219

       
【児童文学評論】 No.219
 http://www.hico.jp
   1998/01/30創刊

西村醇子の 新・気まぐれ図書室(18)――失われたもの──

 きょうの1冊目は、市川朔久子『小やぎのかんむり』(講談社、2016年4月)。中三の乃木夏芽(のぎ・なつめ)が、ある山寺で過ごしたひと夏を描いている。私立の中高一貫校に通っている夏芽には受験の心配はないのだが、親友に誘われて1週間の勉強合宿に参加するつもりだった。その夏芽が一人で山寺へ来たのには理由があったが、それが伏せられたまま物語は展開していく。
 辺鄙な場所にある寺でのサマーステイに申し込んだのは、夏芽ひとり。お寺の住職(通称タケじい)は外出が多く、住職の遠縁にあたる小宮美鈴さんと穂村さんという男性とが運営を任されている。若い人に、穏やかな環境で規則正しい生活を送ってもらう、というのがサマーステイの趣旨だったが、到着早々ちょっとした事件が起きる。夏芽の布団の上で、見知らぬ5歳ぐらいの男の子が眠っていたのだ。男の子のポケットには、雷太をしばらく預かって欲しいというメッセージが入っており、住職のタケじいが隣町で人生相談を受けたという、あるシングルマザーからだとわかる。
 雷太は体にあざやたばこを押し付けられた跡をもつ子どもで、はじめは心を閉ざしていた。そして何かに驚くと、あっという間に姿を消す。それでも、少しずつ打ち解けてきたが、メスヤギ「後藤さん」が来るようになってからは、積極的に行動するようにもなった。ほかの2匹も含めたヤギたちは、孫の高校生葉介の所属する生物部で飼っていたが、夏休み中、葉介の祖父の家で預かっていた。そして、「最新式の」いいもの、つまりお寺の草刈り要員として貸してくれたのだ。お寺の人たちはまさかヤギのことだとは思わなかったが、「後藤さん」の世話は葉介と夏芽や雷太を近づけ、一同は楽しい毎日を送っていた。
そこへ雷太を探しに男性がやってきて、父だと名乗る。だが、穂村さんたちは、DVの夫から逃げ出した雷太の母親が、息子を守るために寺へ預けたことを知っていたので、雷太を渡さず、追い返す。

「葉ちゃん、写真撮っておやりよ、その人の」清子さんが呼びかけた。ほら、あのすまほで、と言う。「集落のみんなに見せてさ、しっかり顔覚えてもらうといいよ…」中略「なんたって田舎のネットワークはすごいからな」(207ページ)

