No.102     2006.06.25日号

       

【絵本】
『平和の種をまく-ボスニアの少女エミナ』(大塚敦子:写真・文 岩崎書店 2006.05 1500円)
 旧ユーゴ、内戦の続いたボスニアにあるコミュニティー・ガーデンで暮らす少女を捉えた写真絵本。
 ガーデンでの家族と一緒にやる仕事、和やかな笑顔、そしてサラエボ戦火の元で生まれた事実。
 作品は、戦争の記憶がそれほどないエミナを語り手にして、あの戦争と今の生活を写真で切り取っていきます。5ページのエミナの笑顔、21ページのサラエボに残ったセルビア人のドブリラおばさんの表情、24ページのきゅうりの入った木箱をかかえたおじさんのうれしそうな顔etcを見ていると、やはり写真絵本でしか伝えられない物があるのがよくわかります。
 描かれる画が見る側にイメージを突きつけてくる、イメージが押し寄せてくるのに対して写真はあくまで静かで、私たちはそこに写っている彼らの表情を読みとったり、切り取られた風景に自分の体験や経験を付加していきます。どちらが優れているということではなく、どっちも必要です。
 写真絵本が古典になることは難しいでしょうけれど、「今」という「歴史」を記録してくれる意味で、貴重な物です。
 この作品もまた私の貴重な一冊となりました。(hico)

『ヤンヤンいちばへいく』(周翔:作 文妹:訳 ポプラ社 2006.06 1300円)
 ポプラ社が始める、中国作家のオリジナル絵本シリーズ第一弾です。
 ポプラ社の心意気にまず、乾杯!
 第一弾は、地味といえば地味。すこし懐かしい感じがする、中国の市場風景。そこを主人公の少年が見ていきます。
 地味と書きましたが、第一弾のテーマがこれなのは大正解でもあると思います。別の文化を知るための一番の場所は市場ですから、シリーズがここからスタートするのは、これから始まる様々な作家による様々な作品への期待をふくらまさせられます。
 じっくりと読んでいくと、市場の声がしてきて結構ドキドキ。
 楽しみ、楽しみ。(hico)

『名画のなかの世界・描かれた遊び』(福間加容:訳)『名画のなかの世界・描かれた動物たち』(森泉文美:訳)(ウエンディ&ジャック・リチャードソン:編 若桑みどり:日本語版監修 2006.02 2500円)
 いやもう、すばらしくて、幸せになります。こんな展覧会を見たいな。キュレーターを目指す学生の方達必見のシリーズですよ。(hico)

『ヨンイのビニールがさ』(ユン・ドンジェ:作 キム・ジェホン:絵 ピョン・キジャ:訳 岩崎書店 2005/2006.05 1300円)
 雨に濡れているものごいのじいさんにビニールがさを貸してあげた。ただそれだけの物語なのですが、よけいなものがなにもないので印象深い仕上がり。 キム・ジェホンの画は、雨を主人公のように、雨に表情をつけて描いていて、良いです。
 韓国にはまだまだいい絵本がありそう。どんどん出してください。(hico)

『ここってインドかな?』(アヌシュカ・rビシャンカール:文 アニータ・ロイトヴィィラー:絵 角田光代:訳 アートン 2001/2005.12 1500円)
 アートンのアジア・アフリカの絵本シリーズの質の高さはすごい。
 これは、インドに恋したキルト作家アニーターの作品達に触発されたアヌシュカの文で構成された絵本。「わたし」が青いネズミになって飛んでいった先がインドなのかを巡って現地の人に尋ねるのですが、トンチンカンな答えばかりが返ってきて、という楽しい話に仕上がっています。もちろん、キルトを眺めながら私たちが物語を作ってもいいわけで。
 すばらしいわ。(hico)

