『現代児童文学論』(古田足日 くろしお出版 1959)

「王さまのハンケチには ロバのししゅうが してある」論


 与田凖一の「王さまのハンケチには ロバのししゅうが してある」はむつかしい(?)作品である。与田さんの作品は一般にむつかしいが、ことにそのなかでも「王さまのハンケチ……」はもっともむつかしい部類に属するものであろう。しかし、ぼく自身の感動の度合いとでもいおうか、作品を読んだ時の手ごたえは、与田さんの他の作品、「五十一番めのザボン」や「光と影の絵本」より、重く、確実である。「五十一番のザボン」や「光と影の絵本」は、与田さんのもののなかでは、わかりやすいほうにはいると思うが、むつかしいほうでいえば、「夢と円」だとか「父のメルヘン」だとか、こうしたもののなかでも、ぼくは「王さまのハンケチ……」がおもしろい。
 だから、ぼくは文学教育に熱心な教師たちがある作品を材料として実践し、それに対して若い児童文学者たちが意見を加えるという形式の本、「文学による人間形成」のなかで、ぼくの担当としてこの作品を選んでみた。教師のほうは遠藤豊吉氏だった。以下は遠藤さんの意見と実践について、ぼくの意見を述べることによって、この作品に対するぼくの考えを出していったものである。(遠藤氏の実践記録は西尾実、国分一太郎、古田他著「文学による人間形成」・明治図書刊にのせられている。)
 まず、ぼくはその感動の度合いにおいて、遠藤さんと対立した。遠藤さんはこの作品を再読してみて、「むねの底に、ぴーんとひびいてくるものがないのだ。文学作品を読むとき、いつもならぼくをゆすぶってくる、あのこころよい精神の波立ちがないのだ」という。ぼくには波立ちがあり、その波立ちの向こうに、ぼくが見すごしがちな現実の奥深い様相が見えてくるのだ。
 ここでも、ぼくは遠藤さんと反対の立場に立つ。遠藤さんは「すぐれたメルヘンなら、必ずその作品の世界を支えているはずのリアリティが、どこにひそんでいるのか。物語の世界をとおして、作者がみつめている現実への眼が、いったいこの作品のどこに見開かれているのか。ぼくは三読してなおかつそれを感じるとることができなかった」というのだが、ぼくは、いわゆる児童文学の中堅作家のなかで佐藤義美・筒井敬介と共に与田さんの作品ほど現実に目を開いているものはないと思い、その与田さんの作品のなかでも「王さまのハンケチ……」は現実そのものを、その現象ではなく、本質を切り取ったものと見るのだ。このぼくの感じは、ことばの意味の拡大をおそれずにいえば、アクチュアリティということばの持つ意味に近い。
 だから、ぼくがこの作品から受けるものは、波立ちとか手ごたえとかいうことばでは表現できない。それはひとつのショックに近い。現実の一片が、生肉の一片をたたきつけるように、目の前にぴしゃりとたたきつけられた感じなのだ。(ただ、この作品の最後のところは、この感じとちぐはぐだが。)
 そして、ぼくは願うのだ。ぼくをつき動かすこの作品は、やはり子どもにもわかってもらいたいものだと。
 だが、その場合、第一の難関は、この作品が何をいっているのかという、意味の問題である。すじがきをたどったところで、何をいおうとしているのか、この作品はちょっと見当がつけにくい。まず作品の解釈からはじめよう。


 ぼくは、この作品を読みかえしているうちに、宮沢賢治の詩「春と修羅」の一節を思いだした。「まことのことばはここになく修羅のなみだはつちにふる」という一節である。ぼくは「まことのことば」を求めて苦しむ与田さんの姿をふと思い浮かべてみた。
 この作品は、ことばの発展のかたちで発展している。はじめにことばがあった。「王さまのハンケチにはロバのししゅうがしてある」ということばだ。そのことばをささやかれながら忘れていた「わたし」は、実は忘れてはいなかった。「わたし」はけんかをしているふたりの男に近づいて、その大男の耳に「王さまのハンケチには……」と、最初、「わたし」がささやかれたとおりの「影の声」でささやいたのだ。
 ことばは成長したのである。まず、種がまかれた時、「わたし」は「へんだなあ」という程度にしか思わない。それがあっちでもいわれてこっちでもいわれるうちに自分も、他人にむかっていうようになったのである。
