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宣伝:『なりたて中学生 初級編』(ひこ・田中 講談社)、ネット予約が始まりました。よろしくお願いします。

*MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店七階の児童書売り場で毎月、特集に沿ったセレクト本を展示、書評を公開しています。2015年01月は「過酷な旅」です。

【児童書】
『ぼくのレオおじさん: ルーマニア・アルノカ平原のぼうけん』(ヤネッツ レヴィ:作 たかい よしかず:絵 もたいなつう:訳 学研)
 嘘をつくのが上手というか、好きというか、つい付いてしまうというか、レオおじさんはそういうひと。
 この本はそんなおじさんの嘘を描いています。
 ぼけをかますとか、しょうもないことをするとかではなく、地道にほら話をしております。それが結構はまってしまう。

『コケシちゃん』(佐藤まどか:作 木村いこ:絵 フレーベル館)
 スイスからの体験入学生を迎えるので、くるみたちは盛り上がっています。金髪? 青い目?
 ところがやってきたのは、コケシみたいな、こてこて日本人顔の女の子。スイスで生まれ育ち、日本の学校に一学期だけやってきたのです。
 物語は彼女を巡る違和感を中心に進んでいきます。差別意識の発露や、文化差による摩擦。
 作者はどちらの側に隔たることもなく描いています。
 この作品も、今とそしてこれから必要でしょう。こんな時代には。

『鳥よめ』(あまんきみこ:作 山内ふじ江:絵 ポプラ社)
 戦時下、足が悪く徴兵されなかった男は、灯台守としてお国のお役に立とうとしています。彼の元に若い女性がやってくる。彼女は男が助けたかもめでした。やがて二人は一緒に暮らすようになりましたが、彼女は一日一度、人に見られずにかもめに戻って、空を飛ばないと命が危ないのです。
 戦火が厳しくなり、灯台にも軍がやってきて駐屯します。娘はかもめに戻ることができず・・・。
 数々の幼年童話で、私たちに幸せな結末を提供し続けているあまんによる、平和を祈念する悲しい物語です。

【絵本】
『ぼくはニコデム だって、だって、だって』(アニエス・ラロッシュ:文 ステファニー・オグソー:絵 野坂悦子:訳 光村教育図書)
ニコデムくん。食事の時、野菜は残して床に捨てるわ、バスからは平気で水をあふれさせるわ、いくら読んでも返事をしないわ、両親はいつも怒っています。
ところがあるときから突然なんにも言わなくなりました。
あれ?
ニムデムくん、ちょっと動揺。
一点の赤が効果的に使われた絵は、センスの良さが光っています。だからといって、子ども読者を置いてけぼりではなく、しっかし子ども心を捉える愉快さ。

『あたし、メラハファがほしいな』(ケリー・クネイン:文 ホダー・ハッダーディ:絵 こだまともこ:訳 光村教育図書)
 モーリタニア。女性の衣服メラハファは、暑い砂漠にかかせません。少女は大人っぽく見えるからと着たくてしかたがありません。でも、メラハファのすてきさはそれだけ?
 多文化共生の一助となる絵本ですよ。

『アナ!アナ! チョコレートケーキをつくる』(ドミニク・ローク:え アレクシ・ドルマル:やく 石津ちひろ:やく ポプラ社)
 アナとぬいぐるみたちが、みんなでチョコレートケーキを作ろうと盛り上がり。この時点でもうすでに、やばいな〜感に満ち満ちています。
 みんなで材料を出して、やる気満々ではありますが、もうなんだかはちゃめちゃ状態になって、その後は戦場・・・。
 ここまでくると、すっきりしますね。

『シカになったシバ』(藤原理加:文 中山玲佳:絵 ポプラ社)
 少年シバは突然シカになってしまい、それから、マナティやジャガーに出会って・・・。と書いてもあまり意味はありません。ラテンアメリカの色彩と想像力に魅せられた二人の奔放な作りがおもしろい。中山の画のはじけっぷりがすてき。楽しそうだよ。

『たんていネズミ ハーメリン』(ミニ・グレイ:さく 灰島かり:やく フレーベツ館)
 オフリー通りに暮らすネズミのハーメリンは字の読み書きができます。彼は街で起こる様々な出来事を、その小さな体と俊敏な動きを生かして次々と解決。残したメッセージにはハーメリン。ハーメリンって誰? みんなが不思議がります。果たして彼は人間の前に現れるの?
こうした物語の場合ネズミが圧倒的に多いですね。

『いきものとこや』(塚本やすし アリス館)
好調、塚本やすしの新作です。
ボサボサ髪の毛の子どもが、床屋に行きますが、そこは色んな生き物が髪を切ってくれます。かにさんなら髪型はカニみたい。くわがたはクワガタヘヤーで、リスさんならリスヘヤー。
このあほらしさこそ喜ぶべし!
 さて、剛毛の主人公はどんな髪型?

『江戸のお店屋さん その弐』(藤川智子 ほるぷ出版)
 おお、「その弐」だ。今作も、江戸時代の様々なお店が、細部もわかりやすく描写され、歴史や文化への興味をそそります。「袋物問屋」なんて袋の専門店があるのは、着物にはポケットがなかったからといった「なるほど」感が、いいな。
 次作もリクエスト!
 くどくなくてわかりやすくてぬくもりのある絵が好きです。

『オオカミさん いま なんじ?』(デビ・グリオリ:作 長友恵子:訳 すずき出版)
 だるまさんがころんだ(関西では「ぼんさんがへをこいた」)の西洋版遊びをモチーフに、オオカミが出てくる様々な昔話をパロディにして、愉快な物語が展開。どの画面も喜びにあふれ、最後の落ちも暖かい。

『なぜイヌの鼻はぬれているの?』(ケネス・スティーブン:作 オイヴィン・トールシェーテル:絵 ひだにれいこ:訳 西村書店)
 ノアの箱舟であります。たくさんの動物が乗り込んでもう大変。トールシェーテルは動物たちを色んな人間の写し絵のように少し皮肉を交えてユーモラスに描いていて、それだけでも楽しいです。
 そしてイヌ。船に穴が開いて、さあ大変。この穴をふさぐには?
 お楽しみあれ。
 この絵、好きだなあ。

