216

       
【児童文学評論】 No.216
 http://www.hico.jp
   1998/01/30創刊

◆ぼちぼち便り◆ *一部、現在発行分までの内容が書かれています。

 私の所属する読書会は、通常児童文学作品を読んでいますが、毎年3月はマンガを読みます。今回の課題本は『進撃の巨人』(諌山創/著 講談社 2010年3月〜 現在18巻まで刊行)でした。1巻は全員に回覧し、それ以外は読める人、読みたい人が読むという形式で行いました。『進撃の巨人』はアニメ化、実写映画化、小説家、ゲーム化などがされている現在大ヒットの作品で、壁に囲まれた町を人食い巨人が襲ってくるというファンタジーです。ふだんはマンガを読まない方が多く、平均年齢も60歳を超えるかと思いますが、数名を除いてみなさん、とてもおもしろかった、続きが読みたいと言われたのが印象的でした。

 おもしろかったと言われた人たちが共通して挙げたのは、謎解きの要素でした。巨人とは何者か?登場人物の出自は?壁はどうしてできたのか?壁の外はどうなっているのか?主人公のエレンが父に託された鍵を開けると何がわかるのか?作者が結末を見据えて描いているためか、伏線が張り巡らされたしっかりとしたプロットがおもしろいという感想でした。その中では、冒頭に「2000年後のきみへ」とあることで、全てが終わった後から語られているという設定になり、全体が入れ子型の構造になっていることも指摘されました。

 また、現代社会を反映しているという意見も多く出ました。巨人が核やミサイル、テロリズム、自然の驚異など自分たちの力の及ばないものや世界の不安定さの象徴としてリアルに感じられたという人、町を取り囲んだ高い壁を見て、津波の後に作られた海が見えないほどの高い壁を思い出したという人、今の生活を守るためにバリアをはりめぐらせようとする心理と重ねた人などがいました。息子さんがファンという方は、将来に希望が持てず、打ち込めるものを見つけるのも難しい現代にあって、エレンたちの闘う姿にカタルシスを体験しているのではと言われました。加えて、ヒロインミカサの可愛さやアニメーションで人気が出たリヴァイ、知的なアルミンなど、登場人物の魅力も語られました。そして、エレンたちが戦う理由として、人類を救う、家族・友だちを救うという目的に加えて、外の世界を見たい、未知の世界を知りたいという人類が持たずにはいられない好奇心が描かれていることがこの作品のおもしろさではないかという意見も、1巻では上下のコマの余白が大きく、ゆったりと読めたという感想もありました。戦いがボタン一つではなく、人間と巨人が刀などの武器を使って戦うのもおもしろさを支えているのではないかとの発言もありました。

 読めなかったと言われたメンバーは、巨人が人を食べるというシーンの残酷さや巨人の気味悪い描写について行けないと思った人、人物の描き分けがわかりにくかったという感想が聞かれました。

 私も「別冊少年マガジン」という場を得て開花したこの作品を興味深く読みました。まだ全ての連載が終わっていないのでわからない点も多いのですが、一つのキーワードとして「屈折」が挙げられるように思います。

 エレンという思春期の少年が、向こう見ずながらも何にでも立ち向かっていく勇気を持ち続け、サバイバル状況を生き抜いていく。巨人に変身してしまい、自分の意識を保つことができなくなるというアイデンティティの問題、母は殺され、父は行方不明という孤児の状況、父親捜し、無条件に愛してくれるめっぽう強いミカサ、知的に支えてくれるアルミンや、兵団の仲間との友情と裏切りの物語、ミカサとの恋愛物語、兵団での訓練という職業訓練物語など、思春期に関わるテーマが詰め込まれています。エレンがみんなに大事にされ、注目されるという意味ではヒーロー物語だということもできます。

