子どもの本を読む

徳島新聞 1989.03.28

           
         
         
         
         
         
         
    
    
 一昨年、障害児(者)とその周囲の人々とのありようを鋭く見つめた短編集「ぼくのお姉さん」で、日本児童文学者協会新人賞や新見南吉児童文学賞を受けるなど話題を集めた、丘修三の第二作品集「風にふかれて」が出た。
 普通≠フ人間の中にある差別感をシビアにつくという点では前作に譲るかもしれないが、僕にはこの二冊目の方が、作者のこのテーマへの思いに、よりじかに触れられた思いがして、好感が持てた。
 第五話の「さかえ荘物語」の主人公じゅんは、木造アパートに両親と住んでいる。このアパートに脳性まひらしい(作中そうした言葉はないが)車いすの青年が越してきたことから物語は始まる。アパートの人たちの反応はさまざまだが、じゅんの両親はこのタチバナ青年には好意的で、父親はめったにない赤い羽根をつけて帰ってきたりする。ところが、タチバナ青年の元に、障害者用に改造されたピカピカの乗用車が届けられたあたりから周囲の雰囲気が一変する。
 この作品の結びは、じゅんの家にアパートの大人たちが集まり、タチバナ青年へのよろしくない相談が始まる中、「タチバナさんに勉強おそわるんだ」と宣言して部屋を飛び出すじゅんの姿で閉じられる。作者が自らの内なる差別≠よく見据え、じっくり対話しながらの業と思える。
 「王様の心を持った少年」は、中学一年生のハロルドと、隣家の幼友達で、小さい時の事故がもとで知恵遅れとなったビリーとの友情物語。作者S・テーグは1947年生まれの米国人で、これが処女作という。作品は、思春期を迎えたハロルドとビリーが、それまでのような全面的な世話をし、されるという関係から、どううまく「すきまをあけ」た関係に脱却していけるかがテーマとなっている。ここで大きな役割を果たしているのが、二人ともに得意な陸上競技で、ビリーが出場することになる障害者のための「スペシャル・オリンピック」や、ハロルド、ビリーの両親の対応など、やはり彼の国と日本との違いを思い知らされる。だからこそ「風にふかれて」のような作品の意味があるのだろう。
 日本の児童文学者の中で、この問題を大きなテーマにしていたのが、昨年急死した赤木由子だが、遺作となった「3年1組げんきクラス」でも、重なる問題が描かれている。ここではひ弱でいじめられっ子の女の子が、これと対照的な二人の女の子の働き掛けの中で徐々に地からを発揮していくさまが描かれているが、とちらの側の女の子も魅力的で、改めてこの作者の文学の底を流れる人間の信頼感に思い至った。 (藤田のぼる

「本のリスト」
かぜにふかれて(丘修三:作 かみやしん:絵 偕成社)
王様の心を持った少年(S・テーグ:作 木下友子:訳 高田美苗:画 金の星社)
3年1組げんきクラス(赤木由子:作 岡本美子:絵 金の星社)
テキストファイル化中島晴美