家族という神話 6

"離婚"という物語の超克
―『星に帰った少女』『優しさごっこ』『さよならファミリー』―
野上暁

           
         
         
         
         
         
         
    
 今日、私たちが当たり前のように感受している「子ども」とか「児童」という概念は、日本では近代になって"発見された"と分析したのは柄谷行人であった。柄谷は、明治二〇年代に「内面性」を持った文学者によって、「風景」が発見されたのと同様に、「児童」も見出されたのだという。そして、「それだけ切りはなしてではなく、伝統的社会の資本主義的な再編成の一環として見られなければならない」と述べる(「児童の発見」一九八〇年 『日本近代文学の起源』所収 講談社)。
「家族」もまた、同様に歴史的に見出された概念である。日本における「近代家族」の成立が、柄谷のいう「伝統的社会の資本主義的な再編成の一環」とリンクしているのはもちろんだが、子どもの本や文学の成立もまた同様である。明治二〇年代の子ども雑誌の相次ぐ創刊や、巌谷小波の『こがね丸』を第一巻とする「少年文学」叢書の刊行(明治二四年)、小波を主筆とした博文館の『少年世界』の創刊(明治二八年)あたりが、その時期に重なる。そして、子どもの本や文学は、家族の在り様と密接にかかわり、その変容とパラレルにジャンルと表現世界を拡充してきた。
敗戦後の荒廃から一五年以上過ぎ、高度経済成長期に向った社会構造の変化が、六〇年代以降の核家族化の急速な伸長をもたらし、それが子どもの本の隆盛と重なったのは偶然ではない。七〇年代の創作絵本のブームも、家族環境の変容と深く関わっている。核家族化と専業主婦層の増大にともなう母子の共有時間の拡大が、子どもの本の読書人口を急増させたのだ。その頃から子どもの本ばかりか、子ども商品全体もまた多様化してきた。子どもをも市場に取り込んだ、消費化社会の幕開けである。それはまた、テレビの急速な普及とリンクした情報化社会の到来とも重なる。
六〇年に向っての反安保闘争昂揚からほぼ一〇年過ぎ、六〇年代末に再び学生運動が活発化し、全共闘運動として全国に拡大していった。そこでは様々な既製の権威や価値観に疑問符が突きつけられた。学生たちの間では、親子関係や家族のあり方はもちろん、結婚という制度そのものに対する疑問も、サルトルとボーヴォワールの関係などを引き合いに論議された。そして、運動が沈静化した七〇年代に入って、社会の様々な場面における男性原理を批判したウーマンリブ運動が起こるのだ。全共闘運動とリブの関係性については、これまで綿密に検証されているわけではないが、少なからぬつながりは見て取れる。リブに象徴されたフェミニズムの思想の浸透は、固定的で窮屈な既製の男と女の関係を、ゆるやかに解体し一般化していったようである。国家の決めた制度や法律によって、結婚と言う関係性を保証し維持するのではなく、自立した男女の結びつきから新しい夫婦の関係を見出していこうとする機運が生まれてくる。一対の男女の結合によって成立した夫婦の間に子どもが誕生することによって、新しい家族が形成されていくのだが、結婚という制度やシステムに依拠しなくても、男女が一緒に暮らすことは可能である。しかし子どもが誕生するところから、法が避け難くかかわってくる。
とはいえ、同棲や婚外子の誕生が、奇異なものではなくなってきた。離婚もまた、行き詰まった夫婦にとっての選択肢として、世間的な許容範囲を拡大していく。近代家族の在り方が、にわかに揺らぎ始めたのだ。そして、子どもの文学が、両親の離婚を真正面から描き始めたのも、七〇年代の後半からである。
