20050.12.25日号
VOL.96

       
【絵本】

『おくりものはナンニモナイ』(パトリック・マクドネル 谷川俊太郎:訳 あすなろ書房 2005/200510 1200円)
 友達にプレゼントしようと思うけれど、友達はなんでも持っている。だから、「ナンニモナイ」をプレゼントするつもり。でも、そんなのどこに売っている?
 シンプルな画と物語展開。イマドキこれが出来るのはたいした物です。(hico)

『3匹のろしありす』(計良ふき子:ぶん きたがわめぐみ:え 教育画劇 2005.10 1000円)
 今頃なんですが、クリスマス物です。
 サンタが忘れていった赤いマフラーをプレゼントだと勘違いした3匹のろしありすは、それをほどいて自分達の洋服に。寒いぞサンタ。
 ストーリーも絵柄もそうですが、とても暖かい。ドラマチックな展開ではないのですが、幸せな結末はやはりこの時期嬉しいものです。(hico)

『こしょうできまり』(ヘレン・クーパー:さく かわだあゆこ:やく 2004/2005.11 1600円)
 『かぼちゃスープ』の続編だい!
 しおが切れたので3匹はシティまでお買い物に。なんでシティまで行く必要があるのか? などど考えない考えない。ときかく都会へ出てきた3匹の「冒険」をお楽しみに。
 そしてこしょうの入った新作かぼちゃスープは?
 おいしいに決まっています。
 色遣い、画面構成、もう活き活きとすばらしい。(hico)

『はらぺこライオン』(ギタ・ウルフ:ぶん インドラプラミット・ロイ:え 酒井公子:やく アートン 2005.11 1500円)
 『1.2.3 インドのかずのえほん』に続くインド絵本。画がまずいい。米で作った白い顔料をベースにして描く「ワルリー画」って手法だそうです。ロイはそこにシルクスクリーで絵を置きます。
 ライオンと知恵のあるその獲物たちを描きます。物語もいいぞ。
 このシリーズ、もっともっと欲しい。(hico)

『どんどんしっぽ』(竹内通雅 あかね書房 2005.11 1300円)
 たぬきのしっぽが自己主張を始めて、勝手に物を食うわ、ついにはちぎれてどこかに行ってしまって・・・・。
 笑えます。しっぽはパワー全開ですごいです。
 これで、文字のロゴにもう少し工夫があればいいのだけれど。
 でも、おもしろいよ。(hico)

『ハブの棲む島』(西野嘉憲 ポプラ社 2005.11 1300円)
 奄美、ハブと人間の戦い、というかこれも共存ですね、それが写真絵本によって示されていきます。
 ハブの恐ろしさではなく、自然や生命の偉大さにバランスが置かれています。このシリーズですからね。
 西野は前作『海を歩く』で海人(うみんちゅ)の豊かな時間を伝えてくれましたが、そしてそれは青い空と青い海でしたが、今作では深い森の海へと潜っていきます。中心となるハブ捕り名人は南さん。やっぱいい顔してます。(hico)

『義経千本桜』(橋本治:文 岡田嘉夫:絵 ポプラ社 2005.10 1600円)
 超豪華なコンビによる歌舞伎絵巻第2弾。
 もう何も言うことはございません。よだれこぼしてます。(hico)

『でっかいでっかいモヤモヤ袋』(ヴァージニア・アイアンサイド:さく フランク・ロジャーズ:え 左近リベカ:訳 草炎社 2005.11 1300円)
 ジェニーは色んな事が気に掛かる。体重のこと、成績のこと、友達のこと。そんなもやもやがだんだんたまって、モヤモヤ袋ははち切れそう。
 子どものストレスを「モヤモヤ袋」というかたちで見えやすく描いています。これって結構大事。そうすると、問題を直視しやすくなりますからね。(hico)

『ちきゅうは みんなのいえ』(リンダ・グレイザー:文 エリサ・クレヴェン:絵 加島葵:訳 くもん出版 2005.09 1400円)
 タイトルそのまんまの作品。正直少々気恥ずかしくはあるのですが、それは大人になってしまったからかもしれません。これくらいの真っ直ぐさ、子どもには伝わるのかな。(hico)

『ぼくのかわいくないいもうと』(浜田桂子 ポプラ社 2005.09 1200円)
 おにいちゃんが大好きなモンだから学校でもまとわりついて離れない妹のまほに少々辟易のぼくの姿が活き活きと描かれています。後半は、やっぱりほんとうは妹が大好き、へと落ち着いていくのが残念。そうしなくても作者の意図は充分伝わると思うのですが?(hico)

