『子ども族探検』(第三文明社 1973)

〈小学連〉の再登場

四・二八沖縄デー、反戦高協をはじめとする高校生組織が参加、その総数五百〜六百めいというので、警察と新聞が注目した。これよりまえ、成田空港反対の三里塚集会には中学生がまじっていたというので問題になった。どうも体制というやつは、幼少者の"政治参加"が気になるらしい。
おとなに対しては、議会政治=民主主義などという適当なアメが与えられるので、体制としてもやりやすいのだろうが、選挙権のない幼少者が政治的にめざめてくるとそれをなだめる方法がない。あるのは機動隊による弾圧だけ。ところが弾圧によってヘバルのは、これまた、だらしのないおとなと相場がきまっているのだ。
若い人びとから、「機動隊にやられたから、もうやめた」などという話はきいたことがない。その反対の話ならおびただしくきかされている。美濃部都知事が機動隊の増員に賛成したのはケシカラン、だから美濃部はエセ革新なんだと腹を立てている人が多いが、わたしはそうは思わない。美濃部サンは真の革新派だから、機動隊員をふやすことによってより以上の革命的な若者が増加するという弁証法に賭けているのだ。しかもこの賭けのほうが、公共ギャンブルなんかより数段も興味深いと思っているにちがいないのである。
ところで問題の沖縄デーだが、この日参加した幼少者は高校生や中学生ばかりではなかった。小学生もまた参加していたのだ。
その小学生は二人組の男の子で、単なる見物人とはちがい、タオルの手拭で鼻と口とをおおった上、学生とともに石や空ビンをてにしていた。そのうちのひとりは、空ビンの破片で手を傷つけてしまったのだが、その治療に当たった人に向かい、
「いがいに、血がとまりませんねえ」とハッキリした口調でしゃべったそうだ。
これよりさかのぼって、東大闘争のとき、まだ安田講堂の攻防戦以前の段階だが、支援のためのイチョウ並木集会というのがあった。参加者は、「造反有理」の文字が飾られた正面で、それぞれの所属団体名・学校名を明らかにした上で"入場"したのだから、それなりに意志的であったはず。ところが、そこにも二人組の小学生がいた。「なんで、こんなところにいるんだい」
「遊びの帰りに通りかかったら、なんとなく・・・・・」
「なんとなく、なんだい?」
「はいってみたくなったんだよ」
「どうだい、感想は?」
「すごいね」
「機動隊がきたら、早く逃げろよ」
「ああ」とはいったものの、素早く逃げ出そうという気持ちはないと見た。
もちろん、イチョウ並木集会の二人組小学生と、沖縄デーのそれとは別人である。
王子野戦病院闘争のときにも、子どものヤジ馬は大勢いた。なかには、ヘルメットの色彩による組織の強弱というのか、ヤル・ヤラナイというのか、とにかく各セクトの動きを知っていて、おとなたちに向かい、解説している子どももいた。
「あの白いのはヤルんだぜ。あの赤いのもマアマアだ。青いのはたいしたことないよ。緑のやつは期待できないんだなア。白に赤い線のはいったやつ、あれ、逃げるのが速いんだ。数はすくないけど、黒いのもいいよ」という調子。
思い起こせば九年前、六〇年安保のデモの隊列のなかに子どもがいたというので問題になった。新聞(くわしくは『毎日グラフ』が扱った)はこれを〈小学連〉と呼んだ。〈小学連〉は阿部進の教え子のなかの数人で、わたしも顔見知りの連中だった。わたしはこの子たちの"思想と行動"をラジオドラマにし、放送局上層部と激しいアツレキを起こしたりもした。
しかし六〇年の〈小学連〉は、まさに社会的関心の程度で、デモの隊列のなかにまぎれこんだのだ。そしてそれは、議会政治を守れとか、平和をヨウゴせよと叫ぶ市民の行動としての国会周辺デモに見合っていたはずである。
その意味で、いかに連中が全学連に親近感をいだいていたとしても、そして〈小学連〉と呼ばれようとも、実質は市民のヒナ型の域を出るものでなかった。
けれど、七〇年をめざす状況のなかにとびだしてきた〈小学連〉は、市民のヒヨコなどというかわいげなものではなさそうだ。かれらの掌はすでに血で染まった。催涙弾の洗礼をあびた目からは機動隊憎悪の涙がしたたり落ちた。これでヒヨるくらいなら、かれらははじめから"家庭"のなかにスッこんでいたはずだ。
「おい、きょうのデモに小学生がきていたぞ」といったら、
「こんどはオレもいく」と叫んだのはウチの小学生だが、同時に、ウチの小学生だけではないような気がする。これは七〇年への予感のひとつである。

