じどうぶんがくひょうろん


1999/12/25

           
         
         
     
【絵本】
たものランド』(ジョーン・スタイナー まえざわあきえ訳 徳間書店1998/1999)
 数年前、ウォーリーだかなんだかを探せ、っていう絵本がこの国でも大ベストセラーになりました。私はその発想がせこいので好きではありませんでしたが、ま、売れている本は基本的にいい本だと考えているので、批判せずシカトだけしておきました。
 で、この絵本、タイトルからもすでに予想されるように、場面の中から何かを探すのがメインです。
 でも、ウォーリー(ウィーリーだったかしら?)は、探させる対象が、ほとんどナルシスティックに「ほらほら、ぼく、ここにいるよ! どうして見つけだせないのかなー」って言っていて、私は「別にお前なんか探したくねーよ」で、お仕舞いでしたが、これはそんなノリがないのがいいんですよ。
 あんまし書くと、ネタバレになるので、控えますが、例えば、ある部屋の見開きの絵。ちょっと見には何の違和感もない部屋の画面なんだけど、よくよく見るとソファーの背もたれがサイフであったりするんですね。つまり、この作品で作者が試みているのは、「間違い探し」や「隠れキャラ探し」などという、時間つぶしのお遊びではなく、私たちが今生きて享受しているテキスタル・デザインの相似の面白さ(ではなく、私は、近代批判だと思いますが)の提示なんですね。
 もちろん、ソーユー読み方されても作者は困るのでしょうが。

るのせんせい へびのかんごふさん』(穂高順也・文 荒井良二・絵 ビリケン出版 1999)
 これは、ふざけているといえば大変ふざけている物語。へびのかんごふさん、つまりはへびが、どんだけ役に立つかを書いてます(あ、マジじゃなく、もちろん冗談として)。いやはや、これなら確かに看護婦さん(役に立つ)。荒井良二の絵、いつものようにハネています。

ニのライルのクリスマス』(B・ウェーバー 小杉佐恵子・訳 大日本図書 1998/1999)
 時期物としてのクリスマス絵本というのは、毎年うんざりを通り越して、感心するほどアホらしいです。そこでは子ども読者なんか視野になく、ひたすら「クリスマス」というイベントの勢いで買ってくれる層へのアピローチ。
 ま、いいけどさ。
 で、これももちろん、タイトルから類推すれば、この国のその時期を狙った出版であることは、間違いないでしょう。

(絵本グリムの森 天沼春樹・訳 建石修志・絵 パロル舎 1999)
 天沼春樹によるグリム・シリーズの4巻目。
 今年は、なんだかドンデモ本のグリムが本当に怖くこの国で流布してしまったのですが、このシリーズはそんなことおかまいなく、天沼の訳語に毎回優れた絵師が絵を付けて、独自の「グリム」世界を展開しています。
 かなり癖が強いので、好き嫌いは別れるでしょうが、この本は、good!な出来です。

物会議』(エーリヒ・ケストナー ヴァルター・トリアー・絵 池田香代子・訳 岩波書店 1949/1999)
 たぶん説明は必要がないと思いますが、ケストナーのこの物語がオリジナルのまま、出版されました。
 改めて読み返してみると、いまでもこのメッセージは有効であることに、ケストナーの視線の確かさに感銘を受けるべきか、いまだにそうであるこの世界にうんざりするべきか、迷うところ。
 でも、フテてもしょうがない。
 ここは愚鈍に、このメッセージに改めて、YESとしておきましょう。

なのひと』(かみおか まなぶ 文化出版局 1999)
 帯に「きっと心に届く本」とあります。うーん、やだな、そーゆー言われ方。
 ある日、花びらの分だけ夢を叶えてあげると声がして、花はテレビを見たり、走ったり、いままでできなかったことをいっぱいする。そして、最後の一枚で、
 最後の絵、いいよ!
 


【創作】

ィーツィ・バット』(フランチェスカ・リア・ブロック 金原瑞人・小川美紀訳 東京創元社 1989/1999)
『ウィッチ・ベイビ』(フランチェスカ・リア・ブロック 金原瑞人・小川美紀訳 東京創元社 1991/1999)
 これ、全5巻の内の2巻。訳者の一人金原氏からのメールによると「このシリーズ、3巻はちょっとトーンダウン、4巻はまずまず、5巻がハードにしめくくってくれます。」とのことで、最後まで読まないと評価は難しいのですが、この2巻がとてもいいので、あえて、先走りに、ご紹介。
 舞台はハリウッド。クールな高校生の女の子ウィーツィ・バットはこっちもクールなダークって男の子と知り合い、悪さも含め色々と、いわゆる思春期のかっこいいモードを過ごす。この辺りは70年代のノリ。で、二人ができてしまうかといえば、さにあらず。ダークはゲイなんです。で、この二人、目的は同じ。いい男をゲットしよう!
 こうした友愛(あえて、古い言葉使ってますです)がいいんですね、実に。
 この物語、ナレーションがDJめいていて、もう、ハリウッドのストリートが全部わかってしまう気にさせます。
 それとすごいのは、この物語の尺、日本語訳でたった120ページ。とても短いのね。なのに、一杯出来事が詰まっている。
 「いい男」探しに奔走する二人。ある日、ウィーツィ・バットは魔法のランプを手に入れ、3つの願いをする。
 おいおい、リアリズムじゃないのかい? この物語。
 いいんです、そんなこと。
 とにかく、お願いは3つ。二人がたがいの恋人と一緒に暮らせる家と、それぞれの恋人を得ること。
 で、もちろん、それは全部叶って・・・。