『はじめての手づくり科学あそび2』(西博志:著 こばようこ:イラスト アリス館)
 子どもたちが自分で道具を作って、科学に近づくシリーズ2巻目です。今作は光と影がテーマですので、色々除いたり眺めたりしますよ。
 手近な材料で作れるので、親子でも楽しめます。

『あそびずかん ふゆのまき』(かこさとし 小峰書店)
 かこさんが季節の遊びを、どど〜〜と紹介してくれるシリーズ、冬編です。昔からの遊びが主ですので、子どもさえ集まればできますよ。

『かぜをひいた おつきさま』(レオニート・チシコフ:作 鴻野 わか菜:訳 徳間書店)
 風邪を引いてしまった月が空から落ちてきてしまいます。それを救った青年は、月を介抱。
 元気になった月を空へ戻すには?
 心温まる話が、表情豊かな線と穏やかな色彩でつづられて行きます。
 物語の発想は、子どもを喜ばせるに十分で、かつシンプルですから絵本にふさわしい。

『キャンディがとけるまで』(もとしたいずみ:作 石井聖岳:絵 集英社)
 兄妹が買ってきたキャンディ。実は何でも願いが叶う魔法のキャンディなのだ。が、口の中で溶けてしまうと、魔法も解ける。
 だからといって、がっかりするはずもなく、兄妹はもう、魔法で遊びまくること、まくること!
 当然、このキャンディがもっと増えるように考えたりもするのだ。
 なんともにぎやかに展開するストーリーが楽しい。

『メリーさんのひつじ』(ウィル・モーザス:さく こうのすゆきこ:やく 福音館書店)
 よく知られている歌。それが実話に基づいているとは私も知りませんでした。
 なるほど。こういうことでしたか。
 こんなちょっとした知識が気持ちを豊かにしてくれる。

『フワフワさんはけいとやさん』(樋勝朋巳 福音館書店)
 クネクネさんに続く二作目です。
 ただもう、フワフワさんの持つフワフワ感が全編に漂い、ゆったりと時が流れていきます。とはいえ事件は起こり、でもそれも危機感を秘めつつもなんだかフワフワと。いや、フワフワ感の中にある緊張感かもしれません。
 もちろん幸せの結末へ。

『サン=テグジュペリと星の王子さま』(ビンバ・ランドマン:作 鹿島茂:訳 西村書店)
 アートな絵本シリーズを刊行している西村書店から第9弾として刊行です。
 『星の王子さま』が来年12月にアニメ公開になりますしね。昔の実写版はひどかったけど、今度のストップモションと3DCGの組み合わせはどんな感じか期待です。
 どうしても『星の王子さま』の作家ってことになってしまいますが、それ以前に飛行士として書いた『南方郵便機』、『夜間飛行』がいい。この伝記絵本で、そのあたりに入っていってくださいませ。

『はじめてのたのしいかけざん』(ロージー・ディキンズ:文 ベネディッタ・ジオフォレット、エンリカ・ルシーナ:絵 たなかあきこ:訳 桜井進:監修 小学館)
 めくれば答えが出てくるシンプル仕掛けで、かけざんの理解を深める一冊。かけざんを一つずつクリアしていくのではなく、その姿を把握できるように努めています。
 ですから、9の段で終わらす、10,11,12もあります。10は1と同じくわかりやすい。11は一桁目と二桁目が同じ数字だと解れば説きやすい。12はダースでなじみの数。こうして12段まで、怖がらずに進んでいくわけです。

『へえこいたのはだれだ?』(平田昌弘:さく 野村たかあき:絵 くもん出版)
 鬼の家族が眠っていると、臭いへが!
 子どもたちは、だれがこいたかと大騒ぎ。
 疲れた夜明け、へをこいたのは?
 鬼の版画家野村の絵をイメージして平田が書き上げたテキストですので、絵の力強さがいっそう引き立っています。そして、おもろい話。

『そらから かいじゅうが ふってきた』(中川洋典 文研出版)
 授業中、窓の外を見ると、紫色のゴジラっぽい怪獣が学校へ飛来! さっきまで徳を説いていた先生は一番に逃げ出し、他の先生も逃げだし、あら大変。
 ところが怪獣、樹木のとげに刺されて気弱に。助ける子どもたち。せっかく助けてやったのに怪獣は・・・。
 しょうがない先生と怪獣たちを正すのはぼくらだ!

『ぞうぼうし パオ』(こにしとしゆき:ぶん みずぐちかつお:え ポプラ社)
 ぞうの消防士だからぞうぼうし。パオはおにいちゃんおようなりっぱなぞうぼうしになりたいのですが、がんばっても今ひとつうまくいかず、どんどん自信を失っていきます。そこから自分の役割を見つけていく物語です。「ぞうぼうし」というのが今ひとつなじみませんが、パオの精一杯さは可愛い。

『ムーミン谷のたからの地図』(トーベ・ヤンソン:作 当麻ゆか:訳 徳間書店)
 ムーミンたちが見つけた宝の地図。印のついている場所を訪ねていきます。
 宝のありそうな場所がポップアップになっていますので、こっちも宝探しをしているようにドキドキ。うまく物語とポップアップが溶け込んでいます。
 ムーミンブームはいつまで続く? アベノミクスでみんな苦しくなっているから、これで癒すのかな。

『ちいさなねずみのクリスマス』(アン・モーティマー:作・絵 木坂涼:訳 徳間書店)
 モーティマーだからして、もうねずみが可愛いこと。日頃お世話になっているネコにもちゃんとプレゼントを。ツリーに飾りで遊んだり、ちょっとナッツをかじったり。
 なんだか暖かなクリスマスが描かれます。

