No.120
2007.12.25

       
                                    三辺律子

 年末を迎え、一年を振り返ってみると、今年もずいぶんたくさんのファンタジーが出版されたな、と思う。『ハリー・ポッターと賢者の石』がイギリスで発売されたのが1997年だから、ファンタジーブームと言われてもう十年は経っていることになる。そのあいだに、400ページを越す長編はめずらしくなくなり、どんどん続くシリーズを楽々と読みこなす子どもの姿も見られるようになった。そうしたブームが、本を読む子どもを育てることに繋がるかどうかはいつも議論が割れるところだが、当時十歳だった子どもが今年は成人になったわけだ。子どものころ、『ハリー・ポッター』やほかのファンタジーに読みふけった経験が、その後の生活に少しは影響を与えているのだろうか? 児童書に携わる者としては、大いに期待してしまうのだが。

 というわけで、今年最後は、そんなファンタジーブームの流れを汲む長編作品を紹介したい。
 といっても、昨今目立つ、ブームに乗って神話や伝承の豊かな泉から手当たり次第に材料を引っ張り出し、マーケティングを基に組み立てていったような「大作」や、逆に、読者を無視し、作者個人の思い入れ(思い込み)だけで形成された世界を提示する作品ともちがう、作者の「思い入れ」がきちんと作品として昇華された物語だ。

『錬金術師ニコラ・フラメル』マイケル・スコット著 橋本恵訳 理論社 2007年11月
 古生物学者の父と考古学者の母を持つ双子の姉弟ソフィーとジョシュは、発掘で両親が留守にしているあいだ、サンフランシスコのおばのもとで夏休みを過ごしていた。念願の車を買うために、ソフィーはカフェ、ジョシュはその向かいの古本屋でアルバイトにいそしんでいる。
 そんなある日、ジョシュはバイト中に、店主のニック・フレミングと妻ペリーが謎の灰色のスーツの男と争っているのを目撃する。しかも、普通の争いではない。ふたりは魔術を使っていたのだ! ジョシュは自分の目を疑いながらも、ニックを助けようと灰色の男に飛びかかり、男が奪いかけた古い本から数ページを奪い返す―――この日から、双子の人生は一変した。
 ニックはソフィーとジョシュを連れて、灰色の男に破壊された店を逃げ出した。そして、自分の正体はニコラ・フラメルという錬金術師であり、生まれたのは1330年だと説明する。灰色の男はジョン・ディー博士といって、1527年生まれ、やはり錬金術師であり魔術師、呪術師、死霊術師であるらしい。
 ニコラによれば、人類が栄える前、地球はエルダーと呼ばれる種族が支配していた。しかし、やがて人類は鉄を発見し、エルダー族の力は弱まった。現在では、ある者は人間にまぎれ、またある者はその大いなる力を使って異界の「領域」を創り、そこで暮らしているという。ディー博士に奪われた古書は『アブラハムの書』と呼ばれ、六百年前、この書を手に入れ、その謎の一部を解き明かしたニコラと妻ペレネルは不老不死の秘密を手に入れた。だが、この不思議な書物にはまだ魔術や科学や歴史の秘密が山のように隠されている。この書物の力を使って世界を再び支配しようとしているのが、エルダー族のなかでもダークエルダーと呼ばれている者たちで、ディー博士は彼らに仕えている。ニコラとペレネルは彼らから『アブラハムの書』を守るため、六百年の間、世界各地を転々としていたというのだ。
 そんな突拍子もない話を信じられるはずがない。おまけにニコラはまだ何か隠している様子だ。どうやらソフィーとジョシュが双子だということに関連しているらしい。双子というのは、太古から特別の存在と言われているのだ……。だが、そんなことをゆっくり考える暇もなく、ソフィーとジョシュは三つの顔を持つ女神ヘカテや、ネコの頭を持つエジプト神バステト、カラスの翼を持つ妖魔モリガンらと相まみえることになる。

 作中でジョシュがインターネットで調べるシーンが出てくるが、ニコラをはじめ、ペレネル、ディー博士などはすべて実在の人物だ。また、ヘカテやバステトなど、異世界の登場人物もすべて、神話や伝承にそのルーツを持っている。
 もちろん、神話・伝承の世界から借りてきた人(生)物を登場させたファンタジーなら星の数ほどある。だが、しばしばそうした登場人(生)物が、単に竜やゴブリンや妖精の皮をかぶっただけの人間に過ぎないのに比べ、本書の登場人物たちは、たとえ読者がそのルーツを知らなくても、彼らが歴史や神話に属する異世界の存在だということを肌で感じさせてくれる。
著者のスコットは百冊以上の作品を書いたベテランで、アイルランドで最も成功した作家の一人に数えられている。ケルトの民間伝承の権威であり、深い造詣を生かしたノンフィクションや小説などの著作も多い。錬金術師の物語を書きたいと思ったとき、スコットは何年もかけて資料を集め、メモを書き溜めた。そして、彼が「昔から強い興味をもっていた」ディー博士と、ニコラ・フラメルを核にすえ、物語を創りあげたのだ。
「書きたい」という強い思いと、実際の知識が結合したとき、「ファンタジー風の」空想物語ではない、本物のファンタジーが生まれた。本を読みながら、そこに書かれていないもの、実際に本に書かれているよりはるかに奥深く広がっている世界の存在を感じる―――ファンタジーが与えてくれるこの感覚をこよなく愛する一読者として、『錬金術師』がこのまま本物のファンタジー世界を繰り広げていってくれることを期待している。(三辺)
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児童文学書評2007.12(ほそえさちよ)
○幼い子と子どものいる風景
『花になった子どもたち』ジャネット・テーラー・ライル作 市川里美絵 多賀京子訳(1999/2007.11 福音館書店)
『ふたりでおるすばん』いとうひろし作 (2007.11 徳間書店)
『すみれちゃんは1年生』石井睦美作 黒井健絵(2007.12 偕成社)
『おまじないつかい』なかがわちひろ作 (2007.11 理論社)
幼い子というのは、未だ自分と他者が未分化で、自分の形が外へとゆるゆるとはみだしてしまうような時分の子のこと。子どもというのは、それよりはもう少し、自分とそれを取り巻く世間というものの存在を知っていて、その中で心地良く過ごせるように奮闘している時分の子のこと。そこでおこる不思議を不思議のまま、信じようと思える時分でもある。今回挙げた4冊のうち『花になった子ども』『ふたりでおるすばん』『すみれちゃんは1年生』はきょうだいを描くことで、この時分の子どもたちの姿の違いやこのような存在を受け止める大人の姿を描いているのがおもしろかった。『おまじないつかい』は子どもたちが、不思議を不思議と受けとめて、それをもとに自分の気持ちや相手への思いを育てていく様がおもしろい。
 『花になった〜』は母親を亡くし、自分の決めたルールでがんじがらめにしてなんとか心の平静を保っている幼い子とその妹を守ることで自分の真の気持ちから目をそらしてしまっている少女が、大おばさんに預けられるところから始まる。大おばさんは子どもを持ったことのない人だけれど、昔は庭の達人としてよく知られた女性であった。この庭と古風な(今はあまり手に取られていない作家の妖精の出てくる)子どもの本の内容がなぜかつながって、二人と一人の状況をゆっくりと変えていく、その様がとても丁寧に、心にしみるゆったりとした展開で描かれている。大おばさんは、今は荒れてしまった庭のなかの小さな美を見逃さないし、少女の心のそこにかくれている願いもそっと感じてしまう。少女と妹を尊重しながらも、手をかさずにはいられない、おせっかいなところが大人の在り方としてチャーミングで、素敵だと思う。目の前の十全でない状況の子どもという存在に手や目をかけずにはいられないという大人という存在。それがきちんと描かれていて、しかもその関係が親子ではないというところに説得力がある。大人というものは昔はそうではなかったか。雰囲気のある不思議な物語を丁寧に描き出している挿絵も本書の魅力のひとつ。じっくりと手渡したい本。
 『ふたりでおるすばん』は「ごきげんなすてご」シリーズの五巻目になる。ふにふにのおさるで、よだれだらだらの赤ちゃんだった大ちゃんは、お姉ちゃん大好きのかわいい(?)弟になっている。掛け合い漫才のような姉弟の会話でどんどんすすみ、どんどん脱線し、うまく納まるべきところに納まってしまう。ゲラゲラ笑いながらも、ほんのり、じんわりさせるのは、この作家の得意とするところ。お母さんがのっぴきならない用事でこの姉弟におるすばんをさせる。お姉ちゃんは内心不安なのに、弟がいる手前、大丈夫という態度で、弟をおちょくりながら過ごすのだが、宅急便の人が間違えた荷物を食べてしまって、お隣のおばちゃんが出てきて……と急展開するところがおもしろい。このおばちゃんも、宅急便の人とのトラブルを一方的に解決したり、二人がおなかをすかしているとみるやカレーを持ってきたり……と目の前の子どもの状況に自分のペースでどんどん関わってしまうところが、おせっかいだけれど気持ちがいい。『花になった〜』とともに、良い意味でも悪い意味でもおせっかいのできる関係性を子どものいる風景の中にはもっていてほしいと思ってしまう。それが現実的でないから(?)お話の中で描かれるようになっているのかしら……。「すてご」シリーズのお姉ちゃんは、いろんなことをしながらいつも自分をいうものを発見している子どもだ。それは弟の存在があるからこそ、いろんな関係性があるからこそ、発見できるのだし、見つける目が育つのだろう。
 『すみれちゃん』も前作より、物語の中の関係性が複雑になり、そこで発見する目が育っている。いもうとのかりんちゃんの出現と小学校という場での先生や友だちとの関係性から思い、行動するすみれちゃんの言動が7話の小さなお話になってまとまっている。自分を主張するようになったかりんちゃんを持て余したり、いつもお姉さんの役割をやんわりと押し付ける親に理不尽な思いをしたり、家ではお姉さんなのに学校では一番小さい妹役の自分を思ったり、くるくる心が動いている様を心の歌や会話でテンポ良く見せてくれるのが楽しい。1作目では親との関係性だけだったために、どうしても小さな子の物言いにかわいらしさをみせてしまうところが物足りなかったが、2作目では、どんどん複雑な思いが積み重なりつつも、毎日はそんなことにとんちゃくせずに過ぎていき、でも思いはうまく解消されたり、新たに蘇ったりしながら、座りのよい場所に落ち着いていく……という様子が、子どもの毎日をよく描いているなあと思わせ、楽しかった。
 『おまじないつかい』に出てくる子どもたちは小学校の2、3年生くらいなのかしら? 気の短い魔法ではなく、おまじないはゆっくりじっくり願いごとを育てるのだというのが、おっと目を開かされる。そういえば魔法使いっているのはなんとも怒りん坊が多いですものね。ゆらちゃんのおかあさんは毎日夕焼けをみて明日の天気をうらない、悪い夢をみないようにバクのぬいぐるみを作り、しゃっくりをとめるおまじないダンスをするんだって、おもしろいねえ、といいながら、うちの娘はページをめくる手をひょっと止めて「うちもするよねえ」と真顔でいうのです。そこから、読みすすめるのが早かった。ゆらちゃんと友だちのやり取りや思わず気に入らない子に悪いおまじないをかけちゃうところとか、先生のためにみんなで思いを込めてつるを織るところやいろんな子がきちんと描かれ、ひとり一人を読み分けながら、作者の思いがストント胸に納まったようだ。じぶんひとりのおまじないが悪いおまじないをかけたところから、みんなとともに思いを広げていくおまじないに変化していく様をきちんとゆらちゃんの心の動きとして物語りの中で描き出しているところがすきだ。あおむしからチョウチョに育てたこととそのチョウチョが友だちをつれて目の前にやってきてくれたんだと思った時、ゆらちゃんに変化が起きる。何気ないエピソードもきちんと物語の中に収斂して、物語を動かす力にしていく、そういう丁寧な造りがとても良いと思う。

