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児童文学書評2008.8(ほそえ)

*かえる、かえる
『かえるのピータン』どいかや作 (2008.4 ブロンズ新社)
『ケロリがケロリ』いとうひろし作 (2008,5 ポプラ社)
 かえるの出てくる絵本が書店に並ぶと春から初夏へと季節の移り変わりを感じる。子どもにも人気の高い、愛嬌のある生き物だから絵本の世界でもたくさん活躍しているのだけれど、今年もまた新しいかえる絵本が刊行された。
『かえるのピータン』は色鉛筆と淡くにじんた水彩の組合わせが美しい絵本。森の奥にある小さな池にやってきた渡り鳥が、池に暮らすかえるのピータンに、今まで旅した世界中の話をしてくれました。それを楽しそうに聞いあと、ピータンは小さな池で繰り広げられる、蓮の花の品評会や夏のお月見、秋の見事な紅葉など自分の暮らしぶりを生き生きと伝えます。自分の身近な世界をいかに大切に、いとおしみ暮らしていくかというのは、この作家の一番根本に持つライフスタイル。それを小さな生き物の姿に託し、寓話的にみせてくれる本作は、心忙しなく暮らす人たちにしみじみと伝わることでしょう。
『ケロリがケロリ』は自分って何だ?ということをどうしても考えてしまう作家が作った絵本。うじゃうじゃいるオタマジャクシのなかでも一番大きくてみごとなしっぽをもっているのがケロリ。誰よりも早く矢のように進み、ザリガニやカメだってしっぽでこなごなにしてしまうほど強いのです。でも、手や足が出てきて、自慢のしっぽがだんだん小さくなってしまう頃から、読者の小さな子たちはドキドキしはじめます。しっぽがなくなってカエルになるのはみんな知っているけれど、ケロリのアイデンティティの大本だったしっぽがなくなってしまったら、ケロリはケロリでなくなってしまうではありませんか。自分は池の王さまになるんだと思っていたケロリなのに、深い穴に潜り込み、泣いているのです。でも、そんな自分なんか、別にどうでもいいじゃん、と作者はいっているかのよう。みんなと一緒に蓮の葉の上で、ケロケロケロリと大きな声で楽しく合唱するラストの絵では、どれがケロリなのかわかりません。自分はこういうものと思い定めるのもいいけれど、自分なんてどんな風になるか自分だってわかんないんだ、かわって行く自分を認めて、多数に混じってしまうことにおびえなくてもいいのでは?とつぶやく作者の声を感じます。人との差異を小さな頃から意識させられることの多い現代の子どもたち。人と違うこと、ほかの人より少しでも秀でる部分を持たないといけないと思い込まされている切迫感をぽ〜んと笑い飛ばしてくれる絵本。

_その他の絵本
『やかましい!』シムズ・タバック絵 アン・マクガバン文 木坂涼訳(1967/2008.4 フレーベル館)
小さな古い家に住むおじいさん、ベッドがきしんだり、床がみしみしいったりするのがやかましいと村一番の物知り博士に相談します。すると、牛と一緒に暮らしなさいといわれ、家に牛を連れ込みます。よけいにやかましくなったじゃないかと、また相談しにいくと、次はロバを、その次は……と動物たちを家に入れるようにいうのです。全くやかましいったらありゃしない! さいごはとうとう……。イギリス民話にも家が窮屈で文句を言っていたおばあさんに、動物をつぎつぎと家にいれ一緒に暮らすようにといい、もう,きゅうくつでがまんが出来ない!となったとき、動物たちを外に放てばいいと答え、おばあさんを満足させたという話がある。それと同じパターンの展開だが、タバックの初期の画風の特徴である,ユーモラスなペン画がこのお話のおじいさんのキャラクターを愛らしいものにしている。動物たちの鳴き声がどんどん重なっていくのもおもしろく、読み聞かせにもいい。

『ホネホネたんけんたい』西澤真樹子監修・解説 大西成明写真 松田素子文 (2008.2 アリス館)
大阪市立自然史博物館で「なにわホネホネ団」を結成し、なんでも標本にしてしまう団長が愉快に骨の不思議を教えてくれる。へびやかめ、リスなど身近な動物の骨を見ると、知っているようで知らなかったことがはっきりと見える。へびのおなかはどこまでかとか、うさぎのしっぽにも骨があるとかコウモリの翼が手だったとか。写真で見ると骨ってきれいだなあと見ほれてしまう。究極の用の美。

『ミラクル・ボーイ』ウルフ・スタルク文 マルクス・マヤルオマ絵 菱木晃子訳 (2006/2008.6 ほるぷ出版)
スウェーデンの人気児童文学作家スタルクの新刊。作者の子どもの頃を投影したかのような男の子がひとりで自転車に乗って出かけていき、迷子になってしまった顛末を描いている。お兄ちゃんの持っていたマンガを見て、自分もスーパーマンみたいなすごいやつになれるはず、と思い込んだ男の子。お兄ちゃんのお古の自転車に乗ってずんずん進んでいくと……。知らない人には口をきいてはいけないし、電話番号だっていっちゃだめ。だから、親切なおじさんにいろいろ聞かれてもうなずくことしか出来ないの。そう言う細かい約束を律儀に守って困惑している子どもの姿を描くのはこの作家の得意技。何気ない子どもらしさをポンと見せてくれる。子どものしょうがなさ、わくわくと高揚して周りが見えなくなってしまう様子など、情けなくもおもしろい子ども時代の心根を見事に物語に組み込む、そのバランスがいい。おじさんが自転車に書かれた住所を見て、家に電話をしてくれたから、おとうさんが迎えてきてくれました。出てくる大人が大人として、子どもとしっかりと目線を合わせ対応してくれるところも素敵。

『いろいろじゃがいも』山岡ひかる(2008.4 くもん出版)
「たまご」「ごはん」と続いてきたシリーズ、今回はじゃがいも。子どもの好きなジャガイモ料理といえば、コロッケ、フライドポテト、じゃがバター……。焼いて、煮て、揚げて、といろんな手をかけられるところが、絵本向き。素材の手触り、風合いを感じさせる紙を選び、重ね、切り貼りした貼り絵の細やかさに注目。

『かにこちゃん』きしだえりこ作 ほりうちせいいち絵 (1967/2008.4 くもん出版)
小さな子のための小さな絵本。おはようおひさま、おはようみんな……とはじまり、小さなシオマネキのかにこちゃんが、小さい波、大きい波と戯れたり、大きな砂山を上ったりして、大きな夕日を眺めて、さよーならと穴に入る。シンプルでのびのびとした心持ちになる絵本。小さい子が見る海やお日様への憧れの大きさが、かにこちゃんの小ささによって、絵本の中で相対され、より愛らしく生き生きと見える。

『うえにはなあに したにはなあに』ローラ・M.シェーファー作 バーバラ・バッシュ絵 木坂涼訳(2002/2008.5 福音館書店)
横長の絵本をたてに開くと、ぐんと縦長のページが広がる。それをいっぱいに使って、どんどん上を見上げていき、空の月まで視点が届いたら、こんどは下へ視点を下げていく。地面の中から始まって、月まで届いた目は、海の底へと降りていき、地球にたどりつく、その構成が見事。ページをめくるごとに、様々な生き物が紹介され、多様性のなかにみなが生きているという感覚をしっかりと持つことが出来る。

