『現代にとって児童文化とはなにか』(三一書房 1965)

おおいなる想像力―児童劇映画への作品評的な註文

 子どもの空想力と児童劇映画という課題で原稿をもとめられ、『白い少女』と『若き日の豊田佐吉』の二本を見るようにいわれた。『白い少女』については、『記録映画』一月号で大島辰雄さんが絶讃に近い評価をしていたのでかなりの期待をもって試写会にのぞんだ。そしてまったく落胆した。『若き日の豊田佐吉』のほうは文部省特別選定ということなので、それなりの態度でのぞみ、それなりにヒドイモンダと思った。そしてぼくは、あの二本の映画と子どもの空想力とを結びつけて考えようとする努力を放棄した。だがやはり、それなりに―というよりもそれだけにあらためて、子どもの空想力と児童劇映画ということで考えざるを得なくなったのだった。早い話が、『白い少女』について、あれほどの評価をした大島辰雄という人にたいして、ぼくは大きな疑問を持つ。あんなものを追いもとめていって、子どもという存在を把握し形象化できるとは、どうしても思えないのだ。『白い少女』の試写会でもらったプログラムには、子どものための映画とか、自動劇映画とかいう文字は刷りこまれていない。あれはおとなの見る映画だったのかも知れない。だが、子どもを描いた映画ではあったのだろう。そのかぎりにおいても、ぼくは不満だ。公式的ないい方だが、現実の子どもとのかかわりということを、ぼくはまず第一に考えたい。そしてぼくは、あの映画に出てくる少年も白い少女も、なんら現実の子どもたちとかかわりがないと思うのだ。あの映画に出てくる少年の夢も幻想も、子ども自身のいだくそれではけっしてなく、おとなが子どもにたいしてもとめる自己の投影でしかない。その意味で、あの映画の作者は童心主義の立場にたっているのだ。「少年の思い出、霧のような話、誰にもあったこと」という発想からして、現実の子どもとはいささかかかわりもないのである。子どもがみる夢、いだく空想が、誰にもあったといいきれるものだろうか。子どもが、そんな普遍的な夢や空想をいだくはずがないではないか。子どもは、それこそ誰でも、自分の夢や空想を、自分独自のものとしていだき、それを育てようとするのだ。それが普遍性を持ち、共通性を持つものだと知ったとき、子どもはそれを放棄する。子どもはそれほどに利己主義であり、自己中心的である。そうした子どもの心性を無視して夢の普遍性を強調しているから、あの映画はつまらなく雰囲気的なのである。その雰囲気的ということでは、あの映画はそれなりの出来ばえをみせており、おとなの自慰的心情を満足させる作品だと思う。カタルシスの芸術である。
 『白い少女』を見ながら、ぼくはしきりに浜田広介の童話を連想していた。象徴的な手法ということでも『白い少女』と広介童話の共通性はあり得ると思うし、大島さんが認めている「詩的韻律を画面に息づかせ」ている点でも両者は共通しているだろう。しかし児童文学の世界で、ぼくをふくめて新しい世代が詩的韻律といったようなものを否定しようとしている現在、映画の世界でもまた、それは否定されるべきだと思うがどうなのだろうか。それでも百花斉放ということで、それもまた肯定するということなのか、この辺の事情はぜひ知りたいと思う。もちろんぼくも大島さんのいうように、「日常茶飯の飾りつけに目をくばるだけで、その奥のレアリテを見とどけ、それから幻想的な世界をひきだそうとはしない」という児童劇映画の現状には強い不満を持つ。だがそれが、ボワロオ・ナルスジャックのいうように、また大島さんが強調するように「ほんのささいな想像力で足りる」とは思えないし、「私たちは少年の日の思い出に、誰にもあったはずの遠い日の夢にたち帰り、童心の憧れにめざめ」ということで、打破できるとも考えられないのだ。「その奥のレアリテ」を見とどけるということ、このためには、おおいなる想像力が要求されるし、子どもの「前につづいてビニールの霧につつまれて」いう人生を鮮明に、あからさまにすることが必要なのだと強くいいたい。『白い少女』の作者たちは、子どものなかに自己の投影を見ようとはしたけれど、子どものその奥のリアリティを見つめようとはしなかった。その甘い雰囲気にまきこまれて、大島辰雄さんもまた、子どもに自己の投影をもとめようとしている。この人たちに共通してぼくが感じるのは、子どもにたいする安易な考え方だ。ほんのささいな想像力で子どもを見ようとしていることだ。あらゆる可能性を持っている子ども、それを見つめ、形象化するということ、それがたやすくできるはずがない。ほんのささいな子どもの空想力を形象化するのにも、作家はおおいなる想像力を働かせなければならないのである。むしろ現状は、おおいなる想像力を持った作家がすくなすぎるということではないのだろうか。それと、否定し去るべき古き方法にたちむかう戦闘精神の不足。