 この先はお楽しみ。
 『ウィッチ・ベイビ』は、『ウィーツィ・バット』を受けた作品で、すごくいいのですが、ひこ田中は現在、アホなリス状態で、気に入った本は、大切に保管するのですが、保管したとたん、どこに保管したかをすっかり忘れてしまい、未だ見つからず。だもので、詳しくは紹介できませんが、面白いです。

スターハージー王子の冒険』(イレーネ・ディーシェ/ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー作 那須田淳/大本栄・訳 評論社 1994/1999)
 オーストリアでは有名なウサギの貴族のエスターハージー家、が、その体躯が段々小さくなったきた。どうも最近のやからは野菜を食べずにチョコレート菓子のようなものばっかり食べているからに違いない。そりゃ、お菓子の都ウィーンだもんね。
 伯爵は考え、一計を。男の孫たちをみんな旅立たせ、体の大きな女ウサギと結婚させれば、また大きくなっていくのでは? 「チョコレートやお菓子は食べないように」と言い渡され、一番小さいエスターハージー王子も旅立つ。命じられた行き先はベルリン。そこには大きな壁があって、その近辺に大きなウサギもいるという・・・。
 ベルリンの壁崩壊から5年後に書かれた物語が10年後の今年翻訳されました。
 その寓話をお楽しみあれ。

風、つめたい風』(レズリー・ノリス きたむらさとし訳絵 小峰書店 1988/1999)
 「死」、この子どもにとって最も遠いように思える出来事を扱った短編が二つ入ってます。
 けれど、考えてみれば、子どもであろうと大人であろうと、死と直面する機会は同じです。
 私は小学校の頃から何度も友人の「死」と遭遇してきたからかもしれませんが、この本に共鳴しました。
 これが児童書かどうかは「?」かも知れませんが、児童書として出した小峰書店に拍手。

をつむぐ少年』(ポール・フィライシュマン 片岡しのぶ・訳 あすなろ書房 1998/1999)
 高校生のブレントは、転校先になじめない。金持ちのクラスメイトの家のパーティで恥をかいた彼は酔っぱらったまま車で逃げ帰る。死にたい。彼の車は中央分離帯にぶつかる。幸い命は取り戻すが、彼の車にぶつかって、死者がでた、見知らぬ18歳のリー。リーの母親は、ブレントに、アメリカの四隅にリーに似せた風車を作って置くことを頼む。こうしてブレントの生き直す・治す旅が始まる。
 癒し系の物語。ブレントが風車を作っていく章と、その風車にかかわる人々の章(だからこれは、時間的には後の話ね)が交互に記される。
 癒し系の物語は別に癒しが必要ではない場合、かなりうざったいのですが、アメリカの四隅に風車を、という大きなイメージ(もちろんそれらを結べば十字架にもなるでしょう)がそれを回避している。
 ただ、大きいだけに、それが読み手のためのリアルになるかは疑問。

マト魔女の魔女修行』(柏葉幸子 フレーベル館 1999)
 今日はいよいよ鈴が育てたプチトマトを食べる日。が、五つのプチトマトはなんとトマト魔女に! トマト魔女は魔女修行している子の世話をするはずが、どこでどう間違ったか、人間の子の鈴の所に来たのでした。これはいったい?
 ベテラン柏葉の手慣れたファンタジーのはずなんですが、タイトルから何やら座りが悪いように、ストーリーの、今ひとつストンと落ちてかない。トランスジェンダーなオスのハゲワシなんてのが出てくるのですが、それが何故そこにいるのかよくわからないんですね。


【評論他】
『イターネット教育革命』(日野公三 PHP 1999 ¥1300)
 インターネット学校「eスクール」を来年度から立ち上げる著者の船出の辞といった趣の書物。
 不登校生のためのインターネットハイスクール「風」て培ったノウハウと、アメリカの「アルジャー・インディペンデンス・ハイスクール」と提携で、一人一人の個性に即した教育を目指す。
 インターネットが教育の分野でどう活かされていくかは、今後重要な課題であり、この書物と「eスクール」はその最初の一歩の一つ。とはいえ、書き急ぎのあまりか、肝心の「eスクール」のビジョンを具体的に語るまでに紙数が尽きた感じ。
 が、こうした試みは、学校システムに風穴を開けるのは間違いがないだろう。現在の学校の硬直は、一人一人の教師の手に余る、すでに構造の問題としてある。だから『学級崩壊』の教師の本音によう言うてくれたと喝采を送っているようでは何もすすまない。外からの揺さぶりが必要なのだ。

『ローラの思い出のアルバム』(ウィリアム・アンダーソン編 谷口由美子訳 岩波書店 1998/1999)
 大草原シリーズのファンならこれは外せない一冊。物語のではなく作者のローラの生涯を豊富な写真や資料によって辿った書物。全然関係ないですが、昔、玉村豊男・編で『我が名はジュリー』って、沢田研二本がありまして、それなんかは最初のコンサートのチケットだとかジュリーのレントゲン写真とか、言葉だけでなくあらゆる素材を使うことで、ジュリー像を構築していて面白かったのですが、それを思い出しました。
 訳者の谷口さんも述べているように、この本の資料とフィクションとしての大草原を比べてみるのも面白いでしょう。ローラは何を削ったのか、と。
 全体の作りが心地よいのは、ウィリアム・アンダーソンの大草原への愛でしょうね。