『木の実のけんか』岩城範枝文 片山健絵 (2008.3 福音館書店)
狂言の「菓争」をもとにした絵本。みかんの仲間であるタチバナやブンタン、ダイダイ、ミカン、ユズ、キンカンなどが山を越えて、花見にやって来た。それが気に入らない、この山にすむクリの実が花見に顔を出し、うたを所望する。すると、手をかざし歌いながら踊るタチバナ族を馬鹿にして、桜にうたと言えば、和歌に決まっておると、とうとうと和歌を詠んで聞かせた。売り言葉に買い言葉、とうとうタチバナ一族と木の実一族が斧や棒を振り立てての戦いとなった……。満開の桜の中、いろんな木の実がちょこまかと戦う様子がなんともほほえましい。大風に吹き飛ばされてみなが逃げてしまうのも、おもしろい。他愛のないお話だけれど、長く演じられてきたのは、花見の席でのありがちなようす、木の実の精の姿の愛らしさや真ん中にどんと立つ桜の神性がめでたい感じがして人気があったのではないかしら。

『プリミティブアートってなあに?』マリー・セリエ文(構成)結城昌子監訳(2005/2008.3 西村書店)
見開きごとに彫像や面や人形など、いろんな場所にすむいろんな部族が昔から作ってあがめたり、守ったりしてきたものを紹介し、その部族の生活、文化的側面をみじかい、親しみ深い言葉で語りかけている。45の世界中から集められたものを一度に見渡せる画集は大人のものにしてもあまり見たことがない。プリミティブアートの親しみやすさ、愛らしさは子どもの作る美術作品に似ているところがある。自分の描きたい物に直接手を伸ばし、それのみを形にしようとするところ。その直裁さが力強く感じられたり、奇妙に感じられたりするのかもしれない。見ていると、わくわくする。

『おしゃれなのんのんさん』風木一人作 にしむらあつこ絵 (2008.5 岩崎書店)
たまには洋服を着ておしゃれしてみようと山から下りてきたいのししののんのんさん。お店の人に帽子から靴までぜーんぶ選んでもらってご機嫌で歩いていたら、かぜがぼうしを飛ばしてしまって……。あわてて、洋服も靴も脱いで、4本足で走りはじめたのんのんさん。やっとのことで追いついて、ぼうしをかぶり、脱ぎ捨てていった靴やズボンやシャツを拾い上げた順々に着てみたのだけれど、みんな変な顔をしてみています。だって、ズボンを前足、シャツを後ろ足で着ているんだもの。何ともかわいらしいお話でラストのおちも楽しくて、のんのんさんの性格そのままにのんきであっけらかんとしています。

『ぱかぽこ はしろ!』ニコラ・スミー作 せなあいこ訳 (評論社)
馬さんの背中に乗った猫ちゃんやいぬくん、ぶたくん、あひるちゃん。次々に乗っていく動物が増えるのも楽しいし、もっともっと速く走って!とおねがいして、ひゅーんと体が浮いちゃうくらいなのも楽しい。急にとまって、空をピューンと飛んで、干し草の山に埋まっちゃうのももっと楽しい。こんなことできたらいいな、がつまった、シンプルな絵本。小さな子はなんどでもよんでほしくなることでしょう。

『みつばちみつひめ てんやわんやおてつだいの巻』秋山あゆ子作 (2008.5 ブロンズ新社)
なに不自由なくくらしているミツバチのみつひめさま。退屈でしょうがありません。なので、「わらわもみなといっしょにはたらくのじゃ」と蜜集めやだんご作り、お城のお掃除を手伝おうとしたら、大事な密つぼを壊してしまいました! お城を飛び出してしまったお姫さまは、そとでマルハナバチのだんご屋さんや、ハキリバチの袋屋さん、トックリバチのつぼ屋におせわになります。人気シリーズ『くものすおやぶんとりものちょう』のタッチで、こんどはミツバチのおてんば姫さまがまわりを巻き込んでてんやわんやになってしまうさまに、ハチの習性を織り込んで楽しい絵本にしました。これからもシリーズで続くとうれしいな。

『まんげつダンス!』パット・ハッチンス作、絵 なかがわちひろ訳 (2007/2008.4 福音館書店)
とっても明るい満月の晩、納屋の中の馬とぶたとひつじは、こんな夜は踊り明かしたいわ、と相談しました。子どもたちが寝ているから、とわらを敷いて、うまがぱんぱかぱんぱんと踊ります。そしたら、火花が散って、わらが燃えだし、まあ、大変。水をかけて、火を消すと、ふらふらして、休みにいってしまいました。おつぎはひつじ、おつぎはぶた、と踊っては、困ったことになって、すぐ疲れて寝てしまいました。おつぎは、寝ていたはずの子どもたちがそっと外へ出て行って満月ダンスを踊ります。いつだって早く眠りなさいと言われて不服そうな小さな子は、この絵本をよめば、さぞ溜飲が下がることでしょう。

『しずかに! ここはどうぶつのとしょかんです』ドン・フリーマン作 なかがわちひろ訳 (1969/2008.4 BL出版)
最近アメリカでも復刊が続いているドン・フリーマンの絵本。かき分け版のタッチも懐かしい、1969年の作です。毎週土曜日の朝、図書館に通うカリーナちゃん。今朝は「どんなどうぶつ?」という本を大きなテーブルで読むうちに動物も本を読みたいかもしれないな、と想像を始め、自分が図書館の人だったら、動物が入れる特別な日を作ろうと決めるのです。想像の世界で、カナリアやライオン、クマ、カメ、やまあらし、さるの家族など続々とやってきます。そして……。想像の世界に入り込んで、思わず「しずかにしてください」と声を出してしまったカリーナちゃん。小さな子にはこういうことありますね。そして、借りる本を選んで、かえっていくカリーナちゃんの後ろ姿の楽しそうなこと。図書館が小さな子の心を広げる場になっていること、本を自分で選んで借りていくという楽しみを小さな時から知っているということ。それがきちんと絵本になって伝えられているというのがいいなあ。

『にんじゃつばめ丸』市川真由美文 山本孝絵 (2008.2 ブロンズ新社)
つばめ丸の家は忍者の一味。普段は周りの人たちとかわらないように暮らしているけれど、日が沈んだら、しゅりけんまとあてやきつねばしり、かくれんぼう、地降傘の術など、修行にはげんでいる! それは秘密の忍者大運動会があるからかも。つばめ丸も障害物競争に出るのだ。そこで苦手の地降の術を見せなくてはならなくなって……。忍者のキャラはこどもたち、なんでこんなに好きなのかなあ? 本作では、忍者好きの子ども心をわしづかみにする術や修行をお話に取り込んで、そこに苦手意識の克服、友だちの認め合いなど、少年マンガの王道のような思いをつめこんでいる。濃く、描き込んだイラストのテイストも熱い文章のテンポにあって、しっかりと世界を作り上げている。これは子どもに受けるでしょう。

