『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)

アンデルセン童話

 デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805〜1875)が童話をかきはじめ
たのは、舞台俳優や歌手をめざして失敗し、詩や小説を出しはじめた頃であった。最初の童話は1829年にコペンハーゲンの新聞に発表された『雪の女王』であったが、彼の童話がほんとうに有名になったのは、1835年に61ページの紙とじの小さな本で発表された『火うち箱』『小クラウスと大クラウス』『おひめさまとエンドウ豆』『イーダちゃんの花』や、同じ年に出た第二集『おやゆびひめ』『いたずらっ子』『旅の道づれ』からであった。
 アンデルセンの童話が昔話を手本にし、そのすぐれた特色を利用したことは、『火うち箱』一つをとってみてもよくわかる。長い間兵隊ぐらしをして、ほんのわずかなお金で追い出されたしたたか者が、魔女や悪魔とわたりあって魔力のあるものを手に入れ、幸運をつかむ話は、ヨーロッパ各国にごろごろしている。『おひめさまとエンドウ豆』にはたして昔話の下敷きがあったかどうか、今わたしにはしらべがつかないが、高橋健二氏の『グリム兄弟』219ページに、「ヴィルヘルム(グリム)はむすこのヘルマンから童話『まめの上にねたお姫さま』を聞いて、1843年の『子どもと家庭の童話』に『まめの試験』という題で入れた。民話的な話であるからであろう。しかし、やがてアンデルセンの創作であることを知って、ヴィルヘルムは1850年の版でこれをけずってしまった。」とあるのを読んでも、この話がどれほど多くを昔話に負っているかがわかる。
 だが、形式を昔話にかりても、アンデルセンが童話に盛りこんだものは、彼の人生
観・人間観・社会観など、彼独自のものであった。1837年に発表された『皇帝の新しいきもの』は、中世紀スペインの昔話がたしかに下敷きにはなっているが、封建制のからっぽの権威の愚劣さを皮肉った風刺そのものは、アンデルセンの考えであった。それにまた、この作品は、貧乏からはいあがった彼の経歴を考えるとき、真の実力者がにせの実力者をわらう意味をもっているとも考えられるし、また、子どもが大人の硬直した精神に一矢むくいているとも考えられる。まったく、これはアンデルセンのものなのである。
 下層階級に生まれて世界的名声を得るに至ったアンデルセンには、のけ者の苦難をあつかった話が多い。小さな自伝的傑作といわれる『みにくいあひるの子』などは、その好例であろう。

 みにくいあひるの子の、実は白鳥のたまごが、どういう経路でか、あひるのたまごといっしょにあたためられる。はじめから家禽社会のアウトサイダーなのである。安定して硬直した社会はアウトサイダーに冷たい。みにくいあひるの子は、ほかのひなにくらべて体が異常に大きいだけで、あひる仲間のつまはじきにされ、外の世界にとびだしていく。外の世界もいびしい。声をかけてくれたガンは、すぐに鉄砲にうたれて死んでしまうし、まよいこんだ百姓家にいるねことにわとりは、ちっぽけな世界に満足しきったうぬぼれやの小人たちである。冬中、心身ともに傷つき疲れたみにくいあひるの子は、春になって白鳥を見て、いっそ白鳥に殺されたいとねがう。ところが気づいてみると、自分がその白鳥の一羽になっていうのである。

 文なしでオーデンセからコペンハーゲンに出てきて生活とたたかっていた頃、彼は保護者から服をもらったが、異常にやせて背の高い彼には合わず、胸に紙をまいて着たという。また、大きくなってから学校へはいったため、そこの校長からさんざんいじめられたという話ものこっている。アンデルセンは、たしかにみにくいあひるの子を自覚していたのだろう。だから、年上の白鳥たちが頭を下げるくだりを読まされると、考えようによっては、アンデルセンは相当いや味な男となる。たしかに、彼の作品の中には、いたるところに、出世したよろこびがぬけぬけと語られている。しかし、それは高慢に通ずるのではなく、みずから
よろこび、周
囲にもよろこんでもらいたい気持ちにあふれている。また、時代そのものも、立身出世をすすめ、出世のよろこびを受けいれる時代だったのではなかろうか。
 しかし、『みにくいあひるの子』を、いや味からすくい、傑作としているのは、アンデルセンが体験したアウトサイダーの悲劇が、彼自身の内にとどまらず、貧しいもの、悲しみに沈むものすべてに対する誠実な同情と共感になっている点である。『マッチ売りの少女』の悲劇は、アンデルセン自身が、雪の中でマッチを売る女の子のつらさを実感できていたから、今も幼ない魂をゆさぶるのである。そして、彼の同情と共感の背後には、愛をもっとも大切なものとする彼の哲学がある。