『あそびましょ』(もりやまみやこ:さく ミヤハラヨウコ:え 草炎社 2005.10 1200円)
 だれかとあそびたいこぶたくん。でも用事があったり病気だったり、なかなか遊び相手が見つかりません。そんなときさるくんが現れて、それから仲間が増えてきて。
 遊びの楽しさではなく、遊ぶことの楽しさを描いています。(hico)

『きこえてくるよ いのちのおと』(ひろかわさえこ アリス館 2005.07 1300円)
 生き物から自然まで、様々な音に生命を感じる、細やかな作品。
 とてもていねいに作られていて、ページごとの音に耳を傾けます。ただ、この世界は一冊の絵本には大きすぎる。ここから、何冊もの絵本が生まれてきますように。(hico)

『アリ ずかん』(山口進:写真・文 すがわらけいこ:絵 大谷剛:監修 アリス館 2005.07 2000円)
 タイトルそのままの図鑑。アリ博士になれます。やっぱり、こういうのって大人が読んでも楽しい。知らないこともいっぱい出てくるしね。
 で、見せ方は気になりました。
 写真とイラストという構成なのですが、このイラストは説明しやすいように置かれているのですが、余計だと思います。文とイラストならいいのですが、写真にとってイラストは落ち着かないものです。どういうことかというと、写真を眺める目の動きとイラストのそれは違います。一画面で二つの動きをしなければならなくなってしまう。ために、せっかくノッて眺めて読んでいるのに、そのリズムが乱れます。今回の場合、写真だけで描けると思うのですが?(hico)

『どんなかんじかなあ』(中山千夏:ぶん 和田誠:え 自由国民社 2005.07 1500円)
 目が見えない、身体障害、孤児etc、自分と違う境遇の人のことを想像し、感じてみよう! です。
 中山千夏が、非常にシンプルに本質に迫っています。和田の画もおなじみのシンプルさです。(hico)

『あかちゃんのおうさま』(のぶみ 草炎社 2005.11 1200円)
 生まれたてのあかちゃんは王様。でもだんだんと・・・・。
 「私」から「社会」へ。人の一生が「子ども絵」のタッチで描かれていきます。内容は結構骨太です。この内容を絵本で描くとやはりやや強引になってしまいます。(hico)
 
