No.132

       

【絵本】
『いもうとが ウサギいっぴき たべちゃった』(ビル・グロスマン:文 ケビン・ホーウクス:絵 いとうひろし:訳 徳間書店 2009)
 いもうとが、色々とんでもないものを「たべちゃった」という数え歌遊び絵本です。まあ、色々食べますが、そこはケビン・ホーウクス(『としょかんライオン』)ですから、もうどんどん自由に、おおらかに描いていってます。それがとても楽しい。
 最後に何を食べるかはお楽しみに。(ひこ)

『よぞらを みあげて』(ジョナサン・ビーン:作 さくまゆみこ:訳 ほるぷ出版 2009)
 この作家、特段ユニークな画風ではないのですが、細部まで心が、目線が届いていて、絵を眺めていて飽きないのです。それは細かく描くというのとは違って、どういえばいいのか、生活感をちゃんと持っていて、それをまっすぐ絵に転換できるんです。
 ちょっとあさっての話かもしれませんが、私が住んでいる集合住宅、住み始めてから、この建物のデザイナーに来てもらって、色々文句を言ったのです。とにかく、あちこと日常生活的には不便、使いにくいところが多い。豪華なつもりでカーテンボックスを大きくしすぎたために、200Wのクーラーが取り付けられないのから始まって、タオル掛けの位置が微妙に低いので、端がカウンターに刷ってしまうのまで。彼はどうやら、暮らすというのがあまりわかっていないのでした。きっと家では何もしないのでしょう。できる範囲はしっかりと直してもらいましたが。
 そういう感じが、ジョナサン・ビーンの絵には全くしない。
 で、お話ですが、これがまたいいのですよ。女の子は眠れなくて、自分の部屋の開いている窓から入ってくる風に誘われ、たどり着いたのは屋上。だから、そこで眠ることに。天井は夜空という豪華さ。でね、気付いた母親が、怒るでもなく、女の子が眠ったあと彼女の横で、夜空を見上げながらコーヒーを飲んでいる。
 いいっしょ。(ひこ)

『ドーナツだいこうしん』(レベッカ・ボンド:さく さくまゆみこ:やく 偕成社 2009)
 レベッカ・ボンドの新作です。
 ビリーが腰からひもをつけて、その先にはドウナツつけて歩いています。なんでそんなことをしているのだろう? それはともかく、かけらが落ちるのを狙って、次のページではニワトリが後ろをついて歩きます。その次のページでは、にわとりを狙ってネコが続きます。こうして連鎖していく絵本です。レベッカ・ボンドの絵は相変わらず線に流れがあって、前作『ゆりかご〜』ではゆりかごの赤ちゃんへと集中していきましたが、今作ではもちろん大行進を誘う流れです。この作家の絵は不思議に気持ちをよくさせます。さてさて、どんどんとビリーにつき従う人や生き物が増えていって、どうなるか! うきうき度の高い一作ですよ。(ひこ)

『きらきら ピンク』(ナン・グレゴリー:作 リュック・メランソン:絵 灰島かり:訳 すずき出版2009)
 ビビはピンクが大好き。でも、きらきらピンクは、ビビがピンクガールズを密かに名付けている三人組の女の子が持っています。ビビはピンクのお人形が欲しくなり、なんとか手に入れようとアルバイトをするのですが・・・。
 女の子、ピンク、それでいいのか? って敏感に感じるんじゃなくて、この子は本当にピンク色が好きなのに注目。で、たぶんピンクガールズは、女の子だからピンクが好き。
 ビビが手に入れるピンクとは? が読みどころ。
 絵本全体が、穏やかにピンクしています。(ひこ)

『ねむい ねむい ちいさな ライオン』(マーガレット・ワイズ・ブラウン:文 イーラ:写真 ふしみみさを:訳 徳間書店 1947/2009)
 ライオンのあかちゃんが、おかあさんにお願いをして、一人で冒険の旅に出ます。最初に出会ったのは犬。すぐに仲良くなって遊びます。でもだんだん眠くなってしまいます。次に出会ったのは猫。遊んでいるうちにやっぱり眠くなり、ついにぐっすり。そのまま男の子に拾われて、男の子と遊びます。といった流れでストーリーが展開していくだけなのですが、絵ではなくて写真なんですね。
 六十年以上前の写真絵本です。現代の写真絵本は演出しないものが殆どですが、これは、マーガレット・ワイズ・ブラウンの文章通りに、犬と出会わせ、猫と、男の子とと、ストーリーに沿ってライオンのあかちゃんを置き、それをイーラが写真に納める手法です。逆かもしれません。イーラが撮った写真にマーガレット・ワイズ・ブラウンが文をつけたのかも。いずれにせよ、あり得ない世界、たとえばライオンと猫の赤ちゃんが寄り添うなど、ファンタジックな世界が楽しめます。
 嘘くさいと思う人にはだめですけどね。(ひこ)

『宮野家のえほん たっくんのおてつだい』(おおさわ さとこ アリス館 2009)
 宮野家シリーズ二作目。今回は、兄のたっくんです。
 たっくんは、親の手伝いをしたくて、一所懸命するのですが、うまく行かない。それは、たっくんが張り切りすぎて、自分ではまだできないことをしたがるからなのですが、そのことは自分で気付いてもらうしかないので、両親、たっくんの失敗にもニコニコです。
 でも、本人は自信喪失。
 さて、どうする?
 話は絵本としてとてもいいのに、絵が素直すぎて、挿絵みたいになっているのが、残念。言葉で説明していることの後追い的に絵をつけて行かなくてもいいと思います。それとも言葉を削るかです。
 絵本なのですから、文章と絵がガチンコして欲しいです。(ひこ)

『たね そだててみよう』(ヘレン J.ジョルダン:さく ロレッタ クルピンスキ:え さとう よういちろう:やく 福音館 2009)
 「みつけようかがく」シリーズの一冊です。これは六〇年代の作品です。
 タイトル通りの内容なのですが、様々な種が、様々な植物に育つことを示した後、卵の殻を植木鉢にして種夫を育てる過程が描かれていきます。
 そうか、卵の殻なら、芽が出てからそのまま土に埋めてもいいよね。なるほどなあ。
 と思ったのですが、そういう風に「なるほどなあ」と子どもたちが思ってくれれば、この絵本は大成功です。
 『せかいは なにで できてるの? こたい、えきたい、きたいのはなし』も巧くできていますよ。(ひこ)

『ぼんぼらみん』(藤川智子:作・絵 岩崎書店 2009)
 楽しいタイトルに楽しいお話。
 ひな祭り。みんなはぼんぼりを囲んで歌い踊ります。すると、貧乏神や疫病神など色々出てきて、一緒に陽気に歌えや踊れや。
 そして一年の厄をみ〜んんんんな払え、払え!
 ひな祭りって、静的なイメージになってしまうのですが、陽気でいいですね、これ。私、近所が人形店街の松屋町(まっちゃまち)なのですが不景気で盛り上がっていません。こういうのをすればいいのに。(ひこ)