それまで、子どもの文学が描いた、親と別れて暮らすというシチュエーションは、両親のどちらかとの死別によることがほとんどだった。戦争や事故による父親の死、母親の病死といったように。離婚という、親たちの都合による選択が、子どもたちに無用な重荷を背負わせるという危惧感からだったのであろうか。あるいはまた、大人の男女の確執に立入ることは、子どもの文学が描く範疇を逸脱しているという暗黙の了解があったのだろうか。いずれにせよ、理想主義と向日性を標榜してきた日本の子どもの文学にとって、離婚は性の問題などと同様に、一種のタブーのように踏み込まれることはなかったのだ。

末吉暁子の『星に帰った少女』(一九七七年 偕成社)は、離婚した母親と二人だけで暮らす、小学六年生のマミ子を主人公とした物語である。母の林京子は化粧品会社の宣伝部に勤めていて、仕事が忙しくいつも帰宅時間が遅い。十二歳の誕生日に、流行のコートを買ってもらうのを楽しみにしていたのだが、家で待ちこがれていたマミ子がプレゼントされたのは、母が少女時代に着ていたという、古びて色あせた小豆色のコートだった。マミ子は、いたたまれなくなって、思わず口走ってしまう。
「もう、ママなんかきらい! いつも仕事でおそいんだもの。いつでも仕事、仕事、仕事! あたしのことなんか、ちっとも考えてないんだもの。」
 働きながら夜間の大学を卒業したという母の京子は、向上心も旺盛で、子どもを育てながらも、仕事に生きがいを見出している。突然海外に赴任するという夫に、仕事をやめるかどうかの選択を迫られ、それがきっかけで離婚を決意する。もちろん、それ以前に夫婦間の様々な確執があったに違いない。マミ子の母は、夫にともなって海外に行くことで、仕事を棄てることができなかったのだ。既にそこには、夫の収入に頼って家事と育児に専念して家を守るという、専業主婦との意識の隔絶がある。
大正期から増え始めた都市サラリーマン階層の妻の座としての専業主婦は、中流家庭のシンボルでもあり、農山村や自家営業の妻たちの憧れでもあった。それが全国的に拡大したのが高度経済成長期であったことは、前々号にも述べたとおりである。専業の母の大衆化は母子密着を促し、その後の子どもに関わる家庭内での問題行動をも誘発していった。しかし、マミ子の母は、仕事に生きがいを見出し、子育てと両立させようとしているのだから、専業の母ではない。毎日会社に出ているので、母子密着の危うさを免れているし、その後頻出する教育ママとも隔絶している。むしろ子どもの教育には鷹揚で、多くの友だちが私立中学を目ざして塾に通っているのを知って、びっくりしてマミ子を塾に行かせるといった按配なのだ。
 母にもらったコートを拒んでいたマミ子も、寒くなったので仕方無しにコートを着て、塾に行くためにバスに乗る。ところが、いつも上着のポケットに入れておくバスの回数券を忘れたことを思い出して躊躇するが、なぜかコートの内ポケットに二枚だけ回数券が入っている。母が気をきかせて入れておいたのかと思ってよく見ると、まったく違った回数券である。マミ子が、あわててバスを降りると、そこは今まで見たこともない神社の前のバス停だった。
 金色に輝く鮮やかなイチョウの落ち葉に誘われて、神社の境内に入っていったマミ子は、綿入れのちゃんちゃんこを着て、素足に下駄を突っかけ、石段に腰を下ろして涙ぐんでいる不思議な少女に出会う。彼女の名前は林杏子。字は違うけど母と同姓同名なのだ。友だちがみな、きれいな着物を着て祭りに行ったのに、杏子の母は家を出たまま行方が知れず、父はそれが原因で酒に溺れ、祭りどころではないという。マミ子は杏子に、家で遊んでいかないかと誘われるが、塾が気になって帰ることにする。バス停に戻ると、広いはずの環状道路が、狭いでこぼこ道で、東京なのに富士山がすごく近くに見える。急に不安になったマミ子はバスを待つが、来たときに乗ったバスはさっぱり現れない。母が少女時代に着ていた特別な思い出があるというコートの中の古いバスの回数券が、マミ子を時代と空間を超えた世界に導いたのだ。マミ子の不安や孤独に、夕暮れ時の野良犬や老婆との出会いを絡めて、再び帰還するプロセスは違和感が無く説得力がある。時間軸をずらし、異なった空間に誘う手法が、夕闇に溶け込むように巧妙に仕掛けられていて、この物語の奥行きの深さを予感させる。