 やがて、そのことばは実体を持つようになる。「わたし」は、そのことばの説明をきく。「――あれはね、王さまのおかあさまというのが、そうとうに、芸術の心があられたのだよ。で、王子であられたころのハンケチに、ロバのししゅうをされたのが、三角にたたんだそのままで、今も王さまのうわぎのポケットに、ささっているわけさ」という説明である。ロバのししゅうがしてある王さまのハンケチは物として実在するにちがいないのだ。
 実体がある以上、「影法師のような声」はその本体の声に帰らねばならぬ。子どもは王さまの心臓を指さしていう。「王さまのハンケチには、ロバのししゅうが、してあります」と。
 だが、その結果はどうだろう。子どもはもみくちゃにされ、どろんこにされてしまっただけのことだ。太古、神は「光あれ」といった。たちまち、光が現われた。「王さまのハンケチには……」ということばにはその力がなかったのだ。このことばは、ただのむなしいことばに過ぎなかった。「まことのことばはここになく」「わたし」は「王さまのハンケチには、ロバのししゅうが、してある、けれど……けれど……」と歌うよりほかない。
 影の声が成長し、実体を持つかのようになり、つまりはほんもののことばではなかったという発展の経過を、この作品はたどっている。この発展過程から、わたしたちは実体のないことばに動かされもてあそばれている現代社会を読みとることができるはずだ。
 それをなおくわしく内容に立ち入れば、「王さまのハンケチにはロバのししゅうがしてある」ということばをどのように解釈するか。これについてわたしたちは「王さまの耳はロバの耳」という民話を思いだすべきであろう。むかし、ロバのように長い耳をした王さまがいた。王さまはそれを他人に知られるのをおそれていたが、おかかえ理髪師の急病で代理となってきた理髪師が知ってしまう。彼は王さまの耳のことを人にしゃべりたいが、かたい口どめとおどかしのためしゃべれない。彼はとうとうあなを掘って、そのあなのなかに「王さまの耳はロバの耳」と吹きこんだ。そのあなの上に生えた木が風の吹くたびに「王さまの耳はロバの耳」と鳴ったという話。
 王に対する風刺、王さまも人間、あるいはそれ以下だという考え方がこの民話に見られるが、このことばの連想を「王さまのハンケチ……」に結びつけるまでもなく、ロバのししゅうをしたハンケチを心臓の上のポケットにおさめている王さまという存在を考えてみよう。遠藤さんは、この王さまのイメージを子どもたちにたずねてみなかったのか。この王さまは、十分こっけいな存在であるはずなのだ。
 そして、この作品の書かれた一九四八年、敗戦からこの年に至る天皇制論議を思いだしてみることも必要であろう。天皇も人間であるということ、あるいは「猫背の天チャン」ということばと「王さまのハンケチにはロバのししゅうがしてある」ということばには、なんの共通性もないのであろうか。王さまと天皇をただちに結びつけることは、ある程度、拡大解釈であり、作品そのものについては、影の声のはんらんと見失われたことばを求めることにしぼられるのだが、その影の声のひとつとして「猫背の天チャン」の問題があるのだ。
 当時のいわゆる民主化、それについてのあやまりは今日さまざまのことがいわれているが、「猫背の天ちゃん」も「あ、そう」も当時のことばである。そして私たちは「天ちゃん」「あ、そう」ということばを天皇けいべつの意味と共に、いわゆる人間天皇への親愛感をもって使っていたのではなかろうか。そして、そのようなことばは、いったいどんなやくにたったのであろうか。
 全然、意味を持たなかったということはない。たしかに、それは民主化のひとつの現われであった。「わたし」に「王さまのハンケチには……」といわれた人たちはへんな顔をする。しかし、「へんな顔のなかに、いきいきと、生気づいてくるものが、目のいろや、くちびるのぴくぴくうごくようすでわかってくる」のであった。
 そればかりではない。それ以前、「わたし」は、シーツをひっぱりながら、口げんかをしていたふたりの男のうち、「大きな男が、いきなり、一方の手をにぎりかためて、小さな男の顔を、なぐろう」とした時、その大男の耳に「王さまのハンケチには……」と耳うちした。大男はぽかんとした顔になって力をぬき、そのすきに小男は逃げだす。
