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【児童文学】
『深海魚チルドレン』(河合二湖 講談社 2011)
 真帆は中学に入ってから頻尿症に悩まされています。授業時間も耐えきれず、出て行くこともたびたび。友達を作る余裕もなく、きになるのは膀胱のことばかり。
 という、誰にも打ち明けられない悩みを抱えた主人公を設定することで、物語は十代から見た親や世界への違和感を描いていきます。
 新しい時代の新しいYA小説。

『ロップのふしぎな髪かざり』(新藤悦子 講談社 2011)
 精霊(ジン)の女の子ロップ。ジンが成人になるには人間の魂を少し分けてもらう必要があります。
 ロップもそろそろ。
 そんな折、ジンの島に人間の少年バハルが流れ着く。みんなはこれでロップも成人になれると喜びますが、バベルをすきになったロップにはそんなことは出来ず・・・・・・。
 人魚姫がモチーフですが、視点はジンの側で展開されます。
 無国籍物(死語?)のようですが、人間の魂の一部を分けてもらうといった発想は、心身をパーツとして意識してしまう現代の産物です。
 この物語は新しい時代のYAファンタジー(ポスト『ゲド戦記』『ハリー・ポッター』)の香りがします。そして、魂を分けてもらうことによって、ジンが人間に潜む良き物悪しきものを知る設定は、新しい時代のYA小説の一つの方向性を示しています。

『二番目のフローラ』(イザボー・S・ウィルス:作 杉田七恵:訳 東京創元社 2011)
 設定というか世界観というか、それがユニークでおもしろいファンタジー。
 十四才フローラの屋敷は一万一千の部屋を持つのだが、それが魔法使いの執事によって維持されていた。ところが、父親が心を煩い、群のナンバー2だが実質トップの母親は質実剛健で、なんでも執事任せの華麗な屋敷を好まず、執事を弱らせ、閉じ込め、今や屋敷はどこがどうなっているのか、どこからどう行けばいいのかもわからず、少ない部屋で暮らしている。とはいえ、家に帰ることはめったにない彼女。父親は世話のいる状態なので、家事から介護まで一切をフローラが行っている。従って屋敷は荒れ放題。まもなく成人式があるのに、その準備を全部自分でしなければならないフローラは何もできていない。
 そんなギリギリ人生のフローラだが、ひょんなことから執事を発見。彼は弱り切っていて、フローラの精気を分ければ元気になるという。元気になってくれれば、家事も、成人式の準備も任せられる。フローラは執事の提案に承諾するのだが・・・・・・。
 という生活設定に、冒険設定が絡んで小気味よく展開していきます。
 ほぼ子育て放棄の両親。裏のある執事。変化する迷路のような屋敷。そして、タイトル通り、彼女は死んだ姉フローラの後釜にアイデンティファイさせられている二番目のフローラ。
 勝ち気で個性的な主人公であるにもかかわらず、その定まらない位置づけって辺りが、まさしく現代の物語です。

『ハートビートに耳をかたむけて』(ロレッタ エルスワース:作 三辺律子 :訳 小学館 2011)
 16歳のイーガンはフィギュアスケートの有力若手。ただ、悩みは、「あなたの夢を叶えるため」という理由付けをして、母親が過干渉であること。自分自身を作れていないことをごまかすために、子どもの教育に邁進する親と似ています。
 一方12歳アメリアは、心臓病を患っており、それを気遣うあまり、イーガンの母親とは逆に、自分の欲望を子どもに押しつけることは一切しませんが、腫れ物に触るような接し方にアメリアは不満を抱いています。
 アメリアの吉報が入ります。ドナーが見つかったのです。手術は無事成功し、彼女は新しい心臓を得て回復に向かいます。すると、性格が少し変わってしまったような。
 アメリアは心臓の本当の持ち主が気になります。というか、なんとなくわかります。相手はスポーツが好きな女の子だったに違いない。それもスケートをやっていた子で、少し皮肉屋であったであろうことも。真実かどうかはわかりませんが・・・・・・。
 ハート(心)をハート(心臓)が結ぶ、家族和解の物語です。
 作者あとがきによれば、臓器移植では、提供者の心というか情報が転移されたとしかおもえないようなこともあるそうです。医学的には認められてはいませんが、脳だけが記憶を司っていると言い切れるわけではありませんので、オカルトとしてではなく、興味深いことです。
 それはともかく、体の一部がパーツとして強く意識されることで、物語が動いていく展開は、作者の意図を超えて、やはり「今」の物語です。

