『世界児童文学案内』( 神宮輝夫 理論社 1963)

 ソビエトの児童文学は、当然十月革命以後にはじまる。そして、その基盤づくりをしたのが、マクシム・ゴリキー(1868〜1936)であった。ゴリキーは19世紀の末から子どもに強い関心をよせ、教育についての論文を書き児童劇運動を推進した。1919年にはソビエト最初の児童雑誌「北極光」を創刊して、子供の教育と文学の方向づけをおこない、また国立出版所から、子どものための本を出版した。
 こうしてはずみをつけられたソビエトの児童文学の発展は、世界のどの国の児童文学よりも明瞭に時代を反映している。
 まず、革命、内戦、第一次大戦などの初期のありさまを反映しているものに、パンテレーエフの「金時計」(1928)や、ガイダール(1904〜1941)の「ボリスの冒険」(原名「学校」1930)がある。「金時計」は留置所で金時計をぬすんだ浮浪児が、新しい国の規律ある生活の中で、精神的に生まれかわる過程が公式的でなく、起伏のある話の進め方で語られている。「ボリスの冒険」は、ガイダールの経験がたくさんに含まれている物語だが、革命前夜、内戦などの事実がそのまま、冒険小説のストーリーになる強みと、その苦しい時期を克服したソビエトの人びとの力がいっしょになって、ひじょうにおもしろい、感動的な物語になっている。ガイダールは、日本ではむしろ、第二次大戦初期の少年群像をあつかった「チムールとその隊員」(1940)の方がよく知られている。
 第二次大戦そのものと、その影響をあつかった作品もたくさんにある。
 カターエフは、ドイツ軍の侵入で孤児となった少年が、赤軍とともにたたかう「連隊の子」(1944)で戦争そのものをあつかった。彼にはまた、革命の中の少年をあつかった「孤帆は白む」があり、訳も出ている。ファジェーエフ(1901〜1956)の「若き親衛隊」(1945)は、ドイツ軍占領地区の青少年の悲惨な、しかも英雄的な抵抗運動を事実にもとづいてかいたもので、もともと児童文学ではないが、主人公たちが若者であることから、子どもにも読まれている。ドイツ軍の残虐さ、祖国と自由のためにたたかうソビエト人民の不屈さなどがひじょうな感動をさそう。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどが、子どもの本で戦争をあつかう場合、ほとんどが、その影響としてとらえているのに、ソビエトには戦争そのものをあつかった作品があるのは、大戦中のソビエトを考えれば当然ともいえるが、一つには子どもになにを語りかけるかという、児童文学の根本にふれる問題であると思う。
 もちろん、戦争をその影響としてとらえた作品にも、ヴォロンコーワの「町からきた少女」(1950)、ムサトフ(1911〜)の「小熊星座」(1948)のような佳作がある。「町からきた少女」は、戦争孤児となった少女を大勢子どものいる村の主婦がひきとり、ママとよばせるまでの過程をえがいたもので、孤児となった少女と農家の子どもたちの交渉と、それをとりまく大人たちが自然にえがけていて、あたたかな感動をよぶ作品である。「小熊星座」は、戦争末期から終戦後にかけてのストジャールイ村をあつかったものだが、戦争がどんなに子どもに深いきずをのこすかをつよく考えさせる。
 以上のようなリアリズムの系列の作品群はたしかに、欧米諸国にくらべると、心理描写にきめのこまかさがなく、国家の理想やその時期の傾向が前面におしだされすぎていてうるおいがないようにも感じられる。しかしそうした欠点は時とともに解決されつつあり、ソビエトでなければ生まれないリアリズム文学の完成も遠くないことを思わせる。そのいちばんよい例が、ニコライ・ノーソフの「ヴィーチャと学校友だち」(1951)であろう。なまけぐせのあるヴィーチャとシーシキンが、いっしょうけんめい勉強してよい点をとるまでのこの話は、世界中どこにでもいる子どもを生き生きととらえていながら、その子どもが勉強にはげむ過程で勉強の意義、友人関係など、子どもにとって、いちばん関心のある問題をおしつけでなく説き、ひいては人間社会のあり方を考えさせる。他の国では類のないすぐれた作品である。ノーソフはこのほかにもユーモラスな子どもの生活を書いたたくさんの作品を生んでいる。
 リアルな作品群にくらべて、空想的な物語はあまり生まれていない。バジョーフ(1879〜1950)とサムエル・マルシャークの作品くらいである。バジョーフは「くじゃく石の小箱」(1936)で、昔話をたくみにつかって、深い意味のある短編を子どもたちに送った。中でも「石の花」「山の石工」が名高い。
 マルシャークもチェコスロバキアにつたわる民話をもとに劇「森は生きている」(原名「12の月」1946)を発表した。民話のよさを十分に生かしながら、やわらかくたのしく人間の生き方を示しているこの作品は、おそらくソビエト児童文学の最高傑作の一つだろう。ほかに、ノーソフが小人をあつかって「ネズナイカ」(1954)を書いているが、ふっくらした空想のたのしさがなく、彼のリアルな作品にはとてもおよばない。そして空想は、むしろ、科学的空想の方に進んでいて、いわゆるSFには、手固いすぐれたものがたくさんに出ている。しかし、イギリス的な空想の必要さは十分にみとめられているのであるから、これから徐々によいものがあらわれるであろう。民話にいわゆるフェアリーの出てこない民族性と、社会主義国であることから、どんな空想物語が生まれるか大いにたのしみである。
 知識伝達の本にもよいものが出ている。マルシャークの弟であるイリーン(1894〜1953)は、人間が現在の力をえるまでの過程を、夫人セガールの協力で「人間の歴史」(原名「人間はいかにして巨人になったか」1940)に書きあげた。これは、人類文化の発生と進歩をルネッサンスまでくわしくたどりながらその中で「人類文化の進歩をうながしたもの」とさまたげたものを区別し、正しいものとまちがっているものの判断の基準を教えている。豊富な知識を与えながら、じつにたのしくよめるこの本は、大人にも子どもにも多くのものを与えてくれる20世紀の名著といってもさしつかえないだろう。イリーンには、ほかにも「あかりの歴史」「原子への旅」「惑星の改造」など多くの作品がある。
 ビアンキが新聞の形式で、ロシアの森の動物の生態をたのしくかいた「森の新聞」(1927)や「小ネズミのピーク」(1950)なども、いかにもソビエトらしいたのしい動物物語である。日本でも物語として、また絵本として比較的数多く紹介され、多くの読者をつかんでいる。
 