『ヤクーバとライオン 1勇気』ティエリー・デデュー作 柳田邦男訳 (1994/2008.3講談社)
アフリカの奥地にある小さな村に住む少年ヤクーバ。祭りの日に、勇気を示し、戦士となるためには、一人でライオンと戦ってしとめてこなくてはならなかった。成人の儀式と言うものだろうか。ヤクーバは傷ついたライオンに出会い、しとめようとしたが、そこでライオンの目が語りかけてきた。「わたしをしとめるのはたやすいことだろう。殺して、戦士になるか、殺さないで本当に気高い心の人間になるか、どちらの道を選ぶかお前が決めるがいい」と。ヤクーバはライオンをしとめず、戦士になれなかった。村の中でも大人の男がしない、牛の世話をする仕事が与えられ、村での地位も低いのだろうと想像される。でも、いやだからこそ、ヤクーバの村の牛たちは二度とライオンに教われることはなかったという結末。これは、はじめに殺さない、というテーマが先にあり、どういう状況の時に、殺さないという行動で人の葛藤が描けるか、という思考から、アフリカの奥の小さな村という、このお話の舞台が選ばれたのではないか。もし、実際のアフリカの村の実際を取材してえがいたら、こういう展開にはならなかったのではないかしら。最初にテーマありきの作劇は悪くはない。緊迫した世界の描き方もうまい。すみ一色で描かれる絵は迫力がある。でも、どうしてアフリカを舞台にして展開しなくてはならなかったのか、ひっかかった。

『天使のえんぴつ』クェンティン・ブレイク作 柳瀬尚紀訳 (2004/2008.4 評論社)
誰でも絵を描くのが楽しくなる、そういう活動をブレイクは応援しているのだそうです。絵を描くわくわくした気もちを思い出させてくれるこの絵本は、一本の中にいろんな色が混じったマルチカラー色鉛筆を使って描いています。チョコクッキーやサイダーの好きなふつうの女の子みたいなふたりの天使が路上画家に渡したえんぴつ。それは空中に絵を描くと、自然に絵が動いていくという不思議を見せてくれました。自分の描いた絵が自由に動いて上空を飛んでいくのはブレイクの夢でもあるのでしょう。とてもたのしそうにマルチカラー色鉛筆をさらさら動かしています。

『にげろ! にげろ? インドのむかしばなし』ジャン・ソーンヒル再話・絵 青山南訳 (光村教育図書)
心配性の若いウサギが、もしせかいがこわれたらどうなるんだろう、とびくびくしていた時、うしろにマンゴーが落っこちました。あら、世界がこわれはじめた!と逃げ出しました。ほかのノウサギもそれに続き、イノシシ、シカ、トラ、サイもみんな、世界がこわれはじめた!と逃げ出した。ライオンが向こうからやってきて、世界がこわれるのを見たのは誰かね、とたずねると……。空がおちてきた!と大騒ぎしたメンドリがいたのはアメリカ民話でしたっけ。インドのお話をカナダの画家がタペストリーのようなタッチの絵で描いた絵本。ロングにひいた視点で描かれた動物たちの引き上げるシーンの美しいこと。林、森、沼地、低い木の生えているところ、ヤシの木とマンゴーの森を一望にして、動物たちがかけ戻っていくさまが見事に描かれています。


『あかいチョウチョ』市川里美 (2006/2008.3 小学館)
東南アジアの小さな村にすむブン。ひとりで遊んでいる時に飛んできた赤いチョウチョを追いかけて、外にかけていきます。バナナの木にとまったり、プルメリアの花にとまったりするチョウチョを虫アミでとろうとするのですが……。つかれはて、チョウチョも捕れずに、家に戻った後、おふとんでねころがっているとやってきた赤いチョウチョ。そのときの喜びをしっかりと受け止めるブン。エッツの『わたしとあそんで』と似た展開ですが、村の植生やおばあちゃんとの暮らしぶりをさりげなく描くことで独自のものになっています。柔らかな植物の美しさが素敵。

『きがきじゃない』アントワネット・ポーティス作 中川ひろたか訳(2008/2008.5光村教育図書)
『はこははこ?』で子どもの想像力を描き出した作家が、こんどは棒を使って、何にでもなれる、何でも作れる子ども力をみせてくれます。タイトルはちょっと考えすぎかな? 釣り竿になったり、筆になったり、剣になったり……。そうそう、こんな風に棒を振り回して、子どもはいつも遊んでいました。見えない絵を描いて、見えない馬に乗って、見えないドラゴンと戦っていたんだね。コブタくんに問いかけることばとそれに対して答える言葉で進んでいきます。原本では、書体を変えて、わかりやすくしているのですけれど。

『おねえさんとうもうと』ル=ホェン・ファムさく ひろはたえりこ訳 (2005/2008.5 小峰書店)
姉妹を描いた絵本にゾロトウの『ねえさんといもうと』があります。妹思いの心やさしくしっかり者のおねえさんが印象深い絵本ですが、本作のお姉さんはもっとやんちゃな感じ。もちろん、何でも出来て、いつでも正しくて、妹のお世話が上手なのですが、わたしだって、妹でいるのが上手いのよ、とにっこり。互いの立場をわかって、役割分担をしているかのように上手くやってるんですからね、というちゃっかりした妹ぶりが楽しいです。姉妹の関係の深さというものはゾロトウのがほうがきちんと見ているように思います。

『みずきのびじゅつかん』田中瑞木絵 阿部愛子文 (2008.4 汐文社)
出産時のトラブルで生後1年で障がいがではじめた瑞木さんの絵はエイブル・アートとして有名です。その絵を集めた美術館が開館し、多くの人にみられるようになったのが2007年のこと。一つひとつの絵が描かれたときの様子を隣に置くことで、絵が思い起こさせる感情の秘密が少しわかるような気がします。障がいを持って生まれた子と生きていくということ、その子との暮らし、関わっている様々な人たちのこと……。添えられた文章から、様々な思いがひろがり、絵に目を戻すことで、やはり、この絵のもつ力強さに心うたれます。

『ぼく、およげないの』アンバー・スチュアート文 レイン・マーロウ絵 ささやまゆうこ訳 (2008/2008.5 徳間書店)
『ミミちゃんのねんねタオル』で赤ちゃんでいられなくなる子の背中をちょっと押してくれる絵本を書いたコンビが、また、子ども心に寄り添った作品を描きました。およぐのがこわいかわうそのロロくん。かわうそといえば泳ぎの得意な動物で有名なのに、どうしても泳げないロロくん。ほかのことは大抵できるのにね。やさしいおねえちゃんがちょっとずつやってみたら?と誘います。ちょっとずつ、ちょっとずつ……。おねえちゃんがやさしく助けてくれましたし、体が浮いて、足をばたばたさせ、川の向こう岸まで何とか泳げるようになると、あとはもう大丈夫。1週間で泳げるようになったのです。ちょっとずつできることを増やしていけば、難しいこともいつかは出来るようになるのよ、というおねえちゃんのことばに、きっと読んでもらった子もうなずくことでしょう。

『ねえ、ほんとうにたすけてくれる?』平田昌広文 平田景絵 (2008.5 アリス館)
父ちゃんとつりに出かけた男の子。岩場で釣り糸を垂らしながらのおしゃべりから、「もしも、ぼくがさめにたべられそうになったら……」「もし、ぼくがかいぞくにつかまったら……」「おばけがきたら……」「地震や津波がきたら……」と男の子が大変な非日常的な場面を想像すればするほど、とうちゃんが茶々を入れながらも、助けるとも!と答えるやりとりの、日常的な光景が脱力系でおもしろい。「父ちゃんがあぶないときは、ぼくが助けるからね」というオチもベタですけれど、お話には合っている。

