地球という風土

三宅興子
「日本児童文学」1996/05

           
         
         
         
         
         
         
     
(一)〈風土〉の変貌

 ある作品が、ある特定の場所や時代の上に立って、しっかりと構築されているとき、その作品にリアリティーがでてくる――という問題のたて方は、はたして有効なのだろうか。児童文学と〈風土〉というテーマを前にして作品のよって立つところが、激しく変化していることが、(世界が動いているから、それは当然であるのだが)あらためて知覚できてくる。
 イギリスの児童文学を専攻しているというと、多くの方は「楽しくていいですね」と返して下さる。おそらくは、『たのしい川べ』やら『クマのプーさん』やら『ピーターラビット』といった作品群からくる印象にもとづいた感想であろうか。林望という魅惑的な日本語を駆使できるエッセイストが『イギリスは愉快だ』『イギリスはおいしい』といった書物で、うっとりと描き出しているようなイギリスのイメージと重なっているところでもあろう。林望のイギリスは、あえて「いま」のイギリスの多層的な姿を見ないところで成立しており、それが彼のイギリスものの人気の秘密ではないか、と睨んでいるのだが。
 その「楽しさ」は、物語の巧みさやキャラクターの魅力によるとともに、変わらずそこにある自然の背景――川や森や湖が大きくかかわっていると思われる。中産階層の余裕あるくらしから成立してきたイギリス児童文学の問題点を、今から十年前の「日本児童文学」(1986年2月号 世界児童文学の現在@)誌上で話題にしたことがあった。ジャン・ニードルが『人の住まない森』(Wild Wood)(1981)という『たのしい川べ』のパロディー本を刊行したところであった。ニードルは『たのしい川べ』で悪として排斥されてしまうイタチやテンの側に立つと、アナグマやヒキガエル、ネズミ、モグラは不当にも弱い立場のものを苦しめて、しかも何も感じないひどい存在であることを描いてみせたのである。このあたりからイギリス児童文学の風土を視る眼はあきらかに変通していった。
 この論では、ランサムと湖水地方、ウィリアム・メインとヨークシャといった風土ではなく、「人のよって立つところ」といった意味での風土を問題としてとりあげてみたい。

(二)記憶の保存所としての古い館から出て

 この変通ぶりは、イギリス文学、特に、ミステリーと児童文学に舞台を提供している古い館によくうつし出されている。
 アリソン・アトリーの『時の旅人』(1939)で病身の少女が訪れる荘園は人が住み、生き生きと描き出される。それが、第二次大戦を経過すると老人が古い館に取り残されていっている姿が浮かび上がってくる。『床下の小人たち』(1952)では、小人たちの住んでいる古い館の判で押したような秩序ある暮らしが揺らいでしまい、第二作が、館から脱出した『野に出た小人たち』へと続くのである。小人が住める世界ということでは、B・Bの『灰色の小人たちと川の冒険』(1942)が思い出される。イギリスに住む最後のノーム(小人の一種族)の三兄弟が行方不明になっている兄を探して川をのぼる冒険物語で『B・Bランド』といってもよい自然空間(川や舟や釣り)で物語が進行する。小人もこの世にぽつりぽつりと取り残されており、トキやゴリラと運命をともにする仲間でもあるのだ。
 ルーシー・M・ボストンが、「発見」し、その意義づけを行ない二十世紀に生きかえらせた館は、十一世紀に建ったイギリス最古のマナー・ハウスである。古い館は、人々の記憶の保存所であり、そこに集積している歴史的時間を読みとる機能をもっている。第一作『グリーン・ノウの子どもたち』(1954)で、大おばあさんを訪ねたトーリ―少年が出会うのは三百年前の子どもたち、第二作『グリーン・ノウの川』(1959)では、難民の子どもが館に招待される。第四作『グリーン・ノウのお客さま』(1961)では、館を奪おうとする魔女がやってくる。つまり、グリーン・ノウという館を中心に軸にすえ、過去の歴史、現在の状況、未来の危機が、物語として描出されているのだ。時間と空間の重曹を保存してはいるもののその存在そのものがおびやかされていることを示唆している。1958年のフィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』となると、もう古い館は、トムが真夜中にめぐる過去の時に属してしまっている。J・ロビンソンの『思い出のマーニー』(1967)では、館にはもはや人は住んでいない。しかし、館は主人公の心に入りこみ、作品の中核をなして いることには変わりない。人々が賑やかに住んでいた時代から、老人が残され、ついに住み手のなくなる古い館となる。その存在そのものが、変わってほしくない価値や、くらしを象徴し、守るべきもの、心をよせるべきところとしての役割をになってきたのである。
 80−90年代になると、「古い館」の危機に象徴される問題は、地球規模へと広がっていく。誰がどのように決めたわけでもなく、作家たちの筆は、地球環境という風土を問題にしはじめる。
 エリック・キャンベルの『ライオンと歩いた少年』(1990、さくまゆみこ訳 徳間書店、96年2月刊)は原題をThe Place of Lions といい、ロンドンの移民や難民の数多く住む地域に住んでいた少年クリスが父の勤務のためタンザニアに行って、キリマンジャロ空港から単発機でムソマに向かう途中、飛んでくる鳥と激突した飛行機は墜落し、脚を骨折した父と瀕死の重傷を負ったパイロットを残して、救助を求めるために歩き出すという物語である。原題が語っているように、そこは、太古から動物たちの土地で、群をなしたライオンのくらしの場・プレイスであった。
 ロンドンの学校は、クリスにとって、「学校におさまっているには、おとなになりすぎていた。教室にすわって授業を聞いているのは、うんざりだった。何か行動を起こしたくてたまらなかった。ただ何をしたいのかが、まだ自分でもはっきりわかっていなかった。」(P3〜4)というものであった。
 こうしたプロットづくりを書くと、一時期、オーストラリアの児童文学、特にアイバン・サウソールの書いた「危機」に直面した少年少女が、その危機をのりこえて成長するという物語と枠組みは同じであることがわかる。しかし、決定的に違うのは、その「場」を設定する作者の意識である。70年代までは、「大自然の脅威」や「自然と人間」といった用語で自然の前に無力である人間をおき、その人間が全力をつくすことに尊厳をおいて書き進んでいった。そのとき、危機に面した人々には、安定し、帰っていく場としての日常生活が保障されていた。日常生活そのものは、問題にされていなかったのである。