【創作】
『青春のオフサイド』*(以下『青春』)はウェストールが亡くなった1993年に出版されている。彼はデビュー作の『機関銃要塞の少年たち』以来さまざまな形で戦争をモティーフとしてきたが、この作品でも第二次世界大戦直後のイングランドを背景とし、戦争が個人の生活に及ぼした影響を間接的に伝えている。作品の舞台ノーサンバーランドのタインマウスはウェストールの生まれ故郷であり、主人公ロビー(ロバートの愛称)は作者の分身だろう。もっとも、1990年出版の『禁じられた約束』もまた第二次大戦中のタインマウスを背景に、ボブ(ロバートの愛称)を主人公としているので、両方の主人公に自己を投影していると見たほうがよいのかもしれない。
二冊のもうひとつの共通点が、戦争で婚約者を失った女性教師の存在である。『禁じられた約束』では、教師は脇役の一人で、婚約者の死後まるで火が消えたようになったという短い説明で終わる。そこで、こうした悲劇的な過去をもつ女性を再度取りあげ、その内面を掘りさげたのが、ロビーの恋愛対象となるエマ・ハリス先生であろう。
子どもの頃、ロビーは太りすぎで運動が苦手だったが、体が筋肉質になったおかげでラグビーに向くようになり、レギュラー選手の座を得ている。学校生活ではラグビー選手であることや監督生であることの意味は大きく、作品はトマス・ヒューズの古典『トム・ブラウンの学校生活』的なスポーツ小説・学校小説の側面をもっている。もっともウェストールは辛らつで、「紳士のスポーツ」という言葉の嘘や、大人の欺瞞、制度の無意味さなどをあわせて暴き出している。またグラマースクール生がパブリックスクール生に抱くコンプレックスなど、階級的対立や偏見も、われわれ読者には興味深い部分だ。
恋愛は物語のもういっぽうの軸である。ハリス先生と同級生のジョイスを相手に、17歳となったロビーはさまざまな葛藤を経験する。ウェストールが現実に年上の教師と恋愛体験をもったかどうかはまったく関係ない。恋愛がもたらす不安感やせつなさ、優しさ、歓喜、欲望と残酷さなどは普遍的なもので、彼の人間的成長に大きな影響を与えている。
だが、それより注目したいのは、あの時代にあの場所にいた人間だから書ける風景、ウェストールの原風景と思われる描写である。たとえば65キロ離れた場所へ単独で自転車を走らす8月の早朝。「タイヤは朝露に濡れた道路にふれて口づけの音をたて、ギヤの音もたえず快調だった。・・・薄汚れて冴えない道標だが、それに書いてある地名はあらゆる汚れを吹っ飛ばしてくれた。その先は、芽を吹いたばかりのヒースと、川の匂い、そしてひろびろした荒地を轟々と吹いていく風だけになった。」(p.58)あるいは失意のあまり、徒歩旅行に逃避していた時期。「内陸のほうに向けて吹く海風が、激しくでたらめにぼくを叩いた。そしてタインマスの桟橋に差しかかると、凶暴な闇の中から青白い幽霊のような大波が押し寄せてきて、岸壁を越えて砕け、ぼくをほとんどずぶぬれにした」(p.142)
もともとウェストールは構成力があり、またさまざまな素材を手際よく扱う優れた作家である。本書でもそうした特長はうかがえる。だが彼の育った地方とその時代の雰囲気を色濃く反映した本書は、一人の若者の精神的成長記録であり、どの作品にもまして生身のウェストールを実感させる、印象深い作品といえよう。(初出 週刊読書人2005年10月21日号) *掲載時の『青春のキックオフ』は誤りなので訂正します。 (西村醇子)
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 癒し系の本が山ほど出ているので、もううんざりだと思っている人は『僕らの事情。』(ディヴィッド・ヒル:作 田中亜希子:訳 求龍堂 千四百円)も手に取らないかもね。その手の本に見えますから。
 でも、これは気持ちよく「号泣」するための物語なんかではありません。物事とちゃんと向き合うことを読者に迫る、結構厳しい物語です。
 十五歳のネイサンとサイモンは大親友。サイモンは体の筋肉がだんだん衰え、筋力が失われていく筋ジストロフィーという病気を抱えています。でも物語はそのことを中心においてはいません。ネイサンの親友がたまたまの筋ジストロフィーだっただけといったノリです。つまり、十五歳の男の子たちの日常がそのまま描かれています。
 うまく言えないのですが、サイモンは筋ジストロフィーであることも含めて魅力的な男の子なのです。彼の言葉はかなり辛辣。TVの「良心的」な障害者問題キャンペーン番組もサイモンによると「金をいくらかやれ、そうすれば、障害児のために何かしたって気分になる、あとは自分達のささやかで幸せな暮らしにもどれるだろって感じ」ですから。
 亡くなる直前、ネイサンの初恋へのアドバイスだって、こうです。「たぶんおまえは相手の女の子をまちがっていると思う」。こんな親友を持てたネイサンは幸せだよね。読売新聞2005.12.15 (hico)
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『おりの中の秘密』(ジーン・ウィリス 千葉茂樹:訳 あすなろ書房 2004/2005.11 1200円)
 「ぼく」は話せない。耳が聞こえないわけでもないし、人の話が分からないのでも、話したいことがないのでもない。けど話せない。
 動物園の檻の中のゴリラの手話を理解した「ぼく」は、他の動物園にもらわれようとしている彼女の赤ん坊を取り戻すべく、とてつもない行動に出る。
 うまくいきすぎのストーリー展開と言えなくもありませんが、それが嫌な感じではなくスッキリとした読後感なのは、伝えようとした「事」の背筋が真っ直ぐだからでしょう。(hico)
 
『ふたつの家の少女 メーガン』(エリカ・ジョング:作 木原悦子:訳 あすなろ書房 1984/2005.10 1200円)
 そうか、エリカ・ジョングはこんなのも書いていたのだ。両親の離婚に悩む娘のお話です。
 意外でしょ。エリカ・ジョングが。
 とにかくまあ、この娘シタバタしまくります。そこが愛おしい。でも、もちろん離婚が中止とはなりません。それをどう自分の人生の一部として取り込んでいくか。ラストはやはりエリカ・ジョング。(hico)

『いたずら魔女のノシーとマーム01秘密の呪文』(ケイト・ソーンダス:作 トニー・ロス:絵 相良倫子&陶浪亜希:共訳 小峰書店 1999/2005.09 800円)
 これ、主人公の魔女二人はしょうもないし、ストーリーもしょうもないです。で、そこがものすごく、おもしろい!
 ここからは何も学べませんし、充実した読書時間を過ごせるわけでもありません。しょうもないですから。
 でも、おもしろい。(hico)
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読書人2005年回顧

