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〔児童文学書評〕 <http://www.hico.jp>

Twitter(http://twitter.com/hicotanaka)を開きました。(ひこ)

【お知らせ】
☆日本ペンクラブ「子どもの本委員会」と国際子ども図書館との共催によるシリーズ企画
「いま世界の子どもの本は?」
第一回 シリーズスタート記念講演と「いま台湾の子どもの本は?」
日取:2010年6月26日(土曜日) 午後2時から4時まで
会場:東京・上野公園内 国際子ども図書館ホール
第一部・記念講演:「魔女が見た世界の子どもの本」角野栄子(作家・日本ペンクラブ子どもの本委員)
第二部・「いま台湾の子どもの本は?」
令丈ヒロ子(作家・日本ペンクラブ子どもの本委員)
ショウ・イーフン(白百合女子大学大学院)
申し込み(抽選となります)その他は、必ず国際子ども図書館のホームページをご覧ください。
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 YAってイマイチよくわからない人は多いと思います。それは、大人も同じ。子どもじゃないけど大人と認めるにはまだだなあと思う層を取りあえずそう名付けただけですから、本当は大人だってよくわかっていない。
 みなさんの側から言えば、もう子どもじゃないよ! と思うようになった時からがYAです。それが始まるのは十歳かもしれないし、二十歳かもしれない。そして、自分で大人の責任を背負う覚悟ができたとき、YAではなく大人になる。それは二十歳かもしれないし、三十歳かもしれない。いつまでもYAでいる必要はないし、早く卒業しなければいけないわけでもありません。でも、その時期をどう生きるかは、自分で決めなければなりません。だってもう子どもじゃないから。ちょっと怖いけど、手にした自由は手放さないで。
『はじまりの日』(ボブ・ディラン:作 ポール・ロジャース:絵 アーサー・ビナード:訳 岩崎書店 2010)は1974年にボブ・ディランが作った歌詞にポール・ロジャースがイラストを添えた絵本です。最初のYA本が絵本かい! と怒られるかもしれませんが、ぜひ読んで下さい。ここには、子どもでも大人でもない曖昧な時期を迎えた人を勇気づける言葉がたくさんありますよ。(読売新聞2010.04)

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【絵本】
『まねっこでいいから』(内田麟太郎:文 味戸ケイコ:絵 瑞雲舎 2009)
 子どもの頃、虐待を受けた女の子が母親になり、自分の娘を抱きしめられません。
 そんな時、娘が言ってくれます。
「まねっこでいいから」と。
 おずおずと娘を抱きしめる母親。しだいしだいに強く抱きしめられる母親。
 幸せまでの風景が味戸の絵と内田の言葉で描かれていきます。
 内田自身は自身にとって重要なテーマである「愛情」を、しっかりと子どもの側に寄り添って、直球で描きはじめています。目が離せません。(ひこ)

『ラストリゾート』(ロベルト・インチェンティ:絵 J.パトリック・ルイス:文 BL出版 2010)
 インチェンティの画を堪能すればもうそれだけで大満足なのですが、今作はルイスの文を得て、その世界はいっそう極まります。
 スランプに陥った描き手は車で旅に出、とある海辺のホテルに。いったい何をしにこんなへんぴな場所に? と不思議なほど多くの客がいる。まあ、自分もその一人なのですかど。
みんな何かを探しているような、行き惑っているような、生き悩んでいるような人々。
 別段会話を交わすわけでもなく、絵本は続いていき、それぞれが誰で、何を発見し宿を後にするかが描かれていきます。彼らが誰かは想像して下さい。後に解説もあります。
 自分の生活の流れが澱んだら、いちどそこから離れてみる。ということね。(ひこ)

『牛をかぶったカメラマン キーアトン兄弟の物語』(レベッカ・ボンド 福本友美子:訳 光村教育図書 2010)
 野鳥たちの生態を工夫豊かに撮り続けたキーアトン兄弟の伝記的絵本。
 ヨクシャーの自然の中で育った兄弟は、野鳥に親しみ愛しますが、大人になりロンドンで働くようになります。それでもその愛着は絶ちがたく、出勤前の早朝、ロンドン郊外まで野鳥を観察しに行く日々。もちろん週末は一日中。
 カメラで写真を撮り続けます。驚かさないように、彼らはなんにでも扮します。岩の形を作って潜ったり、本物の牛のはく製を作って被ったり。
 周りはからかいますが、んなもん、好きだから気になるわけがありません。
 やがてそれは一冊の写真中に結実し、学会でも重要な資料として認められます。
 むろん、レベッカが描きたいのは一所懸命すれば認められる、なんてことではなくて、人間が抱いてしまう情熱の有り様です。(ひこ)

『ふゆのようせい ジャック・フロスト』(カズノ・コハラ:作 石津ちひろ:訳 光村教育図書 2009)
 この作家の才能は前作『おばけやしきに おひっこし』を開けば一目瞭然なのですが、今作も素晴らしい出来。
 コリンと犬のサミィは退屈。だって雪が降り続いて、森の友達はみんな冬ごもりして遊べない。と窓の不思議な模様。
 外に出ると妖精のジャック・フロストがいて、一緒に遊びます。「春」って言葉だけは発しないって約束で・・・・・・。
 という、別段ひねった設定でも展開でもないのですが、ここには「冬」という時間と、「冬」から「春」へという時間の流れが、何も強調されることもなくごく自然に織り込まれてしまっています。
 巧く説明できないのがもどかしいのですが、カズノ・コハラという作家の作家性を押しつけることなく、それでも他の誰でもないカズノ・コハラの世界を忘れがたく印象づけます。
 んん〜ん。
 好みというしかないのかなあ。(ひこ)