 一瞬クリスはふるえた。この小さな飛行機の中で、これまでの自分の人生がいかに危機から守られていたかを、とつぜん悟ったのだった。今、目の前にある土地は、何万年ものあいだ変っていないのだ。
  この恐怖を言葉で表すことはできないが、心の奥底にひそむ人類の最初の記憶が、ここは危機だと語っていた。木のうしろ、岩のかげ、地面にあいた穴。水面のすぐ下をすべっていく影、丈の高い草、島――どこにでも危険はかくれている。アフリカで呼吸する空気は死のにおいを伝えている。
 そのにおいに注意をはらわない者は、生きのびることができないのだ。とクリスは思った。(P50)


 
 古い館における人間の記憶を書き留めたボストンは、環境保全に対していつも先鋭であった。『ライオンと歩いた少年』の作者、エリック・キャンベルもエコロジストである。古い館の記憶と「人類の原初の記憶」を同じ線上で並列においてみると、環境を定点的な一つの場でみるのか、太古といった時間の流れと、生態系(文明化した人間を中心において環境をみるのではなく、生きとし生けるものすべてを含むもの)を広く地球的にみるのかの相違が浮かび上がってくる。
 ウィリアム・メインの『夏至祭の女王』(1977、森丘道訳、偕成社、94年11月刊)をもち出してみると、この相違は、もっとよく了解できる。メインは「定点」にあたるヨークシャーの谷に住んでその場が主人公であるような作品群を書き続けてきている。『夏至祭の女王』では、十九世紀末のイギリスの小さな村の伝統的な祭を軸に物語が展開される。両親をなくし、病気の身でベッドにいるマックスは、階層の違うぼっちゃん、そのぼっちゃんにお手伝いの少女が片思いの恋をする物語で、その少女がおばあさんになっていて昔の物語を語るという枠組みが設定されている。場が「昔」であり、伝承の世界が生きていることで、<風土>というテーマにぴったりの作品に出来上っている。しかし、その<風土>をしっかりふまえた濃密な小さな世界が、熟達した表現で、非常にたくみに伝えられてくればくるほど、また、よい作品だと思えば思うほど二十世紀末の日本にいる読者の私に、世界は変わってしまったという思いを強く感じさせる作品でもあった。

