『児童文学の旗』(古田足日 理論社 1970)

J 形象と文体は相互限定 ――西郷提案への意見
1西郷提案に感動した。ほとんど同感である。この提案はふたつの役割を果すだろう。この提案のふたつの面――ひとつは文学形象の読みとりの理論で、もうひとつは『最後の授業』の分析だが、このそれぞれが文学教育を前進させるだろう。どのように前進させるのか、それについて書くのが、ぼくに課せられたしごとらしいが、ぼくはむしろ西郷論文から触発されたことを書きたい。ただ簡単に西郷提案が果す役割について書きとめておくと、形象の相関関係において作品を読めという西郷氏の主張、これはまったく当然のことである。これはいままでも無意識のうちに実行されていたことかもしれない。ふつうぼくたちが小説を読む場合、つねにそのように読むからである。だが、いままでそれが理論化されなかった。理論化されなかったのはおそらく、文学教育の理論がぼくたちが小説を読む、そのことの分析の上にうちたてられたのではなく、言語教育の理論をときどき借用したことによるのではなかろうか。「いつ・どこで・だれが・何をしたか」という定式。この定式は文学教育とは直接の関係は持っていない。要約力などを身につける、その方法であって、言語教育の領域に属するものであるはずだ。次に、『最後の授業』の分析について。『最後の授業』はいままで国語愛とか、祖国愛とかというテーマでおさえられてきた。しかし、かならずしもそうではないことが、西郷氏の分析によってあきらかになった。ただし作品解釈としては、広場の民衆に未来を見る――そこまではちょっとむりだと思う。もっとも教室授業の際、そこを強調することは、あってしかるべきことでもある。文学教育自身一種のプロパガンダであり、作品の拡大解釈であろうとなかろうと、教師自身の解釈は強調されるべきだ。そしてまた、一定の振幅のなかで、多様な解釈をゆるすものがすぐれた作品である。ぼくは『最後の授業』に祖国愛だけではなく、ほろびの歌を感じている。2『ながいながいペンギンの話』や『木かげの家の小人たち』の作者であるいぬいとみこに、その創作過程とでもいうようなものをたずねたことがある。彼女はいった。「あみの目だわ、あみの目ができたら、だいたいできたようなものね。」西郷氏は「もの・ことのからみあい」ということばをつかったが、このからみあいと、あみの目は親近関係を持つことばである。だが、あみの目ということばは、そのひとつの目のからみあいだけではなく、無数にからみあうものを想像させる。無数のからみあいが、ある世界をかたちづくる――そのことを彼女はいっているようであった。ところで、ぼくは西郷提案を読んで感動したといった。その感動の質は文学的であった。とすれば、この論文はぼくにとっては文学作品である。西郷氏のことばを借りれば、この論文の各部分は「継時的展開のなかにおたがいに響きあう血脈によって結ばれている」のである。西郷論文にもあみの目があり、それがひびきあう。しかし、論文というものを構成しているのは、一般的にいって形象ではない。ぼくはいまの引用のなかで「継時的展開」うんぬんの頭にある「すべての形象間の」ということばは抜かさなければならなかった。もしかしたら、ある人びとは評論にも形象の存在をみとめているかもしれない。だが、単純に考えて、形象はことばによってよびおこされる具体的なイメージである。評論にはそれがない。にもかかわらず評論も文学になり得る。とりあえず西郷論文がその見本である。とすれば、評論をふくむさまざまの文学ジャンルの諸作品に共通していて、その諸作品を文学にしているものは形象ではない。では、それは何なのか。つまり文学を文学たらしめているものは何なのか。この問いに対してぼくは完全な答を出そうと思わない。出すことは不可能だからである。だが、個人的実感に即していうと、その答は文体である。ぼくは一編の読物を書くとき、つねに最初の一・二枚で迷う。作品全体をつらぬく調子を考えて、ぼくは書いたり、消したりする。その際、いぬいとみののいうあみの目づくりはある程度までおわっている。それでもやはりいざ書こうというところで迷う。一般的にいって書き出しに苦心する人は多い。その苦心はただ技術的な苦心ではなく、文体を求めての苦心である。