コドモの切り札

(75)

ナイフ事件の扱い方

甲木善久
           
         
         
         
         
         
         
    
 最近起きたいくつかの中・高生によるナイフ事件と、それに関連した親や教師や学校の対応を見聞きしていると、「なんだか妙だナ」と思うことがある。
 子供がナイフを持っている=傷害殺人を犯す、という構図が、持ち物検査実施の是非論にも、あるいは、「すでに三〜五lの生徒がナイフを所持している!」といったセンセーショナルな報道にも、その根底に揺るぎなくあるような気がしてならないのだ。
 だが、本当にその構図は正しいのか?。(1)ナイフを持っていない。(2)ナイフが欲しい。(3)ナイフを手に入れる。(4)ナイフを使って人を傷つける。という四つの段階があるとして、おそらく、最も大きなギャップがあるのは(3)と(4)の間だろう。アイツを刺すためにナイフを買いに行く、といった仮定はこの場合考えないでいただきたい。なぜなら、それはもはや(2)や(3)の段階を飛び越えて(4)の段階にあるからだ。
 が、多くの報道を見ていると、ナイフを使った不幸な少年犯罪が起きたことと、ナイフを持つ子供が増えていることとを混同して語る例は少なくない。けれど、なぜ子供たちの中の数パーセントがナイフを持つ(持ちたがる)ようになったのかという問題と、なぜ特定の少年Aがナイフで人を刺してしまったのかという問題は、少し分けて考えてみる必要があるのではないだろうか。
 不幸な事件を起こした少年たちは、(3)から(4)へ移行する何らかの個別的な理由を抱え込んでいたはずだ。だから、今の段階で、僕としては何も語れない。しかし、その他多くの子どもたちがなぜナイフを持ちたがるのかについては、少しばかり心あたりがある。
 実は、僕自身も中学生のときから刃渡り十センチ強のナイフを持っていた。そしてその理由はといえば、ナイフを持つことによって守るべき自分を作り出したかった、というのが当時の心境にかなり近い説明だろう。続きは来週、ほんじゃー。
西日本新聞1998,03,15