『子ども族探検』(第三文明社 1973)

動物園飼育係N氏の場合

 日航機乗っ取り事件に関する報道をテレビで観ていたら、ある大学教授が「乗客たちはまるでオリにとじこめられた動物みたいなもので、非常にお気の毒・・・・」という発言をした。そのとたん、わたしはその大学のセンセイに質問をしたくなった。「それじゃセンセイ、動物園の動物たちはいつも気の毒なわけですね。それとも、そんなことは霊長目ヒト科ホモサピエンスにだけ与えられた特権なんでしょうか?」
 しかしテレビ画像とわたしたちのあいだに対話は成立しない。そこでわたしは上野動物園の飼育係N氏の顔をおもい浮かべたわけである。ここではあえてN氏としておくけれど、動物園のカバの飼育を担当していて、テレビにもよく顔をだしていた人だといえば、ああ、あの人かと思いつく人も多いはず。そう、あのカバの飼育係にピッタリな風貌の人で、カバゴンを自称する安部進以上にカバ的だ。
 さて、N氏はオリのなかの動物に関して、なんと答えるであろうか。この即答を求める必要はない。わたしたちは、N氏がなぜ、動物園の飼育係というような職業をえらんだのか、それを問いただせばそれでよいのだ。その答えのなかにこそ動物に対するそしてニンゲンと動物との関係にたいするN氏の考えかたがハッキリと含まれているにちがいないのだから。
 N氏のおとうさんは、キップ切りから出世してついに玉電渋谷駅の駅長にまでなった努力型の人だそうである。キップ切りとして玉電入りしたくらいだから高等小学校しか出ていない。その人が駅長になるというのは並たいていの努力ではなかっただろう。その父親からN氏は、男と仕事の結びつきの強さを教えられたという。「戦争中でしょう。空襲があるわけだ。するとオヤジはすぐに駅にすっとんで行く。家庭よりも職場を守ることが大切だというわけです。子どもゴコロに反発も覚えたけど、いまになってみると、男はあれでいいのだと思う。オヤジは電車を愛していたんです。」
 亭主が仕事に熱中しているくらいだから、子どもの教育は母親がやらなきゃならない。N氏のおかあさんは、どういうかたちの教育をしたか。
 亭主の仕事への熱中を許した母親は、子どもにも、好きなことへの熱中を許したのである。そんなことはあたりまえ、なんて気楽に考えてもらっちゃ困る。その子どもたるや、まことに気違いじみた動物好きなのだ。N氏自信は、「白痴的な動物好きだったね」というコトバでそれを表現しているけれど、とにかく、「動物ときたら、なんでもさわってみなきゃ気がすまないんだ。ネズミなんかでもにぎりしめて離さない」
 けれど、おかあさんは子どもを責めたりはしなかった。生まれつきからだが弱くて、育たないかもしれないと思われていたというやや特殊な事情があったにせよ、長男にN氏にやりたいことをやらせたおかあさんの理解というやつは大変なものだ。
 敗戦直後、十七歳で動物園入り。動物園には動物好きのニンゲンばかりがいると思いこんでいた単純な少年は、きびしい現実になんども叩きのめされそうになった。好きなことをやる自由を親から許されて育ったN氏の進むべき道は、かえって逆に狭くけわしいものだったのだ。けれど、動物園の飼育係になって、動物とつきあうことだけを目的として生きてきた少年は、ほかの生きかたなど思いつきようがないのだから、どんなにつらくても、その道を進んでいくよりしかたがない。
 もしも、それが親が強制した道=コースならば、やめてしかっても、本人はそれほど傷つくこともない。しかし自分で選んだ道だけは、進んで行くよりほかに方法がない。ズッコケて傷つくのも自分だし、恥をかくもの自分だけ。
 がんばり通してN氏も四十歳になった。同窓会に出席したら、みんな、部長、課長になっている。収入も多い。けれどその人たちの口からもれてくるのは仕事にたいするグチや、虚勢を張った自慢話などなど。そんなとき、N氏はつくづく、幼い日々の白痴的動物好きを許してくれた母親への感謝の念で胸のなかがいっぱいになるという。そしてさらにN氏は、カバの飼育人として世界一になるという目標を高くかかげ続けるのだ。
 いまさら確認するまでもなくニンゲンと動物のつきあいは人類の歴史そのものといえる。現在までに発見された"美術"のなかで最古のものは、洞穴の壁の動物の絵だ。たとえそれが狩猟であったとしても、つきあいにはちがいない。そのつきあいのなかにこそ、ニンゲンという存在に対するつきつめの萌芽があったはずなのだ。その根元にまでさかのぼって、さまざまなことを考えつづけているN氏は、すぐれた文明批評家だと思う。そのN氏を生みだした〈おかあさん〉に、わたしは激しい興味を覚える。母親の役割って、やはりすごいものだ。

