『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)

5 くらしの中の魔法

モルスワース夫人の『壁かけのへや』

 現在、日本の子どもの本の世界では、ファンタシーあるいはファンタジー(fantasy) という言葉が、子どもの本の一分野をさす用語として徐々に定着しつつある。英語であるこの言葉がそのまま定着しそうであるのは、なにも外来語愛好の風潮にのっているのではなく、ファンタシーとよばれる作品が、イギリスでもっとも発達したからにほかならない。そして、ファンタシーを発達させるのに、大きな影響を及ぼした一人に、今はすでにほとんど忘れられてしまったモルスワース夫人がある。
 彼女は、七人の子どもを持つ母親であったが、生まれて間もない子どもと六才になる娘を同時に失って、その悲劇に耐えるために筆をとったといわれている。最初の四冊は大人向きの小説だったが、画家のノエル・ペイトンという人に、子ども向きの才を認められ、そのすすめで、『おはなしして』(一八七五)を書き、それ以後、一九ニ一年になくなるまで百に余る子どもの本を書いている。あまり書きすぎたことや、児童文学の流れが変わった二十世紀まで活動をつづけたことが重なって、彼女の作品は、現在ほとんど読まれることはなくなっているが、傑作といわれるものは、『ハト時計』(一八七七)、『壁かけのへや』(一八七九)、『クリスマスの子ども』(一八八〇)、『クリスマスツリーの国』(一八八四)、『彫刻のライオン』(一八九五)などで、文学史上では、しばしば話題になる。彼女の作品の特徴は、筋・構成・人物などすべての点で真実味を追及したリアリティにある。特に、登場人物は、心中で明瞭なイメージになってからはじめて筆をおろしたというだけあって、読者に生き生きと迫るものをもっている。特に、幼い子どもたちのえがき方にすぐれていたため、幼児の内心の動きにも敏感で、それが現実と空想のとけあった物語りを生むきっかけになったのであろう。その一例が『壁かけのへや』である。

 これは、少女ジャンヌと少年ヒューの、空想の国の冒険である。だが、はじまりは、ごくリアルである。フランス人ジャンヌは、一人むすめですこし体が弱い。それを心配した両親が、母を失ったいとこのヒューをイギリスからよび、二人いっしょにくらさせてやる。ヒューの部屋は、くじゃくのいる宮殿をえがいた壁かけのさがっているへやである。ある晩、ヒューは、真夜中に目をさます。すると、月の光が美しく壁かけを照らしている。
「『きれいだなあ!』と、ヒューは思いました。『月の光の中でこの壁かけを見てごらんなさいって、マルセリーヌがいったのもむりないな。こんなにきれいに見えるなんて、考えてもみなかった。あっ、あのクジャクのしっぽまで、まるですっかりあたらしくなったみたいだぞ。』
 ヒューは、もっとよく見ようとして、身をのりだしました。クジャクたちは――ひるまとおなじように、宮殿の階段の両わきに立っていました。しかし、じっと見ていると――目の迷いかしら?――いいえ、ほんとうだ、長いしっぽがさらに長くのびて、ゆったりと地面をはらったようでした。そのとき、ふいに、さっ、とかすかな風が送られてきたように思われました。そして、また、さっと風がきて、二羽のクジャクは、しっぽをひろげました。そして、二羽は、しっぽを扇のように高々とあげて立っていました。それは、ヒューが、おじいさまの屋敷の庭で何度もたのしくながめた、ほんもののクジャクそっくりでした。ヒューは、ただもうびっくりしてしまい、もう一度目をこすりました――ヒューはじっと見ていました。それしかできませんでした。だから、ヒューは、一心不乱に見つめました。でも、ちょっとのあいだ、もう、なにも変わったことはおこりませんでした。クジャクは、しずかに立っていました――あまりじっとしているので、ヒューは、クジャクが今見えているように、前からしっぽをひろげていて、地面にたれていたのは目のまよいだったのかと思いはじめました。」(Looking Glass Library,New York 版、五三〜五四ページ、訳文――筆者)
 やがて、いつも庭にいるデュデュというカラスが姿を見せ、足につける、スポンジのような一種の吸盤をヒューにわたしてくれて、壁かけの世界に案内してくれる。ヒューは、壁かけの世界でジャンヌに会い、カエルの国をおとづれたり、お話をつむぐおばあさんに会ったりしてたのしむが、カラスのデュデュが庭から姿をけすと、空想の冒険もそれっきりなくなってしまう。
 『壁かけのへや』は、はじめから魔法が通用するように定められた昔話の世界ではない。だから、ふしぎな出来事は、おこって当然と読者が納得するように、いわば理詰めに用意される。まず、月光をあびると、ほんものと見まがうような壁かけの織物があり、それが一つの生きた世界に転化するくわしい描写があり、その世界、つまり垂直にぶらさがっている世界へはいっていく方法として、吸盤までが用意される。
 フェアリー・テイルズからファンタシーへのこの変化は、大きくは実証主義・合理精神といったビクトリア時代の一般的風潮の反映である。だが、子どもの文学にだけしぼってみれば、子どもに対する理解の深化に、その大きな原因がある。子どもの文学の草創期にはあいまいであった年令による興味のちがいがあきらかになるにつれ、幼児期と少年期には内容がちがわなくてはならないこと、少年と少女もまた好みがちがうことがたしかめられ、徐々に、それぞれにふさわしい作品が生まれていった。そして、少年には、主に冒険ものが、幼児と少女には家庭を中心とした日常生活的なものやロマンチックな空想の世界が与えられるようになった。特に、幼児・少女たちは、少年よりもずっと、しつけの面に比重がかかったから、生活のこまごました描写が加わり、子どもべやのリアリズムともいうべき分野がひらけた。ユーイング夫人(一八四一〜一八八五)、ダイナ・マリア・マロック(一八ニ六〜一八八七)、マーガレット・ギャッティ(一八〇九〜一八七三)、フランシス・ブラウン(一八一六〜一八七九)、ジーン・インジロー(一八ニ〇〜一八九七)など多くの作家が、この分野で活躍した。モルスワース夫人も、その流れのひとりである。この一群に『小公子』のフランシス・ホジソン・バーネット(一八四九〜一九ニ四)やスーザン・クーリッジ(一八四五〜一九〇五)やルイザ・メイ・オールコット(一八三ニ〜一八八八)などのアメリカ勢を加えてみることもできるであろう。そこに、とうとうたるリアリズムへの流れがうかがえる。
 モルスワース夫人の作品は、『ハト時計』がかろうじて今ものこる程度で、あとはすっかり忘れられてしまったが、彼女が生み出した空想の物語の一つの型は、今日まで生きつづけている。

