【児童文学評論】 No.79  2004..07.25日号

       
【絵本】
○詩がすき
「あいうえおのうた」中川ひろたか詩 村上康成絵 (のら書店 2004,7)
「辻 征夫詩集 みずはつめたい」水内喜久雄 選・著 大滝まみ絵 (理論社 2004,7)
「知らざあ、言って聞かせやしょう」河竹黙阿弥文 飯野和好構成、文 齋藤孝編(ほるぷ出版 2004,7)
詩っていいなあと思う。覚えてしまった詩は、ふっとした時に支えてくれる。絵本も詩に似ているから、ときどき情景の中でふっとフレーズやセリフが口について、それを共有してきた人たち(一緒に読んできた子どもなど)とほほえんでしまうときがあるけれど。そういう言葉を持つと毎日が確かになるし、助けられる。
詩の本はむずかしいといわれる。欧米のように詩をそらんじることが日常ではないからだし、詩人という人のあり方も欧米とは全然違うからだ。そのなかで、のら書店の<子どものための詩の本>はもう10冊を数え、ハンディな判型と楽しいイラストで親しみやすい。子どもと一緒にどんなに読んだことだろう。そこに今月新たな1冊が入った。「あいうえおのうた」人気シンガーソング絵本ライターの中川ひろたかと名コンビの村上康成のイラスト。絵本と歌と詩はとっても近しいものなので、このなかには歌になって歌われている詩も入っているし、愉快な言葉遊びの歌もあるし、あ、なるほどね、と納得の視点もある。そのどれにも、子どもがいる。
もう一つ好きな詩のシリーズがある。<詩と歩こう>今月は辻 征夫。辻の詩はやさしくて、ちょっとシニカルなところがあって、むかしから好きだった。だけど、子どもに向けて読んであげようとは思ったことがなかった。でも、この「みずはつめたい」はそのまま、そっと子どもの机の上においておきたくなった。私が思っていたよりも、もっともっとやわらかなあたたかい辻の詩が連なっていた。選集の意義をこれほど感じたことはない。これで好きな詩人を共有することができたら、すごくすてきだ。
最後は今を時めく、齋藤孝先生が「声に出して読みたい日本語」(草思社)で取り上げていた白波五人男の弁天小僧のセリフを1冊の絵本にしてしまった。弁天小僧が自分の自己紹介をしているのだから、それをきちんとその場面、場面を見せるのが良しと考えたのが、江戸もの絵本作家の飯野和好。読んで、見て、声に出して気持ちの良い本になっている。これは詩なの?なんて、野暮なことは言わないで。

○その他の絵本、読み物
「じゅうにんのちいさなミイラっこ」フィリップ・イエーツ文 ブライアン・カラス絵 (ソニー・マガジンズ 2003/2004,6)
マザーグースにある10人のリトルインディアンのうたのパロディ。ひとりひとりいなくなってしまう数え歌だが、本作では最後に皆がピラミッドの中で待っていてくれるというオチがうれしい。リズミカルなテキストとかわいいミイラっこたちがゆかい。訳はちょっと大人っぽいところもあるが、デザインにも気を配った楽しい絵本になっている。

「きみはおおきくて ぼくはちいさい」グレゴワール・ソロタレフ作 武者小路実昭訳 (ソニー・マガジンズ 1996/2004.4)
フランス絵本作家の雄ソロタレフの絵本。内容はしみじみと重く、テキストの多さからなかなかちいさな子には手に取りにくいものかもしれない。けれども、いろいろに読み替えられる象とライオンのこの物語は、読む人の年齢や状況にあわせ、幾通りもの感慨をおこさせ、手元においておきたくなる。

「あの森へ」クレア・A・ニヴォラ作 柳田邦男訳 (評論社 2002/2004.6)
ちいさなネズミくんが町の向こうに広がる森に一人で入っていって、戻ってくるまでを描いた絵本。ニヴォラの絵は奇妙なバランスで少し視覚がゆがんだような気持ちになる。静ひつで小さな物語ではあるが、確かな感覚にもとづいている。

「リトルペンギンのきしゃぽっぽ」「いろいろかわるよ」メアリー・マーフィー作 三原泉訳 (フレーベル館 2000,1999/2004.6)
幼児向けのキャラクターとして人気のリトルペンギンの絵本。「きしゃぽっぽ」はリトルペンギンの運転する汽車に、いろんな動物たちが順々に乗り込んでいく、定番のストーリー。「いろいろかわるよ」はお日さまがのぼったり、沈んだりして変わる空の色や、くるくる変わる心の好奇心など日常の中で感じる変化をカタログ的に表現。最後にかわらないのは大好きって気持ち……とまとめているので、にっこり読み終れる。

