『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

  12 川遊び ── 「領域」としての子ども


 私が電車に乗りだしたのはひょんなことからだった。目覚めの悪い朝決まって見る夢が、薄闇のトンネルの中を真っ黒な列車に乗って運ばれて(、、、、)いく(、、)光景だった。窓から身を乗り出した私の目の向こうに、細長い形をした銀灰色の幕のようなものが広がってくる。それが何を意味しているのか長い間私にはわからなかった。それが幼年時代を過した村を流れる川だと知ったとき、私は毎朝乗る通勤電車に背を向けて、町を離れる列車に乗った。放心したように座席に身を任せていると、やがて夢の中で運ばれていく快い感じが背に貼りついてきた。それは仰向けのまま顔だけ出して流れに運ばれていく子どものときの川遊びの感覚だった。
 私はいろんな電車に乗ってみた。電車によって窓外の景色も車内の形も色も匂いも、揺れ方、軋む音とリズムもみんな違った。あの感覚も、いつでも湧き上がってくるというわけにはいかなかった。仕事に疲れたり、人を怨んだり、列車の終着を気にしていたりすると、ただ窓外に映る家並や山河を見て過ぎてしまうことが多かった。それに、電車に乗ると私は切符を買わねばならなかった。もとより電車に乗って運ばれていくという以外あてのない行為である。次第に私は苛立ち、焦り、怒りっぽくなってくるのを覚えた。
 しかし、あるとき私は行く先を告げぬともよい電車を見つけた。それは大きな輪になってぐるぐると町を回っていた。終着を明示した切符を買わぬともよかったし、いつまで乗っていても誰に咎められる気遣いもなかった。そうして私は、毎晩その電車に乗るようになった。会社を五時に出ると、パンとミルクを買って乗りこんだ。一周四十分の環状線を何度も何度も回った。川遊びの感覚は、薄められてはいるがそれだけ確かなものとして私の背に貼りついた。
 運ばれていきながら、私は本を読み、原稿を書き、思索に耽り、たくさんの夢を見た。勤めから開放された人々の腐魚のような視線も不思議そうに私の手元を覗きにくる幼児の傲慢さも気にならなかった。帰宅すれば宮仕えの疲れをビールの泡に押し込んでいるうちにだらしなく眠りこけてしまうが、そのような後悔や淋しさを味わうこともなかった。電車は、川遊びに耽っている五歳の私との共有空間であり、自分だけの時間を言葉や心象に変えて楽しむ秘密の《書斎》のようなものであった。
 一九八二年の前半、私は書いては消し、消しては書いた。動き出さないキャラクターに歯軋りし、結末に一人で酔い、振りだしに戻り、無意味と徒労を数年も繰り返していることを自分に納得させ、少し泣いた。そして、未完の自作のための血となり肉となると信じる気持ちに翳りの見えだしたのを承知しつつ、やはり本の中に戻った。『幻獣辞典』(ボルヘス)、『チラム・バラムの予言』(クレジオ)、『チョンタルの詩』(メキシコ・インディオ古謡)、『魔法』(セグリマン)、『新大陸文化誌』(アコスタ)、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(ラス・カサス)、『ペルー征服』(プレスコット)、『南アメリカ』(ベイツ)、『奥アマゾン探検記』(向一陽)──中でも出色は、人類学者のアレンズが、人間(文明)の心に潜む逆信仰願望を通してカニバリズムを洞察した『人喰いの神話』(岩波書店、一九八二年八月)だった。
 勤めを離れて児童文学を読むのは、もう正直なところ苦痛になっていた。月一回の報告会議で三名のスタッフが、二十の同人誌と十の文芸誌、十冊近い新作を手分けして読まねばならない。大手K書店児童書売場に勤める友人からの年賀状の中で「読んでもなんの興もない本がふえてしょげています。その中で長編の復刊ものが続々とふえ、何かこの世界のゆきづまりを感じます」
という言葉を見るにつけても、職業編集者の責任を感じる前に、文学(、、)から離れたところで子どもの本が捉えられている現状に諦めに似た嘆息を吐くのが精一杯だ。
 しかしまあ、電車に乗ってしまえばこちらのものだ。半周ほどもぼんやりと窓外を眺めていれば、私の背に川遊びの感覚が貼りつき、幸福な気分に浸れる。