魔法使いネスビット

 モルスワース夫人の遺産を受けついで、それをさらに確固不動のものとしたのが、十九世紀末から二十世紀はじめに大活躍をしたイーディス・ネスビット(一八五八〜一九ニ四)である。ネスビットの生涯は、波瀾にみちたといってもよいであろう。彼女が生まれたとき、父親は農業学校を経営していて、家庭は裕福だった。父親は彼女が三歳のときに死んでしまうが、べつに暮らしむきにはこまらず、ネスビットは大陸で教育を受けたり、イングランドにもどったりして楽しい少女時代をすごす。しかし、十七歳のときに「あけぼの」という詩を発表してからまもなく母親が財産をなくしてしまう。一八八○年にフェビアン協会に属するジャーナリスト、ヒューバート・ブランドと結婚するが、夫が投機に失敗して財産をなくし、ネスビットは、ふたたび生活とたたかわなくてはならなくなる。そのため、彼女は、センチメンタルな恋愛小説・詩・短編・子ども向きの物語など、あやしげな文筆稼業にせいだして生活を支えていく。
 一八九七年に、ロンドンの絵入り新聞に『宝さがしの子どもたち』を書きはじめ、それが一八九九年に本になってはじめて、彼女は、自分の本領を発見する。『宝さがしの子どもたち』は、傾いた家を宝さがしによってもとにもどそうとするバスタブル一家の子どもたちをえがいたリアルな作品だったが、生き生きした子ども群像のたのしさが大人をも子どもをも感心させた。以後、彼女は『ふしぎな九つの物語』(一九〇一)、『ひとりよがり』(一九〇一)、とつづけて本を出し、一九〇ニ年に『五人の子どもと砂の妖精』という、モルスワース系統の空想物語を出して作家の地位を確立し、一九一三年まで続々と本を出していく。
 作家としての成功によって、ふたたび豊かになったネスビットは、バーナード・ショーやH・G・ウェールズなど、フェビアン協会の高名な文筆家たちと交わるはなやかな生活を展開するが、夫がめくらになって一九一四年に死んだ頃から、ふたたび生活が苦しくなり、一九一七年に、古い友人であるトーマス・テリー・タッカーという船長と再婚し、しずかな晩年を送るのである。
 このはげしい貧富の循環は、階級意識なしに子どもをえがくという長所となって作品に反映している。イギリスの児童文学をはじめヨーロッパ諸国の子どもの本は、最初、富裕な階級にしか読者をもたなかったため、王侯貴族や紳士の子弟と下層階級の子弟の読むものはちがって当然という考えがあり、中産階級の確立とともに、児童文学もまた確立したので、以後はずっと、中産階級意識に支配されていた。だから、中産階級の子どもも、女中の子どもも同様に生き生きとえがき、読者を無意識にも中産階級以上と限定しない作家はまれであり、その点でネスビットはまれな存在であった。その長所があるから、彼女は、十九世紀末から二十世紀初頭にかけての子どもたちの生活を生き生きとえがきながら、ふしぎな物語を生むことができたのであろう。彼女は、子どもを集団でえがいたが、いつもそれはきょうだいが主であった。休みを楽しく送るはずだった家にハシカが出て、ジュリー、ジミー、キャザリーンは、しかたなく、生徒のいなくなったキャザリーンの学校でひとりのフランス人の女教師の監督下にくらすところから『魔法の城』ははじまっている。