『ごきぶりねえさん どこいくの?』(M・アーザード:再話 モルテザー・ザーヘディ:絵 愛甲恵子:訳 ブルース・インターアクションズ 2002/2006.05)
 イランの絵本。ごきぶりねえさんが町に出て、結婚し幸せに暮らすまでを描いています。などと書いても仕方なし。ストーリーはおおらかで楽しくて、勝った負けたもなくてとてもいいです。そして、なにより、つけられた画の伸びやかさ! 楽しくなること間違いなし。
 何度も書いていることですが、絵本ってメディアは深いわ。 (hico)

『いやはや』(メアリー・ルイーズ・ゲイ:作 江國香織:訳 光村教育図書 2005/2006.05 1400円)
 な、なんてこと、猫のいやはやは空を飛べない! 猫なのに、飛べない! 悩んでしまういやはやは飛ぼうといろいろするのですが、飛べない・・・。
 『ステラ』シリーズでおなじみの作者の新訳。
 この発想がやっぱりいいね。そして心通じ合う友だちの作り方が巧い。
 画はもちろん言うことなし。(hico)

『エヴァはおねえちゃんのいない国で』(ティエリー・ロブレヒト:文 フィリップ・ホーセンス:絵 野坂悦子:訳 くもん出版 2002/2006.06 1300円)
 仲の良い姉エリサの突然の死。
 子どもに死をどう描くか? は今では考えなけらばならない命題となっていますが、この絵本はとても良いです。死を遠くの物とも、乗り越える物とも描いてはいません。大切な人がいて、それが失われて、とても苦しくて、みんなが優しくて、でも日常は変わらなくて、なぐさめの言葉があって、でもおねえちゃんはいなくて、そのことは受け入れるしかなくて、その事実と共に生きていくこと。ただそれだけのことであり、ただそれだけであるのが大事なのです。
 その通りだと私も思います。(hico)

『きょう のぶに あったよ』(いとうえみこ 伊藤泰寛 ポプラ社 2005.12 1200円)
 『うちにあかちゃんが うまれるの』のコンビによる写真絵本。20歳でなくなった脳性麻痺者ののぶとの時間をきりとっています。
 いとうえみこにとって、のぶは初めての障害者の友だち。
「じーっとみてると のぶのきもちが つたわってくるんだ。/おしゃべりって、ことばだけじゃないんだね。」はとてもいい言葉です。そしてそこで終わらずに「それが うれしくって たのしくって、」と続くところで、この言葉が本物なのがよく伝わってきます。(hico)

『希望の義足』(こやま峰子:文 藤本四郎:絵 NHK出版 2006.03 1500円)
内戦による地雷などによって足を奪われたルワンダの人々に、義足を送る運動を絵本化。
 ルワンダを知るという意味において、世界は平和に満ちているわけではないことを知るという意味において、この絵本は役に立つ。
 マミ(吉田真実)がいかにしてこうした運動を始めたかをリアルに描くためにその背景、彼女の子どものころからの体験などに多くのページを割こうとする意図もいいと思う。 ただ、バランスは悪いと思う。
 もっと写真が欲しかった。(hico)
「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」のホームページは、
 http://www.onelove-project.info/
メールアドレスは、
 info@onelove-project.info

『バラ咲くじゅうたんのあるところ』(ルクサナ・カーン:さく ロナルド・ハイムラー:え 若林千鶴:やく 草炎社 1998/2006.03 1300円)
 アフガン難民の少年、彼の織る絨毯には平和への願いがこめられています。
 という話は何ほどのこともないようなのですが、貧しい日常のなかに起こる事件など、これがかれらの「日常」であることが良く伝わってきます。画は洗練されてはいませんが、それがどうした、と言いたい。(hico)

『ろばのトコちゃん はをみがく』『ろばのトコちゃん おかたづけ』(ベネディクト・ゲティエ:さく ふしみ みさお:やく ほるぷ出版 2006.06 800円)
 愛らしいろばのトコちゃんを主人公にしたシンプルでセンスのいい幼児絵本です。
このトコのキャラが重要なのは言うまでもありません。でも名前「トコ」でいいんでしょうか? (hico)