『オン・ザ・ライン』(朽木祥 小学館 2011)
 体育会系なのに活字中毒の高校一年生の侃。本がないと落ち着かないけど、なんだかそれは体育会系ではない感じなので隠しています。で、幼なじみで、いつも勝てないなあと敬愛している貴之に誘われてテニス部に入る。
 物語はそこから、一時ブームだった運動部物語になるかと思いきや、「体育会系なのに活字中毒の高校一年生の侃」という戦略を巡らしてあるので、全方位OKの展開となります。
 なぜそんなややこしいことにしてあるかというと、この物語はイマドキでは非常に描きにくい友情やコンプレックスとその克服(そこまでの熱い関係は今、なかなか結べません)などを扱っているからです。
 もちろん、「活字中毒」としたがために、註が必要なほどここには文化系の知識がちりばめられていて、読書好き以外には入りにくさがあるのも事実です。しかし、興味はどこからでも派生し、拡がっていく物ですから、これもありでしょう。
 考えてみれば、運動部ものだって、読書好きが好む体育会系物語ですよね。

『千年の森をこえて』(キャシー・アッペルト:著 片岡しのぶ:訳 デイビッド・スモール:絵 あすなろ書房 2011)
 森に捨てられたネコのキャリコは、元猟犬のレンジャーと出会う。レンジャーは足を痛めてから、非情な飼い主ガーフェースによって鎖につながれたまま。そんなレンジャーの気持ちを支え、捕ってきた餌を共に食べ、二匹は絆を結んでいく。
やがてキャリコに二匹の子ネコが生まれ、決して床下から出てはいけないと教えます。ガーフェースに見つかれば殺されるから。が、オスのパックがある日・・・・・・。
一方千年前、毒蛇のヌママムシとワニのキングは姉弟のように親しくなる。ヌママムシは娘を産むが、ムスメはホークを好きになり、共に人間となり、去ってしまう。孤独に怒るヌママムシだが・・・・・・。
神話色に染められた、千年の時空を結びつけて展開する、愛と欲望と孤独の物語。

『プラテーロとわたし』(J.R.ヒメネス:作 長新太:絵 理論社 2011)
 ノーベル賞作家J.R.ヒメネスの作品。
理論社版一九六五年翻訳刊行作品の新装版。岩波文庫他でも出ていますが、長新太:絵というのが、みそです。
 懐かしいです。
 「わたし」を語り手にロバのプラテーロとの日々や、ほんのちょっとした思考が、わかりやすく短い、でも深い文章(詩)で語られていきます。
 世界と人生と、生活と日々を良く生きること。それが詰まっています。
 震災と結びつけて読まれるでしょうけれど、そうでない日が来ますように。

『ルルとブロントサウルス』(ジュディス・ヴィオースト:文 レイン・スミス:絵 宮坂宏美:訳 小学館 2011)
 首の長い、大きな大きな草食恐竜ブロントサウルスを飼いたいルル。でも、もちろんだめ。というか、そんなのイマドキいません。
 なんてことを信じないルルは探しにい探して、見つけます。でペットにしよう!
 でも、ブロントサウルスも人間をペットにしたくて。互いに譲りません。
 どうしましょう。
 レイン・スミスの絵もキュートで冴えています。

『みんなでよいしょ』(あまんきみこ:ぶん いしいつとむ:え 小峰書店 2011)
 みんなでなわとびあそびをしています。子グマが穴に落っこちているのを発見! 一人のなわでは足りないので、みんなのひもを結んでよいしょ。でも力も足りない。大丈夫、かげぼうしも手伝ってくれましたよ。
 さすがに巧いなあ。

『さようなら、わたしの恋』(クロード・K・デュボア:作・絵 小川糸:訳 ポプラ社 2011)
 失われた恋を想い、そこから立ち上がるまでの、たった一人での葛藤と自分との戦いを、自然の中で静かに静かに、少しずつ少しずつ、詩のように描いていくデュボアらしい小品。
 恋人との別れ方は描いていませんが、恋との別れ方の一つの方法はわかりますよ。
 でも、やっぱりフランス系の人らしい愛の描き方だなあ。