『食べているのは生きものだ』(森枝卓士:文・写真 福音館書店)
 私たちが食しているもののほとんどは生きものです。そんな当たり前のことを、改めて考えてみようとする写真絵本です。たとえば可愛い子羊と、それが食料になったところが並べて提示されます。食に対する謙虚さの絵本。

『折り紙えほん』(高野紀子 あすなろ書房)
 『「和」の行事えほん』で、文化の有り様を親しみやすくかつわかりやすく描いてくれた高野の新作です。
 今回は、行事に使える、行事に親しむための折り紙を、四季の折り紙として描いて行きます。

『おつきさまのうた』(なかじまかおり 岩崎書店)
 満月の夜。散歩に出かけます。
 月明かりに包まれた町、森、広場。その浮遊感漂う夜の時間を私たちに届けてくれる一冊です。

『このパン なにパン?』(ふじもとのりこ すずき出版)
 「このパン なにパン?」で「クリームパン」といったおきまり展開で赤ちゃんや幼児を楽しませる一冊ですから、絵が勝負。
 ふじもとは色鉛筆で丁寧に、丁寧に、リアルさを目指しています。ドローでもCGでも出せない、手作り感のある、しかもリアルなパンがたくさんできあがりました。不思議な風合いと風味。

『いっしょにねてあげる』(さこももみ アリス館)
 新しいベッドを買ってもらったここちゃんは、今夜から一人で寝ると宣言。でもね、やっぱりちょっと怖い。するとぬいぐるみがやってきて、いっしょにねてあげるだって。次々とぬいぐるみがベッドに入ってくるもんだから、ここちゃん、それはそれで大変。
 さこももみの濃いめの子ども像が、場面場面で決めポーズ、決め表情で、物語世界に誘います。

『かいちゅうでんとう』(みやにしあきこ 「ちいさなかがくのとも」十一月号 福音館書店)
 真夜中、兄弟が懐中電灯を持って、家の中を探検していきます。というか懐中電灯の光のおもしろさを描きます。
 暗闇の中の光が、そして灯りの周りの闇が、どっちもすてきな仕上がりです。

『ジャングルの王さま』(工藤ノリコ 偕成社)
 動物たちが王さまと呼んでいる大きな木。たくさんの実をつけ、日陰を与えます。
 ジャングルは今日ものんびり。と、事件が! 樹木が次々と消えていく。それは宇宙人が緑がなくなった自分たちの星のために奪い去っていたのでした。
 そして王さまが狙われる。みんなは一致団結して戦うのですが・・・。
 だんぜんエコロジー、SF(?)絵本です。

『かえるの竹取ものがたり』(俵万智:文 斉藤隆夫:絵 福音館書店)
 平家物語に続いて、竹取物語の登場人物たちをかえるに見立てて展開します。
 かえるにすることで、物語たちがすでに抱え込んでいたイメージがひとまず払拭され、再生されていきます。

『パンツはながれる』(林正博:文 殿内真帆:絵 福音館書店)
 おばあさんが川に洗濯に行くと、パンツが流れてきました。おばあさんはパンツを捕まえようとしますが、パンツはどんどん流れて行き・・・。
 もう、なんだか愉快で、どこまで行くねんという展開です。
 殿山の絵は、テキスタル・デザイン風に押さえ気味にして、物語を盛り上げていきます。

『やきざかなののろい』(塚本やすし ポプラ社)
 おすしの魚を好きだが、焼き魚は嫌いな「ぼく」。食べにくいし、苦いし。
 だもんで、いつも食べ散らかしてしまう。
 焼き魚が怒るのは、まあ当然です。
 でもって、骨だけになったやきざかなは、ちゃんと食べて欲しい一心で、風呂に入っても布団に入っても、やってくる。ああ、怖い。
 とっても勢いがあって、おかしくて!

『開運えほん』(かんべあやこ あかね書房)
 開運えほんって・・・。開運を願う人々の姿が描かれ、祈願成就で、キラキラとめでたい絵本です。
 正月のプレゼントにいかがでしょう。とにかくめでたいですから!

『バルト』(モニカ・カルネシ:作 中井貴惠:訳 徳間書店)
 冬のさなか、ポーランドのビスワ川で、氷の上に乗っている犬が発見されます。助け出そうとしますが難しく、ついに犬はバルト海へ。
 犬を救ったのは調査船バルト号。
 実話に基づいた絵本です。
 これがデビュー作のカルネシは気負うことなく、さっぱりとした風合いで、細部も丁寧に描写しながら、この幸せなお話を絵本に仕立てています。

『ユキコちゃんのしかえし』(星新一:作 ひがしちから:絵 偕成社)
 星の作品を絵本化です。
はかせの実験をユキコちゃんは見ていました。はかせは猫に液体を振りかけ、怖い犬の入っている檻に入れます。すると犬がおとなしくなり、猫と仲良くする。
学校でいじめられているユキコちゃんはこの薬を使っていじめっ子をやっつけようとしますが・・・。
ひとくすぐりがとてもうまい星。この作品でもそれはうかがえます。
ひがしは、ちょっとノスタルジックな絵柄で仕立てています。

『あなぐまアパート』(あんびるやすこ すずき出版)
 あなぐまくんはひとりぼっちですが、大きな家に住んでいます。おとうさんもおじさんも、どんどん穴を掘って家を大きくしたからです。
 さみしいあなぐまくんの元にウサギの親子が。どうぞどうぞ。
 それからつぎつぎとお客さん、賑やかになっていきます。
 でも、まだまだ部屋は余っている!
 暖かな幸せに包まれるあんびる世界です。

『おおきくなりたいの』(マーガリータ・エングル:ぶん デイヴィッド・ウォーカー:え 福本友美子:訳 岩崎書店)
 『ぎゅっぎゅ』『じゃぶじゃぶ』に続くシリーズ三作目。
 子ウサギは、早く大きくなりたくて、大きな動物たちに話しかけたりします。でも、そんなに早く大きくならなくてもいいよ。小さな今を楽しんで!
 デイヴィッド・ウォーカーの絵の可愛さは、はまるとほっこりしてくるでしょうね。
 私のような、ひねたやつはだめですが。

