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*三辺律子です。

読売 NAVI&navi テーマ「涼」 

 子供の頃、大人というのは、子供の前では立派に振舞うものだと信じていた。だから、家にくる植木屋の山さんには驚いた。庭中ついて回る私をなんとか追い払おうとした山さんは、「子供が棕櫚に触ると死ぬからあっちへいけ」と言ったのだ。庭で遊ぶのが命がけになって約一年後、ついに嘘だと知った私は、衝撃を受けた。大人が嘘をつくなんて! そしてますます山さんにまとわりついた。
『シカゴよりこわい町』(リチャード・ペック・著、斉藤倫子・訳、東京創元社)を読むと、なぜか山さんを思い出す。語り手のジョーイと妹は、毎夏、田舎の祖母の家に行かされる。この祖母、孫の前でいいところを見せようなんて気はさらさらない。それどころか、気に食わない男に一杯食わせるために大嘘はつくし、孫には密漁の片棒を担がせる。パイ・コンテストでズルをしたのを目撃したジョーイは、祖母は「間違ってる」とさえ思う。なのに、いつしか夏を「心待ち」にするようになるのだ。
『ボーイズ・ビー』(桂望実・著、幻冬舎)に登場する靴職人栄造も、「(ガキなんて)わがままで、未熟なくせに姑息」と言い放ち、邪魔をしたら「殺すぞ」と小六の隼人をどなりつける、大人にあるまじきジイさんだ。でも隼人は、「親子だからなんでも話せよ」とアピールをする父親より、栄造に心を開くようになる。
子供の本に出てくる大人は、よき理解者か敵がほとんどだ。でも、虐待や無視は問題外としても、寄りそわれるのも鬱陶しいとき、熱くも冷たくもない「涼」=クールな大人が、案外子供には必要かもしれない。(読売新聞 2012年8月18日)

追記
 当時、庭には棕櫚が二本あった。山さんに「棕櫚に触ると死ぬ」と言われてから約一年間、わたしは本当に注意深く、棕櫚を避けて遊んでいた。あの、毛が生えているみたいな幹は、確かに触ると死にそうだ。一方で、本気で信じていたなら、そもそもなぜ「命がけで」庭で遊んだのか、そのあたりの心理は、大人になったわたしにはさっぱりわからない。
とにかく、案の定、とうとう棕櫚に触れてしまい、その晩は泣きながらベッドに入った。なぜか親には言えなかった。言ったら、怒られると思ったのだ。その心理も、今となっては、子どもならではだなあ、と思う。

先月書いた父や大叔父にしろ、上記の山さんにしろ、『シカゴよりこわい町』の祖母にしろ、大人にあるまじき″大人に共通しているのは、決して種明かしをしないところだ。「ほんとはリヒャルトなんていないよ」とか、「棕櫚に触ると死ぬって言ったのは、付きまとわれて面倒だからだ」とか、「密漁をしたのは、世話になった老婦人に報いるためさ」とかは、言わない。

それで思い出すのが、遠藤周作先生だ。

わたしは学生のころ、今から考えると幸運かつ幸福な縁で、同級生の友人たちと何度か遠藤先生にお会いしたことがある。ある日、遠藤先生が「友人の詩集の出版記念パーティがあるから、いらっしゃい」と言うので、会場へいったところ、豪華なホテルで着飾った人々が談笑していた。学生だったわたしたちは圧倒されながらも、主役の詩人の登場を拍手で迎えた。タキシードをきた詩人はおもむろに詩集を取り出し、グランドピアノの演奏とともに朗読を始めた。
「ラクダは楽(らく)だ。おお、ラクダのウ×コよ・・・・・・」

 もしやあれは騙されたのか? と気づいたのは、その後、今度は「珍しい人に会わせてあげる」と呼ばれたからだ。珍しい人、というのはヤ○ザの奥さんだった。最初のうちはみんなで楽しく(?)おしゃべりしていたのだが、途中、タバコが切れていることに気づいた奥さんが、いきなり子分の頭をスリッパで、パーン!とはたき、激しく叱責しはじめたのだ。土下座し、「指をつめます」と謝る子分のひと。あいだでなんとかとりなそうとする遠藤先生。あまりの修羅場に、学生のわたしたちは恐怖で固まった―――

 ―――のを見て、哀れんで種明かしをしてくれたのは、ヤ○ザの奥さんこと、劇団「樹座」の女優さんだった。ちなみに遠藤先生は、最後まで「ほんとは種明かしなんてしないんだけどねー」と、とてもとてもとても残念そうだった。
――「子どもはねシュロに触ると死ぬんだよ」それから庭は異界の遊び場(三辺 律子)