 今年、『野生時代』(六月号)が「青春文学」の、『文学界』(十一月号)が「大人のための児童文学」というタイトルの特集を組んだ。それは「大人の文学」に、無視できないほどYA的なスタイルの作品が増えてきているという、例えば昨年ベストセラーとなった第百三十回芥川賞受賞二作品辺りから顕在化してきた状況を正確に反映しているのだろう。小説は近代的自我を巡る物語を描く手段として長年、使用されてきたわけだが、近年確実に進行しつつある自我の曖昧化の前で何をどう書けばいいのか模索し立ち止まったとき、そこに浮上してきたのが、自我の生成から形成の辺りを得意として描いている(かのように見える)YAや児童文学なるジャンルだったということ。
 で、児童文学。
 絵本『うさぎのチッチ』(ケス・グレイ:文 メアリー・マッキラ:訳 二宮由紀子:訳 BL出版)。子ウサギはウサギとして育てられたから、自分はウサギだと思っている。そして確かにウサギだ。だから彼は当然のように両親もウサギだと思いこんでいる。が、ある日チッチは知る。実は母親は牛で父親は馬だと。事情があって赤ん坊のウサギを育てることになった二匹は、チッチのアイデンティティを護るべく、ウサギのための環境を造り、自分達をウサギのようにコスプレしていたのだ。「親は子どものためにこれほど尽くすものなのだ」と誤読することも可能なのだが、自我が他者との関係性の中に存在するという大人向けだと考えられてきたテーマが絵本にも浸透しているとも見える。親が馬であろうと牛であろうと、子どもとの関係をウサギとして設定すればウサギの家族となれるのだ。
 『悲しい本』(ローゼン作 ブレイク絵 あかね書房)は、愛する者を失った悲しみと深い絶望が、静かに描かれた絵本。癒し系としてベストセラーにもなったが、そんなに柔い世界ではない。絵本はあっさりとこうした事実も描き出せる。このそばに人種差別を描いた『ぼくは、ジョシュア』(ジャン・マイケル:作 代田亜香子:訳 小峰書店)や、現在も過酷な労働を強いられる子どもの姿を描いた『イクバルの闘い』(フランチェスコ・ダダモ:作 荒瀬ゆみこ:訳 すずき出版)、親の失業で家を失い車の中で暮らす家族の物語『ドアーズ』(ジャネット・リー・ケアリー:作 浅尾敦則:訳 理論社)などを置けば、子どもの本は今どんなことでも物語にできる幅を持ち始めていることがよく判る。
 『見えなくてもだいじょうぶ?』(フランツ=ヨーゼフ・ファイニク:作 フェレーナ・バルハウス:絵 ささきたづこ:やく あかね書房)は障害者の日常世界を、まいごになった子どもが視覚障害者に助けられるという展開で見せていくのだが、障害者という日常を生きる人間の情報を正確に伝える物語の力強さに感心した。
 しょーがない親たちと生きる子どもを描いた『ひな菊とペパーミント』(野中柊:作 理論社)と『ローラ・ローズ』(ジャックリーン・ウィルソン:作 尾高薫:訳 理論社)は、もはや子どもは大人の庇護だけを当てにはしないという九十年代から描かれ始めた世界を着実に受け継いでる。
 ジェンダーを語ったのは『おれとカノジョの微妙Days 』(令丈ヒロ子 ポプラ社)や『ぼくのプリンときみのチョコ』(後藤みわこ 講談社)。それも、意識してジェンダーを描いているのではなく、物語の中にごく自然にそうしたテーマが入っている。八十年代頃、力が入りすぎたまま、描こうとした時のような空回りはなくて、リアル。
 一押しの作品はなかったが、絵本・児童書・YAが描く世界の幅の広さを再確認させてくれた一年だった。読書人2005.12 (hico)

【ノンフィクション】
『10代のセルフケア2 デートレイプってなに?』(アンドレア・パロット:著 村瀬幸浩:監修 富永星:訳 大月書店 2005.12 1500円)
 『なぜ自分を傷つけるの?』に続く第2弾。デートする相手からの、それはレイプとなるか? です。結局その辺りの意識はジェンダーの問題と関わってくるわけで、というか、ジェンダーを知るさい、ここから学んでいくのは有効だと思う。
 『10代のメンタルヘルス』、『10代のフィジカルヘルス』、そしてこのシリーズ。だんだんおおきな固まりになってきました。なんとなく高校生向けなのですが、今は大学生にも必要な知識がつまったシリーズだと思います。大学図書館にも入れてくださいな。私は入れます。(hico)
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『金原瑞人〈監修〉による12歳からの読書案内』
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『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』
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