夏が終わりに近づき、ヤギは葉介の通う高校に戻され、葉介も実家へ戻ることになっていた。夏芽も、寺で出会った人々のおかげで、親との関係について心の整理ができ、家に帰る心構えができた。じつは外面はよいが、家では妻や夏芽に言葉の暴力をふるう父から逃げてきていたのだ。でも幼い雷太は、みなとの別れをすんなり受け入れられず、新たな騒動が起きる…。
人々の抱えている裏の事情はどれも重苦しいものだが、それぞれ個性的な3匹のヤギに振り回される人間たちが、意外性と楽しさを添えている。そして物語は、かつては多くの場所で機能していた「コミュニティ」の力を我々に教えてくれてもいる。夏芽の最大の収穫は、サマーステイのおかげで、前より心と体のバランスが良くなったことだろう。
 つぎは、ローマ帝国を舞台とした、リン・リード・バンクス作『王宮のトラと闘技場のトラ』(杉田七重訳、さ・え・ら書房、2016年2月)。1980年代にリトルベアーの冒険シリーズが注目された1929年生まれのイギリスの作家が、70歳を過ぎた2004年に発表した作品である。
ローマの皇帝の娘、12歳になるアウレリアとトラのかかわりを中心としている。ジャングルで捕獲され、遠くローマへと運ばれた兄弟トラ。1頭は皇帝の娘のペットに、もう1頭はコロセウムで戦う猛獣として訓練されていく。じつはトラたちを待ち受けるであろう運命を思うと、先を読むのも気が重く、読み進めるのにかなり手こずってしまった。
父の皇帝は、珍しくて貴重なトラに限らず、あらゆるものを自分の権力とのかかわりでしか捉えていない。限られた層の「ローマ市民」を楽しませるために催すコロセウムでの闘技もそのひとつで、力を見せつけることに主眼がある。アウレリアは賢かったので、なぜ人間が区別されるのか、また楽しみのために命が奪われるのか、といった疑問を抱くが、周囲のだれも疑問にこたえられないことはわかっていた。でも、父から贈られたトラには強くひかれ、ブーツと名付けてかわいがる。母も乳母も、彼女が猛獣をペットにすることに反対だった。そして、結局はトラのせいで事件が起こる。
アウレリアは、ブーツの飼育係ユリウスといつしか心を通わせるようになるが、幸いなことに、母や乳母以外には知られずにすんでいた。その後、アウレリアのいとこマルクスがいたずら心を起こしたせいで、ブーツは宮殿から脱走し、その責任は飼育係ユリウスに負わされた。アウレリアもマルクスもひどく悩むが、事態は彼らの手には負えないところまできていた。ブーツは無事に連れ戻されたものの、皇帝はもはやペットとすることを許さない。それどころか、闘技場で、人食いトラとして訓練されていたブーツのきょうだいブルートと対決させる。ユリウスもまた、闘技場に連れ出され、トラたちに「処刑」されることを覚悟する。だがユリウスがブーツの飼育を通して学んできたこと、つまりトラのしぐさや気持ちを読み取れる能力を身に着けたことは無駄ではなかった。彼が猛獣2頭を従わせると、めったにない光景に、観客は熱狂した。こうなれば、皇帝といえども群衆には逆らえず、ユリウスを自由にせざるを得なかった。ユリウスはすかさず、トラ2頭を従えて闘技場を後にした。
 物語には短いエピローグがついていて、その後の関係者の様子を伝えるなか、トラとユリウスについては、それぞれ正確なところはわからないと、読者に想像の余地を残している。作者バンクスのあとがきによると、古代ローマにかんする国情や人々の暮らしは史実に沿いながら、人物は架空だという。
 権力をもつ父への認識を改めたとき、子ども時代を卒業したアウレリア。それは、市川が描いた、夏芽の親離れへの過程と通底するものがある。
 つぎはアメリカの作家サラ・プリニースの『魔法が消えていく…』(橋本恵訳、徳間書店、2016年1月)。原書の書名は「魔法泥棒」で、架空のウェルメトという町で、魔法の力がどんどん失われていく危機的状況を扱っている。