「ありさん あいたたた……」ヨゼフ・コジーシェック文 ズデネック・ミレル絵 木村有子訳 (プチグラパブリッシング 2004,6)
もぐらくんで人気の作家による、ありの絵本。重い荷物を運んで張り切り過ぎたありさんを看病する看護婦ありやお医者ありがたのしい。他愛無いお話だが、小さな子どもに身近なありの様子が愛らしく描かれている。原本はボードブックなのだが、翻訳ではボードの蛇腹絵本になっている。お話の展開は蛇腹にする必要のないものなので、ページをめくって読み聞かせるのに混乱しやすく、元の形に戻してもらいたいなと思った。

「にぎやかな音楽バス」レンナート・ヘルシング文 スティッグ・リンドベリ絵 いしいとしこ訳(プチグラパブリッシング 1948/2004,6)
「ちゃっかりクラケールのおたんじょうび」のコンビによる絵本。北欧デザインの雄リンドベリの数少ない絵本の一つである。4色の絵と1色のペン画の組み合わせが楽しく、デザイン的にも優れたものになっている。おはなしはヘルシングの言葉遊びのおおい奇妙なおかしさにあふれたリズミカルなストーリー。訳文でそこのところを出すのは難しかったかと。カラーのページには絵に合わせた愉快な詩。(日本語版:テキスト部分と区別するために書体を変えるか、次ページのお話の導入としてきちんとつなげるなどの工夫が欲しかった)モノクロのページには一番小さな双児の兄弟がお兄さん、お姉さんたちにしたいたずらのてん末のストーリー。見開きごとにお話が完結し、それがラストシーンの音楽バスができるまでにつながっていくのが楽しい。


「きらめく船のあるところ」ネレ・モースト作 ユッタ・ビュッカー絵 小森香折訳 (BL出版2003/2004,6)
見知らぬものへの興味と不安の気持ちを大判の絵本でゆったりとみせてくれる。小さなキツネとオオカミのなかよしは、旅人の話す、海辺の塔にいってみたくてたまらなくなります。一度は不安に行く手をさえぎられ、家に舞い戻るのですが、もう家での暮しを楽しむこともできなくなってしまいます。夢見ることもできなくなるなんて!ふたりはまた塔へ向かって歩き出し、二度目は不安も道を譲ります。不安や夢や思いが象徴ではなく、実際の物として描けているのが、絵本という表現の強みだなあと思います。

「しあわせなおばあちゃま」ドロシー・クンハート文  J・P・ミラー絵 木原悦子訳 (ほるぷ出版 1951/2004,7)
ゴールデンブックスで人気のイラストレーターJ・P・ミラーの絵本。ゴールデン調とでもいえる色面で表現されるイラストはかわいらしく、あたたかみのある色調がなつかしい。一緒に住んでいた海鳥のポールがいなくなって、困ったおばあちゃまがおまわりさんに捜索をお願いするところからお話が始まります。ポールをさがしておまわりさんが行くとつぎつぎとあやしい人が……。ストーリーはちょっとへんてこなところもありますが、まあ、よしとしますか。

「めんどりヒルダ」メリー・ウォーメル文、絵 本上まなみ訳 (新風舎 1996/2004,7)
リノリウムカットによる版画の絵本。めんどりヒルダが大事な卵を生みたいのだけれど、どこがいいかしら……と場所をさがして歩いていきます。アップの場面が次のページでひいた目線で描かれると、思いもかけない場所だとわかるのが楽しく、絵本らしいテンポをうまく作っています。たとえば、伊井かごだわと思ったら、次ページでは自転車の前かごだったとわかったり、洗濯物入れだったり、飼葉入れだったり……。オーソドックスでラストの幸せそうなヒルダがうれしい。

「くらやみのくにからきたサプサリ」チョン・スンガク作絵 大竹聖美訳 (アートン 1994/2004,6)
サプサリとは韓国固有の狗で厄よけの魔力も持つといわれるほど、韓国の人々に親しまれ、愛されてきた狗だという。このサプサリが火を暗闇にもたらしたという昔話を元に「こいぬのうんち」でよく知られる作家チョン・スンガクが創作した絵本。陰陽五行の宇宙観を巻き物に描いたような古典的な絵で表現し、神話的なこのお話の持つ雄大さを独特な手法であらわしている。