○その他の絵本、読み物
『ひとりぼっち?』フィリップ・ヴェヒター作・絵 アーサー・ビナード訳 (2004/2007,11 徳間書店)
ヨーロッパで広く活躍するイラストレーターの絵本。絵本としては本書で自分のテイストをうまく確立したと言える。ぼくは、自分が好き。自分の生き方で生きているのが好き。というくまだ。勇気もあるし、ともだちもいる、うまくいろんな人ともやっていけるぼく。だけど、ときにひどくこころぼそくなって、ひとりぼっちなような気がしてしまう。そんなとき、森へ、君に会いに行くんだ。本来の自分を育ててくれた場所、愛する相手(彼女かもしれないし、母親かもしれない)がいるから、また、自分の選んだ生き方を生きていけるというもの。シンプルで、スマートな語り口、親しみやすいイラスト。ドイツでもアメリカでもプレゼント本としてよく手に取られているのもそのためか。

『絵本 もうひとつの日本の歴史』中尾健次文 西村繁男絵 (2007.10  解放出版社)
もう一つの、と銘打たれているのは、歴史の表舞台には現れない裏方の民衆の歴史。特に、本書では差別される人たちがどのような歴史の流れの中でそのような役割を担わされてきたのかを古代社会から現代へ一つの地域を定点観測するがごとく描き出している。区別され、差別されていたものやことや場所が、一方では特殊技能として有用であり、それが自負をうみだすとともに恐れをいだかせるにいたったこと。さらさらと描かれているように見えながら、巻末の解説を熟読すると細かく絵で表現されていることに驚く。じっくり読んでいきたい絵本。

『天女の里がえり』中国のむかしばなし 君島久子文 小野かおる絵 (2007,10 岩波書店)
途中までは日本の天女の羽衣伝説のように話が進むのだけれど、天女が羽衣を手にしたあと、本作では夫と子どもをつれて天へ里帰りします。天の親たちは地上の婿をよく思わず、難題を出して追い払おうとするのですが、それを天女の助けで解きあかします。祭りの席で出された毒入りの酒を飲んで死んでしまった夫を天女は地上につれて帰り、へびに毒を吸い取ってもらう展開にびっくり。ラストはめでたしめでたし。地上で生きる決意をする天女の強さが日本とちがうのかなあと思ったり。

『もらったものはもらったもの』ステファニー・ブレイク作絵 ふしみみさを訳 (2007/2007.11 PHP研究所)
『うんちっち』で人気のウサギくんシリーズ3作目。友だちと車の取り替えっこ。最新式の車と3台を取り替えっこします。でも、その最新式がパキンと折れてしまって……。どうする? いいことを思いついたシモン。「くるまのなかにはいってたものもぼくのだもんね」とわざわざ友だちにいいに行くと、何をいれたか覚えてない友だちは、良いものをいれておいて忘れてしまったのかも、とどうしても確かめたくなって、もう一度取り替えっこ。車を割って中に手を入れてみると…自分の噛んだガム! こんなことあるけどね、あんまりこんなことしないけど。そういうところをあっけらかんと絵本にしたのが、子ども心にアピールしそう。

『どろんこおおかみと7ひきのこやぎ』柴田愛子文 あおきひろえ絵 (2007,11 アリス館)
子どものたちとの遊びの中で生まれてきた絵本。お話と遊びの中をいったりきたりするのは子どもの暮しの中で大切なこと。それを絵本にしてみせてくれています。最初、7匹のこやぎたちはおはなしのとおり、オオカミを怖がっていましたが、だれかが、ワンワンと鳴き始め、「いぬか、いぬはうるさくてかなわん」とオオカミが退散すると、また「めえ〜」と鳴き、オオカミを呼び寄せます。そこから遊びに変わってしまい、オオカミを呼んだり、帰らせたりするのが楽しくなってしまうのですが、オオカミは疲れ果て、ハンモックでうとうと。そこで、こやぎたちはオオカミのために泥んこ落とし穴を作って、誘い出しました! ここから、オオカミがあいこさんにもどり、こやぎたちも園児に戻り、どろんこあそびのはじまり。さいごはさっぱりどろをおとして、すっきり遊びも収束し、満足して帰ります。よかったねえ、楽しかったね、で終わるのだけれど、絵本としては、この絵本を読んでから、遊びが発展すれば良いなあ。でも、楽しかったねで終わる感じ。それはそれでいいのだけれど。

『クリスマス』バーバラ・クーニー作 安藤紀子訳(1967/2007.11 長崎出版)
クリスマスの由来や各国でのクリスマスの過ごし方が描かれた小さな絵本。クーニーの描き分け版による端正な絵がクリスマスの雰囲気によく合っていて印象的。キリスト教の教えと古来から伝わる祭りがうまく重なりあい、人びとの願いや思いを救い取るものになっていることなど、よくまとめられている。本書には原本のことが書かれていないが、1950年代から60年代にかけて作られたCrowell Holiday Bookのなかの1冊であり、このシリーズではさまざまな記念日の由来や過ごし方がまとめられて刊行されている。母の日や元旦、国連の日、感謝祭など、集めてみてみると、なるほど、という中身のある本。今読んでも、通用するというのがすごい。