『ふしぎな しろねずみ』(チャン・チョルムン:文 ユン・ミスク:絵 かみやにじ:訳 岩波書店 2009)
 ある夜、おじいさんの鼻から白いネズミが出てきます。おばあさんはネズミを追いかけていきますが、お腹が減ってそうなので食べ物を与えたり、水たまりに定規で橋を作ってあげたりします。でも、とうとう見失う。ネズミはといえば、いつのまにかおじいさんの鼻の中へ戻っています。
 目が覚めたおじいさんは、おばあさんがネズミにしてあげたことを、まるで自分が誰かにしてもらったように語ります。そして自分は宝を見付けたと。
 ちょっと奇妙で愉快な韓国の昔話です。
 絵はユン・ミスク。相変わらず冴えています。(ひこ)

『むすんだそのてをひらいてみせて』(安部賢司 「こどものとも012」 2010.03)
 むすんだ手を広げると中には何が入っているのかな?
 手の動きの楽しさと、開くまでのドキドキと、開いたときのうれしさ。赤ちゃんの手のかわいさがあふれます。でも、基本的にこれは絵本ではなく実際にやることですから、この絵本はいわばその導入用でしょうか。(ひこ)

『コウモリうみへいく』(ブライアン・リーズ:作・絵 さいごうようこ:訳 徳間書店 2009)
 見返しの作者の写真が逆さになっているのは気になる方もおりましょうが、それはともかく、くっきりと表情豊かな絵作りです。
 お話は、コウモリたちが夜の海にバカンスに出かけた様を描いています。虫のマシュマロを焼いたり、カイトは、まあ、当然ですが、自分たちにひもを付けて飛ばしたり、なんだかとっても愉快です。
 キャンプファイヤーで飲めや歌えの大騒ぎ!!!
 あ、そうそう、作者の写真は逆さではありませんよ。だって、ブライアン・リーズさん、実はコウモリなんです。(ひこ)

『かいじゅうくん』(ウテ・クラウゼ:作 荒川みひ:訳 ブロンズ新社 2009)
 親に留守番を頼まれた男の子。ドアの向こうからかいじゅうが声をかけます。「入れてよ」って。
 もちろん入れないのですが、想像はどんどん膨らんでいきます。
 彼を誘って食べるかいじゅう。吊す怪かいじゅう。
 彼は、かいじゅうの島へでかけて一緒に遊ぶのではありません。かいじゅうはやってきて、彼はそれを拒みます。
 ドアに障害物をどんどん置く男の子。
 最後は幸せなオチですし、ページを繰っている間も決して怖くはなくむしろユーモアたっぷりですが、『かいじゅうたちのいるところ』が子どもの内面の怒りの表示であったのに対して、この恐怖は、内面(自分)とその外部(世界)の関係の違和感から生まれていますので、現代の物語です。(ひこ)

『さあ、たべてやる!』(ケイト・マクマラン:文 ジム・マクマラン:絵 さくまゆみこ:訳 評論社 2009)
 『ドラゴン・スレーヤー・アカデミー』のマクマランによる絵本。絵はお連れ合いのジム。
 ゴミ回収車のお仕事を、回収車の視点で愉快に描いていきます。そう、ゴミを食べていくわけです。おいしそうだなあ、ゴミ。そして最後は集積場に食べたゴミを排泄。
 で、ゴミとは何たるかをちょっと考えてしまうようになっています。巧い。(ひこ)

『ゆきがふるよ ねこがいるよ』(ごうだつねお 教育画劇 2009)
 ドーモくんのごうだ、初絵本。
 雪降る深夜、黒猫が、外で遊んでいます。
 そんなシンプルな、でも厳しい環境を、ごうだの画が包み込みます。
 全部、「よ」で止めた文が、読者を雪の世界へと誘い込む。
 よいデビューに乾杯!(ひこ)

『とべ! ひこうき かぜにのって』(北沢優子 アリス館 2009)
非常に丁寧に作られた絵本。
扉で、父が買ってきたグライダーを息子と二人で組み立てる様が完結に描かれます。
次の見開きでは、初めて飛ばすのでなかなか巧くいかない事。父親のアドバイスなどが、ここでも過不足なく展開されています。そして、ついに飛んだグライダー!
そこからは、どこまでも飛び続けるグライダーの視点で、街が、自然が、人間の営みが活写されていきます。画面の左には、この架空の街の俯瞰図があり、グライダーがどういうコースで跳び、今どこにいるかも示されます。これはフィクションらしくない振る舞いで、批判したい人もいるでしょうが、GPSな時代にふさわしい。というより、絵本は「アート」であることにこだわるあまり、こうした明示の仕方を避けすぎてきたのではないか? ここには、ワクワクさせる「世界」の描き方があります。
現代ではその丁寧さに、重さを感じてしまう子どももいるのでしょうけれど、そこは北沢の今後の試行錯誤で、クリアされるでしょう。
オリジナル絵本はこれが最初でしょうか? であるなら、こちらも乾杯!(ひこ)

『ものすごく おおきな プリンのうえで』(二宮由紀子:ぶん 中新井純子:絵 教育画劇 2010)
 ものすごく大きなプリンの上で、と言われても私、困ってしまう。
「上で?」
 ページを繰ると、「みんなで なわとびを するときは」ときます。なんで、プリンの上でお前らは縄跳びをするんだ! などと考えてはいけません。するんです。と、プリンは揺れやすいので上から落ちてしまうから、気をつけましょう、ときます。
「だから、そんなところで縄跳びをするな」などと言っては、もちろん成りませぬ。したときの注意が述べられているだけですからね。
何か問題が?
あとは、「ホットケーキの上で」や「アイスクリームの上で」の注意が述べられて行きます。丁寧ですね。
注意書き絵本(そんなのあるのか?)は、やっぱりこうでなくてはいけません。とっても親切です。
絵は、橋下大阪府知事が、自身の力の誇示のために、各党全部反対であったにもかかわらず、無理矢理移転、縮小、人件費削減、機能大幅低下をさせられてしまった児童文学館とニッサンが行っている、ニッサン絵本と童話のグランプリを受賞した中新井が担当しています。児童画風に描きつつ、しっかり構成を立てているのが良いですね。(ひこ)

