220

       
【児童文学評論】 No.220
 http://www.hico.jp
   1998/01/30創刊
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ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書かれています。(土居安子)

7月の読書会は『しばしとどめん北斎羽衣』(花形みつる/著 阿部伸二/装画 理論社 2015年6月)を取り上げました。江戸時代からタイムスリップしてきた数え年89歳の葛飾北斎と名乗る老人が、傾きかけた骨董屋に寄宿します。骨董屋は、不登校の中学2年生の為一と、妻に出ていかれ毎日をふらふら過ごしている父の二人暮らし。父は、北斎の絵で一攫千金を夢見、為一は、わがままな老人の面倒を見ながら、自分の今とこれからについて考えをめぐらせます。当日は、江戸の町の簡単な地図と北斎画集を持ち込んで語り合いました。

読書会のメンバーの中からは、まずは、謎解きのおもしろさが語られました。北斎は本当に北斎なのか、認知症のおじいさんではないのか、借金を抱えた父親はどうなるのか、なぜ、為一は不登校になっており、これからどうするのか、など、謎が多くあり、その答えは期待を裏切らず、どんでん返しが何度もあって最後まで飽きさせなかったという人が多く、最後のオチは3回読んで気づいたという人もいました。

また、北斎像の魅力を語る人も多くいました。リアリティを感じた、絵のために生きるという生き方に共感した、現代に北斎がいたらという想定がおもしろかった、北斎について知ることができ、浮世絵や北斎や江戸の風情に興味を持った、などの感想が出されました。そして、北斎と為一が共通の問題を抱えているという描き方がおもしろい、わがままな北斎に付き合い、ちゃらんぽらんな父親を見捨てない為一の優しさに共感した、バブルの夢を捨てきれず、お金を追いかけ続ける父親の描かれ方がこの世代を象徴した人物と感じられた、など、北斎以外の主要登場人物の魅力や人間関係のおもしろさも出されました。加えて、文体にリズムがあり、為一が自分で考えたことに自分で突っ込む様子がユーモラス、浮世絵ふうの女子高校生が描かれている表紙の絵がユニーク、『アート少女』(花形みつる/著 ポプラ社 2008年4月)と同様、絵画がモチーフになっている点も指摘されました。

一方で、為一のあこがれていた先輩恭子が性的虐待を受けていたという内容があったが、この部分についてはもう少し丁寧に描いて欲しかった、恭子の恋人の岩崎の言動も気になった、という意見や、北斎が、現代日本を見てどう思ったかをもっと突っ込んで聞きたかった、自分なら、北斎を北斎美術館へ連れて行ったり、画集を見せたりする、などの意見も出されました。

大阪国際児童文学振興財団のメールマガジンでも取り上げました(61号、2015年9月)が、私自身も、楽しく読みました。教訓的ではないのに、北斎や江戸や浮世絵に興味が持てて、目次のタイトルの絵を見ながら作品を読むと、各章のテーマをより深く考えることができる点、絵を言葉で巧みに表現している点、構成の妙など、読書会で語られたこと一つ一つに頷きながら聞きました。絵を見る目は人を見る目につながり、為一が北斎と生活を共にすることで自らを客観的に見つめることができるという点も芸術の力を感じさせました。そして、花形作品の魅力である、世の中の「はみだしっこ」たちがたくましく生きる姿は多くの中高校生に読んで欲しいと思いました。(土居 安子)

<大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ>
●「第33回 日産 童話と絵本のグランプリ」作品募集
アマチュア作家を対象とした創作童話と絵本のコンテストです。構成、時代などテーマは自由で、子どもを対象とした未発表の創作童話、創作絵本を募集しています。締め切りは10月31日(月)です。詳細は↓↓
http://www.iiclo.or.jp/07_com-con/02_nissan/index.html

●「おはなしモノレール」参加者募集
大阪高速鉄道「万博記念公園駅」から「彩都西駅」まで、貸切モノレールに乗って、車内で絵本や「おはなし」を楽しみ、彩都の会場では「人形劇」を観ていただくお子様向けのイベントです。
5歳から小学校3年生までのお子様と保護者の方、あわせて240人を募集します。9月17日(土)の午後で、参加費は、お一人500円(大人・子ども同額)です。申込締切は9月5日(月)必着。 詳細は↓↓
http://www.iiclo.or.jp/03_event/01_kids/index.html

