『子どもにとって美は存在するか』(誠信書房 1965)

 玩具と遊び・人間の関係

   ある冬の日

  子どもは、みずからやってみることによって学ぶ。抽象的・一般的思考能力の不十分な幼児では、いっそうこの傾向はいちじるしい。自分の周囲にあるものは手あたりしだい、いじり、ぶっつけ、体あたりで材料経験をしていく。非常に積極的なこうした行動を通じて、自分をとりまく事物や環境についての知識を得、さらにそれらと自分との関係を少しずつ理解していく。子どもたちのエネルギッシュな活動を、一般にあそびであるといっているが、あそびを誘発する媒介物−−おもちゃ・遊具がなければ、意欲的なあそびはおこりえない。おもちゃのない遊びを観察していると、無気力な、無意味なブラブラ歩きがめだち、けんかがふえていく。もちろん、周囲の自然物・実物をあたえることで、自然なあそびをさそい出させることもあるが、そこには危険性もあり、無計画なあたえ方ではむだも多く、経験に限界やかたよりの生ずることは当然であろう。ここに、発達に即した十分なおもちゃを、そのおもちゃのもつ価値を考えた上で、計画的にあたえる必要性がおこってくる。(松田道夫編「新しい保育百貨」)
  
 おもちゃというものに対するごく一般的な考えかたを表現したものとして右の文章を引用してみた。ぼくとしては同意見の個所もあり、また肯定しかねる個所もある。たとえば「あそびを誘発する媒介物」として、おもちゃを考えることは何ら異議のないところだが、それがなければ、「意欲的なあそびはおこりえない」といい切れるものかどうか、そこに疑問がある。体験的にいっても、そこにおもちゃのないあそびは数多い。それに続いて「無意味なブラブラ歩き」という言葉があり、それと「けんかがふえていく」ということになると、とうてい賛意を表するわけにはいかない。子どもにとっては、けんかもまたあそびに違いないし、それは方法次第ではもっともダイナミックな、それこそ「意欲的なあそび」である。また「無意味なブラブラ歩き」もけっして意味のないことではないと思う。何もそれを散策だなどと名付けたくはないが、子どもにとって、そうした一瞬があることは意味のあることだし、またそうした一瞬に意味を見出せないような人間形成は、それこそ無意味なのではないか。
 木枯らしの吹く冬の日、だれも外に出てあそんではいなかった。しかしぼくは外に出て、風に向かって歩いていったのだ。ズボンのうしろポケットに掌をさしいれ、ゆっくり歩いて行くぼくの足に何枚もの枯葉がからまり、そしてまた飛んで行った。そこは東京の、家並みのぎっしりとつまった下町の路上なのに、ぼくのほかにはだれも子どもはいなかった。ぼくは風に向かって口笛を吹いた。
 ささやかな思いでであるが、これもおとなの目からみれば、無意味なブラブラ歩きにみえることだろう。しかし現在のぼくにとって、あの冬の日の一瞬は無意味どころか、実は貴重な体験として蓄えられている。おそらくぼくの生涯を通じて、あれほどすばらしいポーズで道を歩けることは絶無だろうという美意識の問題がまず第一にある。
 ある日ぼくは池袋の映画館で「キューポラのある街」という映画をみていた。すると、朝の街を若い労働者に扮した浜田光夫が、弁当箱をさげて歩いて行くというショットに出合った。その後姿が実に美しいのである。もちろんぼくは、あの冬の日の一瞬を連想していたわけである。
 子どものあそびにおける意味とはいったい何なのか。これは容易な問題ではないが、「新しい保育百科」の編者たちにしても、そこに体験知といったものを考え、重要視していたことは疑いの余地のないところだろう。だがその体験知が単に「知識」という表現に集約されるものであったり、また社会性というような言葉でいいあらわせるようなことだけであっては、あまりにも教育的配慮にみちみちてしまって、かえって子どもを畏縮させてしまうのではないか。たとえばそれを、イメージとして再生可能な体験ということにして、そこに意味を見出すというようなことはできないだろうか。ぼくはこれを、人生のビデオ取りというような言葉で呼びたいような気さえするのだが、いまは混乱を避けるために、再生可能なイメージとして蓄積され得ないようなあそびこそが無意味なのだということにとどめておこう。とすれば、それらのあそびのあいだに存在するおもちゃの役割も自ずから明らかとなるはずであって、それは何も自然の模倣物でなくてもいいし、ある場合には何ら自然とは関係のない非具象的なおもちゃが、かえってイメージの構築に役立ったりもするわけである。ところが現状をみると、そこには自然のミニチュアが教育的な配慮をほどこされて提出されているだけであって、四歳児は四歳児らしいあそびにのみ終始するように仕向けられている。

