コドモの切り札

甲木善久

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ずっと、ママのもの?
           
         
         
         
         
         
         
         
    
 この正月、ちょっとショッキングなCFを見てしまった。商品は、若い人向けの健康飲料。僕が目にしたのは2タイプだったが、どちらも同じコンセプトで作られていた。
 まず、高校生くらいの少年・少女がその年頃にふさわしい傷つき方(たぶん、大人へのステップという意味の)をする。そして、絵が変わると、彼らは帰宅しており、母親に話しかけられながら、その商品を飲んでいる。そこへモノ凄いコピーがかぶるんである。<大きくなっても、子どもはずっと、ママのもの>
 見た瞬間、えっ!と思った。それから、意味を反芻してギョッとした。で、次の瞬間、思わずテレビに向かって叫んでしまった。「ばか野郎!」 
 いや、確かにね、こういう親バカも、この世には少なからず存在しますよ。でもさ、それをCFで保証してあげることないじゃない。もちろん、このCF、映像では、子どもの方が母親の声を聞き流している風情があって、もしかすると、その映像とコピーのギャップを読み取って欲しいというのもあるかもしれないけど、黒字に白文字の言葉が、画面全体にドッカンと出ちゃうと、やっぱり、コピーの方がパワフルなんだよねェ。
 「最近の若者は幼い」とか、「社会に出ても大人としての自覚が足りない」とか、結構いろんな大人が語っているのを見聞きするけど、そんな風にしちゃったのも大人なのよ。子どもが親離れする時期には、同時に、親の子離れも必要で、それがうまく一致しないと、T不仕合わせUになる。
 アイデンティティーなんて、自分と周りの関係からしか生まれないんだから、相手の自覚ばっかり求めたって変わりはしない。「子どもはずっとママのもの」だったりしたら、キモチワルイ!(このテーマは続く。本の話は来週に…)
西日本新聞1997,01,12