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西村醇子の新・気まぐれ図書室(19) ――昼と夜の物語―― 

 今年の七夕の前は笹竹に願い事の短冊をつけた飾りものを見かけていたので、七夕が近いと意識していた。だが、当日の夜に空を見上げた覚えがない。天気が悪かったのだろうか? 気になってインターネットでチェックしてみたところ、この日の関東地方の夕方の予報は「雲が広がりやすく、ところどころでにわか雨や雷雨」だった。わざわざ天の川を探そうという気を起こさなかったのは、そのせいだろう。
天の川観測をスルーした罪滅ぼし、というわけではないが、その週末にプラネタリウムへ行った。年齢とともに急速減退中(!)の記憶力の持ち主ゆえ、子どものときにプラネタリウムを体験したかもはっきりしないが、少なくとも最新鋭の機材を用いたこのプラネタリウムは、初めてである。冷房のきいたリクライニングシートの館内で、全方位で展開される都会の昼と夜、空と海をモチーフにした、光と音のショー「グッドナイトプラネタリウム」はとても快適で、心が解放されるような一時間ではあったのだが……。天体観測の趣味はないとはいえ、本物の夜空を見ないで日中に「つくりもの」でお茶を濁した、という後ろめたさは残った。ヴァーチャルの技術が進めば進むほど、それをリアルと感じ、生に体験したり感じたりしないことへの懸念も強くなる。
       ☆
 きょうは夜をテーマにした、素敵な絵本の話から。イザベル・シムレール文・絵『あおのじかん』(石津ちひろ訳、岩波書店2016年6月)がそれだ。日没から夜になるまでの刻一刻と空が変化する時間帯を、見開きごとに景色およびそこに見合った生きもので描いているもので、アイデアはシンプルだが、一つ一つの見開き画面に目を奪われずにはいられない。
扉にあたる見開きは、まだほとんど白色に近い。そこに、遠くの山並みが線描で、木々が点景として配され、書名などの情報が書かれた画面の下を、一匹の猫科の動物が横切っていく。次にページをめくると、うっすらと水色の空に白抜きされた鳥たちが舞っている。手前の山並みの重なり合う稜線は左から右へ緩やかな傾斜をつくる。それらの稜線は異なる色のグラデーションになっており、場所によって光の受けた方が違うことを示している。この見開きには、「おひさまがしずみ よるがやってくるまでの ひととき あたりは あおい いろに そまる──それが あおの じかん」と、この絵本のテーマが提示される。
その後は、ページを繰るごとに背景色は濃くなっていき、アオカケスやイワシ、モルフォチョウ、イトトンボ、シロナガスクジラといった生きものの夜の生態が、擬音をまじえた短い言葉とともに描かれる。生きものの描き方もページごとに違い、それぞれ工夫を凝らした画面構成になっている。画面からはみでるほど大きな断ち切りページもある。また、クロスハッチング(だと思うが)を施したそれぞれの生きものの色と形は見るものに迫ってくるし、微妙な色合いの違いから生まれる豊かさにも感嘆する。
見返しは前と後ろで趣向が異なる。後ろには世界地図が描かれ、登場した生きものたちの生息場所が示されている。前見返しにはパレットのようにさまざまな種類の「あお」が並んでいる。出色なのは、「りんどういろ」「るりいろ」「ラベンダーいろ」といった植物由来の名前のほかに、「にじをまぜたいろ」「ゆめのいろ」「マシュマロいろ」「そらとぶえんばんのいろ」といった、訳者があえて選んだ色名が混じっていることだ。これらは物語のタネにも使えそうだ。このパレットからあなたのお気に入りのあおいろは見つかるだろうか?

