じどうぶんがくひょうろん

1999/02/25号 通巻14号

           
         
     
草(ストラリスコ) 』(ロベルト・ピウミーニ作 長野徹訳 小峰書店1400円 1993/1998)
 イタリアの作品ですが、舞台はトルコ。
 マラティアという町の絵描きサクマット。ある日彼は太守ガヌアンからの使者を迎える。ガヌアンにはマドゥレールという息子がいるのだが、彼は光を浴びることができないという奇病におかされていて部屋を一歩もでることができない。そこでガヌアンはマドゥレールの部屋の壁にマドゥレールが見ることが出来ない外の世界を描いてくれる絵描きを探していたのだ。
 引き受けることにしたサクマット。
 生きることと死ぬこと、見るということ、過ぎる時間の意味。そうしたことを、この物語は、感動的に(美しく)示してくれる。
 もしあなたが、生きることや、日常をやり過ごすことに疲れているなら、必読。

ョコレート王と黒い手のカイ 』(ヴォルフ・ドゥリアン作 シャーロッテ・パノフスキー挿絵 石川素子訳 徳間書店 1300円 1926/1998)
 アメリカからやってきたチョコレート王は、ドイツでのチョコレート販売を大々的に展開しようと、広告の作り手を探している。そこに現れたストリート・ギャングのリーダーのカイはそれを引き受けようとするが、プロの広告デザイナーと、競うことに。課題は、ローロとロマノ、二つの新製品をそれぞれが担当し、24時間以内に、チョコレート王にその広告が150回目にとまったほうが勝ち。だだしその中で、1種類はこれまで見たこともないような、ユニークな広告であるのが条件。
 はてさて、カイはどのような戦い方をするのか?
 1926年の作品ですが、楽しい子どもの本のスタンダード。ケストナーの「エミール」はこの作品からヒントを得たとも言われています。
 戦中は「アメリカからやってきたチョコレート王」って設定のため、廃判になったもの。


『ハンナのひみつの庭 』(絵本・アネミー・ヘイマンス文絵 マルフリート・ヘイマンス文絵 野坂悦子訳 岩波書店 1600円 1991/1998)
 ママの死から、自分だけの世界にとじこもっていたハンナ、弟のルッチェ・マッテ、パパの三人が、再生していく物語。
 ママが死んでからパパは書類に埋もれているばかりで、ちっともハンナをかまってくれない。仕方なくハンナは弟のルッチェ・マッテの世話をしたり料理を作ったりの日々。だから、「わたし、家出するわ! ママの庭に行く!」。
 見開きの左にはパパとルッチェ・マッテのいる家、右にはハンナが家出をしたママの庭を配置して、書物という形態を旨く使っている。

『これは あっこ ちゃん』絵本(谷川俊太郎・文 薙野たかひろ・絵 ビリケン出版 1400円 1999)
 「これはあっこちゃん」から始まり、「これはあっこちゃんが かいた じめん」、「これはあっこちゃんが かいた じめんを きらきら てらしている おひさま」、「これはあっこちゃんが かいた じめんを きらきら てらしている おひさまが かくれんぼ している むくむくくも」と、言葉がどんどん連なっていく。その場合、文が指し示すものは、常に最後の言葉、「あっこちゃん」「じめん」「おひさま」「くも」になっていって(つまりズレていって)、絵の方はそれを描いている。折り重なっていく言葉がどこまでもどこまでも続き、物語が膨らんで行く。
 こういうのは絵が圧倒的に不利。だからか薙野たかひろのそれは、極めてシンプル。絵は何も語ろうとはしていません。それで正解でしょう。

『子猫の気持ちは?』絵本(森津和嘉子)ぶんけい 1500円 1998)
 たくさんの猫を飼っている家。主人公の子猫は、かつて自分を拾ってくれておねいさんが、赤ちゃんを産んだのを知る。おねいさんは赤ちゃんの世話ばっかりで、ぼくのほうを振りむいてもくれない。つまんない。ぼくにもおかあさんはいた。優しくて、暖かくて。でもぼくを守るために車にひかれて死んだ。おかあさんの側で泣いていたぼくを拾ってくれたのがおねいさん。
 下の子がうまれたときの上の子の子持ち。それを猫に置き換えたもの。
 あまりに、素直なストーリー展開に、私は沈黙。

『おふろ はいらないもん!』絵本(ジュリー・サイクス・文 ティム・エアーンズ・絵 もりむら かい・訳 ぶんけい 1400円 1997/1998)
 トラのぼうやが、お風呂に入るようにというおかあさんのいうことをちっとも気かずに、遊んでいます。子ザルと遊んでると、サルのおかんさんが「おふろですよ」というと、トラのぼうやは逃げていく。クマ、ゾウ、サイと続いて、クジャクと遊ぼうとすると、きれいなクジャクは・・・・。
 そのままの、育成絵本。そこから一歩も、絵も含めてはみだしていません。

