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以下三辺律子です。

産経新聞 書評欄 2013.より
『さよならを待つふたりのために』ジョン・グリーン著、金原瑞人・竹内茜訳/岩波書店

甲状腺がんを患い、果てのない闘病生活を送る十六歳の少女ヘイゼルと、骨肉腫で片足を切断した少年オーガスタス。二人は、がん患者のサポートグループで出会い、恋に落ちる。このあらすじを聞いて、「ああ、はやりの『泣ける話』ね」と思う人は多いだろう。実際、泣く。でも、泣きたい人が泣けるよう、悲しい出来事や感動的な場面が詰めこまれた作品とはちがう。この本に詰まっているのは、恋のときめきとユーモアとウィット、そして、「泣ける」死などではない、切実な生への思いだ。
サポートグループで、オーガスタスは怖れていることは何かときかれ、「忘れられることかな」と答える。それに対し、ヘイゼルは、忘却は必然であり「無視すればいい」と言う。この反論の「元ネタ」となったのが、『至高の痛み』という、彼女のバイブルとも言える小説だ。
『至高』はがんの少女の物語だ。だが、ヘイゼルいわく、患者が闘病のためにチャリティを始め、人の思いやりに目覚めるような「うんざり」する「がん本」ではない。現実のがん患者であるヘイゼルたちは、(がんで眼球摘出する友人に向かって)「私も目のがんになれるようがんばる。そしたらその(素敵な医者の)先生と知り合いになれる」「せいぜいがんばれ」などとジョークを言い合い、がんで死んだ友人のSNSの「あなたは私の心の中でずっと生き続ける」という書きこみに、感動するどころか、「本人は死なないって前提」だと「ムカついて」いるのだ。
 ヘイゼルが唯一リアルだと感じる『至高』は、結末のないまま終わっている。ヘイゼルは結末が知りたくて、作者に何度も手紙を書くが、返事はこない。それを知ったオーガスタスは、病気の子供の願いをかなえる財団に頼んで、二人で作者のいるオランダへ行こうと提案するのだ。
 TIME誌で一二年度小説一位に選ばれ、米アマゾンで実に四千以上のレビューを集める本書は、若者向けと言われるYA小説が今、いかに幅広い読者を惹きつけているかを身をもって証明している。
  (産経新聞 2013.8.25掲載)http://sankei.jp.msn.com/life/news/130825/bks13082508350002-n1.htm

追記:
 世の中は今、「泣ける**」があふれている。泣ける映画、泣ける本、泣ける本当にあった話、漫画、歌、動画・・・・・・。素直でないわたしは、この風潮にかなり懐疑的で、「貴重なお金と時間まで使ってわざわざ泣きたいんだ、ふうん」などと皮肉めいたことを思ったりしているが、よく考えてみれば、人間はギリシャ悲劇の時代から、そしておそらくもっと前から、「わざわざ泣いて」いるのだ。かのアリストテレスも、悲劇が観客に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する=カタルシスについて、論じている(解釈は諸説あり、論争の的になっている)。転じて、心理学や精神医学、そしてもっと日常的なレベルでも、「涙を流して、感情を浄化する」効用は、広く認められているのだ。
 じゃあ、何が気に入らないんだろう(←あくまで気に入らない)と考えると、泣かせる方法かもしれない。いたいけな子どもや、結婚間近の女性や、忠実な犬が、難病になったり、死んでしまったりしたら、誰だって悲しい。安易すぎる!
 でも、安易でなにがいけないのか? 別に小説や映画を作るのに、慎重だったり苦労したりしなければならないなんていう決まりはないし、わざと難しくしている(ように思える)作品はむしろ嫌いだ。
 では、他人の不幸で一喜一憂(=娯楽化)しているのが気に入らないのか? でも、そうやって主人公や登場人物と自分を重ね合わせ、想像力を用い、彼らの感情や体験をともに経験することこそ、そもそも読書や観劇・映画鑑賞等の原点なのでは!?
 などなど、常日頃考えていたところへ、この『さよならを待つふたりのために』。それこそ難病の主人公ヘイゼルとオーガスタスが、数年先の将来像さえ描けないまま、恋に落ちる。「泣ける本」のお手本のような作品だ。TBSの『王様のブランチ』で取り上げられたときも、訳者の金原瑞人さん自らきっぱりと、「(癌の少年少女が引かれあうという)裏表紙のあらすじを読んだら、ぼくは買いませんね」と身も蓋もないことをおっしゃっていた。でも実際は、そういう金原さんはもちろん、わたしのような「泣ける」本嫌いの読者たちがこの本にひきつけられてる。
 書評にも書いたように、TIME誌で2012年度小説第1位に選ばれ、アマゾンのレビューを(2013年10月末時点でさらに増え)5700以上集めるには、「泣ける」本好きと「泣ける」本嫌い、両方の支持を得なければ、無理だろう。泣ける本が好き嫌いに関わらず、ぜひぜひこの本を読んでみてほしい。
 ちなみに、かくいうわたしの某訳書も、編集者の方が「泣ける」という宣伝文句をつけてくださったおかげか、とても売れたことをここに告白しておきます。(翻訳家 三辺 律子)