 このような典型的な思春期物語の枠組みを持ちつつ、主人公のエレンは、優等生やスーパーヒーローではなく、たまたま注射によって(現在わかっている限りでは)巨人に変身する能力を得た者で、それも仲間には守られるものの、権力者からは脅威として命を狙われます。そして、巨人に変身した時、人を殺してしまう可能性を持っています。そういう意味では屈折したヒーローだということができます。巨人も、習性として人間を食べているだけで、必ずしも善悪では割り切れない存在として描かれ、巨人に変身することに苦悩を感じている人間も描かれることによって、屈折した「悪」または「敵」ということができます。そして、エレンたちを取り巻く軍隊の上官や政治家たちがそれぞれに屈折した過去を持ち、何が人類のためになるのか、何が自分たちの利益になるのかを、エレンたちの利益と関係なく行動するため、ストーリーがより複雑になっています。作品には随所に「公開可能な情報」コーナーがあり、読者は、全知の神である著者の存在を感じ続け、まだまだある複雑な謎を予想しながら読むという点にも一筋縄ではいかないストーリー展開があります。

 数えきれない人が死んでいくこと、死の犠牲が時に美化されているように感じられることにはやや抵抗を感じますが、これについては、最後まで読んで「死」がいかに描かれているかを見極めたいと思います。そして、この作品の現代的意義についても考え続けたいと思います。

お詫び:前回の「ぼちぼち便り」で私の間違いでほぼ同じ内容の段落が2つ続いてしまいました。お詫び申し上げます。

<大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ>
●以下のサイトや財団のメールマガジンもご活用ください。
◇ ウェブサイト 「 ドキドキ絵本づくり for Kids 」
  http://www.justice.co.jp/dokidoki/
◇ウェブサイト 「ほんナビきっず」
http://www.honnavi.jp/honnavi/navi/topmenu2.jsp
◇ウエブサイト 「子どもの本 いま・むかし」
http://www.justice.co.jp/museum/ref_index.php
◇ メールマガジン(無料、アドレスのみの登録)
  http://www.iiclo.or.jp/m1_magazine/index.html

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以下、三辺律子です。

『フィフス・ウェイブ』(リック・ヤンシー著、安野玲訳、集英社)

 今、アメリカを中心に世界で多く読まれているディストピア小説。特に、YAの分野でもっともたくさんかかれていることは、まちがいないだろう。『ハンガーゲーム』(コリンズ)、『メイズ・ランナー』(ダシュナー)、『ダイバージェント』(ロス)などは、どれも全米のベストセラーリストに長期間にわたってランクインし、映画も大ヒットを記録している。主な児童文学賞の候補作だけでも、パトリック・ネスの「混沌の叫び」シリーズと『まだなにかある』、『シャッターミー』(タヘレア・マフィ)、『カッシアの物語』(アリー・コンディ)、『マザーランドの月』(サリー・ガードナー)など、多くのディストピア小説を見つけることができる。いや、本当はもっとたくさんあるのだが、邦訳が少ないのだ。とはいえ、先日も日本文学にディストピア小説が増えてきたという記事を目にしたばかり(伊藤計劃『ハーモニー』、村田沙耶香『殺人出産』、星野智幸『呪文』などなど)なので、まだこれから盛り上がるのを期待できるかもしれない。
 こうしたなか、満を持して登場したのが、リック・ヤンシーによる『フィフス・ウェイブ』だ。本作で描かれるディストピアは、圧倒的な力を持つエイリアン〈アザーズ〉の攻撃を受け、人口の97%が失われた地球。第一の波(攻撃)によりあらゆる電源をシャットアウトされた人類は、たちまち石器時代の生活に逆戻りさせられる。電気がなければ、交通機関はすべて使えなくなり、移動は徒歩のみとなる。インターネットなどの通信手段はもちろん、水道やガスといったライフラインはすべて失われる。いかに人間が電気に頼って生きているかを痛感させられる場面だ。第二の波である津波で沿岸の都市は全滅、自然の脅威を思い知らされる。第三の波の鳥インフルエンザは、現実でも人間のあいだでのパンデミックが懸念されており、生々しい。そして、第四の波では、エイリアンが人間に「寄生」し、敵味方がまったく見分けがつかなくなったことから、「人間らしさとはなにか」という究極的な問いを突きつけられる。では、第五の波は? という謎を中心に、物語はものすごい勢いで突っ走っていく。
 こうした「あり得る未来への不安」を描くディストピア小説が、若い世代に切実さを持って読まれるのは当然だろう。さらに、作者ヤンシーは、見た目も成績もスポーツも「そこそこ」というごく普通の16歳のキャシーを主人公にすえ、多くの若者の共感を呼ぶ。もちろん、キャシーとエヴァンの恋も読みどころのひとつ。
『フィフス・ウェイブ』は発売と同時にベストセラーリスト入りを果たし、チルドレンズ・ブック賞YA部門大賞をはじめ数々の賞を受賞、30カ国以上で翻訳された。YAと大人の本の境界をなくしたと評され、幅広い世代の支持を得ている。つまり、典型的なクロスオーバー・フィクション(さまざまな読者層にまたがって読まれる小説)であるところも、最近のYA小説の特徴を満たしている。
 本作は、クロエ・グレース・モレッツ主演で映画化され、日本でも4月24日から公開。パンフレットには、わたしも文章を寄せていますので、ぜひぜひ映画もごらんください。