「しらないひと」シェル・リンギ作 ふしみみさを訳 (講談社 1968/2004,6)
スウェーデンの作家による絵本。スウェーデンの絵本からではなく、アメリカ版からの翻訳。なんとも大胆なグラフィック。絵と言葉が微妙にずれているのがおかしく、ラストの展開がとっても絵本らしいおどろきがある。シンプルなテーマとグラフィックと展開がきちんと合っていて、いい。

「オパールちゃんのなつやすみ」ホリー・ホビー作 二宮由紀子訳 (BL出版 2003/2004,7)
人気のトゥートとパドルの絵本のシリーズの最新作。初めて子どもの歯が抜けるとトゥースフェアリーがやってきて、歯とコインを変えてくれるというのは、欧米ではよく知られていることなのだけれど、日本ではちょっとなじみがないみたい。で、そでのところでオパールちゃん直々に説明をしてくれる、心憎い導入となっている。ぐらぐらの歯をしてトゥートとパドルのいる町に遊びに来たオパールちゃん。すてきな場所でいろいろ楽しいことをしている三人。水遊びの最中に歯が取れたことに気がついて……。あとはトゥースフェアリーのおはなしのとおり。

「シェイプ・ゲーム」アンソニー・ブラウン作 藤本朝巳訳 (評論社 2003/2004,7)
あの「どうぶつえん」(平凡社)にいった家族が今度はテート美術館へお出かけしました。相変わらずお父さんはおやじギャグ炸裂! でもお母さんの言葉に誘われて、絵の世界へ入っていくうちに、目の前の絵画が奇妙に変化していって……。ブラウン独特のシュールなイラストが絵画の幻惑をより強調して、視覚に全身をゆだねる楽しさを表現していく。本書はテート美術館における子どものための絵画鑑賞のワークショップにブラウンが関わったことから生まれた絵本だという。ブラウンには「ウィリーの絵」(ポプラ社)というもうひとつの人気キャラクターを狂言回しとした絵画についての絵本もある。二冊をくらべるとストーリー編、カタログ編とアプローチの仕方は違うが、見てイメージする楽しさ、視覚から他の感覚に想像を広げていく楽しさを伝えたいという作者の気持ちはよくわかる。

「うみへいくピンポンバス」竹下文子文 鈴木まもる絵(偕成社 2004,7)
前作「ピンポンバス」では山へ向かうバスのお話。今回は海へ向かうバス。道の途中ではいろんな仕事をする車に出会い、車好きの子どもには身近なお話で、すっかり夢中になることだろう。あたたかく丁寧に描かれたイラストから幸せな暮しのひとつひとつのエピソードが思い起こされる。

「アニーのちいさな汽車」作絵colobockle (学研 2004,7)
人気イラストレーター初めての絵本。エリック・カールのようにコラージュした紙で描いていく手法にみえる。実際の紙をコラージュする場合とコンピューターに取り込んで、画像として張り付けていく方法とが混在しているようだ。絵本好きを公言するだけあってオーソドックスなお話と展開をおしゃれにまとめている。わるくはない。でも、どうしても気になってしまうのが、登場する動物たちの表情である。かたまっていて、うごきがない。コラージュという手法が持つ制約からなのか、それとも、今時の人気のキャラクターの特徴なのか。(最近人気のあるキャラクターはあまり表情のないものがおおいから)個人的には小さな子どもから読み取れる絵というものは、質感よりは表情が様々であることが大事ではないかと思っているので、そこが難しいなと思った。

「ぼくとギル」中川淳 作(ネット武蔵野 2004,7)
これも新人イラストレーターの初の絵本。今までロシアの絵本の翻訳を多く出してきた出版社の初の創作絵本である。これは文字無しでぼくと子犬のギルの毎日を描いている。いっしょにいあそんだり、部屋をべしゃべしゃにしてお母さんに怒られて家出したり……。身近な暮しから描かれているのでわかりやすい。わかりやすいから文字無しで良いだろうということなら、絵本にする必要はないのだが。ただ、キャラクターの造型にもっと時間が感じられるようにきちんと描かないと、毎日の積み重ねがばらばらになっていしまう。文字がないからこそ、絵できちんと時間の流れを追えるよう、描いてほしい。

「ともだちになろうよ」中川ひろたか作 ひろかわさえこ絵(アリス館 2004.6)
ワニの男の子とウサギの女の子の出会いを描く。別に友だちなんかなくてもいいよな、めんどくさいもんと思っているワニの男の子の一人語りで物語は進んでいく。ウサギの女の子がすぐ「ともだちでしょ」なんていろんなことを強要する(?)のが、なんだかなとワニくんじゃないけど思ってしまうが、安心のラストに小さな子はにっこりする。閉じて表紙をまた眺めると、このふたりがもう友だちになったように見えてくる。

