三 超越論的転倒としての家父長制イデオロギー

 前節では、久米論文から枠組を拝借して議論してきた。それは久米論文が優れた先行研究であるからなのは言うまでもないが、家父長制という問題に関する限り、誤解を与えかねない。『当世少年気質』では「与えられたもの」でしかなかった立身出世は、「言葉の餞別」では既に我有化されていた。このことは、「言葉の餞別」が「僕」という一人称を使用していたことからも窺える。彼をして立身出世というライフコースを決断せしめたのが「父親の身体」という奇妙な論理であった訳だが、果たしてそれは、久米が述べるように、父親の内面化を踏まえた上での超克であったのであろうか。というのも、一見したところ、明治民法下における家父長制の論理と「僕」という一人称の使用は両立不可能なように思われるからである。
 たとえば、『暑中休暇』は各編が「校長の演説」に統括されるように構成されており、実際にそのような「服従する主体」が表象されている。ここに見出されるのは、実際の父親ではないけれども、まさしく「父性的価値」に対する志向が見受けられる。常識的に考えて、特権的なのは『暑中休暇』のような三人称全知視点であって、「僕」のような一人称視点ではない。久米自身も『当世少年気質』のような作品こそが「作中の事件の中でも<大人の言葉>に強い支配を受けていたのであり、語りの形式にも自ずと権力関係が現れていた」(九〇頁)と指摘している。いずれにせよ、「少年小説」におけるような「僕」という一人称の使用では、超越的主体は消去されていることになる。それでは、何故に久米は次のような結論を下したのであろうか。

  (前略)そこに描かれた権威ある父の姿と、その権威を認めつつ自ら<父>を目指す 少年のありようは、戸主と家督相続者たる男子の特権的地位が規範化した、民法施行後 の時代状況に応じたものとみなせるのではないだろうか。そうした時代背景があってこそ、当初は大人=親に圧倒されるばかりだった小波作品の少年たちが、ここで自ら、<父>になろうとする「僕」の物語を語り出すことができたのではないか、と思われるのである。                      (久米前掲論文、一〇〇頁)