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西村醇子の「新・気まぐれ図書室」(2) ――書評再録――
フランシス・ホジソン・バーネット著 三宅興子・松下宏子訳『バーネット自伝―わたしの一番よく知っている子ども』翰林書房 2013年6月27日刊

言うまでもなく、「自伝」とは自らが自身の伝記を書いたものだ。だからバーネットが二歳ごろから一七,八歳ぐらいまでの人生を振り返って書いている本書は、間違いなくバーネットの自伝だ。ところが原書のタイトルは「わたしの一番よく知っている子ども」だという。
訳者のひとり松下宏子によると、バーネットがこのタイトルを選んだ理由はふたつある。ひとつは、バーネットは当時の社会通念に影響され、私的なことを書くことへの抵抗感から、三人称で自身を他者に置き換えたのだろうというもの。もうひとつは、子どもには大人と同等の理解力や想像力があるが、体だけは小さいことを強調するために、子ども時代の自分を「小さなひと」(訳では「その子」)と呼んだというのだ。このふたつのうち、前者はとくに、作品のそこかしこに見られる社会通念と対比して自分の気持ちを分析するバーネットの手法に合致するものだと思う。
バーネットは並外れた記憶力の持ち主だが、そのときどきの子どもの内面を分析するにとどまらず、周囲の状況を読者がわかるように伝えている。それゆえ読者は、優れた子どもの文化史として読むことができる。
たとえばバーネット一家が住んでいたイズリントン・スクエアは、繁栄していた時代の名残りで立派な鉄門が一帯を周囲から閉ざす地域だった。バーネットは周囲に比べて暮らし向きが良く、よそ者が入りこみにくいこの環境で日々をすごしていた。あるとき、スクエアの外で出会った赤ん坊を抱いた年配の女性に、そんなに赤ん坊が好きならあげようと言われ、有頂天になる。実際には乳母だと思われるこの女性にからかわれたことになる。だが、このエピソードをバーネット自ら、当時の英国ではこの地域の子ども部屋で育つと大人に抱く尊敬と信頼が強く、だまされる可能性を信じられなかったのだと解説している。バーネットほどナイーブではないにしろ、仲間の子どもの死を受け入れるときの子どもたちの様子にも、死が身近だった当時にあって、突然の仲間の死を必死に受け入れようとする時代状況がわかる。
つぎに作家の子ども時代らしいエピソードに注目してみよう。物語に飢えていたバーネットだが、居間の本棚の堅苦しい本のなかにまさか物語が入っているとは思わず、いつもただ眺めているだけだった。ところがある憂鬱な雨の日、思い余って本に手を伸ばし、『ブラックウッズ・マガジン』で短い行がたくさんある頁――会話をみて、物語だと気づき、むさぼるように読んだというのだ。このエピソードに絡めて、当時の子どもにふさわしいとされていた「ためになる本」への苛立ちも述べられ、児童文学の黄金期と言われる時代以前の本好きの子どもの苦境が察せられる。
幼いときから人形を相手に「つもり」の冒険を好んで作って遊んでいたバーネットは、やがて退屈した友人たちにせがまれ、物語をつくって聞かせるようになる。これは長編を書くまえの良い練習になっただろうし、また、『小公女』の主人公セーラが、創作したお話を聞かせることで学校の子どもたちを虜にしたエピソードをも連想させる。事実、松下も指摘しているように、自伝の執筆時期は中編「セアラ・クルー」の出版後、それを加筆した『小公女』よりは出版前だった。自伝を通して自分の子ども時代を回想したことが、その後の創作に生かされたと考えると、いっそう興味をかきたてられる。
バーネット一家は、南北戦争の影響で経済的にたちゆかなくなり、親戚のいる米国へ絵向かった。ただし渡米後の記述は時間経過があいまいで、添えられた年表が頼りになる。自伝は、雑誌に短編が掲載され、小切手を受け取るところで締めくくられている。
この短編を同時に収録したことはふたりの訳者の卓見といえよう。短編自体は現代から見ると感傷的すぎるが、当時バーネットたちを魅了した物語世界の一端がよくわかるし、これが作家バーネットの文壇デビューか、という感慨も味わえる。
豊富な注釈の恩恵にも触れておきたい。文中の単語の単なる説明にとどまらず、他の児童文学の作家たちのエピソードと比較をまじえ、生きた注釈となっている。
*『週刊読書人』2013年8月30日号5面掲載 