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*ひこ・田中です。
【宣伝】
『ひっつきむし』(堀川理万子:絵 ひこ・田中:文 WAVE出版)
 『シロクマたちのダンス』の挿絵を見て以来、ずっとファンだった堀川さんと仕事ができました。シンプルなストーリーに、堀川さんのパワーが炸裂しています。

『モールランド・ストーリー』
 「WEB福音館」にて、連載開始です。
http://www.webfukuinkan.com/

『ユリイカ 2013年4月号』に執筆しています。
特集*荻原規子 『空色勾玉』『西の善き魔女』、そして『RDG レッドデータガール』・・・・・・夢見る力の無窮(2013年3月27日 発売予定)

【児童書】
『アリブランディを探して』(メリーナ・マーケッタ:作 神戸万知:訳 岩波書店)
 オーストラリアが舞台のイタリア系女子高校生ジョセフィンの青春物語。90年代の作品ですが、日本では十分新鮮な内容です。
 英語圏より後に移民してきたイタリア系は、「色つき」と呼ばれ差別されています。しかもジョセフィンは未婚の母から生まれたのでイタリア系の人々から差別されています。母親を愛していますが、彼女に冷たい祖母や、愛情のかけらも見せなかった亡き祖父の存在はジョセフィンにとっても影を投げかけています。
 とはいえ、彼女にとっての関心事はやはり、自分の学園生活、友達。
 そんな折、父親が現れます。そして、恋人も出来・・・。
 十七歳が、悩み、怒り、悲しむというばかりではなく、大人が(そのだめさも含め)しっかりと描き込まれています。つまり、大人について、YA読者が知ることができるのです。
これぞYA小説!

『モッキンバード』(キャスリン・アースキン:作 ニキ リンコ:訳 明石書店)
 アスペルガー症候群の少女ケイトリンは、彼女を良く理解していた兄を銃乱射事件で失います。立ち直れない父親は頼りにならず、カウンセラーの先生だけが彼女の考え方を言葉を態度を理解してくれています。物語はケイトリンの思考の側により沿いながら、共感への道筋を探していきます。

『スターリンの鼻が落っこちた』(ユージン・イェルチン:作・絵 若林千鶴:訳 岩波書店)
 スターリン体制下、ザイチクは共産主義を信奉しています。明日は憧れのピオネール団に入団が決まっています。その日の来賓は尊敬する父親です。ところが夜、父親はKGBに囚われます。良き共産主義者として生きてきた父がどうして?
 次の日、父の逮捕を担任に伝えることができません。学校もまた恐怖政治に浸されているからです。両親が逮捕されたクラスメイトは非国民として扱われ、生徒のみならず教師からも迫害されています。
 ピオネール入団式の旗持の名誉を担うことになっているザイチクですが、旗を教室に運ぶ途中、心配のあまりスターリンの銅像の鼻を、旗先で壊してしまいます。このことは決して知られてはならない!
 独裁政権時代の恐怖を、リアルに描いていますが、憲法改正問題など、昨今の、そして今後の日本を考えるためにも、いい物語です。
 画家であるユージン自身の挿絵も鬼気迫ります。

『見習い幻獣学者ナサニエル・フラッドの冒険』(R.L.ラフィーバース:作 千葉茂樹:訳 あすなろ書房)
 シリーズ物です。探検家の両親を亡くしたナサニエルは、おばさんに面倒を見てもらうことになりますが、実はフラッド一家は単なる探検家ではなく幻獣を探し、保護し、研究する幻獣学者なのでした。残っている幻獣学者はおばさんだけ。ナサニエルは後を継ぐべくおばさんとともに探検の旅に出ますが、まことに頼りない彼は果たして幻獣学者になれるのか? 巻ごとにフェニックス、バジルスク、ワイバーンと、ファイナルファンタジーでもおなじみの幻獣が出て来て、楽しいですよ。シリーズを貫く謎もあります。

【絵本】
『ぼくはニコデム』(アニエス・ラロッシュ:文 ステファニー・オグソー:絵 野坂悦子:訳 光村教育図書)
 ちょっと恐がりで、なかなか勇気の出ないニコデムくん。いつも、強いスーパーニコに変身したいと思っていますが、そんなの無理なのもわかっています。ついにニコデムは決心します。ニコデムはニコデムのままで行くんだ! と。オグソーの絵が、ほんわか暖かいですよ。

『もしも、ぼくが トラになったら』(ディーター・マイヤー:文 フランツィスカ・ブルクハルト:絵 那須田淳:訳 光村教育図書)
 ネズミのオスカーは臆病者。だから外に出てキツネやオオカミに襲われるのが怖い。木の根っこの神様の魔法でトラに変身! これでもう怖い者はなくなった、けれど・・・。
 自分らしい生き方を模索するお話です。
ブルクハルトが様々な手法を混ぜ込んで軽やかに描きます。