 走り続ける電車というものは不思議なものだ。窓を隔ててこちらの世界(時間)とあちらの世界(時間)を引き裂く。車内では変化のない時間が、窓外では電車の進行に合わせて目まぐるしく移り変わり変化している。映画にもなったギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』の中で繰り返し市電に乗ったオスカル少年が描かれるのは、二つの矛盾した夢によって切り裂かれている人間の、とりわけ子どもという存在の真理を表しているからだろう。
 子どもは、「いつまでも子どものままでいたい」という回帰願望(不変性)と「一刻も早く成熟したい」(変化性)という成長願望の間で不安定に揺れている。「子どもとは死にいたる病いそのものである」と言ったのは『走れナフタリン少年』を書いた川本三郎であるが、子どもにとって成熟というのは歓びであると同時に汚れ(死)にいたる脅迫観念でもある。それは、いつまでも遊んでいたいために成長を拒否したバリの『ピーター・パン』や三歳の誕生日に大人にならないことを選んだ『ブリキの太鼓』のオスカルや、木から下りることを忌避したカルヴィーノの『木のぼり男爵』のコジモ少年、あるいはミルンの自伝『ぼくたちは幸福だった』の少年(、、)たち(、、)と語り合えば頷けることである。
 人間にとって《時間》ほど不可解かつ最大のディレンマはない。この問題を子供にとって避けることのできない成長(別れ)と抑止(出会い)に突き合わせて結晶させたものにピアスの『トムは真夜中の庭で』がある。トム少年が、自分を追い越してずんずん成長していく少女ハティに手をとられて、イノセンスの象徴としての庭園を出て凍りついた川をスケートで下る場面があるが、自らの意志とは言い難い流れに身を任せるこの旅は、私の背中に貼りついた運ばれていく川遊びの感覚に似た快さがある。汚れ(死)へ向かって一直線に進行するクロノスの時間も、トムとハティのように内なる自己の時間を重ね合わせれば、バシュラールが詩的瞬間(注1)と名付けたカイロスの垂直時間の只中に不変に漂うことができるのだ。
 私は本論の主旨から少し離れすぎたかもしれない。しかし、大人にとって子どもとはどういう存在なのか、同時に子どもにとって大人とはどういう存在なのかは、私たちが人間である限り避けることのできない命題である。拙著『現代児童文学の世界』(毎日新聞社)もこれに答えようと意図したものであった。大袈裟に言えば、児童文学という本質を極める唯一の鍵であり、八〇年代後半の最大の論点となるのではなかろうか。
 川本は、前述した評論集『走れナフタリン少年』の中で、大人向けに書かれた文学でありながら主人公が少年であるという不思議な小説群を通して子どもという存在を鋭く告発し、人間の根源的な本質に迫ろうとした。彼は「少年の文学とは、少年という大人からは未完成で未熟な存在とみられているマイナス存在を逆にプラスと考えることで、通常の思考やイマジネーションを変形(、、)、解放させる文学である」と明言した。ここでいうプラス要因とは、ブレイクに代表される一八世紀末のロマン派詩人たちが讃えたイノセンス(無垢)でも、スミス(注2)やアザール(注3)が手放しで拠り所にしたイマジネーション信仰でもない。バシュラールが指摘した如く「知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える」(注4)能力であり、これこそが想像する力であるという。川本は、子どもを「成長」とか「成熟」とかいった神話から脱落させ、子どもの持つ歪形する能力こそが既存の世界を変革させ、文化という蟻地獄に落ちこんだ現代人に対峙できるものだとした。
 子どもをトリック・スター(心理学における影に対して逆接的な性質を持つ一種のいたずらもの)と呼び、フリーク(奇形者)であるとする川本の論調には、子どもに対する畏怖と憧憬がこめられているようだ。昨年末に出された文芸雑誌『海』の臨時増刊は<子どもの宇宙>と銘打ち、創作十一点(児童文学界では今江祥智氏のみ)と熱のこもった対談や論を展開させた。
 大江健三郎と山口昌男の対談「原理としての子ども」の中で興味深かったのは、子どもを異文化として捉える視点(これは既に本田和子氏らが指摘している(注5)が)に立ち、成長という連続性でつなぎとめられない存在として対峙していこうとする姿勢である。