 ことばの発展という作品展開の面から見れば、忘れていたことばを「わたし」はけんかを見て思いだしたということになる。意識下にもぐっていたものが、ある具体的事実にふれて目ざめたのである。その事実がそのことばの示すイメージとなんらかのつながりを持っていたからである。大男が小男をなぐろうとした事実――この事実が「わたし」に「王さまのハンケチには……」ということばを大男に耳うちさせた。事実とことばをつなぐものは、王さまも人間だという意味に含まれる大男が小男をなぐるのはよくないという平等の気持、また「王さまのハンケチには……」ということばの持つけんかとは逆のユーモラスな響きであろう。こうして、このことばはかっぱらいを追い払い、シーツを持ち主に返すという働きをした。
 だが、このことはことばそのものの働きではない。人たちは、そのことばを「そこにもうおまわりがきた」という程度のことばと同じものと思っている。シーツは持ち主に返ったが、かっぱらいは逃げてしまったのである。
 このことばの限界がここですでに示されている。もしも、まことのすぐれたことばがここにあれば、そのことばはこのかっぱらいたちをくぎづけにしたにちがいないのだ。
 妥協的な親愛のことばには意味がない。ただ、他人から伝えられたことばをおうむがえしにしゃべるのも意味はない。
 科学者はいう。「コオロギのめすを母といいかえ、コオロギのおすを父といいかえようとするところが、きみ、十二才の女の子むきの画家だというわけだろう。」天皇を「猫背」といい、「あ、そう」と笑ったところで、このようなことばは天皇の本質をついていない。そして、本質を示すことばといえば――。
 かつて、自分は新しいりっぱな着物を着ていると思いこんでいる皇帝にむかって、子どもが「なんにも着てやしないや」といった時、皇帝の行列はたちまち混乱したが、「王さまのハンケチにはロバのししゅうがしてある」といった子どもは、逆に「つぶされないのが見つけもの」という結果しかむくいられない。「王さまのハンケチには……」と「王さまの耳はロバの耳」ということばにあまり差がないように、ふたりの子どものことばに大きな差があるとは、ぼくには思えない。もちろん、ある程度のちがいはある。一方が子ども自身のことばであるにもかかわらず、一方はおとなから教えられたことばというちがいだ。しかし、教えられる、教えられないは問題ではない。子どもは、一面、教育を受けるものなのだ。問題はその教えられたことばのなかみにあり、「王さまのハンケチには……」ということばには、そのなかみがなかったのだ。かつての世の中では「王さまの耳はロバの耳」「王さまははだかだ」ということばでよかったろう。いまは、その程度ではだめだ。いまのことばは、いったいどういうことばなのか――。
 このように、この作品を読み取った場合、子どもの発する細部の疑問には、ちゃんと答えられるはずだ。
 なぜハンケチにししゅうがしてあるかをたしかめなかったかということについていえば、ししゅうがしてあるかどうかは問題ではなく、ことばの真実が問題であったからだ。そして、その真実は、王さまが子どもにハンケチをわたし、子どもがもみくちゃにされることではっきりしている。このことばは、子どものわるいせんいの上着がすこしよく見える程度の働きしかせず、かえって子どもをつぶしてしまうような方向へ大きく働いたのである。
 P大学の科学者が、「わたし」のことば、「王さまになられるまで、ずっと、あの心臓の上のポケットに、ししゅうのロバがたたまっているなんて、じゅうぶんに童話のようですね。やさしいなあ」をきいて「このことについては、ぼくにもっと意見がある」といいながら、その後作品のなかに出てこないのは、さきのコオロギのおすを父めすを母といいかえるやり方への批判のなかにその意見が出ているからだ。本質を示すことば、習慣や、他人のことばでないことばを科学者は望んでいるのだ。
 星の詩人の「ひとりの心に、でた星は、万人の心にも、でているはずだ」ということばは否定されている。いうまでもなく、子どもの心にこのことばは生まれていなかった。それだけでなく、最後の「わたし」の「――けれど…けれど…」ということばに出ているひとりぼっちの気持は、万人のものではなく、「わたし」ひとりの気持である。