 アンデルセンの最初の童話『雪の女王』が、愛を最高のものとする彼の考えをもっともよく代表しているだろう。これは、すばらしいフェアリー・テイルである。
 悪魔のかがみの破片を目と胸に受けた少年カイは、心がつめたくなって、雪の女王にしたがって、はるか着たの氷の城へ行ってしまう。氷の城でカイがすることは、さまざまな形の氷を組み合わせて文字をつくる「理知の氷あそび」である。しかし、永遠という文字だけはどうしてもつくれず、彼は自由になれない。
 幼な友だちの少女ゲルダは、カイをさがす旅に出る。彼女は魔法をつかうよいおばあさんのところで足止めされたり、盗賊にとらえられたりした末に、氷の城にたどりつき、あつい涙で、カイの心と目にはいったかがみの破片をとりのぞき、永遠の文字をつくり、カイを自由にする。
 これは、メルヘンあるいはフェアリー・テイルそのものである。そして、雪の女王は、もっともよくえがかれた魔女ということができる。彼女は理知のシンボルであり、幼な心の純な愛を失わないゲルダの前には無力である。愛の永遠、理知に対する、いや、あらゆるものに対する愛の優越性は、もう一つのアンデルセンの大きなテーマなのだが、それが処女作にあらわれていることは、まことに意味深いといわねばならない。
 カイとゲルダは、大人になって、もとの家に帰って結婚する。このノスタルジアも、アンデルセンの童話の底に、いつも流れている感情である。
 もっとも、彼を、ノスタルジアにみちた愛の賛歌をうたう偉大なセンチメンタリストのごとくに考えたりすることは、まちがいである。彼は、ときにひどくかわいた皮肉をとばしているし、ときには戦闘的である。もっとも初期の作品である『おひめさまとエンドウ豆』の痛烈な皮肉はその好例であろう。彼にとって、ふとんを何十枚重ねても、その下にある一つぶのエンドウ豆がいたいようなお姫さまを生んだ上流社会はすべて病んだ不健康な、笑うべき対象でしかなかった。おもちゃにすぎないもののためにキスを売るお姫さまを皮肉った『ぶた飼い王子』のつきはなした態度も、彼がときに見せるかわいたユーモアの一つであろう。
 アンデルセンが詩人であったことは、作品に接しただれもが知っている。彼の目をしてえがかれるとき、なんでもないことが、すべて生き生きとしてくる。おはらい箱になった兵隊が「一、二!一、二!と行進し」てくると、読者も兵隊とともに物語の中にはいっていってしまうのだ。アンデルセンは、一生、世界を、幼児のような新鮮なおどろきをもって見つづけられた詩人ではなかったかと思う。だから、彼の作品を語るとき、美へのあこがれ、未知へのあこがれを忘れることはできない。そして、この二つが、もっともよくえがかれているのは、『人魚姫』ではないかと思う。
 読者にとっては、詩人のロマンチックな想像力が生んだ、海底の人魚の世界が、神秘な世界としてあこがれをかきたてるが、主人公の人魚姫にとっては、まだ見ぬ地上が、異郷へのあこがれをかきたてる。六人の人魚の目を通してえがかれる海の上の世界は、この世の美を読者に知らせてくれる。
 アンデルセンは、昔話が与えた話の型を十分につかい、作者の思想をテーマにする、子どものための文学を生みだした人といえるだろう。従来の昔話をメルヘンとよぶ場合、アンデルセンの作品やその後継者たちの作品を創作されたメルヘンとよぶ人が多い。また、人によっては、英語をつかい、フェアリー・テイルズ(fairy tales)とリテラリー・フェアリー・テイルズ(literary fairy tales)にわけている。
 だが、アンデルセンの最大の功績は、型の創始者にあるのではなく、子どものため
の文学が、人間に精神の生み出す最高のものを含みうること、そして、子どもがそれを正しく理解
しうることを、人びとにさとらせたことである。彼ははじめ『子どものためのお話』として出版したが、後には単に『お話と物語』と変えたことにも、それがうかがえる。すぐれた子どものため
の文学は、十分大人の鑑賞に耐えうるのである。
テキストファイル化田中麻衣子