『子どもにとって美は存在するか』(誠信書房 1965)

海の歌・科学的関心と美意識

野に咲く花
 姫女とよばれる野の花がある。これによく似たものにハルジョオンがあるが、ともに繁殖力の強い野の花だから都会の空地などにも咲き乱れている。
 おとなたちの眼からみれば、まことにありふれた薄ぎたない花でしかないのだが、四歳児のあゆみはこの姫女がひどく好きらしいのである。「そんな、何処にでもある花、どうして好きなのかしら」と母親が解せぬ顔つきをしたのに対し、あゆみはまず次のように答えた。「何処にでもあるから、あゆみちゃん、この花が好きなの」
 四歳という年齢の加減だろうか、このごろはかなり神経質な面も出てきたが、あゆみは大体において平凡な感覚の持主である。そのあゆみの答えとして、何処にでもあるから好きだというのは、それほど見当はずれのことではない。しかし、あゆみはそれにつけ加えて、「原っぱへ行ったら、ヒメジョオンがいっぱい咲いてたの。だからあたし、ヒメジョオン、ヒメジョオンていって、ぐるぐる走っちゃった」と話してくれた。
 父親は早速、百科事典をひいてみた。

 〔姫女苑〕各地に野生状態になっているが、明治の初めに北米から帰化したキク科の越年生雑草。高さ50〜70cm、葉は長だ円形で互生し、頭状花は小形で、舌状花は細長く白色で、淡紅色のものもある。

 単調な事典の記述をこれ以上引用しても味気ないのでやめにするが、ようするに姫女が群生している原に立った背丈一メートルそこそこのあゆみは、肩から上あたりが見えるだけで、あとはすっぽりと花のなかに埋まってしまったかにおもえる。そこであゆみは両腕を大きく拡げて、ヒメジョオン、ヒメジョオンとつぶやきながら走りまわるというのである。
 父親の好みもあって、あゆみは理髪店に行って髪の毛を切ったということがない。その長い頭髪を三つ編みにした幼女が、白い花の乱れ咲く原っぱを走りまわってたわむれるさまは、それほど悪い感じのものではないといえるだろう。もしも極端ないいかたが許されるならば、ここには花と人間とのかかわりあいの原型の如きものが存在するのではないかとさえ考えるのだ。
 生活に慣れたおとなたちからは、もはやかえりみられることもない野の花も、子どもにとってはこの上もなく美しいものとなる。それはなぜだろうかと考えたとき、ぼくがにわかに想起したのは、江戸川乱歩の代表作のひとつであるところの「心理試験」であった。「心理試験」では、ひとつひとつの言葉に対する連鎖反応をめぐって犯人と探偵とのあいだに激しい心理作戦が展開されるわけだが、あれと同じような連鎖反応テストを子どもたちに試みるのは興味深いことであって、たとえば「花」という言葉を提示して子どもたちの連鎖反応を調べると、都会地では、ほとんどの子どもが「とると叱られる」と答える。
 昔のことわざには、花盗人は泥棒に非ずとかいうのがあるが、今日の子どもたちにとって、花とはすなわち手にとって触れてはならないものという規定さえできあがっているのだ。そこでそうした現況を背景にしていま一度、あゆみと姫女のかかわりを凝視してみると、たとえ極端にはきこえようとも、そこには花と人間とのかかわりの原型があるといういいかたが成立する可能性があるとおもう。
 たった一本の切り花に美を感知するほど、子どもは意識的あるいは深刻な美の感受者ではない。たとえ名もない野の花であっても、それに同化し得るような状況にめぐりあったときこそが、子どもにとっては美であり、喜びであるのだ。
 あゆみの兄、五歳児の斗美においても、花にまつわる挿話はあるのだが、このほうはあゆみの場合ほど明るく楽しい話ではない。
 初夏のある日、母親が小さな庭の片隅に花を咲かせようとしきりにシャベルを使っていたところへ、斗美が幼稚園から帰ってきた。そして、斗美はいろいろ話しかけるのだが、母親は花つくりに夢中である。そのうち斗美がちょっとシャベルに手を出したところ、母親が素早くその手を叩いた。すると斗美は母親にむかってつぶやくようにいったそうである。「おかあさんは、ぼくたちより、花のほうが可愛いいんだね」
 母親は驚いてわが子の顔をみつめてしまったわけだが、ここでは明らかに、花をめぐる美意識の、子どもとおとなの落差が露呈されてきているといえるだろう。
 都会地の住宅の小さな庭の片隅に花を咲かせるためには、まず子どもたちに向かって、花といえば直ちに、とれば叱られると答えるほどのしつけをしておかなければならない。しかしそれでは、花をめぐってのびのびとした美意識が育つはずがないこともまた明白である。