『エセルとアーネスト ほんとうの物語』レイモンド・ブリッグズ作 さくまゆみこ訳(1998/2007,12 小学館)
ブリッグズの両親の出会いから死までを描いた絵本。今までなかなか翻訳が出ず、今までのブリッグズのイメージとは内容的に異なるからかしら?と思っていたが、日本語で読めるようになって本当にうれしい。作家にとって、両親の物語を形にするというのがいかに大変で大切であったかがよくわかる作品。時代的にも世界が大きく変化したときで、戦争、思想、世代間の断絶など平凡な労働者階級の二人を軸にしたからこそ、人というものがいかに生き、死んでいくかという姿がしっかりと見えてくる。時代や人や政治的な点、イギリス的な点には端的な脚注もつき、わかりやすい。絵本でこんなにも時代をとらえたものはみたことがない。ブリッグズの新たな頂点を示す本だと思う。

『はいいろねずみのフレイシェ』アンケ・デ・フリース作 ウィレミーン・ミン絵 野坂悦子訳 (2001/2007,12 文溪堂)
オランダの作家の絵本。はいいろねずみの女の子が自分の体の色が嫌いだからと、鼻を赤くぬってみたり、緑にぬったり、しましまにしてみたり、花柄を描いてみたりする。そのたびに、ガチョウやかえるやしまうまに笑われたり、蜜蜂に追いかけられたりして……。自分を認められないのはとてもつらいこと。それを軽やかにみせるのは絵本の得意技かもしれません。カールの『ごちゃまぜカメレオン』しかり。ラストは自分本来に気付き、それを認めるのですが、フレイシェの場合は、それはともだちができるということでした。シンプルな展開でわかりやすく見せる絵本らしさがあります。

『ロボットとあおいことり』デイヴィット・ルーカス作 なかがわちひろ訳(2007/2007.12  偕成社)
『かくれんぼジャクソン』から1作ごとに異なるテーマで絵本作りをしているルーカスの最新作。心臓のこわれたロボットがごみ捨て場におくられた時、そこへ迷いこんできた青い小鳥。凍り付く風の中やってきた小鳥をロボットは心臓のあったところへ住まわせます。小鳥と共に生きる力を取り戻したロボットが、あたたかな国を目指して、歩きつづけ、とうとうたどり着いた時、そこでロボットは力つきました。でも木のように立ち続け、小鳥たちの成長を見守るのです。寒空の下、小鳥と共にある姿に『幸せの王子』を思ったり、ラストの木のように立って見守る姿に『天空の城ラピュタ』のロボットを思ったり。いくつもの物語やイメージを下敷きにこの絵本が出来ているようにおもうが、それゆえ、シンプルな展開に奥行きが出て、不思議が起こる瞬間をハッと真実としてとらえられるのだと思う。

『初雪のふる日』安房直子作 こみねゆら絵 (1981/2007.12 偕成社)
石蹴りをしながら、白うさぎの列に入り込んで抜けられなくなってしまった少女。それは初雪のふる日に北の方からどっとやってくるうさぎの群れだったのです。そのままでいると、うさぎと一緒に世界の果てまで飛んでいって、小さな雪の固まりになってしまうという……。「よもぎ、よもぎ……」とおまじないをとなえられたら、帰ってこられるというのだけれど、それがなかなかいえません。さむい、さびしい、けれど美しい初雪の絵が春いっぱいの暖かさに包まれる魔法。それをかなえるおばあちゃんの言葉と謎なぞ。見事な展開をよく練られた画面展開で鮮やかに描き出し、絵本らしい華やかさを持った本に仕立てたところがステキ。

『おとうさんをまって』片山令子作 スズキコージ絵 (1991/2007,11 福音館書店)
男の子はお仕事に行くお父さんをのせた汽車をずうっとながめています。少し長く家をあけるみたい。その帰りにおもちゃ屋で見た汽車の模型。毎日見に行くと、そこでいろんな人に出会います。毎日見に行くことで男の子はお父さんとその汽車の模型でつながっているのでしょう。他の人たちと出会うことで、男の子の世界はひろがって、豊かになって、それがお父さんにもわかるはず。一人で待つという時間。その豊かさを静かにでもいきいきと描いた絵本。さまざまな汽車の姿を楽しそうにのびのび描いた絵も良い。

『きんようびはいつも』ダン・ヤッカリーノ作 青山南訳 (2007/2007,12 ほるぷ出版)
「たこのオズワルド」シリーズで知られるヤッカリーノの新作。おとうさんとぼくの金曜日の朝の特別な時間。二人だけで出かけて、町を散歩し、いろんな人に挨拶したり、いろんなものを見つけたりしなら、朝ごはんを食べに行く。そして、いろんな話をしながら、ゆっくり食べるんだ。家ではお母さんが赤ちゃんに朝ごはんを食べさせているけれど、ぼくとおとうさんは外でふたり。週に1回でもしっかりと向き合える時間をもっているこのお父さんと男の子はなんて幸せなのでしょう。ヤッカリーノの実生活を思わせるこの絵本はすこしノスタルジックであたたかな雰囲気に包まれ、きっといつまでも忘れられない時間をどうしても絵本にしてとっておきたかったんだなあと思わせます。

『そのまたまえには』アラン・アルバーグ作 ブルース・イングマン絵 福本友美子訳 (2007/2007,12 小学館)
「3びきのくま」「ジャックと豆のき」「ジャックとジル」「かえるの王子」「シンデレラ」「しょうがぱんぼうや」というむかしばなしがそのまたまえには、という言葉でどんどん遡ってつながっていく。その逆回しのフィルムを見るような展開が斬新でおもしろい。そして、その逆回しはこの世界につながっていく。大きな目で見ると、お話が全部、世界の有り様をしめしているのかもしれないな。イングマンのしゅるしゅると描かれたユーモラスな絵が、この奇妙な昔話集のアイデアを存分に生かしていて、おもしろい。『ゆかいなゆうびやさん』でも思ったけれど、アルバーグってほんとうに才人なのね。絵本ってこんなこともできるんだなあと思いました。

『こねこのネリーとまほうのボール』エリサ・クレヴァン作絵 たがきょうこ訳 (2006/2007.11徳間書店)
ひとりぼっちのこねこのネリーはカラスから願いをかなえてくれる魔法の星だといって、星の絵の描いたボールをもらいます。3つの願いを唱えてから、ボールとポーンと弾ませて、それを受け取れたら、願いはかなうというのです。カラスはからかっているだけでしたが、ネリーは真剣。弾むボールはとうとうとなり町まで行き、ワニのエルンストの元へ。そこで、ネリーはこのボールの力を教えてあげるのですが、二人の願いは……。おなじみのエルンストが出てくるのがうれしい絵本。ネリーの願いは本当は子どもすべての願いなの。それがかなって、読んでいる子も本当にほっとする。

『マーガレットとクリスマスのおくりもの』植田 真 (2007.11 あかね書房)
マーガレットはサンタクロースみたいに皆にプレゼントをわたしたいのです。
クリスマスに近くなるとかわいい木の実やきれいな葉っぱを見つけては、紙に包んで近所の人にプレゼントをするのですが、忙しい大人たちはあまりかまってくれません。クリスマスイブの朝、マーガレットにおこった不思議を、雰囲気のある絵であらわした童話。マーガレットのプレゼントは鳥や虫たちへのプレゼントに。鳥たちの背中にのってプレゼントを配りに行くマーガレットの誇らしそうなこと。自分の行為が誰かの心を動かしたのだと知ってうれしくなるのはとても大切なこと。お話としては前半のマーガレットの心の動きを刈り込んで、もう少しコンパクトにした方が、その喜びやラストの収まり方にもっと驚きがあったのにとは思いましたが。

『ヘレンのクリスマス』ナカリ・キンジー=ワーノック文 メアリー・アゼリアン絵 千葉茂樹訳 (2004/2007.11 BL出版)
祖母が少女だった頃のクリスマスを描いているのだろう。木版画で描かれるふた昔前のクリスマス前の様子は自動車も電話も電気もない暮し。納屋で牛や馬の世話をし、農場で動物たちの世話をし、寒い春先にメープルシロップを集め、夏の間、村の人びとと力を合わせて仕事をし、1年の仕事をやり抜いたあとでしか、キャンドルの輝くクリスマス、星の瞬く夜の礼拝はないのです。アゼリアンの木版画も時代をよくあらわし、充足した時というものを満足げに見せてくれる。

『くるくるくるみ』松岡達英作絵 (2007.9 そうえん社)
いなかにすむおばあちゃんのいえでクルミをたくさん使ったお料理を食べたゆうかちゃんは、がぜん、クルミのことが知りたくなります。どんなふうになるのか、おじいちゃんに家の近所の木を見せてもらい、学んでいきます。夏、緑のべたべたした実の中から茶色いおなじみのクルミのからが出てきます。動物たちのクルミの食べ方の違いを知ったり、そだてたり、盛り沢山。

