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以下、三辺律子です。
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読売NAVI&navi テーマ「光」

 子どもの頃、父はよく、寝る前のお話をしてくれた。そうきくと、ほほえましい情景が浮かぶかもしれない。が、あいにく、うちの父の場合は違った。定番は、ジェイコブズの「猿の手」やドイルの「まだらの紐」。すべて、効果音付き、恐怖増しバージョン。眠れなくなるくらい、怖かった。
 しかも、演出たっぷりに、真っ暗な中にぽつんと明かりをつけておく。その光を見ると、わたしと二人の弟は、すうっと異世界に吸いこまれた。
 『墓場の少年』(ニール・ゲイマン・著、金原瑞人・訳、角川書店)でも、異世界は現実のすぐそばに口をあけている。幼いボッドは謎の殺し屋に追われ、家の裏の、ぼうっと月光のさす墓場に迷いこむ。無力な幼子を哀れんで、養育係を引き受けたのは、幽霊たちだった。
 幽霊たちはボッドに、墓場で生きるためのルールを教えこむ。が、もちろん子どもの例にもれず、ボッドはルールを破り、太古の墳墓や悪鬼の暗い穴に入り、冒険することになる。
 一方、現代の日本と地続きの異世界を描いたのが、『雷の季節の終わりに』(恒川光太郎・著、同)だ。日本の地方都市と、妖しい霊の跋扈する村「穏」の間には、「幽霊の溜まり場」だという「墓町」が横たわっている。穏育ちの賢也は、ほの暗い提灯の光に誘われて夜ごと墓町を訪れるうちに、ある秘密を知ってしまい、穏を出るはめになる。
 怖くてたまらないのに、闇に浮かぶ光に吸いよせられるのは、なぜだろう? だが、論理では割り切れない、不可解な異世界の存在を確かに感じた子ども時代は、ふり返ると、なかなか貴重だったと思えるのだ。(読売新聞 2012年5月26日)

追記
 父は、今は孫を怖がらせている。先日も、散歩から泣きながら帰ってきたわたしの姪いわく、「じいじが、『あのカラスはおまえを狙ってる。ほら、さっきからずっとついてくる』って言った」。孫たちは、けっして父の書斎には近づかない。いわく、「じいじが、書斎にはリヒャルトがいる、って言った」。ちなみに、リヒャルトの説明は一切なし。
 これは、家系らしく、大叔父(父の叔父)にも、よく子どもの頃、いじめら・・・からかわれた。正月などあいさつに行くと、うっそうと木の生えた暗い玄関で、「ほうら、見てごらん」と言って、入れ歯を外した。めちゃめちゃ怖かった。
 もちろん、彼らに教育的配慮などあるはずもなく(一応、『今の子どもには、怖い存在も必要なんだ』とか言っていたが)、ただ自分が面白いからやっていることはまちがいない。さんざん怖がらせたあとも、なんのフォローもなく、怖がらせたまま、放っておく。
 わたしは『モンタギューおじさんの怖い話』(プリーストリー著)のシリーズを訳していると、いつもその大叔父を思い出す。作者もきっと、薄暗い家でにやにやしながら、読者を怖がらせたまま終わるこの物語を書いているんだろうな、と。
 というわけで、『モンタギューおじさんの怖い話』『船乗りサッカレーの怖い話』『トンネルに消えた女の怖い話』もよろしくお願いします(宣伝)。
       ―――薄暗い階段の先に見えてくる扉の向こうにリヒャルトがいる
                                 (三辺 律子)
以下、ひこです。
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【児童書】
『ようこそぼくのおともだち』(野中柊:作 寺田順三:絵 あかね書房)
 犬のタタンが気になる音の元を探していると、なんとそれは買ったタマゴの中から。出て来たのはピヨちゃん。お茶の時間をしようとするけど、もっとたくさんいた方が楽しい! ピヨちゃんが色んなおともだちを見つけます。物語の温もりはもちろん、イラストの親しみやすくなごんでしまう軽い質感を残しながら、絵としての表情の豊かさをしっかり持った寺田の絵のすばらしさ。