   おもちゃの役割

 斗美とあゆみにイトコがいて、その名を淳一という。一歳半になろうとするところである。淳一の父母はかなり豊富におもちゃ類を買い与えるほうだが、淳一のあそびをみていると、ほとんどおもちゃを活用するということがない。淳一にとって一番楽しそうなあそびはできるだけ早く歩くことである。とっとと歩いて、すてんと転ぶ。だがまたすぐに立ちあがり、どんどん歩く。実にダイナミックな動きである。淳一の母親は、歩きまわる淳一におもちゃを与えて、その動きを停止させようとする。ここでおもちゃの果たす役割は、活動を促進させることではなく、逆に停止させることでしかない。こうした事柄は、淳一という一歳半の子どもにかぎったことだろうか。
 もちろんおもちゃ業者や、業者と結託した心理学者・教育学者は、停止とはいわずに集中というような表現を使って、子どもをその場にしばりつけておけるようなおもちゃこそが、よいおもちゃなのだと定義することだろう。そうしたおもちゃの役割を全面的に否定する必要はないが、それこそがよいおもちゃだという定義には反対しなければならない。
 イメージとは行動である。対立のないところに行動が成立しないと同じ意味で、停止の状況はイメージにはなり得ない。すくなくとも、再生可能のイメージにはなり得ない。いつのころから、おもちゃとイメージが無関係になってしまったのか、それを考えてみる必要がありそうだ。
 おもちゃの祖先は人形であるという説が有力であるから、ぼくもこれに従うことにする。しかし人形は子どものためにつくりだされたものではなかった。古代人の信仰から生まれたのであり、その背後に人柱あるいはいけにえという考えかたがあったことは確かである。そして人形は祭礼と結びついて継承された。祭礼のにぎわいが去ったあとにも人形はのこった。それを子どもたちが持ちだしたとき、おとなたちは信仰を優先させて叱りつけたことがいくたびか。
 おもちゃの背景には高度の民族文化があるという前提あるいはテーゼがあり、その証左としてアイヌ民族はついに人形=ニポポを子どものものになし得なかったということが伝えられている。そのニポポを原形として子どものためにつくりだされたのが、こけしだという。ここで子どもとおとなの関係が問題になるわけだが、既にここでおとなのイメージ無視がはじまっていたと考えることは間違いだろうか。
 子どもたちが人形を持ちだしたとき、おとなたちは人形そのものを子どもたちが欲しがっているのだと思いこんだ。あるいはまた、その原形であるところの人間を欲しているのだと考えた。しかし子どもたちは、その人形によって祭礼のイメージを再生させたかったのではあるまいか。祭礼のイメージは日常生活から断絶したところで成立する。そのイメージを再生しようとしたとき、子どもはあそびを非日常的なものとして享受しようとしたのである。それに対しておとなたちは、人間のミニチュアを与えることによって、子どものあそびを日常生活の範疇におこうと考えた。あそびはこのときから、日常生活の訓練でしかなくなってしまった。子どものためにという言葉を使うことにためらいを覚えるおとなは、それが結局は、おとなのためであることを自覚しているからである。
 子どものためにという言葉を何のためらいもなく使いこなせるためにも、おもちゃを、そしてあそびを、イメージとして定着させ得るように考え直す必要がありそうだ。「芸術による教育」の著者ハーバート・リードはさすがにうまいことをいう。ぼくのように、イメージを反社会的なもののように定義したりはしない。あらゆる教育の基本は審美教育だといいながらも、「教育の一般的目的は、要するに、人間の個性の発達を助長するとともに、こうして教育された個性をその個人の所属する社会集団の有機的統一と調和させるにある、と断定できる」などどいういいかたをとっている。しかしリード自身「社会集団の有機的統一」などというものが現存するものとは信じていないのである。それと同じくリードは審美という言葉を静的なものとは考えていない。もっともダイナミックな瞬間にこそフォームが生まれるという論理で従前の審美主義を排除する。
 子どもとおもちゃの関係を考える上でも、リードの「フォーム」の論理は参考になる。子どもが人形を求めたとき、そこには躍動するイメージへの志向があった。これに対しておとなたちは、静止する状況、すなわち親と子の円満な交流を思念した。それはイメージではなく観念でしかなかった。