『かっぱのかっぺいと おおきなきゅうり』(田中友佳子:作・絵 徳間書店 2006.06 1400円)
  かっぺいくん、大きなきゅうりを食べたいと出かけますが、物陰からキュウリに見えたそれは、サボテンだった・・・。といったことが次々と展開していきます。そんだけの話がダイナミックに展開するのが、作者の力。どこまで行くんかい! です。
 オチもいいところに決まっていて、読み応えがあります。 (hico)

『おばけのもり』(石津ちひろ:作 長谷川義史:絵 小学館 2006.07 1400円)
 季節物です。転がったたこやきを追ってヒロシはおばけの国に。そこにいるのは折り句でナンボのおばけばかり。
 ってだけならつまらないかもしれませんが、そんなことはなく、画面の隅々までながめているとそこここに、長谷川の遊び心が発見できます。 (hico)

『おばけとあそんじゃお!』(石津ちひろ:作 かわかみたかこ:絵 あかね書房 2006.06 1000円)
『おばけ こわくないぞ!』(石津ちひろ:作 石井聖岳:絵 あかね書房 2006.06 1000円)
 季節物です。前者は、のっぺらぼうがきたらメイクして遊んじゃおうといった、おばけの連鎖。後者はお留守番をしている男の子が、もしお化けが出たら、笠おばけならビーチパラソルにするんだといった、おばけの連鎖。
 1ネタを広げてどう楽しませるか が勝負。前者は引っ張れているけど、後者はチト苦しい。 (hico)

『クク・メソ・エッヘン』(伊藤智之:作 JULA出版局 2006.04 1400円)
 とおるの親が仕事に出かけていて、たった一人の部屋。妖しい者たちが現れて「あそぼー」。
 子どもだけに見える彼らにクク、メソ、エッヘンと名付け、とおるは彼らと遊ぶようになります。
 子ども以上に子どもっぽく、そして子どもを守る存在。それは子どもの心にたいていは住んでいる者です。いや、大人の心にも?(hico)

『ベンジーとおうむのティリー』(マーガレット・ブロイ・グレアム:作 わたなべてつた:やく アリス館 1971/2006.05 1400円)
 『さとうねずみのケーキ』でおなじみの作者による作品。
 ペンジーは家族中からかわいがられている犬。大満足。でも、おばさんがオウムのティリーを連れてくると、みんながティリーをかまうので、ちょっとシット。今回ティリーは犬のほえ声を覚えてきたものだから、大受け、ベンジーはますますシット。ティリーを逃がしてしまいます。さてティリーが求めていたものとは?
 ほのぼのといいのですが、ラストの処理、ティリーは恋人ができて、おばさんといっしょにはやってこなくなり、ベンジーはおばさんと仲良くなるというのは、少し後味が悪いな。(hico)

『すてきな おうち』(マーガレット・ワイズ・ブラウン:さく J・P・ミラー:え 野中柊:やく フレーベル館 1950/2006.01 1200円)
 「これは、だれのおうち?」で、ページを繰るとその生き物が描かれているという、素朴な展開の絵本ですが、「おうち」のあたたかさや心地よさが自明のように描かれる様をながめていると、気持ちがいいです。今はもう描けないけれど、今も読みたい一冊です(hico)。

『こっそり どこかに』(軽部武宏:さく 長崎出版 2006.06 1500円)
 『こびとづかん』に続く、cublabelシリーズ2作目。今作も、ちょっとヘンな雰囲気で、いいです。
 大事なおもちゃのロボットの片脚をどこかに落としてきてしまった少年が、探しに町を走り回ります。
 夜の町に黄色いレインコートの少年ってだけで十分妖しげな雰囲気なのに、開く画面画面、どこか妖しげでノスタルジック。
 悪い意味ではなく、これ、子どもが読むと強烈な印象残すよね。
 シリーズの顔が出来てきましたね。(hico)