 『白い少女』にくらべて『若き日の豊田佐吉』のほうは、自然主義的ともいえるリアルな手法で作られている。それなりに説得力のある作品でもあるだろう。導入と終結のナレーションもキザではあるが力強いと思った。だがそれらのことは、いまここで、ぼくがかかわりあうことではない。あの映画を見て、ぼくがあらためて子どもの空想力と児童劇映画について考えさせられた、そのことを語ればいいのだ。
 ぼくは『若き日の豊田佐吉』を見ながら、しきりに観客のことを考えていた。もちろん子どもの観客のことだ。それは今でも考えているのだが、あの映画のもつコジツケやウソを見破ることが出来るだろうかということ、それは子どもたちの想像力と深いかかわりのあることなのだが、ここでもまた、空想力と想像力とは区別して考えるべきだと思ったのである。ここでもまたいうのは、このところずっと、ぼくがそれを考え続けてきたからで、ぼくは想像力を思考的体験の翼ということで規制したいのである。それでは空想力とは、となるとぼく自身非常にアイマイな考え方しか持っておらず、いまここでいうことができない。それでも区別だけはつけたいと思うのだ。
 『若き日の豊田佐吉』のコジツケとウソについだが、その第一は、佐吉が父親から他人の飯を食って修行するようにいわれ、母と連れ立って家を出る。二又道にかかると母はどうしたのか別の道をいく。佐吉が仕方なくついていくと、野良小屋があって「ここならお父っさんも気がつきはしまい、食べる物はおっ母さんが持って来てやるからな」という、その野良小屋なのだが、その存在を佐吉が知らなかったというのが、なんとも不思議でならない。佐吉は長男であったらしい。父親も後継ぎとして佐吉を考えていたからこそ、大工仕事を怠けての研究にやかましいことをいったのである。とすれば、当然のこと、野良小屋の存在ぐらいは知っているはずなのに、あの映画では知らなかったことになっている。コジツケである。二本の道があって、一本の道をいけば佐吉は一人前の大工となって平凡な一生を送った。だがその道をいかず、べつの道をいったがために、そこに野良小屋があり、そこで研究の没入し、織機王となることができたというわけ。なんともご都合主義にすぎている。もしそこに野良小屋がなかったら、豊田佐吉という織機王は生まれなかったかも知れない。ここでぼくは現実の子どもたちとかかわりあって考えるわけだ。「発明はけっして一朝一夕に出来るものではない。天才よりも努力、努力こそは偉大な発明を生む最大の力である」と力説してみたところで、子どものなかの一人が「そんなこといったって、ぼくの家には野良小屋がないよ」といってしまえば、それはカレンダーに印刷された教訓のようなものでしかなくなる。それにまた、佐吉は凧をあげる糸のたぐり方にヒントを得て試作品を完成したのだが、都会の子供は凧上げをする機会にも恵まれていない。もちろんそれは、凧上げのように何気ない遊びのなかに発明の種がかくされているということなのだろうが、現実の子どもたちは、遊びについてさえ自由を奪われているのだ。というふうに考えていくと、あの映画がいかに現実の子どもたちとかけ離れたところで作られているかがはっきりするだろう。それはまた、文部省特選のゆえんでもあるのだとぼくは思う。そしてそうなったのは、『若き日の豊田佐吉』の作者たちが、現実の子どもをみていないということ、子どもたちにたいして、おおいなる想像力を働かすことのない人たちだということであり、この点では『白い少女』の作者たちとあまり違いはないようである。