 そして、マミ子の母・京子が、再婚するので相手に会って欲しいと娘に伝えたところから、マミ子の心は微妙に揺れ動く。
「まだはっきりきめたわけじゃないのよ。ママのほうにも、いろいろ問題があるしね、だいいち、ママは仕事をやめたくないのよ。それで、うまくやっていけるかどうかねえ、ただ、マミ子のことを考えると、あんたが、このまま、父親というものを知らないでおとなになるのも、いいとはいえないよね。」
 母が言う。
「あたしのことなんか、どうでもいいわ。結婚するのは、ママなんじゃないの。それに、そんなこというんなら、どうして、あたしのほんとうのパパじゃいけないの?」
マミ子は、反発する。
コートのポケットに残っていたバスの切符を使って、再び杏子を訪ねたマミ子は、父子を置いて男と家を出ていった母にどうしても会いたいという杏子とともに、海辺の町に行く。そこで杏子の母とおぼしき女性を眼にするが、杏子はそれを母とは認めない。敗戦間もない時期で、海辺の町には進駐軍が滞在している。
杏子と名乗る少女の本当の名は京子。中学生になったマミ子は、杏子は少女時代の母ではないかと思い始めて、それまでのことを母に話す。母は、自分の日記を読まれたものと勘違いして激怒する。
「ママなんかきらいだわ。自分かってよ。あたしのことなんか、ちっとも考えてくれてないのよ。かってにだれとでも結婚すればいいのよ。あたしなんか、生まなきゃよかったんだわ。」
 怒りで引きつった母は、マミ子を平手打ちする。
 翌朝、図書館に出かけると言うマミ子に、母は自分の少女時代の日記帳を渡す。マミ子は、それを持って新幹線に乗り、かつて杏子が母と会った海辺の町へ向う。日記には、杏子=京子の目から見た、不思議な少女、マミ子との出会いや、彼女と母を訪ねたことが記されている。そして、再び母を訪ねたとき母に会って、マミ子が着ていたのと同じオーバーを買ってもらうのだ。その後、度々母を訪ねた京子は、母が恋人と東京に出るという話を聞きく。東京に発つ前の日、母を訪ねた京子は、一緒に舟に乗りたいとせがみ、荒波の中で海に漕ぎ出し、舟が転覆して京子は助かるが母は水死する。京子は自分のわがままで母を殺したと悲嘆して、日記は終わっていた。
 海辺の町に着いたマミ子は、波打ち際に鳥のように幻視された小舟に、招かれたように乗って水難事故に遭い、病院に担ぎ込まれる。
 病床で母はいう。
「いまでも、ママは、自分が生きていくことだけでせいいっぱい。あんたに満足な家庭を、つくってやることもできない。母親失格ね。……自分が生きていくどころか、ひとり歩きすらできないの。マミ子がいてくれるのが、生きていく支えだったんだけど……でもね、マミ子、いま、ママは、もっと必要な人がいるのよ。ママのたりない部分をおぎなってくれる大人の人が……。」
 この母の言葉を受けて、マミ子は思う。
(人間て、ママみたいな年になっても、ひとり歩きできないなんて知らなかったわ。でも……ママが、あたしのためをおもって結婚するなんて、いわなかったのがすくいだわ。ママはママで生きていくのよ。あたしは、あたし……これから、あたしにだって、いろんなことがあるんですもの。人を愛したり愛されたり……)
 母は、自分が生きていくだけで精一杯だったといい、娘の存在が生きる支えだったが、それ以上に自分の欠落部分を補ってくれる大人が必要だという。母の再婚を心の底からは了承できずにいた娘は、母は母で生きていき、自分には自分の人生があるのだと納得する。
母の再婚を巡っての少女の内面的な葛藤は、彼女を母の少女時代へのタイムスリップさせて、母の秘められた物語を辿ることで了解点に至るのだが、それはまた母と娘とのコミュニケーションの空白を埋めるための秘儀でもあった。