   巨大な熊

 まぎれもない事実として、最近の子どもたちがあそびを喪失しているということがある。これについては多くの教師が報告してもいるし、ぼく自身も目撃していることだから、いまさらそれらの事実をことこまかに記述する必要はないだろう。むしろ問題なのは、その事実のことごとくにおもちゃを関連させて、子どもたちがあそびを喪失しているのは、おもちゃが不足しているからであるとか、その質が思わしくないからであるという指摘がなされることだろう。そしてそのおもわせぶりな指摘のために、かえって事実の本質が見誤られているといったことが多いのだ。
 おもちゃは子どもの従属物であって、子どもはおもちゃの従属物ではあり得ない。そこにおもちゃがないからあそばないというのでは、子どもの主体はないも同然ではないか。子どもがあそびを喪失しているという事実は、あくまでも子どもがそれを欲していないという内的な事実に支えられることによって成立しているのである。その内的な事実を解明するとなると、現今の教育行政そのものについても言及しなければならないだろうし、母親たちのあいだに蔓延している教育意識過多症についてもうんぬんしなければならなくなるわけだが、ここでは問題をおもちゃとあそびとの関連性の範囲内で考えることにしたい。
 子どもたちに親が買い与えたおもちゃを、その高価なわりには喜ばず、かえって棒切れやがらくたで楽しげにあそぶといった現象は、だれもが目撃し、また経験したことに違いない。斗美とあゆみのイトコである淳一にとっても、現在もっとも魅力のあるおもちゃは木製の洗濯ばさみであるという。とはいえ、こうした事実を盾にとって、おもちゃの現状を攻撃するのははたして妥当だろうかという疑問を捨て去ることはできないのである。
 ネジをまわすとはねまわる小犬のおもちゃよりも、壁につき当るとはねかえって走りまわるロケット型自動車おもちゃよりも、子どもが木製の洗濯ばさみを喜ぶからといわれても、おもちゃ屋はいまさら洗濯ばさみ同様のおもちゃを売出すことは不可能である。半完成品の典型のように思われているプラモデルでさえ、おもちゃとしては完成品なのだ。プラモデルには創造の予知が残されているなどというのはあくまでも錯覚でしかない。創造という作業には不可避的に解体あるいは分解という作業がつきまとう。しかしプラモデルが解体を許容することはないのである。プラモデルの解体は消滅と同じことでしかない。
 おもちゃが商品としての市場性を獲得したとき、それは文献によると江戸時代以後のことだというが、そこではすでに完成品としてのみ存在理由があった。そしてそれらのおもちゃのなかには、からくりの名でよばれる動力おもちゃが既に散見できるわけだが、それらは完成品であることの必然から、その原形を日常生活用具類にもとめる必要があったのである。人形においてイメージを喪失したおとなのおもちゃ観と商業主義とはここにおいて完全に一致したのだ。あとに残された子どもの自由は、せいぜいのところそのおもちゃの持つ目的性を故意にねじまげるか、おとなたちがおもちゃでないというものを、おもちゃにしてしまうか程度のことだったろう。しかしそうしたささやかな自由さえも、おとなは放置しておこうとはしないで、その責任をおもちゃにおしつけようとした。やむなく一計を案じて、おもちゃ業者は、工作玩具の名でよばれるような半完成品的完成品を売出すことによって、その責任をすりかえたのである。そしてそれは現在のプラモデルにまでいたっている。
 おもちゃによって制約される子どもの自由を全的に開放するためには、なによりもまずおもちゃと子どもとの従属関係を断ち切らなければならない。子どもたちはおもちゃから絶縁したところで、あそびを復活させなければならないのである。おもちゃがその完成品的制約をうけて日常生活用具のミニチュアであることは否定できない事実なのだから、子どもたちがおもちゃとの絶縁を計ることは、すなわち日常生活との絶縁を意味する。もちろんぼくのいう日常生活用具とは単に台所用品や家具、衣料品などを指しているのではなく、もっと広義に、たとえば動植物類や武器などについてまで考えをおよばせているわけである。
 親としての心情にたちかえったとき、ぼくはひとりの娘に三万二千円の巨大なぬいぐるみの熊を買ってやりたくて仕方がない。三万二千円のぬいぐるみの熊はデパートの玩具売場で断然他を圧して立派なのである。もちろん価格としても立派だから、おそらくぼくはよほどの豊饒に恵まれないかぎりその熊を娘に買い与えることは不可能だろう。入手不可能な熊と思いこんだとき、ぼくにとって、それはもはやぬいぐるみの熊ではなく、野生の熊と同様の存在となる。それを入手でき得ないことにおいて、くまはぼくの創造世界をかけめぐる自由を持つ。これと同じような事柄は子どもの場合にもあり得るだろうし、またあり得てこそ子ど
もとおもちゃとの絶縁が可能になるのだといえるだろう。