 受信者としての子どもを深く考えることは、やはり宇宙をどう感受するかということと結びついていく。子どもを媒介にして発信していく。それから子どもが発信する代わりに発信する。そういうことを文学はやっている。

 ぼくにはブレイクのイノセンス信仰みたいなものがあると断言する大江には、『芽むしり仔撃ち』の「僕」の「弟」のように、水や火や泥に対して抱く宇宙の始源的イメージ、幼児のコスモロジカルな身体感覚を表した作品がある。「子どもの世界こそ人間意識の深層の構造が表面化する第三の領域である」そして「子どもというのは我々が馴染んだ状態でない異物としての人間に到達するための手段の一つとしてある」という山口昌男を含めて、ここでは「大人は子どもの心を理解しなければならない」という児童文学的楽観(川本の言葉)(注6)は、何ら効力を持たされていない。
 七〇年代の繁栄と混迷を引きずり、曲り角にきていると言われつつ年間三千点近い(注7)新刊を生産し続ける児童文学は、八〇年代の後半へ向けて一体何処へゆくのだろう。「児童文学がなぜ今まで一般に受け入れられなかったかといえば、児童文学が文学(、、)か否かというごく基本的なことがはっきりしていないから」(注8)であると言ったのは森晴雄である。「文学を大人のための文学と子どものための文学に分類することは憂慮すべき兆候だ」(注9)と言ったのはミヒャエル・エンデである。古くて新しい問題ではあるが、八〇年代後半は古田足日の命名である「国境地帯の児童文学」(注10)が質量的にも充実すると予言者めいたことをでっち上げてみたくもなる。
 大人たちに、閉塞された現実を突破しようというエネルギーが残されており、すぐ目の前にいる異文化としての子どもの存在に気づくなら、これからの文化、そして文学が<子ども>を抜きにしては考えられないのは自明の理である。既に文芸誌『飛ぶ教室』などのトータルな視点、河合隼雄、本田和子などによる心理学からのアプローチ、作品としては、神沢利子の『銀のほのおの国』の神話エネルギーへの接近、天沢退二郎の『光車よ、まわれ』から『魔の沼』に至るコスモロジカルな世界、灰谷健次郎の『太陽の子』の子どもの捉え方などにその芽は見られるが、八二年は内外の多くのファンタジーにおいて現実を乗り越えようとする鋭い問題提起がなされた。
 上野瞭『ひげよ、さらば』、天沢退二郎『魔の沼』、わたりむつこ『よみがえる魔法の物語』、立原えりか『月と星の首飾り』、斎藤惇夫『ガンバとカワウソの冒険』、ライトソン『星に叫ぶ岩ナルガン』、クーパー『闇の戦い』(全四巻の完訳)、エンデ『はてしない物語』、トーキン『シルマリルの物語』、ディキンソン『青い鷹』、ゴードン『雪の下の巨人』。
 八〇年代に入って、ファンタジーが現実を映しとる有効な表現方法であることが一層強く見直されたのには、裏付けがあると思える。
 乱暴ではあるが巨視的に大戦後の歴史をふり返ると、科学文明は人類の絶対的信頼に応えてめざましい発展を遂げ、人口は都市に集中し、過疎化によって残された自然は大企業の進出開発によって無惨に破壊されていった。科学が自然を整備し、理性が感性を抑えて、合理的な便利さを志向した生活環境を発展させたのである。人間が人間の暮らしにとって便利なように発展させた科学のために暮らしを変えていくとき、人間は気づかぬうちに母なる<自然>を少しずつ破壊してしまった。死(、)を再生させる力を持つ自然は、人間だけのものではなく生命あるものすべての太母であり、生と死を分け合っている緊張と調和の世界である。驚きと可能性とぞくぞくするようなスリルでいっぱいの世界である。その世界を人間が汚してしまったのだ。ボストンが「互いの頭脳をつつきながら寂しく生きている」(注11)と指摘した電子人間から私たちはどのように蘇生し、現実を突破すればいいのか。
 『ふくろう模様の皿』で著名なガーナーは、理性と科学の時代によって自らを物質(体)と精神(心)の二つに引き裂かれる前に、子ども時代を過したチェシャー州の新石器時代の古墳の上に建つ電気も水道もない古い石の館に逃げこんでしまった。彼がこうしたのは、人間が生まれながらにして授けられた《根っこ》(注12)を大切にしたいと思ったからに他ならない。それは、子ども時代にこそ確かめられ、使用され、育まれるべきものであるにもかかわらず、主知(、、)教育によって無惨にも破壊されてしまう。
 人間の心の中は意識の層とその何倍もの領域を持つ無意識の層の二つから成り立っている。無意識の深層には、人間が誕生し、生活を営み始めた人類の黎明期から生命の中に受け継がれてきたものがつまっている。心理学者のユングはそれらを《元型》と呼び、人種や場所や時代を越えて広く人類一般に共通なものであると説いた。この元型、あるいはガーナーが根っこと呼び、エンプソンが「主(おお)根(ね)」(注13)と言ったものは、心的エネルギーにのせられて無意識の層を浮かび上がり、意識の層へ照射されてくる。絶えず意識の世界に働きかけて、私たちの回りにある外界の具体的な事物と響き合ってさまざまなイメージを歪形し、組みかえ、創りだす。私たちは決して自我(意識)の世界だけで生きているのではなく、互いの層を行き来(退行 ← → 進行)しながら自己(全体)を保っている。
 ユング研究所で学んだ河合隼雄は『昔話の深層』の中で「人間の心に意識というものができて以来、それを磨きあげることによって人類の文明は進歩してきた。しかし構築された意識が無意識の土壌からあまりにも切り離されたものとなるとき、それは生命力を失ったものとなる。(中略)われわれにとって必要なことは意識の世界から無意識の世界へと還り、その間に望ましい関係を作りあげることではないだろうか」と述べた。それはガーナーが『ゴムラスの月』で実証しようとしたことであり、八二年代の作品でいえば、より現実との関連性を深め、生きる意味を鋭く問うたものとして『闇の戦い』と『はてしない物語』があった。
『闇の戦い』の主人公ウィルは、千里眼を持つといわれる七男坊の父から生まれた七男坊である。十一歳になる冬至の日に「闇」と戦う「光」の古老の一人であることを知らされ、六つのしるしを探す冒険にのりだす。