 母に棄てられた娘が、母を慕いながらも母を死に追いやってしまった悔恨が、酒に溺れる父への憎悪に転化してトラウマとなる。そのアンビバレントな感情が、自らの娘に投影して、再婚を躊躇するのだが、母娘ともどもにそれを超克する儀式としてこのファンタジーは成立している。ここでは、家族という装置が内包する、情緒的な緊密関係があらかじめ排除されている。どのような理由があったのか、母は娘を棄てて男と家を出、父は酒に溺れて娘を省みようともしない。時代は昭和二〇年代の中頃だから、理由は色々と考えられるだろうが、それはこの作品にとって問題ではない。敗戦後の貧困から立ち直り、家族が再編されて、マイホームという甘やかな幻想が芽生えつつあった時代に、それとは対極にある崩壊した家族を想定し、そこへタイムスリップすることによって、七〇年代の家族の在り方を逆照射してみせる。そして母の子どもからの自立を明確にし、娘の自立をも促すこの物語は、少女の思春期に向ってのイニシエーションの儀式とも見て取れる。

 今江祥智の『優しさごっこ』(一九七七年 理論社)も、母に棄てられた少女が主人公である。小学三年生のあかりの母は、避暑先に行っていた黒姫の友人の別荘で倒れ、父親が迎えに行くが、母はそのまま大阪の実家に帰り、家には戻ってこない。そこから、絵描きの父親と娘の、奇妙な生活が始まる。二人は書店に行き料理本を何冊も買い込み、料理にチャレンジする。それまで母親がやっていた、掃除や洗濯などの慣れない家事を、父娘でこなさなければならない。突然の母の欠落は、父娘に家事の大変さを思い知らせ、お互いに過剰なほど相手を気づかいながら、家事をこなしていく。二人はまるで、"家事ごっこ"をしているようで、それが微笑ましく、またユーモラスだ。そしてそこには、主婦のシャドーワークへの視点が、さりげなくシフトされている。
父は画家仲間の友人が故郷に帰るので、彼の代わりに短大で美術の先生を頼まれる。画家、大学の先生、父親兼母親の四役をこなすことになった父は、ストレスから胃痙攣をおこし、それがきっかけとなって、お手伝いさんに来てもらうことになる。
両親の離婚が決定的になったとき、あかりは父にたずねる。
「―そやけど、わたしは、おかあさんにとっては、かけがえのない娘とはちごうたンやろか。
 ―そんなことあらへン。
 とうさんは、いそいで、しかし、きっぱりと言った。
 ―どっちにとてっても、かけがえのない娘やった。そやけど、どっちが引取るとなったら、選ばなしゃない。かあさんは、あかりがとうさんの方になついとると、ずっと思い続けてきたし、とうさんが引取った方が安心できると判断したからや。(中略)
―ふうん…。
あかりはもう一度鼻をならした。そして小さな声でつぶいた。
―選ばなしゃない、いうたかて、うちには選ばれへんかったんやなあ。
それがつぶやきであって、抗議の気配がなかったことが、よけい鋭くとうさんを突き刺した。親の、大人の身勝手さを手厳しく突き刺す一言であった。」
母にとってにも父にとっても、同様にかけがえのない娘には違いが無いが、どちらで引取るか「選ばなしゃない」という父に、自分は選ぶ権利を与えられなかったことを、小学三年生の少女はいぶかるのだ。両親の離婚に際して、発言の機会を与えられなかったことに、さりげなく異議を申し立てているのだ。
父娘の"優しさごっこ"の中には、同じように父を突き刺す娘からの鋭い言葉が、随所に散りばめられている。父と娘が濃密な時間を共有することから生まれる、子どもの鋭敏な感受力へ父の眼差しは、この作品の大きな魅力の一つでもある。
父娘で、昔の「講談社の絵本」を見ていたときの二人の会話にも、父は動揺させられる。
「―ふうん、こんなのをとうさんは見て大きなったンか。
というのがあかりの総合評だった。
 ―講談社の絵本のおかげで、とうさんは今みたいに"出世した"ちゅうわけや。
と、とうさんがふざけた。
 ―うちには講談社の絵本がないし、わたしは一冊も読んでもろとらへン。わたしが読んでもろたンは、福音館たらゆう本屋さんのンばっかしやろ。それでは出世でけへンなあ。
 ―そらそうや。えらいことしてしもたな。
 ―どないしてくれンのン。
 ―ま、出世せんかて、ええヨメさんになり、やさしい奥さんになれ、しゃっきりしたお母ちゃんになった方がええやな。
 ―それが女の出世やろか?