『ミーミーちゃんのラストレター』(ハンダトシヒコ:さく 長崎出版 2006.07 1600円)
 cublabelシリーズ3作目。
 ミーミーちゃんがみんなに書いたお手紙。引っ越しをするので最後の願いを聞いて欲しい。もちろんみんなOK。 でも、なんだかヘン。料理をしろだの、新しい服を作れだの。そして「わたしのお家」を作ってくれ。
 それは「なんだかへんな家」で、実は....。
 なんだかわたしもよくわからないが、おかしい。 (hico)

『カッパがついてる』(村上康成 ポプラ社 2006.03 1300円)
 村上康成ワールドの幸せがつまった一品。
 女の子がいぬのポチと川辺を散歩。ヤマメが群れるきれいな川。と、ドボン! カッパにつれられて川の中へ。そこには自然の楽しい世界が・・・。
 タイトル通り、誰にでもカッパはついていて、河で楽しく遊ぶことができるよ! という村上の自然との寄り添い方、子どもへのメーセージの出し方は、やはり好感度大なのです。(hico)

『はらぺこヘビくん』(みやしたたつや:作・絵 ポプラ社 2006.04 780円)
 『星の王子様』にゾウを飲み込んだウワバミの話があり、それは「大人」の「想像力の枯渇」を嘆くものでした。この絵本は、そうした「思想」を排除し、なんでも丸飲みにしてしまうヘビくん、じゃあ丸飲みしたらどんな形になってしまうの? という直球のベタです。
 繰り返される「ニュロニョロ」と「ごっくん」もそのまんま。
 だから、繰り返しがおもしろくなります。良いです。
 「ウルトラマン」や「テラノサウルス」シリーズも含め、宮西は最初っからオリジナリティというものを見切っているところがあり、そこが存在感となっています。このままどんどん描いてください。 (hico)

『ともだちはここにいるよ』(桑原伸之:さく 小峰書店 2006.4 1500円)
 生まれたばかりのドード。友達なんかいません。そこにクジラがあらわれて、背中に乗せてくれます。仲良しになる二匹。ドードはともだちを求めているのですが、それはやはり、絶滅した仲間がいいのですけれど、そんなことは無理で、
 この作者らしい、シンプルな画に、シンプルな物語。
 この安定度はさすがです。 (hico)

『ぷしゅ〜』(風木一人:作 石井聖岳:絵 岩崎書店 2006.06 1300円)
 家族で海へ行くわけだ。たっぷり遊んだら、浮き輪はぷしゅーと空気を出して仕舞うわけだ。
 でもでも、この家族、帰りの更衣室も帰りの電車も、レストランも、みーんなぷしゅーと後かたづけ。
 で、家に帰って塗る舞に、当然のように自分を・・・。
 画がちょっとベタな気もしますが、話の勢いの良さを支持。 (hico)

『おんちのイゴール』(きたむらさとし 小峰書店 2006.05 1500円)
 鳥のいごーるは、季節がやってきていよいよ初めてうたう。が、おんち。ラブソングもなにもあったもんじゃない。習ったり努力はするが、ダメ。ついに旅に出ることに。
 幸せな結末が待っています。
 でもちょっと言葉が多いです。もっと削ってもいいのでは?(hico)

『ぺったん!』(三枝三七子 あかね書房 2006.03 1000円)
 いろんな野菜が切り口を紙にペッタン。どんな野菜だ?
 からはじまって、様々な野菜の切り口を一緒にペッタンすることでより楽しい画となるところまで、素朴ですがレベルは高いです。 これは「あそびみつけた」シリーズ第一巻です。他に『つみきバス』『どろんこたんけんたい』。「あそびみつけた」というわかりやすいコンセプトに、作品がうまく添っています。 (hico)

『象と生きる』(新村洋子:写真・文 ポプラ社 2006.04 1300円)
 写真絵本「自然 いのち ひと」シリーズ。
 ベトナム、ドン村の「家象」と村人の姿をとらえています。牛や馬がそうであったように、ここでは象が貴重な労働力になっています。働き終えると森に帰っていく象たち。 つまり象たちは夜は自由に過ごします。
 人間が一方的に利用しているだけのようですが、像たちの存続に、この習慣が寄与しているのは間違いがありません。
 人間は自然とどう向かい合うのか? ではなく人間も自然の一部としてここにいる。シリーズに一貫して流れるコンセプトです。(hico)