  闇の寄せ手が攻め来る時
  六たりの者 これを押し返す
  輪より三たり 道より三たり
  木 青銅 鉄 火 水 石
  五たりは戻る 進むはひとり

 この作品に流れている思想は「光」と「闇」との相剋と調和であり、勧善懲悪的な痛快アクションではない。「闇」を押し返した後でも、ウィル少年の心はなお苦渋に満ちており、「宇宙を司る上なる魔法の無限の力」の前にかろうじて立っているようにさえ見える。しかし、読み手は生きている意味と重さを確実に感受させられる。いま(、、)ここにいる人や場所や時間というもの(意識界)が、異質な時間としてのアブレッド(混沌として渦巻く無意識界)に支えられて重層的な構造を背負って存在していることを知らされる。「精神的に不安定であることは極めて健康的でかつまた極めて生産的な人間のありかた」(注14)だと言ったのはガーナーだが、人間の心の世界は不安定なカオスそのものであり、だからこそ心的エネルギーの振幅に合わせて、外なる世界の形象と響き合い、遊び合い、イメージを変革することができるのだ。
 人間の内面世界というものにスポットをあて、想像力が人間にとってどういう意味を持っているのかを、読み手が「本」の中に入っていくという不思議な冒険物語に編みこんだものとして『はてしない物語』がある。十歳の少年バスチアンは古本屋で見つけたあかがね色の表紙の本を読んでいた。本の中に登場するファンタージエン国は正体不明の「虚無」に犯され滅亡寸前になっていた。不思議な統治者である女王幼ごころの君は、アトレーユという少年に国を救うてだてを委ねる。アウリンというお守りを授かった少年は、歌う木の国を通り、巨大な沼亀太古の媼モーラに、幼ごころの君には新しい名前がいることを知らされる。冒険の後、アトレーユは南のお告げ所のウユララに、ファンタージエンの彼方にある「外国(とつくに)」から人の子が来て幼ごころの君に新しい名前を差し上げなければならないと教えられる。物語は、呼びかけに応えて心の内に浮かんだ名前で「モンデンキント(月の子)、今ゆきます」と叫んだとたんに、バスチアンが本の中に吸いこまれ、この国の滅亡と再生を体験することになる。
 読み手が本の中に入っていくという発想は特に目新しいともいえないが、読み進むにつれてファンタージエン国はバスチアンの想像力の中にのみ存続可能な国であることが解き明かされる。バリがネバーランドと名付けた心の国と同様に、それは決して現実と無縁ではなく、子どもっぽい(、、、、、、)幻想の世界でもないのを読み手は知らされる。
 バスチアンは望みを叶えられる代わりに、現実との記憶を一つずつ失っていく。心の調和を失った人間は、目に見えないものを見る意志も願望も放棄し、形に現れる最も身近な欲望に身を委ね、自らを慰めようとする。富、名声、支配、勝利などに対する獲得欲はそれ自体非人間的なものではない。しかしそれらが金銭とか土地や金、地位や肉欲といったものに代用されるとき、私たちはたとえそれらが得られたときでも、そのことによる満足感が持続しないものであるのを知る。バスチアンが「元帝王たちの都」から脱出し、「生命の水」を手に入れて現実世界へ戻ってくることができたのが、自己と他者との目に見えない《絆》であったのは暗示的である。
 しかし、この作品は、作者の内なるテーマ(主張)を成就させるに性急なあまり、想像力によって生みだされた世界で、読者が存分に遊ぶだけの<均衡>がとれていなかったと思う。つまり、目で触れ、手でさわることのできる確かさ(存在感)が薄れてしまっていた。それは、「ファンタジー」を楽しむ読者の一人としては、とても残念なことだった。