『ヘンゼルとグレーテル』(那須田淳:訳 北見葉胡:絵 岩崎書店 2009)
 「絵本・グリム童話1」と名付けられていますから、このコンビで次々作られて行くのかな。
 グリム童話を素材とした絵本はたくさん作られていて、それは競演って感じで、それぞれの絵描きがどうチャレンジするかが見逃せないところ。一つのよく知られた物語を巡っての、文化理解の表出であり、時には自国文化へのトレースでもあり、もちろん、作家自身の解釈でもあるわけです。
 今作の北見は、とても「普通」に展開し始め、「え?」と思ったのですが、兄妹が森に入る辺りから、表現全開で妖しくなっていきます。すごい。
 なるほど、このための「普通」だったのだ。
 ただし、継母と魔女の表情がやっぱり「普通」。いかにも悪い人です。それより、普通の顔をしていた方が怖かったと思うのは、私がひにくれているからでしょうか。(ひこ)

『おいしいおと』(三宮麻由子:ぶん ふくしまあきえ:え 福音館 2009)
 「ちいさなかがくのとも」2002年の単行本。
 いろんな食べ物を食べるときの気持ちいい音。はるまき、ほうれんそう、ごはん。順番に食べていきましょう。
 うん、楽しいです。
 ただ、音は人それぞれ聞こえ方が違うので、私には合わないのもありました。これはだれでもそうでしょうから、子どもたちもそれぞれの聞こえる音を口に出せば楽しいですね。(ひこ)

『天のおくりもの』(グスターボ・マルティン=ガルソ:文 エレナ・オドリオz−ラ:絵 宇野和美:訳 光村教育図書 2009)
 にんげんの母親と、羊の母親が、同時に自分の赤ちゃんを迷子にしてしまいます。人間の母親は羊の赤ちゃんを見つけ、羊の母親は人間の赤ちゃんを見つけ、育てます。自分の赤ちゃんを捜しながら・・・。
 やがてようやく互いに見つけます。取り替えてめでたしめでたしですが、お互い育てた別の赤ちゃんを忘れることはありません。
 異文化共存の物語です。母親の愛情だけに収束してはもったいないですよ。(ひこ)

『へびのひみつ』(内山りゅう:写真・文 ポプラ社 2009)
 「ふしぎいっぱい写真絵本」シリーズも十四冊目。見返しにいきなり、これから登場する蛇たちの概要がリストされていて(裏も)、あとは中身をゆっくりごらんあれ、って感じです。
 脱皮からお食事風景、孵化など、蛇たちの一通りの日々を見せてくれます。好きな子どもにはたまらないでしょう。
 写真ですから安心して眺めていると、私も結構好きになったりはしますが、会いたくはないなあ。
 綺麗ですよ。(ひこ)

『CO2』(三浦太郎 ほるぷ出版 2009)
 環境問題絵本。いろいろな乗り物のエコ度をわかりやすく示しています。
 一キロ移動するのに消費する量なので実感しやすいです。
 やっぱ列車かバスよねえ。と、免許を持っていない私は、ちょっとうれしく納得。
 こういうのは、ぜひ読んで、子どもの時から心に入れておいて欲しいです。(ひこ)

【創作】
 アラサー(アラウンド・サーティ。30歳前後の女性)、アラフォー(アラウンド・フォーティ。40歳前後の女性)という言葉が聞かれるようになって数年たつ。アラフォーは去年の流行語大賞にもなった。アパレル業界から発生した言葉だが、広く使われるようになったのは、もちろん、社会的背景と無縁ではない。
日本だけの状況ではないらしく、SATCことセックス・アンド・ザ・シティ人気が社会現象となり、最近でもゾエ・カサヴェテゥ監督の『ブロークン・イングリッシュ』や、ナディーン・ラバキー監督の『キャラメル』などが、「アラサー」世代の女性を主人公に、この年代の女性の揺れ動く日常を描いている。両監督とも、70年代生まれの若い女性というのも、共通している。
『キャラメル』はレバノンのベイルートの小さなエステサロンが舞台だ。ゆえに、宗教や保守的な女性観がもたらす数々の問題が描かれるが、映画の主人公たちが悩む恋愛、結婚、不倫、老いなどは、ニューヨークを舞台にしたSATCや『ブロークン・イングリッシュ』、そして日本のアラサー、アラフォー女性の抱える悩みと、あまり変わらないように思える。
『ブロークン・イングリッシュ』で主人公の母親(ジーナ・ローランズ)が娘に言う。時々あなたたちがかわいそうになる、わたしの時代と比べて可能性がたくさんある。でも、だからこそ、選択肢が多すぎて、本当の自分にたどりつけないのよね、と。

 今の若い世代は、そうした上の世代の女性たちの姿を見て、どう考えているのだろう? YA、児童文学でも、かつては母親は「優しいお母さん」か「理解のない(子どもの冒険に邪魔な)お母さん」のどちらかとして描かれることが多かった(アラサー、アラフォーは、かつての「母親世代」なのだ)。しかし、最近では、親たち側の「事情」が描かれることも少なくないし、時に、主人公の子どもに迫る存在感を持った大人たちが登場する作品もある。
 現代を舞台にした作品中の大人像は、現代の社会の抱える問題と直結して、非常に興味深いが、今回はあえて14世紀初めのイタリアを舞台にしたミステリー『聖人と悪魔』を取り上げたい。作者メアリ・ホフマンは、高い評価を得たファンタジー『ストラヴァガンザ』でも、魅力的な大人の女性を登場させている。