『一円大王さま』(すとうあさえ:作 白土あつこ:絵 ひさかたチャイルド 2011)
 100円お小遣いをもらったようたくん。なにしろ初めてのことで大喜び。これで自由の物が買える。
 でも、そんなにあまくはなくて、おじいちゃんのすすめで、99円のボールペンを買う羽目に。おつりの1円玉さえ憎らしい。
 ほったらかしにしていたら、実はそいつは一円大王。一円の大事さを主張するのであった。
 どうなりますことやら。

【絵本】
『アリアドネの糸』(ハビエル・ソプリーノ:文 エレナ・オドリオゾーラ:絵 宇野和美:訳 光村教育図書 2011)
 タイトルはもちろん、恐ろしいミノタウロスの迷路から逃れたアリアドネの神話からとられています。昔、ダンジョンゲームをやられた人だったら、無茶苦茶力があり、強いモンスターとして出てくるミノタウロスを記憶されているでしょう。
 ただし、ここでのミノタウロスは、アリアドネを叱ったおとうさん。
アリアドネの行き場を失った悲しい気持。
 彼女の糸は簡単に出口に導いてはくれません。木に掛けてブランコしてみたり、つりをしてみたり、それでも糸は行き先をしましてくれません。
 オドリオゾーラ(ああ、なんて素晴らしい絵描きでしょう)の画は、とりとめもなく一人遊ぶアリアドネの孤独を静かに見守っています。
 でもね、大丈夫。おとうさんがミノタウロスなわけはないですからね。
 大丈夫。

『「あの日」のこと』(高橋邦典 ポプラ社 2011)
 報道写真家として、戦場の子どもたちを記録してくれた高橋が震災から二週間後に現地に入って撮った写真絵本。
 写真集と言わずに、やはりこれは写真絵本と言いたい。高橋の動揺と、義務感と、決意と、哀しみと、信頼が詰まっているから。
 被災の風景もあるけれど、やはり高橋が記録と記憶に留めて伝えようとするのは人間の顔、顔、顔。
 タイトルを「あの日」としたところに高橋の想いがあふれている。

『オランウータンに会いに行く』(横塚眞古人 偕成社 2011)
 オランウータンの研究や観察ではなく、同じ目線で日々の生活を見てみたいという横塚の欲望はとてもシンプルですから、同じ目線まで、カメラ抱えて木を登ってしまいました。
 わかりやすい!
 ですから、これはまるで家族で撮った写真のようですよ。

『やまんばあかちゃん』(富安陽子:文 大島妙子:絵 理論社 2011)
 お〜! やまんがあさんの過去がついに明かされるぞ!
 というか、296年前のあかちゃん時代を描く発想の時点で富安さんに脱帽です。
 そうかあ。すごいぞ。狼少年ケン(古すぎ)に負けないぞ。レオ(古すぎ)にも負けないぞ。きっとターザン(古すぎ)にだって子どもの頃ならガチで勝てるぞ。
 こんな物語を与えられたら、大島さんだって爆発するしかないよね。

『フーくんのおへそ』(ラモン・アラグエス:文 フランチェスカ・ケッサ:絵 宇野和美:訳 光村教育図書 2011)
 おへそって何? と疑問を持った男の子に、家族が色々愉快な回答をいたします。最後はちゃんと解答させますよ。
 ドローとこっそりコラージュがいい味を出していますよ。

『まじょにはクッキー おとうとうさぎ!』(ヨンナ・ビョルンシェーナ:作 菱木晃子:訳 クレヨンハウス 2011)
 おとうとうさぎのおばあちゃんは、しあわせクッキーを作る名人。それを食べると幸せで親切になります。
 森に住む魔女は、このクッキーが大嫌い。親切なんて!
 しあわせクッキーをよそで作りに出かけたおばあちゃんがレシピを忘れていったのを知ったおとうとうさぎ、届けようとするのですが通り道に魔女の森が。
 物語は作者の人柄の良さがにじみ出ています。
 これが絵本デビュー作となるヨンナ・ビョルンシェーナ。不安定な輪郭で魔女の怖さを出したり、全画面を描くかと思えば、小さな画を並べ物語展開を見やすくしたり、画面構成が巧みです。
 それ以上に、画の持つ少し怪しげな雰囲気が、ドキドキ感を高めます。