物語はみなしごの泥棒、コンウェア(通称コン)が魔術師ネバリーのポケットの石を盗んだことから始まる。普通なら、他人の魔導石に触った時点で命を落として不思議はないのに、コンはそうならなかった。それに興味を抱いたネバリーは、召使いにするつもりで、自宅に連れていく。じつはネバリーは20年前に女公爵に追放されていたが、魔力の減少に悩む仲間の魔術師ブランビーの要請で戻ってきたところだった。コンは魔術師の弟子になると決める。だが魔術師たちの会議で、30日以内に自分の魔導石をみつけること、という条件がつけられた。コンは魔術大学校へ通い、同時にローアンという女の子から読み書きの個人指導を受ける。その合間を縫って自分の石を探す一方、ウェルメトの<たそがれ街>を牛耳っている<日暮れの君>の屋敷に忍びこみ、<日暮れの君>クロウと魔術師ペティボックスが密談しているのをこっそり見つける。ネバリーはあの二人が何かを企んでいるというコンの報告には耳を貸そうとしない。魔力の減少は自然現象のせいだという説にこだわり、さまざまな文書の整理・分析、考察で真相解明を目指している。
やがてネバリーはペティボックスから、コンがじつは<日暮れの君>の甥だと聞かされると、彼をスパイだと決めつける。少し前に女公爵の宝石を自分の魔導石として入手していたコンは、魔力を救うために再びクロウの屋敷に忍び込むが、捕まってしまう。このとき、ネバリーの用心棒ベネットだけでなく、ペティボックスから、スパイとして送りこまれていた弟子キーストンまでもが、(そのことを告白したうえで)、やはりコンをかばうに至って、ネバリーはようやく重い腰を上げる。
テンポがよく、スリルにみちた物語。泥棒やスパイが横行し、魔力をめぐって権力争いが起き、だれが味方でだれが敵か、疑心暗鬼にならざるを得ないなか、魔力だけはどんどん減少し、ウェルメトという町の命運が危機に瀕していてく。コンの救出は間に合うのかと心配になる。
物語はコンの一人称で進むが、懐疑的なネバリーの日記と、それに対するコンのコメントが挿入され、おかしみを誘う。ただし、それぞれの町に魔法があるらしいことは言及されているが、ひとつの町だけに通用する魔力という不思議な設定をはじめ、全体的な世界観が見えてこないあたりは、アメリカのファンタジーの弱点に思えた。
以下は絵本。
竹中マユミの『ひゃっくん』(偕成社2016年8月)は、百円玉と、それを祖母からもらったゆうたろうの物語。祖母にお礼を言ったあと、ゆうたろうは百円玉にも挨拶する。すると、人間に話しかけられたことがうれしくなった百円玉の「ぼく」も、返事を返す。その声がゆうたろうに届いたので、ぼくは「ひゃっくん」と名付けられる。もっとも一緒にいられたのはわずかな日数で、ゆうたろうが百円でガチャガチャをするときまで。そのとき、また会えるとぼくは言ったものの、あちこちと旅が続き、再会はもう無理かと思われた。
擬人化された百円玉の旅を通して、人間社会の「通貨」制度の一端が描かれているが、ゆうたろうとの再会は、地元の喫茶店での窃盗事件を経て、うまく果たされている。発想といい、消費税の関門をすりぬけた物語展開といい、上手だと思う。
ジョナルノ・ローソン作 シドニー・スミス絵『おはなをあげる』(ポプラ社、2016年4月)は、カナダの作家と画家による、言葉のない絵本。画面構成と色使いに特徴がある。最初の見開きでは左ページに3階建ての建物が並ぶ通りを、父親らしき男性と手をつないで歩く女の子。屋根の鳥から車道までセピア色のなかで、ひとりだけ赤色のフード付きのコートを着た女の子が目立つことは言うまでもない。右ページは9分割され、あちらこちらを目を向けていた女の子が、ふと道端の花に目を止める瞬間まで。次の見開きでは左ページも右ページも3分割の、ただし縦横の比率は左右で異なる画面で、女の子の行動をずっと追いかけている。興味深いのは、最初は赤(女の子)だけだった色数が、黄色(花)、赤や黄色(果物)、赤っぽい花…というように増えていき、住宅地に差しかかるころから多色になることだ。
言葉はなくても、何が起こっているかは絵が語る。女の子のかたわらの男性は、電話で誰かと会話しているあいだは、そばにいても、心はそこにない。そして女の子は道端でみつけた花々を、ふさわしい相手を見つけてあげている。ただそれだけの行為だが、なんともいえない豊かさを感じられるから、不思議だ。
最後は『300年まえから伝わるとびきりおいしいデザート』で締めよう。これはエミリー・ジェンキンス文、ソフィー・ブラッコール絵、横山和江訳、あすなろ書房2016年5月である。扉ページには、1710、1810、1910、2010という四つの数字、つまり年号が書いてあったのだが、その意味に気づいたのは見終わってから。