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以下ひこ・田中です。
【児童書】
『ネコの目からのぞいたら』(シルヴァーナ・ガンドルフ:作 関口英子:訳 岩波書店)
 ダンテは、音や匂いや感触が頭の中で混じり合う、共感覚を持っていますが、そんなこと誰も気づいてはくれず、ただ成績が悪い子と思われています。
 仕事で両親が香港住まいとなったので彼はヴェネチアで祖母と二人で暮らしています。祖母は彼をある老いた先生のもとに通わせます。いわば補習です。
 他の人と違って先生は、ダンテを理解し、何でも受け入れてくれます。先生の元に生まれた子猫の一匹をもらえることに。もっとも祖母はネコアレルギーなので、飼う許可がでるかはわかりません。
 先生は教えてくれます。子ネコが最初に目を開けたとき君と目が合えば、お互いの心の中がのぞけるようになると。
そのときを持ち望んでいるダンテ。そして見事に子猫が最初に目にしたのはダンテでした。子ネコはウェルギリウスと名付けられます。ところが、先生が突然亡くなってしまい、ウェルギリウスはダンテの知らない女の子の元に。その一部始終をダンテはウェルギリウスの目を通して眺めています。
 そして事件が! 女の子が誘拐されたのです。
 理解されない子どもの切なさと想像力にあふれた物語。
 不思議な感覚がいいですね。

『バイバイ、サマータイム』(エドワード・ホーガン:作 安藤まみ:訳 岩波書店)
 ダニエルは父親に連れられて、レジャーワールドで休暇を過ごします。とはいえそんな優雅な話ではなく、母親と別れ、やる気もなんだか失っている父親が有り金ははたいて遊びにきただけです。アルコール中毒の彼は絶対に呑まないとダニエルに約束はしていますが、心許ない。
朝早くに起きたダニエルは、湖で泳ぐ女の子に目がとまります。名前はレキシー。ダニエルはちょっとドキドキ。そして彼はレキシーの腕時計が妙であるのに気づきます。時を逆さに刻んでいるのです。
やがて、ダニエルは知ります。レキシーは暴漢に森へ誘い込まれ殺されてしまった存在であることを。それはサマータイムが終わって、時計が一時間戻される時に起こりました。そのためレキシーは、余分の一時間の中に止まり、永遠にその悲惨な出来事をくり返しているのです。
レキシーを救えるのか? 男を捕まえられるのか? 事件そのものを止められるのか?
思春期の痛みと切なさを時間に閉じ込めて物語は進んでいきますが、背景に父親との家族のあり方などがしっかりと描きこまれていますので、じっくりと味わえますよ。

『おいでフレック、ぼくのところに』(エヴァ・イボットソン:作 三辺律子:訳 偕成社)
 イヌを飼いたいハル。でもお金持ちで仕事に忙しい両親は、そんな世話のかかる、臭い生き物を飼いたいとは思っていません。
 レンタル犬のおてがるペット社の存在を知った両親は、そこで少しの間借りてやれば、ハルはあきるだろうと思います。
 おてがるペット社の経営者は強欲で、犬への愛情も知識もなどありません。犬が大好きな従業員ケイリーは雑種犬を見つけ放っておけず、新種だと経営者に偽り、フレックと名付け、貸し出し犬として飼うことにします。
 店にやってきてハルは、様々な犬種、血統書付きの犬たちを見回りますが、心が通い合う感じがしません。そしてフレックのゲージの前にきたとき、目が合ったとき、お互いがお互いを求めているのがわかります。
 しかし、フレックをずっと飼えると思っていたハルの幸せは無残に打ち砕かれます。
 ハルは、フレックをペット社から盗み出す決心をします。ひょんなことから、他の犬たちも逃げだし、彼らの逃避行が始まる・・・・・・。
 イボットソンが最後に仕掛けた豊かな物語。