『万里の長城』(加古里子:文 加古里子・常嘉煌:絵 福音館書店 2011)
 始皇帝の時代に万里の長城が作られてという単純な絵本かと思えば、そこは加古、んなことありません。
 話を四十六億年前から始めています。つまつ大陸の構造まで視野に入れて、長城を節米していきます。ですから、長城とかかわるありとあらゆることが次々語られていき、どんな物事も一面からは語ることができないのが、子ども読者にもわかる仕掛け。
 さすがです。加古さん。

『サインですから』(ふくだすぐる 絵本館 2011)
 腕のいい職人のおじさんは、人間でも動物でも、どんな依頼も作ってしまいます。
 すばらしいおじさんです。
 ただ、
 ただ、おじさんは自分の作った物に、必ずサインをするのです。だって、自分の作品ですから。
 でも、サインしてほしくない物だってあるし。でも、おじさんは腕がいいし。でも、サインされてしまうし・・・・・・。
 実に愉快なメタ絵本。

『町の中の泉』(武田晋一:写真・文 ボコヤマクリタ:構成・絵 偕成社 2011)
 「水と地球の研究ノート1」。
 町の中に泉があると友人から聞いた武田晋一は、熊本に探しに出かけるのであった。見つけたら、なぜあるのか知りたくて探っていく。泉に潜って魚たちを撮る。わき水はどこから来るか調べる。
という風に、一つのきっかけから、好奇心さえあればどんどん喜びが広がっていく様を、わかりやすく実践&見せていってくれています。
こうした喜びを子どもたちにはもっともっと知ってほしいな。
幸せになれるのだから。

『象のわたる川』(横塚眞己人:写真・文 岩崎書店 2011)
 『原寸大昆虫館』で、幸せを与えてくれた横塚の新作写真絵本は「ちしきのぽけっと」から出ました。
 ボルネオ島のキナバタンガン川で五年前、80頭の象が川を渡るのを目撃して以来、この川を撮り続けた横塚です。
 象だけではなく、テングザルや、そこで暮らす住民、子どもたちの遊びと笑顔。楽しい写真が満載です。
 ただし、「象のわたる川」としてどうかといえば、それを知らない読者には少し散漫に見えるのが残念。横塚自身はキナバタンガン川の自然と暮らしをすべて同列に描きたかったのでしょうが、それがもう少し巧く伝わってこない。構成のせいかなあ。

『くまのオットーとえほんのおうち』(ケイティ・クレミンソン:作 横山和江:訳 岩崎書店 2011)
 えほんの主人公、くまのオットー。実は、誰も見ていないとき、本名中から出ることができます。
 子どもたちが留守で退屈なオットーは家を飛び出し、街へでかけ、たどりついたのは?
 愉快な愉快な、冒険物語です。子どもって、結構好きなのね、こうしたメタ物語が。

『ねずみのへやもありません』(カイル・ミューバーン:文 フレヤ・ブラックウッド:絵 角田光代:やく 岩崎書店 2011)
 大きな大きなお家に住んでいるわたし。もどだれだけ大きいかもわからない。わたしは、おかあさんとペットのスニーキーとが住めれば十分なんだけど、おかあさんは、なにかあったときに困ると言って、使わない、使い切れない部屋がたくさんの家に住み続け。
 そんなとき、わたしは、家がなくて困っている人たちを見つけ次々と住まわせます。色んな仕事ができる人たちなのでどんどん便利に。でも仕事が忙しいおかあさんは、住人が増えているのも気づかない。
 さて、どうなりますことやら。
 表紙からすべて、フレヤ・ブラックウッドの画は素晴らしくユーモアにあふれ、同時に品があります。物語のおもしろさはいわずもがな。

『てんとうむしの はじめての レストラン』(さいとうしのぶ アリス館 2011)
 さいとうは仕掛けの巧みな作家ですが、今作でもそれは心地よく活かされています。
 レストランで実に三十匹近くの動物がそれぞれの好みの食事をしている風景と見せるのは大変だし、見る方だって大変です。しかし、おいしいにおいに誘われて、開いたドアから入り込んだてんとうむしがどこにいるかを探すという設定を一つ置くことで、読者は実に心地よくいろいろな動物の食事を眺めていけます。
レストランのテーブル配置がどうなっているかは見てのお楽しみ。
もちろん、仕掛けはまだまだありますよ。

