも、個人的に楽しみにしている。

 今、ひらがなをすべて読めるようになったTさんが気に入っているのは『あいうえおうさま』(文:寺村輝夫、絵:和歌山静子、デザイン:杉浦範茂、理論社、1979/2005.2)である。調剤薬局の待合室で手にしたのだが、最初の数ページで名前を呼ばれた。全部読んでからでないと帰らないというTさんに「今度、図書館で借りよう」と言って帰宅し、その週に出先で購入しておみやげにしたものだ。

 『あいうえおうさま』は、「あいうえおうさま あさの あいさつ あくびを あんぐり ああ おはよう」のように、あいうえお五十音それぞれに頭韻を踏んだテクストと、それに合わせたおなじみのおうさまの絵が描いてある。
 Tさんは、「こ」では、「ココアをこぼしちゃったのよ」と笑い、「し」では、おねしょをした布団をかぶってしょげているおうさまを「シンデレラみたいね」と評する(たしかに、白くすそをひいたドレスに見えなくもない)。一番気に入っている言い回しは「べそかく」で、「べっどに ぺんきを べったり ぬったら へばりつくので べそかく おうさま」では最後を待ち構え、私が言うやいなや「べそかくだってぇ」とけらけら笑う。
 この本では、おうさまのまわりにちりばめられた絵が文字と連動していて、「あ」なら、あんぐりあくびをしている王様の横に、雨やあざらしや朝顔が描いてある。その仕掛けを、Tさんはまだ気づいていない。「か」のところで、カーテンレールの上のかたつむりを見て、「こーんなところに、なんでかたつむりがいるのよー、あははっ」と必ず笑うのだが、いつか、絵の秘密に気づいたら、今度はどのページがお気に入りになるだろう。

 今、Tさんが見せる「よめる」ことのうれしさは、見ていてすがすがしいほどである。最初は、『あいうえおうさま』の各ページの上にあたたかい字体で描かれているあいうえおを指差して読みあげていた。今は、大きな文字のあいうえおだけでなく「あくびをあんぐり」といったテクストのほうもぼちぼち読んでいる(たいていすぐ飽きるけれど)。
 外では、「これ、なんてよむの?」とたずねてくるのは、駆け込み乗車に×をつけたサイン、ゴミ箱のびん、かん、燃えるゴミなどのマークになった。絵の意味を知りたがる様子は、あいうえおの読み方を知りたがったときと同じで、その興味の行き方に、逆に、ひらがなも日本人に共通のサインであることを再発見させられた。
 
 他方で、Tさんの文字獲得の姿を見ると、抽象に過ぎないひとつひとつの文字をひとかたまりの意味として捉え、言葉として変換し、それを具体的に想像するのは実に高度な作業なのだなと思う。ひとつひとつの文字が読めても、それを物語や文章として把握するには、もちろんまだ至っていない。
 「す、て、き、な、じゃじゃじゃ(Tさん用語で”漢字”の意)、に、ん、ぐ、み。すてきなさんぐんみんよ」と持ってくるのは、おなじみの『すてきな三にんぐみ』(トミー=アンゲラー、いまえよしとも訳、偕成社、1969初版/1977改訂版)だ。個別の文字は読めて、この絵本が『すてきな三にんぐみ』だということもわかっていても、文字と題名というテクストと絵本そのものの認知の間には、まだずれがある。
 『すてきな三にんぐみ』で、Tさんは、黒に灰色の絵柄と目だけのどろぼうたちが最初は怖かったようで、「まっくらね、よるばっかり」と腰が引けていたが、「みんなでいっしょにくらすんだ」という言い回しは好きになったようで(これは、作品の肝だろう)、絵柄は暗いけれど素敵な話だと理解したようである。
 最近、Tさんはしばしば、自作のおはなしもどきをしゃべっているのだが、『すてきな三にんぐみ』以降、「みんなでいっしょにくらします」が入るようになった。
 猫の表紙のついた私のハーブの本を見ながら、Tさんはこんな風に読む。