『サンタクロースが二月にやってきた』今江祥智文 あべ弘士絵 (1961/
2007,11 文研出版)
冬の動物園に落ちてきたのはサンタさん! どうして、クリスマスじゃなくて2がつにやってくるのかしら? 檻の裏の暖かい部屋でライオンのお母さんは落ちてきた人をにらみ付けていうのです。トナカイもそりも子どもたちにやってしまった心やさしいサンタさんは、寄り道しながら、北の空に向かって歩いていたのです。ライオンの子どもにサンタさんならプレゼントをちょうだいよといわれ……。ちょっとおまぬけでのんびりしたサンタさんのお話に、サンタさんってほんとにこんなひとなのかも、とライオンさんたちと一緒に子どもも納得。どうしても子どもをよろこばせたいと思ってしまうサンタさんに、大人の在り方を教えられます。

『ペンギンさん』ポリー・ダンバー作絵 もとしたいづみ訳(2007/2007.11 フレーベル館)
プレゼントにペンギンさんをもらった男の子。なかよくなろうと、さかだちしたり、つついたり、まねっこしたりしてみたけど、ペンギンさんはだまったまま。なにかいってよう!と大声を出すと、ライオンが出てきて、男の子を食べちゃいました! そこで、ペンギンさんはライオンの鼻をちからいっぱいはさむと……。ぬいぐるみと子どもって本当によく心が通じています。そのつながりの強さを暖かく、おもしろく描き出しています。ライオンが出てきて、男の子を飲んじゃう展開はセンダックの『』を思い起こさせますが……。

『アリョーシャと風のひみつ』スラヴの昔話から シルヴィ・ボルテン&ヴィオレッタ・ヴォツァーク文 サンドラ・デマズィエール絵 寺岡襄訳 (2005/2007.10 BL出版)
にじんだ色の動きのある絵が印象的なイラストはアニメーションも手掛ける画家によるもの。美声の持ち主である母親を雲の王国にさらわれてしまったアリョーシャは茶がまの精に助けられ、森のバーバ・ヤガーや水の精オンディーヌ、畑のホホールなどの力を得、無事、母を取り戻す。このテキストの量を見ると、アニメーションを絵本化したのではないかなと思うのだけれど。もう少し文章を刈り込んだ方が読みやすいけれど、出てくる妖精や不思議なものたちになじみのないところもあるので、文章で助けられるところもあった。アニメーションというのは、止めながら見せるとなると、動いている絵の部分を説明するために言葉を使ってしまうものなのかしら。

『スキャリーおじさんのせかいちおかしいはなし』R・スキャリー作 ふしみみさを訳 (1968,2003/2007.10 BL出版)
ゴールデンブックスで人気のスキャリーおじさんシリーズ。4ページか見開きで終わるようなお話が9つも入っている絵本。どれもお話に合わせて小さな絵で展開がわかるように描かれているので、1冊でも絵本何冊分にもあたる内容になっている。どれもこれも、動物たちの生活の中で、びっくりしたり、困ったりする様子が、なんとか元に戻るという内容で、わくわくはらはら、さいごはにっこり!という展開。なかみはどうってことないけれど、スプラスティックな展開が小さな子には受ける。

『おおきなふかいくらやみ』ジョン・プレイター作 山口文生訳 (評論社 2007/2007.10)
イヌイットのチヌーが住む国の冬は暗くて寒い夜が続いています。ある日、お父さんとお母さんがランプを持って「おいで、チヌー、出かけるよ」と呼びます。両親の足跡をたどっていくうちに、別の足跡を見つけてしまい、シロクマの子やオオカミの子、セイウチの親子に出会います。人間も動物もそろって海のむこうをながめています。そこにあらわれたのはあたたかなおひさま。生き物すべてが待ちわびている様を、大いなる自然の姿のなかにえがいているのがよい。

『ハリネズミかあさんのふゆじたく』エヴァ・ビロウ作 佐伯愛子訳 (フレーベル館 1948,1990/2007.10)
スウェーデンの絵本作家の初邦訳。十歳の頃、ベスコフにあい絵本作家を目指すようになったと言う。2色かき分け判の古風な絵が今見るとおもしろくあたたかい。ちょっとみ、ムーミンのトーヴェ・ヤンソンの線を柔らかくしたような感じ。十匹の子どもたちに寒い思いをさせないよう、靴を作ってあげようとするハリネズミかあさん。へびの皮をうさぎに靴の形に切り取ってもらい、キツツキに靴の形にしてもらい、カワウソに油をぬってもらいますが、動物たちにお願いする度に、靴がへっていき、20足の靴を作るはずが、たった五個しか作れなかったのです。どうしたものかと悩んでいたら、とにかく今日はひとねむりしようよと父さんに言われて……。起きてみたら春でした!というラストのおとぼけさ加減が、のどかな古い絵本らしくていいんです。

『せんをたどって』ローラ・ユンクヴィスト作 ふしみみさを訳 (2006/2007,10 講談社)
一筆書きで描かれた線をたどっていくと、朝の町へ、目をさました人たちのかお、姿、車、信号や標識が色鮮やかな背景の中、見えてきます。線の旅は海、空、森へと続き、また人の暮しへと戻っていきます。絵の中には小さな質問がかくれていて、それに答えようと絵の中を探すのが楽しく、うれしい時間になります。はじめは一筆書きの線をたどっていくためにページをめくり、質問に答えるためにまためくる。何度も楽しめる絵本。一筆書きの楽しさや美しさはカルダーやムナーリの絵やオブジェで目にするけれど、絵本の中でこんなふうに見せられたのは初めて。

『じがかけなかったライオンのおうさま』マルティン・バルトシャイト作、絵 かのうのりたか訳 (フレーベル館 2002/2007.10)
何でも自分の思い通りにしたければ、ガオー!とほえて、鋭い歯を見せれば何でも誰でもやってくれるライオンの王様が、本を読んでいるめすライオンを好きになり、手紙をわたしたくなりました。でも、自分では字がかけません。サルやカバなど、他の動物たちに書いてもらうのですが、みんな自分勝手なことばかりかくのです。「ちが〜う!」とほえ、いろんな動物たちの元に行くくりかえしがおもしろく、ユーモラスな絵とともに笑えます。ラストは 「さあ、はじめましょう」とめすライオンに手ほどきを受ける王様。封筒のデザインになっている表紙や見返しに描かれる動物たちの切手が洒落ています。

『タトゥとパトゥの へんてこマシン』アイノ・ハブカイネンとサミ・トイボネン作 いあながきみはる役(偕成社 2005/2007.10)
フィンランドで人気の絵本。兄弟が発明する機械が見開きごとに事細かに描かれ、一つ一つ見ていくのがなんともおもしろい。全自動お目覚め機では、機械の中に入れば、羽でくすぐって笑い起こしてくれるし、顔を洗ったり、朝ごはんを食べたり、歯を磨いたり、洋服を着替えるところまでやってくれる。おそうじウエアや風景ドーム、水たまりマシンにいたっては、まあ、こんなことをよく考えたわねえとわらってしまう。人ごみライフジャケットはいいかも。レバーをひくとぼよよ〜んと子どもの顔そっくりな風船がその場で上がるから、遠くに離れていても見つけられると言う案配。細かく描かれた図を一つ一つ確認しながらみているのが楽しい。

『はこははこ?』アントワネット・ポーティス作 中川ひろたか訳 (光村教育図書 2006/2007.10)
段ボール箱があれば、何にでも、どこにでもいける子どもの想像力のたくましさを、洗練されたイラストレーションで描き出した新人の作。ベージュの色面の言葉は遊びを見ている大人の言葉? 次に出てくるあかのページの言葉は、遊んでいる子どもの言葉なのでしょう。大人にはただの箱でも、遊んでいる子どもにとっては、ほんとにロボットだったり、火事にあったビルディングだったりするのです。描いている世界は、子どもの日常の世界であり、よく見られて、子どもらしくてかわいいわねえと思われる様子。それを現代的なイラストレーションで見せているところがこの絵本の新しいところ。

『おやすみおやすみ ぐっすりおやすみ』マリサビーナ・ルッソ作 みらいなな訳 (童話屋 2007/2007.11)
3びきのこうさぎがベッドに入り、おやすみなさいといったのに、お部屋の中で電車ごっこ。それをみつけた母さんうさぎと父さんうさぎに、またあした おやすみおやすみぐっすりおやすみと言われるのですが、またおきだして……。寝かせたい親と眠たくない子どもの攻防は、子供部屋のある欧米特有のものだけれど、この絵本ではうさぎたちの楽しそうなところ、ラストの居間まで出てきて遊んで、そこで寝てしまうところがおもしろい。