日本の百年
 だが母親をはじめおとなたちは涙ぐましいまでの努力を傾けているのだ。たとえ子どもを押えつけても花を守るということ、これはすなわち自からの美意識を守ることである。しかしそこではすでに、そのほとんどのひとびとが、子どもの日に体験したはずの花とのかかわりを忘れている。それでいながら、花は美しいもの、花は美しいと感じるべきものだという観念だけを持ち続けているのではなかろうか。
 花に対する枯渇した観念を最も明らかに露呈しているのは、学校の理科教育であるだろう。ここでは庭先きの花つくり的美意識さえその影をひそめて、もはや花は一個の植物でしかない。もちろん花を植物として扱い、その生育の過程や分類を知ることは、教育としては充分に価値あることに違いないが、それだけではやはり教育的には欠ける点があるのではないか。
 ぼく自身は科学というものに対して全く無知であるから専門的なことはいえないのだが、もしもひとりの人間が、科学者になろうと決意するような場合のことを考えると、そこには単なる科学的興味や関心ではなしに、ぼくが繰返し書いてきた美意識の果たす役割があるようにおもえてならない。
 たとえばぼくが最も関心を持つ植物は、これもまた雑草のヒメムカシヨモギであるが、この雑草に寄せるぼくの関心は、とりもなおさず焼跡への関心にほかならず、それは戦争戦後体験の主要な部分を構成するものなのである。
 植物図鑑のようなものによって、ヒメムカシヨモギが姫女と同じく北米から帰化したキク科の越年生雑草だということを知り、明治の初めに帰化したところから、またの名をメイジソウともいい、鉄道に沿ってひろがったのでテツドウグサともいうと知り得たのはごく最近だが、ぼくとしては、この雑草が一九四五年八月十五日を境にした戦中戦後を体験しているだけではなく、近代化の名でよばれる日本の百年をも体験して、いまもなお、都会の片隅に生き続けていることに、ある種の感動を覚えないわけにはいかないのだ。
 この草は日本の近代化とともにあった。この草は、日本の百年を知っている。この草はおれの少年時代とともにあったというような関心の持ちかたは、科学者が科学者たらんとするときの決意とは何のかかわりもないものであろうか。
 もっとも一般的な科学者として、「昆虫記」の著者ファーブルを考えてもよい。ファーブルがスカラベ・サクレをあれほど綿密に観察し記録したのは、ただ単に昆虫が好きだからというような生物学的興味だけではあるまいという気がしてならない。「動物記」のシートンになるとあまりに人間臭いために、かえって科学的な無味乾燥さを感じてしまうほどだが、「昆虫記」には詩がありドラマがあるといういいかたができるだろう。ところでそうしたファーブルの科学的関心と美意識は何の関係もないものであろうか。
 もう七年以上も前のことになるが、ぼくは子ども向けの読物を書くために海洋学者の宇田道隆さんに会い、なぜ、海洋学者たらんとしたのか、その動機についてインタビューしたことがある。そのときぼくは次のような話をきいた。

 海のことを、お話したいと思います。
 わたしがはじめて海を見たのは、小学校一年生のときでした。
 それまでのわたしは、生まれたところの、四国の高知県高知市の町はずれに住んでいて海を見たことがありませんでした。
 ところが七歳のとき、父の仕事のつごうで家族みんなが、新潟へひっこすことになったのです。そこで、わたしは生まれてはじめて船にのり、海を見ることになりました。(実業の日本社刊「ここに光を 四年生」所収)
 
 ところが宇田道隆さんはこのときの海の情景を憶えていない。憶えているのは、友だちと別れてきた道ばたの柿の木に真っ赤な実が残っていたことや、それを振り返ってみたときの悲しさなどであるという。しかし、新潟へ引越してからの宇田道隆少年にとって、海は身近かなものとなった。