「ミミズのふしぎ」皆越ようせい 写真・文 (ポプラ社 2004,6)
身近なミミズの見たことないような表情がたくさんある写真絵本。表紙の小枝を食べているタラコ唇の主がミミズだとは……。卵や卵から生まれた小さな子どもミミズも初めて見たし、寒くて丸まってしまった姿も愛らしい。テキストも幼児の興味に過不足なく、声に出して読んでも楽しい

「ふたごのき」谷川俊太郎文 姉崎一馬写真 (偕成社 2004,6)
以前リブロポートで出されていた絵本の改訂版復刊写真絵本。同じところから定点観測よろしく、ふたごの木を移る季節の中で取り続けた写真に、ふたごの木たちの対話を寄せている。木は夢を見たり、生まれる前のことに心寄せたり、死ぬことを思ったりしている。生きているということを木は全身で語ってくれている。

「こんにちは たまごにいちゃん」あきやまただし作絵 (すずき出版 2004,7)
人気のたまごにいちゃんというキャラクターがどのように生まれたのか(?)を語り明かしてくれる絵本。なかなか卵から出られないお兄ちゃんという造型が、愛らしく切ないわ。でも、出れないのではなく、ぼくは卵から出ないと決めた時、たまごにいちゃんになりました。

「きいちゃんとドロンじいさん」大島妙子作 川上隆子絵 (ポプラ社 2004,7)
きいちゃんと子犬のピッピがちょっと不思議で楽しいお散歩をするシリーズもこの本で5冊目。今回は雨が降った日のおさんぽです。薄暗くてちょっとこわいなあと思った林の中でであったのは泥んこから出てきたドロンじいさん。まごのこどもたちもいっしょになって泥んこ遊びを始めます。その楽しそうなこと!ちょっとつかれてトロトロしていたら、大きな大きなドロンばあさんが出てきてびっくり。のびのびしたイラストもおっとりした語り口も子ども目線でたのもしく、存分に絵本の世界で遊べます。

「なつのいちにち」はたこうしろう作(偕成社 2004,7)
人気イラストレーターの絵本。認識絵本ではなく、ストーリーを意識したオリジナル絵本としては初めての物と言える。なつのひ、カブトムシを取りにたった一人で出かけていく男の子の姿を鮮やかに描き出す。夏の風景の光と影のコントラストをみごとに、カシャカシャとカメラで切り取ったような画面でみせてくれる。言葉少なく絵に語らせようとする意気込みは、帯の作者の言葉からもよくわかる。でもね、夏を描いた谷内こうたの絵本や村上康成の絵本など先立つ印象的な絵本たちの中でこの本を見ると、どうしても印象が薄くなる。軽い感じがする。それがどうしてなのか、私はずっと考えている。

「ぞうの金メダル」斉藤洋作 高畠那生絵 (偕成社 2004.7)
象がオリンピックに出場したら……というなんとも人を食ったような展開のストーリーに、高畠那生の大胆なイラストがついて、そうですか、そういうこともあるのかしらねえという力技のように納得させられてしまう絵本になっている。このコンビの前作「バースディ・ドッグ」(フレーベル館)では奇妙なことがあっても、それがストーリーのオチにきちんと向かっていたのに、今回の展開は拡散していくばかり。イラストはやっぱりマイラ・カルマンを思わせて、この描き方で固まるのはまだ早いのではないかしら、もっと表現の幅を追求しても良いのではといいたい。

「ゆっくり いそいで」梅田夕海作、絵(ポプラ社 2004,7)
これが初めての絵本だという。細かく描かれ多熱帯雨林の森。ゆっくり いそいで、木をのぼっていくのはナマケモノ。淡彩で描かれる森は最初は薄暗く、だんだん色が増して明るくなる。ナマケモノや動物たちが目指すジャングルのパラソルは鮮やかで、絵本のハイライトとなる。しっかりとした構成で、シンプルな喜びを描く、しみじみとした絵本。キャラクターの描き方は少し弱いけれど、この絵本の主人公は森の木々であり、大きなパラソルであるから。

「9ひきのうさぎ」せなけいこ作 (ポプラ社 2004,6)
表紙で描かれるのは大きなキャベツのまわりをまわる9ひきのうさぎ。数え歌みたいなリズミカルな導入。たろうちゃんの畑のキャベツをぜ〜んぶ食べてしまうところから、お話が急展開。でも、最後はあ〜よかったねえの大満足のラストシーンが待っている。安心安心。