 また詩人はいう。「だれもがしってることを、大声でいうなんて、みっともないよ。」「王さまのハンケチには……」ということばは影のような声で耳うちしなければならないことばであった。大声でいった場合には、のちの子どもの事件のように、いいことはおこらないのだ。もしも「わたし」が大声でいえば、詩人はみんな知っているといったことばがうらぎられるのを見るようになる。大声でいわれる「王さまのハンケチには……」ということば、つまり堂々とした表現で責任を持ったことばは、影の声、習慣や他人のことばとは意味がちがう。「王さまのハンケチには……」ということばが影の声としてささやかれるあいだは、個人には責任のない民主・平等を求める民衆の声としての半面を持っている。だが、そのことばの持つ限界、あるいは矛盾として一方に王さまへの妥協的な親愛感がある。大声でそのことばがいわれる時、このことばの矛盾は民衆の矛盾をさそいだして混乱におちいるにちがいないのだ。
 星の詩人は現実を拒否しているのだ。彼は現実を知っている。知っているから、混乱を避け、星のことばかり歌う。その混乱のなかに飛びこんでいくのは「みっともない」ことなのだ。
 こう見てくれば、この作品は児童文学論としての側面も持っているといえよう。自分はなんでも書けるつもりなのに、十二才の女の子むきにされてしまった「わたし」、現実を避けた星の詩人、コオロギのめすを母といいかえることへの批判、それがわからないで王さまの子どもの時のハンケチがおとなになっても胸のポケットにおさまっていることを童話だという「わたし」。そして、「ことば」への願いは、知識としてのことばではなく、行動への手がかりを持つ新しい児童文学への願いなのだ。
 だが、そのことばは発見されない。だから、「わたし」は「子どものためとも、わがためとも、つかぬ歌のふしで」歌うのであり、それにつけて歌う子どもの声が「わたしの心臓を、風のなかに、さらすよう」になるのである。


 以上のように、この作品は現実と深いかかわりを持ち、その現実を「ことば」の観点からとらえ、新しいことばを求めるということで、うわっ調子の民主化批判(児童文学批判)をやっているのである。遠藤さんの「作者の不在、もしくは歴史的現実の不在」ということばは、ぼくにはうなずけない。
 だが、遠藤さんにかぎらず、多くの教師はこの作品を読んで同じことをいうだろうと、ぼくは思う、なぜなら、すぐれた教師は子どもの成長を願うあまりに、文学教育を人間形成と直結させる傾向がある。また一般にわたしたちはリアリズムの文学を多く読み、そのために文学理解のパターンがリアリズムのほうにかたよっている。そこで、このふたつは文学好きの教師のなかでは重なりあうのだ。
 つまり、作中人物の生き方に重点をあわせ、その人物からテーマを読みとっていこうとする文学教育のやり方は、近代文学の主流となった小説の創作方法とその基礎で共通している。だから、近代小説を読むにはこの方法は非常につごうがいいのだが、「王さまのハンケチ……」のように毛色のかわったものには適用できない。子どものほうの理解の条件はあとにゆずって、おとながこの作品を難解なものと考えるひとつの条件は、文学の読みとり方が固定しているためだと、ぼくは思う。
 そして、作中人物およびテーマを読みとろうとする態度は、人物、テーマのはっきりしない日本の児童文学の理解をさまたげている。これは、私小説的な発想の多い日本の児童文学の欠陥でもあるが、私小説が常に読者に何の意味をももたらさないと考えることはあやまりであろう。古くは嘉村磯多、近いところでは坪田譲治の「魔性のもの」「女のこと」などは、それとしての存在理由を持っている。新しい文学をめざし、望むことと、過去の作品をすべてほうむり去ることではない。坪田譲治の善太三平はやはり私小説的な発想を根に持っているが、だから価値がないということにはならないのである。要は、文学としての高さの問題であり、さらに与田凖一、佐藤義美のメルヘンは数行のことばに集約されるテーマという概念を越えたテーマを持っている。今後の方向として、明快性ということはたいせつなことだが、現在の作品にそれを求めることはむりであり、将来また「王さまのハンケチ……」のようなメルヘンは児童文学の主流ではないが、児童文学の一部として存在を続けるにちがいないのだ、そして、文学教育にとってたいせつなのは、いま、ここにある作品をどう利用するかということであり、将来の生産を待つことではない。子どもは、一日、一日、大きくなっていくのだから。