『京劇がきえた日』(ヤオホン:作 中由美子:訳 童心社 2011)
南京、おばあちゃんと暮らしていた「私」。その家に見知らぬおじさんが泊まることになった。京劇のスターです。南京に興行にやってきたのです。
その縁で初めて京劇を見る「私」。魅せられる「私」。
しかし空襲が激しくなり、京劇もなくなり・・・・・・。
画面のそこここに、日本による占領の印が描きこまれ、丁寧に作られています。

『ルーマニア どこからきてどこへいくの』(山本敏晴:写真・文 小学館 2011)
 山本がルーマニアの子どもたちに「あなたにとって いちばんたいせつなものは なんですか?」と質問し、その答えと、笑顔と、彼らが描いた絵が入っています。
 神や自然や伝統など、日本の子どもたちとはちょっと違うであろう答えが返ってきます。
 だからといって、日本でもう失われた物をそこに懐かしんだりしてもたいして意味はありません。そうではなく、笑顔が見ている者を力付けることを確認して活かしたいですね。
 一方、民主化で拡がっている貧富の差は深刻度を増しています。

『へちまのへーたろー』(二宮由希子:作 スドウピウ:絵 教育画劇 2011)
 へちまなのに、なぜか子どもも親も、きゅうりだと思い込んでいる。理不尽だ。
 そこでへちまたちは色々と策を講じるのだが・・・・・・。
 アイデンティティって何? です。

『トトシュとマリーとたんすのおうち』(カタリーナ・ヴァルクス:作 ふしみみさを:訳 クレヨンハウス 2011)
 友だち絵本。ともだちっていいね、をどう伝えるか。
 テントウムシのマリーは路上でタンスを見つけます。あ、これ、おうちにしよう。
 トトシュは路上でタンスを見つけます。あ、これ、おうちに持って帰ろう。
 こうしてタンスを巡って二人の思惑がズレたり一致したり。どうなりますか。
 ヴァルクスのぬくもりある筆遣いも好調ですね。

『プンとフォークン』(西野佐織 教育画劇 2011)
 子豚君が小さな頃愛用していたスプーンとフォーク。でも今は食器棚の奥で忘れ去られています。
 さみしく嘆く日々ですが・・・・・・。
 育っていく子どもと役目を終えた道具。
 この作品では物語をソフトランディングさせるために、彼らは救われますが、ほとんどはそうではないでしょう。
 この絵本で、それを子どもが気づくのは、いいよね。

『土の色ってどんな色?』(栗田宏一 福音館書店 2011)
 まあこんなにシンプルな本もちょっとないでしょう。
 右のページに、土を採取している栗田の写真。左のページに乾かしたその土。
 ただそれだけ。
 ただそれだけなのに、こんなにも様々で微妙な色合いを眺められるのにはちょっと感激しました。
 色彩に興味を持つと底がなさそうなので近づきませんが、ここから色彩にはまっていってもいいと思いますよ。

『へいわってどんなこと?』(浜田桂子 童心社 2011)
 韓中日の平和絵本シリーズ。
 タイトル通り、どんな状態が平和なのかを見せていきます。
 戦争がないこと、大好きな人を抱きしめられること、自由に意見が言えること。
 どれもが正しいことですが、どこかつかみ所がない感じです。もう少し小さく具体的な事物の方が良かったのでは?

『いちばんでんしゃのしゃしょうさん』(たけむらせんじ:ぶん おおともやすお:え 福音館書店 2011)
 一番電車を描くというのは、いい発想です。そこには昨日の続きで乗り込む人も、今日、新しい気持ちで乗り込む人も様々ですし、車掌だって、ずいぶん早くから準備をし、普通に人の生活とは違う時間を生きています。
 言葉が多い絵本ですが、私たちは知らない細かな仕事と仕事の道具が詳しく描かれるのはうれしい限り、子どもにとってもたまらないでしょう。
 おおともやすおの絵は、静かに寄り添っているので全体が見えやすいです。

『ふたりはめいたんてい』(さこ ももみ:さく アリス館 2011)
 ぬいぐるみが命を持てるココロバナ。おじいちゃんから送られてきた荷物に入っていた種がなくなった!
 トトくんとぬいぐるみのライヤは、探偵となって探します。
 さてどこにあることやら。

『おたすけこびとのまいごさがし』(なかがわちひろ:文 コヨセ・ジュンジ:絵 徳間書店 2011)
 「おたすけこびと」シリーズ三作目。
 今回は行方不明になった子猫をみんなで探します。
 こびとの視点で、大きな子猫を助けるプロセスがとても楽しいですね。