『金色の髪のお姫さま――チェコの昔話集』(カレル・ヤロミール・エルベン著 岩波書店)
 ハプスブルク支配の続いたチェコで十九世紀、自国の昔話を収集したエルベンの作品集です。チェコ人の生活と感性をお楽しみください。シャイネルによるアール−・ヌーボー的挿絵も美しい。いい仕上がりの本です。

『孤児の物語1 夜の庭園にて』(キャサリン・M・ヴァレンテ:作 井辻朱美:訳 東京創元社)
 孤児の女童が王子に語る物語。物語の中の人物が物語り、その物語の中の人物がまた物語っていく。という風に物語は語り手を物語の内部に巻き込みながら、どこまでも奥深く進む。進むとはいえ、物語るのだから時制的には過去へと次々に遡っていく。
 迷宮ならまだしも出口はあった。しかし、ここにあるのは?
 物語について物語る物語。

『あかいくま』(中脇初枝:作 布川愛子:絵 講談社)
 家族の中で何だか自分が大切にされてないような感じがする、りかちゃん。唯一仲良しなのはぬいぐるみのあかいくま。だからりかちゃんは自分は人間ではなくあかいくまだと思い込む。さて、りかちゃんは自分の居場所を見つけられるのか?
 とてもいい発想の幼年童話。「かわいい」物語を希望の親御さんには受け入れにくいかもしれませんが、幼年にはよくわかる話しでしょう。

『神谷美恵子 ハンセン病と歩んだ命の道程』(大谷美和子 くもん出版)神谷の伝記です。深く分け入った書き方ではなく、神谷が行ったことと、その人柄を淡々と記述しています。過剰な感動で彩るより、神谷に関心を持ってもらえれば、あとは神谷自身の著作に触れて欲しいという大谷のスタンスでしょう。

【絵本】
『道はみんなのもの』(クルーサー:文 モニカ・ドベルト:絵 岡野富茂子・岡野恭介:訳 さ・え・ら書房)
 ベネズエラのお話。経済発展の中、首都カラカスには地方からたくさんの労働者が集まってきて、周辺部にできた住宅街は粗末で、子どもたちの遊び場もありません。仕方なく道路で遊んでいたら怒られる始末。子どもたちは役所に乗り込みます。
 住民パワーが、今の日本にも元気を与えてくれる一冊です。

『もう、おおきいから なかないよ』(ケイト・クライス:文 M・サラ・クライス:絵 福本友美子:訳 徳間書店)
 もうすぐ五歳の誕生日を迎えるうさぎくん。大きいんだから泣かないことに決めました。そこで、誕生パーティーに招待する条件は、もう泣かない友達にしたのですが、誰も来てくれないことになってしまいます。そこでかあさんが教えてくれたことは?

『イソップのおはなし』(バーバラ・マクリントック:再話・絵 福本友美子:訳 岩波書店)
 マクリントックによる、イソップです。子どもたちが舞台で劇を演じる趣向にすることで、イソップの擬人化そのものを無化し、話に集中させる手腕はさすが。時代設定はもちろん十九世紀です。

『チョコレート屋のねこ』(スー・ステイントン:文 アン・モーティマー:絵 中川千尋:訳 ほるぷ出版)
 へんくつなチョコレート屋さんだから、お客さんもあまりきません。ねずみのチョコレートを作ったところ、ねこが食べてみて、あらおいしい。さっそく一匹をくわえて果物屋さんに。果物屋はひらめきます。果物にチョコレートをつけたお菓子はどうだろう? 香辛料屋、食料品屋、ねこがもっていってチョコレートで次々と新しいお菓子ができあがっていきます。おいしそうな話に、おいしそうな絵で、どうぞ幸せを召し上がれ。