 だいぶ古くなるが岩佐氏寿さんが東映で作った『わたしのお母さん』という映画、あれについてもふれてほしいといわれていた。『わたしのお母さん』についてもぼくはかなり批判的で、岩佐さんにも直接話したことがある。それはおもに岩佐さんが意識的に取り入れたドキュメントな部分、たとえば青果市場の部分などが他の部分からあまりにも浮き立っているために、かえって記録性を失って見えるというような批判をしたわけだった。たしかに部分として見れば、あの青果市場のセリ風景などは生き生きとしており、それなりの迫力もあった。だがその隅のほうでしょぼんとしている父親と少女との対比がいかにもチグハゲでまとまりがなかったのだ。それは俳優と実生活者との相違ということでもあったろうが、ぼくはそれよりも、青果市場にたいする認識があまりにも一般的にすぎたからだと思っていた。そこでぼくは、青果市場というところでは、貧しい服装の婆さんなんかが、買物カゴをぶらさげて、屑野菜を拾いにきていたりするものだと話したりもした。もしもそうした情景なりもとらえられていれば、生産者と消費者の矛盾といったことも、すこしは観客になっとくされたのではないかと思う。生産者は野菜の売り値が安いとこぼす。消費者はそれでも高いと思うという矛盾が、あの映画ではすこしも取り上げられていなかったあの映画の原作者鈴木喜代春さんに聞いたところでは、原作にはそれが出ていたはずだし、実際に、あの松戸市の小学校では、いつも子どもたちのあいだでそのことが問題になっているのだということだった。これまた、現実の子どもとのかかわりに深入りせず、おおいなる想像力を働かせなかったということのあらわれではあるまいか。しかし失敗したとはいえ、児童劇映画のなかに自己の投影をもとめようとする作者の姿勢は感じられない。それは童心主義からの脱却ということであって、それなりの評価は与えられるべきだろう。それと、あの映画がマンガ化されたということの関連も考えてみたいのだが、それは一言でいってしまえば、あの映画の持っていた感傷性がマンガに向いたということで、その意味では教育映画にはめずらしい通俗性を持っていたのである。試写会の席で、ぼくが思わず「ヒデエナァ」と口走ってしまった母親の死の場面なども、マンガともなればむしろリアリティを持って訴えるのかも知れない。もちろんそれは目のパッチリした女の子が主人公の少女向きマンガで、『ペスよ尾をふれ』『ママのヴァイオリン』などと同一に扱われているわけである。
 ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』という映画も、児童劇映画ではないけれども、子どもを登場させているということでは、若干ふれておく必要があるだろう。好き嫌いでいってしまえば、ぼくはジャック・タチは嫌いである。もっともぼくは、タチを『ぼくの伯父さん』以外には見ていないので、正確には『ぼくの伯父さん』に関するかぎり嫌いであるというべきかも知れないが、おそらく、今後どんなものを見ても、タチを好きになることはできないと思う。それというのもぼくが、レイアウトの美しいグラビア雑誌などを手にして暇をつぶすような趣味を持たない性質だからで、それはぼくが野放図を愛するということでもある。あのタチのきちんと計算された画面では、子どもたちの行動も当然のこと規制されている。個々に見てみれば、自動車のバンパーをいたずらする場面とか、揚げパンをかじりながら通行人を街灯の柱にぶつけさせ、それでカケをする場面とはいかにも子どもらしく生き生きとしてさえいる。だがやっぱり、ぼくはそこにもタチの計算を見せつけられて厭味なのだ。もっと子どもを自由に行動させてほしいとねがわずにはいられない。そしてそれは作者しだいで出来ることである。子どもが動きすぎたら、カメラをそのように操作し、動かない子どももまた、カメラの操作で動きを与えるというようなことが、現在では可能なはずである。一つの実例とし、東映作品『消えた牛乳びん』のドッジボールの場面を考える。ここからだって、子どもの奥のレアリティをつかみ出すことが出来るかも知れない。子どもが自分だけのものとして、うちにひめている空想を、カメラがひきだしてしまうということはあり得ないことだろうか。ぼくはあり得ると思う。『戦艦ポチョムキン』のオデッサの防波堤のところ、水平の死体が置いてあり、人びとがだんだんに群れ集まってくる。そのすぐそばで、釣をしている無関心な人びと。あれをとらえたほどのカメラの眼があれば、子どもの空想をとらえることも出来るのではないか。しかも現状では、カメラそのものがいちじるしく進歩をとげている。その点、映画作家は恵まれているといわなければならない。文学でそれをやろうとしたら、子どもの思考体験をさぐるとともに、その発達段階にそくした文体を創造することまでが必要になってくる。映画では映像あるのみだ。だからこそ余計に、註文が出したくもなるのである。
 それにつけても、子どもの空想力のほうが一向に具体的にならなかった。これはやはりその形象化が不足しているためか、とも考えられるが、どうも児童劇映画の現状では、子ども一般を描くことでことたれりとする風潮が見え、子どものすべてを描き出すことが、その努力が不足しているのではないかとぼくには思える。その努力のまえに、ことさら空想力を強調することは、子どもたちの人生をビニールの霧でつつむことにもなりかねないといった心配もある。それに、妖精だの怪物だのというものが、ともすると子どもの空想力の産物のように思われている社会一般の現状にたいするぼくの不満も、空想力について明確に語ることのできない原因のようである。この点でも、ぼくの考えている空想力と、大島辰雄さんあたりのそれとは根本的に相違しているのだろう。だがいまは、作家主体の想像力の必要を強く訴えたいのである。繰り返すようだが、「その奥のレアリティ」をとらえて形象化するのに、ほんとささいな想像力で足りるというのは、幻想であって、想像力の喪失現象にほかならないと思う。
(一九五九年四月 「記録映画」)

テキストファイル化 三宅由佳