「やっぱり犬がほしい」ズギヤマカナヨ (アリス館 2004,6)
40Pの小さな二色刷りの絵本。どうしても犬が飼いたい男の子が、お父さんやお母さんとの話し合うのを読みながら、どういう風に犬を飼っていけば良いのか、自然とわかってくる仕組みになっている。動物関係の著作がおおい作者らしく、その元になっている考え方がしっかりしているので、読んでいても安心。二色刷りのページ構成もきちんと考えたデザインになっていて、セリフばかりのストーリーの単調さを救っている。小さいけれど重い絵本。

「はりねずみとクシャミ病」おのりえん文 久本直子枝(理論社 2004,6)
丸まっている時と身体が伸びている時とで名前が違うはりねずみイガーかイジーの物語の2巻目。今回は同居人のクマさんのクシャミ病にふりまわされる様子をおもしろく読ませる。前作みたいにイガーとイジーの性格の分裂から引き起こされる騒動があまりないので、その分お話はわかりやすくなったが、ちょっと驚きに欠けるかな。でも物語世界がしっかりしているので今度は何が起こるのかしらと楽しみに読むことができる。

「ごきげんいかが がちょうおくさん」「おっとあぶない がちょうおくさん」ミリアム・クラーク・ポター作 松岡享子訳 河本祥子絵 (福音館書店 1936,39,47/2004,6)
幼年もの。おまぬけはがちょう奥さんに動物村の皆がふりまわされる騒動をおもしろおかしく描いている。ただ、この小さなお話にはきちんと道理が説かれているし、友愛ってものの形もきちんと見せてくれる。読み語りにはちょうどよい長さだし、あらまあ、がちょう奥さんったら、と小さな人の優越感にもアピールして、古いお話らしい、安定感にあふれている。

「イップとヤネケ」アニー・M・G・シュミット作 フィープ・ヴェステンドルプ絵 西村由美訳 (岩波書店 1979/2004.6)
知る人ぞ知るオランダの国民的児童文学作品の初邦訳。オランダといえばミッフィーちゃんのブルーナが有名だが、オランダの絵本にはとても興味深いグラフィックや本がおおい。けれども、日本でいう32か40ページの絵本の体裁におさまるものが少なく、この二人の本もページ数と対象年齢とがなかなか一致する形の本がなく、紹介しづらいものがおおいのだ。この本もお話を取捨選択し、イップとヤネケの1年の様子がうかがえるように編集してある。日本では、最近フィープのイラストの人気が高く、原画展も催されるようになっており、その流れの中で翻訳されたのだろうか。
お話は幼年ものの体裁にのっとっている。幼児らしい思い込みと行動力でへんてこな目に合ってしまう二人や二人のママとパパを小さなお話で描き出す。ほほえましく、子どもらしいお話。でも甘くべたべたしてはいない。それがシュミットらしい。こういうお話が新聞で連載されていたというのが、うらやましい。(以上ほそえ)

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『メアリー・スミス』(アンドレ・ユーレン:作 千葉茂樹:訳 光村図書 2003/2004.07 1400円)
 労働者の家に時計がまだ普及していなかった頃、こんな商売がありました。
 朝、町中を巡って窓を叩き起こしていくのです。
 メアリー・スミスの起こし方は、チューブに豆を入れてとばし窓を撃つというもの。
 さて今朝も元気にメアリーはゆく!
 じつにいいです。メアリーの仕事っぷりのなんと活き活きと描かれていることか!
 ゆかいで暖かくて、ね。(hico)

『ふるさとをはなれた種は』(田中章義:うた きたやまようこ:え 教育画劇 2004.07 1000円)
 日本語、英語、フランス語、スペイン語、中国語、ペルシャ語の六言語で書かれた、平和絵本。
 難民鎖国国家日本が、もっと開かれた目を持つようにとの願いも込められています。印税の一部は国連難民高等弁務官事務所に寄付されます。
 なにしろ日本は、難民認定が決定するまで仮在住すら許さない国です。いえいえ、許さないわけではありません。条件があって、それは、「第三国を経由せずに日本に入った人」。でも、第三国を経由せず直接日本に難民がやってこられるなんて、まずあり得ません。だから実質締め出しです。
 絵本の出来としては印象が弱く残念。もう一ひねり欲しいところ。でも六カ国語で併せるとこうなってしまうのかな?(hico)

『おばけむら』(南部和也:文 田島征三:絵 教育画劇 2020.06 1300円)
 山奥のひなびた村に、お化けの始末に困った町の人がやって来て、ここに置かせてくれと頼みます。お礼はたんまり。どうせ広い土地が余っているからと引き受ける村。
 噂を聞いて色んな町がお化けを捨てに来る。村はどんどん豊かになってくるのですが・・・。
 骨太の物語に、骨太の画。
 しっかりコラボしています。
 田島の画は色遣いが明るくなってより一層力強く見えます。(hico)