その他の国々の作品
ハンガリア
チェコ
中国
オランダ
      
 20世紀も第二次大戦後は世界中で児童文学が生まれてきているが、まとまった動きを見せているのはだいたい以上の国々で、あとは個々に光った作品が目につく程度である。以下、二、三のすぐれた作品をとりあげてみよう。
 ハンガリアからは、アメリカに移って活躍しているケイト・セレディのような作家が生まれているが、ハンガリア最大の作家モルナール(1878〜1952)も「パール街の少年たち」(1907)をのこしている。空地の争奪戦を演ずる二組の少年群像を通じて、正義、名誉、勇気などをえがいているが、子どもの目で子どもを書く立場が一貫しており、子どもが生きることの重みが感動的に伝わってくる。子どもには深い共感を、大人には反省とノスタルジァをよびおこす作品であり、都会の子ども群像が登場する作品の先駆者である。
 チェコスロバキア建国に功労のあったカレル・チャペック(1890〜1939)も、「童話集」(訳名「長い長いお医者さんの話」1931)を出して世界中に知られている。「長い長いお医者さんの話」「郵便屋さんの話」など九つの短編を集めたもので、お医者さんとまほう使いとか、郵便局と妖精といった従来結ぶつきのうすいものが、すばらしい機知によっていかにも自然に結びつけられている上に、人の心が悲しい時は自動車の動きがおそく、うれしい時は空もとぶといった思いつきがふんだんにある。1933年にはいちはやく英訳が出ているのも、こうしたハイカラさが、イギリス的ナンセンスにかようものがあったからであろう。しかし、この童話集がいつも新鮮なのは、人間性をとうとぶことを主張してやまない作者の精神がみなぎっているからである。
 中国は人民共和国になってから、鋭意、児童文学の創造にはげんでいるが、現在はまだその過程にあって、たくさんのよい作品は生まれていない。国際的な批評にたえるのは、おそらく張天翼の「宝のひょうたん」(1957)くらいではあるまいか。なんでもねがいごとがかなう、まほうのひょうたんを手に入れた少年がほしいものをやたらにわがものとするが、そのたびに処置にこまるごたごたを通して、社会主義国家では私利私欲が通用しないことを教えている。イリフとペトロフの作品ににたテーマだが、魔力と現実との間におこる騒動の処理がまったくたくみで、息もつかせぬおもしろさをもっている。張天翼という長いキャリアをもった作家だからかけたといえるが、こうした作品が書けるほど中国の児童文学も厚くなってきたこともたしかであろう。中国では、ほかに解放前の傑作として葉招釣の「かがし」(1930)があり、解放後には朝鮮戦争当時の国内をえがいた謝冰心の「タオ・チーの夏休み日記」(1956)や、中国全土をツバメが旅行する秦兆陽の「ツバメの大旅行」(1954)などがある。
 とにかく、何度もくりかえすように、第二次大戦後は世界中で児童文学が生まれている。たとえばマインダート・ディヨングやドラ・ド・ヨングの祖国オランダでも、ルッヘルス・ファンデル・ルフの「なだれだ!」(1954)のような国際級の作品が生まれ、英語圏に属するカナダでもカナダ独特の文学をつくる努力が精力的になされている。この傾向は、今後ますます進み、遠からず世界中から傑作が続々と出るにちがいない。そして、そのために今いちばん必要なのは──平和である。
(テキストファイル化いくたちえこ