『ちいさなまち』(ふじたしんさく そうえん社 2009)
 どこかで見た絵柄と思ったら、『ペットセマタリー』などスティーヴン・キングの装画をされていた方だ。
 兄と弟が、水辺を散策(冒険)しながら家へ帰るまでを描いています。画面の下三分の二は水辺がしめていて、街の家々もそちらに映った部分の方が多くなります。何の変哲もない子どもの日常は水辺に転写されて、非日常な色合いを増し、時に不穏さも醸し出します。この辺りのセンスは、ふじたの立ち位置を良く表しているわけですが、同時にそれはきわめて優れた絵本批評ともなっています。最後の仕掛けもウフフフフ。(ひこ)

『ちいさなおうさま』(三浦太郎 偕成社 2010)
 まず表紙が秀逸。『ぼくはおうさま』に敬意を表しつつ、トランプの王様をショートデフォルメして、それをほんの少しネオダダっぽいコラージュで飾り、背景を黒で落とした佇まいは、アートでもないし、ポップアートでもないし、記号(パーツ)アートとでも呼べばいいでしょうかね。もちろん中の絵もいいですよ。
 ちいさなおうさまにとっては、お城も、食事のテーブルもベッドも風呂もなにもかもが大きい。そんなおうさまが、おおきなお姫様と結婚して、たくさんの子どもが出来、テーブルもベッドも風呂も、みんなちょうどいい感じになりましたとさ。(ひこ)

『絵で見る おふろの歴史』(菊池ひと美 講談社 2009)
 奈良時代のどうくつ風呂〜釜風呂から現代までを、簡潔かつ見やすく描いてくれています。
 どうくつ風呂と移動する風呂屋(江戸期)は知らなかったなあ。
 こういう身近な物から歴史への興味を抱いてくれたらとてもうれしい。
実は、歴史って政治や戦争よりこっちの方が大事。というか、こうした歴史を知っておくことで、政治がそれらをねじ曲げようとするのに対して抵抗ができるのです。(ひこ)

『かぞえて かぞえて たんじょうび!』(ヤーク・ドレーセン:文 ストーキン・アプス:絵 野坂悦子:訳 ほるぷ出版 2010)
 数の概念を覚えると、子どもは何でもかんでも数えたがりますが、それっていいですよね。だって、「世界」にまた一つ楽しい事を見付けたのだし、「世界」の把握の仕方をまた一つ増やしたのですから。
というわけで誕生日まで子ウサギは色んな者や物を数え続けます。アプスは画面の中に様々な数えることのできるものを散らして、数え始めた子どもの喜びに応えます。文の数と絵の中の数、合ってるかな?
そして最後はもちろん、新しい歳の数。
五歳のお誕生日、おめでとう!(ひこ)

『冒険! 発見! 題名路 妖怪忍法帖』(原康裕朗&バースデイ ポプラ社 2010)
 大迷路シリーズももう四作目ですか。早いなあ。
 これ本当に子どもが夢中になるんですよね。あ、大人もね。
 今作は妖怪で、忍法で、お城であるからして、もうややこしさにいっそう磨きがかかって、遠視の私はギブアップ。こ、これが遊び倒せる若さが欲しいぞ。
 でね、町や城が詳細に描かれているので、物事を俯瞰でぱっと捉える面白さもわかると思うのね、この絵本って。その感覚を身につけることはとても大事なんです。そこも買いです。(ひこ)

『ロシアのわらべうた』(チュコフスキー:編 Y.バスネツォフ:絵 田中潔:訳 偕成社 2009)
 かつて幼児言語教育の必読本だった『2歳から5歳まで』(理論社)の著者が撰集した童歌。絵は『3びきのくま』(福音館)のバスネツォフ。豪華です。翻訳のリズムも良い日本語。
 58年の作ですから半世紀前。アンティークな絵のタッチが結構たまりません。現代の子どもはどうなんだろう?(ひこ)

『畑の土から芽がでたよ 土にねむるたねのふしぎ1』(松尾洋子:写真 多田多恵子:監修 アリス館 2010)
 種をまかなくても、畑の土からでてくる芽。いわゆる雑草と言われる植物たち。
 この写真絵本は、畑で分けてもらった土から出てくる植物を芽から観察していきます。自分のイメージで名前を付けての観察ですから愛着もひとしお。
そして花が咲いたら、いよいよ図鑑と使って一般にはどう呼ばれているかを調べます。
名前が分かった植物たちが実を付け、種を落とし、枯れていくまで、それはもちろんひとつの世界です。
自然の大切さを伝える前に、こんな近づき方がいいかもしれませんね。(ひこ)

『ぼくたちは なく』(内田麟太郎 PHP 2010)
 内田の詩集です。第一章が「泣く」で二章が「笑う」ですから、もちろん内田のメッセージは「泣く」から「笑う」です。「泣く」があって、「笑う」がある、だから今は泣いても、死んではだめだよ、があります。
 小難しい詩は一つもありません。授業で「詩人はここで何を言いたかったのか?」なんて下らない質問を教え手が出来ないように、そのまんまの言葉が並んでいます。設問を立てないとわからないような詩を、詩人が書きたいはずはないですもの。もしいたら、その人は詩人ではなく言葉で気持ちを隠そうとしている人です。
 この詩集は子どもに向けて作られていますから、大人は内田の側から詩を眺めるようになっています。その辺りの佇まいも内田らしい。(ひこ)

『ぼくが うれしくなるときは・・・』(ヤニコヴスキー・エーヴァ:文 レーベル・ラースロー:絵 マンディ・ハシモト・レナ:訳 文渓堂 2010)
 ハンガリー絵本。子どもがはしゃぐと大人も幸せそう。小さい時はそうだったのに、少し大きくなると、静かにしなさい、おとなしくしなさい、だって。なんで?
 といった、子どもにしてみれば理不尽なことや、大人側から見た子ども像などをわかりやすく展開しています。
 絵本というよりも、書き割りのないマンガに近いかな。素朴でシンプルな色使いが、実に親しみやすいです。
他に『なんで ぼくだけ こうなるの?』、『もしも ぼくが おとなだったら・・・』も出ています。これもお薦め。(ひこ)

