『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

9 同人雑誌運動論


      1

  ぼくはまず、船にふさわしい旗を用意してもらいたいと思う。船のかたちや装備に心を砕くまえに、自分たちがなにをめざす集団であるか、その児童文学の理念をあらわす旗を作ってほしい。(注1傍点筆者)と、同人雑誌を船に見立てていったのは小暮正夫であるが、今日の同人雑誌運動、ひいては児童文学運動の根本的欠陥を指摘していておもしろい。今日の―といったが、では過去には児童文学の理念(イデー)はあったのだろうか。
 理念、つまり原理は、厳密に考えると、今にいたっても打ち立てられていない。だが、それに近いものとしては、鳥越信、古田足日等早大童話会による「少年少女の旗の下に」('53)という主張や石井桃子他著の『子どもと文学』('60、中央公論)の理論がある。前者は子ども(読者)と密接に結びつく文学理念をともなっていなかったこと、そして後者は技術主義に陥りやすい欠陥をもっていたことなどが批判されているが、児童文学本質解明への有効なてがかりであったのは明らかである。(注2)
 さて、同人雑誌運動が量的にはますます盛況をおびてくる反面(最近の同人雑誌のあいつぐ創刊には目をみはるものがある)、今だに既成の児童文学を打ち破り、子ども世界の可能性を無限に広げていく作品を生み出しえないのは、ひとえにこの〈児童文学理念〉のなさと思える。だが、同人雑誌運動の内面に、このような原理・理念づくりを疎外している状況が存在することをまず率直にみとめなければならない。それは、「なぜ児童文学を書くのか」という問題に先行して、いつでも「どうしたらうまく書けるか」の問題が同人総体に重くのしかかっているからだと思える。
 だが、作品をはじめて書くものにとって、しょせん自己満足であれ、うまい作品を書くということは何ものにもかえがたい魅力である。同人誌に参加する初期の段階において、なりふりかまわず書く時期が存在することを否定はしない。それはむしろ避けようのない経験とも思えるが、こういう時期を消化し、はじめて「児童文学を書くということは何なのか」の壁につき当たったとき、ほとんどの同人が問題解決の重さに首をうなだれ、技術主義やテーマ主義や芸術性や叙情性や子どもの論理といったものに安易に回れ右をするのは悲しい事実である。
 今、私たち同人雑誌運動の中にいるものにとって最も必要なことは、回れ右しないで、「なぜ児童文学を書くのか」という絶壁にまっこうから体当たりし、それを乗りこえる〈児童文学の理念〉という階段を一段一段築き上げることである。これはもちろん、同人雑誌運動の宿命のみならず、児童文学全体の命題である。
 それにしても、児童文学批評や評論の仕事の重大性が力説される反面、批評する側にも、される側にも、また児童文学に関心をもつ人たちの中にも、批評や評論を一種のとまどいをもって無意識に疎外している要素が存在するのは、どうしたことだろう。これには、批評・評論の立ち遅れと相ともなって、いろいろな原因が考えられるが、たとえば『月間絵本』(すばる書房盛光社)創刊号で松居直がのべた、「あえてにくまれ口をたたくなら、今私にとって欲しいのは、百の評論家よりもひとりの作家です」という意味深長なコトバから想起される批評・評論への不信が根強くあるのも事実だろう。松居の職業編集者としての願望は十分理解できるが、危惧されるのは、批評と創作は二本の平行線であり、互いに寄与し、交わり合う面をなんらもたないとする考えであり、これは同人雑誌運動にとって最大のがんであるだろう。
