コドモの切り札

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−「本」とゲーム−

甲木善久
           
         
         
         
         
         
         
         
    
 「本」に対する過剰な思い入れ、とでも呼びたいような感情が世間には存在する。しかも、その「本」のイメージは、気がつけば文学と一体化しあるいは何だかタメになるもの」という思い込みと手を結び、妙な価値付けがなされるのは困ったもんである。
 たとえば、「ウチの子は『本』を読まないんですが、どうしたらいいでしょう?」なんて母親の話をよくよく聞いてみると、実はマンガ読むのが好きな子だったり、コンピューター本はよく読んでいたり、ということは決して少なくない。
 当たり前のことだが、「本」というのは表現の形を指すのであって、内容までも指す言葉ではないのだ。ともあれ本」がタメになるかどうかは知ったこっちゃないが、それが大変便利な形であることは間違いない。
 情報を手に入れようとする際、時と場所を選ばず、気がすむまで何度でも繰り返して読むことができ、目次や索引を使えば必要な部分に容易にたどり着ける。しかも、自分のペースで再生することができるという、他のメディアでは真似のできない決定的な特徴があるのである。
 だから、およそどんなことでも「本」との連携の上に成り立たせることができる。いや、現状、成り立っている。したがって、子供の読書の最大の敵と見做されているコンピューター・ゲームですら、実は「本(活字メディア)がなければどうしようもないのである。
 さて、ここで「ポケモン」の話題を続けている間に、『ポケットモンスター青必勝攻略法』(双葉社)や『ポケットモンスターを遊びつくす本』(マイクロデザイン出版局)などが、書店の売り上げベストテンに顔を出してきた。そうそれは「ポケモン」人気が大きくなってきたことの、目にも確かな証なのだ。
 様々なメディアの複合の上に「物語」が成り立つ今日、本はこうした形でも必要とされている。
西日本新聞1997.05.14