『ホーホー! きれいだな ミミズクいろのえほん』(ティム・ホプグッド:作・絵 たがきょうこ:訳 徳間書店 2010)
 夜起きているミミズクには色がよくわかりません。そこで考えた子ミミズクは、昼に起きていることに。
 初めて見る日の光、青空、新緑と、色への感動がミミズクを通して伝わってきます。そういえば色そのものへの感動って結構ありますよね。(ひこ)

『ゆかいな 聞き耳 ずきん クロツグミの鳴き声の謎をとく』(石塚徹:文 岩本久則:絵 「たくさんのふしぎ」303 福音館書店)
 知りませんでしたが、クロツグミって鳴き声が色々あるのですって。石塚さんは、それを調べるために毎週末、東京から金沢へと通っていたそう。
基本はペアだが、オスは時に複数のメスと仲良くする。そうか、利己的な遺伝子だもんね。
遠くから渡ってきたオスは他のオスたちと違う鳴く声を収得していたのに、それではご当地のメスに受けないので、それらのスキルを捨てて、新たに地域のオスの鳴き声を覚える。
などなど、知らない話が一杯で、おもしろい。
 そんなこと知ったからといって、どうなるものでもないが、そういう知識が幸せ。(ひこ)

『エディのやさいばたけ』(サラ・ガーランド:さく まきふみえ:やく 福音館書店 2010)
 エディはママのはたけに、自分のはたけを作らせてもらいます。そこでどんな野菜を、どんな風に育てていくかを、無農薬ヴァージョンにて描きます。目新しい話は出てきませんが、丁寧なので子どもも興味を持つでしょう。昔作っていた野菜を思い出しました。(ひこ)

『おやゆびとうさん』(長野ヒデ子:作 スズキコージ:絵 佼成出版社 2009)
 長野が子育て時代に自分の子どもに歌って聞かせたオリジナル童歌にスズキコージが絵を添えるという豪華版。
 ゆびずもうが大好きなおやゆびとうさん。だもんで、他の指たちもはっけよいよいとゆびずもう。
 言葉のリズムが良いのは、何度も聞かせる中で磨かれたからでしょう。そのリズムに共鳴してスズキコージも思い切り跳ねています。(ひこ)

『もねちゃんのたからもの』(たかおゆうこ:作・絵 徳間書店 2010)
 もねちゃん、紙飛行機でお手紙飛ばします。「宝物を見に来て」。やってきた子ギツネさんに披露するのは、どこまでも跳んでいけるなわとびや、数える度にお金が増えている貯金箱。もねちゃんの想像(妄想)が全開です。ずっと聞いている子ギツネがいいよね。(ひこ)

『水草の森 プランクトンの絵本』(今森洋輔:絵・文 岩崎書店 2010)
 「ちしきのぽけっと」シリーズ十巻目。今作もいい出来です。
 プランクトンの生きる世界を、詳細な絵と解説で見せていくのですが、たかがプランクトンとは言うなかれ。誕生から死まで、戦いなど、その活き活きした世界は、我々とさして変わりません。子ども読者にとってそれは、「世界」を眺めるために新しい視点を提供してくれるでしょう。
 写真には写真のリアルがありますが、今森の絵はよりクリアに描かれていて、迫力があります。
 このシリーズ、本当にレベルが高いなあ。(ひこ)

『わたしの病院、犬がくるの』(大塚敦子:写真・文 岩崎書店 2009)
 聖路加病院小児総合医療センターのがん病棟に入院している子どもたちとセラピー犬の姿を追った写真絵本。大塚は『ボスニアの少女エミナ』など優れたドキュメント写真絵本をこれまでも届けてくれていますが、今作では病気を戦う子どもたちに寄り添います。
 モノクロ写真に定着された子どもたちの笑顔、泣き顔、亡くなった子ども、犬の頬ずりをする子ども、そのどれもが命の手触りを伝えます。
 大塚の後書きもよいです。(ひこ)

『ホネホネどうぶつえん』(西澤真樹子:監修・解説 大西成明:しゃしん 松田素子:ぶん アリス館 2009)
 『ホネホネ』シリーズ二巻目です!
 タイトル通り、様々な動物を骨だけで見せていきます。自然博物館などでも目にすることが出来ますが、こうしてじっくり眺めるように促されると、骨が表情を持ってくるから不思議です。
 そうそう、ロンドンの自然史博物館は、見せ方によっていかに興味を喚起することが出来るかのお手本のような所です。ロンドンに旅行されるときは、是非見に行ってください。(ひこ)

『マグロをそだてる』(熊井英水:監修 江川多喜雄:文 高橋和枝:絵 アリス館 2009)
 近畿大学のクロマグロ完全養殖まで、32年の歩みを描いています。すでに成功している魚の養殖も参考にはしたのでしょうが、いやあ、これほど手探り状態から始まったとは思ってもいませんでした。
 まずヨコワ(クロマグロの子ども)を捕り、それを育てるのが大変。クロマグロは肌が弱いので手で触るだけで死んでしまうということもわからない所からのスタートです。死ななくなるまで4年。そして大人になったクロマグロが卵を産むまで5年。孵った稚魚を育てて生け簀に放しても死んでしまう。また試行錯誤。
 研究の面白さと大変さと喜びが伝わります。(ひこ)

『孝行手首』(大島妙子 理論社 2010)
 江戸落語風絵本です。
 幼い子どもを亡くしてしまった夫婦。時は流れ、夫は死の床につき三途の川まで行きますが、毛むくじゃらの手に助けられます。その手首ごとこの世に帰ってきた夫。妻は気味悪がりますが、命の恩人だからと育てるのですが・・・・・・。
 よくできた人情話です。大島の絵が、本当に楽しそうに描いてあって、笑いながらホロリであります。(ひこ)