 わたしは日本海で、水泳をおぼえただけではありません。わたしは、海の明るさ、暗さを知りました。
 冬の海は暗くしおなりがものすごく、こわいなあというかんじです。
 夏の海は、明るさにあふれています。子どもたちは、みんな、夏の海がすきでした。

 そして高校生のころには、「太平洋の黒潮の美しさをはっきりと見」それが「ききょうの花」の色をしていたことを記憶する。そしてさらに海の研究者として多くの海をみたわけだが、それは海洋学者宇田道隆としての専門であるところの潮目の研究のためだけであったのだろうか。


海の研究者
 海洋学者宇田道隆における海への関心を考える場合、あの七歳のとき、当然、みていたはずの海の情景をなんとかして想起したいという心の奥底の願望などというものは、いささかも介在する余地はないのだろうか。
 お茶の水駅近くの喫茶店の片隅で、老いたる海洋学者が少年の日にみたはずの海について語るのを耳にしたとき、ぼくはとっさに、このひとは詩人なのだと感じたのであったが、それを現在のぼくの考えかたに横すべりさせれば、ここにもまた、科学的関心と美意識のわかちがたいかかわりが存在するといえるのである。
 もしかしたら、全くもしかしたらであるが、ぼくもまたヒメムカシヨモギを媒体として植物学者になり得ることができたかも知れない。そして宇田道隆が海について語るようにぼくは植物について語ることも可能だったのだ。・・・・・・というふうに考えると、いままで縁遠いものとおもわれていた自然や科学が、にわかに身近かなもののようにさえ感じられてくる。海の青さに感動したものは、海について科学する資格を有する。花を美しいと感じたものは、花を科学する権利を持つ。
 海洋学者宇田道隆の一般的な著作は岩波新書の一冊「海」として、いまでもぼくの前にある。

 海とは如何なるものであるか。天地の間に渺々と拡がる青い海、千重百重波の立ち騒ぐ海、無限の生命と活力に充ち満ちた海。斯くの如き海の定義ともなるべき特徴は何であらうか。海は地球上の表面積の凡そ三分の二余り(陸地の二・四倍即ち凡そ二倍半)を蔽って陸地の外に湛へられた巨大な水の集りであって、普通の沼や湖水とは其の水が潮水であると云う点で区別される。

 海への限りない愛着を感じさせるこの書き出しはすぐれたものだ。「海とは如何なるものであるか」と書いたとき、著者の脳裡には、あの少年の日に記憶されるはずだった海の情景が、それこそ渺々とのび拡ってきたのではなかろうか。
 半月ほど前のある日、父親は東海汽船所属のあじさい丸に乗り、十三時間にわたって海上にいた。ある時計会社が宣伝のために自社製の防水時計を海中に漂流させるという催しをやり、父親は友人とともに招待されたという次第である。朝、八時三十分に竹芝桟橋を出航した船は、五時間ほどのちには、太平洋の黒潮の流れの上にいた。
 眼下には、桔梗の花の色をした海がある。

 海の色は青いといふのが一般の通念である。海水に何も雑り物のない時でも、混合して白色の太陽光線を形造る七色の光線のうち青い光を海水は一番深く透入せしめ、且散乱さすから、水上にゐる我々に其の散乱光が映る以上どうしても海が青く見えるわけである。

 海洋学者が記述するような具合には、ぼくらは海の青さをひとびとに語り伝えることは不可能である。しかし海の青さや空の青さを美しいものとして認識することが可能な下地をわれわれは持っている。それは幼い日々のなかで、いつしか振り仰いだ青空になぜか感動した体験だといってもよい。だが、ひとびとが野に咲く花とのかかわりを忘れ去ることがあるように、青空への感動を、その感動の下地であるところのあの無意識の体験を、ひとびとは忘却することがある。そうなったとき、ひとびとは、学校の理科教育に対して覚えたと同じ無味乾燥さを科学の全体に対して感じてしまう。
 科学教育の振興が呼ばれてすでに久しいが、その多くは技術偏重の科学教育であって、それは無感動の教育だといい切っても過言ではない。もちろんそこからは未知への憧憬、すなわち想像力のはたらきは生まれない。しかし社会主義思想においてもそれが科学的であるためにはまず空想的である必要があったのだ。これは何もエンゲルスの「空想より科学へ」を持ち出すまでもなく自明のことであるべきだ。もしもここで「空想より科学へ」のなかから何らかを引用するならば、科学と産業が結びついたとき、それが指導力=政治になると看破したサン・シモンについて語っているくだりではなかろうか。科学と産業との結びつき、それは現今の記述偏重の科学教育にほかならないからである。