 予定のくるった子どもたちは、なんとかたのしく休みをすごそうと考える。
「『休みの間ずっとつづけられるあそびを考えなくちゃいけないわね。』
と、キャザリーンがいいました。お茶はすんで、男の子ふたりの着がえも、もうちゃんと色のぬってあるタンスのひきだしにしまいおえたときでした。キャザリーンは、なんだか急に大人になったような気分で、ちゃんと区分けしてきれいにしまいこんだのです。
『本をかくっての、どうかしら。』
『かけない、きみには。』 と、ジミーがいいました。
『わたしひとりでじゃないのよ。』 と、キャザリーンは、ちょっと気をわるくしていいました。
『みんなでよ。』
『やっかいだよ、そんなの。』
と、ジラルドがそっけなくいいました。
『つまりね。』と、キャザリーンはなおも主張しました。
『わたしたちの学校のことをありのままにかくのよ。そしたら、みんなが読んで、わたしたちのことを、ほんとうにかしこいって思ってくれるわよ。』
『放校になるのが落ちだろうよ。』と、ジラルドがいいました。
『だめだよ。外であそぶことをやろう。山賊ごっこかなにかさ。洞穴をみつけて、食糧をしまいこんどいて、そこで食事をするなんて、わるくないぜ。』
『洞穴がない。』
ジミーは、だれのいうことにも反対するのがすきなので、そういいました。
『それに、あのごりっぱな女の先生が、ぜったいに外に出しちゃくれにさ。』」

