『現代日本の児童文学』(神宮輝夫 評論社 1974)

5.フィクションの一つの条件

 改めて、六〇年代の作品をひりかえり、大人としての私が、あざやかな印象をもって思い出すことができ、しかも再読の興味をおこさせてくれるものを数えようとすると、『赤毛のポチ』、『宿題ひきうけ株式会社』、『ドブネズミ色の街』、『肥後の石工』ぐらいしか頭にうかんでこない。そして、空想もの、幼年ものの分野では、『ちびっこカムのぼうけん』、『だれもしらない小さな国』ぐらいである。一般に、物語の世界に没入して楽しめるのは空想物語に多く、リアルな作品にすくない。リアルな作品は、われわれの日常的思考・行動の次元で物語が展開し、迫真性があるからだ。だが、それだけに、すぐれたものは共感をよび、たやすく忘れることがない。

 大人の私と子どもとでは、もちろん受けとり方は違うだろう。だが、筋の記憶、人物の記憶、全体の印象の記憶など、大人も子どもも、さほどちがわないと思う。むろん、年齢による大人の記憶力減退を考慮せねばならないが、私は、筋やなにかを覚えて語るのが職業の一つなので意識的におぼえるようにしている。それでも、ほとんど筋を忘れ、人物を忘れてしまうのだから、子どもも、くっきりと覚えていて、折にふれて再読したいものなど、あまりないと推量する。
 最大の理由は、多くの作者が夢中になって書くものを持っていないことである。作者が楽しんで書くとか、夢中になって書くという表現は誤解されやすい。それは、娯楽、あそび、逃避などを連想させがちである。だが、大人が、子どもと共有できる物語を、夢中になって書く場合、その内容は、人間の生きたい本能を満足させるものなのである。つまり、子どもが、成長することに喜びを感じ、将来に期待する―そんな気持ちをおこさせるものである。それは、先人たちが創造した文化的遺産にふれ、それを継続発展させることである。個人の体験の中で生きがいを感じ取ったものの伝達である。こうした積極的な、生産的な、楽天的なものを守り、育て、伝え、享受する創作態度があって、はじめて、戦争体験の伝達も正しく価値づけられる。
 
戦後二十数年間の努力は日本の生産力を飛躍的に高めるとともに、企業優先政策その他によって、人類の未来に赤信号をともすこう外国をつくった。児童文学にも、それへのつよい反省や告発の意志が反映し、美しい自然の擁護をさけぶ作品がふえた。だが、かつて、自然の美を満喫させる子どもの文学がいくつあっただろうか?人工の美も存在する。都市化の進む中で、人工の美を見出してそれをえがいた作品が果たしてあったか。現状は、詠嘆的な自然美のみ語り、人工をすべて悪としている。現実への積極的個性的取組みがない。そして、それは、単に美の問題だけではなく、生活のすべてについていえる。
 
読者を物語の世界にひきこむための、フィクションの条件は数多くあるだろう。その中の一つの条件として、私は、作者が喜びを感ずるものを、伝えようとする情熱をあげたい。このごく単純な条件が、六〇年代のリアリスティックな作品には、ほとんど見られなかった。過去の苦しくつらい体験を生き生きと伝えることに喜びを感ずる児童文学作家がいたら、それは、この分野で仕事をすることがまちがいなのである。だから、これほど過去がえがかれたのは、作家の怠惰、停滞と同時に、主観的には義務感があったと考えられる。

6.上意下達の文学

 子どもへの義務感の背後には、子どもは教えみちびかねばならないという考えがあり、試行錯誤をくりかえさせまいという愛情と責任がある。いずれにしても、子どもは保護すべきものという上下関係に立っている。
 私は、ここで、我々日本人に、子どもに伝えるべき何があったかなどとため息をつくつもりはない。たしかに、太平洋戦争をひきおこしたのは、私(四十一歳)の父親たちの世代であったし、戦後日本を公害国にしたのは、私の世代を含む大人たちであった。しかし、私たちや、私たちの父親の世代が悪いことばかりしてきたわけではない。必ず誇るべきものを作り出しているにちがいない。だが、大人としての反省も自負も、子どもに伝えることを義務としなくてはならないものだろうか。
 何かを子どもたちに伝えることを、児童文学者が義務と心得ることは、はなはだ不遜ではないだろうか。大人としての反省に立って、私たちにできることは、―私たちが大人になるまでに得た知識・経験の中で、物語化することによろこびがあるもの、感動し、その感動を自ら物語化して追体験したいと思うもの、現在の生活の中で興味をひかれ、追求していきたいもの等々をまとめ、子どものそばにおいてやることではないだろうか。
 六〇年代のリアリスティックな物語の流れの中で、私は、すでにのべたように、山中、古田、木暮等に、あたらしい子どもへの態度を見た。しかし、その新鮮な子どもへのアプローチは、体験に寄りかかる怠惰な作品の大量出現と、それ等が楽に出版される状況の中でかぼそくなり、ほとんど痕跡程度任あってしまった。そして、彼らの努力は、砂田弘、後藤竜二、川北りょうじなどに、かろうじてつながれている。子どもの真の姿の認識をめざして進歩をはじめた新しい波は、数年で、伝達の義務の美名のもとに、いわば上意下達の文学にほぼのみこまれたのである。
 六〇年代のリアリスティックな作品が私に示してくれたことは、いわば、子どもに対する義務の不必要であった。日本の児童文学はもうこのあたりで、<これだけはぜひ子どもに伝えたい>といった義務感から解放されるべきである。義務から解放されて、生臭い一人の大人として自己のすべてを放出した末に生まれるものに、子どもたちは、より共感するのではないかと思う。義務感は、大人をかまえさせ、無意識の選別を強制する。そこから類型が生まれ、その伝達は子どもにとって迷惑な押し付けとなる。過去の作品の中でも、<これだけは伝えたい>意識がなかったら、よりすぐれたものとなったであろう作品がいくつもある。同時に、義務感をとりのぞいたら、なにものこらない作品も数多い。義務感は愚作のかくれみのになっている。
テキストファイル化原田由佳