ひとつの統一体である作品を、どの線で統一するかという、その基調を求めて模索しているということになる。どこを省略し、どこを書きこむかという、作品のリズムが書き出しで決定されるのである。整理していうと、次のようになる。作品が全的統一体であることはすでにあきらかであり、作者が書きだす以前にその統一体をおぼろげにつかんでいることもあきらかだが、それを実際に統一体にしあげるもの――それが文体である。小説・童話でいえば、まず形象によるあみの目の世界が作者の頭のなかにかたちづくられ、次に手を通して文体が動く。形象は文体に限定され、文体はまた形象によって限定される。くりかえしになるが、文学作品が第二の現実とよばれるような統一体になっているのは、それが形象相関によるあみの目の世界であると共に、ある文体によって形成されているからである。文体は作品世界に一定の調子を与え、そのことで現実世界と作品世界とを区別する役割を果すのである。そのために文体は、表現された各形象の内部にくいこんでいなければならぬ。各形象は文体によって一定の方向を与えられる。そのことによって形象は相関させられる。ふたたび西郷氏のことばを借りれば、作品は「すべての形象間の継時的展開のなかにおたがいに響きあう血脈によって結ばれている」ものだが、その血脈が文体である。こうして形象と文体は密接な関連を持っている。とりあえずここでは、文体の方から考えていっても、形象相関の理論は当然であり、そうでなければならないのだ。3西郷氏は金網をはった掲示板のことについて書き、文章表現のイメージ化ということにふれた。この金網をはった掲示板のところ、西郷氏は「役場」とか「いやな知らせ」とかいう形象を一般化、概念化して「権力」とか「命令」とかという概念によってとらえなおせという。ここもぼくは西郷提案の収穫のひとつだと思う。文学形象が特殊性と共に普遍性を持っていることはだれでも知っていることだが、実際の教育のなかではどうも特殊性の方にかたむきがちであったようだ。普遍性化していくこと、おおいにさんせいである。だが、ぼくの問題はそのことよりも、西郷氏がかるくカッコのなかに書いた「場面を絵にする」とか、「頭のなかの映画館に有様をうつしだす」ということばの方だ。西郷氏は「ものそれ自身としていくら『絵』にしてみても、その本質はとらえられない」というが、それだけではなくぼくは「場面を絵にする」ことに文学教育が堕落していく危険を感じる。「場面を絵にする」ということばはまったく便宜的なことばであるばかりでなく、文学作品の読みとりという面からいって、まるきりまちがっている。ささいなことに目くじら立てていると思う人もあるかもしれないが、ことは文学をどう理解するかという基本問題にかかわっている。文学は絵でもなく、映画でもないのだ。おそらく「絵にする」ということばは、形象と文体についての不完全な認識から生まれてきたものであろう。ぼくはさきに評論の文学性について述べたが、ある場合、小説と評論とにはっきりした一線を引くことはむずかしい。たとえば伝記がそうである。文体に限定された形象は本質的に絵になるようなものではないし、それが便宜的なものだということで、一歩ゆずって考えても、文学形象は絵になるようなものだけではない。たとえば次のような文章がある。「これから始められる物語は、いったい、不幸な話なのか、それとも、おそろしくばかげた事件なのか、さっぱり見当がつかない。しかし、少なくとも、最初は、数すくない幸運な事件として、うすぐらい新聞記事の片隅で、読む人の笑いをさそったものであった。昭和33年8月×日と言えば、中東問題で国連は緊急総会を開いて、米ソ2大陣営の平和外交の危機といわれていた。国内でも、これに負けず、おとらずの、あまり愉快でない話題が新聞をうずめていた。」山中恒の『とべたら本こ』の書き出しだが、これはいったいどのようにして絵になるのか。絵にもならず、また絵にする必要もない。イメージ化する必要はないのである。西郷氏が表象にイメージとルビをふったように、形象とイメージとはちがう。文学の形象とはひとつのもの・ことではなく、人間と事物がかかわりあう、それ自身相関性をうちにふくみ、時間の経過を持つものと考えるべきである。