『聖人と悪魔』 メアリ・ホフマン著 乾侑美子訳 小学館 2008年10月
 十四世紀のイタリア、ペルージャで貴族の息子シルヴァーノは幸福な日々を送っていた。裕福で、美しく、有力貴族の父モンタクート男爵の愛を一身に受け、あとは美しいアンジェリカの心さえ射止めることができれば、何の不足もない。
 しかし、アンジェリカには羊農場主の夫トンマーゾがいる。アンジェリカの両親は、若く美しい娘を裕福な中年男トンマーゾに嫁がせた。それは、当時、美貌以外、富も家柄も教養もない娘にとって、当然の選択だった。
 嫁にやりたくても、まともな持参金をつけるだけの財力もなく、しかし家の体面も保たなければならないとすれば、娘を修道院に送るほかない。落ちぶれた家の娘キアーラには、その道しか残されていなかった。これから一生、修道院で冒険もロマンスもないわびしい生活を送ると思うと、若いキアーラは耐えられない。
 しかし、富も美貌も家庭も持ちながら、満たされない日々を送っている女性もいる。美しいイザベラには、かつて愛する恋人がいた。だが、貧しい学者との結婚など許されるはずもなく、その美貌と家柄に釣り合う結婚を強いられ、グッピオの町でも一、二を争う裕福な羊毛商人に嫁いだ。今は、妻を自分の所有物として扱う冷淡な夫と、不幸な日々を送っている。
 やがて起こる殺人事件が、この三人の女性の運命を結びつけることになる。ペルージャの町でアンジェリカの夫トンマーゾが殺され、容疑をかけられたシルヴィーノは、古都アッシジにほど近いジェルディネットの修道院に身を寄せる。しかし、今度はその修道院で次々と人が殺されるのだ。犠牲者の中に、イザベラの夫ウバルドもいた。神聖なる修道院で、神をも恐れぬ罪を犯した者は誰なのか?
 実在の画家シモーネ・マルティーニや、彼の筆による『聖マルティヌスの生涯』の連作壁画なども登場し、また当時の修道院生活が描かれるなど、作家ホフマンの得意とする豊かなディテールが、作品を稀有なものにしている。と同時に、やはりこの作品で精彩を放っているのは、それぞれ自由になるものがほとんどない状況の中で精一杯生きている女性たちだろう。若いキアーラはもちろん、美貌以外何も持たないように見えたアンジェリカや、人生をあきらめていたように思えるイザベラが、愛や事業や自由を手に入れるために画策し、努力し、時にじっと待つ姿は、深い印象を残す。「イザベラはあまり長いあいだ夫を嫌ってきたので、今ではそれが生まれつきの性質に加えて、第二の性質になってしまった」なんて、今までのYA作品には見られなかった描写ではないか。今後、こういった作品がますます増えていくように思う。

* 取り上げた映画作品をざっと紹介しておきます。特に『キャラメル』はとてもお勧めなので、ぜひ観てみてください。(三辺)
『ブロークン・イングリッシュ』監督:ゾエ・カサヴェテス監督 出演:パーカー・ポージ、メルヴィル・プポー、ジーナ・ローランズ(恵比寿ガーデンシネマ)
『キャラメル』 監督・主演・脚本:ナディーン・ラバキー 出演:ヤスミーン・アル=マスリー、ジョアンナ・ムカルゼル、ジゼル・アウワードほか 2008年アカデミー賞レバノン代表作品 (ユーロスペース)

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『椿先生、出番です!』(花形みつる:作 さげさかのりこ:絵 理論社 2009)
 あの、花形みつるが、幼年童話!
 これはもう読むしかないですね。
 幼年童話なのに、椿先生の出番ではおかしいだろ? 出るのは「カーイイ」幼年だろ?
 でも、読んでいくと、なるほど。
 椿先生もしっかり幼年なのです。いまどきの大人の「大人のありよう」など気にしない。ってか、気にできないのかもしれない・・・。
 もう、「カーイイ」幼年と、ほぼ同じレベルで毎日楽しく遊んどります。
 旧制物なら『坊っちゃん』ってのがあったでしょ、あれの先生は、生徒並の動きをするわけですが、これの場合は、その幼年版ですよ。
 やはり、花形ワールドはすごかった。
 これぞ、どこを切っても幼年童話。
 良識ある大人の幼年童話ファンは嫌がるかもしれませんけどね。(ひこ)

『愛をみつけたうさぎ』(ケイト・ディカミロ:作 バクラム・イバトーリーン:絵 子安亜弥:約 ポプラ社 2006)
 陶器のうさぎエドワードは、持ち主の女の子に愛されて、かわいがられて、大切にされていました。だから幸せなのですが、エドワードはいささか天狗になっていたので、誰も愛してはいませんでした。愛さなくても愛されたからです。ところが、旅先で女の子とはぐれてしまい、エドワードの苦難の旅が始まります。
 持ち主が次々と変わり、いろいろな人と出会い、まるでロードムービー。ケイト・ディカミロの巧さは相変わらず。ただ、愛に重きを置く辺りがストレートで、そこに気恥ずかしさを少々感じるのは、こちらがすれているせいでしょうね。(ひこ)

『ゆかいなさんにんきょうだい すごいはたきのまき』(たかどのほうこ アリス館 950円 2009)
 早くも三巻目。今回は、はたきでマジックをしていたら、いやいやマジックなんかじゃなくて、ほんとうにすごいんだぞと、はたきが主張するという楽しい展開。
 別になんてこともない感じなのですが、愉快なのは、この家族の暖かさができあがった世界だからでしょう。
 それと、絵と文字の配置なども、目立つことなくさりげなく良いのです。(ひこ)
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 国際児童文学館廃館問題に関する情報として、すでに、「児童文学書評」サイトにて掲載していますが、未読の方へお届けします。

国際児童文学館 寄贈者・関係者等と知事との意見交換会 発言要約
■と き:平成21年1月21日(水)午後5時20分〜6時30分
■ところ:府庁本館3階特別会議室(大)
■出席者:橋下知事、綛山教育長、鉄野地域教育振興課長、中道課長補佐(司会)
上の和明府議会議員(意見交換会仲介者)
小峰紀雄(社団法人日本書籍出版協会理事長:通年図書寄贈者)
鳥越 信(児童文学者:設立時図書寄贈者)
伊藤元雄(故・南部新一代理人:大規模寄贈者)
古橋理絵(塩崎おとぎ紙芝居博物館代表者:大規模寄贈者)
畠山兆子(大阪国際児童文学館を育てる会常任委員長)
田丸信堯(大阪国際児童文学館を育てる会常任副委員長)
松居 直(財団法人大阪国際児童文学館理事長)

(知事)まず、私の基本的な考え方を述べさせていただきまして、皆様方から忌憚のない意見をいただきたいと思っております。今日は皆様方からご意見を伺うということですので、何も決定するつもりはありません。
今の児童文学館、機能・人・組織、これが大問題であります。この組織に任せていては、貴重な文学館の図書が死財産になってしまう。府民感覚で言いますと、駐車場が1,200円、誰も1,200円出して停めない、それが私の感覚です。
それからテーマ展示、区役所の展示と同レベルです。僕の思いとしては、民の発想でやっていきたい。児童文学館がモノレールなどいろんなイベントをやっていますが、時既に遅し、いろんなアイデアはもっと出すべきだった。こういう事業系のものは民に任せるべし。もし資料を保管するということであれば公がやればいいでしょうが、子どもたちに広く資料を見てもらうということであれば、やはり民にしかアイデアが出てこない。
今、中央図書館が市場化テストをやってまして、来年1年間、公がやったらいいのか、民がやったらいいのか、きちっと見させていただくということを言っているんですが、その思いは中央図書館が完全に民営化される中で、より発想豊かに運営してもらう中で、貴重な資料を最大限有効活用してもらうことが最善の方法だと考えております。児童文学館の人・モノ・組織に置いておくのは全くもったいないという思いがあります。児童文学館に対する、組織に対する不信感が根本にあって、私のいろいろな考えを発している。