 私事になるが、私も『一〇一ばんめの星』という同人雑誌を七年間やってきた。(注3)同人雑誌運動にとって、理論(批評)と実践(創作方法と作品)の両輪がいかに大切かということは、同人総体としてようやく浸透してきたと思えるが、正直いってここ数年はその両輪をスムーズに走らすレールづくりに悪戦苦闘している状態といって過言でない。私たちの同人は比較的若い世代の集まりであり、"新しい児童文学の創造"を旗じるしとしてきたが、恥ずかしながらそれを裏付ける具体的な理論をともなったイデーを今だにもちえていない。
 ぶざまな苦悩の象徴として、私たちは『一〇一ばんめの星11号』('73・12)で「混迷の中からの再出発」と題して、「児童文学とは、児童文学同人雑誌とは何か」という命題についての討論を一挙に掲載した。それは、「出発点を確かめあって、児童文学という同人誌ベースを確立したい」という熱っぽい願いによってなされた討論であったが、読者からの反応は手酷しいくらい否定的であった。
「同人雑誌というものは作品をのせるものでしょう。作品でもって変革していくしかないでしょう。会の内部問題は出さないほうがいいですよ」
 私は児童文学関係の方からのこのような感想をニコニコして聞きながら、理論(批評)と実践(創作)のあいだに横たわる距離をはるかに遠いものとしている、目に見えない力に恐れを抱いた。だが、もちろんこうもいえるだろう。理念確立のための批評活動は作品の底に沈殿されるべきものなのだと―。仮にそうだとしたら、同人雑誌運動は他の運動体、ひいては児童文学全体に対して、なんら関与すべきものではないではないか。
 だが、苦しいことに同時に運動体の内部にもアキレス腱を抱えこんでいる。つまり、「えらそうなことをいうのなら、作品を一つでも書いてみろ」という発想である。たしかに作品を書くことほどむつかしいことはないが、裏を返せばこれほどたやすい作業もない。ただ、私たちは《児童文学》を創造する同人雑誌に参加しているのである。児童文学を書くためには、なぜそれを選び、それが何なのかを執拗なくらいまで追求する姿勢があって当然ではなかろうか。さて、同人雑誌運動にとってなくてはならないのは〈児童文学の理念〉であるが、現状は「なぜ児童文学を書くのか」という問題に先行して、いつでも「どうしたらうまく書けるか」の問題が重くのしかかっているといってきたが、では運動体としてこの現状をどのように打破すべきなのか―。
 そのためには、大ざっぱに分けて、二つのアプローチのしかたがあると思う。一つは、過去および現在の児童文学の理論と作品の再検討であり、もう一つは児童文学がもっている大きな特徴〈子どもが読者であるということ〉への研究・あくなき考察であろう。そして、これは当然だが、以上二つをきっちりと押えた上での運動体内部の〈理論と実践〉活動をくりかえし、それにより生まれ出てきた創作方法をさらに徹底して作品化し、合評しあうことである。
 古田足日が「近代童話の崩壊」(『日本文学』)を書いたのは一九五四年のことであるが、この中で彼は未明や広介という近代童話の本質を解明し、その伝統を批判し、否定した。これは児童文学の理念(本質)や創作方法の具体的提示にはいたらなかったが、やがて実践(作品化)となって花を開いた。山中恒の「赤毛のポチ」('60注4)、さとうさとるの「だれも知らない小さな国」('59注5)、いぬいとみこの「木かげの家の小人たち」('59『中央公論』)がそれらの代表であり、一九六〇年前後に発表されたことから、六〇年代(初期)児童文学というふうにくくられ、これらを現代児童文学の出発点として位置づけているのが大方の見解である。
 では、六〇年代児童文学というものは何であったのか。どういう理念をもとうとし、その思想や創作方法はどうであったのか―、これが七〇年代後半に生きるぼくたちに課された問題である。そして、その延長線上にはもちろん、それがどのように受けつがれて今日にいたっているか、今日の児童文学がかかえこんでいる問題とは何なのか、の解明が横たわっている。