『チョウのはなし』(ダイアナ・アストン:文 シルビア・ロング:絵 千葉茂樹:訳 ほるぷ社)
 『たまごのはなし』、『たねのはなし』に続く第三弾。図鑑でも物語でもなく、様々な角度からテーマ素材に迫ることで、知識と興味を立体的に拡げていきます。ロングの温もりのある細密な画には、今回もうっとり。

『チェロの木』(いせひでこ 偕成社)
 チェロを巡る伊勢の最新作です。
 木を育てる祖父。その木で楽器を作る父親。そして「ぼく」は父親につくってもらった子ども用のチェロから、チェリストの道を歩み始める。
 森、手作り、音楽と、貫かれた一本の想いが、自然と共にある人間の営みへの愛おしさを描き出します。

『ぼくだよ ぼくだよ』(きくちちき 理論社)
 ライオンとヒョウが自分の方がすごいと自慢を始めます。お互いに譲らないその様は、なんだか小さな頃を思い出した。懐かしい。勢いあふれる絵が奔放にはじけて、子どもの心をぐいぐいと引っ張っていきます。きくちちきはこの作品で本当の第一歩を踏み出した。

『でかワルのマイク』(ミシェル・ヌードセン:さく スコット・マグーン:え 岩崎書店)
 マイクは町中でワルとして通っている大きな犬。みんなが恐れています。そんなマイクの車の中にふわふわのウサギさんが。なんだこいつ? 何故か怖がらないウサギさん。それどころか一羽、また一羽と増えていき、どうなっているの? あんましかわいいウサギさんたちなので、マイクもついに・・・。心が柔らかくなる愉快な絵本です。

『おうさまのおしろ』(しろませいゆう:作 セーラー出版)
 画面にはただ、子どもが描いたようにシンプルな王様の城が描かれているだけ。そこに雨が降り、風が吹き、季節は移ろい、様々な出来事が起こり、そして戦争が始まり、王様の城が消えます。それだけの描写が反戦を強く訴えかけます。

『おなべふ こどもしんりょうじょ』(やぎゅうげんいちろう:さく 福音館書店)
 やぎゅうのわらべうた絵本シリーズの一冊です。おなべふ占いを検査に置き換えることで、まじめそうな冗談という雰囲気が醸し出され、上々の出来です。他に『もちっこやいて』、『おてらのつねこさん』。まだまだ続きそうな予感。

『どどのろう』(穂高順也:作 こばやしゆかこ:絵 岩崎書店)
 三つの願いが叶うというどろ人形、どどのろう。二人の悪い男が拾います。試しに大きな魚が釣れるように願ってみたら鯨がかかったので、あと二つ。怖い怪物に変身して人から金品を奪い取ろうとするところが、妙に筋が通った悪人たちでおかしいです。捕まりそうになったら最後の願いで元の姿にという算段ですが・・・。読者にはサキに越智が分かっている仕掛けが楽しいですね。

『ちいさいわたし』(かさいまり:さく おかだちあき:え くもん出版)
 まだちいさな「わたし」。犬が怖いし、人見知りだし、送ってもらった服も少し大きいし、でもいつか大きくなる。ちいさな子どもの期待と希望が描かれています。そうだよね。楽しみにしていてね。

『船をつくる』(関野吉晴:監修・写真 前田次郎:文 徳間書店)
 『草原の少女 プージェ』の関野がインドネシアから日本まで日本人がやってきた道を辿るのですが、学生たちとともに、それを古代人と同じように一から試みます。それも半端じゃ有りません。木の船を作るための鉈などを作るための鉄を、海岸で砂鉄を集めるところから始めます。こまかに書かれていますから、一つの物がどのように大変なプロセスでできあがっていくかが、感動的によく分かります。デジタル社会で失われつつある実感が伝わる写真絵本です。

『イワーシェチカと白い鳥』(I.カルナウーホフ:再話 松谷さやか:絵 M.トゥーリチ:絵 ランドセルブックス 福音館書店)
 ロシアの昔話です。
 イワーシェチカは毎日船をこぎ出して魚を釣って、両親とおいしく食べます。それを見ていた魔女が彼をさらって食べようとします。イワーシェチカがにげられるのか? 昔話の要素が色々詰まった一品。トゥーリチの水彩画がいい味を出しています。

『松の子ピノ〜音になった命〜』(北門笙:文 たいらきょうこ:絵 小学館)
 3.11で奇跡的に残った(残念ながら今は枯れてしまいましたが)松の木がありましたが、その出来事に触発されて書かれた絵本です。流されてしまった松の木でバイオリンを作る職人さん。木は再び命を取り戻します。物語はいささか感情過多ですが、たいらきょうこの純朴な絵が、震災の痛さと悲しさと希望を伝えています。