『ブーツの冒険』(きたむらさとし:作 小峰書店 2002/2004.08 1300円)
 イギリス在住絵本作家作品。主人公のネコの名前が「BOOTS」です。
 絵本というより、コミックスのノリ。三話収められています。
 真剣だけどそこがトボケたブーツくんの味がよいです。うじゃらうじゃらと画面中ネコばっかの「イワシビスケットさくせん」は、この作家のリズムがよくわかります。コマを巧くつかって動きを出しています。(hico)

『くもりときどきミートボール』(ジュディ・バレット:文 ロン・バレット:絵 青山南:訳 ほるぷ出版 1978/2004.06 1300円)
 食料が毎日三度、空から降ってくる町のお話。
 だからもう、気楽な町なはずなんですが、降ってくるってことは、地面に落ちる食料もあるわけで、多量に降ってくるようになってからは・・・。
 思うだけで、イヤだあ〜、ですが笑えます。
 ほど良い風刺が、心地よい作品です。(hico)

『まほうのどうぐばこ』(あらきみえ:作 佼成出版 2003/2004.02 1300円)
 サイのルルは器用で何でも作るけれど、ウサギのフレッドはうまく作れません。
 そこで登場するのが道具箱。T型定規だの、コテだの、レンチだの色んな道具を使って家を造っていきます。
 魔法の道具箱だからといって、全部やってくれるわけではありません。あくまでフレッドが道具を使って作ります。道具箱は励ましたりするだけです。そこがいい。
 道具と物作りの関係がちゃんと見えてきます。(hico)

『トゥートとパドル オパールちゃんのなつやすみ』(ホリー・ホビー:作 二宮由紀子:訳 BL出版 2003/2004.07 1500円)
 最強の仲良しコンビであるトゥートとパドルのシリーズももう7冊目。
 パドルのいとこのオパールちゃんがやってきます。とうぜんトゥートははりきりますね。
 このシリーズは基本的にホノボノ感で押していきますが、小さな事件や諍いや行き違いがあって、それが解決する時の爽快感も目玉。今回は、オパールちゃんの歯が抜けて、その夜に妖精がやってくると信じているオパールちゃん。本当に来てくれるか心配なトゥートとパドルの姿。優しさがすっきりと前面にでています。(hico)

『めんどりヒルダ』(メリー・ウォーメル:ぶん・え ほんじょうまなみ:やく 新風舎 1996/2004.07 1300円)
 鶏小屋が一杯で、産み場所を探すヒルダの物語。
 様々なかご、自転車のや洗濯のそれを試すもことごとく失敗したヒルダが選んだのは?
 版画の醸し出す手触り感がまずいいですね。絵本は様々な手法で描かれた物を手軽に見ることが出来るメディアですから、そんなところも子どもに味わってまらえればOK。
 お話はとても落ち着いたユーモアで、心を柔らかくしてくれます。(hico)

『だいじょうぶ くまくま』(アレックス・デ・ウォルフ:作 野坂悦子:訳 講談社 1988/2004.06 1500円)
 大好きな女の子が入院。ぬいぐるみのくまは心配で病院に向かいます。
 なんかファンタジックになりそうでしょ。ところがそうはなりません。もうリアリズム。お見舞いのために絵を描いて、初めて町を歩いて、車にドロをかけられて・・・。
 ちっとも不思議は起こりません。リアルな出来事ばかりです。でも、だからこそ、ぬいぐるみのくまが歩いて病院に向かうのが奇妙でおもしろいのです。
 こうした描き方はなかなかできません。(hico)

『シマウマのカミーラ』(マリサ・ヌーニェス:ぶん オスエル・ビリャーン:え ごうどまち:やく オリコン・エンタティメント 1999/2004.06 1500円)
 連鎖物です。
 シマウマの女の子。風の強い日に外で立っていたら、シマが飛んでいってしまった。泣きながらの帰り道。出会った様々なシマのある動物たちがシマをくれます。サマザマシマウマに。
 哀しい出来事が、シンプルなおかしさに変わっていく様が読みどころ。楽しい。
 朗読CD添付されています。(hico)

『古代エジプト入門』(ジョージ・ハート:作 吉村作治:監修 大英博物館:協力 あすなろ書房 1990/2004.06 2000円)
 おなじみ「『知』のビジュアル百科」シリーズ最新作。シリーズとしての出来がいいので、もういちいち申しません。こんなん出たよってだけで。(hico)