『メルリック』(デビッド・マッキー:作 なかがわちひろ:訳 光村教育図書)
 メルリックは優しい魔法使いなので、王様の願いを何でも叶えてしまいます。ある日、ちっとも魔法が使えなくなり、メルリックは仲間の魔法使いに相談しますが・・・。
 願いが簡単に叶ってしまうのはやっぱりね。
 デビッド・マッキーの考え方が良く伝わる一冊です。

『ケイティのはじめての美術館』(ジェイムス・メイヒュー:作 西村秀一:訳 結城昌子:監修 サイエンティスト社)
 すてきな、絵画入門絵本シリーズ「ケイティのふしぎ美術館」新刊四巻が一気に発売! これで十巻そろうことになります。美術館やってきたケイティ、数々の名画を距離をおいて鑑賞するどころか、絵の中に入ってしまうという、「いけない発想」が子どもたちに支持されたのは当然と言えば当然でしょう。そうしてケイティは描かれている人や物に親しみを持つのです。今作はメイヒューのデビュー作であり、シリーズ第一作でもあります。作者の意図が一番よく現れている一巻ですよ。

『マリアンは歌う』(パム・ムニョス・ライアン:文 ブライアン・セルズニック:絵 もりうちすみこ:訳 光村教育図書)
 ゴスペルの歌姫マリアン・アンダーソンの伝記絵本です。三オクターブの声を持つ彼女は小さな頃から歌の才能に恵まれ、音楽大学まで進むことを、援助することも含め、町の人々も期待していましたが大学からは拒否されました。その後、コンサートホールにも拒否されることもあり、彼女は黒人も受け入れてくれるヨーロッパへ行き成功を収めます。そして、アメリカに戻りますが・・・。
 人種差別の壁を打ち破っていく姿は美しい。

『バーナムの骨』(トレイシー・E・ファーン:文 ボリス・クリコフ:絵 片岡しのぶ:訳 光村教育図書)
 アメリカ自然史博物館にあるティラノサウルスの化石発見者、バーナム・ブラウンの伝記絵本。彼は研究者ではなく、あくまで化石ハンターです。子どもの頃から化石採集大好き少年。ひたすら世界中を追い求めています。その辺りの心のウキウキ度をボリス・クリコフの絵は良く伝えています。

『ねことテルと王女さま』(クライド・ロバート・ブラ:さく レナード・ワイスガード:え あんどうのりこ:やく 長崎出版)
 画家になることをあきらめたテルは、額に白いハート型の模様がある黒猫を拾い飼い始めます。猫の姿を壁に描き始めたテルですが、煙突掃除屋に猫を盗まれてしまう(何に必要かはお楽しみ)。やがて猫はお姫様に飼われることとなりますが・・・。約束道理の幸せな結末にワイスガードの絵が導いてくれます。

『ダヤンのめいろ』(池田あきこ ほるぷ社)
 そうかあ、ダヤンももう三十周年なんだ。こっちも歳を取るはずだ。
 三十周年記念で、めいろ絵本です。
 毎年誕生日、魔女の呪いによって子猫に戻されるダヤン。魔女が用意した数々の迷路を見事クリアすれば、呪いは解いてあげるといわれます。ダヤンと共に迷路を解いていきましょう。
 でも、ダヤンはやっぱりダヤンですねえ。このまま四十周年五十周年と進んでくださいな。

『プレッツェルのはじまり』(エリック・カール:作 アーサー・ビナード:訳 偕成社)
 食べ始めるとやめられない、おいしいドイツパン、プレッツェル誕生のお話。もちろん本当の話ではありませんよ。エリック・カールが楽しいエピソードを作り上げました。絵はさすがに文句なし。