『すなばで ばぁ』(中川ひろたか:文 山本祐司:絵 主婦の友社 2006.06 700円)
 想像の連鎖。すなばで砂の山を作り、穴を開けたらトンネルになって、新幹線が走り去って、その跡に水をまいたら川になって・・・・。
 とても無理なく、想像がつながっていきます。この自然さは、作者の腕。(hico)

『曽我兄弟』(砂田弘:文 太田大八:絵 ポプラ社 2006.05 1200円)
 「日本の物語絵本」ももう17冊目。神話・昔話から歌舞伎まで、この国のよく知られていたであろう物語たちの集成。学生に聞くと、実はもうほとんどが、知られていなかったりします。その意味でこれはどんどん出していって欲しい。たまには文と絵に若い人を使っても欲しいですが。 (hico)

『おべんとだいすき』『うたうのだいすき』『にらめっこだいすき』(きむらゆういち:作 のぶみ:絵 主婦の友社 2006.04 780円)
 仕掛け絵本のファーストブックです。
 仕掛けは簡単。『おべんとだいすき』だと、ページを開くとと口が閉じていて、90度くらいにすぼめると口が開いて、それぞれの動物が好きな者を口に入れています。そんだけ。あとのも同じ。そんだけ。
 そんだけなのがいいのです。スケベに一ひねりなどすると失敗します。このシンプルさなら何度でもページをあけたり閉じたり楽しいもん。(hico)

『さよならチワオ』(なりゆきわかこ:作 津金愛子:絵 ポプラ社 2006.05 1200円)
 「ぼく」が生まれたとき3歳だったチワワのチワオが、老犬になりやがて死んでいくまでを綴った絵本。
 情緒にあまり流れることなく、飼い主の介護のシンドさも描いているところが好感。画がちょっと優しすぎるかな。(hico)

『クッキーのぼうしやさん』(安西水丸:作 ポプラ社 2006.01 714円)
  うさぎのクッキー。今度は草花を使って帽子を作ります。だれが買ってくれるかな?
 ページを繰ると次から次へと動物があらわれてきます。今度は誰? の楽しみが一杯。
 この繰り返しの楽しさと、どの動物にどの帽子の楽しさ。
 安定した読み聞かせタイプの絵本です。(hico)

【創作】
『天使のすむ町』(アンジェラ・ジョンソン:作 冨永星:訳 小峰書店 2006.05 1400円)
 ボブ・マーリーから名前をもらったマーリー14歳は、優しい両親・弟と幸せな日々。住む町はヘヴンですからね。旅人であるおじさんのジャックから時々おくられてくる手紙も楽しみ。
 が、ある日マーリーは知ります。パパとママは本当のパパとママではなく、パパの弟であるジャックが本当のパパで、ママのクリスティーンは亡くなっていることを。
 だからといって生活が変わるわけでもないのですが、マーリーのアイデンティティは揺らぎます。今までのすべてが嘘?
 ここから物語は、丁寧にマーリーの心の揺れを描いていきます。彼女がそれを受け入れるまでを。
 地味といえば地味な物語ですが、心にすっと入ってくると、「心の痛み」をマーリーと分かち合い、やがて訪れる穏やかな幸せに、共に浸ることができます。(hico)