 同じ絵本でも、こみねゆら(文と絵)の『人くい鬼』(あすなろ書房、2016年6月)の場合は、夜は「魔の時間」でもある。原作はグリム。人食い鬼の島に流れ着いた赤ん坊は、人食い鬼の王子の妻にするためにと育てられる。やがて赤ん坊はきれいな娘となる。でも、婚礼をあげるのがいやでたまらない。あるときこの島にひとりの王子が泳ぎつき、娘と恋におちる。だが王子は捕まえられ、人食い鬼がすぐにも食べたいと言い出す。娘は機転をきかせ、暗がりで寝ている人食い鬼の息子の冠を王子の頭につけ、王子を助ける。そして二人は魔法の靴と魔法の杖と魔法の豆をもって、夜が明けないうちに逃げ出すのだが……。
 その後は昔話の王道どおり、追っ手の接近を豆が知らせるたびに、娘は杖をふるっては追っ手を妨害し、先に進んでいた。ところが3回目に娘がバラに、王子がハチに姿を変えたとき、うっかり杖をなくして二人はもとに戻れなくなる。どうなるかと気をもませる展開だが、もちろん最後は幸福な結末が二人を待っている。
 この絵本では赤ん坊の入ったゆりかごが海に流される場面や、人食い鬼の城で王子と息子が眠っている部屋、そして逃げ出す場面は、それぞれ色合いの異なる暗がりとして描かれている。対照的に王子が泳ぎつくときのきれいな海の色や、恋におちた場面で二人をつつむ淡いパステルの背景色が、こみねらしい色使いを見せている。
      ☆
ナタリー・バビット作『月は、ぼくの友だち』(こだまともこ訳、評論社、2016年6月)もまた、夜が深くかかわっている物語だ。
まず、装丁がおしゃれである。カバーは、カラーの切り絵(藤城清治)風で、本体からはずすとひとつの情景となる。表側上段には、少しかしいだようなお屋敷と大きな満月。大小さまざまなランプのあかりと星が、群青の濃淡の夜空に散らばっている。画面手前の大きな門からお屋敷までは色石を敷いた道が続き、渦巻きの印象的な木々が画面下方を飾る。この表紙カバーの右端(裏袖)にいるのは、ベンチに座り、丘の上(屋敷)のほうを眺めている男の子と女の子。カバーをはずした本体は、星を散らした地の真ん中に円(月)があって、そこに原題が提示されている。
 物語には、ほら話に通じるような、一種独特の軽妙さがみられる。1章では、50年以上前のアメリカの話であることに始まり、ミドヴィルに住む億万長者ボルダーウォール氏が後継者について悩みを抱えていることと、折しもミドヴィルにジョー・カジミールという12歳の少年がやってくることが、紹介されている。
 ジョーは両親の死後、保護者となった祖母と暮らしている。この夏は二人でミドヴィルに住む(ジョーの父のいとこにあたる)マイラおばさんを訪問するはずだったが、祖母が腰の骨を折ったために、ジョーがひとりでマイラおばさんを訪ねた。独身の教師であるおばさんは歓迎してくれたし、向かいのソープ家の子どもたちのうち、ジョーと同い年のビアトリスともすぐに仲良くなり、素晴らしい夏が始まった!
 ビアトリクスとジョーは、逃げ出したソープ家の犬ローバーを追いかけているとき、偶然ボルダーウォール邸の当主と顔を合わせ、おしゃべりをする。他愛もない雑談だったが、当主はジョーがポーランド系の苗字であることに興味を示す。そして、ジョーを養子にして、将来は会社の後継ぎに据えようと、勝手に計画をたてる。いっぽう、カジミール家の一同は、突然ジョーを養子にしたいという申し出にびっくり仰天。祖母はまだリハビリ中だったが、友人の車でミドヴィルに駆けつけた。自分の希望をきかれたジョーは、祖母に喜んでもらえる回答は何かと頭を悩ませ、自分の本当の気持ちを話せない。でも、ビアトリクスに後押しされ、これまでひた隠しにしてきた月への思いと、それがもとで天文学者になりたいと思っていること打ち明けた。すると祖母はボルダーウォール氏に面会し、金持ちになることがすべてではないし、子どもはみな同じではない、孫は売り物ではないと啖呵を切り、養子への申し出をきっぱり断る。その後祖母はマイラの家にジョーと3人で同居することを決断し、ジョー(とビアトリクス)を喜ばせた。終章には、3つの記事が掲載され、物語中のいくつもの伏線がうまく回収されている。
バビットはアメリカの作家。イラストレーターとしても仕事をしているそうだが、20点ほどの作品のうち翻訳されているのは1976年原作の『時をさまようタック』ほか数点。1932年生まれというから、2011年に出版された本作品は70代後半に書かれたことになるが、1960年代という時代設定が生かされ、また拝金主義への風刺を効かせた楽しい物語である。
        ☆
 話は変わる。
 偕成社が、「偕成社ノベルフリーク」というソフトカバーのシリーズの刊行を開始した。最初に出た(奥付は8月刊)の2冊は、岡田依世子作、うらもとゆうこ絵の『わたしたちの家は、ちょっとへんです』と、濱野京子作、志村貴子絵『バンドガール』。