『めいろ・めいろ・めいろ』(せべまさゆき ほるぷ出版 2009)
 迷路物ブームのなか、どうせ迷路なら、その壁を動物にすれば楽しいだろうと企画された作品。ねずみがうさぎに伝言を届ける迷路は当然ネコ。その壁はネコだけじゃなく他の動物も隠れているので、「さがせ!」物も楽しめます。
 よくもこれだけ、色んな表情で動物を描いたなと感心。(ひこ)

『ながいれっしゃ』(サム・ウィリアムズ:さく ケン・ウィルソン-マックス:え ポプラ社 2010)
 なが〜い貨物車。コンテナが101。その一つ一つの乗っているものを、アドベントカレンダー風にめくって確かめていく、仕掛け絵本。小さな物語をいくつか想像できるようになっていて楽しいです。てか、めくって行くのってそれだけで楽しいです。
 でも、めくった中に書いてある言葉、英語も併記して、幼児早期英語教育絵本としても使おうという発想が残念です。それじゃあ、子どもが集中できない。そんなのなくてもいいのに。(ひこ)

『なにわ くいしんぼう くらぶ』(土橋とし子 理論社 2010)
 作者が作り上げた理想の大阪の商店街です。
 といっても主人公三人は小学生でありますからして、彼らの興味は食べ物だけでして、下校時に寄りながら紹介してくれるお店は食べ物屋ばかりなのが、おかしい。(ひこ)

『シズカくんとクーちゃん』(ジョン J.ミュース:さく・え 三木卓:やく フレーベル館 2009)
 『しあわせの石のスープ』のミュースによるパンダのシズカくんシリーズ二作目。
 今回は俳句に凝っている甥っ子のクーちゃんが遊びにやってきます。
 彼らが心を閉じ込めてしまっているおばあさんとどうつながっていくのか、お楽しみに。(ひこ)

『しいちゃん』(友部正人:文 沢野ひとし:絵 フェリシモ出版 2010)
 敬愛する歌い手友部が文を書いた絵本。
 しいちゃんは自分がもう一人いればいいと思っています。だって、それならいつも一緒に遊べるから。
 春、河原で遊んでいるしいちゃんのところに、黒い服にマスクをしたおばさんが近付いてきて、二人は一緒に遊びます。花粉症だそうです。おばさんはまるでしいちゃんのことをおとうさんやおかあさんよりよく知っているかのようで、とても楽しい。おばさんの声も姿もしいちゃんいしかわかりません。
そうして春になるとやってきていたおばさんはしいちゃんが十七歳になったとき、タンポポの綿毛になって飛んで行きました。
もう大丈夫。しいちゃんはそれから色んな旅を経験し大人になります。
月日は流れ、花粉症になったしいちゃんは春にマスクをして、ひとりぼっちで遊んでいる女の子に声をかけるのでした。
友部の、ユニークな世界の切り取り方は未だ健在。でも歌よりちょっと弱いかな。
沢野ひとしが良い仕事しています。(ひこ)

『いっぽんみちを あるいていたら』(市居みか ひかりのくに 2009)
 一本道、長い一本道がかなりの遠近法もどきで描かれていて、主人公が歩いて行くと向こうから色んな人がやってきます。小さな人だと思ったらめちゃくちゃ大きな人とか、正面から見ていると小さな犬だけど近付くと胴のなが〜い犬とかね。
 そのアホくさい意外性を楽しみながら歩いて行きます。最後のオチもなかなかよい出来です。
 ここに意味不明の抜けがあると、長新太ですね。(ひこ)

『5ひきのすてきななずみ ひっこしだいさくせん』(たしろちさと ほるぷ出版 2010)
仲良く暮らしている五匹のねずみたち。ところがお隣にねこがやってきたので、長年暮らしたビルを出て引っ越すことに。
ゴミ置き場を発見した彼らは、そこに捨てられた様々ながらくたを工夫して、素敵な住まいを作って行きます。
色んな物を別の目的に再利用して行く楽しさは『床下の小人たち』でおなじみですが、たしろはそれを丁寧に丁寧に描いていきます。そして何より、作者が楽しんでいるのがガンガン伝わってきて、うれしい。
子ども読者にとってはワクワク度が高い作品でしょう。
物語のオチもなかなかしゃれていますよ。
けれんのない、素直な作風です。(ひこ)

『はるまちくまさん』(ケビン・ヘンクス:さく いしいむつみ:やく BL出版 2010)
 冬眠中のくまさんが見ている夢。
 ブルーベリーの雨が空から降ってくる。いいねえ。
 そうして、目覚めたくまさんが見たものは、本物の春。いいねえ。
 「はるまちくまさん」って邦題はとっても素敵。でも「ち」と「く」の間を少し開けておいた方が認識しやすいかな。(ひこ)

『やさしい きょうりゅう』(おおのさとみ:ぶん オオノヨシヒロ:え 小学館 2010)
 優しいきょうりゅうのところにやってきた子どもたち。なかなか帰らないので、きょうりゅうは二人の面倒をみて、一緒に暮らします。
とても優しいきょうりゅうとの楽しい時間、幸せな日々。
 でも、実は二人は王子様とお姫様でした。
 きょうりゅうとは別れますが、二人はその楽しい日々を国の子どもたちにも味あわせようと、やさしくしたのでした。
 そして、ある日・・・。
 王族の兄妹だと思うのですが、だとしたら大人になっても一緒という辺りに少し無理があります。(ひこ)

『わたしの やさしい いちにち』(メラニー・ウォルシュ:作 山本和子:訳 チャイルド本社 2010)
 エコロジー仕掛け絵本。
 生ゴミは堆肥に、寒い日はセーターで暖をなど、簡単にできるエコロジーを子ども向けに解説。そのキャッチのために仕掛けがほどこされていますが、まあ、ほどほどです。でも、ないよりあったほうが楽しいには違いありません。(ひこ)