(書協・小峰)設立当初の頃、保存機能をもったすばらしい文学館を作りたい、なので出版社にもぜひ寄贈で協力していただきたい、との話があり、普通、出版社は図書館には寄贈しません。特別な思いで寄贈させていただきました。28年続けてきた官民協働の関係を深めて、何とか存続の可能性は探れないものだろうか、設立趣旨にそった存続が可能であれば、今後とも寄贈をさせていただきたいと考えている。

(知事)私は組織のことを言ってるだけです。組織が変われば、資料をこのまま保管して終わるのではありません。また、機能を全く否定しているわけではありません。出版協会の皆さんに勘違いされたくないのは、資料の価値は本当にありがたくて、組織が抜本的に変わることによってできるのであれば、それが中央図書館が民営化することなのか、中央図書館の組織なのか、僕は組織の改革というものに一番重点を置いています。

(小峰)危惧するのは、長い時代にわたる私たちの寄贈本も含めて、貴重な子どもの文化、本の資料が体系的に揃っています。ぜひとも分散、散逸がないように、明日の子どもたちに手渡していただきたい。

(知事)組織を抜本的に変えて、皆さんの意見を伺いながらもっともっと子どもたちに見てもらいたい。散逸させるなんて思っていません。どうやって有効活用しようかと考えています。

(教育長)今、児童文学館には70万冊、中央図書館には170万冊あります。児童文学館の本は別に管理して、貴重本は貴重本としてきちんと保管し、資料館としての機能を失わないように対応していきたい。ただ、より多くの人たちに利用してもらうために、中央図書館は65万人という利用がありますのでやっていきたいと思っています。

(知事)移転後には、閲覧室が248平方メートルから311平方メートル、特に子ども室は248平方メートルから627平方メートルまで広くなります。また、子ども室の蔵書は2万4千冊から12万冊、特に15歳以下の登録貸出者数957人が19,313人になります。できた時の理念はすごく立派であっても黙ってても給料が入る組織だと工夫しないんです。これを大きく有効活用、より多くの子どもたちに見てもらう、それをやっていきたいと思っています。

(鳥越)もう25年前です。知事、教育長、財団の理事長や館長も替わっています。原点をご存知の方がもういらっしゃらなくなりました。
私が全国に公募という形でお願いして、大阪に決まったわけです。大阪としてはどこに作るかということで、候補地が3か所あった。泉北ニュータウン、大阪市内の外大跡地、そして現在のところです。万博公園は、当時はモノレールもありませんでしたし、もっと陸の孤島でした。もし来館者を考えるんでしたら、誰が考えても外大跡地が一番いいことは分かっている。それなのに、なぜ一番辺鄙なところへもってきたかということです。
25年前というのは、これからはコンピュータの時代だということが明らかになりつつあった時代なわけです。これからは、いろんな情報がコンピュータから、映像も伴った形で送り出せるということが目の先に来ている時代であったのです。
そこで、児童文学館に求めたことは、情報の発信基地だったわけです。つまり、手に取って見たいという方は、来ていただくしかないけれども、そうではなく情報が欲しいという方に対しては、南極でも砂漠でもよかったんです。
とにかく、情報を発信する。そのためには2つのことが必要でした。1つは、過去に遡って本を集めていく、さらに将来に渡っても集めていくわけですから、資料を保管する空間が必要だった。空間となると、万博公園が一番です。もう1つは、情報を求める世界中の人たちに対して、正確で、精密で、豊富な情報が提供できるかどうかということは、専門スタッフがどれだけそれに取り組めるかにかかってくるわけです。ということで、これまでやってきたわけです。
ところが財政的な問題で、中央図書館に移るという話になったわけですが、まず、空間的に中央図書館では処理しきれないと思います。それから専門スタッフが、正確で、精密で、豊富な情報を提供できるかというと、ちょっと見えてこない。そこが私は一番心配で、その2つのことが生かされない限りは、移転することは困る。

(教育長)経過の中で受けとめているのは2点。当初、鳥越先生が全国公募されたときには、整理して公開することと、集め続けることを条件にされ、それをもとに70万点に育った。児童文学館が空間として抱えてきた問題に書庫の問題がずっとありました。
書庫問題は、中央図書館に移転すれば、170万冊の府立図書館の部分と、70万冊の児童文学館の部分に分けて、また、コンピュータ管理システムも両方の部分は分けて、今のまま継承して管理していく予定ですので、資料館的な機能については十分継承していきたい。
専門スタッフのノウハウの問題は、司書がたくさんおりますので適切に引き継ぎを受けて、より幅広い子どもたちに見てもらえる。また中央図書館は市町村図書館とのネットワークを持ち、車両も運行しているので、貴重書は困るが一般的な児童書であれば、市町村図書館を通じて、より幅広い子どもたちに利用してもらいたい、そういう思いでおります。

(知事)これは財政の論議じゃないんです。設立時の最初の理念が20年継続するなんてありえません。途中で失敗とか、頓挫とかしています。なぜかというと、常に改革をし続け、努力をし続けないと、この行政の組織というのは発展していかないわけです。25年前の理念を否定するつもりは全くないですが、常に改革が必要、見直しをしていかねばならないと思うんです。
僕も情報発信機能が重要と思いますし、それが全てです。関係者の話し合いが前提になっているけれども、背後にある利害関係抜きの一般府民のことを考えろと言っているので、880万人府民の認知度を言えばほとんどの人が知らない。これが問題であり、研究者だけでは府民にわからせることはできません。発信機能は、発信にたけた人がやらなければならない。発信の方法を考えているんです。それをやるためには、空間は中央図書館でも十分にあります。発信の方法も、25年経った今では、あそこでは全く発信機能が達せられません。僕は、先生方から頂いた資料を最大限に活用して、民の知恵も入れながら府民、子どもたちに発信します。

(鳥越)私が言ってるのは、発信する中身です。利用者にとって必要な、正確で、精密で、豊富な情報がどこまで提供できるか、その中身。今後とも、どうしたら一番いいのか、お互いに知恵を出し合う、そういう機会を作ってくださいということを、是非お願いしたい。

(知事)そこは教育委員会もやらせていただきます。

(教育長)我々もお知恵を頂いて、我々の考え方と上手くマッチング出来て良いものを作っていきたい。そうすればあまり違いはないと思います。

(南部・伊藤)南部コレクションは、日本でも世界中でもない貴重なものです。南部新一というのが生きていた頃に、児童文学館ができる前に寄贈したんです。南部新一は、明治・大正・昭和とずっと資料を集めてきて、児童文学館の理事長であった司馬さんとかいろんな人から話があり、1万5千点くらいの資料を、自分も研究で行くことを楽しみにして府に寄付しました。
児童文学館を活かして、生前の南部新一が楽しみにしていたものが活用されるのであればいいという形でやったわけですから、遺族の方たちに連絡したら、基本的に現地存続です。なにしろ、いい活用をしてくれ、できないんであれば府の責任において返却してくれと。違うことは止めて欲しいんです。
 具体的に活用方法と、いい方向にもっていけるかということを今後とも続けてほしい。そして、寄贈者に情報を流していただきたい。そこで判断しますんで。