むかしむかし
おかあさんとねこさんがすんでいました
ピンクののはらもすんでいました
ひゅーひゅーって
はなびがはじまりました
それから まいにちまいにち
おかあさんとくらしました
で、よるになりました
おふろにはいって 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10と
かぞえながら あさになりました
おとうさんと シンデレラのあかちゃんに
おっぱいをあげました
よるになりました
おとうさん おかあさんと ごはんをたべました
あひるのあかちゃんがうまれました
おとうさん
シンデレラのあかちゃんと
かもめをみました
あさのあいさつ
なみだがでてきました
そして ふたをしました
ぱかぱか
おとうさんと おかあさんの はなしです
みて だっこ しようか
おとうさんのためにくらしました
みんなでいっしょにくらしました
おしまい

 「すてきなさんぐんみん」同様、題名がちゃんといえない「ぴっちゃーぼうや」は『ピッツァぼうや』(ウィリアム・スタイグ、木坂涼訳、セーラー出版、2000.3)である。Tさんは、表表紙も裏表紙も同じ笑顔というつくりにまずひかれ、「あれ、あれ、こっちがはじめ? こっちがおわり?」という混乱じたいを楽しんでいたが、やがて「あかいほうがはじまり。みどりがおしまいです」と秩序を重んじるようになった。
 絵本を読むとき、私たちはたいてい並んで座る。私は文字を読み、Tさんがめくる。手助けはしない。絵本読みの最初の頃は、息が合わなかったけれど、特に勝手に最後までめくることもなく、文の切れ目がページの終わり、という阿吽の呼吸を、Tさんは身につけてきた。『ピッツァぼうや』はその阿吽がとてもうまくいく絵本である。
 
 『ピッツァぼうや』は、雨の日の家の中の見立て遊びが楽しい1冊だが、Tさんは、一連の流れるストーリーが好きなようで、ピートが外に出て行く最後に、ほっとした表情を浮かべる。ままごとのピザを手にして、「ぴっちゃーぼうやのぴっつぁね」と言う。なんで「ぴっつぁ」といえるのに、絵本の題は「ぴっちゃー」なのだか。
 私は、ピッツァ遊びの中の「ほんとうは水なんだけどネ」「ほんとうはベビーパウダーなんだけどネ」という( )がどうもなじまず、舞台裏は言わなくてもいいのになあと残念な気持ちにもなる。もちろん、この絵本の完成度の高さも絵の素敵さも、開架に置いておくとピートの満面の笑みにうれしくなるほど、大好きなのだけど。
 ウェブでの紹介を見てみると、実際にピッツァごっこをやっているご家庭や保育園もあるようで(http://www.yamaneko.org/dokusho/shohyo/osusume/2000/pizza.htm)、ぜひうちも、と思いつつ、最近めっきり重くなってきたTさんだから、ここは、パートナーの出番にしよう。

 Mくんの方は、Tさんの声が好きだ。最初は、声。私の声にはもちろん安心するけれど、ざぶとんの上で3人で転がってわらべ歌で遊んでいると、Mくんは明らかにTさんの声に喜ぶ。口を半月形にしてうれしくほほえむ。そして、私とTさんの会話を喜んでいるように見受けられる。私とTさんが会話をしているだけで、テレビの声に反応するのとはまた違うアンテナが立つように(親ばかだが)見える。Tさんは「Mくん、うまれてきてよかったねー」と誰かの口真似をし、ひっついて添い寝し、たぶん、Mくんは、その身体的な快も、言葉と同様に、うれしい。
 Mくんは、声はまだたまに「えっうー」といった程度だが、レム睡眠のときには、なぜか、新生児の頃から声を出して笑うことが多い。赤ちゃんは神々しいと、ある編集者の方がおっしゃっていたが、親の造作に似てお地蔵様のような笑顔のMくんは、いったいどんな夢を見ているのやら。

(鈴木宏枝 http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/ Tさん2歳11ヵ月、Mくん3カ月、
「絵本読みのつれづれ」バックナンバー http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/ehon.htm