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 長野県で総合学習を経験したうちの子どもたちに、あれはどうだったのかと聞くと、楽しかったよという返事が返ってきた。例えば、下の子のクラスは紙づくりを中心に授業を展開していて、いろいろな材料の紙を作るために土地の人に聞きながら漉き船を作ったり、紙の歴史を調べたり、歌を作ったりと次から次にやりたいことが出てきてみんな忙しそうだった。目的があるとだれでも忙しくなり、元気になる。「いじめなんてしているひまがない」と当時子どもたちが言っていたのを思い出した。
 この先どこの学校でも取り入れられる総合学習の助けになるのが『情報大航海術』(片岡則夫著、リブリオ出版)。自分でテーマをみつけ、情報を取り入れ、取捨選択してまとめていく方法などをていねいに案内していて、調べ学習の意欲をそそる。図書館がいよいよ生きてはたらく時代になるはずと期待する。今の時代、情報そのものは相当得られる。しかし、問題はその情報をどうするかで、どのような視点で、あるいはどのように視点を変えてみるかの能力が問われている。そんな気づきも得られる本だ。
 「子どものための美術入門」全6巻(くもん出版)は、ゴッホの絵、ルノアールの絵というように画家ごとに、あるいはせいぜい縦軸の歴史の流れで見ていたものを、例えば人物をいろいろな画家がどう描いているかという横軸の視点で見たもの。各巻のテーマは、動物・人間・風や雪・水や火・家族・働く人で、取りあげる作品は古代エジプトの彫刻から現代の抽象画まであり、画材もいろいろ。浮世絵があるのもうれしい。風や土、空気という視点もあっておもしろい。視点を変えると絵も一段とおもしろい。
 このところ「学力崩壊」が問題になっている。たくさんの情報をいい視点でつかむためには基礎学力がどうしても必要だ。算数ができないと思考力や論理性が身につかないという『算数軽視が学力を崩壊させる』(和田秀樹・西村和雄・戸瀬信之著、講談社)によると、日本の中学における数学の授業時数は先進国中最低で、学力はどんどん下がっている。これでは大学を出ても専門職につく学力がなく、かといって単純労働は嫌うから、若者が街にあふれることになるかもしれないという指摘にはギョッとする。また、『二重言語国家・日本』(石川九楊著、NHKブックス)では、日本語の由来を解き明かし、その特性を説いて、漢字の重要性を指摘している。そういえば、総合学習を経験した子どもたちは相当なドリル学習もさせられたと言っている。「読み書き算」はだいじなのだと改めて思う。
 さて、絵本の主人公にお馴染みの動物が繰り広げる楽しい絵本が何冊か出ている。『ぼくのお気にいり』(ペトラ・マザーズ作、今江祥智・遠藤育枝訳、BL出版)は飼い犬が突然しゃべり出し、こんな食べ物はいやだの、テレビはカラーがいいだの、いつもの散歩道は飽きただのと文句を言う。静かな暮らしをかきまわすそんな犬を気にいった婦人とそこの家の普通のイヌを交換してホッとする。元の飼い主に戻るというのが定番だが、これはそのままで両方とも幸せというのがとてもいい。しっとりとした絵で大人まで楽しめる巾の広い絵本。同じように農場に飽きたブタが願いどおり普通の家で普通の子どもと同じように遊んだり、お風呂に入ったりするという『まほうのどんぐり』(ジョイス・ダンバー文、セリナ・ヤング絵、まつかわゆみこ訳、評論社)も動きのいい絵が魅力的で愉快。
 また、最初から擬人化されたねずみと人間のやりとりがステキなのは『もしもねずみにクッキーをあげると』(ローラ・J・ニューメロフ文、フェリシア・ボンド絵、岩崎書店)。クッキーをもらったねずみはミルクがほしいと言い、ミルクをあげるとストローがほしいという。それをあげると次は……と続く。空想話だから、友だちと読み合うとちがった想像が飛び出すかもしれない。読み聞かせにいい。
 同じ絵本を読んでも大人と子どもの読む(見る)視点はかなりちがうだろう。自分で読むのと読んでもらうのではまた視点もちがうだろうし。それにしても暑い夏だった。と書きながら、子どもはそんな振り返り方はしないなあと思った。(平湯克子
ブックトーク・新刊Review(くもん出版)
1999年10月号