『ようせいアリス』(デイビッド・シャノン:さく 小川仁央:やく 評論社 2009)
 アリスちゃんは、妖精なりきりコスプレ。でも設定は見習い。そこんとこ、ちゃんと自覚しています。というか、なりきるなら完全無欠のヒーローってのは、設定がリアルじゃないと、アリスが思っているのがとてもおもしろい。
 見習いだから、まあ、たいていの失敗は許されるという設定を勝手に作り、パパ用のクッキーも間違って全部食べてしまうし、妖精の粉はお砂糖だったりするのです。
 ママは時々、毒入りの食べ物(大嫌いなブロッコリー)を出すから油断は禁物だしね。
 デイビッド・シャノンの画ははっきりと好き嫌いが分かれますが、ストーリーを嫌いな子どもはいないでしょうね。100%、子どもの視点ですから。(ひこ)

『たのしい おおきい ことば絵本』(五味太郎 ひさかたチャイルド 2009)
 言葉は意味を示しますが、その意味の実態は、状況によって変わります。
 同じ重さの物でも、力のない人は「重い」といい、ある人は「軽い」という。
 そうした言葉の柔軟性、相対性を、五味風味付けで見せていく絵本です。(ひこ)

『きょうはとくべつなひ』(あらいえつこ:ぶん いりやまさとし:え 教育画劇 2010)
 弟が生まれる日、今日から兄になる子どもの一日を描いています。
 新しい立ち位置への不安、それをフォローする親といった、おなじみの展開です。
 こうした絵本は、これからも作られていくでしょうし、必要でもあると思いますから、あえてここに独自性を求めないでおきましょう。
 ただ、この絵本に限らず、やはり気になるのは、絵のイメージが「カワイイ」で固定させていることです。これは大人の視線であって、これから兄になることに不安な子どもの視線ではないでしょう。(ひこ)

『ハニーンちゃんのお人形』(加藤ユカリ:文 榧野ヒカリ:絵 めるくまーる 2010)
 イラク戦争で難民キャンプに暮らすハニーンがガンに犯される。一度は手術をしたものの再発。しかしもうお金がない。日本の「スマイル子どもクリニック」のスタッフが駆けつけるが時遅し、ハニーンの命を救うことは出来なかった。
 そんな事実から、「戦争」や「難民」や、そうしたところへの医療活動を伝える、キャンペーン絵本です。
 物語として、深く伝えるか、情報としてしっかり伝えるか。
 残念ながらこの絵本は中途半端です。せっかくなのにもったいない。
 でも、それでも、世界で起こっていることの断片を子どもは知りますから、読んで無駄ではありません。(ひこ)

『おめでとう たいせつなあなたへ』(いとうえみこ:文 伊藤泰寛:写真 ポプラ社 2009)
 生まれたばかりの赤ん坊。この子の一年間を、フレーム一杯に入れて記録した写真絵本。あなたが私にとってどれほど大切かを語っていきます。こうした声かけや愛情は、親子を閉じた濃密な関係にするためのものでも、癒しのためではありません。新しい命が、人間全般を信頼できるようにする行為です。(ひこ)

『またまた ふたのたね』(佐々木マキ 絵本館 2009)
 「ぶたのたね」シリーズ三作目。
 動作が鈍くてなかなかブタを捕まえられないオオカミくん。もらったぶたのたねを育てます。
 すると木が育ち、花が咲き、なんとブタさんがたくさん実るではありませんか!
 なんという幸せ。なんというありがたさ。
 これでもう、鈍くさくても、ブタの食べ放題です。
 でも、やっぱり話はそんなに甘くなく・・・。
 佐々木マキだからして、当然マジメに語るからして、そこでおかしさはよりいっそう高まるわけです。(ひこ)

『9歳 恋の教科書』(アレク・グレーベン:作 つるの剛士:絵・訳文監修 ワニブックス 2009)
 9歳の男の子に真正面から恋の手ほどきをしています。
 のっけから、甘い言葉はありません。女の子のほとんどは君に関心などない。から始まって、喧嘩しても女の子には勝てないよ(この年齢ならそうかもね)と、厳しい現実を伝えていきます。
 要するのこれは、恋と言いつつ、コミュニケーションの手ほどきなんですね。
 「つるの剛士:絵・訳文監修」というのが、売りたいやり方としてはよく分かるけど、売り方としては違うと思うな。
ステロタイプが目立つのは、指南書故、致し方なしかな。でも割といい作り方なので、どこかまねして、ちゃんとしたのを一冊作って下さい。(ひこ)

『ぴっつんつん』(もろかおり:絵 武鹿悦子:文 後路好章:構成 くもん出版 2010)
 時期物です。
 雨音、傘を差す子ども。
 リズム豊かに、色とりどりに、踊ります、うたいます。(ひこ)

『トラとネコ ネパールの昔話』(プル・トゥリパティ:再話 いばやしまさこ:絵 「こどものとも」2010.06 福音館)
 『むかしむかしとらとねこは…―中国のむかし話より』(大島英太郎 福音館 2009)とほぼ同じ話です。どちらが先かはわかりませんが、伝播したのでしょう。口承であった頃の昔話には同じパターンは色々見られますが、これもそのケースですね。
 せっかく同じ福音館なのですから、その辺りを、小冊子の中に書いておくとおもしろかったでしょう。(ひこ)

『まよなかのトイレ』(「子どものとも年中向き」2010.06 福音館)
 夜中、たった一人でトイレにいく小さな子どもの心の動きを描いています。
 定番のテーマであり、様々な作家によって描かれて良い物でしょう。
 この作品の場合、少し古めかしい感じがするのは、作者自身の思い出に依拠していることや、作者自身の妹の名前(ひろこ)を主人公に使っている(つまり20年以上前の名前)といったことにあるのだと思いますが、せっかくなら、もっと現代的なアレンジがあっても良かったのでは。例えば、廊下はひろこが通るとフットライトが点くようにして、暗くて怖いといった定番から外れてしまうなど。(ひこ)