後者は、最近目につくことが増えた音楽活動を描いた物語の一つらしいと思いながら読み始め、途中で作者の仕掛けに驚かされた。
主人公は若葉小学校5年生の森岡沙良(さら)。若葉市では子どもの数が減ったため、去年ようやく入ったミニバスケチームでの活動ができなくなった。友人はさっさとダンスサークルに転向したが、沙良は断った。そこへ、沙良のリズム感を見込んで、6年生の新城莉桜(りお)から、バンドのサークル巴旦杏(はたんきょう)への参加を誘われる。沙良はためらった。ほかの3人は音楽活動の経験者なのに、自分は初心者であり、ドラム担当を依頼されたからだ。でも、昔は軽音楽サークルに所属していたというママの言葉に励まされ、参加を決意する。
もともと自分に自信をもてなかった沙良は、初挑戦のドラムで仲間の足を引っ張ることにも、また同じ児童センターで活動している別のバンドチームに上手なドラム担当メンバーがいることにも気後れを感じて悩むが、仲間や児童センターの指導者に助けられ、なんとか音楽活動を楽しむようになる。
活動のはげみになるのは3月の発表会だ。去年、めざす音楽の方向性の違いから莉桜と決裂した涼香(すずか)は現在ブルートパーズを率いている。沙良たちは、最後ぐらい二つのサークルで合同演奏をし、なおかつ二人を仲直りさせたいと考える。彼らは、莉桜と涼香にばれないように工夫して練習した。そして当日。一同が演奏した曲のひとつは、沙良が母から教わった「忘れられた歌」。かつてママの先輩が作ったラブソングだが、当時はタイミング的に国の方針にたてをつき、世の中をまどわすと批判された。その後は動画が消され、先輩までもが姿を消した、といういわくつきの歌だった。沙良はうっかりミスで「忘れられない歌」として紹介したが、曲は聴衆に受け入れられ、コンサートは成功した。
前述の「仕掛け」とは、北海道が首都だという設定が大きくかかわる。関東地方の人口が減ったのは、人々が北海道に移住したから、という文中の説明を見たときは、首都を移転したらどうなるか、という仮定の話を書いているだけだと思った。だがそれは大地震と火山噴火で日本が分断され、本州の広い地域が原発事故で汚染された結果だというのだ。基本的には自信をもてなかった少女が音楽活動を通して仲間をつくり、自信を持てるようになる…という、読みやすい物語になっている。ただ自主規制が行われる風潮への批判を含め、一筋縄ではいかない面がある。
    ☆ 
最後に松村由利子『少年少女のための文学全集があったころ』(人文書院、2016年7月)に触れておきたい。著者松村の読書体験をつづったこの本は、児童文学エッセイとしては大人向けに属する。大きく5つの章があり、その中にさらに1項目4から6ページの項目が複数含まれている。物語中の食べ物とか、翻訳の変遷とか、コラムのテーマとしてはおなじみのものも見受けられる。
けれどもこのエッセイの特徴は、関連して豊富な情報や、思いもつかないような知識が披露されていることだ。たとえばC・S・ルイスの<ナルニア国物語>に触れた1章の「『プリン』を『ゴクリ』!」では、訳者瀬田貞二による固有名詞の単純化や戯画化の話の後に、瀬田があえて子どもにわかりやすいとは言えない「朝びらき丸」という訳語をあてた背景を解説している。松村によると、瀬田が万葉のころから使われてきた「夜明けを待って船出する『朝びらき』」という、ぴったりの訳語を選べたのは、彼が中村草田男に師事し、俳名「余寧金之助」として子ども向けの読みものを素材にした句まで作っていた人物だからだという。
読んではいけないときに「本を読むという悪事」に共感したのが、3章「わたしの『隠れ読み』人生」だった。授業中に読書していたエピソードに加え、松村はピアノ・リサイタルを家族で聴きにいったとき、演奏そっちのけでワイルダーの『大きな森の小さな家』に読みふけったことを語る。じつはこのエピソードには後日談がある。ふと、子どものときに聞き逃したリサイタルの演奏者が気になった松村は、元新聞記者らしくあれこれと調べて、ついに演奏者を突き止めているのだ。つまり本書の魅力は、単なる本好きのエッセイを超え、随所に、フリーのライターであり歌人でもある松村の良さが生かされていることである。
書名の狙いをもっともよく伝えるのが、「読めば読むほど」と題された5章の最後に置かれた「少年少女文学全集よ、永遠なれ」だろう。松村が全集ものにこだわるのは、それが「膨大な書物の海に漕ぎだすための大まかな海図」になっていたからであり、国や地域別に編まれた全集からは、世界の広さや多様さが伝わるからだという。長年の読書体験に裏打ちされた発言は児童文学への思い入れの深さを示し、ライバルあらわる(!?)と思った次第。
本日はここまで。(2016年7月)