〈一言映画評〉 *公開順です

『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』
 最近多い、元気な「老人」を主人公にしたドキュメンタリ。94歳のアイリスは、ニューヨークを本拠地として活躍するデザイナー。わたしよりもよほど元気な彼女の姿には、ただただ敬服。もちろん、「個性がなくちゃ意味がない」という彼女のファッションにも注目。

『母よ、』
女性映画監督のマルゲリータは、新作の撮影を開始するが、アメリカ人俳優のバリーと息が合わず難航(ここ、笑います)。私生活でも、恋人と別れ、娘は反抗期、おまけに入院中の母アーダは死を宣告されてしまう。ときにユーモアを交えつつ、この年頃の女性ならうなずかずにはいられない家族・人生の悲喜こもごもを描く。

『ルーム』
 天窓しかない狭い部屋で暮らす母息子。どうやら息子は一度もこの部屋から出たことがないらしい。なぜ……? その理由がわかったとたん息が詰まりそうになる。後半は彼らの再生が描かれるが、個人的には息苦しさからなかなか抜けられなかった。主演のブリー・ラーソンは今年のアカデミー賞。

『フィフス・ウェイブ』
 ストーリーは上を参照してください。『キック・アス』でヒットガールを演じたクロエが、今度は武器なんて持ったことのないふつうの女子高生を熱演。

『緑はよみがえる』
 1917年、北イタリアの激戦地で大雪に覆われた塹壕の中にこもり、オーストリア軍と戦ったイタリア軍の一夜を描く。寒さや飢え、病気、不条理な命令。たった一夜、しかもほとんどが塹壕内で描かれるため、映画としてはやや動きに欠けるが、そこが力という見方も。

『山河ノスタルジア』
 1999年から2025年まで、一人の女性の半生を追い続けることにより、激動のさなかにある中国を描く。ものがなかった時代から、ものが溢れかえる時代へ、そして……中国の市井の人々を撮りつづけてきたジャ・ジャンクー監督が描く未来が、現代への警句となってひびく。

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以下、ひこです。

『メディチ家の紋章』(テリーザ・ブレスリン:作 金原瑞人 秋川久美子:訳 小峰書店)
 追っ手に殺されかけた少年はダ・ヴィンチに助けられる。マッテオと名乗ったその少年は彼の助手として身を隠し生き延びていく。首から下げた革袋の中には彼が盗んだメディチ家の金印。彼は誰なのか?
「アンギアーリの戦い」以降のダ・ヴィンチの日々と、時代の欲望が交差する。

『お静かに、父が昼寝をしております ユダヤの民話』(母袋夏生:編訳)
 母袋さんが選んだ、創世記やユダヤの民話集です。
 表題になった作品も含め、知恵とユーモアで生き抜く話がやはり面白い。
 他にも世界の他文化にあるのと似ている話もあり、物語の伝播についても考えることが出来ます。
 オオカミがやっぱりまずい立場におりますなあ。
 どれもごく短いお話しなので、時間の隙間に読むのもいい。

『空母せたたま小学校、発進!』(芝田勝茂 そうえん社)。
 とある事情でタマ川に小学校として豪華客船が使われることになったが、なんとやってきたのは空母。主人公たちはそれに乗り込み、やり慣れた戦闘ゲームのように、何かと戦う。という一見荒唐無稽な物語が、読み進むにつれてそれはチャラいエンタメというより、大人たちが迷走している今の時代、その政治状況を子どもたちが撃って行く、極めて真っ当な児童文学であることがわかってきます。これはシリーズで二〇一六年にはもう二巻が予定されています。

『ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ』(ケイテイ・ビービ:文 S.D.シンドラー:絵 千葉茂樹:訳 光村教育図書)
 聖アウグスティヌスの写本をクマが食べてしまいました。責任を感じたユーゴ修道士は、グランド・シャルトルーズ教会へ出かけて本を借り、写本を作ることに。その本をねらう、クマ。
 写本の作り方から、本をクマに食べられないかの冒険まで満載で、素敵な飾り文字の入った絵で構成された絵本。
 好きです。

『ことりのおそうしき』(マーガレット・ワイズ・ブラウン:文 クリスチャン・ロビンソン:絵 なかがわちひろ:訳 あすなろ書房)
 公園で、小鳥が死んでいるのを見つけた子どもたち。彼らはお葬式をし、小鳥を埋めてあげます。
 お見送りの歌を歌い、草花を飾る。
 でもいつか草花はしおれ、毎日のようにお墓を訪れている子どももやがては忘れていくでしょう。
 ワイズ・ブラウンの言葉にクリスチャンが絵を添えました。静かで明るく、厳かで軽やか。いい絵だなあ。

『文房具のやすみじかん』(土橋正:文 小池壮太:絵 福音館書店)
 子どもが外に遊びに出かけた後。文房具たちの休み時間です。鉛筆はノートに好きな線を引き始め、あわてた消しゴムが消そうとし、色鉛筆も参入してきて、これは普通の消しゴムでは消せないのでおおあわて。という流れて身の回りの筆記用具、特に何がどう消えるのかが解説されていきます。シンプルですが上手い。
 特に小池の絵は、リアルでありつつ文房具の表情も豊かで丁寧な作りこみがいいですね。これが絵本デビューだそうですが、楽しみな絵本画家の登場です。

『父は空 母は大地 インディアンからの伝言』(寮美千子:編・訳 篠崎正喜:画 ロクリン社)
 1995年にパロル舎から出た本の改訂版。画は新たに描き直されています。
 1854年、「シアトル首長のスピーチ」の様々なヴァージョンから寮が編みました。
 空に、大地に、海に、川に、世界に対する畏敬と、人であることの誠実な謙虚さに満ちた言葉。
 この地点まで立ち戻って考えてみること。

『とんでもない』(鈴木のりたけ アリス館)
 「ぼく」は自分にいいところがなんにもないと思っていて、色んな動物の素敵なところを思い浮かべます。サイは鎧があるし・・・。でも、サイはサイで他の動物をうらやましく思っていて・・・と、連鎖していきます。大丈夫。自分を受け入れれば一番それが楽しいよ。

『へそのかくれが』(中西翠:文 かべやふよう:絵 アリス館)
 幼稚園で、ゆいくんがなんかおかしい。いつもと違って反対のことをする。あきらが調べるとなんと、おへそにあまのじゃくが! そしてそいつはあきらのおへそに飛び移り、さあ大変!
 園児のちょっとした気分をあまのじゃくに託して、大騒ぎが描かれます。

『ぼくのわんこ』(ローリー・アン・トンプソン:ぶん ポール・シュミット:え 雨海弘美:やく 岩崎書店)
 幼い子どもと犬の、仲良しな日々、時間を描いています。もう幸せになれます。Pinterestでも子どもと犬の素敵な写真が一杯在りますから、ポール・シュミットの絵がそれとは別の力を持っているのがよくわかるでしょう。柔らかな線をお楽しみください。

『こばととあひるちゃん』(デイヴィッド・マーティン:ぶん デイヴィッド・ウォーカー:え 福本友美子:やく 岩崎書店)
 こばととあひるのひなが公園で遊ぶ様子です。滑り台、泥遊び、親との昼食、けんか、仲直り。小さな子どもの遊びの風景が展開されていきます。事件は起こりません。だから楽しい。

『ミクロワールド大図鑑 人体 電子顕微鏡でのぞいてみよう!』(宮澤七郎:監修 小峰書店)
 肉眼では見えない細胞やウィルス。体の切断面の写真。神経細胞。見たくない人には見たくない風景ですが、自分の体を別の観点から見るにはいい本です。こうなっているんだ!という畏れにも似た感動は、感情面で揺れているときなんかに結構役立ちます。