 
(三)戦争の<風土>

 世界は変わってしまったという思いが、決定的になったのは、ロバート・ウェストールの『弟の戦争』(1992、原田勝訳、徳間書店、95年11月刊)の余波も強く働いている。原題の Gulf が語っているように、1999年の湾岸戦争がテーマになっている作品である。ウェストールは、『"機関銃要塞"の少年たち』(評論社)や『プラッカムの爆撃機』(ベネッセ)などで、戦争児童文学を、個人の体験に根差しながらも、誰もが共有できるテーマとして物語体験できるように英知をしぼってきた作家である。
 『弟の戦争』は、三歳違いの弟アンディのことを、兄トムが語るという枠組みをとっている。トムには幼ないころ、想像上の弟「フィギス」がいたのが、現実に弟ができ、その弟を「フィギス」と呼んだ。弟は、いつもは「ごく普通の、のんきで明るい男の子」(P47)であったが、時々、何かにひきつけられると他のことが考えられない状態になって家族をきりきり舞いさせる。六歳の時、新聞でアフリカのまじない師を見て、名前がわかり、手紙で交流したことをきっかけに、テレパシーの能力があらわれはじめる。常識の人である父母は、理解できないままにいる。ある時、スペインでホリディーを楽しんでいるとき、新聞でエチオピアの餓えに苦しむ母と子の写真を見、弟が動かなくなるという事件がおこった。父はかけまわって国際赤十字を通じて義援金を送り、母は母でよくいってきかせたものの、弟の体重は減り、衰弱していく。しかし、この事件は、「ボサ(エチオピアの子どもの名前だと弟がいった)は死んじゃった」という一言で終わり、日常に戻ってしまう。
 ところが、1990年の8月が来て、語り手トムは十五歳、弟フィギスは十二歳になっていたとき、夜毎に、弟が、十三歳の少年イラク兵ラティーフの人格と交信し、そちらの人格にうつっていくという事件がおきた。ラティーフのねむっている間に、フィギスは、トムの問いに答えてラティーフの日常を細々と教えてくれる。兄は、そのことをゲームのように取り扱い、遊びとして夜毎に問いかけを行っていく。しらみ退治に追われる暮しが語られ、イギリスでのマス・メディアとの報道の差がここで浮きぼりにもされていく。一日一日とフィギスは後退し、ラティーフの力が強くなっていく。
 ある日、床屋にいて奇妙な言葉で話し、理解できない行動をとったために弟は精神科に入院してしまう。弟の主治医は、アラブ系のラシード先生で、手をつくして治療にあたり、弟のありようを、そのまま認めてくれる。兄トムは「ありのままぜんぶを見るのが、ぼくの役目」(P144)と考え、弟の病室に入る。もう少ししかフィギスに戻れなくなった弟から、アメリカを憎み、一人でもアメリカ兵を殺したいとがんばっているイラクの少年兵のことをきく。フィギスだけがどうしてこんな目にあわないといけないか不公平ではないかときく兄にフィギスはこたえる。

 公平ってなに? 世界は公平にできてないんだよ。アクバルやアリーがこんなところにいたがっていると思う? ぼくとすこしも変わらないよ。なにしたいかって言えば、家族のところへ帰りたい、それだけなんだもの(P143)

 兄は、弟のありようをそのまま受け入れるものの、父は、全くの無力である。「父さんにとって世界はすべて目に見え、手でさわれるものでできていた。父さんは建設し、修理する人だ。なのに目の前には建てたりなおしたりできるものがなにもない。父さんは戦う人なのに、ここには戦う相手がいない」(P117)という状態におかれる。母親も「今までなら母さんは必ずフィギスを助けてやれた。でも今度は、社会福祉の経験も、傷ついた動物を治す腕もいっさい役にたたず」(P118) やはり無力であった。
 フィギスの力がつきかけていた時、ラティーフの世界が空襲にやられ、全員殺されてしまう。病室の部屋でうずくまっていたフィギスの身体はふっとぎ、「部屋のすみに、小さなぐにゃりとしたかたまりが残った。」(P156)フィギスも死んだと思ったら、「ここ、どこだい?」という力強い声がきこえ、弟は、弟に戻っていた。
 弟は気が狂っていたのかという兄の問いに、ラシード先生は答える。

  …きみの弟はあまりにも正気だったんだ。だれもが自分と同じ人間だ、っていう思いが強すぎたんだよ。狂っているのはまわりの世界の方さ。ただし、わたしがこんなことをしゃべってたなんて、人には言わないでほしいがね。(P159)

 そうして、フィギスは、アンディという普通の男の子に戻ってしまう。兄はそれをさびしく感じはじめる。兄は、フィギスは「ぼくらの良心だった。」と気づく。人と人の間にある深い溝に、「橋をかけようとした子ども」(P114)だったと考えるにいたるからだ。
 湾岸戦争の記憶が日々忘れられていく状況のなかで、ウェストールはフィギスを私たちに送り出して、その次の年、亡くなってしまった。
 イギリスにいて、何不自由ない生活のなかに、突然入りこんでくる飢餓や戦争、それを感じとり、共有していくことそが「いま」<風土>を語るときの根底にすえておくべきことであり、必須条件なのだということを、ウェストールの作品は語りかけてくれる。