『からあげ』(あおきひろえ アリス館)
 創作落語絵本です。
 クリスマスが近づいて、ケンもクリスマスモード。でもかあちゃんはいつも通り。チキンの唐揚げやなくて、かしわの唐揚げ。お菓子はサンタせんべい。
 こら、もうあかん。友だちのたかしくんの家ではしちめんちょうなのに・・・・。
 あほらしいておかしい世界です。

『ゆらゆら チンアナゴ』(横塚眞己人:写真 江口絵理:ぶん ほるぷ出版)
 「ほるぷ水族館えほん」の一冊。
 犬の狆に顔が似ているチンアナゴの生態を解説しています。ゆらゆら、ゆらゆらしながら、何を食べているのか、排泄はどこからするのか、縄張り争いは? と見ていて興味は尽きません。
 海底でお互いにからまってしまうなんて、しょうがないやつだ。
 この写真絵本から、海への興味、魚への興味などが拡がっていきますように。

『星のこども』(ステファニー・ロス・シソン:作 山崎直子:訳 小峰書店)
 『コスモス』のベストセラーが懐かしいカール・セイガンの伝記的絵本。
 地球の外まで伸ばすまなざしが、本当に今必要だなと思います。
 おもしろかったのは、カール・セイガンが子どもの頃宇宙に目覚めたきっかけが、ジョン・カーター(スペースオペラ「火星シリーズ」のヒーロー。映画はつまらなかったが)だったってところ。こてこてのエンタメから宇宙にときめいていくのだ。実は私も「火星シリーズ」でときめいたのだ。

『せんをひくよろこび』(片山健 「子どものとも」年中十二月号 福音館書店)
 どこまでも、どこまでも線を引いていく少年の姿。空間も時間も季節もつなげて、ただひたすらに引いていく。ここには手放さない、忘れない、根源的な喜びが端的に現れています。色使いのすてきなこと! 早々の単行本化を。

『クリスマスのかくれんぼ』(いしかわこうじ ポプラ社)
 『つみきくん』がすてきないじかわこうじのクリスマス仕掛け絵本。左に輪郭のない絵。右の型抜きを重ねるとクリスマスを彩る様々な物が出てきます。幼児向けの手堅い作品です。

『ぐるぐるジュース』(矢野アケミ アリス館)
 矢野の「ぐるぐる」シリーズ最新作です。今度は果物だ。
 もちろん色んな果物をぐるぐる回してできるジュースはミックスジュースに違いない。
 まるがあり、そこに果物が次々と入っていく、どきどき感。入ったところで、ぐるぐるぐる。その不可思議な爽快感。
 ぐるぐるシリーズはすてきだ。

【そのほか】
『人生で大切なことはすべて家庭科で学べる ふくしまの男性教員による授業』(末松孝治 文芸社)
自分が経験してきた日常生活を取り込みながら進めていく家庭科ですので、生徒にとってリアルです。
家庭科は、他の科目すべてとつながり、世界を知るための基礎知識が身につく科目であるのがよくわかる一冊です。

『東京駅をつくった男』(大塚菜生 くもん出版)
 まだ「建築」という言葉もなかった時代、それを学び、努力を重ねて日本の近代建築の始まりを支えた一人、辰野金吾の伝記です。
 日本の近代を考えてみることは、今とても必要になってきていますが、子ども向けの本では特に、伝記的人物を偉人としてあがめるのではなく、弱点も含め、冷静に描いていくのは大切だと思います。
 東京駅は、近代黎明期の西洋へのまなざしの一つです。

『季節を食べる 冬の保存食・行事食』(清田美里:著 藤田美菜子:絵 アリス館)
 これで四季がそろいました。保存食・行事食とコンセプトをしぼって見せるので、入りやすいのが特色です。
 レシピを一つずつ、親子で、子どもだけで、覚えていってくださいな。

『ライトノベルから見た少女/少年小説史』(大橋崇行 笠間書院)
 研究のおもしろさの鳥羽口となる一書。ライトノベルがどこから生まれ、どんなジャンルなのか? マンガ、アニメ経由のこれまでの言説を見据えつつ、明治以降の文学史とつき合わせてみる。
もちろん物語は時々のメディアを渡り歩き、それらを使って流通していくものですから、「ライトノベル」が「少年小説」の系譜につながるのならそれは、「小説」、「映画」、「マンガ」「TVドラマ」「アニメ」「ゲーム」と浸透し、連なっていることでしょう。
 それを俯瞰してみること。
 著者は研究者であり作家でもある優位さを生かしてキャラクター論にもすてきに切り込んでいます。
またタイトルからもわかるように、『少女少年のポリティクス』(青弓社)と同じくジェンダーも視野に入っています。日本の子どもの物語をジェンダー論なくしては語ることはできません。
 本書は著者の研究にとっても鳥羽口です。ここから掘り下げていく要素はたくさんあり、おそらく一人では無理なのですが、次作がどこへ向かうのか楽しみです。
*私なんぞは、ここで書かれている五〇年代末あたりからのマンガや少女小説を現役で読んできたり、大人になってからは二上さんたちの仕事も現役で眺めてきたもんだから、なかなか距離を保てませんので、現代の研究者の分析はおもしろかったです。

『そだちノート』(俵万智 アリス館)
 子育て、俵が詠んだ歌と、自身で書き込める欄で構成されています。「そだて」ではなく「そだち」なのがみそ。
 大切な記録になるでしょう。
 ただし、後に当の子どもが喜ぶかは、いろいろなので、基本は自分のために作ってくださいね。

