『現代日本の児童文学』(神宮輝夫 評論社 1974)

二、『とべたら本こ』から『ドブネズミ色の街』まで――その前衛性

 『赤毛のポチ』は、一九六○年に出版されたが、書かれたのは、はるかに早く、五三年、同人誌『小さい仲間』創刊号からであった。その意味では、ここにえがかれたものいっさいは、五○年代のものといえる。だから、五八、九年頃をとらえて、子どもに語った山中の作品は『とべたら本こ』(理論社、一九六○)といえるだろう。これは、父親が競馬で大穴をあてたことをきっかけに家庭が崩壊した小学六年生吉川カズオが家出をし、電車で知りあった老婆の家へ行って山田カズオになり、そこの大人たちの欲にからんだみにくい争いを知ってまたとび出し、睡眠薬自殺をはかってうその名を言ったため、高橋家にひきとられて高橋カズオとなり、はじめて安住の地を得るまでの物語である。私は、この作のポイントを、大人と子どもの関係にあると思っている。大人が子どもを読者として創作する児童文学にあって、大人と子どもの関係はたえざる問題点であり、この作品が出るまでにも、数多くの作品でこれがとりあげられてきた。そして、『とべたら本こ』にもっとも近い例が興味あることにふたたび『赤とんぼの空』である。『赤とんぼの空』の九一ページに、
「えらいさんらは、なんどというと宴会をして、でらでら酒をのみ、そんな女の人とふにゃふにゃしとるが、そんなことでつかう金は、税金としてあつめた役場の金やということは、おいらようしっとる。
 『松月』のむすこの健一は、おいらと同級やから、ちゃんとわかっとる。
 だいたい、おとなの人は、おいらを、なんにもしりくさらんと、なめているようだが、なめるのは、やめた方がええ。しっとっても、おいらは、だまっとるだけだ。
 そやから学校でおこなわれる式やなんかにやってきて、いくらまじめくさった話をしてもあけへん。だれも、まじめに信用しとらん。」
と、大人への不信を主人公が表明するくだりがある。花岡の作品の基本的特徴の一つは、つねに大人と子どもが対等の人格をもってえがかれていることだが、これも、その表われであり、子どもは大人が考えるよりはるかに大人をよく知っていることを端的に表現している。だが、花岡は、マーク・トウェインのごとく、大人への徹底的不信から、子どもに賭ける態度をとらない。暴力団的土建屋は、事故をおこしたときの村人の助力に心をうたれて改心するし、鼻持ちならなかった金持ちの奥さんも、夫の死後、はたけをたがやして、はたらくことの意義をさとるようになる。花岡は、大人も子どもも含めて、善意は必ず通じ、人間はあらたまりうるという信条を堅持している。そして、この花岡の信条は『町をかついできた子』(東都書房、一九六○)で、町から来た少年と村の大人の、対立・和解をあつかった山本和夫にも共通している。花岡や山本の信条が、ほぼ、明治以来の日本の児童文学者たちに、共通した人間観だったと、私は考える。
 『とべたら本こ』の子どもがあらわす大人不信は質的にちがう。吉川カズオは、家出をして、家にもどることを考える。
 「なにかのはずみで母親が涙を流して迎えるかも知れない。ついでに彼も涙を流して良い子どもになると誓う。父親も酒をやめる。彼は、母親の手伝いをしながら一生けんめい勉強して優等生になる。
 しかし、そんなことは、うるう年に一ぺん、ひるまに日蝕があって、夜に月蝕がある日に、オンドリが玉子でもうまないかぎり、おきっこないことを知っていた。彼の両親が、学校で見せる映画や、少年小説に出てくる人物とは、にてもにつかぬ、生きものであることは、とっくに知っていた。
 『ふん、血は争えないもんだね。今から家をあけるようじゃ。どうせ大きくなって父ちゃんにまけないロクでなしになるんだろうよ。』
 母親が自分から追いだしたくせに、そういうことはわかっていた。
 『カズオ君は、家の都合で学校を休んでいたんだが、引越しもすんで、落ちついたから学校へ来た。もとどおり仲良く勉強するんだ。』