【創作】
『鳥の巣研究ノート〈1〉〈2〉』(鈴木まもる著、あすなろ書房、〈1〉〈2〉とも1200円)

 アフリカに住むシャカイハタオリという小鳥は何百羽も集まって集合住宅を作る。大きい巣(す)になると、幅7・5メートル、厚さ4・5メートル。重すぎて木が折れてしまうこともあるという。一方、クルミのからの半分くらいの巣を作るハチドリもいる。

 また、針金ハンガーで巣を作る東京のカラス、金属(きんぞく)のメガネフレームで巣を作ったインドのカラス。巣の中に拾ってきた羽を1000枚以上、ときには2000枚も入れるというエナガ。

 巣に使う素材の少ない南極に近い島では、ほかのペンギンの巣の材料を取って逃げていくペンギンもいるとか。

 いろんな大きさ、いろんな形、いろんな素材、いろんな場所……鳥の巣はまことにさまざまなのだ。いったい鳥にとって巣って、なんなんだろう。それは、鳥が安全だと思える場らしい。それでは、鳥がどんな巣を安心だと思うのだろう。

 と、こんなふうな話が、たくさんのイラストといっしょに紹介されているのがこの『鳥の巣研究ノート〈1〉〈2〉』(鈴木まもる著、あすなろ書房、〈1〉〈2〉とも1200円)=写真は〈2〉=だ。

 へえ、ふうん、そうなんだと思って読んでながめているうちに、鳥のこと、巣のこと、鳥インフルエンザのこと、人間のこと、環境(かんきょう)のことまでがわかってくる。

 これはとても楽しい本なのだ。 (金原瑞人)
読売200.06.28

『パンツマン』(デイブ・ピルキー:作・絵 木坂涼:訳 徳間書店 九五二円+税)
 アメリカで『ハリー・ポッター』の次に売れているのが、『パンツマン』(デイブ・ピルキー:作・絵 木坂涼:訳 徳間書店 九五二円+税)シリーズです。もし、あなたが電車の中でこれを読んでいて、たまたまアメリカ人の子どもが隣に座ったら、その子はもう大騒ぎで、あなたを親友にしてしまうでしょう。
 はっきり言って、決して上品なお話ではありません。アホ臭くて、調子に乗りすぎで、ちょっとばかし下品なシリーズであります。
 主人公たちは意地悪な校長に催眠術をかけます。指パッチンをすると、主人公たちがマンガで作ったヒーロー、パンツマンに変身して戦うのです。パンツマンですから赤マントにパンツだけの姿。えーと、トランクスではなく綿のブリーフです。
 ネタは、下らないです。ガリ勉ゾンビを元に戻すのは『ガリ勉ゾンビ元にもどすソーダ』ですから。読んでいてなんだか力が抜けてしまいます。と、続けて「ページ数も残り少なくなってきましたし、それしかないか」だって。バトルシーン(パラパラマンガ)前には、よい子は読まないようにといった警告もあります。
 読む価値ないですか? でも、このシリーズを読むと私は、子ども時代って、大人から見れば下品で下らなく見えることも大事だったのを思い出します。
 それって、とてもリフレッシュ。(hico)
読売200.07.12