ところで、同人雑誌が内包する問題は、その時代の文学をとりまく状況をかなり的確に反映しているものであるといってもいいだろう。いまのわたしにとって、この同人雑誌の問題を考えるということは、現代の児童文学が当面しているもっともアクチュアルな問題を考えるということを意味する。(注6)

と横山輝がいったのはもう十三年も前のことであるが、今日子ども(読者)にとってアクチュアルな問題とは何なのか―。私たちは過去及び現在の児童文学の理論と作品を酷しく検討し、修正し、否定する作業をくりかえすことにより、広い視野に立って現代の状況をふくみこみ、かつ乗りこえていく新しい児童文学の理念を早急に築き上げねばならない。
 さて、私なりの検討や批判をのせるのがこの論の目的ではないので割愛させていただくが、最近目についたものの中で、「ぼくは児童文学の現状をどのように見、どう向かいあおうとしているのか」(注7)の中の古田足日発言、「座談会、現代の日本児童文学と外国児童文学」(注8)の中の後藤竜二発言がとくに印象に残った。古田は「(前略)六〇年代初期児童文学像を基礎に、そのイメージをもっとあきらかにすることと、以上三点、思想・創作方法・子どもの追求、これをやっていくことで現状を突破したいとぼくは思っています」といい、後藤は「ぼくは六〇年代の児童文学が、そろそろ総括されなければならない時期にきているんじゃないかというふうに考えています」といい、"子どもの論理"と"新童心主義"の二つの問題を提起している。つまり、通俗化した"子どもの論理"は子どもたちがすでに獲得している認識、価値の中に児童文学というものを、逆に閉じ込めてしまったこと、"新童心主義"といったものが、子どもに背をむけて、文学性イコール叙情性というところに安直に戻ってしまったという点を指摘している。
 これらは、これからの児童文学の理念の確立のためには避けて通れない鋭い問題提起であり、少なくても同人雑誌運動にたずさわって、既存の価値の上に立つものを打破しようと意図するものにとっては、執拗に論議し、問いつづけねばならない方向の一つである。
 さて、あと一つのアプローチは児童文学の特質への研究・考察であるが、これはいいかえれば「なぜ児童文学を書くのか」という古くて新しい命題そのものである。くりかえすようだが、私はまずうまい作品を書きたいという創作への欲望が存在することを否定するつもりはない。書きはじめる動機がいかなるものにせよ、自己的視野に立った作品化へのなりふりかまわない情熱が、初期の同人雑誌運動の底辺を支えているのは皮肉な事実である。問題は、どのような道筋をたどろうと、「なぜ児童文学を書くのか」という命題が、書けば書くほどブーメランのようにくりかえし創作者の前方に壁となって屹立する酷しさを認めなければならないことである。
 実にさまざまなコトバが語られた。「自分の内なる子どもに語りかける」「人間本来もっている根源的な美しさ、原形としてのエネルギーに形を与える」「子どもの論理に立ってかく」「子どもの涙は決して大人の涙より軽くはない」「子どもの中に眠っている人間の可能性、自由への願望を広げ、実現さす」「子どもの代弁者になる」「大人の責任をはたす」「子どもといっしょになって、どろまみれ汗まみれになって書く」などなど・・・・・。
 どれをとっても、問題はここから児童文学理念をどのように引き出し、それを創作方法へどう結びつけるかである。そうでなければ、これらは「なぜ」に対する実作者への動機作り、インタビューへの解答にはなりえていても、ここからは大人が書いて子どもが読むという児童文学の特質を包括する論理の具体性はまだ出てこない。あえていうならば、〈書き手→読み手〉という従来の枠から抜けだす発想は感じられない。「すぐれた児童文学作品は子どもにも大人にも感銘を与える」という文学・芸術の広がり、深さを無視することはできないが、「子どもにより深い共鳴・感動を与える」ものこそがすぐれた児童文学作品であり、それは同時に子どもにとって深い文学性をもつことになるはずではなかろうか。こう思うにつけても、たとえば〈子ども読書論〉ひとつとり上げてみても、研究・考察の立ち遅れを痛感しないではいられない。児童文学を創作するものにとって、これからの課題は"子ども読者の受動的創造"の場を作品にどうとり入れるのかにしぼってもよいのではなかろうか。そのためには、過去にぷっつりと切り捨ててきた大衆児童文学のことを今一度執拗に検討しなければならないし、さらに"子どもの論理"を子ども存在のせまい枠内に閉じこめるのではなく、子どもの「生」に否応なしに関わる大人、ひいては人間全体の世界の広がりにおいて、子ども・大人両者につきつけることによって、子どもの可能性を開いていかなければならないのではなかろうか。
 さて、同人雑誌運動にとって今一番必要なのは、〈児童文学の理念〉の確立であるといい、そのためには一つは、過去及び現在の児童文学の理論と作品の再検討であり、もうひとつは児童文学がもっている特質への研究・考察であるとのべてきたわけであるが、くりかえすなら、同人雑誌運動のむつかしさはこれら二つのアプローチが問題解決をなしえたとしても、そののちにこれら二つの解答を結ぶ理念と理論の上に立った創作方法を獲得し、思想性のともなった具体的な作品を生みださなければならないという不可避な宿命ゆえに、なお酷しい試練を背負わされているということができるだろう。
 だが、同人雑誌運動は本当にこうまで苦渋と辛酸に満ちたものであろうか。否、新しい児童文学作品の創造というものは、それが内に閉ざされたものではなく、子どもが本来もっている無限の自由さ、可能性というものとくみ合わされ、広がっていくことを自ら意識しはじめたとき、なにものにもかえがたい喜びとなることを忘れてはならない。