青い象
 空想つまり想像力のはたらきを重要視しないところに科学の発展はあり得ない。海はなぜ青いのかという探究心が生まれてくるのは、その海の青さに感動するということが前提になっているはずだし、花はなぜ咲くのかという問いかけの前提はあくまでも、その花を美しいとおもう感動でなければならない。
 父親は黒潮を凝視しながら考えていた。この海の青さの美しさを子どもたちに伝えるためには、子どもたちに感動することの重要さをまず教えなければならないだろう。たとえば野に咲く花でもいい。その花の美しさに感動するような状況を自からが創造していくことが必要なのだ。その意味で、あゆみが姫女の咲き乱れる原を、楽しく走りまわったことは、ほんとうによかった。斗美が母親の花つくりに難くせをつけ、花と人間とのかかわりについて、母親に考えなおさせる契機を与えたことも、また悪いことではなかった。そうした体験をつみ重ね、記憶して行くことによって、自然への科学的関心もまたより深いものになる可能性があるのではなかろうか。
 科学に弱い父親が、文学書に対する以上の感動を覚えながら読んだ本が、宇田道隆著「海」だったということは、美的体験と科学的関心のわかちがたい関係をものがたるひとつの証明ぐらいにはなるだろう。
 いうまでなく、科学と産業が密接に結びついた現状のなかでは、美的体験と科学的関心とを重複させるような思考は一般的には通用しそうもない。もしも母親たちの多くと語りあう機会があったら、子どもを教育するに当たっての問題は何かと問いかけてみると、そうしたことが実に判然とする。
 母親たちが子どもの教育に際して当面している問題のなかのベスト・スリーは次のような順序でほぼ一定している。
 1 内気な子供をどうするか
 2 いうことをきかない子供をどうするか
 3 音楽教育は子供を賢くするか
 ここでは幼児教育のカウンセリングをおこなう必然はないのだから、問題の3についてのみを考えてみることにしよう。ある母親は、次のようにいう。「音楽教育、とくにリズム教育は、子どもの知能をよくするといいますが、ほんとうでしょうか。もしほんとうならば、何歳ぐらいから教育を受けさせたらよいのか、それを教えてください」
 この母親は無知なのではない。あまりにも子どもを賢く育てることにのみ心を配りすぎるのだ。音楽教育は本来的には情操を豊かにするための教育であったのだが、楽器産業と教育行政との密接な関係によって、知識偏重の学校教育に従属させられてしまった。かくて音楽教室の担当者は幼児のいる家庭をまわって「オルガンも学校の正科になりましたから、ぜひ習いにおいでください」と繰返すセールスマンになりさがっている。
 ところが母親たちは、音楽教育が学校教育の予習復習であることには満足しない。そこで音楽教育は子どもの頭をよくするかという如き効用性を考え出してしまうのである。どうして音楽教育が、音楽をよりよく鑑賞するための、その心をはぐくみ育てるための教育であってはいけないのだろうか。
 学校における理科教育が、海の青さに感動するための教育であり、花の美しさをより強く感受するための教育であったならば、科学は産業と結びつくよりさきに、人間と結びつくことだろう。だが現状は立場を全く逆にしており、音楽教育にもまた共通の歪みがみられる。もちろんそのほかの教育についても同じことがいえるわけである。全て導入としての感動が欠落している。
 父親は海の青さ美しさを子どもたちに伝えるために、ひとつの詩を書いてみた。

 晴れた水平線をながめていたら
 ゆっくり象がやってきた
 まるで青い やつなんだ
 そこでぼくはきいてみた

  海からきたんかい
  空からきたんかい

 そいつは ぼくの目のまえで 
 青くたちはだかって でかいんだ
 だからぼくの目は
 海と空とがいっしょになった

  その大きな耳は
  泳ぐためかい
  とぶためかい

 とたんに象は
 くるりと尻をむけてきた
 失礼なやつだ
 ぼくはどなってやった

  おい
  尾っぽをタクトみたいにふってみろ
  きっと水平線のあたりから
  素晴らしい交響曲がきこえてくるぞ!