【絵本カフェ2014年分 公明新聞】
1月
『パパとわたし』(マリア・ウェレニケ:作 宇野和美:訳 光村教育図書)
ほとんどの絵本は子どもを読者にして作られているのですが、そこには大人向けの小説と変わることなく、喜びも悲しみも、生も死も、出会いも別れも描かれています。なぜなら子どもは大人と同じ社会に暮らしているからです。絵本は世界を、子どもにもわかるように描いている本といえるでしょう。大人も絵本を読むことで忘れていた感情や、視点、そして新しい見方を手に入れることができます。子どもの独占させておくのはもったいない!
今回ご紹介するのは、アルゼンチンの作品。モノトーンのシックな表紙は、絵本は明るくくっきりした絵だと思っている方には不思議な感じがするでしょう。しかしこれは紛れもなく子どもの視点で描かれた絵本です。
「ときどきね パパと いっしょに いたくなる。だけど パパは わたしと いたくない ときもある」。「ときどきね パパも わたしも いっしょに いたくなる。だけど わたしは パパと いたくないときもある」。
親と子の微妙な心の距離が、子どもの側から、とても素直に描かれています。子ども読者は彼女の言葉に共感するでしょし、あなたや私は、大人と子ども両方の思いを受け止めることでしょう。
「ときどきね いっしょに いるのに どちらも なにも いわないの」の場面では、娘と彼女の肩に軽く手を添えたパパが森を眺めている絵が添えられ、親子の間に流れる静かな愛情が染みてきます。扉の前に献辞があります。「もういないけれど パパに。よくいっしょにいる アナとファンに」。

2月
『ときめきのへや』(セルジオ・ルッツィア:作 福本友美子:訳 講談社)
モリネズミのピウスは、森で、海辺で、町で、枝、羽根、貝殻、かぎ、紙切れ、気に入った物を見つけたら何でも持ち帰り「ときめきのへや」と名付けた部屋の棚に並べます。それを発見したときの話を聞きたくて友達が集まってくるので、ときどきはちょっとした嘘も交えてピウスは物語ります。
一番大事そうにガラスのケースにおさめられているのは、ただの石ころ。
みんなは「せっかくの ときめきのへやが だいなしだ」と意見します。
それは最初に気に入って拾った物なのですが、とうとうピウスはを川に捨ててしまう。帰り道、何が落ちていてもピウスにはもう興味がわきませんでした。「ときめきのへや」のコレクションもみんなにあげてしまい、ピウスは「ときめき」を失います。
ピウスが集めた物は、誰にもがらくたなはずでした。ところがピウスが展示することで、みんなに関心が生まれ、ピウスがそこから得ている喜びを知りたくなってくるのです。しかし、ピウスが最初に気に入った石ころには誰も興味を示しません。というのは、それがピウスのためだけの石だからです。
大人は経験を引き替えに「ときめき」を失いがちです。ピウスのおかげで友達は、つまらなさそうな物に新たな喜びを見いだすのですが、ピウスのように、自分だけの大切な「ときめき」をまだ見つけてはいません。
でも、手に入れる気持ちさえあれば大丈夫だと、この絵本は教えてくれます。たとえ石ころであっても、周りがどう思おうとも、あなたがときめけばそれは大切な宝物だと。

3月
『マッチ箱日記』(ポール・フライシュマン:文 バグラム・イバトゥーリン:絵 島式子・島玲子:訳 BL出版)
 裸電球の下で眺めているようなノスタルジックな色合いと、詳細なタッチが目にとまります。画家は自分の作風と、テキストを突き合わせながら、一番ふさわしい画面を作り上げていくのですが、この絵本の場合は、ひいおじいちゃんが、彼の昔の出来事を女の子に話をするので、ノスタルジックな色合いになっているのでしょう。
 ひいおじいちゃんは、コレクターではないけれど、たくさんのマッチ箱を持っています。子どもの頃、父親がアメリカへ出稼ぎに行き、やがて一家もイタリアから移住することになりました。その当時はまだ読み書きができなかった彼は、時々の思い出の品を、空のマッチ箱に入れて残してきたのです。イタリアでの貧しい暮らしを忘れないオリーブの種。地面で字を練習した石炭のかけら。引越するたびにその土地の新聞から破り取った、日付けが入っている切れ端。一箱一箱が、ひいおじいちゃんにとって大事な日記です。
 イバトゥーリンはそれら一つ一つをひいおじいちゃんの気持ちになって、丁寧に、丁寧に描いていて、詳細なタッチからそれが伝わってきます。
やがて学校に行き、字を覚え、印字工として働き、子どもが生まれ……。
 きっと苦労の連続であったはずですが、この絵本はそれをみじんも感じさせません。だって、その月日の先に、ひ孫が生まれ、自分のたどった歴史を興味深げに聞いてくれているのですから。
 この絵本は、女の子と同じ年齢の読者には家族と繋がっている安心感を、ひいおじいちゃんの世代には未来を信じる力を与えてくれます。

4月
『わたしの足は車いす』(フランツ・ユーゼフ・ファイニク作 フェレーネ・バルハウス絵 ささき たづこ訳 あかね書房)
両足が不自由なアンナは、とても時間がかかるのですが朝は自分で着替えます。それを絵は、ベッドが長くてアンナの足が遠くにあるように示し、画面の周辺に置かれた目覚ましで時間の経過を表します。こうした絵と組み合わせることで、身障者アンナの大変さだけではなく、少しユーモアも交えながら彼女の自立心をしっかりと伝えることができます。
車椅子に乗ったアンナは、冷蔵庫からバターを出したり、コーヒーを注いだりと、朝食の準備も手伝い、できることは何でもします。
今日は初めて一人でお使いに出かける日。
じろじろ見る人。見ていない振りをする人。そうした気配にアンナの緊張は高まります。そんな彼女の車椅子を見て「それ。なあに?」と訊く小さな女の子。何の偏見も持っていないからこその質問なのですが、差別になってはいけないと気を回しすぎた母親は、失礼な質問をしてはいけないと女の子を叱ります。がっかりするアンナ。
アンナが頼んでいないのに、スーパーでリンゴの袋を取ってくれる人もいます。
車椅子の身障者に慣れない人々と、自分のプライドを必死で守ろうとするアンナの姿。両者の間には見えない壁が存在しているのです。それを壊すにはどうすればいいのか? 絵本はすてきな一つの提案をしていまので、ぜひご自分の目で確かめてください。
この絵本は、身障者にとってこの社会がどう見え、どう感じられるかを率直に描き、子どもたちに、絵と言葉で社会への扉を開けてくれています。