中学生パワー

中学卒業までは義務教育だ。ところが、この義務教育をまともに受けいれなれない人がいる。家庭の事情で年少ながら働きに出たり、病気のために遅れてしまったり、とにかく、ふつうには学校へ出られないという人のために夜間中学がある。日本全土で二十校あまり。
この夜間中学の生徒および卒業生たちと話あう機会があった。席上「夜間中学というようなものが存在していることじたい許せないことだ。憲法では、教育の機会均等ということがいわれているのに、それが現実されていない。その事実をゴマカクために、夜間中学をつくっている。しかし、これがないと、われわれは教育を受けられない。このムジュンをどう受けとめていくかが問題だ」という意味の発言があった。
すでに中学生にして、教育と社会生活とのフクザツな関係を考える必要にせまられているわけだ。これは何も、夜間中学という"特殊"な場にいるから起きてくる問題ではない。
あちこちの大学で闘争が起きたとき、それはいち早く高校へも波及した。そして高校における学園闘争の激化は、中学にも強い影響を与えずにはおかなかったのである。考えてみればこれは当然のことだろう。何も大学だけが特別の教育をおこなっているわけではない。それこそ幼稚園から大学院まで、一貫して、教育行政のワクのなかで教育がおこなわれているのだ。大学で起きた問題は、高校にも中学にも小学高にも幼稚園にもおしなべて関連がある。文部省はひとつだ。
10・21国際反戦デーのとき、ゲバ学生の投げた爆弾を消し止めたというので、東京墨田区の中学生が警察から表彰された。警察としては、大学生や高校生にくらべて、中学生はまだまだ純真だといいたかったのだろうが、この日も闘争に参加した中学生がタイホされている。そして佐藤訪米阻止闘争のときも。こうした動向を、ただ単に、大学生の影響だの、高校生の感化だので片づけようと思うのはまちがっている。中学生ともなれば、自分の受けている教育が、自分にとってどんな意味を持っているのかをチャンと考える能力はできているし、それがまちがっていると思えば、それをハネのける行動力だってあるのだ。
この前、草月ホールでおこなわれる予定だったフィルム・フェスティバルを"粉砕"してしまったヘルメット部隊の先頭に立っていたのも中学生だ。この中学生はかねがね、映画に関心を持っていた。そして"前衛"を自称する映画作家たちが万国博に協力するのをケシカラヌことだと考えていた。そういうケシカラヌ映画作家がフィルム・フェスティバルの審査員だというので、ダンコ粉砕に立ちあがったのである。
大学生である兄は、弟についていう。
「すごいんだ、あいつは。ボクなんか、うっかりしてると、ハッパをかけられる。学校へ行くとセンセイがおたおたしているらしい。すごく勉強もしてますよ。オヤジの本棚の本を片っぱしから読んじゃうんだから」
父親は記録映画作家。したがって若い助監督などが出入りする。それをつかまえては議論をふっかける。助監督たちが負けることがすなくない。こういう中学生が現実にいつのだ。それもひとりやふたりではない。『若い広場』という若者向け雑誌がある。投書がたくさんのっている。中学生の投書のほうが大学生や高校生のそれより質が高いということがめずらしくない。
「・・・・・一部の有名校(私立や有名大学付属中学)では、大学受験さながらの教育やしめつけを受け完全に高校以上に空どう化している。またそれらの多くは、自由というものをふりかざして、それによって、われわれに対して自主規制を要求、イヤ、させている。・・・生徒の中の右翼的、プチブル的そしてニヒリズム的な体質を、われわれ前衛がバクロしつつ生徒会を自治会へ再生しつつ、それをわが世界革命の一かんとして階級闘争への位置づけとし、さらに闘う労働者、学生、市民と連帯しつつ革命的に闘っていかなければならない」というようなハッキリしたことを十四歳で中学三年生の子どもが書いているのだ。ヘンにませた東京や大阪の子どもでなく、石川県の中学生である。
このように、めざめてしまうことが、はたしていいか・わるいかというような問題ではない。こういう中学生が存在するのだということを直視すべきなのだ。
また中学生たちの、予想以上の成長ぶりは、政治への関心だけにかぎったことではないと思う。あらゆる面で、いまどきの子どもは予想以上の成長をとげていると考えたほうがいい。
義務教育を受けているうちはまだガキだなどと決めてかかっていると、おとなはひどいシッペがえしをくうこと確実。こんどは中学生パワーだ。そしてつぎは・・・・。