『ゆらゆらゆくよ』クォン・ジョンセン文 キム・ヨンチョル絵 金広子訳 (小峰書店 2003/2007.10)
木綿をお話一つと取り替えてきてくださいというハルモニ。市にいって、木綿をお話一つで売ろうというハラボジに、お話をしてくれる人はなかなかあらわれません。帰り道に出会った農民が田んぼに見えるサギの様子をみながら、それをお話に仕立てたものを聞き、よろこんでハラボジはその話を買って帰ります。家に帰り、その話をハルモニにしたところ、たまたま忍んできた泥棒が聞いて……。後半の展開は「ふるやのもり」のよう。韓国の昔話と日本のもののつながりを感じられ、おもしろかった。語り口も工夫されている。

『オオカミのエリック』『ビーバーのベン』ビッキー・イーガン文 ダニエラ・デ・ルカ絵 秋篠宮紀子訳 (2007/2007.10 新樹社)
「ちきゅうのなかまたち」シリーズの1巻目、2巻目。地球のそれぞれの地域で暮す生き物たちの生態や自然環境を地域別に絵本仕立てにまとめた自然科学もの。『ビーバー』は北アメリカの生物を、『オオカミ』はヨーロッパの生物をまとめている。擬人化された物語を絵で語るページとそれに付属する自然科学的な説明をコラム扱いで描きくわえたり、Q&Aの形でまとめたり、透明シートを使って、内部構造を見せたり、観音開きのページを作ったりと、多種多様な知識をわかりやすく配置するのに工夫をしている。巻末にはメインの動物の同種の紹介、同じ地域に住む他の動物たちの紹介、自然環境の説明などまとめてある。自然科学の知識としては、とりわけ詳しいわけでもないが、今まで動物や自然環境にあまり興味をもっていなかった子どもや大人には、親しみやすいイラストと盛り沢山なイメージで、目をひく絵本となるかと思う。これを入り口に、いろんなタイプの自然科学絵本や書籍に読書を広げていければいいな。

『わたしの』三浦太郎 (2007.10 こぐま社)
わが子の成長から生まれ、『くっついた』『ならんだ』と続いてきた小さい子向けの絵本。本作には 自分と他の人の区別がつくようになって、自分のものを持てる(わかる)ようになった喜びがあふれています。自分のものの区別ができ、生活がひとつの流れとして体の中に入ってくるようになるのは、小さな子にとって大きな成長。くり返される「わたしのどれかな」という問いと「ちいさい○○わたしの」という答え。順番に出てくるものたちが、小さい子の生活を想像させます。ラストはすきな果物ばかり出てきて「ぜーんぶ わたしの」とにっこり。

『バスがきました』三浦太郎 (2007.10 童心社)
しっぽのあるバス停、みみのあるバス停、たてがみのあるバス停、長い鼻のあるバス停……と待っていると、その形にちなんだ動物たちののったバス(バスの形もわかりやすい)がやってきます。すっきりとわかりやすい展開とイラストレーション。単純だけど、小さな子は何度も繰り替えしてページをめくりたがるでしょう。

『まるまるころころ』得田之久ぶん 織茂恭子え (2007.10 童心社)
切り紙でえがかれたいろんな色いろんな大きさのまるがあつまって、だんごやぶどう、いもむし、てんとうむし、チョウチョなどに変化します。小さい子向けの展開としては類書もたくさんあり、とりわけ新しいアイデアがあるわけではありませんが、色紙のコラージュがいきいきと元気よく、楽しい絵本になりました。

『うさぎ小学校のえんそく』アルベルト・ジクストゥス文 リヒャルト・ハインリヒ絵 はたさわゆうこ訳
(1930/2007.10 徳間書店)
『うさぎ小学校』に続く2作目。ドイツではよく知られる古典絵本シリーズの一冊。うさぎ小学校の遠足にはお父さん、お母さんも一緒に行くのです。
楽しい準備に、寝坊して大慌ての朝。みんなそろって、見晴し台までのぼったり、森の奥でお弁当を食べたり、鍋たたき、ぴょんぴょんきょうそう、うまとびをしたり、暗くなるまで思いっきり遊びます。なんとものどかで、うさぎたちの表情の豊かなこと!

『リサとサンタクロース』アン・グットマン文 ゲオルグ・ハンスレーベン絵 石津ちひろ訳(2006/2007.10 ブロンズ新社)
去年、プレゼントを持ってきてくれた時、サンタさんを見たよ!とガスパールが急に言い出すと、リサもサンタクロールのお城に行ったのだと話しはじめます。サンタクロースの国では小人たちがおもちゃ工場で働いていたり、お手伝いのしましまネズミがいたり、サンタさんが最後の仕上げをしたり……。大きな画面いっぱい描かれる工場やお城の様子が楽しい絵本。サンタさんに会うまで起きてるは、とリサは言うのですが、やっぱり小さい子はねてしまって……。

『ちびくまちゃんのだいじなともだち』クレア・フリードマン文 ドゥブラフカ・コラノヴィッチ絵 おがわひとみ訳 (2007/2007.10 評論社)
冬眠から少しだけ早く起きてしまったちびくまちゃん。他のクマのお友だちはまだねています。しょんぼりしていると、ゆきだるまのキラキラリが話しかけてきました。「ふゆのたのしさをおしえてあげる」いっしょにスケートしたり、舌でゆきをつかまえたり、雪グマごっこをして追いかけあったり、楽しく過ごしていたのに、キラキラリは出かけてしまうのでした。本当の友だちはまた会えるものだよと言って……。やわらかなタッチでかわいらしく描かれる動物たちと森の様子。

『あいうえおとaiueoがあいうえお』はせみつこ作 山村浩ニ絵 (2007.10 小学館)
aiueoという母音と、日本語のあいうえおが重なって混じって、詩になってとびはねている。このひらがなと音の表現の違いが、文字の違いで表わされているのが、小さな人には今一つわかりにくいかもしれない。が、そんなことはこの絵本を読む時にはあんまり気にしなくてもいいのではないかな。視覚で感じることと声に出して感じることを、あまり分けないでそのままに受け取ること。そんな読みは小さな子のほうが得意。抽象に流れてしまいそうな言葉をなんとかつなぎ止めるために、この絵本の絵は描かれている。

『トイレのおかげ』森枝雄司写真・文 はらさんぺい絵(1996/2007.10 福音館書店)
クリスマスの飾りにうんこをしている格好の人形をかざるスペインのバルセロナ。その不思議なクリスマス人形カガネーを見つけ、その由来を聞いているうちに、トイレの歴史を調べたくなってしまった著者。昔からいろんな工夫をしてトイレを考えていたことを、実際にヨーロッパのお城や、日本のお寺、フィリピンの山あいの村や海岸の村、飛行機、宇宙船へと好奇心の赴くまま、見学に行ったり調べたりしていきます。まあ、そんなことを!とびっくりする事実も。どんどん広がっていく好奇心が見事です。身近なものから、広い世界へ視点が広がり、また自分の足元にもどってくる思考。とても健全でたのもしい。

『本の妖精リブロン』末吉暁子作 東逸子絵 (2007.10 あかね書房)
転校生のアミは本が大すき。転校してきた学校の図書室で不思議なことに出会います。本の隙間から、しおりひもみたいなしっぽを持った妖精が出てきたのです。その妖精に、次の満月までに20冊ほど本を読んで、この虫食いになっている葉っぱをもとに戻してほしいと頼まれます。そうしないとしおりにされてしまうのだそう。転校生が学校になじんでいく物語と本の妖精と関わって、おとぎ話(アンデルセンの火打ち箱)の中の世界に入りこんでしまう物語とが入れ子になっている。

『かわいいこねこをもらってください』なりゆきわかこ作 垂石眞子絵 (2007.10 ポプラ社)
小さな子猫を拾ってしまったちいちゃん。でもちいさんのおうちはアパートで飼えないし、いろんな人に頼んでも、誰ももらってくれません。とうとうあと一週間の内に飼い主を見つけられなければ、保健所につれていかなくてはならなくなりました……。学校でも子猫のもらい手さがしばかりしているので「ねこちゅうどく」「ねこばか」なんてはやしたてられるようにもなりました。でも、ちいちゃんがあきらめたら、子猫の命がなくなってしまうと、子猫を抱きしめて、駆け出していくのです。小さな心をいためて、命に向かい合う様をしっかりと小さな人に伝えようとかかれた物語。ラストはいい人にもらわれて、ちいちゃんといっしょに読者も安堵することでしょう。