『シャーロットのおくりもの』(E・B・ホワイト:作 ガース・ウイリアムズ:絵 さくまゆみこ:訳 あすなろ書房 1952/2001)
 ファーンは小さすぎて育ちそうにない子ブタをお父さんからもらい、ウィルバーと名づけてペットにします。が、大きくなったので飼うのは無理となり、ホーマーおじさんのザッカーマン農場に売ることに。売ったのですから、ウィルバーはペットからただのブタになります。そして他のブタと同じようにいずれは殺されるでしょう。ファーンは、それを知っているはずですが、心では受け入れてはいません。彼女は毎日ウィルバーの元に通います。ファーンとウィルバーは現状に満足しています。ですからウィルバーはガチョウのおばさんのおかげで、かこいの外に逃げことができた(いずれ連れ戻されるにしても)のに、「なかにいたほうがよかったな」と自分から小屋に戻り、「ぼくはまだ、ひとりで世界にでていくには、小さすぎるんだな」と思います。
 もちろんこのままでは、ウィルバーはハムやベーコンにされてしまうでしょうし、ファーンは『子鹿物語』のジョーイのようにその現実に直面しなければならないでしょう。
 しかしこの物語は、家畜となったウィルバーを再びペット(それも町中の!)へと戻すことに全力を注ぎます。そのために登場するのがクモのシャーロット。
 ファーンのいないときウィルバーはさみしく友達がほしくてしかたがありません。そこに彼女は現れます。「一日中見ていたら、あなたのことすきになったの」と。
 ウィルバーを救うためにシャロッートが考えた作戦は、クモの巣に糸で文字を書くことです。「たいしたブタ!」から始まって、「すばらしい」、そして「つつましい」。それを見た人間たちは奇跡と考え、ウィルバーを大切にします。一方、ファーンは、動物たちと話したことを母親に伝えるのですが、そのために心配されてしまう。他の子どもと遊ばずウィルバーの側にいるファーンを母親は子どもらしくないと思う。ところが、父親は「わたしたちの耳が、ファーンの耳ほどするどくないだけかもしれないぞ」と言い、相談した男の医者も「動物が話をするとファーンがいうなら、わたしは信じますよ」と答えてファーンを支持します。母親の、ごく普通の反応がこの物語の中では否定されるのです。ブタがクモに救われるのも、子どもが動物と話すのも不思議だと思われない世界。そう描くことで物語はやっと、ウィルバーが殺されファーンが哀しむ事態を回避し、幸せな結末に導くことができるのです。
 とりあえず読者はこれで満足しますが、それがファンタジーだからこそ成立しているだけであることも露わになります。現実世界ではあり得ない設定で描けば描くほど、現実を見せてしまうのです。そこがファンタジーのおもしろさの一つです。
 ウィルバーが人間の食料として殺されるという「死」の問題が先送りされ、卵を産んで生命を終えるシャーロットの自然死へとスライドしている点も見逃せませんね。
徳間子どもの本通信2004.07、08

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『夜明けの風』(ローズマリー・サトクリフ:作 灰島かり:訳 ほるぷ出版 1961/2004.07 1800円)
 一九六一年の作品。
 ローマ軍が撤退し、残されたローマンブリテンの人々は、大陸からのサクソン人の侵略に脅かされていた。そして最後の戦い、ブリテン人は敗れサクソンの支配となる。
 この最後の戦いに父兄とともに参加していたのが主人公のオウェイン一四歳。彼はたった一人生き残る。しかし、どこへどう逃げれば? ふるさともすでに落ちてしまった。
 放浪の途中でオウェインは、同じように行き場をなくした少女レジナと出会う。互いの命を互いに支え合っての流浪が続くもレジナは病におかされ、このままでは・・・。
 オウェインは決心する。
 サクソンの村に入り救いを求めるオウェイン。レジナを助けて欲しい。その代わり自分はサクソンの奴隷となるから、と。
 こうして物語は彼の自由までの日々を描くのですが、奴隷からの解放なんて簡単な筋書きではありません。ブリテンとサクソンどちらとも繋がったオウェインがすべき事は何か? そこをとても自然な展開でサトクリフは描きます。「希望」と「生き方」がピントを合わせます。そういうことが少ない今の時代だからこそ、読んで見たいのね。(hico)

『ヴァーチャル ウォー』(グロリア・スカジンスキ:作 唐沢則幸:訳 偕成社 1997/2004.03 1400円)
 少なくなった人類はそれでも争いは止めない。効率の良い、「安全な戦争」。彼らは戦争ゲームで領土を奪い合うようになった。
 ゲームに勝つために、各組織は遺伝子操作によって戦争ゲーム専用の子どもたちを作り出す・・・。
 設定そのものは別に驚くようなものでもありません。現在の私たちの想像の範囲にあります。しかしだからといってつまらないかというとこれがそうでもなく、主人公の子どもたちの切なさと、それでも大人たちを出し抜こうとするファイトは、好感。
 時代に即した、ちょっとおいしいエンターティメントといったところです。
 この辺りの物語がもっと出て欲しい。(hico)

『オシリカミカミをさがせ!』(リンデルト・クロムハウト:文 野坂悦子:訳 朔北社 1997/2004.06 1200円)
 とてもヘンなタイトルですね。
 アホらしいというか。
 で、設定もタイトル通りアホらしいです。
 色んな人がトイレでしゃがむとオシリを噛まれる事件が発生!
 主人公の男の子ユスは、その解明のために下水道に潜り込む。
 アホらしいですが、ユスがこんな怖い事件を自分が解決しようと思うのは、「ぼくは すごいぞ、ってほめられる。(略)きっと ごほうびが、もらえる。そしたら かあさんだって、もう そとで はたらかなくていい。いつも、家に いてくれる。そうなったら いいなあ・・・」なのです。
 子どものこんな重い願いをアホらしい設定で語っていく。
 そこがいいのですよ。(hico)