『ミサゴのくる谷』(ジル・ルイス:作 さくまゆみこ:訳 評論社)
 カラムはいつもロブとユーアン、三人で遊んでいます。祖父と暮らし、貧しい少女アイオナはみんなから馬鹿にされています。彼女はカラムの家の土地に保護鳥のミサゴが巣を作っているのを発見し、誰にも秘密にしています。ある事件をきっかけにアイオナからその秘密を教えてもらったカラム。誰かに知らせてしまうと、ミサゴは密猟される危険があり、カラムは乱暴なロブたちとだんだん疎遠になっていく。
 アイリスと名付けられたミサゴはつがいとなり子を育て、スコットランドからアフリカに渡っていきます。その頃アイオナが病で亡くなります。カラムはアイオナの意志を継いで、アイリスを守るつもりですが、アイリスの様子を探るには、怪我をしたとき保護管が付けたGPSだけが頼りです。GPDのIDを教えてもらったカラムはグーグルマップでそれを追いますが、動かなくなるアイリス。でも、遠くアフリカの地。みんなはあきらめますが、カラムはあきらめません。そして、
 人を信じる心と、自然への敬意を伝える物語です。

『ピーターラビット クリスマスのおはなし』(エマ・トンプソン:文 エレノア・テイラー:絵 三辺律子:訳 集英社)
 エマ・トンプソンによるピーターラビット第2作。
 クリスマスが近づいてきてピーターたちもなんだかウキウキ。シチメンチョウのウィリアムも一緒にウキウキ。
 でも、ちょっと待って。ウィリアムは喜んでいる場合じゃないでしょう! という、とんでも愉快な始まりです。
 さて、ピーターたちはウィリアムをおとうさんやおかあさんの魔の手から守れるのでしょうか?
 こういう展開は好きだなあ。

『ただいま! マラング村 タンザニアの男の子のお話』(ハンナ・ショット:作 佐々木田鶴子:約 斉藤木綿子:絵 徳間書店)
 父を亡くし母が蒸発したツソは兄と一緒におばさんと暮らしていますが、食べ物もあまりもらえず、ついに兄とともに家出をします。しかし、はぐれてしまい、路上生活者に。
それから4年が過ぎ、ツソは子どもたちに衣服を配っている人たちの車に隠れて乗り込み、たどり着いた施設で暮らすことになります。ツソは兄と再会できるのか?
 世界には、貧困にあえぐ子ども、大人から見放されて路上で暮らす子どもがたくさんいます。彼らはこの本を読める環境にはいないでしょう。しかし読める子どもは読むことで、違う環境に置かれている子どもへと想像力を伸ばすことはできます。それは決して無駄ではありません。理解はそこから生まれ、行動は理解から生まれるのですから。

『ちいさいおうち うみへいく』(エリーシュ・ディロン:作 たがきょうこ:訳 ひらわさともこ:絵 福音館)
 ちいさいおうちは四つの足にちょこんと乗ったかわいいおうちです。街中に建てられましたけれど、周りは大きな建物ばかり。海辺のちいさな家たちのところにいきたいな。
 決心をしたちいさいおうちは、夜中に四つの足でそおっと海辺へと移動。
 目覚めた家族はそのすばらしい景色におそろ来ますが、でもこれだとおとうさんの仕事(靴の修理屋)がなりたちません。さて、どうする?
 ちいさいおうちの気持ちと、家族の気持ちの落としどころがいいですねえ。

『ローズの小さな図書館』(キンバリー・ウィリス・ホルト:作 谷口由美子:訳 徳間書店)
 戦前から現代まで4代にわたる家族の物語です。
父親が出て行き母や弟たちと貧しい日々を送るローズは生活のために年を偽って一四歳で移動図書館運転手になります。彼女から始まった物語は息子から孫、ひ孫へと続いていくのですが、その時々によく読まれた本が少しずつ絡んでいきます(現代はもちろん『ハリー・ポッター』)。
 大事件があるわけではありませんが、日々の暮らしのそこここに現れる喜びがスケッチされて、ぬくもりのある作品です。

