絵本ってオモシロイ

18.日常のなかの非日常
米田佳代子

           
         
         
         
         
         
         
     
 ふつうの生活のなかに、普段はめったに存在しないものが登場したらどうなるか……このテーマは今までにたくさんのおもしろい作品を生み出してきました。文学でも絵本でも。
 これから紹介する2冊の絵本も、日常のなかの非日常、とくに「普段はめったに存在しないもの」の存在によってまき起こされる出来事を描いています。ほんとにこんなことがあったらいいなあと、大人のわたしでさえうらやましくなってしまいます。ベースになっている「日常」が手順をおってリアルに、論理的に描かれていればいるほど、不思議の世界はリアリティーをともない、読者を満足させるのです。
 『へびのクリクター』(トミー・ウンゲラー作/中野完二訳/文化出版局)。フランスのある小さな町に住むルイーズ・ボドという夫人のものに息子から送られてきたのは、丸い箱に入ったへびのクリクター。クリクターが毒蛇でないとわかると、ボドさんはクリクターをかわいがりはじめます。クリクターはボドさんの教える学校でこどもたちと一緒に遊んだり、ボドさんのうちに忍びこんだ泥棒をつかまえたりし、銅像ができるほどの立派な蛇になりました。この物語でおもしろいのは、泥棒事件より、クリクターが蛇特有のあのにゅるにゅるした長い体をつかって文字をかいたり、こどもと遊んだりする場面です、といったら、賛成してくれるかたは多いのではないでしょうか。蛇以外の出来事が日常どこにでもあることだからこそ、蛇が普通の町の生活にはいりこみ住んでいるという「異常」も、あたりまえと錯覚させられます。また3色印刷のさらりと描いたペン画にも、リアリティーがあります。リアリティーというのが本物そっくりに(写実的に)描かれているかどうかということとは無関係なのだということを思い出させてくれます。
 さて、もう一冊『きょうりゅうボブくん』(ウィリアム・ジョイス作/なかがわちひろ訳/福武書店)では、トッカーゲ家がアフリカ旅行にいったところから、お話がはじまります。恐竜となかよくなった一家は、恐竜にボブくんと名前をつけ、アメリカに連れて帰ります。アメリカは、野球の本場。万年負けチームのピムリコ・パイレーツに入ったボブ君は大活躍……。これだけ聞くと、恐竜が野球をするなんて信じられないと思うでしょうが、実はボブ君がアフリカからアメリカへやってくる旅をひとつひとつきちんと描くことにより、ボブ君がアメリカの人間社会のなかで何をやってもおかしくないと思わせるような世界の構築が行われているのです。絵本を開いたのっけからボブ君が人間社会で野球をやったら、あまりに作りもの臭くなってしまうでしょうが、アフリカからの旅が順序よくきちんと描かれているので、ボブ君の存在にリアリティーが生まれています。
 ありえないことをいかにもあるように描く、簡単なようで一番むづかしいことかもしれません。
福武書店「子どもの本通信」第20号 1991.8.10
テキストファイル化富田真珠子