『草花とよばれた少女』(シンシア・カドハタ:著 代田亜香子:訳 白水社 2006.05 1800円)
 戦中、アメリカの日系人がどのように収容所へと送られ、そこでどのように暮らしたかを、14歳のスミコの視点で描いています。
 パールハーバーの少し前から物語は始まります。学校では日系人がスミコ一人でしたから、すでに異人として扱われていることを彼女は強く意識しています。それでも、花農園を営むおじさんの家での暮らし(両親は亡くなっている)は日々忙しく、また花が好きなスミコにとっては楽しい毎日といえます。そして、パールハーバー。その時、日系人達が、日本関係の書物や衣服などを大あわてで処分する姿などは、知らない者にとってとてもリアルに伝わってきます。その後、収容所での日々。ネイティヴアメリカンの少年との淡い恋など、ほほえましくも切ないエピソードも交えながら、「日常」を作者は丹念に描いていきます。
 あの時代のアメリカ日系人の置かれた状況を私たちは様々なニュースや資料で知ることは出来ますが、小説のリアリティは、それらではなかなか伝わらない感触を知らせてくれます。
 前作『きらきら』は二〇〇五年度のニューベリー賞を受賞しています。 (hico)

『荒野のマーくん その受難』『荒野のマーくん その試練』(花形みつる :作やまだないと:絵 偕成社 1200円 2006)
 平和な一家のはずが、ある日見知らぬ娘がやってきて、パパに「あたし、あなたの娘です」なんて言ったから、もう大変。ママは家出、マーくん12歳とパパの生活が始まった。
 このパパ、子ども時代を思い出にしないまま大人になった人だから、もうそろそろ大人だと自分を思い始めているマーくんがお世話するはめに、仕事は辞めるし、ガンダムのお高いグッズを買うは、どっちが大人なんだか。
 しかし、この二人の関係は、今の大人と子どもの有り様をとても上手く描いている。ママが帰ってくる切っ掛けが、マーくんの入院って所は、まるで、『少女ポリアンナ』や『ふたりのロッテ』みたいで、新しい設定の物語も根幹では昔の物語を踏襲しているんだな、となんだか納得。
『その試練』では、くだんの娘とマーくんのドタバタが展開。
 いけてる、エンタメ小説です。 (hico)

『プラネット・キッドで待ってて』(J・L・コンリー:作 尾崎愛子:訳 おおの麻里:絵 福音館 2006.04 1700円)
 時代設定は60年代。母親が手術をするために、おばさんの家で一夏を過ごすことになった、少女ドーン。さっそくシャーロットという親友ができます。二人で秘密の小屋を作ったり、男の子達とけんかをしたりの日々。が、シャーロットの父親は家族に暴力を振るう男でした。誰かに助けてもらわなければと思うドーンですが、シャーロットもその家族も隠そうとします。父親を失ったら食べては行けないからです。子供たちの情景がとてもリアルに描かれています。(hico)

『ぼくらの家出 3days 2006』(さとうまきこ:作 やまだないと:絵 ポプラ社 840円)
 『3days』シリーズ第2弾。3daysと縛りを付けることで、切れ味の良いエンタメになってます。主人公は、省吾と雄介。小学校の卒業記念に3日間の家出を敢行。
 今回は、旅の途次で出会った摂食障害のリンちゃんを巡って展開。「お前ヘン」といっあような率直は発言をする省吾と雄介がよいです。結構深刻な問題を扱っていますが、二人のキャラが真っ直ぐなので、ぐいぐいと、希望の方向へ物語を進めてくれます。
 このシリーズは買いですよ。(hico)

『やまんばあさんの大運動会』(富安陽子:作 大島妙子:絵 理論社 2005.12 1300円)
 富安、大島ジョイントのやまんばあさんシリーズ最新作。
 今回はタイトル通り運動会で大活躍なのだが、それがまあおかしくって、良い。
 このシリーズは一つの良い典型なのですが、一つの世界を作ることにより、そこでキャラクターを自由に動かしている様は、安心できて楽しいです。 (hico)

