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 今年から、「児童文学時評」の担当となった甲木です。まあ、コーナータイトルは「〈児童文学〉時評」でありますが、とりあえず子どもの本全般、そして、広くは〈子ども〉というファクターと絡むことによって生まれた作品の中から、大人の読者にも充分楽しんでもらえるような本を取り上げていきたい、と思っております。そんなわけで、どうぞ、よろしくお願いします。 さて、絵本というと、どうしても、子ども向けとか、あるいは、若い女性向けの甘ったるいものを一般に想像されがちだが、先頃出版された使のパヴァーヌ』(白泉社、一八00円)を御覧になれば、多分そんな考えは、いっぺんでぶっ飛ばされてしまうに違いない。この本、写真家の沢渡朔がモデルを撮り、それにイラストレーターの宇野亜喜良がペインティングを施し、さらに、小説家であり、詩人でもある舟崎克彦がテキストを書いたという、ジョイントしたアーティストだけを見ても、すごい絵本である。
 天から落ちてきた天使パヴァーヌをめぐるその物語は、明け方に見る夢のように、鮮かで、かつ不条理だ。これは、ストーリーの展開に潜むと同時に、写真、絵、文の三者の相互作用の中に幻出する。まず、沢渡の撮る隙のない構図とキレのいい画像は、それが常に画像そのものであることを主張する。したがって、読者はそこからありふれた意味を読み取ることを拒絶され、ゆえに、天使に見立てられた、線の細い白人の少女と、背景として選び取られた、生活の気配のある街角との違和感は、そくりそのまま読者の胸に委ねられることになる。
 さらに、その上に重ねられた宇野の筆も、分かり易さに貢献しない。それは、繊細であるが決して優しくはなく、ただ画面に残る硬質な印象のみを強調していく。画面を追っていくうちに、写真に描かれたはずの絵が、やがて相互にせめぎ合い、最後は画面の中心となる。そうして、意味を紡ぐはずの舟崎の言葉も、画家とおぼしき語り手の視点を不安定にすることで、認識のバースを狂わせ、ものの見事に意味の檻から飛び去ってしまうのである。
 三人の個性的なアーティストの持ち味が、渾然となって生まれたこの本は、明らかに絵本という表現の地平を広げてくれた。
 続けて、大人のための絵本を二冊ご紹介してみたい。まずは、考えるミスター・ヒポポタマス』(マガジンハウス、一二00円)だ。これは、特に取り立ててストーリーがあるわけではない。「今日は一日じゅう座っていて疲れたから、夕方逆立ちをした。/ぼくはカバだから、逆立ちするとバカになってしまうだろうか」とか、「恋人から手紙が来た。返事を書いた。/カバの社会にフェミニズムは必要ないということ」などという、深遠なのかそうでないのか良く分からない、けれども、確かに毒のあることだけは分かる、谷川俊太郎の文にシンプルな線画であるがアクの強い広瀬弦の絵がついたものである。読み進むうちに、このカバの住む世界の構造がほの見え、現実世界から足を洗えずに、緊張感にまみれている読み手の心がはぐらかされていくのが心地よい。
 もう一つは、黒井健のHotel(河出書房新社、一000円)だ。静かなロビーと、落ち着く部屋。心配りの行き届いたサービスと、絶妙の音楽を提供するラウンジ。美味しいお茶、旨い酒、そして、質のいい客。これは、大人の理想といえる。そんなホテルの案内書だ。小粋な文章に、この作家独特の幻想的な絵がついて、読んでいる間だけは現実を忘れさせてくれる。過労死予防にいいんじゃないだろうか。
 今日び、絵本は子どもだけのものではなくなった。!(甲木善久)

読書人 93/01/18

テキストファイル化 妹尾良子