 あかりの一言が、ふざけあっていたふたりの会話の中で、白く光る匕首になって、とうさんに突き刺さった。
 ―わたし、出世せんでもええけど、自分のしたいことをちゃんと見つけたいわ。
あかりはまじめな顔で言った。」
 結婚することが女の幸せであるかのような、ふともらした父の何気ない言葉が、娘に反撃されるのだ。妻になり、母になることが女の出世ではない。それが、出世だったら出世しなくても「自分のしたいことをちゃんと見つけたい」と、三年生の娘は言うのだ。ここでは、結婚して子どもを産んで、母になるという「上がり双六」のような道筋が、子どもの発言を通して拒否されている。家族が形成されるためには、一対の男女が結合することが前提になり、それが継承されるには、結合の結果として子どもが生まれ、それによって家族は再生産されていく。それを所与のものとして受け止め、素晴らしい相手を見つけて結婚し、妻になること、母になることよりもむしろ、自分のしたいことを見つけたいと言うあかりの言葉には、制度としての結婚への冷めた視点が感じられる。
 とうさんは『絵本と子どもの学校』の講師に招かれ、そこで山名さんというテレビのディレクターをしている女性と出会う。彼女の企画で、父娘が奈良を歩いておしゃべりをすると言う番組に出演することになり、たくさんの仏像を一緒に見て回った。とうさんが、神将たちに踏みつけられている子鬼たちの表情を丹念に見ていると、つられて見ていた娘のあかりが、「こんな小さな人が、どんな悪戯("わるさ"とルビ)したン? なんでこないにいじめられるのン」と、たまりかねたようにたずねる。
「とうさんは答えられなかった。いや、知っていたとしても、答えたくない気持ちだった。それにしても、こんなふうに仏像を見たのは初めてのことだった。学生時代から何度も来た奈良だったが、いつも足許のはヌキにしていた。いまこうして足許の子鬼たちに親しみ(?)を感じるのは、近頃――というよりも、別れてからの自分の暮らしの中で、これまでに気づこうともしなかったこまごまとしたことどもを知り、いわゆる主人("主人"に傍点付ける)とは逆の日々をすごす人たちの側に身を置いてみることになったせいかもしれなかった……。
 そんなことを考えているとうさんにしたら、いきなり子鬼たちに同情を示したあかりの目("目"に傍点付ける)の――子どもの目のたしかさに感心するほかはなかった。同時に、日常の暮らしの中で、子どもたちが、どれほどあの子鬼たちと同じ立場に追いやられているかに気づいた。大人たちが神将同様に、子どもたちに対して、君臨しているかを思った……。」
 そして父は、娘の「……わたしは上にのってる人ら好かんわ。気張って目エむいて……」
と言う言葉に、「あの気張りように、自分自身の気張りようを見たからやったンか……」と、自分の鈍さにいたたまれなくなる。作者は、家事労働というシャドーワークへの覚醒とともに、子どもに対する大人のあり方、そして父親としての自分の気張りをも、神将と子鬼に重ねて見るのだ。
娘のあかりは、とうさんが山名さんに好意を抱き、山名さんもとうさんに好意をもっていることを見逃さない。しかし山名さんに男性の影を感ずるとうさんは、もう一歩を踏み出せないでいることもあかりは知っている。あかりは、山名さんが詩人の男性と同居していることを探り出し、とうさんに伝える。「―そやけど、セキは入ってないンやと」と付け加えるが、とうさんの動揺は隠せない。気になったあかりは、謝るように言う。
「―あのこと(4字傍点つける)だまってた方がよかった……?
 ―……いや、ちゃんと知ってたほうがええ。
とうさんは、はっきり答えた。知らないでつまづくより、知っていてつまづくほうが、とうさんは好きや。」
 たとえ「相手が二人暮し」だったとしても、自分は一歩踏み出したいと、とうさんは思う。母が再婚したことを知ったあかりは、「こんどはとうさんの番やしイ」「―そうや、そないしン、そないしてエ」と、ねだるように言う。とうさんは、つられたようにうなずき、山名さんが、はにかむようにかすかにうなずいたのを、あかりは見逃さなかった。
『優しさごっこ』の扉には、「冬子に」として、「世間には、両親が別れたために不幸な子どもがたくさんいる。しかし、両親が別れないために不幸な子どもも、同じだけいるのだ……」という、エーリヒ・ケストナーの名言が記されている。
 離婚したことによって、父と娘はお互いにいたわりあいながら、今までになく濃密な時間を共有し、そのことによって様々な新しい発見をし、ゆるやかに着実に父も娘も共に成長していく。幼い娘は、父親と二人だけの暮らしを通して、父親にとっての妻の役割をひたむきに担い、父の入院をきっかけに、父に連れ合いの必要性を思う。娘が新しい母を求めるのではなく、父の配偶者をと考えるところに、娘の父離れ親離れへの道筋が予感される。それはまた、少女の自立心の芽生えであり、家族の情緒的結びつきの相対化にも向っていく。この作品は、離婚に伴う負の部分よりも、プラス面にスポットが当てられていて、それが通俗的な離婚物語を超克する。そこにこの作品の新しさがあり、発表されてから四半世紀を過ぎようとしているのに、いまだに新鮮さを失わない。とうさんの恋の行方は、続編ともなる『冬の光』に書き継がれていく。