午前六時半の自主トレ

 ある出版社の編集者と新しい企画について話しあった。その出版社では最近の「スポーツものブーム」に目をつけて、子ども向けのスポーツ文学全集を出版したいというのである。そしてわたしにも企画・執筆に参画しろというわけだが、この企画が成功するかどうかそれはわからない。けれどとにかく、子どもたちのあいだで、まんがにしろテレビにしろそして読物記事みたいなものにいたるまで、スポーツものがかなり人気になっていることは事実だ。一部のマスコミは「巨人の星」や「サインはV」のようなものにだけ人気が集中していると錯覚して、"根性"ものがブームなのだなどといっているが、それはいささか見当はずれだと思う。
 たとえば、男の子のあいだでじっくりと勢いを盛りかえしつつあるプロレスにしても、その遊びかたを見ていると、かなり分析的な研究をやっている。いろいろ名づけられた技についてはもちろんのこと、プロレスの歴史に関する研究も相当なもので「ジャイアント馬場に比べて力道山はどのようにすぐれていたと思うか」などという質問を子どもから受けることがある。
 野球にしても一部でいわれているほど人気が凋落しているとは考えられない。一連の黒い霧問題はかえって子どもたちを熱心に観客にひき戻しつつある。もしかすると、自分の目で八百長場面を観ることができるかもしれないという興味だ。つまり子どもたちは、プロ野球が絶対に八百長をすべきでないものとは考えていないのであって、むしろ逆に、どういうかたちで八百長をするのか、それを観たいと思っている。とはいっても、それをマネしたいとかいうのでもない。つい先日もつぎのような会話を耳にした。
「八百長っていうのさ、下手っそな選手じゃできないんだよな」
「あたりまえさ、勝つ実力があるやつが、わざと負けるから八百長なんだ」
「そんなら八百長って悪いことじゃないよな。その人は勝てるという実力を身につけたんだもん」
「ああ、悪くないさ。勝つことなんかぜんぜんできないくせにオリンピックに参加したりするやつよりぜんぜんいいさ。」
「勝てる見込みなんかないのに走ったりするやつのほうがずっと八百長だと思うな」
「プロなんだから、うまく負けることだってできなきゃ。」
 つまり子どもたちはプロスポーツのなかにアマチュア主義が奇妙なかたちでまぎれこんでいるのに反発しているわけだ。そして問題は子どもたち自身のスポーツへの参加に移る。
 その一例が佐野あゆみサンをキャプテンとするバレーボールチームであろう。子どもたちのあいだのバレーボール熱が「サインはV」や「アタック1」にどこかで結びついていることは確かだが、その自主トレの運営を見守っていると、プロ野球のシーズンオフの自主トレと呼ばれているものなどがいかにインチキかがよくわかる。あれは、"自主"とは名ばかりの、実質的には上から強要されての練習なのだ。強制しておきながらそれを自主的なのだとスリかえていく操作のなかに、アマチュア精神のシッポをひきずった日本のプロスポーツのインチキ性があきらかだ。だから、日本のスポーツ選手には、あらゆる意味で自主性のないチンピラ右翼が多いのである。
 ところが子どもたちのバレーボールチームはすごい。強くなるには練習あるのみというわけで、まず朝六時に集合を決めた。ところが三日目に脱落者が出た。「おかあさんに叱られた」というのが理由。その理由をさらに問いただした結果、その子の家の日常生活のスケジュールに狂いが生じることが判明、集合時間を三十分ずらして六時半とした。
「そのかわり、あんたはもうサボれなくなるわよね」とほかの連中が念をおした。
「三十分も練習時間がすくなくなるのは痛いけれどそのために部員がいなくなるよりはいい。第一親の文句を気にしてるようじゃ練習にも身がはいらない」とキャプテンはいう。それからさらに朝起きるときにも親の世話になるようじゃ自主的とはいえないという論理がひきだされ、目覚し時計の取扱いまで自分でやることが申しあわされたのだ。年下の部員のために目覚し時計の操作を教えるなんてこともやっている。
 とはいっても子どものことだから、三日坊主ならずとも十日ほどで自然消滅になるだろうと親たちは思っていた。口には出さねど腹の中では。ところが、二ヶ月すぎても自主トレはつづいている。そこで親たちの会話。
「やってますねえ。やめませんね」
「このごろはなんでも自分でやるようになりましたよ」
「朝ごはんもよく食べるようになって顔色もいいし・・・・・」
「ヤル気になるって、こわいもんですね。」
 けさも六時半から、ソーレ、ソーレの元気な声、そしてボールのはずむ音。


子どもを政治にまきこむ?