(知事)活用の方法を見ていただいて、まずいと思われれば返却はさせていただきますんで、やっぱり活用方法が一番重要だと思います。研究だったら、今の行政では公金投入できませんので、やるなら大学。府民に見てもらう、利用してもらうことが大切。活用方法で府のやり方を納得していただけるかどうかを見ていただきたい。

(紙芝居・古橋)街頭紙芝居ですが、児童文学館には約4千巻、思いを込めて寄贈させていただいたものです。塩崎氏の寄贈した紙芝居というのは、有名な少年絵画を描いた方とか、手塚治虫さんと「新宝島」という漫画を描いたと言われている有名な画家が描いた絵など、1枚1枚原画で印刷物ではないのです。
師がなぜ国際児童文学館を選んでこの貴重な絵の紙芝居を寄贈したか。研究機関であるというのが一つ。児童文化とか児童文学とかをよく研究しているおり、横抜きものの紙芝居という日本独特の手法で子どもに対する貴重な文化をよく知っている専門職員たちが、日本文化を国際的に発信してくれる情報機関であるということ。それから、広い万博があるところでやっていくというのが、師匠のもう一つの目玉でもあったんですけども、そういうところへ寄贈したので、図書館へ寄贈したという意識はなかったわけです。ですから、このまま児童文化や児童文学に通じている特色ある児童文学館で、塩崎さんの思いのある紙芝居を保存いただいて、かつ活用していただきたいという希望です。
年に2回ぐらい児童文学館で展示と、我々三邑会のメンバーの紙芝居屋さんを呼んでくれて、子どもたちに上演させていただいているんですけど、そういう機会も与えていただける児童文学館という貴重な場所であります。図書館に移ってしまうとそうした活動が閉ざされる、貴重な資料を冷凍保存されてしまうのではないかという心配です。
 西成で塩崎おとぎ紙芝居博物館を持っているんですけれど、そこと国際児童文学館が連携をとれておりまして、海外から絵元として持っている資料を見たいという時には、海外の人を紹介してくれる、そうしたことができるのかという心配もあります。

(知事)勘違いされているのかもしれませんが、全部廃止ということではなく、文学館の組織を廃止と言っているだけであって、今のままだと皆さんの思いというのは、府民に対して何ら実現できていないです。
まさに改革です。研究機能というのは府ではできません。何でもかんでも25年前に決めたこともそのままというのは、今は無理ですから。自治体が研究を行うなんて府民が納得しないですよ。そういう財源があるのであれば、それを府民サービスとして、いかに子どもたちに見せるか、喜んでもらうか。もし研究員が研究したいというのであれば、大学でやってください。府はあくまでも府民に対するサービス機関です。
現地視察行って、「あっこれは僕の価値観と合わないな。」と思ったのは、児童文学館の方に「黄金バット」の紙芝居を見せていただきましたが、白い手袋をして持ってきたんですよ。今の児童文学館の考え方は、貴重な財産的価値のあるコレクション、見てもらう触れてもらうというよりもきれいに保存する。これは、自治体のあり方としては、昔は成り立っていたのかも知れませんが、今は違います。今の考え方は府民サービスができるか、子どもに気軽に紙芝居を楽しませてあげたい。保存するだけであれば、大学とかで扱ってもらわないと今の時代では難しいと思います。
また、海外との交流とかもやりますから、できる限り発信していかなければならないし、より多く見せなければならない。皆さんから頂いた資料を、25年経った現在、これをどう見るのかということ、子どもたちに積極的に見せるということであれば自治体がやるべきことだと思います。この分岐点に今さしかかっているところです。

(古橋)街頭紙芝居というのは、1点1点が原画です。これを子どもたちに広く見せなければならない、この大衆文化を伝えたいという思いはあるんですけれど、子どもに見せるということは、そのものを使ってみせるということで古びていきますので、紙ですから、一方ではそのことも考えながら、後世に残すことも考えながら活用していくという、この2つのことをうまく判断をしてくれる専門員の人がいれば、一緒についていくという形になります。

(知事)絵画というのは凄い宝物ですよ。あるところでも何十億も出して買っているのに、倉庫に入れっぱなし。また古いおもちゃ、これも何億も出してビッグバンにしまってある。こうした貴重な現代美術やおもちゃなりを合わせて、府庁がWTCへ移転してここ(現府庁舎)が使えるのであれば、今持っているコレクションを展示していく。
そうしたものがあれば、図書館にこだわらなくていいし、古橋さんの言われるようなことを僕はやりたい。あそこの組織では、無理だと僕は判断しました。

(育てる会・畠山)中央図書館の利用者数が年間65万人と言われてますが、万博公園の年間利用者数は150万人いるんです。先ほど駐車場の話、1,200円は私も高いと思います。でも、大多数の利用者はバスとかモノレールを使って来ているんです。万博公園が府に移管されるような話も聞いているんですけど、その時には、文学館の利用者は無料にしていただきたいと思います。
 2番目に広報機能のことですが、それは教育委員会が児童文学館をより有効に活用するという努力をしてこなかったと思っております。いつも府域の小学校の子どもたちに、児童文学館に見学に来てもらっています。自然豊かな環境の中でお弁当食べられますでしょ。中央図書館にはそういった場所がないんです。子どもたちというのは、楽しい思いの中で触れ合わなきゃだめなんですよ。
2001年の行政改革の時に、すでに提案してるんです。府が施設の有効利用をしていないのは教育委員会の怠慢ということがあると思いますし、知事もぜひ指導していただきたいと思います。
 小学生たちが来れば、あそこ楽しかったよ、お父ちゃん連れてって、お母ちゃん連れてってということになりますし、そしたらものすごい数の子どもたちが来るんですよ。まさに、多くの子どもたちに見せることになる。それをさぼっていたのが府の教育委員会じゃないですか。

(知事)それは全くそう思います。他に利用者の少ない施設はたくさんある。弥生博物館も、人権博物館も最悪の展示だったんで、今回変えてもらうんですけどね。

(畠山)中身の問題なんですが、私が勤めている梅花女子大は、日本で一つしかない児童文学科を持っていますから、もちろん協力させていただきますし、展示内容に関してもいろんな形で協力したいと思います。
府教育委員会がアピールしてこなかったということで、まさに有効利用はできる。たくさんの子どもたちにアピールできたんです。それをしなかった。その結果を文学館だけに、人数少ないとか、そういうことだけで非難するのはおかしいと思うんです。