海の歌
 四歳と五歳の子どもにとって、詩はいささか難解だったかも知れない。しかし水平線については、昨年の夏、三浦半島の海へ行ったときの記憶を語りあうことによって理解がいったし、タクトや交響曲についてはテレビを見せて説明した。父親としては海の青さへの感動さえ子どもたちが感じとってくれれば、それで充分に満足なのだ。海についての興味を持続することによって、やがては「病みて帰るさの旅の津軽海峡」にはじまる吉田一穂の名詩篇「海郷」のようなものにまで感動するようになれば、親としてもう何もいうことはない。それから先は独自に美を発見して行くべきである。美意識についても、子どもの自立をうながすこと、これが教育というものだろう。にもかかわらず、家庭と並んで幼児教育の重要な場であるはずの幼稚園教育は、学校教育に従属して、知的側面の教育にのみ力を傾ける。
 斗美が幼稚園から持ち帰ってきたテキストをみると、先月は船をテーマにした勉強をしたらしい。まずページをひらくと「みなと」である。そして、「ふねのな」「かつおをつるふね」「ふねをうかべて」「ヨットくん」「ふねのつなひき」「ゆめのふね」という具合に盛沢山ではあるのだが、船と海とのかかわりはいささかも明らかではない。たしかに子どもは、このテキストによって、船の種類の幾つかを知ることは可能だ。しかし船の働きを、つまり海とのかかわりを知ることはまず不可能だといわなければならない。「かつおをつるふね」という見開きのページでは二隻のカツオ漁船が描いてあり、漁船がカツオを釣ってはいるのだが、その迫力のなさには呆れ果てるばかりである。これに対して、海洋学者宇田道隆は海とのかかわりを中心にして次の如きダイナミックな描写を展開した。

 魚を見張る人々が目を皿のやうにしてマストから、船橋から、又船尾から、海面を探し求めてゐる。やがて暖かい黒潮系統の水の中に、素人には一寸分らないやうな海面の変化を見つけ出す。水持ちがして居る(濃密な大魚群のために水面が持ち上ったやうに高く見える事)魚群のために水面の光りが変って居る。カツオドリが魚群について舞い廻って居る。曳縄にカツオがかかったなどの事があると「それっ」と一同競い立ち釣竿を取り出して舷に林立して身構へる。やがて魚群の中へ、其の移動する先端に向けて船を乗り入れて、キラキラと銀色に閃めくエサイワシを撒いてやる。パクッと鰹が喰ひつけばしめたもの、「それ参ったぞ」と喜んで忽ち腕達者なものが活餌で釣り上げる。続いて林のやうな竿が一斉に動いて釣り始める。船に舞ひ込むカツオたちは甲板を叩いてあばれ、まるで急霰のやうな音を立てる。餌を運ぶ少年が向ふ鉢巻も凛々しくカツオの鮮血で滑るデッキを跣足で踏みしめながら雨のやうに降って来るカツオの弾丸を潜って走る。

 このほかにも海流について述べた部分などにもすぐれた描写があるのだが、ぼくがそれらを読んで感動を覚えるのは、やはりそこに臨場感とでもいうべき感情が成立するからだとおもう。幼稚園のテキストでは、なるほどカツオというのはこうして釣るのかというところまでは理解できるのだが、それ以上の感動、たとえばそれをやってみたいという感じを起させるということがない。静かだ。これはまるで、量とは何の関係もなしに数字だけを覚えさせられているような知的側面の教育と同じようなものである。言葉とは無関係に文学を覚えさせられている教育と同じようなものである。花が一個の植物でしかない理科教育と同じようなものである。これらの静的な教育にとって変って、動的な教育、感動から入る教育がおこなわれたときこそ、子どもたちにとって、自然はすこぶる身近かなものとなり、その科学的関心は豊かに高まるはずである。
 今年の夏も海へ行き、子どもたちとともに海の歌をうたおうと父親は考える。海へ行けば頭がよくなるなどということはないけれど、そこには感動があるはずだ。
 波のまにまにめくるめく、海の青さをみつめることは、遠くはるかな日々のなかの、われわれの原初の姿をみつめることに通じているのだということを、子どもたちに体で感じさせること、心で受けとめさせること、それこそが真に科学的な教育なのだと考えた。
テキストファイル化茂原真理子