 内田先生が教室で皆にいう。その後で、彼をかげに呼んで、おどすような目で、ねんをおす。
 『カズオ、皆によけいなことをいうんじゃないぞ!』
 カズオには、そこまで見当がついていた。」(六二〜六三ページ)
 この部分は、作者が、大人の行為の類型性を子どもたちに知らせ、子どもの側に立っていることを象徴的に表現している。大人の行為の類型性は、保守的・反動的人間と革新的思想の持主とを問わず、大人全体を含んでいる。つまり、カズオの認識は、大人がつくるあらゆるものへの批判であり、それへの徹底した不信である。カズオは、最後に、大人の高橋氏にひきとられる。この結果に対する不満は発表当時からかまびすしかった。この作品を高く評価した古田足日は、一九六六年、結末について「この作品の第一部、二部ではカズオの生存への欲求が書かれ、第三部では動物生存以上のものを求める人間が書かれる」との意見をのべ、さらに言葉をついで、「いつのときであったか、明治大学で集会があったとき、岡本さん(注=岡本良雄)は、第三部を非難したぼく(たち)にいった。『カズオはいつまでも高橋家にいるだろうか。また出ていくのではないか。』そうだとすれば、とばなければならないひもはつねに高く、カズオは無限に変身していく。第三部弁護のための岡本さんのことばは逆にこの作品の失敗をついたことになった。邦夫氏のいう『魂と魂のふれあい』を望みながら、カズオは永久に『とべたら本こ』とくりかえさなければならないのである。人間の心と心のつながりはどのようにして可能なのか。『とべたら本こ』はそれに答えられなかった。」(『児童文学の旗』古田足日、理論社、六一〜二ページ)と評している。
 『とべたら本こ』は、六○年安保闘争直前の作品である。だから、山中も心のふれあい=連帯を模索していたかもしれない。だが、カズオは、高橋家がだめならまた出ていく可能性をもっていた。子どもと心がふれあえる大人がいれば、それはけっこうだが、いない場合にもなんとか生きていこうとする姿勢をカズオは持っていて、大人への期待と依存を拒否しようとしていた。
 日本の児童文学史上、これほど明瞭に子どもの側につくことを表明した作家はいなかったし、今もほとんどいない。日本の児童文学作家たちは、説教者としてであれ、善意の協力者としてであれ、とにかく、つねに子どもたちに〈何か〉を伝達し、教え、訴えてきた。自らの意識としては、子どもの味方、代弁者、被護者たろうとしながら、その態度が、子どもから見れば、うっとうしい押しつけになるその落差に、多くの作家はほとんど気づかなかったし、現在も気づいていない。子どもの真の願望をくみあげ、大人の知恵と経験によって、それを明日に向かって方向づけるには、無意識にすらも大人=年長者としての押しつけをすてねばならないのだが、それができた作家は、ほとんどいない。その意味からも、山中が大人全部に不信を表明したことは、画期的なことであった。その態度は、現在彼が児童読物作家と自称する態度にそのまま生きている。ただ『とべたら本こ』の大人不信と子どもへの全的な傾斜は、私小説的な、大人の醜悪さの暴露という形で示されて陰湿さを帯びたために明るさを失って誤解されている点がある。
 『とべたら本こ』の、もう一つの特徴は六○年安保以後をある程度先取りしたことである。六○年安保闘争が安保体制阻止に失敗したことにより、保守党支配下での政治腐敗と堕落はさらに進行し、高度成長政策による大資本の成長の下で、人民の努力の収奪と管理はつよめられる一方となった。また、闘争の敗北による革新陣営の混乱もその度を加えた。そうした状況は、児童文学にも微妙な影響を与えざるをえなかった。そのもっともあきらかなあらわれが、従来の大人の思想、行動への疑いと、あらたな未来への展望の模索であった。『とべたら本こ』は、この状況をいち早く作品に反映している。
テキストファイル化佐々木暁子