   ギロチンの模型

 子どもとおもちゃとの絶縁は、あそびの可能性を拡大するだけではなく、子どもとおもちゃとの本来的な復活を可能にする。子どもたちはあそびの可能性をさらに拡大するために、自分たちの創意工夫によるところのおもちゃをつくりだす必要に迫られるのである。
 京浜工業地帯の一隅に住む子どもたちのおもちゃを見せられたことがある。そのことごとくは武器であった。しかしそれらの武器類はぽくがいかに拡大解釈しようとしても日常生活用具とはよび得ないものであった。
 一メートルほどのプリキの雨樋と破れ日傘との組合わせに、正体不明の金属が配されたものは、子どもの説明によるとバズーカ砲なのである。長方形の板切れに空罐が打ちつけられている。T字型定規のような木切れの先端には筒型にまるめられた金網がしばりつけてある。その両者を長い紐で結びつけると、それは地雷探知機となるのだ。いわれてみればなるほどと思わないでもないのだが、そこには絶対に想像力のはたらきが必要となる。ギャラントメンごっこ、あるいはコンバットごっこといわれるあそびのためにつくりだされたおもちゃではあるが、それはテレビ映像からの単なるひき写しではない。素材と能力の制約に想像
方をプラスすることによって成立したおもちゃであり、おもちゃ以外の効用、たとえば置き物という名の装飾品になることを一切拒否する完全なおもちゃなのだ。そのバズーカ砲は、日常性を撃ち、地雷探知機はさらに新たなる可能性を発見することだろう。
 しかし、おとなたちがもしも子どもたちの創意工夫を、たくみな現実の模倣としてしか見ないとしたら、子どもたちもまたそれに便乗して日常住への回帰を計ってしまうに違いない。すなわち、おとなもそれと認めるような完成品おもちゃへと接近するための工夫をはじめてしまうのである。子どもたちがおもちゃをつくりだすことの価値は現実との接点にあるのではなく、現実との断絶にあるのだということをおとなは充分に承知すべきなのだが、おとなたちのほとんどは、それを知ろうとはしていない。
 一九三〇年五月発行の「新しき玩具の構成」(西川友武著)の巻頭には内外のおもちゃの写真または模写が掲載されているのだが、そのなかでひときわ異彩を放つのは「フランス革命当時の玩具」という注釈を附されたギロチンの模型である。それは木製枠組で、本来なら人間がのせられる台上に、茄子がのせられているように見うけられる。刃はおそらく金属であって、その刃が落ちると、茄子はその頭を切り落される仕組みなのだろう。このギロチンのおもちゃもまた現実の模倣には違いなかった。しかしその現実はあくまでも革命という非日常的な現実だったということを考慮に入れる必要がある。見た目の仕上り具合からいって
も、このギロチンおもちゃはおとなの作品だといわなければならず、またそれでこそおもちゃとしての価値を持つといえるだろう。もちろんわれわれは、このギロチンおもちゃをつくりだしたのが、はたして革命の側に立つ民衆だったのか、それとも、革命に反対する権力の手先きとしての御用職人だったのかを知る必要があるわけだが、そのどちらにしても、これが非日常的なおもちゃであることに変わりはない。ぼくは何もこのギロチンの模型がおもちゃとしてのすぐれた典型だなどというつもりはいささかもない。しかし、日常性との断絶次元でなお、おもちやへの志念を捨てなかったその心情に感動せずにはいられないのである。
 たとえばここでマカレンコの集団主義理論の現況を想起することも一興であろう。マカレンコの教育理論は革命によって数多く生まれ出た孤児たちをいかに教化するかという要請のもとに打ちたてられた。その意味では疑いもなく非日常的な教育理論だったのである。ところがその継承者たちは非日常性を捨象することによってこの理論を一般化してしまったのだ。子どもたちのつくりだしたおもちゃを現実との対比においてのみ評価しようとするおとなたちと同じ誤ちがここでもまたくりかえされた。
 マカレンコの教育理論をこのかぎりなく平和な現実のなかに位置づけようとすることの愚かさと、おもちゃに子どもを従属させようとすることの愚かさは同断である。必要なのはマカレンコの教育理論が応用できるように現実を変革させることである。いつの日かわれわれもまたギロチンの模型と同質のおもちゃをつくりだし、子どもたちに与えなければならない。それは子どもに残虐の心をうえつけることではなく、とおい昔の祭礼の夜と同一の非日常的イメージを子どもたちの心に再生させることなのだ。