(知事)だから、図書館に行って頑張ります。民営化した時にできると思っています。

(畠山)専門家の意見も聞いて、教育委員会がもっと協力するという提案を出されてそれが実現できるのかどうか、きちんと考えてほしいと思います。

 3つ目、育てる会も一生懸命になって請願のことをやりました。知事は結果を大事にされる方なので、私たちもこれだけ頑張りましたので、是非、結果としての評価が見える回答を出していただきたい。
 4つ目、できるだけ多くの子どもたちに貴重な資料を見せたいということはわかるんですが、例えば「黄金バット」、復刻本もあるんですよ。なぜ貴重なその本自体を見せなければならないんですか。復刻本でいいじゃないですか。貴重本は、貴重書庫で大事に博物館的に扱っても私は構わないと思うんです。府の財産として。

(知事)わかりますが税金がかかるんです。

(畠山)わかっています。前にマンガのこともおっしゃってたですけど、「少年ジャンプ」の創刊号を子どもに貸して見せなくてもいいんです。だって、ジャンプで人気があるのはちゃんとコミック本が出ているんです。そうしたら日本で少ししかないジャンプは残しておいても構わないじゃないですか。そして、見たいマンガは家へ帰ってお菓子を食べながら見ればいいじゃないですか。そんなことを貴重な本でやることはないのです。

(知事)そうしたことは考えが同じ方々がお金を出し合っておやりになればいいわけで、公金を使うのとは違うと思います。

(畠山)財政が非常に厳しい中で5億8千万円の移転費用を使うということですが、今まで7億6千万だったのが値引きされたのがなぜなのかわからないですけど、私自身は、10億もかかるだろうと思っていたのになぜ下がったのかなと思っているんですが、移転しても今より良い機能を持たせたり組織を作ろうとしたら、運営費はもっといると思うんです。

(知事)今の中でやりますから。これは組織のマネジメントの問題なので、今の組織で十分できると考えています。

(畠山)それでは今より良くなるとは思えない。たとえば、書籍出版協会の方は2千万円ほどの新規寄贈をストップするというようなことをおっしゃってますけど、その分を買ってくださるということですか。

(知事)いいえ。それは府の財政を見て適正にします。

(畠山)そうすると2千万円分損するわけじゃないですか。国際児童文学館の財産というのは、継続してきているんです。つまり長い期間をかけて子どもの本が変化していて、来年もっといい本を出すためには、こういう本を出していたんだということを含めて、結果的には大阪府下だけではなくて日本全国なんです。いくら何でも、知事は大阪府民の子どもだけが可愛くてそれ以外の地域の子どもたちはどうでもいいなんて思われませんでしょ。日本中の役に立つのは嫌ではないですよね。
子どものパンを取り上げるような感じで、財政を立て直すんじゃなくて、子どもって大阪の将来を担う人たちじゃないですか。町工場がロケット飛ばそうなんていう、ああいう豊かさみたいなものも、ぎりぎりのところまで大人が我慢して守れないものか、それが私が思っていることです。
そういう意味で、財団法人の運営費を削るとか、それから地元市がお金を出すとかいろいろ言ってますよね。そういうことをもう一度検討してほしいし、大学も含めて、可能な限り話をいい方向へ持っていっていただけたらと思います。

(知事)他にも医療や福祉いろんなことがあり、児童文学館が府の全てではありませんから。思いのところはよくわかりました。僕の立場から言うと、子どもたちを伸ばしていくのは、児童文学館だけが全てだという判断はできないということもご理解いただきたい。

(育てる会・田丸)70万冊を子どもたちへと言っておられますが、あそこにある資料というものは、ここにある「蔵書解題」という本にもありますけど、カタカナで書いた物語、漢文調のもの、明治の人が書いた本を一生懸命集めているんですよ。70万のうち50万は思いを込めて、小峰さんとかが贈っているものです。それを子どもに見せたいとおっしゃるけども、子どもに見せるためにお贈りになられた本じゃないんです。これは、当時知事が、きちんと整理して公開するよと約束なさったという心意気、そういう心意気に賛同して贈っていただいたものです。
何で中央図書館じゃあかんねんという議論がありますが、担保がないんです。あの場所は担保なんです。ここで集めるよって大阪府が意思表示をしているんです。そして30年経って、つぶすよ、中央図書館へ動かすよと言うでしょ、そこで寄贈者と出版社との信頼関係が切れているんですよ。
中央図書館が頑張るよと、知事や教育長がおっしゃっても、それを保証する担保が何もないんです。来年になって、中央図書館の書庫も一杯になったから、ちょっと方針変えるからということになって、あっそうですかと引き下がるわけにはいかんというのが我々の考えです。
これは府民の財産なんです。30年かけて、我々も府民ですから、税金をそこに使ってもらって、私は大きな評価をしておる。子どものためとはどういうことか、考えてほしい。大人が子どもの文化に対する見識を持ってほしい。
明治以来、先人たちがどんな苦労をして工夫をしながら、出版し、遊びも考え、映画をつくり、鞍馬天狗からずうっと、今、ゲキレンジャーなんてやってるでしょ、それらを大人が一つひとつ確認しながら、次の文化をいろいろ考えていく。そこに子どもを喜ばせる、話題があるんです。子どもだけが笑うということは、私には考えられない。大人あっての児童文学。子どもの文化を楽しんで、そして子どもに伝えていく、そのための施設なんです。
そのために研究はいるんです。大学とおっしゃるけど、府立大学に作っていただけますか、と言いたいです。この財産について、どうするか。途絶えさせないと言われるけども、担保がないですよ。たとえば、10年先、20年先どうなんねんと。10年先は80万冊、30年先は100万冊になっています。世界文化遺産に登録できるような事業、そういう文学館なんです。あそこにあるから、世界からも見える、出版社にも見える、今はみんなに見えているんです。
そしてその整理には研究者がいるんです。財産を失うことは残念です。協議を引き続きお願いしたい。先ほどの回答ではそういうことやっていこうと言われてますから、嬉しい話です。で、教育委員会から予算要求出ているんですね。これは、2月議会には出ないと理解したらいいですか。

(知事)いや、出てくると思います。それは、まさに府民の皆さんを代表する議会の審議ですよ。僕が出しても議会でだめなら否決ですよね。
「担保がない」と言われましたが、僕みたいな知事が出てきたらそれはないですよ。あそこの場所にあることは担保にならないです。現に、国際児童文学館があそこにあるのを、変えようと僕が判断しているわけですから。場所とかではなく、選挙でどういうトップが選ばれるか、そういうのが担保になるわけですよ。
20年前、30年前の考えがずっとそのままではなくて、時代時代の状況に応じて変わってきたと理解していただくしかないです。僕の今の価値観、府政運営のあり方は寄贈者の方々だけに目を向けて運営するということはできません。
寄贈者の思いに反するのであれば、本をお返しするなりの対応になると思いますが、僕はどれだけ多くの府民の皆さんに納得してもらえるか、そうした視点に置いていますし、職員の目の前の利害関係者だけじゃなくて、その奥の多くの府民の声を聞くことを府政運営の方針としておりますので、寄贈者の方々の思いと僕の思いが違うということであれば、皆さんの思うとおり、寄贈をお返しさせていただかねばならないのかなと思いますが、今の府政状況ではいかに多くの府民に見てもらうか、そっちに視点を置いているとご理解いただくしかない。僕の意見が住民の皆さんの意見が反映された形ででるかどうかという議論ですから、予算案は出します。