『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(リック・リオーダン:作 金原瑞人:訳 ほるぷ出版 2005/2006.04 1900円)
  怪獣はなぜかいつも日本に現れるわけですが、今作の場合、オリンンポスの神々がギリシャからアメリカに移動しています。
 主人公のパーシーは学校での成績は悪く、さえない男の子。義父はサイテーな奴。しかし実は彼はポセイドンの息子だったのです。母親は人間ですからハーフ(ダブル)。ゼウスが奪われたというライトニングボルトをハデスの元に取り返しに行く冒険が描かれます。っても、もちろんその奥にまだまだ謎は一杯あるのですが。
 オリンポスの様々な神々が登場し、神話のエピソードも重ねられていき、読み飽きさせない腕はなかなかなもの。でも舞台がアメリカだから重厚とかでなくポップでライトでアメコミです。そこをおもしろいと見るかで好き嫌いは別れるでしょう。
 母親の自立の問題もふれられる辺り、今の作品です。
 残した謎があるので、続編も出ますよ。 (hico)

『絵の中からSOS』(赤羽じゅんこ:作 佐竹美保:絵 岩崎書店 2006.03 1200円)
 やっと描き上げた絵に双子の弟たちに悪戯描きされて怒るいっこ。彼女は以前描いた絵を友だちに笑われて絵を描けなくなっていたのだ。
 弟たちの描いた海賊船が動き出す。島を守らなければ! いっこは絵の中に入り込む。
 こうして冒険が始まるのだが、それはシンプルで楽しいもの。そしてその背後にいっこ自身が忘れようと隠している痛みがあることが明らかになってくる。
 軽い読み物の中に子どもの心の痛みを描き、ちゃんと回収している辺り、なかなか巧いです。 (hico)

『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(J.K.ローリング:作 松岡佑子:訳 静山社 2005/2006.06 3800円)
 いよいよラス前です。あの人の過去もしだいにほの見えてきて、ハリーにとって最も悲しいことも起こり、ロン、ハーマイオニとの絆は深まり、最後の決戦に向けての準備が整ってきます。
 ハリー・ポッターはファンタジーというより、基本的に学園物であることは何度も書いていますが、本作で、その学校の存在が危なくなってきましたから、最終巻はどう展開するか? 失われた学園となるのか、漂流教室となるのか、RPG風のファンタジーになってしまうのか、興味は尽きません。(hico)

『コブタがテレビをみるなんて!』(トリーナ・ウィーブ:作 宮坂宏美:訳 しまだ・しほ:絵 ポプラ社 2006.05 1000円)
 『アビーとテスのペットはおまかせ!』シリーズ3作目。
 今回は、ミニブタのプリッシーの世話をすることになります。プリッシーは頭も良くて好みもうるさく、もう大変。
 ユーモアあふれる展開の後にちょっとだけ何かを判る。成長の断片とでもいいましょうか。そこをさりげなく見せる当たりが巧いです。
 世話される子どもが世話をするシリーズの設定そのものが 子ども読者には心地いいんでしょうね。(hico)

『こむぎとにいちゃん』(吉田道子:作 本庄ひさ子:絵 文研出版 2006.06 1200円)
 こむぎは、ある日、木守りを見る。彼女は妖精を見る能力がある。少女の木守りは兄の木守りを探して欲しいという。
 こむぎと兄の心も通いと、木守りのそれを重ね合わせながら、兄弟の暖かさを描いています。挿絵も悪くありません。表紙はもう少しレベルアップが必要。 (hico)

