子どもの本


           
         
         
         
         
         
         
    
 子どもの本を読んでいて、楽しみの一つは新人の手になる作品と出合うことだ。新しい才能がこの世界に何を付け加えてくれるのか期待は大きいし、またそれを見極められるかどうか、自分が試されることでもある。一方、新人といっても、多かれ少なかれこれまでの児童文学作品から影響を受けながら書いているわけで、新人作家の作品のありようというのは、児童文学の現状を映し出す鏡という側面も持っている。
 今月紹介する二つの新人作品は、素材にしてもテーマにしてもことさら新しいものではないが、それだけにかえって書き手の創作への思いがストレートに伝わってくるようで、児童文学を書くという行為の魅力を再認識できるうれしさがあった。
  
 『ぼくらのバス』
早川司寿乃・絵(偕成社、九七一円)
 夏休み前のたいくつな日曜日、五年生の圭太はふと思い立って弟の広太を誘い、「バスの図書館」に行ってみる。そこは老夫婦が自宅の庭に置いた廃車のバスを利用した文庫だったのだが、圭太が二年生の時におじいさんがなくなって以来閉鎖になっていた。久しぶりの庭もバスも荒れ放題だったが、本はほこりをかぶったままおいてあった。
 そこでのスリリングなひとときに味をしめた二人は、夏休みに入ると毎日出入りするようになり、掃除したり、いろいろなものを持ちこんだりして、二人の隠れ家にしてしまう。ところが、ある日、ここに見知らぬ中学生がやってきて、しばらくここに住むという。かつて文庫の常連だったというこの順平の話を聞くうちに、二人は順平の家出を手助けする羽目になっていく。
 以上の紹介で知られるように、典型的な「秘密基地」物語だが、全体として子どもが本に親しむという行為へのオマージュになっていることがおもしろく、また年齢の違う男の子それぞれの像にリアリティーがあり、作者のセンスと力量を感じさせる。

 『スタートライン』
あびるとしこ・作、長谷川知子・絵(新日本出版社、一四〇〇円)
 四年生になった橋本なつめのクラスには、もう一人同じ名字で、みんなから「ヒメ」と呼ばれている橋本浩美がいる。思ったことをズバズバいうヒメに、始業式の日に「同じクラスに同じ名前の人がいるなんて、いい迷惑」と言われて以来、ヒメを避けているなつめだが、運動会のリレー選手選びで、なぜかヒメはなつめのことを推薦する。 
 「女の子っぽさ」が目についてくる時期に、あえてそうしたものに背を向けてストレートに振る舞おうとするヒメと、そのヒメとのかかわりの中で、知らず知らず周囲にあわせて自己規制している自分に気づいていくなつめ。他者とのかかわりの中で自己発見というのも児童文学にとっては古典的なテーマといえるが、この年代の女の子にとってはなつめの心の動きはかなりの切実さをもって受けとめられるのではないか。ただし、現在の出版状況ではやむを得ないかもしれないが、このグレード、ページ数で一四〇〇円は高い。

(東京新聞1997.06.22)
テキストファイル化山本京子