絵本ってオモシロイ

21.ちょっと実験を…
米田佳代子

           
         
         
         
         
         
         
     
 「絵本は、絵と文がお互いにおぎないあったハーモニーが、単独では表現し得ない世界をつくる」ということは、絵本好きの常識ですが、その面白さを楽しむ、ちょっとかわった方法をごひろうしましょう。
 まず、二人でペアになって、本を選びます。(できれば中身を読んだり見たりしたことのない本がよい。)
 一人が読み手になり、もう一人に絵を見せないようにして、朗読します。(表紙は見せてもよい。中身の絵は見せないが、絵本を読み聞かせするようにゆっくりと読み、絵だけのページがめくられる所が途中にある場合には、しばし間を取ること。相手にページがめくられる所がわかるようにしてあげること。)
 もう一人は、文を耳で聞きながら、どんな絵の展開になっているのか、頭の中で想像する。自分だったら、どんな絵を描くかなど。(色や構図とともに考えること。)
 本を最後まで読み終えたら、こんどは、ふつうに読み聞かせするように、絵を相手に見せながら読む。(最初に読んだ人が、今回も読むこと。)
 このやり方で、本を読んで(見て)みると、画家のイメージのふくらみが手にとるようにわかり、いままで、絵本の絵と文を同時に見て味わっていたのとは全く異なった世界がひろがります。

 たとえば、次にあげる絵本を、さっそくためしてみてはいかがですか?
●『ぼくはおこった』(H・オラム文/きたむらさとし訳・絵/佑学社刊)
 アーサーが怒り出して、まわりがどんどん変わっていく様子、画家の想像力の見事さが、細部にわたって良くわかり、舌をまいてしまいます。
●『仔牛の春』(五味太郎作/リブロポート刊)
 絵本ならではの「ページをめくる面白さ」をふんだんに味わえます。一つの文章から、こんなに広がりのある発想が出来るのかと目がさめるようです。
●『つきのひかりのとらとーら』(フィリス・ルート文/エド・ヤング絵/野中しぎ訳/福武書店刊)
 文章と絵が相互に助けあい、深さを増している好例。文章に書かれていることを絵にするときに、画力がいかに大切か、大胆さやリアリティーがいかに大切か、はっきりとわかる一冊です。

 このやり方で、本を読んでみて、面白くなかったり、新たな発見がなかったからといって、ダメな本であるというわけではないのです。だって、絵本はこうあらねばならない、といううるさい規則など、どこにもないのですから。いい本とは、読後に何かしらの満足感が得られる本のこと。Aさんにとっていい本とBさんにとっていい本が違うことだって大いにあり得るのですから。
 ただ、この実験は、絵本をつくってみたいと思っている人や、絵本の面白さを探求してみたいと思っている人への‘一つの’提案です。
 どちらにしろ、このコラムの最初にかかげた「絵本好きの常識」とやらの幅と奥行きを、もう一度考えてみるのに、この実験をしてみてはいかがですか?
福武書店「子どもの本通信」第24号 1992.4.10
テキストファイル化富田真珠子