子どもの本

藤田のぼる
東京新聞

           
         
         
         
         
         
         
    
 児童書の世界では個人の短編集というのがなかなか出にくいと言われている。読書感想文コンクールの課題図書にならないからといううがった見方もあるが、それはどうだろうか。
 一つには、子どもの本における作者の位置というのがあると思う。つまり、短編集というのは、例えば村上春樹なら読むというように、基本的に作者に引かれて読むものだ。その点、子どもは、作者というものをそれほど意識しない。
 もう一つの理由は、子ども向けの読み物の雑誌がないこと。大人の小説の場合、 『群像』 とか 『オール讀物』 とかに発表したものを一冊にまとめることができるが、そうした場が児童書の世界にはほとんどない。
 短編集には文学のエッセンスを味わうような独特の魅力があるわけで、今世紀最後の書評で、対照的な雰囲気の二冊の短編集を紹介できるのはうれしい。

 『ぬくい山のきつね』
     (最上一平・作、宮本忠夫・絵、新日本出版社、1500円)

 この作者のデビュー作も、 『銀のうさぎ』 という短編集だった。舞台が作者の故郷である山形の山村である点は同じだが、作品の雰囲気はかなり異なる。例えば標題作の 「ぬくい山のきつね」 。主人公は、四年前に夫を亡くしたおトラばあさん。集落はついにおトラばあさん一人しか住むものがなく、彼女にとって話し相手がいないことほどつらいことはない。そんなとき、亡夫金五郎の姿に化けてやってきたぬくい山のきつね。それと知りつつ、必死に話しかけ、もてなすおトラばあさん。この辺のやりとりが実におかしく、切ない。
 杉浦明平もしくは村田喜代子あたりの世界をほうふつとさせる語り口は、過疎という現実を声高に告発するでなく、人間の生の営みへの限りない共感に満ちている。

 『筆箱の中の暗闇』
     (那須正幹・作、堀川真・絵、偕成社、1200円)

 こちらは 「ズッコケ三人組」 シリーズでおなじみの作者の手になる、短編というよりショートショート集。やはり星新一風な、手法としてはSF的な作品が多いが、より寓話(ぐうわ)的というか、読者をとりまく現実世界にフィードバックしてくる感じの作品が多い。標題作は不登校の子どもの話で、学校に行かないのはいじめなどが原因ではない。問題は筆箱で、学校でそれを開いた時、鉛筆が入っているはずの中が底知れぬ暗闇(くらやみ)で、そこに吸い込まれそうになったのだ。筆箱を取り換えても同様で、家の中では普通の筆箱なのである。今の子どもたちに、これがどんなふうに読まれるか、これも興味深いところだ。

   (ふじた・のぼる=児童文学評論家) 東京新聞2000.12.24
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