300年くらいまえのこと、イギリスのライムという町で、女の子とお母さんが、野原でブラックベリーをつみました。

1話目はこのようにはじまり、自宅で搾った牛乳からできたクリームを腕が痛くなるまでかきまぜてホイップクリームにし、つぶして種をとったブラックベリーと砂糖を加えたものを冷やして夕食後のデザートにする過程が描かれる。
2話目では、舞台はアメリカのチャールストン、農場の庭で摘んだブラックベリーからデザートをつくるのは、黒人(奴隷)の女の子とその母親。出来上がったものを食べるのは農場主一家で、女の子は後片付けのときこっそり味見するだけ。
3話目もアメリカだが、今度はボストン。市場で買ったブラックベリーに、配達された生クリーム、鉄の泡だて器で泡立てること5分で、ホイップクリームとなる。冷やすのは、配達される氷を使った冷蔵庫。家族で囲む日曜日の食卓をかざるデザートとなる。
4話目はアメリカのサンディエゴで、今度は男の子と父親がスーパーマーケットで買った食材、インターネットで調べたレシピ、電動泡だて器、フードプロセッサーを駆使して、ブラックベリーのデザート作ると、友だちの家族とのホームパーティがはじまる。
 つい、4話とも挙げてしまった。4つの時代と4つの場所でのデザートづくりが繰り返されたおかげで、普遍性と時代性が明らかになっている。でも、この絵本の楽しさを倍増させているのは、各話の終わりに繰り返されている「なんて、すてきな、あとかたづけ!」というリフレインだ。最後に4人分のブラックベリー・フールのレシピ、そして作家、画家それぞれからメッセージがそえられている。
本日はここまで。

追記: 翻訳者仲間で友人でもあった鈴木貴志子さん(灰島かりさん)が、今月病気のため逝去された。我々にとっては大きな損失であり、残念でならない。かりさんのご冥福をお祈り申し上げる。(2016年6月)

◆ぼちぼち便り◆(土居安子) *作品の結末まで書かれています。

 6月の読書会の課題本は『パール街の少年たち』(モルナール・フェレンツ/作 岩崎悦子/訳 偕成社 2015年9月)を、古典作品を読むというテーマで取り上げました。1906年に書かれたハンガリーの作品で、遊び場を獲得するために2つの少年グループが戦うというストーリーで、責任感のあるリーダーのボカ、2番手で仲間を裏切ってしまうゲレーブ、ただ一人ずっと従卒のままなのを気に病んでいるネメチェク、敵の赤シャツ団のリーダーで、義を重んじるアーチ・フェリなどが登場します。

 読書会のメンバーの中には子どもの時に夢中になった、若いころ、上野瞭さんとの読書会で読んだという人もいて、全体的には好評でした。子どもだけの世界の独特の空気が感じられる。軍隊ごっこをして大尉や中尉などになりきり、銀紙を貼った槍などを真剣に持ち、戦いの日には世の中で一番大事なことのように緊張するという様子がいきいきと描かれ、ごっこ遊びの楽しさが伝わってくる。飴やパテなど、細かい描写がリアルで、飴は食べてみたくなった。さまざまな民族や階級の大人たちの描かれ方も的確で、端々に大人たちが抱えている問題が見え、ブダペストの町の雰囲気が伝わってくる。グループの色に、ハンガリー国旗の色が使われていたり、イタリアの愛国者とアーチ・フェリを重ねたり、ハンガリーの独立への思い(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)が読み取れる。子どもたちが授業が終わるのを待ち構えるような様子を描いた冒頭の描写が『銀河鉄道の夜』の冒頭を思い出した。などの感想が出されました。

 一方で、前半と後半がばらばらな感じがした。少年たちがあまりに礼儀正しく、行儀がよいので、ややきれいごとすぎる気がした。ゲレーブの裏切りの動機が説明不足に感じた。軍隊ごっこという遊びが戦争を美化することにつながるのではないか。階級差別的な視点が見られる。少年だけの集団で、女子が一人も出てこない。などの批判も出されました。

 そして、一番議論になったのは、ネメチェクの死でした。悲しかった、その場面に来るのが怖かったという感想がある一方で、同じグループや敵のグループの子どもたちが悲しむものの、自分たちの責任についてはほとんど感じていない様子であることに疑問が出されました。ネメチェクは正義を重んじ、勇敢に戦っているにもかかわらず、仕立て屋の息子で体が小さく、命令される人が必要との理由で、犬とともに従卒の役割を押し付けられ続けます。そして、昇進のために、必死になり、そのことが原因で水に三度もつかり、死を招いたということができます。