 たしかに、『当世少年気質』―『暑中休暇』―「少年小説」のように系譜を辿るならば、「当初は大人=親に圧倒されるばかりだった小波作品の少年たちが、ここで自ら、<父>になろうとする「僕」の物語を語り出すことができた」ように見える。父親に抑圧されていた少年が自らを<父>として見出すということ。父親/<父>のように弁別されているのは、<父>とは父親が内面化されることで超越化された制度=家父長制であるからだろう。しかし、留意されたい点が一つある。たとえば、『当世少年気質』中の「人は外形より内心」では、「答辞」を述べるという父性的な発話地位を主人公の少年が占めるまでが語られるが、そこに見出されるのは両親との軛であって、父親のみが特権的なのでは決してなかった(「当初は大人=親に圧倒されるばかりだった」〔傍点、引用者〕)。つまり、父親が息子を抑圧するという図式は、『当世少年気質』を見る限り、必ずしも妥当ではない。したがって、父親は抑圧ないし志向対象として新たに見出されたと言うべきであろう。つまり問題は、そうでないにもかかわらず、あたかも父親が息子を抑圧するかのように信じ込ませることで、<父>という超越 的制度=家父長制の存在論的地位が保証される点にある。「父性的価値」が予め存在して家父長制がそれを「再現」するのではなく、「父性的価値」こそが家父長制の結果なのである。したがって、家父長制が確立される以前に、「父性的価値」などと言う家父長制イデオロギーを投射することはできない(14)。「少年小説」における<父>の創出から息子を抑圧する父親という原因に遡行するような身振りこそが超越論的転倒なのである。
 それでは、一人称「僕」の使用とは如何なる事態であったのか。既に指摘したように、一般的に三人称全知視点の方が一人称に比して超越的である。超越的主体を仮想化することこそが家父長制イデオロギーの目的であってみれば、超越的主体を消去するような「僕」という一人称は不都合なのではないか。結論から先に述べておこう。超越的主体を仮想化するという超越論的転倒は、超越的主体を消去するような「語る主体」によって準備されたのではないか。したがって、家父長制なるものがあって「僕」という「語る主体」が可能になったというよりも(「そうした時代背景があってこそ〜<父>になろうとする「僕」の物語を語り出すことができた」)、「僕」という語りにおいてこそ家父長制の仮想化が準備されたのではないか。
 一般に、「語る主体」は「語る=主体」のように分節される。留意されたいことは、何かしらの「主体」が予め存在していて、「語る」のではないという点だ。われわれは、「語られた主語」という痕跡から「語る主体」がそこに存在していたであろうことを推測できるにすぎない。にもかかわらず、「語る主体」は「語る」以前にすでに常に存在するとされる。それは経験されるのではなく、超越論的な意味で存在する。われわれが経験しているのは、あくまで「語られた主語」の審級にすぎない。つまり、「語る主体」とは、超越論的主体/経験論的主体のように二重化されている。さらに、経験論的主体は自らが「語られた主語」でしかないことを忘却することで超越論的主体を結果的に保証する。以上のような超越論的転倒において重要なのは、経験論的主体が外在的に従属しているのではないという点だ。経験論的主体は、超越者のような外在的存在にではなく内属する。従属は自らになされるのであって(服従化=主体化)、しかもそれとは経験されない。したがって、経験論的主体が「抑圧」を経験するときに生じているのは、超越論的主体における自己隷属状態を外部に投影した虚像=超越者 (父など)の仮想化なのである。超越論的転倒においては、超越者は主体化が服従化であることに対する言い訳(錯誤された原因)として捏造される訳だ。このように仮想化されたイデオロギーは、超越化されることで超越論的に保証されるのである。自らが「語られた主語」であることを忘却するのみならず、「語る主体」であるかのように誤認するにはそれなりの段階が要された訳で、「少年小説」における家父長制は内的隷属を隠蔽する格好の言い訳として機能したのではないか。つまり、服従化が主体化に転位される断続を接合したように考えられるのである。しかも、小説を「読む」という身体技法が確立されていない時期において、一人称に自らを同化させるような「読み」は決して容易いものではなかったはずだ。だからこそ「読む」ことに親和的な階層が使用していた書生言葉である自称詞「僕」が採用されたのであり、それなくして「少年小説」は成立しなかった。しかし、家父長制同様に、立身出世が確立されて、それが「僕」に書き込まれるという一方向的な議論は回避しなければならない。反対に、立身出世が内面化される際に生じた主体化=服従化は、「僕」に同化するような「読み」 において規律=訓練された局面が指摘できるからである。つまり、「少年小説」における「僕」というトポスは、家父長制および立身出世が書き込まれる場所である以上に、それらを仮想化するのに必要な身体技法のレッスンの場であったのではないだろうか。