『ねこざかなのおしっこ』(わたなべ ゆういち:作・絵 フレーベル館 2011)
 とっても仲良しのネコと魚。だから魚の口の中にネコが入って、ねこざかな。
 という、すてきにわけわからんキャラクターの最新作。
 今回は、トビウオの背中に乗せてもらって大飛行。でも、ネコがおしっこしたくなって、でも、このままおしっこすると魚の口の中だし・・・・・・。
 やっぱりおもしろい発想だなあ。

『ねこのピカリとまどのほし』(市居みか あかね書房 2011)
 震災に関わる活動も誠実な市居の新作。
 夜になり、星が光り、お腹がすいた、ねこのピカリ、窓に明かりが付いているいろいろな家を訪ねますが、コウモリさんはさかさにならないといけないし、虫たちの家は小ささ過ぎるし、なかなか入れてもらえない。
 それは希望を求める旅とかさなってきます。様々な明かりがともっていますが、ピカリにとっての光は一つ。

『ショベルカーダーチャ』(松本州平 教育画劇 2011)
 はたらくくるまをよく描く松本の最新、はたらくくるま物です。
 小さなショベルカーのダーチャは現場で勝手がわからず、邪魔者扱い。
 ダーチャは現場から逃げ出しますが、雪の中で眠ってしまい、どうぶつたちに助けられます。
 どうぶつの村で、色々頼み事をされ、自信がついてくるダーチャ。
 子どもの気持ちに身を寄せた展開です。

『作ってふしぎ!? トリックアート工作』(北岡明佳:監修 グループ・コロンブス:構成・文 あかね書房 2011)
 好評トリックアートシリーズ3作目。
 今回は夏休みということもありまして、子どもたちが自分で作れる工作が満載です。
 興味のあるのから作ってくださいね。
 脳を柔らかくして、物事を考えるきっかけとなる、いいシリーズです。

『すごいくるま』(市原淳 教育画劇 2011)
 パパの車のすごさを少年が教えてくれます。
 ぶらんこが付いているし、速いし、トランクを開けるとお菓子が作れる。
 うん。すごい車だ。
 市原のどこか懐かしいアメリカンテイストのイラストっぽい絵がいいですね。

『ぺんぎんのたまごにいちゃん』(あきやまただし:作・絵 すずき出版 2011)
 たまごにいちゃんの最新刊。
 たまごのままの方がいいからと、兄ちゃんだけどたまごに入ったままでいるという妙ちきりんな設定が、今作も笑いを誘います。
 ペンギンかあちゃんがころんで気絶。そばにいるのはたまごにいちゃん一匹。さあ、どうする!

『みこちゃんとぶぶ』(公文みどり 玉川大学出版部 2011)
 みこちゃんはぶたさんを飼いたくてたまりません。でもそれはやっぱり無理。
 みこちゃんの想像力は膨らみ、夢の中で楽しく、みこちゃんだけのぶたさんと遊びます。
 ただそれだけの小さな物語なのですが、公文の切り絵の才能は、みこちゃんの哀しみが喜びに変わるまでを鮮やかに描いていきます。紙の質感選びと、輪郭(切り口)、そして色の組み合わせ、画面への置いて生き方。巧いです。
 こうした安全な物語だけでなく、色々な物語に挑戦できる力を十分持った才能です。編集者のみなさん! 腕の見せ所ですよ。

『めいろがいっぱい! ぐるぐるランド』(トマス・フリンタム:作 たなかあきこ:訳 小学館 2011)
 もはや食傷気味の迷路物ですが、これはちょっと違う。
 「ス」から「ゴ」まで迷路をたどっていくのですが、「ス」はスタート、「ゴ」はゴール。原文は知りませんが、このなんだか何にも考えていないかのような略がまず、すごい。
 そして、いろいろな迷路が始まりますが、生き物の体や自然や天空の星や、様々なものが使われています。
 つまり目的は迷路ではなく「ス」から始めて「ゴ」までたどることによって、結びつきってことを感じてもらう趣向なんですよ。
 色をたくさん使わず一色で、それもページ数が96ページとはんぱじゃない。
 負けました。

『ころころぽーん』(新井洋行 ほるぷ出版 2011)
 擬音のリズムを楽しむための幼児絵本。
 子熊がリンゴを取ろうとして木から落ち、まっまるになったまま転がっていき、色んな動物の前や背中を転がっていき、は母熊までたどり着く段取りです。