 作品の中では、ネメチェクの死後、必死で闘い抜いた遊び場に家が建つことが明らかになり、リーダーのボカは遊び場がなくなることを知ります。そういう意味では、ネメチェクの死は英雄譚として語られず、子どもたちの戦いすべてが無意味になるという結末になり、その虚しさがネメチェクへのいじめや軍隊ごっこという遊びそのもの意味を読者に考えさせるということができるかもしれません。ボカが最後に「人間は、悲しいときも、うれしいときも、いつも人生という主人につかえている」と考える結末は、人生の不条理さを訴え、そのことを暗示していると捉えることができます。しかしながら、子ども読者にそのことがどこまで通じるのかは疑問が残ると思われます。古典作品を子どもに伝えるという意味での難しさを感じました。

 最近、古典作品ブームと思われるほど、さまざまなシリーズが出版されていますが、その中には、原作との対象年齢を下げ、抄訳、マンガ的なキャラクターを前面に打ち出した挿絵によるシリーズも多く出版されています。絶対に完訳であるべきとまでは思いませんが、原作のよさをいかに読者に伝えるかという意味では、原作への敬意や愛情が感じられる翻訳を望みます。『パール街の少年たち』は、そういう意味では、私自身が原作は読めないものの、丁寧な翻訳が作品のすみずみまで感じられました。それにもかかわらず、今の子どもにとって古典作品の意味を問うことの難しさをひしひしと感じた作品でした。(土居 安子)

<大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ>
●「 世界のおいしい絵本展 」を開催します
「食」をテーマに、世界各国の絵本約100点を展示、一部は手にとってみることができます。クラフトやメッセージコーナーもあります。
 会 場 : EXPO'70パビリオン 1階ホワイエ (吹田市 万博記念公園内)
 期 間 : 7月23日(土)〜8月7日(日) 10:00〜17:00  水曜休館
 <イベント>
  ◇ おはなし会:7月23日(土)1)13:00〜、2)15:00〜 当日参加自由
  ◇ 絵本づくりワークショップ:7月30日(土)13:00〜16:00 ※ 定員に達しました

*以上、土居安子です。

*以下、三辺律子です。
 すみません(またまたまた)。今月も映画のみのご紹介となってしまいました。映画は上映期間があるので、ついこっちをまず書かないとという気持ちに……。
でも、当然ながら、おすすめしたい本もたくさん出ています。中でも、映画『プラトーン』や『7月4日に生まれて』の監督オリバー・ストーンの『オリバー・ストーンの告発 語られなかったアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック著 スーザン・キャンベル・バートレッティ編著 鳥見真生訳 あすなろ書房)。これは、早川書房で出ている『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』を、ティーンエイジャー向けにわかりやすくリライトしたものです。見る角度を変えると全然ちがう歴史が立ちあがってくる―――"グローバル化"社会の今、それを実感することは、特に若い読者にはとても大切だと思います。

 あと、まったくちがう一冊、『シタとロット 二人の秘密』(アナ・ファン・プラーハ著 板屋嘉代子訳 西村書店)。オランダの14歳の少女の友情の物語です。本国では、性描写のあり方が話題になったようですが、それよりもこの年齢特有の溢れるような瑞々しさ、面倒くさくて、でも、輝いている、そんな年代のありようを描きだしているところに惹かれずにはいられません。舞台がスペインとオランダというのも、魅力。ぜひ手に取ってみて下さい。

〈一言映画評〉 三辺律子 *公開順です

『ズートピア』
 ちょっと遅れましたが、まだまだ上映しているところもあるはず。差別の問題を深く掘り下げつつ、心底楽しめるエンタメに仕上げているところに感服。

『ブルックリン』
 1950年代、アイルランドからニューヨークへと移住したエイリシュ。彼女が住むことになったのは、当時人口の四分の一がアイルランド人だったブルックリン。エイリシュが故郷とアメリカのあいだで揺れうごきつつ、力強く生きていくさまを描きます。ちなみにエイリシュの恋人はイタリア系アメリカ人。ニューヨークは移民の街だということを改めて実感。