『ケーキをさがせ』テー・チョンキン作・絵 (2004/2008.4 徳間書店)
『きつねのフォスとうさぎのハース』(岩波書店)で楽しい本作りを見せてくれた画家が作った文字なし絵本。森の中の一軒家、犬さんの家にあったケーキをねずみさんたちが泥棒したところから始まります。いぬさんたちがネズミとケーキを追いかける様子を丹念に描きながら、散歩に出かけるぶたさん家族の顛末や、何かを無くして泣いているうさぎの子など、描かれる動物たちみんなに物語があり、それをページをめくりながら、読み解いていくのがこの絵本の楽しみ方。さすが漫画家としても活躍していた人らしい細やかさで組み立てられたキャラクターたちのおはなしです。子どもと一緒にお話ししながら読むと楽しい。

『うんてんしてるの、だあれ?』ミッシェル・ゲ作・絵 末松氷海子訳 (1986/2007,5 徳間書店)
パパとドライブの帰り、道が混んでいるので、お家まで帰れないとママに電話して、駐車場で一晩過ごすことになりました。早々にパパが寝てしまったあと、動物の子どもが車に乗ってきて、ぼくの車はトラックに引っ張られてどんどん走っていきます。車を運転してみたいなあという小さな子どもの憧れを上手く楽しいお話に落とし込みました。サーカスの公演に車ごと突っ込んでしまっても、だいじょうぶ! あら、まあ、こんなことになるなんて……というびっくりの展開が今読んでも楽しい。

『青い大きな家』ケイト・バンクスさく G・ハレンスレーベンえ いまえよしとも訳 (2005/2008.6 BL出版)
夏の間みんなですごす、青い大きな家。木々が茂り、目の前には小川。夜になれば、庭には蛍がいっぱい。夏がおわり「さよなら、あおいおうちさん」と子どもたちが帰った後、静まり返った大きな家でおこること。秋から冬、春と季節は巡り、家の中のネズミや迷い込んできた猫、小鳥がこのお家の住人となります。小さな生き物たちが密やかに過ごすときを詩的な文章と暖かな筆のタッチで描いている。

『ワニばあちゃん』おくはらゆめ (2008.5 理論社)
『チュンタのあしあと』おくはらゆめ (2008.5 あかね書房)
新人絵本作家のデビュー作と第2作が続けて刊行されました。のびのびとした筆のタッチがあたたかく、なんとも奇妙でユーモラスなお話が魅力の2作。
『ワニばあちゃん』ではワニのおばあちゃんの鼻の穴にはありじいちゃんがすんでいるの。わにばあちゃんがカレーを作ったり、いろいろお仕事している間、ありじいちゃんは鼻の穴の中で鼻毛とあそんでいるのよ。カレーが出来たら一緒に食べて、おふろも一緒に入ります。お話しするときは輪にバアちゃんが手鏡を持って、鏡を見ながらおしゃべり……。うへえ、鼻毛と遊んでるの?とびっくりするけれど、ちっともきたなくなくて、気持ち良さそうな絵がいい。こんなことあるんかいな、と思っていたのが、こういうのもいいわねえと思えてくる説得力は、きちんとふたりの生活を想像して、しっかり描いているからでしょう。
『チュンタのあしあと』は雀のチュンタの目線で、ふしぎなおばあちゃんとのやり取りが描かれる。おばあちゃんがきれいに掃いた庭に、チュンタは足跡を付けるのが好き。おばあちゃんはチュンタのことを見てないようでじっと見ている。ある日、おばあちゃんの部屋に入ってびっくり。いろんな姿のチュンタの絵がたくさん描かれていたから。チュンタとおばあちゃんは花火が怖い。音が怖い。それを知ったチュンタは、庭に足跡で花火を描いて、おばあちゃんに見せたんだ。お話はなかなか練れていて、ラストのオチに至るまでが丁寧に描かれているのがいい。絵の山場になる見開きの花火のシーンがちょっと寂しいのが残念。思い描くイメージにイラストのほうが追いついていない感じ。それはたくさん描いていけば大丈夫。

『おたかじゃくしのチャム』竹中マユミ (2008.6 偕成社)
おおきくなったらこんなふうになりたいなあと池に住むほかの生き物たちを見ながら大きくなるチャム。後ろ足が出てくると、水かきのある足の水鳥がかっこいいと思ったり、4つの手足が出てくると、カメがかっこいいと思ったり、でも最後は同じおかあさんの姿を見つけて、これが一番となる。丁寧に描かれたイラストと、ページをめくるリズムとお話の展開を合わせて、きちんと作っているのがいい。連想がわりとオーソドックスで、小さな子にも納得できるなという反面、面白みに欠けるような気もした。程よい感じはイラストに似合っているとも言える。

『あらいぐまのアリス』竹下文子さく こみねゆらえ (2008.6 童心社)
ゆっくりのんびりしているあらいぐまのアリス。ピクニックに行こうとお友達が誘いにきても、なかなか準備ができなかったり、一緒に歩いていてものんびりしていて遅れてしまう。けれど、ゆっくりのんびりしているから、見つけられることもあるんだな。いつでも「はやく! はやくしなさーい!」と怒ってばかりなので、子どもに読みながら、そうなんだけどねえ、ゆっくりしてるのもその子らしくていいんだけどね、とちょっと反省。

『トーキナ・ト ふくろうのかみのいもうとのおはなし』津島佑子文 宇梶静江刺繍 杉浦康平構成 (2008.5 福音館書店)
アイヌのお話を刺繍でえがきだした絵本。フクロウの神の妹が人間と結婚して様々な出来事に遭う様子を語っている。今まで刊行されていたアイヌ刺繍の絵本と違うのはデザイン処理がされているところ。藍地の布に刺繍されたモチーフが、切り離され、拡大され、布地の色を変えられて、派手に構成される。巻末に実際の刺繍絵が掲載されているが、別にこのまま絵本にしても良かったのではないかしら……とも思った。

『きちょうめんななまけもの』ねじめ正一詩 村上康成絵 2008.5 教育画劇)
なまけものはのんびりやのゆっくりやに見えるけれど、人が見ていない夜は、運動不足にならないように運動して、栄養バランスの良い食事もして、日記もつけちゃって、全く几帳面なんだって。なまけものという語感と動物の習性をどんどん言葉で裏切っていく楽しさ。それを言葉だけで感じるのと、絵で具体的に見せていく絵本。スピーディーで暴力的ですらある言葉の力は、絵本にすることでセーブされてしまう。けれども、絵でいちいち見せていく律儀さが別のテンポとおかしさを出している。どちらをとるか、ねじめ正一の詩の絵本はいつもまよう。

『おばあのものがたり』つかさおさむ(2008.6 偕成社)
おばあの作るおいしいごちそうの秘密をみたさむらいは、おばあを殺してしまう。その墓から生えてきたのは、米、麦、粟,ヒエ,豆、とお蚕のマユだった。奄美大島の昔話から想を得たというこのお話は、古事記の五穀の起源につらなるお話だったとか。ニードルポイントで描いたかのような細い線と滲んだ線。最少の線で描かれた絵は、ユーモラスにおばあを造形しながら、緊張の糸が張られた心理劇のような雰囲気も伝える。きたないはきれい、きれいはきたないとお鍋をまぜていた3人の魔女のまじないを思い出しながら、古代の人の心象と命を支える場所への作者の思いを深く感じた。