『「死」って、なに?』絵本(ローリー・クスニー・ブラウン&マーク・ブラウン作 高峰あずさ訳 ぶんけい 1500円 1996/1998)
 これはタイトル通り、「死」とは何か、「死」をどう受けとめるかなどを、子ども向けに解説した絵本。人間の格好をした恐竜にしているのが、みそ。「かんがえよう、命の大切さ」と、邦題のサブタイトルにありますが、こーゆーのは押しつけがましい。いかにも、子どもじゃなく、子どものために買う親の方に視線が行っています。
 せっかくいい絵本なのに。

『とらねこホテルへ ようこそ』(南史子 けやき書房 1400円 1998)
 とらねこの兄弟ミミとゴロの日々を描くこの物語は、いわゆる日本の「幼年童話」の典型を見せてくれます。ここでは当然ネコたちはおしゃべりをするし、犬ともアリとも話せる。そうして彼らは様々な冒険と失敗を重ねるのですが、それがそのまま「幼児」の「成長」と重なるというわけです。それはそれで成立するでしょうが、アリジギクに落ちたアリを助けたり、ミミが捕まえた小鳥を逃がしてやってり、安全な物語になりすぎています。
 ところで、ミミとゴロは作者の家庭で昔実際に飼っていたネコの名前だそうです。とすれば、もっとつっこんだ書き方も可能でしょう。

『おしっこって なあに?』絵本(阿部明子監修 山脇恭・文 すがわらきょうこ・絵 フレーベル館 850円 1998)
 「はじめてのトライ&トライ」と名付けられたシリーズの一冊。
 おしめがとれて初めてのパンツ、初めてのおしっこ。
 この短い絵本は、しつけというより、おしっこの楽しさとこ角度で描かれていて、おしっこしてくて、おしっこの元のジュースを飲むなどといった展開がいい。
 同じシリーズで、『きがえ いない いない ばあ!』『ごはん ぱくぱくの ひみつ』があります。

『ヘブンズサイン』(松尾スズキ著 白水社 1900円 1998)

「「電波系」のメカニズムを演劇的に脱構築した問題作。」が売りの戯曲。
 インターネットで二十歳の誕生日の自殺予告したユキを中心に、時空が交錯しながら、時に地べたをはうような、時にトンでしまっているような、意味をどこかに置き忘れながらのセリフが跳ねていて、それを眺めているだけでも楽しい。明るいわけでなく。
グロもあり、差別も噴出しますが、案外真っ当な自分探し。

宮城はどこですか』(佐々木守 くもん出版 1300円 1998)
 佐々木守という名前は、私の世代には、感慨深いものがあります。まずその名前は、大島渚のフィルムにおいて、脚本の共同執筆者として記憶され(「日本春歌考」や「帰ってきたヨッパライ」、そして傑作である「儀式」から「夏の妹」まで)、そして「柔道一直線」や「ハイジ」といった子ども向けドラマ、TVドラマの革新であった「お荷物小荷物」などのシナリオ作家として、あります。
 そんな佐々木の初めての児童文学が本書。
 実は佐々木、案外知られて居ないのですが、大学生時代から、児童文学の同人誌「小さい仲間」(山中恒・古田足日・鳥越信などがメンバー)の同人として活躍していて、元々、そこから出発しています。
 という意味では、戻ってきたという感じでしょうか?
 元ネタは「三日月情話」(1976 フジ系列)というTVドラマで、それの主人公を主婦から少年に替えたのが本書とのこと。
 俊は姉の真弓と二人暮らしの中学生。ある日真弓が「竜宮城に行ってきます」と書きおいて消える。伊豆の警察から心中との連絡が入り、担任の吉野先生を急いで向かう。と、確かに真弓のスーツケースと男のそれ。男の妹(こちらも兄と妹の二人暮らし)由香と出会う。彼女の兄朗は「乙姫様に会いに行く」と行っていた。
 本当に二人は心中したのか?
 吉野先生の協力で、調べ始める二人。全国の竜宮伝説の残る場所を二人の足跡を追って巡る二人。やがてそこには、かつて大和民族に滅ばされた出雲人の影が・・・。

 いかにも戦後民主主義と反天皇制の世代からのメッセージ。
 その思いが強すぎるからか、メーセージが全面に出過ぎて、物語のバランスを崩しているのが残念。
 冒険物語としておもしろくなる要素は満載なのだが。