『疑惑のチャンピオン』
ガンを克服し、ツール・ド・フランスで7連覇した自転車ロードレースの英雄ランス・アームストロングの栄光と、薬物使用による転落を描く。ランスの栄光への執着がヒリヒリと伝わってくる。

『シアタープノンペン』
 女子大生のソポンは、偶然立ち寄った古い映画館で母が女優だったことを知る。ポル・ポト派によるカンボジア大弾圧のため、映画が最後まで撮影されなかったことを知ったソポンは……。日本で公開されることはなかなかないカンボジア映画というだけでも、一見の価値あり。

『トランボ ハリウッドにもっとも嫌われた男』
赤狩りの標的となり、ハリウッドで弾圧を受けながらも、偽名を使ったり、B級映画の脚本を書いたりしながら、戦いつづけたダルトン・トランボの半生。あの映画も、この映画も、彼の脚本だったなんて!

『ラサへの歩き方 祈りの240km』
チベットの聖地ラサ、そしてカイラス山への巡礼を描く。五体投地(両手・両膝・額を地面に伏して祈る)をしながら、240kmを約一年かけて進む。ものすごくつらいはずなのに、みんな幸福そうで、日本と全然違う時間が流れていることが伝わってきて、引きこまれる。

『めぐりあう日』
あの『冬の小鳥』(お勧めです!)のルコント監督の二作目。生みの親を知らずに育ったエリザは、夫と別居し、息子を連れて出生地で実母捜しを始める。ルーツへのこだわりを描く作品だけれど、エリザの職業が理学療法士で、映画で描かれる肌と肌、肉と肉の触れあいが底知れぬ迫力を生んでいる。

 以上、また「追記」なども復活させたいと思っている三辺律子でした。

*以下、ひこです。
『シタとロット ふたりの秘密』(アナ・ファン・プラーハ:作 板屋嘉代子:訳 西村書店)
 民宿を営むシタの家とレストランを開いているロットの家は両親がオランダからスペインに移住してきた家族。そんなこともあって幼い頃から二人は一緒。
 十四歳。成長期を迎え、フラメンコも巧いシタはあこがれの存在。一方ロットはまじめで少し幼い。
 それでも二人は親友。恋の話に余念がない。
 仕事が上手くいかなくなったシタの一家はアムステルダムに戻る。なぜかロットの母親もロットを連れて戻る。父親と上手くいってないらしい。
 それでも十四歳。二人は恋の話、友だちと充実している。ところが、あるときロットはシタの日記が目に入り彼女が悩んでいるのを知る。なかなかそれを打ち明けてくれないシタ。そのためロットは日記の続きを読んでしまう。そこに書かれていたのはロットが想像もしなかった、ある厳しい事態だった。
 さすがオランダのYA小説。腹の奥底までぐっと描いてきます。

『ボノボとともに』(エリオット・シュレーファー:作 ふなとよし子:訳 福音館)
 コンゴ民主共和国。母親が保護センター所長であるソフィはボノボの子どもオットーを大事にしているが、内戦に巻きこまれセンターから森へと逃げ込む。母系のボノボ集団の最下位に置かれたソフィー。彼女は、そしてボノボは生きの残れるか?
 絶滅危惧種保護に関する難問や矛盾をはらみつつ展開する動物物語。

『囀る魚』(アンドレアス・セシュ:作 酒寄進一:訳 西村書店)
 子ども向けではありませんが本好きのYAなら読めます。
 たくさんの古典や名作と呼ばれる作品が物語の中で扱われ、史実もフィクションもない交ぜに、「物語」を考える物語になっています。邪道でしょうけれど、ブックガイドとして読んでもいいと思います。
 ウンベルト・エーコのように時代時代の歴史や政治、言語まで絡んでこないので、軽く本好きにも楽しめます。