『やさいとさかなのかずくらべ』(いしだとしこ:ぶん つるたようこ:え アスラン書房 2010)
 橋を渡る途中でだいこんがあくびをしていたら、鯉がからかう。にらみ合っていると、そこにニンジンとゴボウが加わって、鯉が不利! と、ナマズとドジョウが、「なんだなんだ」と加わって・・・・・・。この、わかったようなわからないような展開が素敵。子ども絵本にあるまじきような地味な色遣い(色数が少ないからではありません)といい、うまくはまれば、おもしろがってくれる出来です。このコンビで何作かやってみると、すごいのが出来るかもしれません。アスラン書房さま、よろしく。(ひこ)

『めくってごらん ことばのかくれんぼ』(accototo ふくだとしお+あきこ イートンプレス 2010)
 仕掛けによって言葉を見せていく絵本です。まず、「すこっぷ」という言葉が左にあり、右にスコップの絵があるのですが、その画面の上、ちょうど左画面の言葉と対応する部分が切り抜かれています。ページをめくると、「す」だけが隠れて、「こっぷ」。というわけです。
 言葉が含む驚きを表現できているわけではなくダジャレレベルですが、おもしろさを感じることは出来るでしょう。仕掛けがこれ以上ないシンプルなのも、企画にピタリ。(ひこ)

『ぼくの村にジェムレがおりた』(小林豊 理論社 2010)
 小林、新シリーズ「ぼくの村」一巻目です。トルコの高原に住む人々の暮らしを少年オルタンの目で描きます。
 元遊牧民の彼らも今は定住しています。今年は日照りで農作物がどうなるか。おじいちゃんが、雨が降るように春の精霊ジェムレに願う儀式をしようと言い出します。それはもう忘れられ、信用されていない儀式ですが、みんなは半信半疑、始めます。ジェムレを呼ぶための陽気お祭り模様。やがて願いは叶います。生活に主眼を置いたシリーズです。(ひこ)

『あたしのサンドイッチ』(久保晶太 教育画劇 2010)
 ちいさな女の子が、ネコちゃんに問題を出します。あたしの好きなサンドイッチな〜んだ。タマゴサンド? ジャムサンド? 違います。
 さてさて、本当に好きなのは?
 ほのぼの系です。(ひこ)

『ぼくのたからもの』(カタリーナ・ヴァルクス:作 ふしみみさを:訳 クレヨンハウス 2010)
 アヒルのバルは宝物を持っています。それは貝のコレクション。でも、カラスガイばかり。みんなはちっとも感心してくれません。そこで、他の貝殻を集めようとするのですが・・・。
 友達との優しい交流物語。(ひこ)

【小説】
『ジャスト イン ケース』(メグ・ローゾフ 堀川志野舞:訳 理論社)
 時に、いやだいたいにおいて、思春期がやっかいなのは、自分がどこに所属しているかよくわからないことにある。もう子ども扱いされないし、大人扱いもされない、じゃあなんだと問うても、そう問うことが思春期なのだとか言われてしまう。
 仕方なく、思春期は群れるしかなかったりします。
 この物語はそうした時期、正確にはそうした時期扱いされてしまう時期の16歳、本名デイヴィット、自称ジャスティンが、陥ってしまった心の迷路を描いています。
 デイヴィットは弟、赤ん坊のチャーリーがある日、二階の窓から転落しそうになったのを助けます。が、その時から運命恐怖症になった彼は、すべての厄災から逃れるために、ジャスティンと名前を変える。変えるったって、それを学校でも表明しなくちゃならないし、間違いなくヘンなやつだと思われるし、却って波乱が始まります。
 そして、ジャスティンを待ち受けていたのは、彼には厄災としか思えない出来事でした。
 両親の無関心や、初体験の痛みや、自尊心の崩壊や、作者は思春期的やっかいさを満載に、悲惨とユーモア(まあ、これは裏表ですが)をまじえて描いていきます。
 一見奇妙な物語でありつつ、しっかり成長物語でもあるのがおもしろいです。(ひこ)

『忍剣花百姫伝』(全七巻 越水利江子 ポプラ社 2005〜2010)
 足かけ5年、お疲れ様。完結しました。
 次から次へと、おもしろくてナンボの展開、切り返しの速さ。その覚悟というか潔さが心地良い娯楽作ですね。
もう、なんだか巧い講談を聴いているような塩梅です。講談じゃあイメージ沸きませんか。ならhip hopです。ああ、でもやっぱり、エンタメじゃなくて娯楽で、hip hopじゃなく講談かなあ。時代劇は日本のファンタジーなんだから。(ひこ)

『ティンパウ物語 蛇神(ナーガ)の杯』(堀切リエ 長崎出版 2010)
 北に大国がある、オーナンチュ島は、武器を備えいつも戦の構えをしていましたが、それではかえって滅ぼされてしまうと、武器の一切を捨てて北の国と南の国の交渉人の位置を保ちます。時は流れ、交易品のリストに火薬の材料が紛れ込み、なにやら不穏な雰囲気。そんな折、平和の踊り子たる七人の少女が襲われ五人が蛇にされてしまう。逃げのびた二人は、事件の真相を探り、仲間を救おうとするのだが、やがてその背後に、この島が封印したままのある問題が浮かび上がり・・・・・・。剣と戦のないファンタジーを目指したデビュー作です。(ひこ)

『マジック・バレリーナ3 ディフィと仮面舞踏会』(ダーシー・バッセル 神戸万知:訳 新書館 2010)
 早くもシリーズ三作目。初心者だったデルフィがついに発表会、しかも主役です! ところが、ネンザをしてしまい、代役は彼女に突き当たって転倒させたスーキー。デルフィの思いは複雑です。
 そんな時、エンチャンティからのSOS。さてさて、今度はどんな冒険が?
 一つの課題に、一つの冒険。複雑さはありません。それが、こうしたシリーズの良いところ。バレエ物の中でもシンプルさでは一番でしょうか? きっとここから、様々なバレエ物を読んでいくのでしょうね。(ひこ)