『ピカピカ』絵本(たばたせいいち作 偕成社 1400円 1998)
 自転車のピカピカは古くなって捨てられる。ピカピカにしたら、「ちゃんと ていれしてくれれば、まだまだ げんきに はしれるんだ!」という気持ちなのですが・・・。
 カラスは、もうすぐスクラップだと馬鹿にする。けれど、ネコのタマが、ゆきちゃんを連れてきてくれる。ゆきちゃんはピカピカを、自転車修理のげんじいちゃんのところへ連れていってくれる。直してくれたげんじいちゃんは、ピカピカに言う。
「おまえ、アフリカに いかないか?」

 良心的社会派の絵本。すべてがあまりに正しくて、私は沈黙。
 以下が、折り込みにあった、この物語の素材となった情報です。

 「年間3OOO台の再生自転車がアジア、アフリ力なとの開発途上国に送られています。」
 日本では、全国の駅前や路上に放置された自転車のうち、年間580万台がスクラップとして処分されています。一方アジア、アフリカなどの開発途上国では、村に自転車が1台あれば急病人を町の病院に運び、手遅れにならずに村人の命を救うことができます。
 この対照的な現状を見て、途上国の人々を支援する国際協力の組織が作られました。東京都豊島区など15の地方自治体とNGOの(財)ジョイセフ(家族計画国際協力財団)で構成される再生自転車海外譲与自治体連絡会(連称ムコーバ)です。
 1988年から今までに(1998年9月現在)2万5000台の再生自転車(放置された自転車を再牛したもの)を66か国の草の根保健ボランティアに寄贈しています。送られた自転車は、保健婦さん、助産婦さん、看護婦さん、村のお医者さんなどの手に渡ります。
 保健ボランティアは自転車に乗って薬を配ったり、衛生教育活動をします。保健婦さんや助産婦さんの家庭訪問はすべて歩きでしたが、自転車は村から村へ移
動する時間を半分にしました。
 途上国の人々は送られた自転車を「命を救う足」「二輪救急車」「鉄の馬」「神様の贈り物」などと呼んで大切に使っています。

☆(財)ジョイセフ 〒162‐0843東京都新宿区谷田町1-10保健会館新館
TEL03-3268-5875 FAX03-3235-9774


『みしのたくかにと』(松岡享子作 大社玲子絵 こぐま社 1200円 1998)
 ふとっちょおばさん、それが何の種かも判らない。ある人はスイカだというし、他の人はアサガオだという。とにかく種をまいてみた。その横に立て札。「あさがおかもしれない すいかかもしれない とにかくたのしみ」と。
 一方、わがまま王子様。両親が留守の間、家臣の言うことちっともきかない。食べるのも嫌がるしまつ。が、たまたま立て札の横を通りかかった王子様。それを反対に読んでしまい…。
 「おはなし」と呼ぶに相応しい一品。

『ハリネズミのプルプル1・森のサクランボつみ大会』(二宮由紀子作 あべ弘
士 ぶんけい 1999 1500円)
 先月の『ヘビのしっぽ』に続く、二宮の新作。いきなりシリーズにしてしまっているのが、すごいが、当然そうであるだろう面白さに満ちている。
 ハリネズミのプルプルの家に、友達のハリネズミのフルフルがやってくる。森のサクランボつみ大会に一緒に行く約束をしていたのだ。ところが、ハリネズミはもの覚えが悪く、プルプルはそのことをすっかり忘れてしまっている。フルフルが覚えていたのは、忘れやすいことに気づいて、重要なことは手の甲に書いておくことにしているから。以前、自分の誕生日の日、みんながパーティーを開いてくれたのだが、それをすっかり忘れてしまったフルフルは遊びに行ってしまい、パーティーに集まったハリネズミたちもまた、何のために集まったか忘れていたから、とりあえず宴会をして楽しむ。最後にケーキを見たらそこには「フルフル」と書かれていて、何だろうと思ったが、フルフルのママでさえ、「きっとフルフルがみなさんのためにケーキを焼いたのでしょう」と言い出すしまつ。遊びから帰ってきたフルフルは食べ残されたケーキくずを見て、やっと自分の誕生日だったと思いだした。だ、もんで、それからフルフルは手の甲に書くのである。
 さて、フルフルの指摘で森のサクランボつみ大会を思い出したプルプル。出かける前にちょっとシャワーを浴びたいから待っていてとフルフルに言うのだけれど、部屋に戻ったとたん忘れてしまい・・・・、
 てな具合に物語はズレていきます。
 二宮、絶好調!