      2

 正直いって、私は理想的な同人誌、あるいは同人誌活動というものがどういうものか、未だに分らない。長い間私は同人誌にしか作品を発表する場をもたなかったが、だからといって私の創作行為が同人雑誌運動と密着していたかと問われれば、首をかしげざるをえない。私は、同人誌があるから作品を書きつづけてきたとは思いたくない。
 私たちは七年間にわたる『一〇一ばんめの星』(16号で終刊)を終えて、昭和五一年に旧メンバーの一部に新メンバーを加えて、新しい同人誌『きっどなっぷ』を起こした。同時に雑誌の根幹をなす考え方をがらりと変えた。外質としては、日常的活動と雑誌発行を明確に切り離し、内質としては指標(後述する)を具体化した。私は、作品というものは、同人相互の日常的ふれあい(読書会、討論会、合評会、先輩の指導等)の中から、酒が醸造されるように時間さえかければ自然に生みだされてくるという奇妙な信仰をどうしても抱くことができない。仲間の励ましや締切日の存在が創作意欲と微妙にからみあっていることを否定するつもりはないが、作品創造というものはあくまでも個人のものであり、個人の生きることの積み重ねの延長線上にあるものだろう。もっと意地悪くいえば、書きたいから書くにすぎないものだろう。
 私は、児童文学同好会という名のもとにサークル内の小世界で互いに楽しみ合うのも、それなりの意義は感じるが、作品のむこうに同人以外の読者を意識するとしたら、私たちにはサロン的甘えを自らに許すことは断じてできない。とはいえ、こうしているうちにも電話や手紙で「どうしても作品が書きたいのです。あなたたちの同人誌に入れて、酷しく指導してください」といった意味のことを熱望してくる人たちがいる。私たちはお茶やお花のように児童文学の免状をもらってるわけでもないし、作品創造のハウツウ(良い方法)があったら私たちも教えてほしいものである。私たちはまだ自分に納得のいく作品を書いていないし、自分たちが書くことで精一杯で他人のことを考える余力も愛情もまったくない。だが、こういう考え方はあまりにも利己的であり、児童文学や文化の広がりにフタをするものであるとお叱りを受けそうである。
 『きっどなっぷ』を始めるにあたって、私たちはもちろんこのことも考えた。だから、日常的活動と雑誌発行(創作活動)を二つに切り離したのである。雑誌は年二回発行を目標とし、同人が作品を書き上げた時点で合評会をもつ。それとは別に誰でも参加してもらえるようにフライデイ・サークルという隔週一回の児童文学について語り合う会を設定した。現在この会はイギリス児童文学を読む会の第二期目に入っている。会員は三〇名前後で、二期は二年間でスコットに始まりダレルまで一九世紀から二〇世紀の四四名の作家の作品を読むことにしている。もちろん、この会員の中から雑誌への投稿は大歓迎で、同人合評によって新しい同人に加わっていただく人を持っている。
 私たちが十年の児童文学との関わりの中でみつけたものは、「児童文学は楽しいものである」ということに限られる。私たちは読者の一人として、まず児童文学を読むことを楽しみたい、そして作品創造をめざすものは、自らが楽しみ、そうすることによって読者を楽しませるものを書きたいということである。新しい同人誌『きっどなっぷ』(子ども誘拐)を起こすにあたって、旧同人誌になかった指標をかかげたのもそのためである。