このあたりの"子どもと政治"についての文章は、わたしたちもまた深く関係のあった現代の、ある時点の記憶として読んでもらいたいと考える。これらは、消滅したのではなくて、沈潜したのである。だからまたいつの日か、浮上してくることだろう。子どもの日の体験が何もかも消滅してしまうのなら、わたしたちが教育について、あるいは児童文化のあれこれについて、さらには"子ども族"についていろいろ考える必要はまったくない。

バリケードか文化祭か

秋だ。文化祭の季節だ。そこで東京の教育委員会では各高校長あてに通達をだした。"文化祭の運営は生徒の自主性にまかせるように"。
都立青山高校への機動隊導入などで、ガゼン高まってきた学園闘争の高校での盛りあがりを警戒した教育委員会がなるべく生徒たちを刺激しないようにしようとの配慮から、右のような通達をだしたとも考えられる。
文化祭の運営をめぐっての生徒と学校側の対立はけっしてすくなくないし、それが全共闘結成への足がかりとなる可能性は十分だ。それをいち早く見通した教育委員会の通達と見れば、これは、かなりハナシのわかるやりかたということになるかもしれない。
しかし実情はどうか。教育委員会の通達は闘争を未然に防ぐのに役立つだろうか。わたしの答えは否である。
これは、いまの学校教育というもののなかで、自主的とか、民主的とかいわれているコトバの内容=実態を見ればすぐに判断されることなのだ。とくに高校の場合で考えてみよう。
まず、生徒会というものがある。生徒会長をはじめとする役員の選出は、わたしたち"おとな"が、いわゆる議会政治を運営させるために議員を選出したりするのと同じやりかたなのだ。そして生徒会の運営は、つねに多数決を正しいとする考えかたでおこなわれていく。とすれば、そこには当然のこと、おとなの社会と同じ程度の考えかたや方法がうまれてくるわけだ。子どもがおとなよりも進歩的だ、などと思うのは、この場合はまちがっている。
子どもが、おとなよりも進歩的あるいは未来的でありえるのは、子どもが子ども独自の"方法"で自分たちの考えかたをおしすすめようとするときだけなのである。
ひところ、日本でもブームをまきおこしたマクルーハンのコトバのなかに、「メディアはメッセージ」というのがあった。つまり、容器は内容そのものだということだろう。このデンでいくならば、生徒会という議会政治のミニチュアでしかないということになる。
ほとんどの議会政治が、自民党の思うままに運営されている現在、その"方法"をうけつぐ生徒会が、それとまったくちがう内容を持ちうるはずはない。そこでは大学立法と同じような悪法が民主的に強行採決されることだってあるわけだ。
ハッキリいってしまうと、古今東西、どこの国でも議会政治のなかから、進歩的あるいは未来的な何かが生まれたなどということはただの一度もない。ガリレオ・ガリレイの地動説でさえ、議会(教会)が民主的な多数決によって否定したではないか。
問題がかなりふくらんでしまったが、つまり、生徒会というものを背景ににらんで、自主的運営などということをいっているかぎり、教育委員会の通達は高校における闘争の芽をつみとることはできないだろう。それは逆に、闘争の盛りあがりさえ可能にすることだろう。
東京・板橋にある城北学園高校Kクンが、一枚のビラを持ってやってきた。埼玉県立浦和高校の生徒が講演してくれといってきたのに同行してのハナシだ。ビラの内容を要約すれば"文化祭は、学校側の鼻息をうかがい生徒会のギマン的な自主性によって運営され、なんら、今日の状況をとりいれようとしない。このような文化祭をフンサイすることなしには、高校生としての自覚も前進もありえないのだ"ということになり、さらに、文化祭なんか否定して、安保フンサイの闘争に参加しようと飛躍する。そのためには、全学封鎖のバリケードが必要だと書いてある。
Kクンは誠実な高校生だ。Kクンはいう。「文化祭がダメだということはわかるんです。でも、それをすぐにバリストに結びつけてしまうのはまちがいではないでしょうか」
意見をきかせろというから、わたしはいった。
「とりあえず、あなた自身がダメだと思う対象をフンサイする作業にとりかかること。それをおしすすめるなかで、なお、バリストに疑問が残るならばやらなければいい。バリストに疑問があるからといって、ダメだと思う文化祭をフンサイすることまでやらないというのでは、あんた、まったくの保守主義だ」
 そばで、浦和校のOクンがうんうんとうなずいている。Oクンたちは、生徒会を牛耳る民青を追いだし、まったく実力的に文化祭を自分たち自身のものにすることに、一応、成功したのである。ここからさらに、バリケード構築というような事態に進んでいくかどうか、それは、学校側の、生徒の"自主性"にたいする判断ひとつであろう。この秋、《自主》は明らかに試練に直面したのだ。