   おもちゃから人間へ

 斗美がちかごろ熱中しているものは、わにでもなく鉄人28号でもなくて、カドイ・マリちゃんという幼稚園の友人である。斗美とマリちゃんのなれそめは図画の時間だった。もっとも幼稚園では図画という言葉は使わずに、お絵かきという。奇妙な言葉使いがあるものである。斗美はその時、ライオンの絵を描いた。その容姿や日常の言動とはうらはらに、斗美はかなり大胆な絵を描く。画用紙をいっぱいに使ったライオンの絵は斗美の得意とするものの一つだ。すると隣の席にいた女の子が、「わあ、おっかないライオンねえ」といった。斗美はその子の顔をみた。
「かみつかない」
「かみつくわけないじゃないか」
「でも、かみつきそうよ」
「だいじょうふだったら」
 斗美がのぞいてみたら、女の子は花と家と太陽の絵を描いていたという。このとき以来、斗美の心のなかには、わにでも鉄人28号でもなく、そのカドイ・マリちゃんなる女の子が棲みついてしまったのである。
 斗美は妹のあゆみに向かって説教する。
「あゆみ、ちゃんとご飯たべろよ、カドイ・マリちゃんは、そんな食べかたしないぞ」
「あゆみ、おれのいうことをきけよ、カドイ・マリちゃんは、すごくおとなしいんだぞ」
 あゆみはそれに反撥するより先に、そのカドイ・マリちゃんなる子どもへの興味でいっぱいなのだ。自分からすすんで説明をもとめる。
「カドイ・マリちゃんって、どんな子なのよ」
「とてもかわいいんだ」
「あたしとどっちがかわいいの」
「ぜんぜん」
 比較にならないというのである。いまではあゆみもカドイ・マリちゃんの優位を認めるようになっている。
「こんど、そのひと、うちへ連れてきたら」
「うん、そういうよ」
「そしたら、あたしのこと、紹介してね」
「うん、してやるよ」
ショウカイなどという言葉が四歳児の口からとびだしたので父親は笑いながらたずねた。
「おい、あゆみ、ショウカイってなんだい」
「これは、ぼくの妹ですっていうことよ」
 これもテレビの影響か、とにかくあゆみは紹介という言葉の内容を知っていた。しかしいま問題にすべきことは、テレビの影響や幼児の心のなかのほのかな慕情などではなくて、わにから鉄人28号へ、そしてさらに人間へと対象を移行させてきた斗美の関心の問題である。