5月
『ああ神さま、わたしノスリだったらよかった』(ポーリー・グリーンバーグ:文 アリキ:絵 日向佑子:訳 BL出版)
一九六八年にアメリカで刊行されたこの絵本は、アメリカ、ミシシッピデルタ地帯で生まれたグラディス・ヘントン自身が体験した、児童労働の記憶を言葉にしたものです。
少女は父親と兄と三人で炎天下、綿摘みをしています。暑くてたまらない。茂みの下で休んでいる犬をながめて思います。「わたし いぬだったら よかった」。なかなか仕事は終わりません。ノスリが空を自由に飛んでいます。「わたし ノスリだったら よかった」。暑さはどんどん増していきます。少女は岩場の影で涼んでいるヘビを見つけます。「わたし ヘビだったら よかった」。
辛いと泣いてもいいし、怒ってもいいし、嘆いてもいいし、呪ってもいい。でも、少女はそんな言葉は口に出しません。むしろユーモアさえ感じさせるほどです。それだからこそ児童労働の過酷さが、私たちの胸深く染み込んできます。
なにもこれは昔の問題ではありません。二〇一三年九月、ILO(国際労働機関)の発表によると、世界の児童労働者数は推定で一億六千八百万人です。二〇〇〇年の世界推定と比べれば三分の二に減少しましたが、それでもまだ九人に一人が児童労働をさせられています。つまり、絵本に描かれた状況は今でも続いているのです。
少女の背負っている歴史や、彼女の言葉の裏に隠れている思いなど、大人だからこそ子どもに伝えられる要素が、この絵本には含まれていまから、ご一緒にどうぞ。
アリキが描く少女の力強い表情も見逃せませんよ。

6月
『マールとおばあちゃん』(ティヌ・モルティール:作 カーティエ・ヴェルメール:絵 江國香織:訳 ブロンズ新社)
心に正直に生きるのが案外難しいのは、人は一人では生きられないので、相手の立場を考えてしまうからです。もちろん円滑なコミュニケーションのためにその必要はあるのですが、自分より周りの気持ちを優先する癖がついてしまうと、互いに相手の立場を類推しすぎて、実はどちらも納得していないなんて事態になってしまいかねません。
この絵本は、心に正直な女の子マールとおばあちゃんの物語です。マールは桜の木の下で生まれました。読書をしていた母親が、お話がおもしろくて、マールがお腹を出たがっているのに、まだ大丈夫だと木下で読書を続けたからです。出産より読書を優先してしまう母親の正直さも、生まれたくなったから桜の木の下でお腹から出てきたメールの正直さも素敵です。マールの仲良しはおばあちゃん。彼女もまた自由を謳歌していて、マールとは同い年の子どものように遊びます。
ヴェルメールの絵は、コラージュからエッチングまで様々な技法を使って、マールたちのように自由度がいっぱいです。
でも、おばあちゃんは倒れてしまう。病院のベッドで寝ている彼女に、マールは話しかけ続けます。そして、不明瞭な言葉もマール聞き分けることができるようになります。
おじいちゃんが亡くなって、彼を見たいおばあちゃん。病院の人は、ベッドから出るのは無理と言うけれど、マールは決然と行動に移し、おばあちゃんもそれに応えます。
自由をあきらめない、すてきな二人を描いた絵本です。きっと元気をもらえますよ!

7月
『ガール・イン・レッド』(ロベルト・インノチェンティ:原案・絵 アーロン・フリッシュ:文 金原瑞人 西村書店)
 昔話は絵本の素材に、よく使われます。短いテキストしか使えない絵本にとって、昔話のシンプルな物語展開は描きやすいのです。しかも基本的には心理描写がなく、起こったことが語られているだけですから、絵本はその想像力を縦横無尽に発揮できます。
 この作品の元ネタはおなじみの「赤頭巾」。おなじみといってもペローとグリムではかなり違います。前者はオオカミに食べられてお終い。後者は食べられた後、猟師に助けられめでたし、めでたし。それは時代や文化の差を表しているのですが、この絵本は現代版「赤頭巾」です。
 赤いマントを着た少女が祖母に会おうと森の向こうへ出かけます。少女が住んでいるのは都会のアパート。通り抜けなければならない森とは、人々が集まる繁華街で、怪しげな人間もたくさん出没します。ティーンの少女が迷い込んでしまうと安全ではない地帯です。彼女は路地の隅で若い男たちに取り囲まれて危機に! 強そうな大人の男が救ってバイクで送ろうとしてくれますが、それはそれで危険です。なんとかたどり着いた祖母の家はオンボロのキャンピングカー。果たしてそこにいるのは祖母なのか、オオカミのような男なのか? 少女の運命は?
 現代を舞台にしていますが驚くほど違和感がありません。もし「赤頭巾」を知らなければ、都会的な絵本だと思うでしょう。それは作者たちが「赤頭巾」の根幹をよく知っているからでしょう。
 昔話の懐を広さと、それが決して子どものためだけの話ではないことがよく分かる一作です。