高校生の非行

夏休みだから、高校生の非行について何か語ろうなどという年中行事的なことではないのだ。わたしは俳人ではないので、非行→夏休みとむすびつけたり、家出→春と関連させたりする趣味は持ちあわせがない。
ここで問題にする〈非行〉とは、いわゆるゲバルトのことである。すでに一部で報道されたことだが、今後、警視庁ではゲバルト高校生(中学生も)を非行少年とおなじように少年一課で扱い、単に保護(という名の検束、そして拘留)するだけではなく、補導することに決定したという。つまり、一種の確信犯たる少年を、破廉恥な罪を犯した少年たちと同様に扱おうというのだ。
しかも、その補導が終了するのはその少年の書棚からマルクス主義の関係の本が姿を消し、親に心配かけるおそれがなくなったときなどと、担当係官は語っているらしいのである。係官のあたまのなかでは、マルクスの著作権もエロ・グロの書物も、すべて非行にむすびつく悪書となる(わたしにいわせれば、この世に悪書などというものは存在しない。このことに関しては改めて)。この思想は戦前・戦中の特高警察の思想よりも、下劣なものだ。特高はまだしも、マルクス主義文献を"思想書"として考えるだけの能力をもっていた。
マスコミなどでは、自民党も共産党も足並みをそろえ口をそろえて、ゲバルト学生はごく一部のハネ上がり分子と発言しているけれど"国"の対策はごく一部の学生についてどうのこうのというようなものではなくなっている。
ゲバルト高校生をもはや一部の例外として扱うだけの余裕はなくなり、一般的な非行少年の列に加えないことには、どうにも手のほどこしようがないところまで追いこまれているといえそうだ。
もちろん、いままでにも、警察はずいぶんと、ゲバルト高校生にたいしては、職分をこえて熱心であった。都立江北高校三年金子義春クンの家では、金子クンがデモに行くということがわかると、すぐに一一〇番でパトカーを呼んでしまう。親切なオマワリサンはすぐにかけつけてきて、
「親不孝なことはするもんじゃない」というのな説教をする。
「親と子の関係というような事柄に警察が口をだすのは、民事不干渉の原則に反するではないか」金子クンが抗議をするや、
「おまえは、ひとの親切を無視するのか」とからんでくる。そして親に向かい。
「家財の持ちだしなどしていれば非行少年としてパクルこともできるのですがね」などといいだす。親に向かって、息子を警察に売りわたせとすすめる始末なのだ。今後こうした親切の押し売りはますますヒンパツするにちがいない。いやいや、親のほうに子どもを売りわたす意思がなくても、警察は子どもを力ずくでも引き取っていくようになるだろう。
しかし、それでも、わが子がゲバルトに走ることがないならば結構だというような親もいるかもしれない。だが、それは見当ちがいもはなはだしい。
たとえば群馬県の場合。六月一五日のデモでヘルメットをかぶった高校生は、深町実成クン(私立高二年)ただひとりであった。そのことによって、深町クンは制・私服警官の集中攻撃を受けた。七月一三日のデモのとき、ヘルメット高校生は七十名にふくれあがり中学生も三十名がヘルメット姿で参加してきた。かれらは深町クンへの"国"の親切に反発したのだ。わたしは、いままでに多くのゲバルト学生と話しあう機会を持ってきたけれど、警察・学校からの干渉を多く受ければ受けるほど、かれら(彼女ら)の"非行性"は増大する。
深町クンの場合でいうなら、おそらくかれの書棚からマルクス主義関係の書物を追放するのはそれほど困難なことじゃないだろう。なぜなら、深町クンは自分自身をマルクス主義者だときめくむだけの勉強を「まだしちゃいない」からだ。
きょねんまで深町クンは野球少年であった。ことしも野球部に在籍していれば、主戦投手として甲子園の土を踏む可能性さえあったほど、将来性タップリな野球少年だったのだが、かれは先輩のシゴキに反発した。その反発をとおして、かれは先輩のシゴキの"本質"がついには国家権力にまで関係がありそうだということを感じとってしまったのである。
先輩のシゴキからは、野球部をやめることによって解放されることができた。しかしそれで全部が解決されたわけじゃないと思えばこそ、かれはアレヨアレヨというまに、ヘルメットをかぶり、隊列の先頭で〈反戦〉の旗を高くかかげるゲバルト高校生になってしまった。かれの思想を高めつつあるのが、マルクス主義文献ではなく、警察の"親切"だということは、ためらいもなく断言できる。血を流しながら、かれらは学んでいるのだ。
テキスト化青木禎子