 両親の離婚が契機になり、小学生の主人公、"ぼく"が一人暮らしを始めるのは、三田村信行の「さよならファミリー」(『風を売る男』所収 PHP研究所 一九八〇年)である。
 母が仕事に出たいと言い出し、以前勤めていた出版社の編集長から声がかかり勤めだす。家庭を守り家事をするのが女のつとめで、外で働くのが男のつとめだという、古いタイプの父親は、怒って家を出ていく。といっても、同じアパートの一階下に別居するのだ。そのうち、母は奥さんを亡くした勤め先の編集長と結婚するといいだし、子どものいない編集長は、ぼくと姉を引取るとも言う。父親は結婚は了承するが、子どもたちまでいなくなっては寂しくてたまらないと、それは断る。そして両親は離婚することになり、姉は母のところに、ぼくは父と一緒に住むことになる。主人公"ぼく"の、友人への手紙の形をとって、物語は淡々と語りつがれていくが、そこにも悲壮感はない。むしろ、"ぼく"の語り口が乾いているだけに、家族解体のドラマが、かえって爽快でさえある。
「とうさんとの生活は、それなりにうまくいっていたよ。そうじやせんたくや食事のしたくはぼくの役目(会社が休みの土曜と日用はおとうさんがかわってくれたけど)で、はじめのうちはなれなくてずいぶんつらかった。いままでおかあさんにまかせっぱなしで、そんなこと自分じゃしたことがなかったからね。
 それでもときどきおかあさんや姉貴が助けにきてくれたし、そのうちぼくもすっかりなれてきて、楽になった。きみにはわからないだろうけど、家事っていうのはやってみると楽しいもんだよ。そうじをすれば家の中が見ちがえるようになるし、せんたくをすれば服がきれいになる。つまり、自分のやったことがちゃんと自分の目でたしかめられるところがいいんだよ。」
 ところがある日、塾の帰りにスーパーによって夕食の材料を買って家に戻ると、部屋の中に女の人がいた。女の人は料理を作り、お父さんと三人で食事をして片付けを終わると帰っていった。父は、「いまのひと、どう思う?」と、ぼくに聞く。
「どう思うって?」
「つまりだね、おまえの新しいおかあさんとしてさ。」
  ぼくは、何にもいえないでいると、
「―おとうさんは考えたんだよ。そりゃあ、このままふたりでやっていけないことはない。でもね、やがておまえは中学生になり、それから高校、大学と進まなくっちゃならない。そうなれば受験勉強でいそがしくなるだろうから、おまえが家の仕事をするのはどうしたってむりになる。まあ、そういうことと同時に、やっぱりこのままじゃおまえがかわいそうな気がするんだよ。ろくに友だちと遊ぶ時間もないしね。もとはといえばおとうさんのわがままからでたことだから、それだけよけいにおまえのことが気になるんだ。なんとかおまえを家事から解放して、ふつうの子どもらしい暮らしにもどしてやりたい。そう思ってね、おとうさんはおまえに新しいおかあさんをつくってやることに決めたんだ。」
と、父が言う。 
「ぼくのためというけど、ほんとうは、おとうさんがさっきの人が好きだから、結婚したいというだけなんでしょ。」
ぼくは父に言う。新しいお母さんが嫌いだったわけではなく、「ぼくは、おとうさんや、新しいおかあさんといっしょに新しい家族をつくっていく気がしなかった」のだ。それで、ぼくは「どうしてもいっしょに暮らせっていうんなら、自殺する!」って父を脅かし、小さなアパートの一室を借りてもらって一人暮らしを始める。
「ぼくがどうしておとうさんたちとはなれて、ひとりで暮らすようになったか、そのわけというのはね、ぼくはおとうさんやおかあさんの荷物じゃないんだから、あっちからこっちへ、こっちからあっちへと勝手に自分たちのつごうで移されたくないということなんだよ。」
 家族崩壊の物語が、"ぼく"の側からの家族解体へと、さりげなくスライドしているところに、この作品の凄みがある。大人たちのそれぞれの思惑が、一種カルカチュアライズされていて、家族を仮構する大人たちのタテマエに付着したエゴイズムが、かえって笑いさえさそうところに、家族という神話を相対化してみせる作者の醒めた視点が巧妙である。
 『星に帰った少女』は、母の再婚を納得するプロセスが娘の自立を促し、『優しさごっこ』もまた、母の喪失と父との濃密な共同生活を通して、娘の自立心を養成する。『さよならファミリー』は、家族崩壊を好機と見て、そこからの解放をもくろむ少年の物語であり、近代家族の揺らぎと新しい家族観への照射は、三作品のいずれにもに共通している。七〇年代の後半から八〇年代にかけて、日本の子どもの文学は実に先鋭的に、近代家族の揺らぎを映し出してみせていたのだ。(以下次号)