『コンビニエンス・ドロンパ』富安陽子文 つちだのぶこ絵 (2008.6 童心社)
薄暗いお山の紅葉の木の下でキツネだんなが開いたお店はコンビニ。身近なコンビニだけど、このお店はおばけ専用だから売っているものも、お店の様子もちょっと違う。そのちがいっぷりを,楽しんで描かれた絵をまずじっくり見てみよう。おなじみのおにぎりやお弁当もあるけれど、お酒の名前、売られているお菓子の名前など、いちいち見ていくと画家の遊び心にまいってしまう。開店祝いで大にぎわいのコンビニに忍んできたのはこそ泥イタチ。それを撃退したのが雪女。こんなコンビニが合ったらおもしろいのに……と愉快に物語に入っていける絵本。

『みっぷ ちゃっぷ やっぷ うみにいく』筒井頼子文 はたこうしろう絵 (2008.6 童心社)
元気な3びきのコブタのお話シリーズ2作目。夏休み、海に出かけるぶたさん家族。林をぬけて、草原をすべり,川のそばの学校にとまります。川で魚を釣って、森で野菜や果物を集めた、素朴でおいしそうな夕食。夜空は星の海で、翌朝は本当の海に向けて、また家族は出発です。初めて見る本当の海に行きつくまでの家族の時間はとってもキラキラしていて素敵。それを表情豊かな子どもたちと、空気の色まで違って見える風景の様々を描き出した絵で見る幸せ。

『3びきのこいぬ』マーガレット・G・オットー作 バーバラ・クーニー絵 あんどうのりこ訳(1952,1963/2008.6 長崎出版)
クーニーの初期のイラストレーション(スクラッチタッチ)が楽しめる絵本。3びきのダックスフントの子犬が小さな男の子と女の子と仲良くなったと思ったら、森に出かけて、迷子になってしまい困っていると、子どもたちの声を聞いて、自分のうちの方角がわかって助かった……という他愛ないストーリー。クーニーにしては人物の描き方がおおざっぱだけれど、古風で愛らしい絵本。原本の初版年は奥付に入れておいてほしい。

『むらさきふうせん』クリス・ラシュカ作 たにかわしゅんたろう訳 (2007/2008.6 BL出版)
子どもたちのための国際ホスピスと作家が共同に作った絵本。自分の死が近いことを意識するようになった子どもは,いまの気もちを絵に描く機会を与えられると、青や紫の風船が手から離れてフワフワと漂っていく絵を描くことが多いのだという。それがこの絵本のモチーフになっているのはいうまでもないだろう。色とりどりの風船が、人それぞれに見立てられ、死ぬという時のことをシンプルな言葉に置き換えてみせてくれる。

『世界一ばかなわたしのネコ』ジル・バシュレ文・絵 いせひでこ訳 (2004/2008.5 平凡社)
わたしのネコはとっても太っていて、とってもかわいいけど、とんでもないおばかさんです……といって見せられるのは、どう見てもゾウ。ゾウの姿でネコのように家で過ごすさまを絵で見せる。言葉とイメージを裏切るイラストのおもしろさを読み取る絵本。この屈折したおかしさはフランスならでは、といってもいいように思います。

『いっしょにいたいないつまでも 2ひきのいぬのおはなし』ジリアン・シールズ作 エリザベス・ハーパー絵 おびかゆうこ訳 (2008/2008.6 徳間書店)
立派なお家に住んでいる犬のエミーは公園のおさんぽの最中にひもがとれて、迷子になってしまいます。助けれくれたのはおんぼろアパートにすむのら犬のサム。2匹は恋仲になって……ディズニー映画の『わんわん物語』のストーリーがもっとあっさりした感じ。やわからなハーバーのイラストのあたたかさが楽しい。

『カッチョマンがやってきた』ミニ・グレイ作絵 吉上恭太訳 (2005/2008.6 徳間書店)
クリスマスプレゼントになってやってきたカッチョマン。マクラ聖人からおもちゃたちを救い出し、タワシ犬タワッシーと一緒にいろんな困難を乗り切って、みんなを助けるのだ。男の子が日常の中でどんな空想の中で暮らしているのか、この絵本を見るとよくわかる。カッチョマンにふりかかる不幸とそれをバネに勇者のメダルをもらうまで……。わかるわかる、こんな目に会ってもカッチョマンはヒーローなんだものね。お人形遊びのダイナミックさを丸ごと絵本にしようとしているところが素敵。

『ハサミムシのおやこ』皆越ようせい写真・文 (2008.5 ポプラ社)
地面を掘り返しているとよく姿を見るハサミムシ。でも、その生態などはよく知りませんでした。ハサミムシのおかあさんは卵の世話をし、空気に当ててカビや細菌に取り付かれないようにしています。卵から幼虫が生まれても、敵に襲われないように守り、しっかりと色が濃くなった子どもに自分の体を与えて死んでいく。栄養をえた子どもたちは外の世界へと出発する。壮絶な感じもするが、本ではあえて淡々と描いている。

『あおバスくん』ジェームス・クリュス作 リーズル・シュテイッヒ絵 はたさわゆうこ訳 (1965,2007/2008.6 フレーベル館)
『ゆうびんひこうき ごうこうのとり』 (1959,2006/2008.6 フレーベル館)
『たびにでたろめんでんしゃ』(1964,2007/2008.7 フレーベル館)
『きかんしゃヘンリエッテ』(1963.2007/2008.7 フレーベル館)
『あおバスくん』はいたずらものの黒いプードル犬オトカーがどうにも動かないので前に進めない。やっと飼い主が気がついて、オトカーを叱り、辛抱強く待ってくれたあおバスくんに、ディーゼルオイルをプレゼントしてくれました。
『ゆうびんひこうき ごうこうのとり』は昔は郵便飛行機としてよく働いていたのに、今は倉庫の中でロープにつながれてひとりぼっち。久しぶりに空を飛び、鳥たちにごあいさつ。上空を飛んでいると、子どもたちに声をかけられて、小さな村へ降り立ち、元気な姿を見せました。また仕事に復帰できて良かったね。
『たびにでたろめんでんしゃ』はいつもの線路を走るのが飽きてしまい、ちょっと違った方向へと走っていった。すると、犬やねこ、おんどり、ロバが乗ってきて、森の中の小さな家にたどりつく。もしや泥棒の家かしら?と、動物たちは「ブレーメンの音楽隊」気分。でも、そこでは遠足帰りの子どもたちが休んでいました……。路面電車は子どもたちを乗せて、また町にもどっていったよ。
『きかんしゃヘンリエッテ』は町の子どもを村に住むおじいちゃんおばあちゃんのお家に送り届ける。のんびり、うさぎやことりにあいさつし、お花畑では一休みして……。
国際アンデルセン賞を受賞したドイツを代表する児童文学作家ジェームス・クリュスはたくさんの絵本のテキストを書いている。韻を踏んでいる詩の形で書かれているので、いままでなかなか紹介されなかったようだ。この4作は何度かドイツでも復刊され、長く読み継がれてきた絵本だ。乗り物を主人公にしているのが子どもに人気なのだろうか。どれも、他愛ないストーリーだけれど、町から村や森へと子どもたちが遊びにいったり、忘れられていたものが役立つようになったりと、ほんのりいい気分になる。ノスタルジックなイラストがお話に合っていて良い雰囲気。