『パピロちゃんとゆきおおかみ』片山令子作 久本直子絵 (2007.11 ポプラ社)
「パピロちゃん」シリーズ3作目。本作では初雪の日の不思議が描かれている。大きなお庭の森の中にはいりこんでしまったパピロちゃんはミルクティー色の毛皮のオオカミと出会う。雪のにおいに気付き、初雪の日をつたえるゆきおおかみ。雪が降ることで森は水を貯え、春の芽吹きの時期にみずみずしい命を森に宿らせるしくみになっていること、ただ寒いだけではなく、自然の摂理には意味があるのだということをさりげなく、ファンタジーにくるんで教えてくれる。森の動物たちが愛らしく、雪の楽しさも描かれ、出色。
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【絵本】
『かわいいサルマ』(ニキ・ダリー:作 さくまゆみこ:訳 光村教育図書 2006/2008.01 1500円)
 南ア版赤ずきんです。
 サルマはおばあちゃんに頼まれて市場へお買い物にでかけます。たくさんの荷物。
 帰り道、あやしげな犬に荷物を持つ手伝いをしてあげると言われ、ついついお願いしてしまうのですが・・・。
 赤ずきんのパロディなのか、伝播している物語を素材にしているのかはわかりませんが、ヴァージョンの一つとしてぜひ記憶に留めておきましょう。愉快な仕上がりに笑ってください。
 そして、衣装や色遣いのおもしろさも堪能。
 この作家、まだまだいい作品がありそうだぞ。

「アフリカ子どもの本プロジェクト」もよろしく!
http://www.hananotane.com/index.html(ひこ)

『はいいろねずみのフレイシェ』(アンケ・デ・フリース:作 ウィレミーン・ミン:え 野坂悦子:訳 ぶんけい 2001/2007.12 1300円)
 フレイシェは自分の色がきらい。ペンキを使っていろんな色に自分を塗りますが、みんなにあきれられるだけ。
 落ち込むフレイシェ。でもね。
 自己否定から自己肯定までの物語。シンプルな構造はすぐに見えてきますが、それでいいんです。
 なんといっても、絵が愛おしい。複雑でも単純でもなく、ただそこに置かれたような、何気なさ。よく見ると、生き物の配置や顔の角度など、巧みに計算されてはいるのですが、そう思わせないのは、画家の腕。(ひこ)

『ぼくと弟はあるきつづける』(小林豊 岩崎書店 2007.06 1400円)
 まずは、『ぼくは弟とあるいた』、『ぼくの家から海がみえた』と続いた三部作の完結を喜びたい。
 小林がこだわり続けている戦争と子どもを描いた秀作です。
 戦火を逃れて「ぼく」と弟のエルタンは祖父の元へ。両親の行方は知れなくなってしまいます。祖父が亡くなって、保護者が誰もいなくなった二人は、どうして生き延びていくのか。
 短い語りと、クローズアップを排除し、抑えた画で全体を押さえながら、隅々まで心配りをした絵。
 絵本ではとても描ききれないと思われる素材を、絵本だからこそ描ける作品に仕上げた小林の情熱に拍手です。
 もちろん、シアワセは訪れますとも!(ひこ)

『フィアボ』(マイケル・グレイニエツ:さく ほそのあやこ:やく ポプラ社 2007.11 1400円)
 フィアボはお話がだいすきな魚です。話し終えたら、次の日のお話を考えるために、一匹で過ごします。さみしくないかなあとみんなは心配しますが、そんなことはありません。むしろ幸せなひととき。
 そこに、綺麗な魚がやってきて、フィアボは一目で大好きに。
 さてどうなりますか。
 幸せな展開ですよ。
 グレイニエツの画は、これといって特徴のないものなのですが、赤の使い方が巧くて、結局記憶に残ってしまいます。あ、それが特徴か。(ひこ)

『さとうばあさん チョコじいさん』(ジジ・ビゴ:ぶん ジョス・ゴファン:え いしづちひろ:やく 主婦の友社 2002/2008.01 950円)
 二人はとっても仲良しで、キャンディの家に住んでます。
 でも、時々大げんか。
 家をでたさとうばあさんは石の家を造ります。
 う〜ん。やっぱり、チョコじいさんと一緒にいたい。でもじいさんはまだすねていて、家の扉を開けてくれません。
 やがて雨が降ってきて、キャンディの家は溶け始め・・・。
 シンプルなんですが、結構「人生」を描いています。でも、しっかりと幼年絵本です。絵はカワイイ、カワイイしていなくて、でもちゃんと幼年向けです。
 その辺りのバランスがほどよくて、いいですね。(ひこ)

『つんつくせんせいと くまのゆめ』(たかどのほうこ:さく・え フレーベル館 2007.11 1200円)
 『つんつくせんせい』シリーズ最新作。今回はくまのせんせい、つんくませんせいも登場ですよ。くまたちは冬眠に入ります。そのくまの家にやってきたつんつくせんせいと子どもたち。くまの家だと知って、子どもたちは怖がりますが、つんつくせんせいは平気で、ごちそうをむしゃむしゃ。でも、くまたちが起きてきて、つんつくせんせいは仏像になったつもりでじっとしているのですが、んなもの、通用するはずもなく。
 さてさてどうなりますことやら。
 表紙からしてすでにワクワクします。(ひこ)

『チリとチリリ はらっぱのおはなし』(どい かや アリス館 2007.06 1200円)
 シリーズ四作目です。
 チリとチリリはいつも自転車に乗って、「世界」を見ていくのですが、今回は虫たちの「世界」です。みつを持って蜂たちについて行くと、巣の中を見学。ってだけならなんのこともないのですが、チリとチリリははちみつボールカステラのはなびらちゃきんづつみをもらいます。おいしそう!
 こうしたファンタジーへの自然な飛び方は、どいが、「はちみつボールカステラのはなびらちゃきんづつみ」を本当に知っているからです。そんなものない! ですって。ええないでしょうね。私にもあなたにも。でも、どいにはある。そして、それを、「あるように」描いて私に届けてくれる。
 他にも素敵なものが出てきますよ!(ひこ)

『飛行機にのって』(磯良一 長崎出版 2007.06 1500円)
 スクラッチ技法によるイラストがとてもクールな良作です。
 闇夜を飛ぶ双発機。乗組員も影となっています。飛行機は、マンホールを抜け、側溝を抜け、あれれ、ネズミの乗っている小さな飛行機なんだ。
 いったいどこへ向かうのかは読んでのお楽しみ。
 どっちかというと大人向けの絵本になるのでしょうが、子どもも結構ドキドキ読めるはず。(ひこ)

『テンサイちゃんとロボママ』(サイモン・ジェイムズ:さく こだまともこ:やく 小学館 2007/2007.12 1500円)
 まず、表紙、いいっす。コテコテの昔よくあったイメージのロボットと、ひとくせありそうな赤ん坊が、黄色い背景に置かれていて、タイトルはメタルなシルバー。もう目立つこと目立つこと。でもくどくないんだなあ、これが。画家のセンスの良さがわかります。
 テンサイちゃんは生まれてから色んな物を発明し続けます。
 子育てに疲れている両親を見て、赤ん坊のテンサイちゃんは、家事用のロボットを作るのですが、やがて自分の育児もしてくれるようになり、でも、ロボットなものだから・・・。
 ロボママは失敗でしたが、だからといってテンサイちゃんが発明を止めるわけではないのが、とても素晴らしいですよ。
 宣伝用のキャッチは「がんばるママにエールをおくる!」ですけど、パパもがんばっています。(ひこ)

『おんぼロボット』(アキヤマ レイ 理論社 2007.12 1200円)
 デビュー作。
 研究者で博士のお手伝いロボットをしているトト。まちに遊びに出かけます。知らない少年から別の名前で呼ばれるのですが、まあいいや。二人で遊びます。一日の冒険。
 楽しかった。
 帰ってきたトトはドロだらけ。やれやれ。そして博士は・・・。
 新しいとは言えないまでも、そのオチは今日的で、なかなかおもしろいですね。
 画は、巧いのですがそのためにインパクトがあまりなくて、そこが心配です。ここで出来上がらないで欲しい。表紙も落ち着きすぎ。主張がもっと前に出たほうがいいのでは?
 でも、楽しみな作家のデビューに乾杯!(ひこ)

『冬の日』(今森光彦 アリス館 2007.12 1400円)
 良い!
 それ以上言う必要もないです。「宝物」って文章がいいんだなあ。
 これがシリーズ三巻目。あと一巻で完結です。そりゃそうだ、四季だもん。でも、寂しい。(ひこ)

『おさるのまねっこ』(いとうひろし 講談社 2007.07 1500円)
 『かくれんぼ』『おいかけっこ』に続く、あそびシリーズ最終巻。今回は、おさるたちがさまざまなもののまねをして、最後は自分のまねをし、自分に返ります。ただまねをして楽しんで終わりでなく、自分のまねをするところが、この作家がこだわってきたアイデンティティのありようを、チラリとほの見えさせておもしろいところです。(ひこ)