 わににもおもちゃがあり、鉄人28号にもおもちゃがあった。そしてそのそれぞれがある程度の満足を斗美に与えた。小さいけれど本物そっくりのおもちゃは、現実とのすりかえを可能にしたからである。もっともこの場合、わにと鉄人28号とは動物とマンガの主人公という質的な相違があるわけだが、現実ということでは同じ意味を持つものと考えてよいだろう。
 ところがカドイ・マリちゃんは一般的な人間でも、単なる女の子でもなくて、カドイ・マリちゃん以外の何ものでもない。この認識は重要である。なぜならば家庭という名の日常生活の場から幼稚園という異質の世界へ出て行った五歳児が、緊張のなかで発見した興味と関心の対象物として、これもまた非日常的な存在に違いなかったからである。
 その後、母親は参観の名目のもとにわざわざカドイ・マリちやんなる女の子を見に行った。母親の目からみると、その子は斗美の妹のあゆみによく似た容姿をしていたという。そのことを斗美に告げると、斗美は言下に否定した。断じて、カドイ・マリちゃんは妹と同一的存在ではないのである。この点をより深く考察することによって、われわれは子どもとおもちゃ、子どもとあそび、さらには子どもと子どもの関係をみつめ直す契機を与えられる。すなわち子どもとおもちゃの本来的な関係が非日常性によって支えられる如く、子どもと子どもの関係もまた日常的な次元ではなしに、非日常的な次元においてはじめて本来的に、つまり個性と個性との関連において確立されるものだということが判然としてくる。このことの確認なしに、子どもと子どもの関係を集団性だの社会性だのという概念で規制しようとすることは、隙間だらけの組織状態を一枚岩の団結だなどと評価するに等しいほどの誤ちをおかすことになるだろう。人間と人間との関係は、おとなにとっても子どもにとっても、非日常的な瞬間においてのみ確立するものであって、それ以外の関係は便宜となれあいの連続なのだ。そして子どもには、おとなよりも非日常的瞬間を経験する機会が多く、ある時には、一片の板切れをおもちゃに化すことによってもそれが可能となる。
 もしもおもちゃを児童文化財の名でよぷのだったら、児童文化の概念を現伏のおもちゃにまでひきさげるのではなくして、児童文化の本来的な概念にまでおもちゃの現状をひきあげる必要がある。しかしそれをのぞむことが不可能なことは自明である。ここに残された可能性とその課題として、子どもの独創力と現実変革の問題があることは、いまさらくりかえす
までもないだろう。
テキスト化清水博