   私は、われわれが生きてゆく上に根本的必要なのはポエジーだと思うのです。(略)なぜならば、ポエジーこそ人間が世界の中で自己を、また自己の中で世界を体験し再認識することのできる創造力でなくて何でありましょうか? すべてのポエジーはその本質において、「擬人観的(人間の眼でものを見る)」であります。(中略)正にその故にすべてのポエジーは、幼な心(das Kindliche)につながっております。私は、ポエジーは、人間の内における永遠に幼きもの(das Ewig-Kindliche)だといいたいのです。(注15)


 エンデは二つのことを攻撃する。一つは、子どもを大人から切り離し、彼らの独自の世界、独自の文学を創ってやろうとする進歩的で愛情深い大人たちの考え方である。彼は人間の経験することで子どもが原則的に関心を持たない、あるいはわからないテーマはないと断言する。いま一つは、それ自身から価値を生みだすことに無能である「主知主義」である。理性と科学によって封印された人間の精神(心)を解放させること、つまり新しいわれわれにふさわしい方法で人間を再びこの世界に安住し得るものにすることの緊急さを説く。
 トーキンが「曇りのない視野をとりもど」(注16)し、老いの倦怠から「回復」(注17)させるためにファンタジー(準創造)を掲げたのに対し、エンデはポエジー(受信機)を主張した。いずれも「根っ子」や「主根」や「元型」から発せられる無意識の呼び声に感応して存在するものである。そして、川本のフリーク(イメージを歪形し新しいイメージを創りだす力)、大江の宇宙からの受信者、山口のカーニバル(限界を知らないエネルギー)と同義語と考えて差しつかえないのではなかろうか。
 そしてこうして電車に身を委ねて運ばれていく私の背に貼りついた川遊びの感覚も、ポエジーに属するものといえるかもしれない。
 ──T町! T町! 今夜私は何度この駅名を耳にしたことだろう。疲れ以外の何者も喚起させない勤め先のある駅名でありながら、川の中から首だけ出して聞いていると、「Tちゃー、Tちゃー」と語尾を伸ばして呼び合った幼な馴染みの名のようであり、妙に快く響いてくる。ポエジー(幼ごころ)というものは、時として人を三十歳も若返らせるもののようである。


注1 掛下栄一郎訳『瞬間と持続』紀伊國屋書店。
注2 L・H・スミス(一八八七〜一九八二)。カナダに生まれ、トロント市の公共図書館の初代少年少女部の部長に就任、『児童文学論』(石井桃子ほか訳、福音館書店)は後世の人々に多大の影響を与えた。
注3  ポール・アザール(一八七八〜一九四四)フランスの文学史家、『フランス文学史』を著わした。児童文学にも関心を寄せ、『本・子ども・大人』(矢崎源九郎ほか訳、紀伊國屋書店)を刊行し、好評を得た。
注4  宇佐見英治訳『空と夢』法政大学出版局。
注5  本田和子『異文化としての子ども』紀伊國屋書店。
注6  『走れナフタリン少年』北宋社。
注7  『出版指標年鑑一九八二』全協・出版科学研究所によると、一九八二年度の児童書新刊点数は二七一三点である。
注8  「児童文学の現在」『国文学─解釈と鑑賞』第四七巻二号(至文堂)収録。
注9 、15 上田真而子訳「児童文学をこえて」『海』臨時増刊「子どもの宇宙」(中央公論社)収録。
注10 『季刊児童文学批評』四、五号(児童文学批評の会)収録。
注11 亀井俊介訳『グリーン・ノウのお客さま』評論社。
注12、14 武田・菅原共訳「神話の沈黙(しじま)のなかから」『子どもの館』一九七三年九月号(福音館書店)収録。
注13 ピーター・カヴニー 江河徹訳『子どものイメージ』(紀伊國屋書店)の中で触れられて
いる。
注16、17 猪熊葉子訳『ファンタジーの世界』福音館書店。