『みどりのふえ』(あまんきみこ:作 おぐらひろかず:絵 フレーベル館 2007.04 1200円)
 みどりのふえをなくした女の子、それを捜していると、子ギツネが自慢げに森の仲間に笛を聞かせています。わたしのだ、と思うけれど、あんまし幸せそうなので言い出せません。子ギツネは、女の子に、ぼくのこのふえを貸してあげるから吹いてごらん、なんて言いますからなおさらです。
 そうそう、女の子は、家にもう一本古いふえがあるのを思い出しました。あれだってまだ使えるんだし。
 心が温かくなるあまんワールドです。おぐらの絵がその雰囲気を良く伝えています。
 やっぱりいいなあ、あまんちゃんは。(ひこ)

『ずっとそばに・・・』(いもとようこ 岩崎書店 2007.11 1300円)
 山が荒れた現在、くまが人間の生活圏に侵入してくるケースが増えています。というか、人間が侵入していっているのですが、そのために野生動物が生きがたくなっています。
 今作でいもとは、その現状への思いを作品化しました。
 親を人間に殺されたくまは、同じように孤児となった他の動物たちを守っています、寂しさを一番良く知っていますから。
 冬、例年にも増して食料が不足し、このままでは世話をしている動物の子ども達が飢えてしまう。
 決心したくまは人間界へと出かけるのですが・・・。
 バットエンディングですが、あえてそうして、またはせざるをえなかったいもとの思いが伝わります。これまでのいもとの作品に親しんでいる人にとって、この結末はかなり衝撃かもしれません。(ひこ)

『おつかい しんかんせん』(福田岩緒 そうえん社 2007.12 1200円)
 いかにも福田らしい、勢いのある物語。
 まさるが四歳の誕生日にもらったのはしんかんせんの乗り物。家でも外でも、いつも乗って遊んでます。
 母親から、じゃがいもを買ってきてくれるように頼まれたまさおは、しんかんせんで出かけます。
 ビューンととばすこととばすこと。途中で転覆なんかもして。でも泣かないぞ!
 小さな子どものドキドキお買い物体験が、活き活きと伝わります。(ひこ)

『はたらくんジャー』(木坂涼:作 高畠那生:絵 フレーベル館 2007.12 100円)
 ショベルカーから、ロードローラーまで、大型車で毎日毎日、はたらくんジャーははたらきますですよ。
 とにかくとにかく、はたらくはたらく、その勢いが、なんだかたまらなく楽しい。
 高畠の絵が結構脱力っぽいのも、ますます、はたらくはたらくを楽しく見せてくれる。
 「はたらくんジャー」ごっこをしている子どもが目に浮かんでしまいます。(ひこ)

『じどうしゃブブブン』(冬野いちこ 岩崎書店 2007.12 600円)
 友達にプレゼントを届けに行くネズミさん。車に乗って出かけます。
 で、いろんな車を追い越したり、追い抜かれたり。
 自動車の動きとページを繰るリズムと言葉で楽しむファーストブック。
 それぞれの車に目が着いているのはとてもいいのですが、せっかくだからサイドミラーにも表情が欲しかったです。(ひこ)

『どんぐりぞうのおはなし なんでもやのまき』(近藤薫美子 2007.12 1300円)
 虫物というか、土物というか、それはもう、近藤さんにお任せです。
 どんぐりに穴を開けるゾウムシのどん・ぐりぞうが、なんでもやを始めますが、なんだかとってもとんちんかんで、失敗ばかり。
 物語はどこへ転ぶかわからない展開なのですが、それが妙に愉快。
 これまでの近藤作品とは違う世界を、ぜひ味わってください。(ひこ)

『おたまさん』(軽部武宏 長崎出版 2007.06 1400円)
 なんともヘンなのですが、それに何故か納得のナンセンス絵本。
 巨大なおたまじゃくしのおたまさん。
 雨が降って、その背中に大きな水たまりが。そこにいろんな生き物が集まってくるけれど、だんだん乾いてくるから、どんどん逃げ出して、最後はぞううさんが背中に乗って残りの水を飲んじゃった。
 そこに意味を見出すより、そのヘンさに身を任せるのが吉。(ひこ)

『グリンピースのあかちゃん』(カレン・ベイカー:ぶん サム・ウイリアムズ:え いしづちひろ:やく 主婦の友社 2003/2007.06 1400円)
 なんといっても、サム・ウイリアムズの絵がかわいい作品です。
 トマトやアーティチョークのおばさんたちに見守られながら元気に育っていくグリンピースのあかちゃんたち三粒。
 それぞれの小さな冒険が上中下、画面を3分割して平行して語られていくのも楽しいです。(ひこ)

『風の子ふうた』(いしだとしこ:作 おかだみほ:絵 アスラン書房 2007.09 1200円)
 風の家族のお話です。
 秋、父親は世界を秋色に染めようと仕事に出かけます。自分もやりたいふうたは、風ぶくろを開けて吹かせますが、それは冬の風で・・・。
 おかだみほの絵の奔放さが光ります。見ていて楽しい。
 でも、表紙がイマイチ地味なのはどうしてか?
 タイトルも一考。(ひこ)

『もめんのろばさん』(わたりむつこ:作 降矢なな:絵 ポプラ社 2007.10 1200円)
 けんちゃんが大好きなぬいぐるみのロバは、チョッキの端布でおかあさんが作ってくれたもの。けんちゃんは大好きです。
 なのに、クリスマス前に行ったおもちゃ屋さんで置き忘れてしまいました。
 残されたロバさんは悲しくて、寂しくて。でも、売れ残ったクリスマス用の人形達にはげまされます。
 よくある話ですが、とても安定した物語運びで読ませます。
 絵本と言うより、絵付き物語といった感じで、降矢の絵は自分から語ろうとは余りしていません。そこが少しもったいないです。(ひこ)

『クマノミとサンゴの海の魚たち』(大方洋二:写真・文 岩崎書店 2007.07 1400円)
 「ちしきのポケット」シリーズの写真絵本です。
 タイトル通り、クマノミが暮らすサンゴ周辺を、大方の美しい写真によって解説していきます。
 こういうのは、いかに楽しく見せてくれるかが重要なのですが、これはかなり好感度高いです。
 生存競争必死の生き物たちなんですが、けっこうユーモラスに思えてしまうのは、大方の目線が優しいからでしょう。
 画面の割り方や文章の置き方など、スタンダードに確実に見て読んでもらうことを考えているのもいいなあ。(ひこ)

『コブダイ・弁慶の海』(なかむらこうじ:写真・文 そうえん社 2007.05 1300円)
 佐渡島沿海にいるコブダイ、その名は弁慶一七歳の日々を追った写真絵本。
 ナワバリを守り、他のオスに勝ち、繁殖をする。
 とても迫力あるシーンが一杯です。
 コブダイのオスって顔が怖いけど、この絵本を繰っていくと、だんだん親しみを感じてきます。(ひこ)

『はつゆき』(西片拓史 岩崎書店 2007.12 1300円)
 実に幻想的なお話です。
 一年ぶりに湖に船を出した「ふたり」。そらからこぼれ落ちて、湖面に浮かんでいる星のしずくを集めます。それから、森に行って、ひかりごけをほんの少し手に入れて、その他季節のうつろいをお鍋でかき回し・・・。
 彼らには名前も個性もありませんし、彼らが作った「はつゆき」をよろこぶ人々も「人」として描かれているだけです。
 そこに西片のファンタジーが宿っています。つまり、何かに固定されることのないイメージ。
 ただし、何かもう一つ芯が欲しいのです。難しいのはわかっているのですが。(ひこ)

『こいぬ、いたらいいなあ』(おのりえん:ぶん はたこうしろう:え フレーベル館 2007.12 1200円)
 にぎやかな四人兄弟が帰ってきました。
 今回は、雪遊びをしている四人が、何かの足跡をたどっていくと、犬を飼っている家にたどり着き、その犬ショコラは妊娠していると知ったものだから、当然四人は子犬を飼いたくなって・・・。
 という展開です。
 子どもたちの犬を飼いたい気持ちがしみじみ伝わってきますし、そして、最後はもちろん!! シアワセですよ。(ひこ)

『ベスとアンガス』(マージョリー・フラック:さく・え まさきるりこ:やく アリス館 1933/2007.12 1300円)
 『アンガス』シリーズ最新訳。
 エアデール・テリア犬のベスは、恐がりで、散歩もままなりません。
 ある日、垣根からアヒルが飛び出してきて、びっくり。その後からはテリアのアンガスが! 恐がりのはずのベスですが、思わずアンガスを一緒にアヒルを追いかけてしまいます。
 アンガスと友達になったベスは恐怖心も薄れて行きます。
 物語も絵も、ああ、なんて優しくて暖かな絵本なのでしょう。ベスもアンガスも子どものメタファーなのですが、こんな風に子どもをまるまる肯定できる時代もありました。これを懐かしさで刳るんではいけません。失われた物として、しっかり受け止めなければ。(ひこ)