『あおいじかん』(長崎夏海:作 小倉正巳:絵 小峰書店 2005.10 1000円)
 夜から朝への一瞬の時間。自然の沈黙が訪れる。あおいじかん。
 かあさんからそう聞いたカイトは、みくと一緒にあおいじかんを探しに出かける。
 ファンタジーではなく、本当の日常の時間にステキを見つける話です。小さなお話ですが印象を残します。(hico)
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「復刊!人気作家ようねん童話」
ってことで、理論社から全6巻出ました。
(1)かみなりのちびた 松野正子 さく/長新太 え
(2)七つのぽけっと あまんきみこ さく/佐野洋子 え
(3)ゆきこんこん物語 さねとうあきら 作/井上洋介 え
(4)ブーフーウー 飯沢匡 作/土方重巳 え
(5)さあゆけ!ロボット 大石真 作/多田ヒロシ え
(6)こぶたのブウタ 神沢利子 作・え
です。
探していた方、これを機会に手に入れてください。図書館もね。(hico)
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『だれか、ふつうを教えてくれ!』(倉本智明、理論社 1200円)
 「ふつう」っていったいなんだろう。誰かにとっての「ふつう」が、誰にとっても「ふつう」というわけではないはずなのに、「ふつう」といわれるとなんとなく受け入れてしまう。
 視覚障害者の倉本さんは、この本の中で、「ふつう」について色々考えている。健常者にとっての「ふつう」が、視覚障害者にとって「ふつう」とは限らない。例えば、駅の施設の視覚障害者への安全対策が遅れたのは、障害のない人達が利用することを、「ふつう」と想定していたからではないのか? と。
 もちろん、倉本さんだって「ふつう」に染まっていることもある。「デートでは、必ず男性が女性をエスコートしなくちゃなんないものと思い込んでいた」りね。この正直さがとてもいいな。
 最後に倉本さんはこう述べる。「ぼくたちはなるだけフェアなルールづくりをめざさなくてはならないんです」。そのためには「ふつう」より先に全体への「理解」が必要なんですね。 読売新聞2006.06.26 (hico)
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「これ、読んどこ!」第1回
「ハリネズミのプルプル」シリーズ      
  <成長しない主人公>

今回からは、テーマにこだわらず、一九九〇年代以降の新しい作品の中で、面白いなと思ったものを採り上げていきます。どうぞおつきあいください。
「ハリネズミのプルプル」シリーズは、なんでもかんでもすぐに忘れてしまうハリネズミたちの物語です。
 一巻目の『森のサクランボつみ大会』は、夕方に行われる大会の練習をしようと、フルフルがプルプルの元を訪ねてくるところから始まります。ところがプルプルはそんな約束を覚えていません。フルフルはなぜその大会を覚えていたかというと、手のひらにメモしておいたからです。彼は、自分の誕生日を忘れてしまってパーティに出席できなかった経験があるので、そうすることにしたのです(もっとも、集まった人々も、フルフルの母親を含めて、それがフルフルのためのパーティなのをすっかり忘れていたのですがね)。なのに、プルプルの部屋で手を洗ってしまったとたん、フルフルもまた、大会を忘れてしまいます。しかし、森のみんなも忘れていたので、結局大会は開かれずに終わります。タイトルが『森のサクランボつみ大会』なのに、開かれずに終わるのがすごい。
 二巻目の『イチジクの木の下で』では、家に帰るのをすっかり忘れて放浪していたプルプルの父親がひょっこり帰ってきます。帰ってきたというより、たまたま自分の家にたどり着いただけなんですが。父親がいなくなったことを気にも留めていないプルプルと、息子を残して蒸発してしまったことを問題ともしていない父親が、なんともあっけらかんと描かれています。
 プルプルたちの世界では、特定の誰かがではなく、全員がなんでも忘れてしまうので、怒りも恨みも、喜びも悲しみも持続することはありません。毎日が「リセット」されるといってもいいでしょう。でも彼らは、友達のことなど、必要最低限のことは覚えていますし、生活に支障をきたしているようには見えません。そんな彼らに寄り添って読んでいると、なんだか、私たちは余計なことを一杯覚えようとし過ぎているのではないかと思ってしまいます。
 日々の中で子どもたちは成長を促されています。体験し、学習し、記憶し、次のステップに進み、社会化され、成長していく。これは別に悪いことではないのでしょう(年に一度、バージョンアップされた学習チップを頭に埋め込むなんて時代がくるかもしれませんが)。でも、それにちょっと疲れたとき、「ハリネズミのプルプル」シリーズのような、成長をしない主人公を描く物語世界は、居心地の良い場所になるでしょう。
 三巻目『キンモクセイをさがしに』は、学校が舞台で、テーマは学習です。プルプルの世界には最も無縁と思える学校で一体なにが起こるのか? ぜひ覗いてみてください。
(徳間書店子どもの本通信 2006.05-06)(hico)