『12種類の氷』(エレン・ブライアン・オベット:文 バーバラ・マクリントック:絵 福本友美子:訳 ほるぷ出版)
 タイトル、どういう意味だろう? 雪の結晶の種類かな? などと思っていたら、もっと素敵なお話でした。
 冬が訪れ、去って、春が芽吹いてくるまでの間、家族や街の人たちと一緒に遊べる手製のスケートリンク。それを作るところから、暖かくなってきて終わるまでを中心に、親子が過ごす楽しい冬の時間が見事に描写されています。
 もう、こんな風に「家族」であることは難しい時代でしょうけれど、今の時代の「家族」の楽しい時間を考えるヒントになります。
 マクリントックの絵がいいのはいつも通りです。

『がむしゃら落語』(赤羽じゅんこ:作 きむらよしお:画 福音館書店)
 雄馬は、意地悪なクラスメイトによって、学校の特技発表会で落語をするはめになります。
 逃げ出すこともできず、プロの落語家笑八に教えてもらうことにするのですが、この人ちょっと怠け者で、おまけに弟弟子が先に真打ちになるもので、少々すねていて・・・。
 子どもが努力してがんばるだけではなく、大人の心の揺れも描きこんで、さてオチは?

『せかいでいちばん大きなおいも』(二宮由紀子:作 村田エミコ:絵 佼成出版社)
 ある日、大きなおいもを掘り出しました。食べようとすると、自分は世界一大きなおいもだから、世界一大きな人でないとだめだという。そうして、世界一大きなおいもの世界一大きな人探しが始まりますが・・・・・・。
 大きい、小さいという比較がずれていく二宮ワールドです。

『タイヨオ』(梅田俊作・佳子:作・絵 ポプラ社)
 「いじめ」から転校したタイヨウだったけど、新しい学校でまた「いじめ」が始まる。そしてタイヨウは小さな島へ。そこには都会ではぐれた子どもと島の子どもたちがいて、「まとも」な対応と、「まとも」な学校生活が待っていた。
 タイヨウの受けた心の傷はしだいに癒やされていきます。
 この「まとも」な対応が、なぜ多くの場所で失われたのか? またはかつてはどこにでも存在したのか?
 考えることはたくさんあります。

【絵本】
『さわさわ もみじ』(ひがし なおこ:さく きうち たつろう:え くもん出版)
 シリーズ五作目。
 今回のテーマは秋。紅葉に吹く風と音と、その感触。風に舞う紅葉の軽やかさ。どんぐりの落ちる音。
 それを自然や公園の中だけに置かない視線がいいですね。

『マッチ箱日記』(ポール・フライシュマン:文 バグラム・イバトゥーリン:絵 島式子・島玲子:訳 BL出版)
 小さな女の子のひいおじいちゃんはたくさんのマッチ箱を持っています。そこには彼の思い出がいっぱい。イタリアから移民してきた彼はまだ字が書けず、その時々の思い出の品を、空のマッチ箱に残してきたのでした。父親がアメリカに出稼ぎに行き、やがて家族も移住することに。故郷のオリーブの種。パスタ、栓抜き、ペン軸。学校に行けるようになり、必死で時を覚えたこと。印刷工となったときの活字。そして、日記が書けるようになる。
 女の子ももうすぐ学校に行って字が書けるようになるでしょう。
 古びたマッチ箱の一つ一つを、バグラム・イバトゥーリンは心を込めて描いています。

『ネコがすきな船長のおはなし』(インガ・ムーア:作・絵 たがきょうこ:訳 徳間書店)
 船長は無類の猫好きで、船員より猫の方が多いほどで、商人たちからは馬鹿にされています。旅するときが来たと心に感じた船長は猫だけを連れて、当てのない航海に。たどりついた島で大歓迎を受けますが、そこはネズミが大繁殖していて困っていました。猫たちは残りたがります。猫との交換にお姫様から山のような宝石をもらいます。
 その話を聞いた商人たち、猫より豪華な品々を積んで、その島を目指すのですが・・・。
 お話の楽しさを満喫させてくれる絵本です。
 こんな話が書けて、こんなに活き活きとした絵が描けて、インガ・ムーアの才能のすばらしさよ。