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以下ひこです。

【児童書】
『てんからどどん』(魚住直子:作 ポプラ社)
 高倉かりんは背が高く元気な女子。でもちょっと無神経なところがあり友だちから注意を受ける。それに引き替え今井さんは一人で過ごしていて、ややこしいことないみたい。
 今井莉子は、自分に自信がない。友だちもいない。なんかさえないと思っている、それに引き替え高倉さんは可愛くて明るくて、いいなあ。
 そんな二人が入れ替わることでそれぞれに良さが見えてくる。自分が何に戸惑っていたかもわかってくる。
 自分を見つめ直し一歩を踏みだす、素敵な魔法のお話しです。
 
『Q→A』(草野たき:作 講談社)
 五人の中学三年生がアンケートに書き込んで行く言葉にたどり着くまでを描いていくという興味深い作品です。
 アンケートですから、一般的な質問が並ぶのですが、それに答える側は個人の問題として考えることとなります。
五人はクラスなどで繋がっているので、それぞれの悩みが絡んできますが、この手法によってそれが見えやすい。
二回のアンケートで五人はどう変わっていくか。
お楽しみください。

『がれきのなかの小鳥』(カーリ・ビッセルス:作 野坂悦子:訳 松野春野:絵 ぶんけい)
 第二次世界大戦下のオランダ。ユダヤ人の少女のエルスケは家族と離れてかくまわれています。自分が誰なのかを言ってはならず、違う自分として送る日々。
 緊張感の中で、それでも日常は続いていき、エルスケは成長していきます。
 大きなドラマはなく、あの時の日々が描かれていく物語は、「戦争」の顔をとてもリアルに見せてくれています。
 こうした作品をもっと読みたい。

『レイさんといた夏』(安田夏菜:作 講談社)
 中学一年生の莉緒は一学期、友だちとの関係が悪くなり孤立。西宮に引っ越しした夏休み、二学期から新しい中学に行く気力もない。
 そんな莉緒の前に幽霊が現れる。適当に付けた名前はレイ。幽霊だからレイ。
 レイは、自分が誰か分からず、魂がこの世に彷徨っている存在。彼女が誰なのかを莉緒は探索し始める。
 中学で行き場を失った莉緒と、自分の存在がつかめないレイは、どこかで気持ちが繋がっています。レイが誰なのかを知る過程が莉緒の回復の過程でもあるのです。
 過去の存在であるレイと、莉緒との世代間の違いもなかなかおもしろいです。

『ぼくたちのリアル』(戸森しるこ:作 佐藤真紀子:絵 講談社)
 小学校5年生のアスカこと飛鳥井の語りで描かれています。幼なじみで同級生になったリアルは、ありとあらゆることが非凡で、女の子たちのあこがれの的。ぼくは少しコンプレックスを持っています。けれど、嫉妬からは遠く、アスカはリアルを大好きです。でもね、っれ感じかな。そんな折、転校生がやってくる。美少年の名前はサジ。サジはたちまちリアルを好きになる。アスカ、リアル、サジ。三人の小学生ライフが、まさにリアルに活き活きと描かれています。
 三人の心のやりとり、ズレ、変化などが実に巧みです。
湿度を含んだエピソードもありますが、それでも、戸森が描く世界は晴れ晴れとしていて、少年文学の良き部分を残しています。
新しい作家の登場です。