『おれはワニだぜ』(渡辺有一:文・絵 文研出版)
 人間に捕まって見世物にされ、ワニとしてのプライドをいたく傷つけられたワニ君。ついに怒り爆発! ワニの怖さを思い知らせるのだ。
 渡辺のなんとものんびりした画で語られるだけに、愉快度は一層増しています。

『ゆびたこ』(くせさなえ ポプラ社)
 ゆびしゃぶりがやめられない女の子のお話です。もうすぐ小学生なのになあ〜と自分でも思うけどやめられません。指にできたしゃぶりダコ。しぶられないと生きていけません。どうなるんでしょう? 子どもの自然な成長を、ゆびしゃぶりで巧く描いています。

『こんな家にすんでたら』(シャイルズ・ラロッシュ:作 千葉茂樹:訳 偕成社)
 世界中の様々な家や町の風景を紹介しています。それもなんとペーパークラフトで再現! 絵画やイラスト、コラージュ、写真とは違った、強い手作り感は、「正確」さからは離れますが、それが却って家や町そのものへの親近感へと繋がっていきます。そこがなんとも素晴らしい。

『ぎょうれつ』(中垣ゆたか 偕成社)
 昔私は、行列があると、とりあえず並んでしまうやつで、「たまごっち」もそれが何か知らずに買ったものでした(大昔)。この絵本はただひたすら行列を描いていきます、その人数は半端ではなく見開きに二百人近く。一人一人が個性を持っていて、ちょうど手塚治虫初期のユーモア漫画に似ています。輪郭線がとても丁寧で、それが作者の力となるでしょう。

『わたしもがっこうにいきたいな』(アストリッド・リンドグレーン:文 イロン・ヴィークランド:絵 石井登志子:訳 徳間書店)
 『ぼくもおにいちゃんになりたいな』の続編です。妹のレーナが学校に行きたがるので連れて行くペーテル。レーナには未知の学校風景が描かれていきます(絵本を読む未就学の子どもへの紹介にもなっています)。レーナのマイペースぶりが、リンドグレーンらしくって楽しい。

『なりたいものだらけ』(ジェリー・スピネッリ:作 ジミー・リャオ:絵 ふしみみさお:訳 すずき出版)
 いい邦題だなあ。子どもが抱く様々な将来の夢。といったって、サッカー選手だとか、お菓子屋さんだとかじゃありません。子いぬのだっこ屋さんとか、水たまりバシャバシャ屋さんとかだもんね。どれか一つを選ぶ必要もないもんね。うん、夢ってこういうものだ。

『おみまい、おことわり?』(ボニー・ベッカー:ぶん ケイディ・マクドナルド・デントン:え 横山和江:やく 岩崎書店)
 ハイペースで訳出される、悲観クマさんと楽観ネズミの愉快なシリーズ。今回はクマさんが風邪を引いてしまって、当然その落ち込みようは激しく、ネズミ君は元気を出させようとしますが、なかなか難しい。
 友達の距離感を巧く描くシリーズです。

『めんのめんめん』(庄司三智子:作 岩崎書店)
 庄司のリズムのよい口上で紹介される各地の麺の面々でございます。「みざる、きかざる、いわざる」と始まってざるそばの登場であります。それぞれの麺も芝居がかった見得を切って、見開きのなかでの映えっぷり!

『はなさかじいさん』(こわせ・たまみ:文 高見八重子:絵 すずき出版)
 七五調で昔話を語ります。それは心地よいのですが、物語だとどうしても単調になりがち。そこで、ちょいと合いの手を入れることで、ページを繰りやすく工夫されています。

【その他】
『今日』(伊藤比呂美:訳 下田昌克:画 福音館書店)
 子育て中の親、特に母親には、様々なプレッシャーがかかり、過労も重なる。この本は、そんな「彼女」に渡された、読み人知らずの詩。伊藤が訳してからWEB上で拡がった言葉に、下田の画を添えて小さな書物となりました。「良い母親」なんかにならなくてもいい。目の前にいる命を受け止めさえすれば。

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