『わたしのひかり』(モリー・バンク:作 さくまゆみこ:訳 評論社 2011)
 わたしたちが享受している光を巡る解説とメッセージ絵本。
 エネルギーをおづ作りどう使うか。作者の思いがあふれています。
震災後のこの国に寄り添う絵本。

『ありさん あいたたた・・・』(ヨゼフ・コジーシェック:ぶん ズデネック・ミレル:絵 きむらゆうこ:やく ひさかたチャイルド 2011)
 チャコで今も人気の絵本の再刊。
 松の枝を運んでいてぎっくり腰になったアリさんをたすけるお話です。
 横になっているアリさんの元へ、医者と看護師がやってきて治療して、みんなで音楽を聴かせて、おいしいものを食べさせてと、日本人の感覚とはちょっと違う展開と、決して上手とはいえない画面構成に、古いアニメを見ているような気分となります。
 そこが楽しいのですけどね。

『きみたちにおくるうた むすめへの手紙』(バラク・オバマ:文 ローレン・ロング:絵 さくまゆみこ:訳 明石書店 2011)
 オバマがむすめたちに送った手紙を元に絵本化。左ページには、
「しってるかい? きみたちには ものを つくりだす ちからが ある、ってことを。」
 といった、子どもの可能性を語った言葉が置かれ、右にはそれをなしえた著名人が描かれます。
 とてもわかりやすい構成だし、親が子どもに語る、とてもわかりやすい希望と夢。
 でも、やっぱりこれは、『13歳のハローワーク』(村上龍)と同じく、成功者がしばしば陥る勝者の視点だと思います。
 右ページは全部いりません。左ページだけで伝えて欲しい。それは悪くないメッセージなのだから。

『じいじいの森 サキの森 お母さんの森』(かすやけんいち コスモの木 2011)
 村の山の木で、村の図書館を作る話と通して、林業について語ります。
 小さな物語の後に、かすやによる、日本の林業の現状と想いが書かれています。ですから絵本としてはばらけてしまっていますが、こうでもしなければ、すべての想いが伝えられないもどかしさが伝わります。
 森林面積はスエーデンとほぼ同じなのに日本は輸入が世界二位。スエーデンは輸出が世界三位。う〜ん、もったいない。

『まなちゃんのいす』(長野ヒデ子:さく 「こどものとも0.1.2」 福音館書店 2011)
 まなちゃんにはたくさんのいすがあります。
 おばあちゃんのひざ、おとうさんのひざ、おにいちゃんのひざはちょっと小さいかな。眠っているネコちゃんの背中はちょっとむりかな?
 長野の軽やかな絵がいつも心地良し。

『こけこっこー』(林木林:作 西村敏雄:絵 すずき出版 2011)
 いつもみんなを朝起こしてくれるのは、にわとりさん。
 でも他の鳥もやってみたいと言い出して・・・・・・。
 きっとこういう風におもしろくなるだろうなという予測通りに楽しませてくれます。これって、結構難しいです。
 オチはわかりますよね。

『どうぶつおりがみ』『伝承おりがみ』(山口真 ポプラ社 2011)
 シンプルな折り紙解説本。
 こういう本がいつも出ていることはいいですね。私は伝承おりがみがやはり楽しかったです。結構忘れてます。

『うまれてきてくれてありがとう』(にしもとよう:ぶん 黒井健:え 童心社)
 まだうまれていない赤ん坊が、母親を捜します。
 いろいろな動物たちを巡りますがみんな違う。
 やっと人間の母親を見つけて生まれてきます。
 誤解されがちですが、こうした絵本は赤ちゃんや幼児のためにあるものではありません。親が自分を納得させたり、自分をほめてあげたりするためのものです。
 あくまで大人のための絵本。
お間違えなく。

【ノンフィクション】
『鉄は魔法つかい』(畠山重篤:著 スギヤマカナヨ:絵 小学館 2011)
 気仙沼湾でカキの養殖を行っている畠山が、鉄、鉄分の重要性や、その機能の仕組みを、ありとあらゆる分野と世界に視野を広げて語っていきます。
 海を育てるには森を育てようとの運動もすてき。
 その語り口の楽しそうなこと!
 出版直前に震災がありましたが、こんな時、よりいっそう必要な本です。

【児童文学評論】 No.161 Copyright(C), 1998〜