『あめふらし』(若松宣子:訳 出久根育:絵 偕成社)
 理論社から出ていたグリム絵本の再刊行です。良かった良かった。
 出久根の場面の選択と、自由な発想による画面を堪能してください。

『さるくんに ぴったりな おうち!!』(おおはしえみこ:作 村田エミコ:絵 すずき出版)
 自分の家を建てようとさるくん、みんなの家を参考にさせてもらいます。ネズミさんの家は・・・小さいな。キリンさんの家は・・・高いな。ゾウさんの家は・・・大きすぎる。やっぱり自分の家は自分でね。この単純な展開が、わかっていてもおもしろい。いや、わかっているからおもしろい。
 村田エミコの版画が愉快な気持ちにしてくれますよ。

『いのちの木』(ブリッタ・テッケンラップ:作・絵 森山京:訳 ポプラ社)
 森、雪の中。一匹のキツネが、その命を終えます。静かに横たわるキツネの周りに動物たちが次々と集まってきて、キツネとの思い出を反芻します。やがて雪の中からキツネのけ毛並みと同じオレンジ色の芽が出てきて、やがてそれは大きな木となり、みんなの思い出を守り、営みを支えてくれます。
 「命」の意味を伝えてくれる絵本です。

『お〜い、雲よ』(長倉洋海 岩崎書店)
 様々な紛争地帯を取材してきたカメラマン長倉による、東北大震災後の風景。タイトルが示すように、それでも雲はどことも変わらず空に浮かんでいます。その空と大地の比較ではなく、その空と大地が一緒にそこにあることの愛しさに長倉の視線は向いています。

『ゼロくんのかち』(ジャンニ・ロダーリ:文 エレナ・デル・ヴェント:絵 関口英子:訳 岩波書店)
 『チポリーノの冒険』のロダーリが、こんな素敵な数字物を書いているのは知りませんでした。
 ゼロくんは丸くて気立てもいいけど、いつも他の数字に負けてばかり。3まで数えられなくてイライラしている1くんを自分の車に乗せてあげます。横から見ると、1と0ね。
すると、2から9の数字たちが敬意を表してくれるのです。だって、10だもん。つまり、0くんと並んで歩くとみんな20になれたり、30になれたりするのです。
傷ついた心を巧く救いますね。
これにヴェントが刷りとペン画で、ちょっと素朴で、とってもいい味の絵を付けて絵本に仕上げています。
いい仕事だなあ。

『おひめさまとカエルさん』(ハーヴ&ケーテ・ツェマック:文 マーゴット・ツェマック:絵 福本友美子:訳 岩波書店)
 おひめさまといっても、王族の女の子ではありません。普通の女の子です。でも、彼女はおひめさまなんです。ともだちのカエルさんとの毎日、小さな出来事を描いています。
 ケーテは、ハーヴとマーゴットの娘さんで、彼女が子どもの頃妹に語り聞かせた話が元になった家族で作った絵本です。
 うん、そんな感じがする。

『かぜ フーホッホ』(三宮麻由子:ぶん 斉藤俊行:え 福音館)
 開けた窓から秋の風。庭の物干しにも秋の風。お散歩していても秋の風。強い風、優しい風。そんな風を描いています。

『おかし』(なかがわりえこ:ぶん やまわきゆりこ:え たくさんのふしぎ傑作集 福音館)
 お菓子の効能(?)について、なかがわりえこが語ってくれます。子どもとお菓子の相性もね。もちろん、大人にだってお菓子は大切。お菓子は幸せで、幸せもお菓子です。

『あのな、これは、ひみつやで!』(くすのきしげのり:さく かめざわゆうや:え 偕成社)
 幼稚園で、ないしょの秘密が、園児たちの間に次から次へと伝わります。一つは先生が結婚するって秘密。一つはたけるくんがもうすぐお兄ちゃんになるって秘密。ところがいつの間にか二つの秘密は・・・・・・。
 幼稚園のざわめきが聞こえてきそうな愉快な物語に、かめざわが、ホンマに楽しい絵をつけていますよ。

『世界クワガタムシ探検記』(山口進 岩崎書店)
 クワガタムシにはまっている山口進が、世界中で探して撮った、ヴォリュームたっぷりの本です。私なんぞは、クワガタムシっていうと一つしかイメージが浮かばなかったけれど、知らない、見たことない、こんな体型もなるのね! 状態で楽しみました。
 図鑑とはちょっと違った、著者の喜びをともにできる本。