『だから?』ウィリアム・ビー作 たなかなおと訳(2005/2008.6 セーラー出版)
ビリーはおとうさんに何をしてもらってもよろこびません。背の高いキリンを見せてもらっても、きれいなチョウチョを見せてもらっても、素敵な汽車に乗せてもらっても「だから?」というばかり。世界で一番腹ぺこのトラを見せても「だから?」といってると、ぱくんと食べられてしまいました。「パパ、たすけて」とビリーがいっても、パパは「だから?」だって。このラストが現代なのかしら? センダックの『ピエールとライオン』なら、どんなときにも「ぼく、しらない」といっていた我が子がライオンに食べられたら、両親はあわててお医者に連れて行ったのに。そうして、助け出されたピエールは「わかりました」って言えるようになったのよね。同じ言葉をいつでもおもしろがって使う時期、『うんちっち』はそういう時期の子が主人公だったけれど、ピエールやビリーはそうじゃない。言葉の意味するところを知って、あえて使っている。自分が何かをいったり、反応したりしなくてはいけないのがいやで、スルーしているんだね。それはとっても現代の様子を良く示しているけれど、親までスルーしちゃっていいのかなあ。こういうラストに、読者をドキッとさせてにやりとしている作家の姿を見てしまい、ちょっとやり口が意地悪だなあと思うのだ。

『クラウディアのいのり』村尾靖子文 小林豊絵 (2008.7 ポプラ社)
ロシア・プログレスの村で、シベリアの収容所を出てからも日本に帰ることが許されなかった日本人男性と彼を支えたロシア人女性の40年を1冊の絵本にしました。テレビでも放映されたノンフィクションを絵本化したもの。日本に妻子を残しながら、クラウディアとロシアで生きてきた男性。日本では男性の帰りを待つ妻がいることを知った時、クラウディアは男性を日本へ帰します。その際に、渡した詩にそくして文章を加え、絵で伝えて、この本は作られている。絵の上にロシア文字で書かれているのがその詩だ。詩を補足するような形で淡々と語っていくテキスト。静かないのりに満ちた絵が印象的。人と人との結びつきの妙とこんなにも深く相手のことを思いやれる関係を静かに伝えている。絵本の形を盗っているけれど、この題材の背景などを含め、きちんと理解するには、高学年でも難しいように思った。

『リゼッテとかたつむりのうばぐるま』カタリーナ・ヴァルクス作 ふしみみさを訳(2007/2008.7
雨が小振りになったから、とリゼッテはおさんぽに出かけます。かたつむりのヨーヨーとであって、背中のお家がうらやましくなったリゼッテは、私のお家で遊びましょうと誘います。一緒に歩こうとしても、ヨーヨーの歩みはのろく……。お人形の乳母車にヨーヨーを乗せて歩いていると、てんとう虫やゾウがやって来て……とお話が広がりますが、結局リゼッテとヨーヨーのふたりが残り、お家でお人形遊びをしたのでした。途中どうなるのかしら?とドキドキしたけれど、わりとすんなまっすぐなお話でした。リゼッテやヨーヨーのキャラクターはキュート。

『リゼッテとみどりのくつしたかたいっぽう』カタリーナ・ヴァルクス作 ふしみみさを訳(2002/2008.7 クレヨンハウス)
散歩の途中で緑の靴下片一方を見つけたリゼッテ。でも靴下は二つあって役に立つもの。一つではどうにもなりません。洗って乾かしていると、「いいぼうしだね」とネズミくんがいいました。確かにかぶってみるといい感じ。そこへ意地悪なネコさんたちが「もう片方の靴下を見つけたよ」と見せびらかしたあと、池へポンと放り込みました。靴下は池のお魚くんのベッドに……。一つだけの靴下の使い道が楽しい。いろんなものを拾っては、自分に役立つように工夫している魚くんがおかしい。見立ての要素を上手くお話につないで、おもしろい読み応えのある絵本になりました。

『かたつむり』内田麟太郎文 かつらこ絵 (2008.6 ポプラ社)
かたつむりをみたことのない太郎冠者。薮にすみ、頭が黒くて、腰に貝をぶら下げ、時々角を出す……と聞いて、薮に寝ていた山伏をかたつむりと間違えて……。狂言を絵本化したシリーズの最新作。かたつむりは長命、幸運、慶びもののだから長生きのじい様に食べさせればさらに長生きになるというご主人と知っていてかたつむりじゃと太郎冠者をだます山伏。話し言葉が楽しく、声に出したほうがより楽しめる絵本。

『おうじょさまとなかまたち』アローナ・フランケル作 もたいなつう訳 (2007/2008.6 鈴木出版)
おうじょさまはゾウと馬と犬とネコとハリネズミと鳥とハチと一緒に仲良く暮らしておりました。そこへやって来たのが、小さなイモムシ。このイモムシは、いじわるをされる度に体が大きくなるのです。最初に出会ったハチをおどかしたイモムシは、チクッと刺され、ちょっと体が大きくなりました。次は鳥、ネコ、犬……動物たちに出会う度にイモムシはおどかし、その仕返しに意地悪されてゾウ以上に大きな怪物みたいなものになりました。その姿を見た王女さまは「もういいでしょ」といったのです……。柔らかなパステルのタッチで描かれたこの寓話は、美しい結末を用意しています。これをホロコーストの時代を生き延びてきた作家が描いたというところが心にしみいります。

『リックのおへや』どいかや (2008.6 のら書店)
カンガルーのリックははじめてママのポケットから外に出ました。出会ったくまくん、うさぎさん、とりさんのお部屋へ、一緒に遊びにいきます。はじめて見るベッド、まど、おしゃべりできるアパート……いいな、素敵だなと思ったリック。迎えにきてくれたママのポケットに入ると、そこがまさに、ぼくのベッドであり、まどであり、いつでもママとおしゃべりできる素敵なお部屋だったんだと発見できるお話。出てくる友だちのお部屋の素敵なところが、ラストにきちんとつながっていく丁寧さがいい。

『おでこぴたっ』『おはなつんつん』武内祐人作 (2008.6 くもん出版)
あかちゃんえほん。『おでこぴたっ』は動物たちが最初右左から出てきて、おでこをぴたっとあわせる。ご挨拶の一種ですね。ラストはお仕事から帰ってきたパパとあかちゃんがおかえりのおでこぴたっ。『おはなつんつん』はそのおかあさんバージョン。動物の赤ちゃんが「ママ」とよんで、「はあい」とこたえて、おはなつんつん。どちらも、ボディタッチをご挨拶にかえて、親しみやすい動物をたくさん出すことで認識絵本的な要素もプラスしている。赤ちゃん絵本としては、程よい情報量のイラストと親しみやすい展開。『くっついた』『ならんだ』路線で目新しさはないけれど、ロングになっていく予感がする。

『ぼくのいるところ〜かんがえるアルバート』ラニ・ヤマモト作 谷川俊太郎訳 (2008.6 講談社)
雨が降って、思いついた遊びはもうやり尽くしてしまったアルバート。雨を見ているうちに、ぼくのいるところは、町の中で、町は国の中で、国は家集の中で、地球は宇宙の中で……と考えを広げていく。じゃあ、宇宙は何の中に在るの? 世界一短い哲学の本、と帯にあるけれど、最後の疑問の答えを探しに、アルバートは宇宙船を作って、宇宙へと飛び出した! きっと頭の中でだけどね。考える、想像することのおもしろさ、突拍子もなさが、いたずら書きみたいなイラストと、シンプルは言葉でしっかりと伝わる。

