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 季節は春。「風のなかに木や草のにおいがする・・・毎年、春になると必ずやってくるこのにおい」とあるのは、小学校を卒業したばかりの女の子の一人称で語られるのオルガン』(湯本香樹実作、徳間書店、一三00円) 。一年ぶりの春の匂いが今まで感じなかった違和感を含むとき、子ども期を脱しかけている少女のもやもやした気持ちと重なる。少女自身は情緒不安定というレッテルに反発しているが、客観的には少女が内面にふくれあがる怒り−こういったものを少女は「怪物」と呼ぶ−を持てあまし気味なのは確か。一人称形式は、語りの都合上、その年齢の人間の意識よりずっと克明に外界を捉える傾向がある。そこが多少気になるが(少なくとも一二歳ぐらいのころのわたしはもっとぼおっとしていた)、物語で描かれていることはリアルで、少女の感じることは共感できる。前作『夏の庭−TheFriends』にもまして人間を描く小説としての面白さをもっている。
 春の匂いに浮かれるのは冬眠からさめたクマも同じこと。「ハナをくんくん」して、見つけたのは、一輪の花・・・ではなくて一軒の家。ウォン・ハーバート・イーのくろくまクンタ』(羽島葉子訳、ベネッセ、一二00円)は、わがままな熊と、熊のいたずらに文句をいうしっかりした女の子の話。説明では茶色のはずの煉瓦がサンゴ色にしか見えないという困った箇所もあるが、色に明度があり、パステルカラーがはずんでいる。紙扉裏の説明文(活字がダンスしている)からはじまる全体のデザインもとても素敵。そこで「奥付」を見ると、くまの足跡らしきものがデザインに使われている。トムズボックスの編集協力、羽島一希のデザインとあり、絵本まるごとデザインすべし、という心配りが感じられた。
 春は、都会に住むわたしたちでさえ自然界に心開きたくなる−もっともスギ花粉には閉口するが。ところが、インディアンたちは春に限らずいつも自然界によりそう暮らしをしていた。一八五四年、アメリカ政府に土地を売るはめになったシアトル酋長は、こうした自分の複雑な思いをインディアンの言葉で語ったという。彼の演説を絵本にしたは空 母は大地』(寮美千子翻訳、パロル舎、一七00円)には「インディアンからの手紙」というサブタイトルがついている。寮は作家だが、ラジオの仕事経験もあり、詩も書く。今回もリズムがあって耳にわかりやすいことばが選ばれている。「わたしの体に血がめぐるように/木々のなかを樹液が流れている/わたしはこの大地の一部で/大地はわたし自身なのだ」・・・「それなのに白い人は/母なる大地を父なる空を/まるで羊が光るビーズ玉のように/売り買いしようとする。」こうした対節をきかせた文章は、原文を言葉通りに訳していないから可能だったのかもしれない。後書きによると、酋長の演説を英訳したものがあって、それを書き直したものを今回底本とし、さらに寮が再編成したという。翻訳としてはかな り偏っているだろうが、絵本としては成功した。同じ酋長の演説からは昨年どうやって空気を売るというのか?』(北山耕平訳、新宿書房)という絵本も出版されている。こちらはオリジナル・テキストを元にしたとか。テキストの選び方といい、片や縦長の版に篠崎正喜の具象画(『父は空・・・』)、片や横長の版に田口富士雄の抽象画(『どうやって・・・』)と、ふたつの絵本は対照的。絵としては大胆に迫る田口の絵にも、ハッチングという細かい線を重ねる技法を使った篠崎の丹念な絵にもよさがあり、甲乙つけがたい。
 なお、古典絵本に興味のある人には園の中の三人』(高鷲志子訳、松岡享子監訳、東京子ども図書館〔東京都練馬区豊玉北1−9−1−311〕、二一0円)がお買い得。昨年のマーシャ・ブラウンの来日講演原稿の全文。ブラウンは、バートン、エッツ、ガァグの三人が子どもの内なる想像の世界、すなわち魔法の庭園にはいる鍵を持った人であったと語っており、中身の濃い四十頁の冊子。(西村醇子)
読書人 1995/04/21
           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     


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