 ところが、ジラルドがまるで、小公子のようにきざったらしく話を持ちかけて、先生をたぶらかし、外出の許可をとってしまう。三人は出かけていく。すると、近くに古い城がある。三人が迷路のようなところを通ると、ひもが一本ある。それをたどっていくと、古いお姫さまのようなむすめが、横たわってねむっている。
「『ねえ、ジュリー』と、キャザリーンがきっぱりした声でいいました。
『あなた、いちばん年が上よ。』
『もちろんさ。』と、ジラルドが心配そうにいいました。
『じゃ、お姫さまをおこすのは、あなたの役目よ。』
『これ、お姫さまじゃないよ。』ジミーが、半ズボンのポケットに手をつっこんだまま、いいました。
『ただの女の子が、めかしこんでいるのさ』
『でも、長いドレスを着てるわ。』と、キャザリーンがいいはりました。
『うん、でも、見てごらん。足が短かくって、ちっとも出てないじゃないか。立ち上がったら、せいぜいジュリーくらいしか背がないよ。』
『さあ、さあ』と、キャザリーンがせきたてました。
『ジュリー、ぼんやりしていないで、やってちょうだい。』
『なにを?』ジラルドは、右足で左足をけっていいました。
『あら、もちろん、キスして目をさまさせるのよ。』
『とんでもない!』ジラルドは、あわてていいました。」
 とにかく、この眠れる森の美女は目をさまし、お姫さまであると名のって、三人を城の中に案内し、かくし戸だなにある宝石類をいかにも魔法らしく見せる。そして、金のゆびわをはめたら姿がきえるといって三人に目をつぶらせる。目をひらくと、ほんとうにお姫さまの姿はない。
「『姿をあらわしてくださいな、お姫さま。』とキャザリーンがいいました。
『もう一度目をつぶって数をかぞえましょうか?』
『ばかなこといわないでよ!』
と、お姫さまの声がいいました。その声はぷんぷんしていました。
『ばかなことなんか、いってやしないよ。』ジミーも、ぷんぷんした声でいいました。
『なんで、もどってきて、おわりにしないのさ? かくれてるだけなことは、わかってるくせに。』
『だめよ!』と、キャザリーンがそっといいました。
『ほんとうに、姿をけしたんじゃないの。』
『そりゃ、ぼくだって、戸だなの中にはいれば、姿はきえるさ。』
と、ジミーがいいました。
『そうでしょうよ。』と、お姫さまの声があざけるようにいいました。
『あなた、自分がよっぽどりこうだと思っているのね。でも、わたしは、へいき。わたしが見えないってふりをするんなら、それでもかまわないわよ。』
『だって、ほんとうに見えないんだぜ。』と、ジラルドがいいました。
『おなじことをいいあっててもむだだよ。ジミーのいうとおり、かくれているのだったら、出てこいよ。ほんとうに、姿をけしたのなら、姿をあらわしてくれよ。』
『じゃ、ほんとうなの?』お姫さまの声の調子がかわりました。
『わたしが見えないの?』」(訳文――筆者)
 お姫さまは、正直にほんとうもことをうちあける。彼女は、城の人たちがるすなのをさいわい、古い衣装をつけて、お姫さまごっこをしていただけで、じつは、家政婦の姪にすぎない。彼女は、偶然、ほんものの魔法のゆびわを指にはめてしまったのである。指輪ははずれない。子どもたちは、お姫さまをつれて帰ってやしなうが、たちまち食糧にこまり、おまつりへ行って、お姫さまの姿が見えないのをさいわいに、ジラルドが手品師になってお金をもうけ、ついでに姿をけすといって、ちょうどお姫さまの指からはずれた指輪をうけとって姿をけす。
 こうして、指輪は、つぎつぎ人手にわたって魔力をあらわし、ごたごたをひきおこす。また、この指輪の魔力には、無生物に生命を与える力もあり、夜、城の庭の白い彫像がうごきだしたり、劇場ごっこでつくった観客のグロテスクなかかしたちが生命を得て町に出ていくところなど、気味がわるい。結局、この指輪の魔力は使うごとにへっていって、それで、ごたごたもおわりになる。

 E・ネスビットの作品の長所は、あらゆる点になっとくのゆく自然さがあることであろう。登場人物たちの言動は、それぞれ性格のままであってよどみがなく、生きた子どもを感じさせる。日常性と魔法とのぶつかり合いも、非凡な着想と周到な計画の上に成り立っていて、無理なくスリリングな世界に読者を導き入れる。そして、休暇の間におこる、ふしぎでたのしくて、ときにはスリルとサスペンスにみちた事件を満喫させてくれる。人物創造がたくみだから、読者は筋を追いながら、人物たちの言動に共感したり反撥したりして、さまざまなものをひそかに学んでいく。ネスビットは、物語つくりの魔法使いだとつくづく感じさせられる。
 イギリスでは、戦後、彼女の作品が復活して、ニ、三の版が出ているが、同時期の『ジャングル・ブック』(キップリング、一八九四)や『ピーターパン』(バリー、一九一一)なほど高い評価を受けないのは、ほとんどが雑誌に掲載されたため、不必要に長かったり、不必要なコメントがところどころにちらばっていたりするためであろう。日本では『五人の子どもと砂の妖精』が、不必要と思われる部分をけずった訳で『砂の妖精』として出ている。
 だが、世界の児童文学に彼女が与えた影響は、巨大なものがある。日常生活の中の魔法という着想を完全なものにして、『メアリー・ポピンズ』(パメラ・トラヴァース)のシリーズ、『床下の小人たち』(メアリ・ノートン)の四冊、『グリン・ノウ』(ルーシイ・ボストン)のシリーズを生むもとになったのは当然のことであるが、間接的には、休暇のロマンスという点で、三十年代イギリスのチャンピオンであるアーサー・ランサムの冒険物語にも影響しているし、C・S・ルイスは、みずから、彼女の影響を語っている。つまり、E・ネスビットは、二十世紀イギリスの子どものための文学のほとんどに影響を与えたといって過言ではない。そして、世界の児童文学は、多少はあっても、イギリスの影響を受けて発展しているのだから、ネスビットは、二十世紀の児童文学に大きな貢献をしているといえる。
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