8月
『いろいろいろのほん』(エルヴェ・テュレ:作 たにかわしゅんたろう:訳 ポプラ社)
 絵本と本は、束ねられたページを順に繰っていきながら中味を味わうという、同じ形体をとっていますが、絵本には絵本でしか伝えられない、表現できない作品がたくさん存在します。
 今回ご紹介する絵本もその一つです。
 画面の真ん中に、絵筆でポツンと付けられた灰色の点。「このおへそを おしてごらん」と、絵本が読者に語りかけます。素直に押しましょう。ページを繰ると、画面の周囲から、様々な色の粒が集まってきます。次にページではもっともっと集まっていて、絵本は読者に、そこへ手を置くよう指示します。次のページ。読者の手は魔法の手になったと宣言され、ここからその手は色と戯れることになります。
 指に黄色をつけて、それで青色をなぜる。次のページではそれが緑色に。赤色に黄色だと? 黄色に青色だと?
 左の画面に黄色と青色で四つの点。右画面の同じ場所には、黄色と青色の位置が逆になった四つの点。画面を重ねて次ページを開くと、ほらみんな緑色に!
 見開き画面、右と左に別の色。「このほんを ゆすってごらん」。すると次のページでは色が流れて重なった部分だけ変色しています。
 仕掛けを使わずに、ページを閉じたり、ページを繰ったりすることによって、色の変化をダイナミックに表現しているのです。
 これは、色彩を解説した本では伝わらない面白さです。絵でありつつ、同時に本の形式として、ページを繰ることで色彩を感覚的に捉えられます。
 それが絵本。

9月
『ふしぎなともだち』(たじまゆきひこ:作 くもん出版)
島の小学校に転校してきた「ぼく」は始業式の日、講堂の隅で「れいぞうこ かってに あけたら あかん」と独り言を言っている奇妙な子どもと出会います。それがやっくんです。「ぼく」は驚くのですが、クラスのみんなは、気にすることもなくやっくんと付き合っています。教室から出て行けば誰かが後を追い、落ち着くのを待って連れ戻す。無理強いするとやっくんがパニックになるのをみんなわかっているのです。
彼らにとってやっくんは奇妙な子どもではなく、ごく普通の友達です。この自然な接し方は、ずっと一緒に過ごしてきたところから生まれてきています。
やがて中学に進み、ほかの小学校からきた生徒も、やっくんのことが気になっているようです。上級生が彼をいじめているのを見たとき、「ぼく」は向かっていきます。だって「ぼく」にとってももうやっくんは、ごく普通の友達なのですから。
そして卒業。
けれど絵本はそこで筆を止めずに、やっくんが社会人として働いている姿までを追っていきます。作業所でメール便配達の仕事についたやっくんですが、彼のことをよく知らない人からはミスを責められます。「ぼく」も仕事でミスをして悔しい思いをする。そんな現実はありながらも、「ぼく」にとって、やっくんは、「ことばで はなしが できないのに、心が わかりあえる」友達です。
互いの違いを受け入れて、ごく自然に付き合っていく、このとても豊かな関係を、温もりのある型染めによる画と共に、どうぞ味わってください。

10月
『ブラックドッグ』(レーヴィ・ピンフォールド:作 片岡しのぶ:訳 光村教育図書)
 人の心にわき起こる恐怖を描いた絵本です。
ある朝、家のポーチに一匹の黒い犬が腰を下ろします。
それを窓から見たホープさんは、トラのように大きな犬だと思い込み、警察に電話までしてしまいます。
次に起きてきた夫人はもっと驚いたので、ゾウのように大きく見えます。
長女には恐竜のように。長男には、もっと大きく!
右ページにはおびえた家族の表情。左ページには、彼らの右往左往する姿とページを繰るごとにしだいに大きくなっていく黒い犬が描かれます。
最後に登場するのが、昔話でおなじみの末っ子です。彼、チャーリーは家族が止めるのも聞かずに外へ飛び出し、黒い犬と向かい合います。そして家ほどもあろうかという犬と追いかけっこを始めるのです。チャーリーを捕まえようと木の下を通り、低い橋の下をくぐり、公園の遊具に飛び込んで行くに従って、黒い犬はだんだん小さくなって、チャーリーと一緒に家の中へ駆け込みます。すると、普通の黒い犬です。
こうしてチャーリーのおかげで家族は恐怖から解放されます。
確かに私たちは、偏見や思い込みから恐怖を抱き、そして他の人に次々と伝染させてしまう時があります。それがやっかいなのは、恐怖の背景に具体的な原因がないので誰もが感染しやすく、また、払拭しにくい点です。
この絵本は、そんな私たちの姿をユーモアたっぷりに描き、そして、どうすればそれを取り除くことができるかを示しています。

11月
『ちいさな へいたい』(パウル・ヴェルレプト:作 野坂悦子:訳 朔北社)
私たちは平時と戦時は全く違うものとして考えがちです。しかし私たちの日常は毎日毎日、ずっと続いているのですから、平時と戦時はひとつながりです。ある日突然、平時が戦時に切り替わってしまうのではなく、戦時は徐々に平時を浸食し、気づけば戦争のまっただ中に立たされているのです。
「あるひ、せんそうは、はじまった」、「どうして そうなったのか、わからないうちに」という言葉から展開されていくこの絵本は、いったん戦争が始まると私たちがいかに無力かを描いていますが、その絵柄は激しく訴えてくるタイプではなく、むしろ淡々としたものです。まるで戦時さえも平時であるかのように。
 たくさんの兵士が戦死したのに、戦争が勝利に終わったとき、「みんなは まちで、おおよろこび」しています。戦地から無事帰還した主人公は、そんな雰囲気に違和感を抱きますが、なすすべもありません。彼もまた平時に戻るしかないのです。
「よる、ねむれなくなるたび、ぼくは かんがえる。あれは なんだったのか。いったい なにが おこっていたのか」。戦争に行った彼でさえ、それはわかりません。
 穏やかに描かれた絵本であるからこそ、平時から戦時へ簡単に変わってしまう恐ろしさがじわりと伝わってきます。
平和は当たり前に与えられているのではなく、私たちが意識的に維持する必要があります。目を見開いて、耳をそばだてて、注意深くありたいものです。
 今こそ読んで欲しい一冊。