『まじょのウィニー』(ヴァレリー・トーマス:文コーキー・ポール:絵 もとしたいづみ:訳 静山社)
 魔女の家の外観から室内まで、細かく描き混まれているのが、なかなかすごいです。作り手が楽しんでいるのがわかって、こちらも楽しくなる。
 ウィニーは黒が大好きで、家も家具も服もみんな黒い。おまけに愛猫のウィルバーも黒猫なもので、どこにいるかわからない。そこでウィニー、ウィルバーにある魔法をかけてしまう。
 期待大のシリーズが始まりますよ。

『ふたつのねがい』(ハルメン・ファン・ストラーテン:作 野坂悦子:訳 光村教育図書)
 ガラス玉の中の雪だるま。ほら、よくあるでしょう。ひっくり返すと雪が落ちてくる飾り物。その雪だるまが、踊り子の人形に恋をしました。でもガラス玉の外にでてしまうと、雪だるまは……。
 人形も雪だるまに恋をしました。
 そうして恋の成就はね……。
 クリスマス絵本というよりも、暖まる冬絵本。

『よるのきかんしゃ、ゆめのきかんしゃ』(シェリー・ダスキー・リンカー:文 トム・リヒテンヘルド:絵 福本友美子:訳 ひさかたチャイルド)
 『おやすみ、はたらくくるまたち』で、「はたらくくるま」ジャンルに新しい世界を作ったコンビの最新作。こんどは電車と汽車です。乗ってくるのは猿やラクダやカンガルー。恐竜もいるぞ。これはいったいどんな汽車。それは読んでのお楽しみ。

『ソフィー・スコットの南極日記』(アリソン・レスター:作 斉藤倫子:訳 小峰書店)
 九才のソフィーがパパと一緒に南極で暮らしてみます。そうした趣向で、観測隊の暮らしぶりや南極のおもしろさが描かれていきます。アリソン自身の体験に基づくものなのですが、写真を交えたイラストで、解説しつつ、ソフィー(子ども読者代表)の目線でいろんな興味をかき立ててくれます。ユーモアも豊富で楽しい仕上がり。絵本+紹介のバランスがとてもよくて、この作家の腕の良さがわかります。

『クリスマスをみにいったヤシの木』(マシュー・シルヴァンデール:文 オードレイ・プシエ:絵 ふしみみさを:訳 徳間書店)
 日の照りつける砂漠に小さなヤシの木。冬のクリスマスを見たくなり、大冒険に出かけます。海を泳いで渡り、忙しそうな町並みで迷い、たどり着いた先で見た、冬のクリスマス! それは、家族の暖かな心にあふれたクリスマスでした。

『サンタさんのトナカイ』(ジャン・ブレット:作・絵 さいごうようこ:訳 徳間書店)
 サンタさんのトナカイを準備する少年。でもなかなか言うことを聞いてくれなくて、果たして間に合うのかな? という少年の不安と試行。リアルな画風ですから、少年とトナカイの表情がよくわかり、最後はもちろん、ほっ。
『ちかちか ぴかり』(ジョアン・B・グレアム:ことば ナンシー・デイビス:え ふじたちえ:やく 福音館書店)

『そんなとき どうする?』(セシル・ジョスリン:文 モーリス・センダック:絵 こみやゆう:訳 岩波書店)
 図書館で悪い人にしょっぴかれそうになった。さあ、どうする? 図書館は静かに歩きましょう。本を読んでいる途中で捕まった。さあ、どうする。読んでいたページにしおりをはさみましょう。セシルのとぼけた短い展開に、センダックが真剣に絵を付ける妙。

『雪虫』(石黒誠:文・写真 「たくさんのふしぎ」11月号 福音館書店)
 石黒による、雪虫の一生を伝える絵本。一生といいましたが、雪虫がこんな生態とはしりませんでした。卵、幼虫、さなぎ、脱皮じゃない。子ども(雌だけ)が違う形態の子どもを産み、その子がまた子どもを生んで、数代目に私たちが知っている雪虫が生まれるのだ。知らなかったことを知るのは幸せ。