(田丸)話し合いをすると言うのであれば、いわば期限付きみたいなもんですわ。そういった中での話し合いというのは、フェアではないじゃないですか。

(知事)この議論するのはやっぱり議会なんです。住民の思いもある。今日はこうして意見を伺わせていただきましたけれども、府議会で議論したいと思います。他に違う意見をいっぱい持っている人がいます。中央図書館に移転してくれという人もいるわけです。議会制民主主義なんです。

(田丸)こういう協議の場を引き続き設けていただくことは異論のないところですね。

(知事)僕は出ませんよ。

(教育長)教育委員会として説明すべきところはしていきますので。

(知事)必要な時は出させてもらいますよ。

(財団・松居)こういう話し合いの場を本当に大切にしていただきたいです。
 最後に、今日の我々の意見をまとめたものを知事にお渡ししたいと思います。

(知事)はい。意思疎通は大事ですから。

(敬称略 文責:財団法人大阪国際児童文学館)

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「飛ぶ教室」掲示板
『おうじょうさまとなかまたち』(アローナ・フランクル:文と絵 もたいなつう:訳 すずき出版 2008.06 1400円)
 むかしむかし、王女さまと動物たちは仲良く暮らしていました。
 ある日、イモムシがやってきます。このイモムシ、いじめられると満腹になり、どんどん大きくなる。
 動物たちは、イモムシに挑発されて、ついつい脅したりしてしまいます。大きくなって大きくなっていくイモムシ。
 ポーランドでホロコーストを体験し、現在イスラエルに住んでいる作者ですから、ここに寓意を見てもいいのかもしれませんが、それ以前にまず、絵が醸し出す恐怖と、その沈静を実感してみてください。(ひこ)

『野遊びを楽しむ 里山百年図鑑』(松岡達英 小学館 2008.08 2200円)
 里山とその周辺、動物から植物まで、命の息遣いが聞こえてきそう。ていねいな、ていねいな図鑑です。
 「日本の食生活全集」(農文協)は全国の食生活をお年寄りから聞き取り、細かく記述していて大好きな本ですが、それの里山版といったところ。こちらは、生活のありとあらゆるものが描かれていますから、より濃い内容です。
 読んでいるとニコニコしてしまうのは、なぜでしょうね。
 今の子どもには、ファンタジー世界かもしれませんが、ぜひ味わって欲しいなあ。(ひこ)

『ちょっとまって、きつねさん!』(カトリーン・シェラー:作 関口裕昭:訳 光村教育図書 2008.07 1400円)
 これは、まず、カトリーン・シェラーの絵をじっくりごらんください。きつねとうさぎの表情のなんと豊かなこと。
 こういう絵を眺めたら、ブスっとした顔や、他人を無視することが、どんなにつまらないことかが、良く理解できます。
 もちろん、物語のおもしろさも一級品。
 きつねと出会ってしまった子うさぎ。さて、どうやってそこから逃げ出すかの知恵比べです。
 でも、きつねもいいやつだよなあ。(ひこ)

『めでたし めでたしから はじまる絵本』(ディヴィッド・ラロシェル:文 リチャード・エギエルスキー:絵 椎名かおる:訳 あすなろ書房 2008.05 1600円)
 昔話は、だいたいハッピーエンドなわけですが、この絵本はそこから物語をさかのぼっていく趣向です。
 なんでお姫様はその騎士と結ばれたのか?
 戻っていくことで、「何で?」、「何で?」と興味がどんどん増してきて、さて、物語の始まりは何だったのかに向かって一直線です。
 この絵本のおしまいは何なのか?
 そこで見事に笑わせてくれます。
 昔話のパロディと、物語ができあがるまでをたどり直していくスリリングな展開を楽しめます。(ひこ)

『うえには なあに したには なあに』(ローラM・シェーファー:さく バーバラ・バッシュ:え 木坂涼:やく 福音館書店 2008.05 1400円)
 地中のもぐらから始まって、視点はどんどん上へと移動していきます。この間、絵本は縦にして、上へ上へとめくるのです。
 そして、月まで届いたら、今度は絵本をひっくり返して、どんどん下へ。海の底の、そのまた底までたどり着いて、おしまい。
 上昇が、心を解き放つ快感を与え、それから下降することで、地球全体を改めて実感することができるようになっています。
 そんなに奇抜ではありませんが、絵本の機能を巧く伝えているでしょう。(ひこ)

『カッチョマンが やってきた!』(ミニ・グレイ:作・絵 吉上恭太:訳 徳間書店 2008.06 1500円)
 クリスマスのプレゼントにカッチョマンの人形が欲しいとサンタさんにお願いしたぼく。
 カッチョマンを手に入れたぼくは、彼の活躍する姿を、いっぱい想像して遊びに遊ぶのだ。
 スニーカーの宇宙船に乗ったカッチョマンは、まくら星人をやっつけるのだ。
 シンクの汚れたお皿の中から、ザルを助けるのだ。
 子どものごっこ遊びの風景が、本当に生き生きと描かれていますから、読む子どももノリまくるでしょう。(ひこ)

『トム・ソーヤーからの贈りもの1 こんなふうに遊んでた!』(山本清洋:著 いたや さとし:絵 玉川大学出版部 2008.05 1800円)
 『トム・ソーヤーの冒険』に描かれた子どもの遊びをとっかかりに、今は失われつつある、もしくは失われてしまった様々な遊びを絵も使って、詳しく解説しています。
 それらを眺めていると、遊びはコミュニケーション力を育むものだということがよくわかります。
 環境の違いから、もはや復活は難しい遊びも多いのでしょう。再生するにしても、それをできるのは地域か学校しかないわけですが、大人がまず遊びの心を持たないといけません。その余裕を先生に与えてあげてください。(ひこ)

『世界中の子どもたち いろいろな幸せのかたち』(ベアトリクス・シュニッペンケッター:著 序文 池上彰 清水紀子:訳 主婦と生活社 2008.04 1400円)
 アフガニスタンからロシアまで、八十五カ国の文化と、子どもへのアンケートが、各国二ページずつ載っています。
 日本版はアイウエオ順ですから、アフガンの次がアメリカとなり、アフガニスタン戦争を思い出します。
 イギリスの子どもは「いやなことは?」という質問に「パパが駐車違反で罰金をとられて、きげんが悪くなったこと」と回答し、アルメニアの子どもは「杖がないと歩けなくなったこと」。
 それぞれの子どもの事情から、それぞれの国へと思いをはせることができます。(ひこ)