『せなか町から、ずっと』(斉藤倫 福音館書店)
 『どろぼうのどろぼん』で、これ以上ない子どもの本デビューを飾った斉藤の新作です。前作が個と個の心のつながりを描いた寓話としたら、今作は面として拡がっています。
 「わし」は大きな大きなマンタに似た何か。いつの間にか「わし」の背中に町ができ、色んな寓話的出来事が起こります。
 それぞれのエピソードは寓話ならではに自由さにあふれていて、身につけた常識や規則やイメージが剥離していく感じになります。
 寓話はファンタジーではありませんから、結論も上がりも達成もなく、ただそこに漂っています。その心地よさに身を預けてみてください。

『日がさ雨がさくもりがさ』(佐藤まどか:作 ひがしちから:絵 フレーベル館)
 ともだちとけんかをして落ち込み気味の未央。そんなときに限っておきにいりのいちごの雨傘が壊れてしまう。
 かさ修理のおじいさんが通りかかり未央は大事なかさを預けます。代わりに貸して見らったのが不思議な傘。人の心を明るくする傘です。そのおかげで仲直りできた未央は、この傘が欲しくなります。
 おじいさんは、その傘で元気にしたい人がたくさんいると言うのですが、未央の熱心な願いについに折れます。いちごの傘を交換してもらった未央。幸せです。周りの人も明るくします。でも……。
 相手を思いやるといった難しいテーマが、幼年童話の中に実に上手く描かれています。
 ひがしの絵が作品にぴたり。

『うさぎのぴょんぴょん』(二宮由紀子:文 そにしけんじ:絵 学研)
 ごきげんでぴょんぴょんが歩いていると、こぐまたちがいちご入りのシュークリームを食べていてうらやましいぴょんぴょんは、昨日十個食べたし、パイン入りも、マンゴ入りも食べたと自慢。でもまるごとパインやマンゴって皮が固くないかい? 今度はワニがうさぎのソフトクリームを食べていると言うもんだから、自分はワニのソフトクリームを食べたぴょんって言い返してやるのだ。といったキュートで無理矢理観満載な話が続いていきますです。可笑しいったらない。

『もりモリさまの森』(田嶋征三:作 さとうなおゆきお:絵 理論社)
 型染め絵本作家田島、初めての童話。田島は、自然をこよなく愛し、そうした場にアトリエを構えて作品作りをしていますが、東京都西多摩郡日ノ出町に居住していた当時、森に処分場と建設することに反対し戦い続けた体験が素材となっています。
 桂林太郎たち家族は出かけた森でそれぞれ野生動物に変身してしまい、森の動物たちと一緒に自然破壊と闘っていきます。
 それで勝つといった展開ではなく、多くの仲間が人間に殺されていき、決着がつかないまま物語は閉じられます。とはいえ決して負けたわけではありません。持続すること、主張し続けることが静かに伝えられます。

『ミス・ビアンカ くらやみ城の冒険』(マージョリー・シャープ:作 渡辺茂男:訳 岩波少年文庫)
 貴婦人ねずみビアンカ、家ネズミバーナード、船乗りねずみのニルスが大活躍するシリーズがいよいよ岩波少年文庫入り。
 ず〜と何十年も大きな愛蔵版を(一回買い換えましたが)持ち続けていましたが、これで手軽になりました。
 おもしろいぞ。

【絵本】
『わたしは映画監督 ヤング・シャーロット』(フランク・ビバ:作 まえじまみちこ:訳 西村書店)
 ニューヨーク近代美術館(MoMA)絵本の二作目です。
 自称映画監督のシャーロットは、いつもカメラを構えています。白と黒の映像大好き。カラーなんて認めません。両親がモノクロ映画に連れて行ってくれて大満足。日曜日は家族でMoMAへ。映画のコーナーでシャーロットはキュレーターから映画はアートだと言われてうれしい。そしてなんとシャーロットが撮った映画を公開してくれることに。
 美術館への誘いと、美術への興味を喚起する絵本ですが、単なる案内本ではなく、魅力的で個性的な絵本として仕上がっています。ってか、アートな絵本です。フランク・ビバ、いいわあ。