 またぞろ子どもと政治の関係について、なんだ・かんだと論議がまきおこっている。新国際空港の建設に反対する三里塚芝山地区の農民が子どもを反対闘争の戦列にくわえているのが問題だ、というわけである。
 新聞などを見ると、キリスト教の牧師で幼稚園長などという人が、さもさもわけ知りふうに、
「子どもを政治にまきこむのはよくない」などという談話をふりまいている。はたしてどこまでが本気か知るよしもないが、まったく解せぬはなしだ。
 いったい、この国のどこに、政治と関係なしに"存在"する子どもの領域があるのだろうか。あるなら、ぜひとも教えてもらいたいものだ。そういう真空地帯にはおおいに関心がある。
 自分の家や畑がある土地が強制収用される。その測量隊がくるというので学校を休む。それを政治にまきこまれた状態だという。それを非難する連中がいる。それでは、学校へかようということは政治とは無関係のことなのかね?この国に義務教育というものがあり、教育の機会均等などということが憲法でうたわれたりもしているわけだが、その教育の場たる学校は、政治に関係がないというのかい?
 まあ百歩ゆずって、学校へかようことが、子どもにとっての正常な日課だとしてそれを継続することが"子どもらしい"やりかただとしよう。となると、これを妨げるものこそが悪だといわなければならない。その悪はだれか。学校を休ませた親か。あるいは自発的に休んだ子どもたちか。ちがうような気がする。
 なぜなら、土地をとられてしまえば、子どもたちは、その学校へはかようことが不可能になってくるのだ。転校すればいいなどということを安易にいう人は、子どもの心情についてうんぬんする資格をもたない。それこそ転校を強要するなんてこと自体がはなはだ政治的ではないか。
 三里塚の子どもたちが少年行動隊の一員として直接、国家権力とむきあっている状態を"異常"だという人が多いけれども、その異常はあくまでも、あの子どもたちの生活の正常さを守るための、やむにやまれぬ行動なのだと、どうして考えることができないのか。
 あの子どもたちが生まれ、育ち、そしてこれからも生活していくはずであった土地をとりあげ、そこに国際空港をつくるのだという計画こそが政治ではないか。もしもいうなら、その段階ですでに子どもは政治にまきこまれてしまったのだ。
 子どもを政治にまきこむことは絶対によろしくないというのならば、そしてそうした考えかたに政府与党(野党もおなじことだろう)がくみするなら――いまのところ、だいたいくみしてるようだ――土地の強制収用なんでことは、子どものいない家庭の土地をえらんでやればよいのだ。そうすれば、ムリに論理を逆立ちさせたりする必要はない。
 いま、三里塚の子どもたちがやっていることは、政治の横暴なまきこみ作戦にたいするささやかな人間的抵抗というやつであり、それを非難する人たちこそが、おそろしく政治的で非人間的なのである。
 新聞(くわしくいえば日刊の商業新聞)をはじめとするマスコミほどてめえ勝手なものはない。政治と子どもの関係について、こんどの三里塚ぐらいやかましくいう潔ぺきさを持ちあわせているのなら、過日の選挙のときの公明党がくりだした少女宣伝隊について、なんらかの報道をすべきであったろう。あのバトンガールのような服装の少女たちの活躍もまた、いわゆる政治的行動であったはず。けれど、なぜか、マスコミはそれを問題にしなかった。ましてや非難したりしなかった。この偏向こそが、政治だとおもう。
 とはいっても、わたしは子どもと政治のむすびつきをとやかくいうつもりはない。子どもを政治のラチ外におけなどというのでは、まったく世間知らずの、また世間知らずのフリをした人びとの空論にしかすぎない。
 繰りかえしていうが、この国のどこにも、政治と無関係でいられる子どもの領域なんてものはありゃしないのだ。もしも、大真面目でそんなものがあるとおもっている人がいるとしたら、その人は一種の精神異常者といわなきゃならない。ところが、そういう状態にある人がさながら良識派の代表格みたいな 顔で、「子どもを政治にまきこむな」などともっともらしい口調でやっているのだから奇怪だ。ご自分は、政治にまきこまれていないつもりなのかね。それもご自身はおとなだから、おいおいに政治にまきこまれたいとおもっているのか。
 七十年代の子ども族は、すくなからず〈政治〉というやつと、むきあうことになるだろう。それを避けることさえ政治的だという情況になりつつあるのだから。
テキスト化上原真澄