 また、ぼくが疑問に思うのは、遠藤さんがこの作品をどのように研究していったかということが書かれていない点である。研究しても、とっかかりがなかったのか、どうか。教師なかまのあいだで意見を求めてみるとか、参考書をたずねてみるとかといことを遠藤さんは何もやらなかったようである。そして、「王さまの耳はロバの耳」や、「はだかの王さま」のことに、なぜ考え至らなかったのであろうか。遠藤さんは三読したというが、ぼくは教材研究が足りなかったと思う。
 だが、いそがしい教師を責めるのはあたらない。責められるべきは児童文学者、なかでも児童文学評論家、研究家たちであろう。ぼくの知っているかぎり、この作品に論及している文章は高山毅の近著「児童文学の世界」(「昭和児童文学全集」・与田凖一集の解説の再録)のなかに数行あるのと、関英雄が「文学教育基礎講座・第三巻」で数行ふれているだけであり、遠藤さんがこの実践をやっているあいだには、「児童文学の世界」はまだ出ていなかったのである。(なお、高山さんとぼくとではこの作品の見方はちがっている。)
 おとなの文学では、たとえば芥川の一編を高校で扱おうとすれば、研究書は読むのに苦労するぐらい多い。そして、あっちからつつかれ、こっちからつつかれして作品の微細な部分まで分析され、さまざま読み方が提出されている。児童文学にはそれがないから、遠藤さんが苦労するようになり、結果、子どもも何も得ないということになる。単なる書評や解説ではなく、ちゃんとした研究、評論を積み重ねていくことを、ぼくは自分のしごとのひとつとして痛感させられたが、同じく評論、研究をやっていく人々にも、作品論を重ねていくことをお願いしたい。


 しかし、文学作品はもともと研究が媒介しないと、理解できないようなものではこまる。もちろん、理解ということには、さまざまの段階と質のちがいがあり、たとえば、ぼくは「王さまのハンケチ……」について、子どもたちがわけのわからないままおもしろがったという報告を受けている。星の詩人に「わたし」が「両の耳に手をあてなさい。もろもろの人たちの声ならぬ声がかたまってきこえてくるだろう」といわれて、耳に手をあてる。すると、たくさんの声がきこえてくるというところで、ほんとうにきこえてくるようだといった子どもたちがいたということも、同じ報告者(「小さい仲間」第二十五号・子どもと児童文学・小出智子)がしるしている。
 ここには、それなりの理解があるのだが、これは感性だけによる理解といってよかろう。いままで積み重ねてきた子どもの知識、経験をゆすぶる全人的な理解のしかたこそがもっともすぐれた理解のしかたであろう。その点、「王さまのハンケチ……」は作者のいうとおり、わがためとも、子どものためともつかず、児童文学としては特殊な部類に属する。
 だが特殊だということは芸術性が低いということにはならない。「わたし」が、けんかしている男の耳にとっぴょうしもないことばをささやく。人生には、このような調子はずれのできごとが満ちており、(しかも、その奥はある必然性につらぬかれ)この偶然をとらえてくることは、いわゆるリアリズムの視点ではなかなかできないことである。そして、もろもろの声ならぬ声を読者の耳にきこえさせる表現――行動に転化することばを求める作者は新しいダイナミックな表現に近づこうとしているのである。
 そして、また、特殊ということは将来の問題であり、今日、日本の児童文学のなかでは、かえって特殊なもののほうが多く、将来の本すじになるものは少ない。前にあげた佐藤義美などもこの特殊に属する。くりかえせば、日日に成長していく子どもたちのためには、将来の作品だけを待っておれない。また、リアリズムとはちがう人生の見方を子どもにしらせるべきであろう。
(原題・作品論と教材研究が必要だ・「文学による人間形成」所収・一九五八・十月)
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