『あおのじかん』(イザベル・シムレール:文・絵 石津ちひろ:訳 岩波書店)
 青。黒の奥底にある青。夜の中に潜む青い生き物たちが描かれていきます。ページを繰るごとに深まっていく青。自然の中にざわめく命。その声、音。
一面一面がうっとりする絵でありながら、次のページを期待せずにはいられない。
様々な自然の中にある青の風合いが、なんとも美しく表現されています。
贅沢な時間を楽しめます。

『こんばんはあおこさん』(かわかみたかこ アリス館)
 眠れないあおこさんは、家を抜け出して夜の中へ。蛍、飛行機、お月様を色んな灯りが出迎えてくれています。たっぷり散歩して、大好きな枕に戻って、お休みなさい。
 おやすみなさい絵本です。
 夜の青が深くて魅惑的。素敵な夜ですよ。

『これから戦場に向かいます』(山本美香:写真と文 ポプラ社)
 2012年、シリア内戦取材中に銃弾に倒れた戦場ジャーナリスト山本美香の仕事の中からセレクトして写真絵本に仕立てています。
 戦争がもたらす物への想像力を維持するのはとても難しい。それは決して心地がいいものではないから。けれど、例えばこうして山本に遺した仕事を眺めていると、現場を体験しなくても、時代を経験しなくても、自分の中に戦争の記憶が刻印されていくのがわかります。

『ココアラ』(はまのゆか 小学館)
五歳ココアラは絵本が大好きで、字は読めませんが何度も何度も繰り返し眺めています。
 五年ぶりにふくろうおじさんに移動図書館がやってきます。そのときココアラは知るのです。絵本を返さないといけないと。
 でもね、でもね。新しい絵本が借りられるよ。
 はまのは町のこと、奇妙な絵本のこと、移動図書館の愉快で楽しい作り込みなど細かく情報を置いて行くことで、膨らみのある独自の世界を構築していきます。楽しい!
 お気に入りの本を返さないといけない悲しさから、新しい喜びに満たされるまで、どっぷりと、はまのの世界に浸かってください。

『だめだめママだめ』(天野慶:文 はまのゆか:絵 ほるぷ出版)
 ママがだめになってしまいます。どうだめかというと、もう完全にただの子どもです。好きに生きてます。
 たぶんそれは、ママがそう生きたかったからですが、そういうと話が暗くなるので、ただ、だめになったということにしましょう。ってか、子どもにとってこのママに数々の振る舞いは、やめて! でありつつ、ママもそういうところがあるんだとホッとするところでもあります。
 だから、親も子も一緒に笑って楽しめます。
 おや? ひょっとして今度はパパも?

『かみをきってよ』(長田真作 岩崎書店)
 おとうさんに髪を切って欲しい男の子。
 でもなかなかうんと言ってくれないおとうさん。
ようやく切ってくれることに。
 どんな髪型になるのかな?
 シンプルな展開の中に親子の気持ちが溢れています。
 どんな髪型になるかは、ページのそこここにも見えています。
 平面に気を配った長田の絵がとてもおしゃれです。

『およばれのテーブルマナー』(フィリップ・デュマ絵と文 久保木泰夫:訳 西村書店)
 エルメス五代目社長の弟でもあるフィリップが、子どもたちのために描いたテーブルマナー絵本です。テーブルマナーは食事のお行儀が悪かったフランス宮廷に、身分を現す儀式としてしだいに形作られていきますが、特に近代以降、旧来の身分(王族や貴族など)が見えにくくなってからは「教養」として広まっていきます。テーブルマナーを身に付けるほどの金とヒマがあることを示すかのように。
 とはいえ、みんなで食事をするときには、ある程度の共通認識はあった方がお互い気持ちいいので、この絵本は使えますが、同時に、フィリップのユーモアは、そうしたマナーをからかってもいるようです。
 私は、気楽が好きなのでドレスコードがある店には入りません(あ、入る金がありません)。
 絵も色も構成もよく出来た絵本です。

『ジョンくんのてがみ』(新川智子:作 市居みか:絵 童心社)
 おばあちゃんから届いた手紙のお返事を出そうとジョンくんはどんぐり、おちば、タマネギの皮など色々書きますが、次々別の人に渡ってしまいます。でも、受け取った人が元気になったし、いいよね。
 市居の絵になごんでくださいな。