 (注)
1 「小波は、『暑中休暇』の目次に「当世少年気質の中」と記していたが、あるいはこの「少年小説」群は、年月を隔てて実現した「当世少年気質の下」、とも目されていたのかもしれない」(久米依子「巌谷小波「少年小説」の世界―明治少年<僕>の物語」『近代の文学』所収、河出書房新社、一九九二年)。
2 目黒強「明治二五年における学童/児童の言説編成―巌谷小波『当世少年気質』と『暑中休暇』における同一性と差異」日本児童文学学会『児童文学研究』三〇号所収、一九九七年。
3 目的意識的行為/慣習行動については、ピエール・ブルデュー『実践感覚1』(今村仁司他訳、みすず書房、一九八三年)を参照されたい。
4 天野郁夫『学歴の社会史―教育と日本の近代』(新潮選書、一九九二年)参照。
5 木村小舟『少年文学史 明治篇上巻』童話春秋社、一九四二年、一六一頁。
6 柄谷行人「児童の発見」(『日本近代文学の起源』講談社、一九八〇年)参照。国民形成については後日考察したい。したがって、小論で議論される家父長制という超越論的転倒を国民形成の文脈で理解していただけたら幸いである。
7 岩田一正「明治後期における少年の書字文化の展開―『少年世界』の投稿文を中心に ―」『教育学研究』六四巻四号所収、一九九七年。なお、『少年世界』における国民形成については、成田龍一「『少年世界』と読書する少年たち―一九〇〇年前後、都市空間のなかの共同性と差異」(『思想』八四五号所収、一九九四年)を参照されたい。
8 木村直恵『<青年>の誕生―明治日本における政治的実践の転換』新曜社、一九九八 年、二八六―二八七頁。
9 ただし、『少年園』においては「少年」は「地方少年」として見出されており、固有の問題を有しているように思われる。この点については、拙稿「『少年園』における表象としての「現実」と「地方少年」」(日本文学協会『日本文学』近刊所収予定)を参照されたい。
10 ただし、このように立身出世を志す「僕」は長男ではなく次男として設定されている (「たつた一人の兄さんは、勿体無いが意気地なしで、高が警察の小使」である)。明治民法が長男に家督相続人としての権利を付与したことで家父長制の再建を試みたことは有名であるが、「言葉の餞別」の「僕」が長男でないということは、「僕」が必ずしも家父長制的論理に従っているのではない可能性を示唆しているのではないか。
11 前掲久米論文、(注1)参照。たとえば、久米は「人形の腕」の「僕」に「事の是非を判断した上で争いの元を断ち、その仲裁を家族にも納得させて家庭に秩序をもたらす人物―まさに小さな<父>」としての側面を、同様に「鬼が城」には指導者的役割という父性的価値への志向を指摘している。
12 小論では議論しなかった「少年小説」の傾向に「メタルの借物」「五位様」「怪我兄弟」「肝取り」に顕著な「排除する少年」が指摘できる。これは『暑中休暇』「復習」などに潜在していたが、『当世少年気質』では「負けるが勝利」のような「排除される少年」が中心に語られていたのとは対照的だ。以上のような断続は「少年小説」の「少年」が「語る主体」であることと関係している。すなわち、「排除される少年」とはあくまで「語られる客体」なのであって、「語る主体」にはなれない存在として規定されているからである。
13 言うまでもないことだが、「僕」という一人称が使用されるには言文一致の成立が関 係している。興味深いことに、小説の技法に関して言うならば、言文一致の困難は三人称と文末詞にあったと言う(野口武彦『三人称の発見まで』筑摩書房、一九九四年)。すなわち、三人称から想起される超越的主体を如何にして中性化して隠蔽するのかが問題とされていた訳である。超越的主体が消去されることこそが超越論的転倒による主体化=服従化の条件であったということは、「僕」という一人称の使用にも同様に指摘できるのではないか。
14 ただし、久米もまた「民法が保証した家父長制の政治的人為的性格」に気がついている。にもかかわらず、先のような結論が導かれているのは何故か。
15 小論では家父長制が「僕」において可能になった局面を議論したが、家父長制を補完した家庭イデオロギーにおいてもまた「教育する母親」という「語る主体」が主題化されているように思われる(そこでは「読みきかせ」という技術が議論された)。詳しくは、拙稿「若松賎子訳『小公子』による「教育する母親」の言遂行的構成」(神戸大学国語教育学会『国語年誌』一六号所収、一九九八年)を参照されたい。

(付記)「少年小説」からの引用は、復刻版『少年世界』(名著普及会、一九九一年)に拠り、ルビは省略し適宜新字に改めている。
           (めぐろ つよし/神戸大学大学院教育学研究科修了)

      (初出、神戸大学国語教育学会『国語年誌』17号、1999年)
 ご意見・ご感想等がございましたら、以下のアドレスまでよろしくお願いします。

t-meguro@kh.rim.or.jp