『やさいの花』(埴沙萠:写真 嶋田泰子:文 ポプラ社)
 タイトルそのままの写真絵本です。自家菜園をしないと、やさいの花はなかなか見る機会がありません。やさいは、人間が収穫して食べる部分がたくさんある花ということですから、花が好きなら、どれも綺麗です。
 この絵本はやさいの種別で並べていますから、そこも楽しいです。ゴボウはキクの仲間か。レタスもキクか。キャベツも、ブロッコリーも、ハクサイも、カブも、ダイコンもナノハナか。という具合。
 昔、借りていた戦前からの一軒家のガレージを畑にして野菜作りをしていた私は、とても懐かしく拝見しました。

『むしこぶみつけた』(新開孝:写真・文 ポプラ社)
 色んな植物の色んな場所に出来ている、一見果実のようなむしこぶの写真絵本です。
 虫たちの卵が安全に孵化し、時には成虫になるまで守り、餌となる塊です。どのようにして出来るのかはまだよくわかっていないとのことですが、どれも綺麗。綺麗だけど、中に入っている物を考えると、怖い感じもします。
 新開さんはちゃんとかじってみたそうです。
 子どもと散歩する道の垣根や、公園の樹木で発見できれば、とっても楽しいのは間違いなし。「ふしぎ」に目覚めます。

『あしたがすき』(指田和:文 阿部恭子:絵 ポプラ社)
 釜石市。被災地に作られた、こすもす公園。でも、その向かいの工場の壁が津波のようで怖い。それを希望の壁画にしよう! 子どもたちと画家のプロジェクトの始まりです。
 子どもたちと阿部が描いた画の、なんと賑やかで明るいこと! 圧迫感のあった壁が、未来への風景に変わりました。

『いつだってともだち』(内田麟太郎:作 降矢なな:絵 偕成社)
 オオカミがよそよそしい。キツネがさぐると穴掘りに精を出していて、それがなんだかわからない。気になるキツネ。心配なキツネ。さみしいキツネ。ところが……。
 こんなに盛大に祝ってもらって、キツネ。幸せが満杯です。

『あれたべたい』(枡野浩一:ぶん 目黒雅也:え あかね書房)
 お誕生日。ばあばと食べたお菓子。あれを食べたい。でも名前が思い出せない。ぼくはおとうさんとばあばの家へ。
 その途次で色々、あれじゃないかな、これじゃないかなと思うけれど違う。町の生活感溢れる風景。愉快な言葉が跳ねて、たどり着いた答えは?
 絵と言葉が手に手を取って、あれを見つけます。そうかあ、あれかあ。

『ハワイ島のボンダンス』(いわねあい:ぶん おおともやすお:え 福音館書店)
 かつて日本から、サトウキビ畑で働くためにたくさん移民したハワイ。絵本は観光地とは別の、ハワイの生活を描いていきます。過酷な労働の慰めにお盆に踊ったボンダンス。戦争があり、収容があり、そして復活したボンダンス。
 ハワイを知るための一冊でもあります。



アニマシオン夏の研修会・東京
2016年8月6日(土)10:00〜16:30
会場:国立オリンピック記念青少年センター 国際交流棟第1ミーティングルーム
参加費:1000円
主催:特定非営利活動法人日本アニマシオン協会
午前の部10:00〜11:40
「作戦体験とその振り返り」横山寿美代(杉並区立久我山小学校 学校司書 学校図書館プロジェクトSLiiiC 代表 協会会員)
予読本『あたらしい図鑑』長薗安浩 著(ゴブリン書房)予め読了、本もご持参ください。
『はちうえはぼくにまかせて』ジーン・ジオン作(ペンギン社)ご持参できるかたはお願いします。
午後の部13:00〜16:30
講演1「これからの子供と読書」ひこ・田中
講演2「これからの時代のアニマシオン」黒木秀子(日本アニマシオン協会 会長)
参加者交流
参加申込みは 日本アニマシオン協会まで        
 FAX  0470-62-5906
 電話 0470-62-5905
メール info@animacion.jp


赤木かん子:お知らせ : アンケートのお願い(学校図書館用のブックリストサイトを作りたいと考えてるので)
http://www.akagikanko.jp/modules/news/article.php?storyid=2163thepictsandthemartyrs@docomo.ne.jp