『レインボーと ふしぎな絵』(エミリー・ロッダ:作 さくまゆみこ:訳 たしろちさと:絵 あすなろ書房 2010)
 「チュウチュウ通り」シリーズ四作目。四番地に住む、売れない絵描きネズミのレインボーのお話です。チーズ(ネズミ世界ではチーズが貨幣です)が底をつき、絵の具も買えないレインボー。そこにコンペの話が入ります。老人ホームに飾る楽しい絵を募集中。少ない色で街を描くレインボー。グリーンベリージャムを使って道路を緑色にします。それをアリたちがみていて、さっそくご相伴に。さてさて、レインボーが、ホームで絵を披露すると!
どんな長さの物語でも、ちゃんと起承転結、幸せに収束する作者の腕にはいつも感心します。(ひこ)

『なかないで、毒きのこちゃん』(デイジー・ムラースコヴァー:作 関沢明子:訳 理論社)
チェコの画家が作った物語(65年作品)が訳出されました。猟師の娘カテジナと動植物の巡る短いお話が集めてあります。本当に本当に森や動物と一体化したようなカテジナの物語。不思議な世界が拡がっています。
絵と文はもちろん見事に融合しています(ひこ)

『ならまち大冒険 まんとくんと小さな陰陽師』(寮美千子:作 クロガネジンザ:絵 毎日新聞社 2010)
 奈良遷都一三〇〇年祭のために作られたせんとくんがあまりに不評であったため、市民が作ったまんとくんが登場する和風ファンタジー。杏(からもも)太郎は、おじいちゃんの住む奈良へやってきます。奈良町に住むおじいちゃんは、古い自分の家を改装しようとしているのですが、それでいいの?
 鬼が暗躍する世界で、(もも)太郎の大活躍が始まります。(ひこ)

『大スキ! 大キライ! でも、やっぱり・・・』(スージー・モーゲンスターン:作 伏見操:訳 菅野由貴子:絵 文研出版 2010)
 わあ。めちゃめちゃフランスやん! という物語。作家はアメリカ人なんですが、結婚を機にフランスで暮らしフランス語で児童書を書いているそう。だからよけいにフランスっぽくなるのかなあ。
 え、一体何がフランスやねん! ですって?
 そりゃもう、あなた、小学生でも、ラブラブラブですよ。
 ミナは、自分のラブラブハートを男の子にお贈ろうと決めます。が、教室を見回しても、自分にふさわしい男の子がいない! みんな失格! 
 そこに現れたのが転校生ラファエロ。この子に決めた!
 さてさて、二人の恋の行く末は?
 おませなんて言ってはいけません。マジなんですからね。(ひこ)

『おじいちゃんとケーキをつくろう』(マリサ・ロペス=ソリア:作 宇野和美:訳 つちだよしはる:絵 日本標準 2010)
 スペイン発の児童文学。
 近頃のカミーラはご機嫌斜め。両親は私に相談なく引越を決めてしまうし、そのついでに愛犬を人に譲ってしまうし。
 そんなカミーラがおじいちゃんの家に来て、一緒にケーキを作ります。おじいちゃんはカミーラの話を聞いてくれ、色んなアドバイスをします。
 賢者としての祖父から学ぶ子どもという典型的なパターンの児童書です。その佇まいはともかく、訳者の後書き以外に解説を付ける必要があるのかが疑問です。(ひこ)

『なんでももっている(?)男の子』(イアン・ホワイブラウ:作 石垣賀子:訳 すぎはらともこ:絵 徳間書店 2010)
 ナンデモモッテイル家の子どもフライは、もうなんでも他人の三倍持っています。でも、なんだか退屈してきたので、それを自慢するために庶民の子どもを招待することにします。
 選ばれたのが、ビリー。ごくごく普通に家の子どもです。
 さあ、フライは自分の持っているありとあらゆる物を自慢するのですが、日常に満足していて、フライの所持している物に興味もないビリーはちっともうらやましがりません。
 そんなビリーに最初は頭に来ていたフライですが、段々自分の方がビリーをうらやましくなり・・・・・・。
 よい子物だと詰まらないですが、まるでほら話のようなフライの生活と、普通すぎる普通のビリーが、寓話のような雰囲気を醸し出して、笑えます。(ひこ)

『かんたん手づくり おうちでおもちゃ』(堀川真 福音館書店 2010)
 創作ではなく、家にあるもので、子どもと遊ぶ道具を作るアイデア本です。
 ビニール袋にお米と細かく切ったセロハンを入れて膨らませたのを振って、赤ちゃんに見せるとか、ペットボトルを靴下で包んでネコの置物を作るとか、とにかくお金がかからない、無駄のないおもちゃが満載です。
 もちろん、これらをマネするだけではなくて、刺激を受けて自分でも工夫して、子どもと遊んで下さい。
 便利な良書です。(ひこ)

『ウイルス!最近!カビ!原虫! 微生物のことがよくわかる「20」の話』(ヘールト・ブーカールト:作 セバスチアーン・ファン・ドーニング:絵 野坂悦子+塩崎香織:訳 出井正道+小林直樹:監修 くもん出版 2010)
 もう、タイトル通りの本です。それ以上でも以下でもありません。が、読んでいると知らないことがやはり結構あって、ふむふむふむ。病気にかかわるので知っていると安心。スペイン風邪はスペイン発じゃない・・・・・・。(ひこ)

【研究・評論】
『英米絵本作家7人のインタビュー』(レナード・S・マーカス:著 長崎出版 2010)
 ロバート・マクロフスキー、モーリス・センダック、エリック・カールなど、おなじみの絵本作家たちが、絵本という表現方法とどのように向き合ってきたかを知るための一冊。彼らはそれを言葉でどう表現するのか? をお楽しみ下さいませ。
 それと、例えばエリック・カールは、子どもの頃絵本も児童書もあまり持ってはいなくて、大好きだったのはアメリカンコミックの『フラッシュ・ゴードン』(スーパーマンよりコテコテのマッチョスーパーヒーロ物です)であり、今でもシーンを鮮明に覚えていると語っています。
マンガやアニメを毛嫌いして、子どもには絵本を与えよだよ、変なこと言っている人は、この発言を読んでどうするんでしょうね。エリック・カールを排除します?
しかし、地味なこの本を出した長崎出版は素晴らしい!(ひこ)