われわれの雑誌は、子どもの本の創造と研究を二本の柱にしている。いずれも、子どもの本は〈子どもが読む〉ものであることを土台においている。この〈読む〉ということは、子どもが独自の感覚や想像力やほかの能力を、作者が作りだしたパターンに応じて働かせることである。この観点に立ち、われわれは二つのアプローチを行う。一つは、子ども像の把握と子どもの視点の追求であり、今一つは前述した《パターン》そのものの解明である。この二つがどのように融合されたとき、子どもを読者とする《文学》が成立するのか―われわれの課題はここにしかない。

 コトバにすれば気恥ずかしいが、要するに私たちは《子ども性》がもっている、楽しくて伸びやかな無限の可能性にどういう具体的な形を与えるか、それを作品創造の指標にしたいということである。
 まちがっても、作者主体(書きたい気持ち)を同人誌の幻想(慰めあい励ましあい)の中に埋没させてはならないし、読者=同人という魅力的な落とし穴にひっかかってはならないのである。


注1  「旗のない船」「日本児童文学」一九七一年二月号、盛光社。
注2  児童文学辞典(東京堂出版)によると、「少年文学宣言は、昭和二八年九月、早大童話会によってだされた宣言「少年文学の旗の下に」の略称である。その骨子は従来の童話精神によって立つ、メルヘン・生活童話・無国籍童話・少年少女物語を克服し、「近代の小説精神を中核とする少年文学の道を選ぶ」ということにあった。この宣言は内容的に未熟なものを含んでいたが、既成の児童文学に対する不信を端的に表明し、伝統批判のきっかけをつくるとともに論争をよんだ」(横山輝記)とある。のちに鳥越は、「内容的な未熟、未分化はまぬがれない」(『日本児童文学案内』一九六三)といい、古田は「論理の矛盾と不明確な表現に満ちたもの」(「ひとつの反省」一九五五年『小さい仲間』13号)といった。
『子どもと文学』(中央公論社、一九六〇)の「はじめに」は「世界の児童文学のなかで、日本の児童文学は、まったく独特、異質なものです。世界的な児童文学基準―子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすくということは、ここでは通用しません」と述べられている。菅忠道は『日本の児童文学1 総論』(大月書店、一九六七年改訂版)の中で、「この『子どもと文学』の全体を貫く論旨が(略)、たしかに日本の近代児童文学伝統の方法的欠陥をついてはいるが、作家作品の思想性が捨象されているということは、没歴史的な論理主義と無縁ではない」と述べた。
注3  創作と評論を二本柱とするこの雑誌は、昭和四四年に発足し、十六号(十七号から二〇号は会内発行)で区切りをつけ、昭和五一年に新しく誌名を『きっどなっぷ』と改め、昭和59年現在十号を迎えている。
注4  一九五三年七月〜五六年六月、同人誌『小さい仲間』に連載。
注5  一九五八年に書き上げ、五九年五月、私家版としてガリ刷り百部をつくる。
注6  「同人雑誌論」(「日本児童文学」一九六三年十二月号、日本児童文学者協会。
注7  『日本児童文学』一九七四年八月号、すばる書房盛光社。
注8  『日本児童文学』一九七五年五月号、すばる書房盛光社。
テキストファイル化菅野さち