『四人の兵士』(ユベール・マンガレリ:著 田久保麻里:訳 白水社 2008.08 1800円)
 敗走するロシア赤軍兵士たち。偶然同行することになった四人の若い兵士は、いつしか仲間となり、親友となり、家族となっていきます。
 駐屯地で彼らは、戦場とは思えない静かな沼地を見つけ、他の兵士には秘密にして、そこでひとときの安らぎを得ます。
 戦争で抱えてしまったトラウマ。故郷への思慕。若者同士らしい騒ぎ方。
 はでな展開は一切ないです。でも、彼らの呼吸が分かってくれば、最後まで読まずにはいられない愛しさがわき上がると思いますよ。これぞYAです。(ひこ)

『バレリーナ・ドリームズ 1 ポピーの秘密の願い 』(アン・ブライアント:作  神戸 万知:訳 新書館 2008.08 924円)
 山岸凉子の『舞姫』も含めて、バレエ物語がプチブームですが、これは、バレエ教室に通う、本当に普通の子どもたちを描いたエンターテインメントです。
 ポーラは10歳の女の子。親友のジャスミンと一緒に大好きなバレエを習っています。でも、自信がなくていつも引っ込み思案。でも、なんだか才能を秘めているみたいです。一方のジャスミンは成績優秀。ここに、バレエを全く知らないし興味もないローズが入って来ます。
 この組み合わせはもう、エンターテイメントの王道ですね。楽しみ楽しみ。(ひこ)

『ミラクル・ボーイ』(ウルフ・スタルク:文 マルクス・マヤルオマ:絵 菱木晃子:訳 ほるぷ出版 2008.06 1300円)
 スタルクの自伝的ユーモア小説。6歳のウルフが大活躍! というか、大活躍していると思っているウルフです。
 おにいちゃんが自転車レースを見に行くという。連れて行ってもらいたいウルフですが、ダメ。一人残ったウルフはごっこ遊びで、自分はミラクル・ボーイだと信じ込み、お下がりの自転車に乗って、なんと自転車レース見学どころか参加してしまい(しているつもりとなり)、でもやっぱり、迷子になって・・・。
 とっても幸せなラストが、スタルクの真骨頂!(ひこ)

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境界域とど真ん中
ひこ・田中

 『小さな空』(JIVE) のあとがきで、著者の風野潮は、「もう書くのをやめてしまおうかな……」と思っていた頃、「児童文学らしい作品『ビートキッズ』を書き上げて」講談社の新人賞に応募し、これでダメなら創作をやめようと思いながらも、「まだ何か書き足りないような気もして」書き始めたのが本作で、そうこうするうちに新人賞各賞を受賞して忙しくなり、この作品を忘れていて、その理由の一つは、これが「元々、児童書なのかどうかもわからなかった」ことにあると書いています。
 今回の単行本化に当たって、「加筆・訂正して」はいるのですが、風野が『ビートキッズ』を「児童文学らしい作品」と考えており、それがどう評価されるのかわからないまま、つまり、依頼されたわけでもなくもう一作書いたのが、「児童書なのかどうかもわからな」いと思っていた本作品というわけです。
 とすれば、『小さな空』は、児童書と、そうではないものの境界域にある可能性が高いでしょう。
 物語には、岩本太一(小学校四年生)と、彼の同級生で、家もお隣である十和田風希子の両家族を中心とした「普通の日常生活」が描かれます。太一は四年生から始まるクラブ活動で、マンガクラブを希望するのですが、定員に限りがあり、最後の席を風希子に奪われ悔しがります。その代わりと言っては何ですが、風希子の父親、正見にドラムを習うことに。風希子の母親はすでに亡くなっていて、義父の正見と暮らしているのです。正見は風希子の兄と言ってもいい位の若さの青年で、未だにドラマーになる夢をあきらめてはいません。と同時に、先に逝かれた連れ合いの遺児である風希子を育て上げることも、生きる目的の一つとなっています。
 物語は、子どもたちをきっかけに親しくなった二つの家族の一年を追っていくのですが、「児童文学らしい作品」に見られがちな、子どもを中心とした展開をするわけではなく、正見に楽器を習いながら、同じ保護者の母親たちと、バンドを作ろうとしている太一の母親光江のことや、自分の夢と、子育ての両立に悩む正見の姿に焦点を当てていきます。
 若い男性である正見へ、ほのかなトキメキを抱く光江や、それに気づいている夫の潤三の姿や、気づかれていることを気づいている光江の心情やがそのまま語られ、「ちょっとした憂鬱」や「ずっと気丈に」や「力強い庇護」等々の言葉がナレーション(読者への語り)で使用されることから、太一や風希子と同年齢の子どもを念頭に置いているとは考えにくいでしょう。
 ですから、この作品は児童文学ではないと断言してもいいのですが、それでもなお、子どもの周辺で揺れている、子どもがなかなか気づかない大人の様々な感情がもし、太一たちと同年齢の子どもにも伝わるように描かれたのなら、それは優れて今日的な児童文学となるのも確かです。
 そのことは、たとえば、「憂鬱」や「気丈」や「庇護」が、別のどのような言葉遣いで、いかに表現されるかにかかっているでしょう。

 一方、『ピンポンはねる』(工藤純子:作 ポプラ社)は、そうした境界域ではなく、児童文学世界のど真ん中にあります。
 五年生の若菜は、アイちゃんとミポリンが友達。割と意見をはっきり言う二人に対して、若菜はどっちつかずな性格。そんな自分に気づいている若菜は、グループでの自分の立ち位置を二人の緩衝地帯に定めます。
 アイちゃんとミポリンは卓球が巧く、若菜も誘われて卓球を始めることに。児童館の卓球大会に出ようと決めたとき、ダブルスですから、当然のように若菜は外れ、クラスでも浮いているシーラと組まされます。シーラは思いの外卓球が巧く、なぜか若菜を気に入っています。
 練習をする内に卓球の魅力にはまっていく若菜。やがて、どうやらアイちゃんとシーラの間には以前何かがあって中が悪いこともわかりだし、若菜とシーラvsアイちゃんとミポリンといった様相を呈し、本来アイちゃんたちと友達で、シーラなんか関係ないと思っていた若菜は困り……。
 といった物語がテンポ良く綴られていきます。
 卓球場の店主であるおばあさん、シーラの幼なじみの男の子、勉強と卓球の間で揺れるミポリンと、物語を活性化する要素も満載です。
 惜しむらくは、『DIVE』(森絵都)や『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子)のように、スポーツそのものの魅力を伝えきっていないことですが、それは、主人公の年齢とも関係があるのかもしれません。
 工藤純子は前作の『GO!GO!チアーズ』では、今はやり始めているチアリーディング(おもしろいので、機会があったらぜひ会場で見てください。ものすごいスポーツです)を素材にして、これもテンポの良い物語に仕上げています。こちらもどうぞ。
 でも、スポーツ抜きのも読みたいです。と、リクエスト。(飛ぶ教室 ひこ)