『世界のどうぶつ絵本』(前田まゆみ あすなろ書房)
 百三十種類の動物が紹介されています。ボリュームの関係から詳細な紹介ではありませんが、ちょっと興味を抱くための入り口としての情報が描かれています。
 詳しく書くことより、たくさんの動物を見せることで、子ども一人一人が、どれかの動物に惹かれればうれしい絵本です。また、自分が知らないたくさんの動物が存在していることを知るのもいいですね。

『父さんたちが生きた日々』(岑龍・作/中由美子・訳 童心社)
 貧しいながらも日本に留学し人類学を学ぶ父さん。山本さんと友人になり、彼の母親のすすめで山本家に住むことに。二人は兄弟のように付き合う。が、戦争が二人を引き裂き、父さんは中国に戻って抗日の戦いを続ける。戦争が終わり山本さんのお母親から、彼が戦死したと聞く。
 個の思いを打ち砕く戦争の無神経さを、静かに描きます。

『バンブルアーディ』(モーリス・センダック:作 さくまゆみこ:訳 偕成社)
 センダック三十年ぶりの作・絵で遺作です。誕生日を一度も祝われなかったバンブルアーディ。両親が食肉になったのを期に、やさしいおばさんの元へ。とうとう八歳で初めての誕生日! みんなで祝おう! でもなんだかすごいことになってしまって、おばさんは怒り出すし、さあどうなる?
 画面の隅々まで楽しさ溢れるさすがのセンダック。

『サバンナを生きる ゾウのこども』(ガブリエラ・シュテーブラー:写真・文 たかはしふみこ:訳 徳間書店)
 ゾウの子どもの誕生からの姿を追った写真絵本。もう、可愛いったらないですが、綺麗に撮るのではなく活き活きと撮る姿勢が、写真をリアルにしています。ああ、でも、可愛い。

『しんかいたんけん! マリンスノー』(山本孝 小峰書店)
 兄弟は並べた布団で眠る前、深海探検ごっこをしようと言って布団に潜り込み、さあ、出発!
深海魚の不思議が、特徴を上手く捉えた山本の絵で楽しめます。
好きなんだ! って思いに溢れているので気持ちがいいです。
最後、そのまま爆睡している兄弟がいいんだなあ。

『海底電車』(松本猛:構成・文 松森清昭:絵 童心社)
 おじいちゃんのお屋敷に行ったぼくは、そこで大きなレール模型を発見。その向こうに置いてあった水槽側から覗いてみると、海底電車となり、ぼくは海に沈んだ遺跡を巡る旅に。
 電車、遺跡、海底という奇妙な組み合わせをいかに幻想的な絵に仕立てていくか。松森の腕が見物の一作です。

『天使がいっぱい』(長谷川集平 光村教育図書)
 作者の祈りに満ちた作品です。
 真っ白に積もった雪。
 私は、遊びに来たおばちゃんと一緒に、雪の上に仰向けに大の字に寝ます。
 そうして手を動かすと、雪にはまるで天使のような跡ができる。
 ただそれだけの話が、私たちの想像力の方へと託されていきます。

『海のなかをはしった日』(チョン・シューフェン:さく 中由美子:訳 童心社)
 家族三人で帰宅途中に雨になりラッシュに巻きこまれます。両親はイライラしながら色々言っていますが、少女はここが海底であるかのように空想を働かせています。大きな警官はクジラだったり、車同士のトラブルはサメのケンカだったり。
 画面は左で両親の姿を、右で少女の空想を置いて、そのズレの愉快さを描いていきます。
帰宅。ぐったり疲れている両親。でも少女は元気。
だって、楽しかったものね。

『たまおくんは たまごにいちゃん』(あきやまただし すずき出版)
 たまごにいちゃんももう十六作目。って、すごすぎ!
 今作では、たまごにいちゃんになりたい人間の男の子が出てきます。おかあさんがためごにいちゃんのマスクを作ってくれてそれを被ります。
 さて男の子はたまごにいちゃんのままなのかな?