(四)記憶を伝える者

 ウェストールとは、全く異なる位相から、本質的には、同じような世界観が提示されたのは、ロイス・ローリーの『ザ・ギバー――記憶を伝える者』(1993、掛川恭子訳、講談社、95年9月刊)においてであった。アメリカでニューベリー賞をとった作品で、分類すれば近未来SFに属するものである。餓えもなく、病気も環境汚染もなく、老人や子どもが特別なケアをうけているユートピアが実現している、とあるコミュニティーが提示される。ジョーナスはもうすぐ十二歳、妹リリーがいて、思慮深い両親に恵まれて明るくくらしている。物語を読み進むうちに、「一家族ユニットに、子どもはふたり――男子一名、女子一名。規則にはそうはっきりと書かれている。」(P16)といった文章を中心とした管理社会であることが少しずつ明らかになっていく。ジョーナスの生活は、完璧であるにもかかわらず、読者は不安を感じはじめ少しずつ疑問をもってくるように、ローリーは、うまく物語を運んでいく。
 例年と同じように、<二歳><三歳><四歳>と<儀式>の日がきて、儀式が進んでいく。年齢によって子どもはグループ別にわけられ、課題が与えられている。<九歳>では自転車をもらい自立への一歩をふみだす。児童心理学をふまえて、子どもの成長をとらえている。<十二歳の儀式>では<職業任命>をうける。「<配偶者組み合わせ>や初年児<名づけ>や<家族決定>と同じように、<職業任命>も<長老会>によって綿密に検討される。」(P73)そして、ジョーナスは、コミュニティーにたった一人しかいない次代<記憶を受けつぐ者>に選抜される。
 ジョーナスは、ザ・ギバー<記憶を伝える者>のところに、通うことになる。つまり、ジョーナスの属していたコミュニティーには、機能本位をとるための画一化が進み、気候をコントロールしたため、雪や太陽の暖かさといったものを含め、多くのものをなくしているのである。(これから読む方のために、これぐらいにしておきます。)暖かい家族団欒の記憶などとともに戦争や苦痛といったネガティブな記憶を受けつぎながらジョーナスは考えぬく。こうした事態を変える方策を模索し、行動に出る。苦しい逃避行のすえ、山の頂上に辿りつく。そこで見つけた橇で、最後目的の地だと感じていた方向へとすべり下りるところで物語は終わっている。そのあとを考えるのは、読者にまかせて。
 苦痛や悲しみや矛盾にみちた現代世界を、機能だけを優先させ、画一化を成功させた完璧な管理社会から見るようにするという着想のもとは、作者が十一歳のとき住んだ日本の駐在軍の居住区での体験に根差しているという。ニューベリー賞の受賞スピーチによると(「ホーンブック」84年7・8月号P414〜422)鉄条網にかこまれたワシントン・ハイツの住人は、外の日本の社会との交渉なくアメリカのなかでくらしていた。好奇心のさかんなローリーは、自転車で渋谷の町に出て、その騒音と活力、けばけばしいまでの明るさを楽しんだと語っている。衛生的で規律正しく、不便さや苦痛のないワシントン・ハイツの暮らしと、戦後の雑然としており、混沌のなかにある渋谷の町での人々の営みのコンストラストは、異文化体験として、ローリーに焼きついていたのである。 『ザ・ギバー』は、歴史をもたない社会、記憶をもたない社会を設定していが、そこには〈風土〉という言葉で語られるものの入ってくる余地はない。ザ・ギバーが最初にジョーナスに伝達した記憶が雪の冷たさと、橇遊びの爽快さであったのは、よく考えられている。五感による記憶というのは、もっとも原初的でありながら、根源的で人間らしい記憶なのだ。個性を職業を選ぶときの選択基準として使う画一化社会というのも、作者の皮肉である。人間を適材適所に配置するというのは、肯定的に考えられている思想でありながら、そこに〈長老会〉という組織が入りこむと、どれほど恐ろしいことになるのか、実に淡々と表現されているからである。

 このテーマを与えられて、あらためて、作品の〈風土〉が大きい変革をとげていたことに気付いていった。たとえ、小さい規模のコミュニティーや単一の家族という設定があったとしても、それが、ユニークで、独特の風土に根差したものであればあるほど、地球という風土、歴史を視る眼、個人のなかに流れる太古のときなどと無関係には成立しえないものであるのがわかっていった。このことに対する鋭敏な見通し能力が、「いま」作者に強く要求されている資質でもあるだろう。 
「日本児童文学」1996/05
テキストファイル化大塚菜生