『トム』トミー・デ・パオラ作 福本友美子訳 (1993/2008.6 光村教育図書)
トムはトミーのおじいちゃん。トミーはこの絵本を書いたパオラの子ども時代の自分でしょう。トムはおかしなお話をたくさんしてくれたり、肉を切る仕事を見せたり、手伝わせてくれたりします。そして、チキンの足の指が開いたり閉じたりする秘密を教えてくれました。それをつかって友だちや先生を驚かせて……。きっとパオラもこんないたずらをしたのかもしれません。子どもをきちんと見守り、一緒に楽しく過ごしてくれる術を持った大人。ノスタルジックに見えるけれど、そういう大人が、今もきちんといますようにと、この絵本を読んで思います。

『バロチェとくまのスノウト』イヴォンヌ・ヤハテンベルフ作 野坂悦子訳 (2004/2008.6 講談社)
『バロチェのなつやすみ』(2007/2008.7 講談社)
オランダの人気絵本作家ヤハテンベルフの絵本。バロチェという赤い帽子をかぶった女の子が主人公の2作。『くまのスノウト』はおばさんからくまのぬいぐるみのスノウトをもらったのだけれど、自分のベッドにはぬいぐるみでいっぱいで困ってしまったバロチェ。おじさんやおばさん、おばあちゃんのところへみんなを引っ越しさせて、スノウトと一緒にベッドに寝られるようになりました。
夏休み、家族で出かける車に乗っているバロチェ。なかなか目的地には着かず、途中で車を降りて、知らない言葉をしゃべる男の子と一緒に過ごすはめに。知らない国でのヴァカンス。そこで友だちが見つかるかなあと心配なバロチェですが、ラストはにっこり。
どちらもバロチェの視点でお話を展開しているので、すっと子どもの心に入ってくる感じ。鮮やかでしゃれた色使い、いきいきとしたバロチェの表情など愛らしい。

『ブラッキンダー』スズキコージ (2008.8 イーストプレス)
インクつぼの中から生まれた真っ黒なブラッキンとそれをみていた鉢植えサボテンのキンダーちゃん。ふたりいっしょに犬のフンザくんが作ったばかりの船に乗り込んで夜の旅へ。ふたりあわせてブラッキンダー、ブラッキンダーといいながら、湖のパーティーに出席したり、砂漠の上を走っていったり、大男に捕まりそうになったり……。ふたりの冒険は机の上の絵になって、フンザくんの知るところに。コラージュに色鮮やかなガッシュ、奇妙で愛らしいキャラクター。ダイナミックでわくわくする冒険。表紙、見返しまで存分に遊び尽くした造本にもびっくり。ゆかいゆかい!

『まよなかのもりで』ドロテ・ド・モンフレッド作 ふしみみさを訳 (2007/2008.6 ほるぷ出版)
真夜中の森をひとりぼっちで歩くファンタン。ガサがさっという大きな音にびっくりしてみて見ると、たき火にオオカミがあたっていた。木のうろに隠れて見ていると、もっと大きな声がして、トラがやってきた。またもっと大きな……。どんどん出てくる動物にどうしましょうと見ていると、うろの中に扉があって、降りてみるとうさぎの家。ここで、ふたり力を合わせて、オオカミたちを撃退するのだ。フランスカトゥーンの系譜を継ぐ、イラストレーションとしゃれたお話の展開。怖い物好きの子どものニーズに合った楽しい絵本。

『うみのいえのなつやすみ』青山友美 (2008.6 偕成社)
夏休みの最初の日、海の家のお手伝いにいくおかあさんと一緒に、なっちゃんもでかけます。海辺の一日は、磯遊び、貝拾い、海水浴……もちろん海の家でのおひるごはんと盛りだくさん。貝殻を拾い集めて入れておいた麦わら帽子を岩場に忘れてしまったなっちゃん。探しているうちに夕立に会って、泣いてしまいます。でも、だいじょうぶ。丁寧に描かれる女の子の夏の1日。画面の隅から隅までしっかりきっちり描かれる大きな海と遊びにきているいろんな人たち。ナッちゃんの心に寄り添って読むのもよし、海に遊びにきている人びとの姿を追いながら、夏のお楽しみを満喫するもよし。

『ドロレスとダンカン もっとりっぱなネコがきた!』バーバラ・サミュエルズ作 福本友美子訳 (2007/2008.6 さえら書房)
ダンカンはドロレスの飼っているネコの名前。ネコのことならドロレスに聞けば何でもわかるね、とみんなに思われていたのに、転校生のヒラリーはドロレスのネコよりももっとすごいネコを飼っていて、友だちもみんなヒラリーのところへいってしまいました。それ以降、ハロウィンでも、クラス発表でも。ヒラリーにいいところを奪われてしまい……。似ているのに、相手のことが気になっているのに、素直に仲良く出来ないふたり。でも、ペットの日にが起こり、ふたりは大の仲良しに。テンポよく語られるお話とカラフルで楽しいイラスト。しっかりドロレスの気持ちの揺れが描かれていて、うんうんわかるなあと共感する子も多いのでは?

『たこやきかぞく』にしもとやすこ (2008.5 講談社)
新人の登竜門である講談社絵本新人賞受賞作。同じ鉄板で焼かれる、たこやきかぞく。人間の家族の見ていない間に、こんな風に過ごしていたとは! こげすぎないように自分でくるっとまわっていたり、プクーとふくらましていたり、たこが入っていなくて小さかったたこやきあかちゃんに、太り過ぎのたこやき母さんが半分たこを投げてやったりしているのです。ぼくらがたべらちゃったらどうなるの?とたこやきぼうやは心配するのだけれど、いつでも子の鉄板で焼かれるたこやきはたこやき家族なんですって。たこやきの鉄板の上だけでお話が進んでいくというミニマムさにやられました。停電がおきてしまうのが、ちょっと波瀾万丈すぎるかなと思いましたが、いやいやいつも無事でいると思ったら大間違いということでしょうか。これは視点がしっかりしているからこその、おもしろさ。どんな視点で何を見せるか。それが絵本のおもしろさですものね。

『くらべっこのじかん』レスリー・エリ−作 ポリー・ダンバー絵 もとしたいづみ訳 (2008/2008.7 フレーベル館)
ずっと友だちだったのに、なぜだか最近さけられて、ソフィーにいじわるされているみたい……わたしは思います。先生はくらべっこの時間ですよといって、ふたり一緒にひまわりを育てさせた。芽が出てもなんだか幸せそうに見えない芽なの。だから、先生は声をかけてあげなさいって。ヒマワリの芽に声をかけているうちにふたりは吹き出して笑ったり、お話しできるように……。ひまわりを見守る天使をみなで作り、次の日、立派な花の咲いたヒマワリを見て、ふたりは心からの笑顔になる。天使が最初から私たちを守ってくれるという説明で出てくるのだけれど、キリスト教に親しんでいる国なら、もっと切実に読めそうなテキストだなと思う。日本だとファンタジックなイメージで、それはダンバーのイラストとも合っているから、いいのだけれど。