『カエルのおんがくたい』(刀根里衣 小学館)
 長い長い雨。その中で鳴くカエルたち。それを音楽隊に見立てて、うんざりしそうな天気がたちまち陽気に変わって行きます。
 刀根の絵は淡くありつつしっかりとしたボディがあり、印象を強く残しますが、今作ではそこが遺憾なく発揮され、明るさの方向にはじけています。

『カエルくんのだいはっけん!』(松岡達英 小学館)
 作者自身のアトリエの奥にあるという池を舞台にした、自然観察絵本です。カエルくんが語り手になって、実に様々な生き物について描かれていきます。
 池が、どれほど豊かな一つの世界としてあるかが、よくわかります。
 カエルくんの遭遇する事件などの物語と、科学的情報が塩梅よく配置され、隅々まで楽しめます。私など、知らなかった情報が一杯で、わくわくしました。
 自然の営みのすごさに感動します。

『ぼくだってトカゲ』(内田麟太郎:文 市居みか:絵 文研出版)
 トカゲのシッポはもちろんトカゲのつもりでいましたが、あるとき眠っていたトカゲをトンビが襲います。するとトカゲはあっさりシッポを捨てて逃走。
 ぼくもトカゲなのに。体が失われたシッポを再生するならば、シッポだって!
 深刻だけど愉快な自分探しファンタジー。

『もとこども』(富安陽子:文 いとうひろし:絵 ポプラ社)
 確かに誰でも元子ども。
 そんなことを、すっと気づかせてくれる、うれしい絵本。
 そこに気持ちが至れば、色んな事が変わるかもしれません。

『よるのおさんぽ』(リリー・ロスコウ:文 ディヴィッド・ウォーカー:絵 福本友美子:訳 岩崎書店)
 両親が寝静まった夜。子どもたちは散歩に出かけます。
 冒険をして、おいしいお菓子を作って、好きなだけ本を読んで。そうして満足したらお家に帰ります。
 楽しい、楽しい、子どもたちの夜。
 リズミカルな言葉に寄せてディヴィッド・ウォーカーが可愛く描きます。

『ピーレットのやさいづくり』(ウルリカ・ヴィドマーク:文 イングリッド・ニイマン:絵)
 1947年の小型絵本。32ページではなく64ページ。見開きの片側は絵となっています。絵を描いているイングリッド・ニイマンは『長くつ下のピッピ』でおなじみですね。
 小さな女の子ピーレットが、小さな地面に種を蒔いてから、収穫までの様々な出来事。
 物を育てるドキドキ感が伝わってきます。このサイズのこんな絵本がもっと充実して欲しい。

『ワニのワッフルケーキやさん ワニッフル』(谷口智則 アリス館)
 『カメくんとアップルパイ』に続く、ちょっとあほくさいが、めっぽうおもしろい、無理から絵本です。何が無理からかは読んでね。いいわあ。

【研究書】

『心臓物語』(中山淳子:著 竹内順子:絵 丸善プラネット)
 グリム「ドイツ伝説集」に収載の第四九九話「ブレンベルガー伝説一」。オーストリア大公の妃と恋仲になった騎士ブレンベルガー。大公は彼を殺害し、その心臓を妃に食べさせてしまうという話を『少年と魔法の口笛』など先行作品を比較分析しています。ほんのわずかな改変が物語を変えてしまう様を。

●「読書探偵作文コンクール2016(第7回)」開催!
〜外国の物語や絵本を読んで、おもしろさを伝えよう!〜

 募集作品:翻訳書を読んで書いた作文
 対  象:小学生
 しめきり:2016年9月23日(金) 当日消印有効
 枚  数:原稿用紙5枚(2,000字)程度まで
 選考委員:越前敏弥、ないとうふみこ、宮坂宏美(いずれも翻訳家)
 賞  品:最優秀賞/賞状、図書カード5,000円分
      優 秀 賞/賞状、図書カード1,000円分
      (応募者全員に作文へのコメントと粗品をお送りします)
 主  催:読書探偵作文コンクール事務局
 協  力:翻訳ミステリー大賞シンジケート、やまねこ翻訳クラブ

 詳しくは専用サイトをどうぞ!→http://dokushotantei.seesaa.net/
 たくさんのご応募、お待ちしています!!

宣伝:『ハルとカナ』(ひこ・田中:文 ヨシタケシンスケ:絵 講談社 2016/8/25)予約受付始まりました。ヨシタケさんとは『レッツがおつかい』以来5年ぶり。
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