『まちのじどうしゃレース』(たしろ ちさと ほるぷ出版)
 「5ひきのすてきなねずみ」シリーズ最新作。
 今回は、ねずみたちがレースカーを自作して競争します。
 人間が出したいろんながらくたからクルマを作る楽しさ。人の足の間を走り抜ける爽快感。
 それはまさに、子どもの視点。
 たしろの画の色合いや筆跡が伝える安心感がなんとも魅力的。

『ならんだ ならんだ』(やすえ りえ:ぶん 脇坂かつじ:え 「こどものとも012」11月号 福音館書店)
 クレヨン、クルマ、アリ、チューリップ。みんな並んでいます。並んだことではなくて、並べて、それぞれの色の違い、色彩のバランスなどを感受する絵本ですね。

『おおやまさん』(川之上英子 川之上健 岩崎書店)
 幼稚園のバスの運転手、おおやまさん。彼は無表情で運転するので子どもたちからは怖がられて人気がありません。ところがみんなはだんだん気づいてきます。おおやまさんが、運動会で応援してくれていたり、花壇の花を大切にしていたりする人なのを。
 でも、運転するときのおおやまさんは、やっぱり怖い顔なのだ。
 この感じ、わかりますよね。人の立体感を物語と絵で巧く表現しています。

『しりとりさんぽ』(石津ちひろ:作 壁谷芙扶:絵 小学館)
 かなちゃん、なおきくん、きよかちゃん(の名前もしりとりです)が連鎖で散歩をして、道々の出来事をしりとりで語っていきます。文字の色も工夫してしりとりがわかりやすく描かれていてよいですね。
 ことばあそびが、絵本の中で野に放たれているので、言葉に広がりが出てきます。

『盆栽えほん』(大野八生:作 あすなろ書房)
 心優しく盆栽について解説した絵本です。私にはその知識は全くありませんでしたが、読んでいると、なんだかぼんやりとわかってきたような。丁寧に育てれば一つの樹木と何十年もつきあえる盆栽。すごいことだ。

『よーい、ドン!』(中垣ゆたか ほるぷ出版)
 『ぎょうれつ』で鮮やかなデビューをした中垣の最新作です。前作は一つの線として人々を並べ、そのことで人それぞれを特徴立てて描いていましたが、本作では運動会ですから、面として人々を描いていきます。なんと賑やかなこと!

『日本の川 よどがわ』(村松昭:さく 偕成社)
 よどがわを、歴史も含めて源流からたどっていきます。こんなに詳しく見たのは初めて。自分の居住地へと興味を向けることから、知識は広がっていきます。
 ただ、見開きの方向が実際の流れの方向と逆なので、地元の人間にとってはイメージを抱きにくいのが残念です。

『ちかちか ぴかり』(ジョアンB・グレアム:ことば ナンシー・デイビス:え ふじたちえ:やく 福音館書店)
 花火、ろうそく、太陽。いろいろな光を、絵本の上で言葉を使ってどう表現するかの試みです。文字そのものが絵を作ってもいきますから、翻訳と文字の色彩や置き方はさぞかし大変だったことでしょう。
 置かれた文字に沿って視線を動かしながら読んでいくと、確かにちかちか。

『やまのばんさいかい』(井上洋介:えとぶん 小峰書店)
 なんだかいつも同じことを書いているような気もしますが、井上洋介の世界は、誰がなんといったって、どの角度から見たって、井上洋介の世界なんである。本作は、いろんな動物がおしゃれをして山に向かう姿が見開きごとに描かれ、まあタイトル通りのことが行われる、それだけのことですが、このそれだけのことがとてもおもしろい。それは絵力であるのはもちろんとして、やっぱり言葉の選択、言葉の置き方が抜群にうまいのです。

【その他】
『吃音のこと、わかってください』(北川敬一:著 岩崎書店)
 吃音当事者とその親、治療者へのインタビューによって構成された、吃音に近づける好著。
 一人一人の考え方の違いが、そしてそのどれが正解というのでもなく存在していることの大切さがよくわかります。
 理解と誤解が紙一重であることも。
 吃音への理解のためだけではなく、もう一回り広い、「当事者」や「差別」などについても考えが広がっていきます。

『王さまとあそぼう 「ぼくは王さま」のすべて』(理論社)
 「王さま」シリーズの資料集、ファンブックです。和歌山静子による描き下ろしもございます。和歌山さんへのインタビューがなかなか興味深いですよ。

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