12月
『ゆきがくれた おくりもの』(リチャード・カーティス:文 レベッカ・コップ:絵 ふしみみさお:訳 ポプラ社)
子どもと大人が仲良くなるのは案外難しい。大人は愛情と責任感から子どもを保護する対象として扱いますので対等の関係をなかなか結べません。一方子どもは、そんな大人を物心ついたときからずっと見てきているので(たとえば親)、大人と友達になれるとは思ってもいません。ましてやそれが先生と生徒となると、とても難しい。
この絵本は、今述べたような大人と子どもの関係を柔らかく溶かしてくれます。
大雪が降り学校はお休み。ところが学校へやってきたドジな子どもダニー。そして、学校にやってきてしまったまじめな先生トラッパー。一人でも先生がいる限り帰るわけにはいきません。一人でも生徒が来た限り授業をやらないわけにはいきません。しかし、実はダニーはトラッパーが大の苦手だったのです。実はトラッパーはできの悪い生徒のダニーに少々うんざりしていたのです。
案の定授業は散々な結果になりますが、二人だけの昼休み、彼らは一緒に雪遊びをします。雪だるまを作り、本をスケート靴にして滑る。とても楽しい!
真っ白な世界が、硬直化した二人の関係を新しく作り替えてくれたかのようです。
次の日ダニーはうきうきと学校にやってきます。もうトラッパー先生は苦手じゃない! ところが世の中そんなに甘くはなくて、授業は厳しくてダニーはがっかり。
でもね、授業が終われば二人は年齢も立場も超えた親友なのです。さあ、次の遊びの相談だ!
大人と子ども。こんな風に友達になれる豊かな関係が欲しいと思いませんか?


週刊読書人2014年児童文学年末回顧

集団的自衛権拡大解釈。「武器輸出三原則」と「国防の基本方針」廃止。「国家安全保障戦略」の導入。そして特定秘密保護法案成立と、守る国から戦える国へと変貌する事態は、やがて大人になる子どもたちにとって自分の将来にかかわる重要な問題です。それに呼応したかのような児童書がたくさん出ました。
明治期、自由民権運動の一環として、作られた憲法草案を巡る『五日市憲法をつくった男 千葉卓三郎』(伊藤始、杉山秀子、望月武人:著 くもん出版)、著名マンガ家たちが子ども時代の引き揚げ体験を記した『もう10年もすれば・・・ 消えゆく戦争の記憶―漫画家たちの証言』(中国引き揚げ漫画家の会:著 今人舎)、自衛隊とは何か、どう変わっていくのかを語った『僕たちの国の自衛隊に21の質問』(半田滋 講談社)、戦前のベルリンと現在のベルリン、そして日本の若者を繋ぐ『星空ロック』(那須田淳 あすなろ書房)、先の戦争の記憶を描く『ハングリーゴーストとぼくらの夏』(長江優子 講談社)、被爆体験を語った『ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ』(米澤 鐵志:語り 由井りょう子:著 小学館)、戦時下の沖縄住民が隠れ場所として使い、そこで死んでもいったガマのドキュメント『ガマ 遺品たちが物語る沖縄戦』(豊田正義 講談社)、社会性をキーワードに作られた児童書のブックガイド『今、子どもに読ませたい本』(野上暁:編著 七つ森書館)などです。
 また、東北大震災と原発事故を語り継ぐ、『希望の牧場』(森絵都:作 吉田尚令:絵 岩崎書店)、『石を抱くエイリアン』(濱野京子 偕成社)、『はしれ さんてつ、きぼうをのせて』(国松俊英:文 間瀬なおたか:絵 WAVE出版)、ほうれんそうの目から語った『ほうれんそうはないています』(鎌田実:文 長谷川義史:絵 ポプラ社)なども子どもと現代社会を繋ぎます。
 それ以外で印象深かった作品を挙げておきます。
所有者が興味を失った物だけを盗む泥棒を描く『どろぼうのどろぼん』(斉藤倫 福音館書店)は、これまでの子どもの本にはなかった発想で物と人を巡る思考を描き、新しい方向を示してくれました。死んでしまった親友ティンクの影を抱えながら思考していく二人の少女を描いた『二つ、三ついいわすれたこと』(ジョイス・キャロル。オーツ:作 神戸万知:訳 岩波書店)はYA小説の王道ですが、これまで以上に心の深みへと分け入っています。中学校物でありながら、生徒ではなくそれぞれの教師の視点で描いて見せた『伝説のエンドーくん』(まはら三桃 小学館)も可能性を広げた一冊でした。小学校でのいじめを取り扱った『なんでそんなことするの?』(松田青子:作 ひろせべに:画 福音館書店)はいじめの本質を突きました。死を前にした教員と生徒の学校での日々を豊かに描いた『クララ先生、さようなら』(ラヘル・ファン・コーイ:作 石川素子:訳 いちかわなつこ:絵 徳間書店)と、すでに亡くなっている少年トーマスが語る、彼を忘れられない人々の物語『15の夏を抱きしめて』(ヤン・デ・レーウ:作 西村由美:訳 岩波書店)も記憶に残ります。
絵本では、画と物語が幸せな世界を見事に形作った『ベルナルさんのぼうし』(いまいあやの BL出版)。圧倒的な想像力で大人を戸惑わせ、子どもを熱狂させるイソールの『かぞくのヒミツ』と『うるわしのグリセルダひめ』(宇野和美:訳 エイアールティー)。子どもたちの豊かな時間を丁寧に拾い上げた『こどものじかん はる なつ あき ふゆ』(ギョウ・フジカワ:さく 二宮由起子:やく 岩崎書店)。ひたすら石を積む男を描いた『いしをつんだおとこ』(あきやまただし ハッピーオウル社)。自閉症児との共学の様子と、彼らが大人になった日々までを伝えた『ふしぎなともだち』(たじまゆきひこ:作 くもん出版)。おばけも、とうちゃんも、先生も怖くないと続く詩の最後に戦争が置かれている、言葉も絵も本当に怖い『こわくない』(谷川俊太郎:作 井上洋介:絵 絵本館出版)。地雷を踏みながらも生き残った象を追った写真絵本『地雷をふんだ象』(藤原幸一 岩崎書店)などがありました。