『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

初出一覧
 児童文学のひろがり
1 児童文学の条件――「十二歳の少女の旅立ち=児童文学に於ける文学性」『きっどなっぷ』7号、1981年12月、きっどなっぷの会。(一部追加)
2 ファンタジーの構想力――「あなたにとって子どもとは何か=ファンタジーの構想力」『日本児童文学』1976年12月号、すばる書房盛光社。(一部追加)
3 メルヘンの復権・立原えりかを通して――「ユートピアを夢みる少女=立原えりか論」『日本児童文学』1977年12月号、すばる書房盛光社。
4 ロマンの復権『むくげとモーゼル』を通して――「しかたしん作品論=むくげとモーゼル」『日本児童文学』1979年2月号、偕成社。(一部追加)
5 伝記小説におけるロマン・ハガードの作品を通して――「何が読者を魅了させるか=『ソロモン王の洞窟』のみごとな伝記性」『日本児童文学』1976年6月号、ほるぷ。(一部追加修正)
6 魅力ある悪漢像・スティーブンスンの作品を通して――「アンを見る二つの目=『赤毛のアン』小論」『日本児童文学』1980年2月号、偕成社。(一部追加修正)
8 「歴史小説」の方法――「歴史は『人』である=外国児童文学における歴史小説の方法について」『日本児童文学』1983年12月号、偕成社。
9 同人雑誌運動論――(1)「なぜ児童文学を書くのか・同人誌運動論」『日本児童文学』1975年7月号、すばる書房盛光社。(2)「同人誌の魅力的な落とし穴」『日本児童文学』1978年7月号、偕成社。
10 書くことの意味・「子ども」との再会――書きおろし/1984年。
 児童文化のなかで
1 新しい親子関係をさぐる――ヒトとして=新しい親子関係をさぐる」『日本児童文学』1983年4月号、偕成社。
2 母であること子であること――「若草の祈り」『きっどなっぷ』6号、1981年6月、きっどなっぷの会。
3 老いることの意味・老人と子ども――「おばあさんの書いた本」『きっどなっぷ』2号、1979年2月、きっどなっぷの会。
4 二つに引き裂かれた夢・子どもの中の成長と回帰――「二つに切り裂かれた夢」『鬼ケ島通信』創刊号、1983年5月、鬼ケ島通信社。
5 ディスクーリング論――「ディスクーリング論」『日本児童文学』1982年3月号、偕成社。
6 非行の書、人間の書――「非行の書、人間の書」(児童文学時評)『日本児童文学』1984年6月号、偕成社。
7 「小人」のその後――「『小人』のその後」(児童文学時評)『日本児童文学』1984年4月号、偕成社。(一部追加)
8 「児童文学の日々」――「児童文学の日々」(児童文学時評)『日本児童文学』1984年5月号、偕成社。(一部追加)
9 文明と自然――「青いイルカの島」『きっどなっぷ』4号、1980年2月、きっどなっぷの会。(一部追加)
10 アホウドリにあいにいった――「アホウドリにあいにいった」『きっどなっぷ』3号、1979年7月、きっどなっぷの会。
11 突然、メガテリウムが現われた! 大人と子どもが出会うとき――「突然、メガテリウムが現われた!」『児童文学アニュアル・1982』1982年6月、偕成社。
12 川遊び・「領域としての子ども」――「川遊び」『児童文学アニュアル・1983』1983年6月、偕成社。
13 無垢へのノスタルジア・「文明」と子ども――「無垢へのノスタルジア」『児童文学アニュアル・1984』1984年6月、偕成社。
 絵本をたのしむ
1 絵本プロポーズ大作戦――わたしの絵本づくり(1)――「絵本プロポーズ 大作戦=付録・自画自賛の絵本づくり」『絵本・子ども・大人』(理論社)1981年11月。
2 絵本の大人ばなれ――わたしの絵本づくり(2)――書きおろし/1984年。
3 絵本の旅――『母と子のほん・リード』1977年4月号〜1979年3月号、リード図書出版。(一部追加)


 あとがき

 私はこの秋二十年つとめた出版社を退いた。編集者人生に未練がないといえば嘘になるが、私は敢えてよりエゴイスティックな生き方を選んだ。
 私は四年前に七か月にわたる闘病生活を経験したが、それは予期せぬ不幸と同時に予期せぬ<幸運>を私に与えてくれた。手術後の身動きできない時間の連続の中で、私は子どもと子どもの本に執着する自身を眺めることができた。
 私はきれぎれの夢の中で、それまで忘れていたたくさんの人々に出会うことができた。そして、私はやがて自分の中にもう一人の自分が棲んでいるのに気付いた。
 内なる「子ども」との対話は、私の生活を一変させた。それまで見過ごしてきた水溜りに映る影やビルの谷間をわたる風の音が、私には何ものにもかえがたいファンタジー(喜び)となった。
 私は、私の内にある四歳の私、七歳の私、九歳の私を大切にしたいと思った。そういうわけで、私は私の人生の後半を「子ども」と「子どもの本」に没頭する決心をした。
 本書は、私が「子ども」と出会うまでの道筋を土台にしている。しかし、その道は容易ではなかった。児童文学とは何か、子どもとはどういう存在か、書く行為は何を意味するのか?――私は今なおとまどい、迷い、悩んでいる。この道はおそらく尽きることはないだろう。
 だが私は、たくさんの先達の方々、同期たちに恵まれている。私と同じように真剣に悩み、考えている若い人たちに囲まれている。とりわけ、私の内にあって私を凝視している「子ども」たちに支えられている。このことは、C・S・ルイスが「法外な祝福」と名付けたJOYにも匹敵する喜びである。
 私は昭和四三年より児童文学同人誌<一〇一ばんめの星>をつづけてきた。昭和五十年には<きっどなっぷ>と誌名を改めた。また、この同人誌の日常活動の一つとして「フライデイ・サークル」という読書研究会を隔週に一回つづけてきた。私の非力な創作・研究活動を支えてくれた基盤はここをおいて他にない。
 私たちは私たちの同人誌を発刊する意義を次のように定めた。

  われわれの雑誌は、子どもの本の創造と研究を二本の柱にしている。いずれも、子どもの本は<子どもが読む>ものであることを土台においている。この<読む>ということは、子ども独自の感覚や想像力やほかの能力を、作者が作りだしたパターンに応じて働かせることである。この観点に立ち、われわれは二つのアヌ゜ローチを行なう。一つは、子ども像の把握と子どもの視点の追求であり、今一つは、前述した《パターン》そのものの解明である。この二つが、どのように融合されたとき、子どもを読者とする《文学》が成立するのか……

 この問いは、今もなお私たちを鋭く貫いている。本書はそれにきちんと応えていないかもしれない。私の未熟さは次の論へのステップとしてお許しいただければ幸いである。
 本書に収めた論のほとんどは、同人誌の仲間たちとのきびしい対話やはげしい論争の中から生まれたといっても過言ではない。この場を借りて同人諸氏に改めて感謝の意を表したい。
 この論集は、長谷川集平氏の装幀によって立派に装うことができた。快く転載の許可を与えて下さった各出版社の方々、また適切な助言をいただいた五柳書院の小川康彦氏に、心からお礼申し上げる次第である。
  昭和五九年十一月十日                  松田司郎

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