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 『スターウォーズ・エピソード1』(以下SW1)は、ジェダイの資質を見出された少年の成長物語・序章ともいえる作品なのだけれど、奇妙なものだ。すなわち、アナキン・スカイウォーカーなる少年が今後どのように成長しようと、彼の将来とその末路はすでに描かれた『エピソード4・5・6』でわかっている。つまり私たちは無限の可能性を待っている「子ども」の「成長物語」をはなから放棄させられているんやね。『エピソード7・8・9』で完結とされていた二〇年前には、たとえアナキンがダース・ベイダーとして死んでも、彼の息子ルークと娘レイアを巡るそれ以降の物語が保証されて(開かれて)いたが、ルーカス自身によって『エピソード7・8・9』の中止が宣せられた今、このサーガは成長物語として彷徨することを禁じられ、たった一つの方向へと進んで行くしかない。「成長物語」の規範の弛緩はそこかしこで見いだせるが、『SW1』もまたそうした兆候の一つなのかもしれない。アナキンの死を描いた(『エピソード6』)後、このサーガが長い休止に入る八三年、ファミコンが発売され、そこでRPGという形のサーガが成長していくことは、今から振り返 ると偶然とは思えない。まるで代行するかのように『ドラクエ』や『ファイナル・ファンタジー』は子どもが勇者になっていく様(成長)を描き続けたとも言えるのだ。だから例えば『ファイナル・ファンタジー[』をプレイした子どもは『SW1』の中にその似姿をいくつも見つけることができるだろう。
 さて、児童文学。
 『ドラクエ』と同じ八六年に出版されたブライアン・ジェイクス者の剣・レッドウォール伝説』(西郷容子訳 徳間書店)。「勇者の剣」という邦題(原題は『REDWALL』)からしてこれがすでにお馴染みの物語の一つであることは容易に想像が付くし、事実そのとおりだ。森の近く、赤い壁に守られたレッドウォール修道院。そこにはかつて災いから修道院を救った英雄マーティンを描いたタペストリーが飾られている。「バラが遅れて咲いた夏」、「鞭のクルーニー」が率いる悪の軍団が襲撃してくる。若き僧マサイアスはそれを阻止するのに必要な、マーティンの伝説の剣を得るため、謎を解き明かし、冒険の旅に出る・・・。若者、伝説、英雄、剣(他、盾などのアイテム)、勇気、友情、邪悪な存在、謎解き。『勇者の剣』はどれ一つとして外すことはない。また主人公たちは人間ではなくネズミなのだが、これもまた『ウォーター・シップ・ダウン』や『ガンバの冒険』を思い起こさせる。従ってここには意外性といったものは殆どないが、それは決して傷とはなっておらず、むしろ期待通りに事が運ぶことを確認したさにページを繰ることとなる。それはもちろん、 「成長物語」がなんのノイズもなく描けた時代の作品だからだが。
 エヴァ・イボットソ『アレックスとゆうれいたち』(野沢佳織訳 徳間書店)は夏だからってわけでもないけれど、幽霊物。スコットランド。先祖代々のお城を相続した十二歳のアレックス。お金がなくなったので、売却することに。買い手のたった一つの条件は、病弱の娘が驚くといけないので、お化けが住んでいないこと。はい、もちろん住んでます。四人と一匹が。こちらもまた、期待そのままの展開。高橋由為子の挿し絵がいい。
 一方、ガリラ・ロンフェデル・アミット『もちろん返事をまってます』(母袋夏生訳 岩崎書店)は障害児の話だが、そう聞いただけで私たちが期待してしまう、過剰な感動を誘う「ええ話」、を巧く外している。五年生のノアはよその学校のコと文通することに。相手は脳性マヒのドゥディ。往復書簡形式にすることで、健常者と障害者どちらからの視点でも描かれるようになり、書面はかなり率直なものとなる。ドゥディは書く。「友だちが、ある日、とつぜん、歩けるようになったとする。君には、歩けるようになる可能性はない。そういうとき、友だちの手術の成功を、自分のことみたいに、素直に喜べるかい?」。
 その通り。

週刊読書人1999/08/20