『言葉図鑑 にほんご えいご ポルトガルご スペインご』(五味太郎 偕成社)
 『言葉図鑑』にえいご ポルトガルご スペインごが加わり、言葉のカーニバルがより一層華やかに。頭がクラクラします。言葉の構造の面白さが膨らみました。

『ふかいあな』(キャンデス・フレミング:文 エリック・ローマン:絵 なかがわちひろ:訳 あすなろ書房)
 深い穴にカエルが落ちて助けを求めます。ネズミが助けようとして落ちてしまいます。次カタツギへと落ちていく気のいい動物たち。ずっと見ていたトラ。おいしそいな餌がまとめて穴の中に・・・。どうなる、どうなる? エリック・ローマンの東洋風の画をお楽しみに。

『ねどこどこ? ダヤンと森の写真絵本』(池田あきこ:作・絵 横塚眞己人:写真 長崎出版)
 ダヤンの写真絵本です。というより、自然環境を撮り続け『像のわたる川』などの写真絵本も出している横塚とのコラボです。仕事で知り合い意気投合した二人が、それぞれのスキルを活かして、年々失われていくボルネオの森から、その保全を訴えかけます。ってもダヤンですから、ほとんど遊んでますけど(笑)。

『ぼくのサイ』(ジョン・エイジー:作 青山南:訳 光村教育図書)
 ぼくはサイを飼うことにした。きっと素敵だ。ところが、サイってちっとも動かない。棒を投げても追いかけない。サイの専門家に聞くと、サイは風船を割ることと凧に穴を開けることしかしないんでって。はんまかいな。さて、ぼくはサイと散歩に出かけたのですが。とぼけてゆかいな物語。

『ガール・イン・レッド』(ロベルト・インノチェンティ:原案・絵 アーロン・フリッシュ:文 金原瑞人 西村書店)
 赤ずきんをベースに、都会のやばい場所に出かけた少女を描きます。赤ずきんという物語を使って、都会の風景を描き出すといってもいいでしょう。インノチェンティの絵は、もうこれしかないとしかいいようのないリアルさで、ぐんぐん迫ってきます。現代の赤ずきんの登場です。

『つなみ てんでんと はしれ、上へ!』(指田和:文 伊藤秀男:絵 ポプラ社)
 「てんでと」はてんでんばらばらの意味。3.11の大津波を逃げた釜石の子どもたちを描いたドキュメント絵本です。指田の臨場感あふれる言葉と、伊藤の力強い画が、あの時を、私たちの伝え、そして残します。

『ハンヒの市場めぐり』(カン・ジョンヒ:作 おおたけきよみ:訳 光村教育図書)
 韓国、市場巡り絵本です。非常に詳細に描かれていますから、店の人の声や、食材の匂いまで伝わりそうです。日本の風景と似ているところ、違うところ、それを確かめながら楽しめば、隣国への理解の質も変わってくるでしょう。

『やだよ』(クラウディア・ルエダ:さく うのかずみ:やく 西村書店)
 もうすぐ冬眠。でも子グマはもっと遊びたい。母グマがいくら言っても聞きません。そして、一人で出て行きますが・・・。だめって言わない母グマがいいですね。ルエダの絵は雪の白さを浮かび上がらせます。

『うさぎさんの あたらしいいえ』(小出淡:さく 早川純子:え 「こどものとも」三月号 福音館書店)
 小出の遺された文に早川が画をつけました。うさぎさん家族の家にオオカミがやってくる。うさぎさんたちは毎回知恵を使ってオオカミを撃退する。繰り返しの中で、次はどうなるか楽しみになってきます。

【その他】
『子ども論の遠近法』(芹沢 俊介、斎藤 次郎、野上 暁  プラス通信社)
 70年代から「子ども」を考え、語り、してきた3人。共通するのは、常に「子ども」の側に立ち、決して上から目線で「子ども」を語ろうとしなかったし、これからもそうであろうこと。
 そんな3人が「子ども論」を巡って対談、鼎談した小冊子です。
 頭の中を整理するのにいいですよ。

『フランス児童文学のファンタジー』(石澤小枝子、高岡厚子、武田順子:著 大阪大学出版会)
 日本では、フランス児童文学はあまり知られていませんが(最近はそうでもないけど)、この本はフランスの豊かな子どもの物語を辿り、解説しています。ペローの昔話と別系の話の比較なども興味深い。初訳の昔話もあります。現代作品への言及がないのが残念。

『ニュース年鑑2013』(ポプラ社)
 毎年恒例のニュース年鑑がでました。一応子ども向けですが、大人でもその年に起こった出来事をチェックするために使えます。というか、情報内容が、その詳しさは別として、年々大人と子どもに差がなくなってきているのがよく分かります。いつも言っている気がしますが、ポプラ社さま、この年鑑はずっと続けてくださいませ。
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