『こんな町、つまんない!』マーク・ローゼンタール作 (2007/2008.7 徳間書店)
何にも起こらない、こんな町つまんないや!と空き缶を蹴っ飛ばした男の子。木の上でお昼寝しているネコに空き缶があたって、下に落ち、犬においかけられ、道に飛び出し、自転車が倒れて、動物園のゾウが町に飛び出して……といろんな出来事が起こっているのに、男の子は下を向いていたり、横を向いていたりして、大騒ぎになっているさまを見ることがなく町を移動していく。読者は絵を読み、男の子にホラ、と教えたくなるのだけれど、ずんずん男の子は進んでいく……。z「ぞうのババール」や「おさるのジョージ」を思わせるフォルムや色使い。あたたかみのあるイラストにほっと心和ませながら、絵を読む楽しさを満喫できる。主人公が見ていないところでどんどん状況が変わっていくのを絵で見せるという構成の絵本は、アメリカの70年代はじめなどよく作られていた。目新しいアイデアではないけれど、レトロなアニメーションを見ているような雰囲気は悪くない。ラストもクスッと笑えるし。

◯読み物
『ソフィーとガッシー』マージョリー・W・シャーマット文 リリアン・ホーバン絵 三原泉訳 (1973/2008.3 BL出版)
『ソフィーとガッシー いつもいっしょに』(1976/2008.5 BL出版)
小さなお話が4話づつ入っている童話集。森にすむふたり組のリスの毎日からそっとすくいとったお話ばかり。外国の幼年童話には生活する者の真実が必ずお話の中に入っているような気がする。本書でもしっかり者のソフィーは気分屋であわてんぼうなガッシーに振り回されるが、そうすることで日常の中で視点が変わり、いつも同じようにしている出来事のなかに、新たな真実を発見するのだ。それはさりげなく書かれているので、ふたりの行動を追うだけで、小さな読者はおっかしなふたり、と笑うだけかもしれないが、一緒に読むわたしは、ほうっと深い息をつく。そうして、ほんとうにそうよね、とソフィーにつぶやくのだ。

『今森光彦ネイチャーフォとギャラリー 不思議な生命に出会う旅・世界の昆虫』今森光彦著 (2008.7 偕成社)
30年以上に渡って世界中で撮られた虫の写真の中から22点を選んで、どんな状況で撮ったのか、写真について、写されている虫について見開きで説明している。写真集『世界昆虫記』ではその数に圧倒されたけれど、本作ではとなりで写真を指さしながら、お話を聞いているような感じでリラックスして、写真を眺めることができる。じっくりと写真を見て、次ページの解説を読みながら、何度も写真を見返す。何十年も前のことなのに、つい昨日のような感じで生々しく語られるさまに、全身で視ている人のすごさを感じた。

『夢の彼方への旅』エヴァ・イボットソン作 三辺律子訳 (2001/2008.6 偕成社)
両親を事故でなくしたマイアは唯一の親戚であるブラジルのカーター一家の元で暮らすことになる。カーター一家はゴム園を経営しているが、まともに経営が出来ず、マイアの養育費を当てにしているような家族。双子の姉妹も、いじわるで陰険。マイアは考古学者であった父について、いろんな場所で暮らしてきたので、アマゾンの暮らしにも目が輝いている。一緒に行くことになった家庭教師のミントン先生は厳しいけれど公正で、何か秘密を持っているよう。引き取られた家族がどうしようもなく、性格破綻しているのが、こういうロマンチックなお話の定番。「小公子」のお芝居とそれをなぞったかのような孫探しがあり、駆け引き、思惑などが渦を巻く。小さなお話の流れが大きな物語を構成する要素としてきちんと語られ、収まるべきところへ収まっていくさまを見るのがおもしろかった。生き生きと描かれるアマゾンの民や自然。受け継がれる知恵と尊敬の念を深く読み取ることができる。ストーリーテラーの面目躍如たる物語のゆたかさだった。

『トビー・ロルネス1 空に浮かんだ世界』ティもテ・ド・フォンベル作 フランソワ・プラス画 伏見操訳 (2006/2008.7 岩崎書店)
大きな木を一つの世界のように思って生きている身長1.5ミリくらいの小さな小さな人間たちの物語。学者の父が見つけ出した秘密を仲間に知らせなかったばかりに主人公のトビー・ロルネスは,仲間からいのちを狙われることとなった。まず、小さな小さな人たちがいかに木に寄生して生きているのか、その社会の様子、特徴的な家、家の様子などが物語られる。小さな小さな目で見た大きな木とその上で繰り広げられる争いは、そのまま、地球とその上で暮らす私たちの様子に重ねあわせて読むことができ、この物語の奥行きをより感じさせる。シリーズの1冊目である本作ではまだ、木の上の世界でしかなく、その外へと今後お話が広がり、それによって主人公のスタンスも変わってくるのだろうと思われる。5感に迫ってくるような文章。警句のような印象的なフレーズ。フランスのファンタジーらしいところと、スピード感あふれた現代的な感じとが合わさって、おもしろい。次巻もたのしみ。

『バアちゃんととびっきりの三日間』三輪裕子作 山本裕司絵 (2008.6 あかね書房)
小学校5年生の男の子が夏休みの3日間、おばあちゃんとふたりっきりで過ごした様子を描いている。おばあちゃんは認知症をわずらっており、おじいちゃんが亡くなったこともしっかりをわからないようで、病院に看病に出かけたりするのだ。そんなおばあちゃんの姿にあわてながらも、しっかりと関わっていく少年。とうとう、電車とバスを乗り継いで、遠くのお寺におばあちゃんとふたりでお墓参りにいってしまう。思いがけない展開に戸惑ったり、怒ったりする少年も、おばあちゃんといることで責任を持ってしっかりと行動できてしまう。実際はこんなに生易しいことではないというのは簡単だが、子どもに認知症の姿を少しでも知ってもらうということは意義があるし、それを前向きな物語の形で見せるのも意味があると思う。

『マルガリータと森のまもの』工藤ノリコ (2008.4 あかね書房)
『マルガリータとかいぞくせん』の続編。海でも陸でもどんどん進めるカーサ号に乗って、雪の国にやって来たくまのマルガリータとみつばちのマルチェッロ。そりになったカーサ号はどんどん進むのに、マルガリータは眠くて眠くてたまりません。くまだから、冬眠してしまうのでしょう。そこへやってきたのが、春の女神を捜しにきた犬たちでした。カーサ号をひっぱって、進むのですが、同じところをぐるぐる回っているような……。そこへふくろうのおじいさんがやってきて……。海賊にもらった貝殻が青く光るたびに助けてくれるものたちに出会う不思議。ラストは春の女神を見つけて、春のおいしい朝御飯をみんなで食べる幸せ。するすると物語が進んでいき、キャラクターたちもその流れにのって、気持ち良さそうに動いている。そのスムースさがちょっと物語としては物足りなさもあるのだけれど、1冊を読み切ったという満足感を低学年の子に与えたいというこのシリーズの狙いはよくわかる。

『となえもんくん ちちんぷいぷいのまき』もとしたいづみ作 大沢幸子絵 (2008,5 講談社)
まじない師のひとり息子であるとなえもんくん(命名が秀逸ですね)がねこのばあやのイネコさんと修行の旅に出かけるのです。転んでいたいといっては、おまじないを唱え、血が出たといってはまじないを、怖い犬が出たとびっくりして、まじないを……と道中まじないを唱え続けるのですが、こんなにたくさんのおまじないが日本中にはあるのねえと感心してしまいました。小さなコラムでそれぞれのまじないの由来などをまとめてあるのも蘊蓄好きの子どもにはたまらないことでしょう。まじないは気もちを込めて口に出すこと……まじないだけではないなと教える道場の先生のせりふがいい。これからのとなえもんくんの修行と道場の先生の娘との交遊も楽しみ。
(以上ほそえ)