もちろん、時と場合によってはイメージ化も必要であろう。しかし、それは場面を絵にすることではない。ある作品を読んだのち、ぼくたちの頭にその作品に書かれた情景がありありとのこることがあるが、その際、そのイメージは作品全体の形象の相関によってささえられ、基調としての文体によって限定されている。イメージの喚起はこうして形象と文体のなかに位置づけられなければならず、ぼくはイメージの喚起などよりも、形象のあみの目の世界と、文体とを感じさせることが、文学教育のもっとも大切な作業のひとつになると思う。4.西郷氏は『最後の授業』が子どもに共感をもって受けとめられるかどうかについて、次のようにいった。「遊び好きな平凡な子どもらしい主人公〈私〉の発端における形象は、いまの日本の子どもたちにとっても、まず同化しうる〈身近さ〉を多分にもっているようである。」そのとおりだと思うが、この『最後の授業』はふつうにいわれる児童文学ではない。これはドーデーが子どもを読者対象にして書いたかどうかということではなく、いま目の前にある作品から感じることである。その感じは――やはり文体から生まれてくる。児童文学の中心をケストナーの諸作品や、ドリトル先生や、『風にのってきたメアリー・ポピンズ』などにおいて考えるとき、これらには共通の文体がある。日本でいえば千葉省三であり、彼の作品『みち』は次のようにはじまる。「いろんな道があった。大やぶぬけ道だの、小らんとずいどうだの、しょんべん稲荷新道だの、ぴょんぴょん街道だの。みんな、おれたち、子どもなかまだけしか知らない道だった。(中略)これがおれたちの、いちばんはじめに見つけた道だった。おれたちといっても、ほんとうの発見者は薪屋の助治だった。だから、おれたちは、発見者のめいよを重んじて、しばらくの間、この道を通るには、かならず助治にことわって、そのゆるしを得なければならないことにしていた。もし無断で通ったりしたら、なかまはずれにされて、しかたのないきめになっていた。」回顧的なところはあるが、子どもの心が躍動している文体である。またここにある子どもの目と心と行動は『最後の授業』の主人公である「私」よりも、古いなら古いなりにいきいきとしている。さらに「私」の姿を、最初から児童文学として書かれた『クオレ』の諸作品中の主人公とくらべてみると、『クオレ』の主人公たちの方がはっきりとした性格を与えられている。この二種類の文学――最初から児童文学として成立したものと、子どもにも読まれるおとなの文学とのちがいはどこにあるのだろうか。とりあえず、そのはたらきの面からいえば『みち』や『クオレ』は子どものもっとも子ども的な部分にはたらきかけ、『最後の授業』はそだち行く心にはたらきかける、とでもいうことになるのだろうか。『クオレ』の主人公は行動し、『最後の授業』の主人公はものに感じやすい、とでもいうか、そうした感受性は持っているのだが、行動しない。そして『クオレ』の文体が『最後の授業』よりはるかに強烈であることを見れば、「私」は西郷氏のいう"教室に集まった人びと"のひとりであることも、うなずける。「ある民族がどれいになっても、その国語を保っているかぎりはそのろう獄のかぎを握っているようなもの」というアメル先生のことばも、国境を接して取ったり取られたりしたヨーロッパ諸国とはちがう日本の、その子どもたちには、ある場合、心からのなっとくは不可能である。ただそのことばがこの作品世界のなかである重みをもっていることから、印象深く心にとどまり、のちに思いあたることがあるだろう。そのことをふくめて、この作品はそだち行く心にうったえるのである。以上のように見てくると、『最後の授業』のように、子どもにも読めるおとなの文学ではなく、同様のテーマ・シチュエーションの児童文学が必要なことが必要なことがはっきりする。それをつくりだし、また日本の過去や外国にあるかもしれないそういう児童文学をさがし、紹介しなければならないことを、ぼくは痛感した。そして、ひとつつけくわえれば、小中学校の国語教科書にはなぜ『みち』のような作品が、児童文学の古典が少ないのだろうか。子どもが子ども的な部分を力いっぱい生きるというよろこびが、そうした作品にはみちているのに。(『教育科学国語教育』1965年7月)
テキストファイル化音羽真美子