『ちいさな ぽむさん』(シルヴィ・ポワレヴェ:ぶん エリック・バトゥー:え 谷内こうた:やく 主婦の友社 2002/2008.01 950円)
 音のない国に住んでいるポムさん。
 みんなに音を聞かせようと、集めるために旅に出かけます。
 風の音、雨の音、音を聞いて幸せな気分になった自分の笑い声。
 集めてきた音をみんなに聞かせます・・・。
 音を聞くおもしろさと、それへの反応とは、まさに幼い子どもの姿ですね。それを、一つの旅物語に仕立てた幼年絵本です。(ひこ)

『かっとびジャック ツリーはこびのまき』(やましたはるお:さく しまだしほ:え ポプラ社 2007.10 1200円)
 山下、島田コンビによる、『かっとびジャック』シリーズ最新作です。
 南極に住むペンギンのジャックはなんでも運び屋。今回のご依頼はクルスマスツリーとその飾り物。でも、セイウチやとうぞくかもめ、海には怖い連中が待ちかまえています。
 果たして、ジャックの運命は?
 山下お得意の海の物語。たつまきでサボテンが飛んできたり、それを虫歯のシャチが歯ブラシに使っていたりと、自由奔放に想像力が広がっていきます。
冒険がきちんとシアワセに溢れて終わるのは、さすが。(ひこ)

『なつのおうさま』(薫くみこ:作 ささめやゆき:絵 ポプラ社 2007.06 1200円)
 夏休み、「ぼく」の家にかあさんの友達がやってくる。「ぼく」と同い年の女の子「ひなこ」を連れて。ほんの二日の宿泊だから、ほんの二日付き合ってやればいいだけのひなこ。
 でも、
 初めて知る「切なさ」。
 夏の初恋。(ひこ)

『三丁目の傘屋さん』(岡本小夜子:作 篠崎三朗:絵 そうえん社 2007.06 1200円)
 夏祭りが近づいています。
 町の外れの古い商店街の端っこにある傘屋さん。番傘を作っています。
 夜、お月様が降りてきて、傘を一本貸して欲しいと頼みます。
 よろこんで。
 次の夜は雨降り。でも、その次の日はあがって、傘が返してありました。
 もうすぐお祭りが始まるある日の不思議な出来事です。
 インパクトはあまりなくて、そうした出来事がありそうな時期をピンナップしたような作品。だからこそ、印象に残ったりするんですよね。
 表紙は、そのままでベタすぎなのが残念。(ひこ)

『このゆびとまれ』(薫くみこ:さく 久本直子:え 岩崎書店 2007.05 1300円)
 おねしょをしてしまう「ぼく」。
 でもみんなだってきっと。
 「おねしょしちゃうこ、このゆびとまれ!」
 と、いろんな動物の子どもがやってきます。
 おねしょ世界を楽しくしてしまいますよ。
 もちろん、いつかはきっとやまるのですから。(ひこ)

『プンプンぷんかちゃん』(薫くみこ:作 山西ゲンイチ:絵 ポプラ社 2007.05 1100円)
 ふみかちゃんはいつもプンプン怒っているので、ぷんかちゃん。
 もう小学一年生にもあきたよぉ。
 お隣の家の、飼い犬にあきたガブちゃんと出かけることに。
 出会った動物たちに、ガブちゃんは、ぷんかちゃんのことを「ともだち」って紹介します。
 え? 「ともだち」?
 なんだかくすぐったい、不思議な気持ち。
 いつもプンプンしていないで、たまには「ともだち」っていいかもよ、ぷんかちゃん。(ひこ)

『家族で食育! 朝ごはん1 からだに元気! 朝ごはん』(監修:服部幸應・服部津貴子 岩崎書店 2007.11 1300円)
 「食育」の伝道者服部の監修した「食育」シリーズです。朝ごはんに絞ってます。
 朝ごはんを食べない人も多いイマドキ、夜より朝にしっかり食べた方が良いことは、子どもにとって驚きかもしれません。
 色々工夫はあって、例えば「指でおぼえる1日の食べものチェック」では、親指を「ごはんの指」、小指を「バターの指」といった風にして、まんべんなく摂取しやすいようにしていますが、ちょっとわかりにくい。まだまだ練り込みが必要なようです。(ひこ)

『あいしてます』(大野圭子:文 篠崎三朗:絵 文研出版 2007.12 1300円)
 おじいちゃんとおばあちゃんチに遊びに行った「あたし」。でも、二人の様子がなんだかヘン。喧嘩してるんだって。
 二人を仲直りさせたい「あたし」はある作戦を練る。
 いい解決方法で、ほほえましいです。ただ、そこに持って行くまでが一直線。もう少し言葉が少なくてもいいのでは。
 篠崎の絵は挿絵風になっていて、損。
 作者と画家で、どうバランスをとって絵本に仕上げていくかの詰めが甘いと思います。いい素材と、個性的画家のコラボだけに惜しい。
 絵本って、難しいですね。(ひこ)

【創作】
『白いキリンを追って』(ローレン・セントジョン:作 さくまゆみこ:訳 あすなろ書房 2007.12 1400円)
 両親が亡くなり、ロンドンから、母方の祖母のいる南アフリカへやってきたマーティーン11歳。
 祖母の態度はなんだか冷たく、マーティーンは孤独です。祖母は鳥獣保護区に住んでいるのですが、柵で囲まれた保護区域名はマーティーンを入れてくれません。ある日の深夜カギを盗んでこっそり入ったマーティーンは、そこで伝説の白いキリンと出会います。キリンは彼女を恐れるでもなく近寄ってくる。白いキリンに乗った少女が動物たちを救うという伝説が今実現されようとしているのか?
 3巻本の冒険シリーズが始まります。マーティーンと祖母の心のふれあい、密猟者との闘い。読みどころは満載です。説明が多いのが少し気がかりですが、一巻目だから仕方がないかな。次作期待です。(ひこ)

『アントン-命の重さ-』(エリザベート・ツェラー:作 中村智子:訳 主婦の友社)
 ナチス政権下のドイツで実際にあった出来事が描かれています。
 アントンは交通事故が原因で障害が残ってしまいます。右手を思うように動かせず、言葉もうまく出ないのです。それでも彼は、両親の愛情を一杯受けて育っていきます。
 ところがナチスの政策は。障害を負った者を不完全な人間と見なすものでした。
 アントンがいじめられても、先生は見て見ぬふり。親友ですら、親からアントンと遊ぶことを禁じられてしまいます。何故? どうして? 理由のわからないアントンは落ち込みます。
 やがて、ナチスによって命を奪われかねない状況となり、アントンは家族と離れて田舎に身を隠すしかなくなります。それでも危機が訪れ、アントンを生き延びさせるために、残された方法は、偽の死亡証明書を作ることだけでした。
 きつい物語ですが、ぜひ知っておきたい事実が描かれています。(ひこ)

『スパイ・ガール3 見えない敵を追え』(クリスティーヌ・ハリス:作 前沢明枝:訳 岩崎書店 2007.11 800円)
 シリーズもいよいよあと一巻を残すのみ。天才スパイとして育てられたジェシー・シャープたち三人の謎が、今回のミッションで、いよいよ明らかになります。
 んなことあるかあ? と昔の言葉で言えば「マンガチック」なのですが、それによって成立している、ジェシーたちの置かれた立場の切なさがそれを上回りますから、グングン読めます。
 エンタメとしてはごくスタンダードな展開なんですが、十分な楽しさを味わえますから、それこそ質の高さでしょう。(ひこ)
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『キャベツ』(石井睦美:作 講談社 1300円)
 大学生の「ぼく」は、母親と妹美砂のために、家事一切を引き受けています。中学二年生のとき、父が亡くなってしまい、「ぼく」は家族を守る決心をしました。その実践が、毎日仕事で疲れて帰ってくる母親の負担を少しでも軽くすることだったのです。
 時は流れ、「ぼく」は大学生で、美砂は高校二年生。二人とも思春期真っ盛り。でも、今も「ぼく」は母と妹のために家事にいそしんでいます。下着の洗濯だって気にせずやっている。ヘンなヤツって思わないでくださいね。彼にはそれが当たり前で、大切な役割なんですから。
 でも、大学の友達と積極的に遊ぶわけでもなし、家事にばかりかまけていて本当にいいんだろうか?
 ある日、美砂は親友のかこちゃんを紹介してくれます。「ぼく」は彼女を好きになるけれど、妹の親友と恋愛するのはちょっとなあ。
 さて、「ぼく」はどうするのか?
 生活臭一杯なのに、何故かキラキラしていて、ちょっと切ない、不思議な青春物語ですよ。(ひこ 読売新聞)